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September 17, 2017

愚か者に対するサントリーの奮起を

サントリーとしては「残念」以上のことを言うのがなかなか難しいのだろうけれど、本当は当意即妙に断固とした差別拒絶の意志を示して欲しかった。困難であっても日本の企業はその域まで成熟しても、いい加減いいころではないのか。ましてサントリーでしょ。ある程度商業主義の修羅場踏んできたでしょう。

それにしてもCMに「純日本人」を使えと言うなら、ほとんどの企業のCMは成立しなくなるんだよ。そんなこともわからない程度の人間たちに本来向かい合うのも無意味かもしれないが。要は韓国系をやめろと言うんだろうが、それを含めて愚かしいことこの上ない。


サントリー広報「残念」水原希子が出演するCMに批判投稿が相次ぐ - ライブドアニュース

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September 15, 2017

追っかけと映画の話と古書の香り

「気分」で映画を観るすすめ 第3回「道に迷ったときに」 佐野亨 ゲスト:東良美季 トークを聴きに来たせんだぎ。





密かな?トーラさん追っかけとして聴きに来た。言葉で構成する映画空間に全身。観なければな映画や、観なおさなければな映画がたくさんできた。古書ほうろうさんの古書の香りが落ち着く。時間があれば買って帰りたい本がたくさんあった。言葉と映画と古書と。デジタル無縁の濃厚で潤沢な空間。稀少な時間だった。

しかし。

声をかければすぐお友達になれるだろうけれど、遠くで見ていたい人っているのな。「いつも読んでます」とか「ファンです」とか言いたくないのな。その後が続かない。続けたくない。

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September 14, 2017

アウンサンスーチー氏の荊棘

自分の知る限りのこれまでの情報を総合しても、アウンサンスーチー氏の取るべき選択肢は極めて困難で難解を極めると思う。人間性として今更安穏を求めるために人道的支援を見送れる人物とは思えないが、そのバーターとして自らのこれまで推し進めた民主化の路が、再び軍部の台頭を許し、ミャンマーの時計を数十年巻き戻すことになっては、元も子もないと思うはずだ。だからと言ってロヒンギャを絶滅まで追い込むのを手をこまねいて見ているわけにはいかない。本人は苦渋の中にあると推測する。

そもそもアウンサンスーチー氏がミャンマーを統括しているなどと我々は希望的幻想の中にいなかったか。それほどあの国は甘くない。

日常の安穏の中で暮らし、遠くから聞こえる断片的情報で断を下すのは軽率にすぎるが、かといってあの30万人にも及ぶ人たちをどうするのか。考えるとため息が出る。ミャンマーの物語は簡単に終わらなかったと思う。

#ちなみにアウンサンスーチー氏の名前は姓と名ではありませんから切れません(確かミャンマーは姓がなかったはず)

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September 11, 2017

16年目の911

自分がWTCの跡地を訪ねた時にはまだ小さな記念ミュージアムしかなかった。壁一面に飾られた犠牲者の写真。熱で曲がった鉄骨。日本から送られた折り鶴。そして、うっかり入ってしまったという風の若いカップルが涙を流して立ち尽くしていた。衝撃はこんなに小さな空間に押し込められてもまだ衝撃のまま自分たちを圧倒した。

日本にいても押し寄せたあの夜の恐怖は忘れない。夜中にテレビ番組が終わってしまうと、2ちゃんねるくらいしか情報網がなかった時代だった。

そう言えばあの日に消防署にたまたまドキュメンタリーを撮りに行って、この世のものとは思えない映像を撮ることになった作品があったな。

あの時から遠くに来たのか、一歩も動けないでいるのか。自分にはわからない。軽々しく繰り返さないようになどとも言いたくない。このままわからないままなのかもしれないとも思う。














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September 03, 2017

戦勝記念日

昨日が対日戦勝記念日の台湾にいて実際どうですかって友人に聞かれたのだけれど、そうか中華民国では9/2だったりするのかなと。やっと調べたらポツダム宣言調印のこの日が台湾では戦勝記念日なんですね。知りませんでした。ごめんなさい。

この春まで一緒に働いていた台湾からのスタッフTさんは、僕らへの気遣いもあったかも知れないけれど、「どんなに台湾の人が日本のことを好きか」毎回テーマを変えて週に一度熱くプレゼンしてくれていた(日本人の方がぽかんとしてたよ)ので、そんなこと考えたこともなかった。

そもそも日本って台湾と戦っていたっけ?。あれは大陸にいた時の中華民国だろとか。訳わからない都合の良い?ねじれが自分の中にもある。

で当然にそんなことで不快なことは一切ないです。台湾だけではない。自分は韓国にも何回か行ってるけどそんな不快な経験は一度もない。

海外で露骨に差別されて悔しかったのは圧倒的にむしろヨーロッパで、今は知らないけど、常にレストランで端の席に通され、なぜなのか理由を教えろと噛みついたことがあったっけ。

個人の経験をベースにこうした大雑把な推論をしてはいけないのはよく承知しているけれど、どこに行っても優しくしてくれる台北の人たちを(ソウルも釜山も大連も上海も)見ていて、いま深刻な敵対関係にある某国のことも思って、切なくなる。




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September 02, 2017

台北の不思議な店の不思議なお客たち

台北龍山寺の近くで不思議な店に入った。清茶店とあったからカフェかと思ったら店内の客はみんなお茶なんか飲んでおらず、何事かに金を払っているがいくら見ていても商品やサービスがわからない。

賭博やトトカルチョのようなことのようにも見えるが、店内は全て高齢者の男性。迷い込んだ日本人に一瞬何しに来たのみたいな雰囲気が漂ったけど、それでも店のおばちゃんが丁寧にお茶を入れてくれた。完全なるお客さんオブお客さんで、誰もお茶を飲みには来ないし、まして観光客の行くようなところではなかったみたいだ。









ネットでいくら調べてもその人たちがこの店でやっていることがわからない。聞こうにも日本語も英語も通じない。この世にはまだネットで検索してもわからないことがあるんだよね。それはそれで世界も捨てたものではない。しかし本当にあそこは何の店だったんだろう。

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August 30, 2017

屍を乗り越える--VALUというモデル

ヒカル問題で埋め尽くされてしまったVALUだが。ビットコインもマウントゴックス事件の時には、日本ではもう終わりだ扱いされたから、これ1つでどうとは言えない。しかしとにかく前例や基準、視座を設けるのが難しいモデルなので、そうだな。古くはリキッドオーディオとかいたかな。あれはいい結末にはならなかったけれど他の音楽配信モデルの参入のきっかけにはなった。ネットは残酷だからあるいは屍を誰かが乗り越えるのかもしれない。

ITpro - 記者の眼 - 「VALU」という問題児は革命児に変貌できるのか?:ITpro

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August 27, 2017

相対化と平準化-関東大震災の朝鮮人虐殺

小池都知事の言う「哀悼の言葉は震災で亡くなった全ての人に哀悼を捧げるのであり特定の民族に捧げるものではない」というような論理で「そのこと」に触れないのなら、アウシュビッツの大虐殺も広島長崎への原爆投下も相対化され平準化されてないことにされていく。美はディテールに宿ると言った人がいるが、歴史の真実もまたディテールの蓄積にしかないのではないかと思う。


小学生の恐ろしい作文

寿小 学年不明 男子

(略)僕はねえさんと弟といもおとをつれて、山ににげたが、だんだん日がくれて.米をはないためおなかがすいてきたが、たべるものがないから、そこにあったとんもろこしをおり、それをなまでたべていたが、夜となると、あちらでもこちらでも朝鮮さわぎとなってきたから、僕が竹やりをもってまわりをかこっていると、むこうでは朝鮮人をころして万歳々々とさけんでいる。そおすると、又むこうで、朝鮮人が行ママたぞと云うと、「ずどん」と一ばつうったから、僕はおどろいて、一正ママけんめい又まわりをまもっていると、すぐまいに朝鮮人がいたと云うを、みんなは「はあー」とさけんで、たちまち朝鮮人をやすけ、僕は人ママあんしん。遠をみるとまたどんどんもえているが、まもなくけいた。(略)

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August 26, 2017

ツイッターとマストドン---有限と終焉と分散

ツイッターが始まった時に描いた衰退と終焉のイメージは地球上の人間の数と個人の時間が無限ではないこと。凄まじい勢いでフォローを重ねるといつかフォローすべき人がいなくなる。また投稿を読む時間もなくなる。誰も互いをフォローをしなくなればそこでツイッターの成長は止まる。そういうものだった。

現実はほぼその通りに動いている。国家の管理も露骨に見えてきて、アドには深くまで踏み込まれている。それでも「成長しない数億のコミュニティ」であっても健在だから、直ちに滅びては行かない。

だが終わったものは終わったものであり、「最近ツイッターがつまらない」という日常感覚はこの背景があると思っている。

本体に比べてまだ芥子粒のような規模だけれど分散SNSであるマストドンが出てきたのはこの流れにも関係している。小さなコミュニティだけれど、どのインスタンスも(品性はともかく)活気に満ちている。数億の管理された成長の止まった大海よりも数百人のアクティブなコミュニティがあれば、実はそれでいいのではないか。そんな試行錯誤の1つの枝だと思う。

これらがさらに分散を重ねるのか、いつかツイッターのように集積されていくのか、単に衰えるのか。まだ全くわからないけれど、自分のインスタンス1つさえあれば制限を受けることなくそこから世界のインスタンスに対して窓を開いておける。

5月のあの日本のマストドンの熱狂の中で衝動的にインスタンスをつくって以来、費用というより自分のメンテ負荷は半端ないが代え難い自由の快感があることだけは確かである。

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August 22, 2017

皆既日融のぞわぞわ

上海まで皆既日融見に行ったが。あれは本当に良かったと思う。気温が急に下がる。動物...

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August 20, 2017

牛乳石鹸のCM--細くて暗い道

例の話題になった牛乳石鹸のCMを見てからずっと考えていることがいくつかあるから書きとめておく。

主人公の男性の行動は、いまどき確かに批判される部類に属するのだろう。そんなことは誰が見てもわかる。しかし、CMには正しい行動をする人物しか登場してはいけないのだろうか。あなたが、私が、我々の全てが人生においてそんなにいつも適切な行動ばかりしているのだろうか。適切ではないにしても彼のしている行為はそんなに理解不能だろうか。彼の心に痛みがある時点で見る側は視点を変えなければならないのではないか。いつも道徳の教科書どおりのモラル感覚がないとCMが打てないわけはないだろう。

さらにこの男性が鬱の症状ではないか。とかなぜそんな暗いものを見せられなければならないのかという批判もあるようだ。わからないこともないが、なら問いたい。CMはいつでも明るくなければならないのか。鬱の男性が登場してはいけないのか。あなたの周りに鬱の人はいないのか。私たちはいつもCMを見て明るい気分にならなければならないのか。

そして最後に。牛乳石鹸とこのストーリーが何の関係があるのかという声について。その関係性の細い筋に向けて、制約の中で商業作品の作り手は勝負をするのではないかと思ってきた。ずっと前からだ。これからも変わらないと思う。


新井浩文出演・「与えるもの」編/牛乳石鹸PR映像

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August 12, 2017

そのあとは?

北朝鮮を見ているとどうしても戦前の日本のイメージが浮かぶのだけれど、まさか本気でアメリカと全面戦争になっても勝てるなどと思ってはいまい。思ってないよね。思うわけがない。思ってなければいいな。 #おい

せいぜい常人の考えつく範囲では、グァムに(4発撃つと言ってる)中距離弾道ミサイルを予告発射してそれぞれ東西南北50-100km程度のピン差に落とす。ほらやろうと思えば次はグァムの基地でも当てられるぞと虚勢を張り、おお北朝鮮やるもんだ。刈り上げやるもんだと世界をあっと言わせたい。アメリカを震え上がらせるまでなくてもぶるっとさせたい。そのあとは?

そのあとは?

その後を考えているよね。いるはずだ。いるだろ?いるといいなあ。

祖国と朝鮮半島を灰塵と化してもこれが朝鮮民族の誇りというものだ。意気をあげるのだ。と本気で思っていたらどうしようね。

その先?

そもそもここまでチキンレースをやるほどの理由が北にあるとも思えない。いいところで止めておいても、暴挙さえ行わなければさすがに米国も国家転覆の攻撃はもはや仕掛けにくい。グァムにミサイルなんか撃つ必要あるのか。いやそこまでが刈り上げ坊主の「ギリギリ」なのか。

沖縄を取られても最後は本土決戦で、それで負けたら皇国の運命はそこまで、いや皇国は神風によって守られており負けるわけがない。と当時の日本人が、そして権力層がどこまで本気で考えていたか僕は知らない。知らないけれども、結構信じちゃっていたからああいうことになったのではないか。

歴史上一定周期で暴走する国家は現れる。この国を含めて。正気と狂気の境がしっかり見えていればまさかとなるが。まさかという坂は時折歴史に現れる。

もちろん人ごとではないのであり、この国も3度の核の壊滅に晒されながらこうなのであるから。

とにかくまあ落ち着け。そこに座れと言っている中ロの方が大人に見えるのだから困った話である。

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July 09, 2017

百万倍の無力




段々と年を重ねて言葉が出なくなってくる。けれど思う。本当の希望は写真の中だけにあるのではなく、食い入るようにそれに見入る若い人たちの中にあるのではないかと。

日本の報道は血を写さない。死体を写さない。だからなんだと思うだろうか。そうであればこの写真展に一度は足を運んで欲しいと毎年思う。

どうせ何もできなくて死んで行くのかもしれない。あなたも私も。けれどそれに気がつけるのか、気がつかないまま死んでいくのか。俺はそこは大きいと思っている。

無力の裏返しであることはわかっている。でも無力も100万倍すれば何かがかわるかもしれない。無力の自覚が集まれば。

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June 23, 2017

死は圧倒的だ

この世の大抵のことはなんとかなる。何ともならないと思っていても大抵のことは何とかなる。それでも、どうやっても何ともならないこともある。人の死だ。死は圧倒的だ。合掌。

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May 18, 2017

多元宇宙マストドンにツイッターは飲み込まれる

以前立てたツイッター没落の仮説はやはりフォローの仕組みだったのだよな。皆がすごい勢いで当時はフォロー、フォロワーを競っていた。人間の数は有限であるしこれが続けばいつか読みきれないほどの数をフォローすることになり、それより前にフォローを止めると思った。フォローが止まればそこでツイッターの成長は止まる。言わば1つの宇宙の成熟と老化の歴史だ。管理の強化以前に物理だと思った。


マストドンはこれに多元宇宙の構造を持ち込んだ。それぞれの宇宙内ではツイッターに類似した構造を持つが、他の宇宙にも繋がっているので、それが全体を老化させることはない。

時々は爆発する宇宙も消え失せる宇宙もあるだろうが、世界が全て終わることはない気がする。

ツイッターは巨大だが所詮は1つの宇宙に過ぎないので多元宇宙に飲み込まれていくのではないか。

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April 30, 2017

底が知れない

2011年のことをぼんやりと思い出すと日常に降ってきた突然のそれも激烈な災禍であるということがある。それも3月11日の午後の時点では東京にあって、ことの大事には気がついていなかった。テレビの映像は遠い世界のようで、たくさんの人が死ぬとは思ったがその夜のメルトダウンには夜中過ぎまで気がつかなかった。

GWに閣僚がこぞって外遊に行き、平和そのものの渋谷の雑踏にまみれて、通常の連休とただ違うのはミサイル発射の報でメトロが緊急停止になったこと。東京にミサイルの標準を合わせている国が確実に存在し、場合によっては迎撃しなければならないこと。その際には頑丈な建物に避難しろと政府が人ごとのようにどこか遠いところで言っていること。

これは何なのだろう。圧倒的な非日常が圧倒的な日常の隣にある。

あの311を思い出すのは、災禍の凄まじさに反比例した正常化バイアスの凄まじさ。もちろん自分も含めて。

現代の戦争というのは、きっと過去のあらゆる戦争とは異なる。それがどのように始まるのか。開戦後にも109で買い物を続ける若者がいるのかいないのか。メトロが何度もJアラートで停止し、それにも慣れてサラリーマンは会社に急ぐのか。そんなプロセスを飛び越えてある時に閃光が走るのか。。何もわからない。経験したことがない。

1930年代から敗戦まで15年以上にもわたって進行したことが、現代の戦争では一瞬にして、たとえば10日間ほどで進行するのかも知れない。


予測不能(いや予測はしようと思えばできた。しようとしなかった)であった福島の大惨事すら、「あっちでよかった。こっちでなくて」と流そうとする者がいる。あれは皆の本音だとうそぶく者がいる。

自分の頭上の1発の閃光などたぶん、ない。ないはずだ。あるとしても考えてもどうしようもない。ならば今日のこの時を、楽しいことだけ考えて暮らす方がいい。終わるなら終わるでみな一緒だろう。仕方がない。

底の知れない刹那というかデカダンというのだろうか。自分たちがたどり着いたのはこういう世界だ。ここまではそう。これからはわからない。どんな世界になるのか。わかったところで抗しきれるのか。

GWの戯言である。

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April 27, 2017

鳥の逆襲

202x年。ツイッターはもはや完全に失速し、マストドン人口は5億人に達しようとしていた。自由を謳歌したマストドンにも当局の監視が入るようになった。

各インスタンスを巡回して問題トゥートを見張るのがマストドン警察。通称マスポリ。ロゴは制服姿のマストドンのイラストである。

マスポリの勧告を受けた各インスタンス主は問題のトゥートの削除と当該アカウントの締め出しを強いられた。従わない場合には当該インスタンスのドメイン使用停止、強制的なDNSレコードの書き換えなど強硬措置が取られる。

これに反発した自由を求めるマストドン住民は、ツイッター社が国家権力との狭間で機能していた鳥の時代を懐かしみ新たなSNSである「鳥の逆襲」(通称ネオツイッター)に集まるようになった。

#以下続 #かないかも

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April 21, 2017

マストドン-破壊できない世界

いつの頃からか鳥では普段着でジャージとかでごろっとできないようになった。ていうかそのことにすら気がついてなかった。自覚していなかった。マストドンに来てからようやくそれに気がついた。

おまけに鍵を人に預けている部屋に住む居心地悪さがない。確かに今は人のインスタンスに住んでるが、その気があれば家も建てられるし引越しもできる。それでいてご近所とその後もおつきあいできる。

あまり言う人を見ないけど、これで国家が場を破壊できなくなったなてのも感じる。ツイッターは米政府に干渉されて噛みついていたけど、いつまで抗しきれるか不安を感じていた。

マストドンはそう簡単に壊せない。外圧で壊すのは限りなく不可能。インターネットの最もインターネットな世界。分散していて破壊できない世界だ。

それを破壊する者があるとすればそれは俺ら住民だ。内部から瓦解するのはある。過疎るも含めてね。けれど外からは壊せない。

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April 14, 2017

最後には空を仰いで

現実に世界がおかしくなってしまい、真綿で首を絞めるように理由と正義と怒りが手を組んで包囲して戦いを迫ってきた時。

自分は好戦的でもなんでもないのに、どうすることもできないままに必然と必然が手を絡ませて動けなくなり戦いに巻き込まれ、そしてとうとう空から火の玉が降ってきた時。

そうなってしまったら、自分にできることなんてほとんど何もないのだと言うことを思い知らされる。そうした局面の事態になる前に、日常の中で小さなパズルを右から左にせめて動かしたり、無気力というあなたのところにも時々訪れるそいつと戦ったり。

そして結局は最後には空を仰いで祈るしかない。父祖もきっとそうだったのだろうと思う。しかし今ではこの国には祈るべき神すらもほとんど存在しないのだった。

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April 08, 2017

プーちゃん?オレオレ。

「もしもし?プーチン?プーちゃん?オレオレ。トランプ。あのさちょっとさ。ほんのすこーしだけシリアにドカンとトマホーク撃つからさ。危ないから逃げてて。

え?ちょっと話聞けって。オレもさ。いろいろ辛いのよいま。オバマケア潰せないしさ、大統領令通んないしさ。支持者もうるさくてさ。その上プーちゃんとつるんでるって言われてさ。

え?だから話聞けって。

ドカンと撃ってすぐ終わるから。ほとんど砂漠よ砂漠。砂漠に50発くらい撃つからさ。あとちょこちょこっと空港に撃ってすぐ終わるから、あぶねーから逃げてて。いま言うよ?空港の名前。

それとさ、アサドにちょっとガツンと言っといてよ。やりすぎんなって。習近平と違ってさプーちゃん話わかるから好きよ。北朝鮮もこんな感じで行けばいいんだけどな。

じゃあね。これからもまあ大変だけどお互いガンバろうね。じゃあねー。トランプでしたっ」

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April 02, 2017

幼稚化

軟式なんとかとか言っていた人間が言うのもなんなのだけれど、企業の遊びがますます、幼稚化しているような気がする。エイプリルフール遊びへのあなたの苛立ちもその辺りにあるのではないか。

社会と企業、金儲けと理念、利益と最大多数の幸福の狭間。肩肘張って大声で張り上げなくても響くような絶妙なギリギリのところに技とセンスを込めたメッセージの球を投げて欲しいと思う。無い物ねだりか。いや難しいだろ。お前できたかと言われればそれはそうなのだけれど。

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March 25, 2017

「加害」ということ


常磐道を走る

これが1年前。そして人々は帰り始めようとしている。

何を語っても的を射たことが言えるわけもない。ただこの問題について言えば、自分には(当たり前かもしれないが)被害より加害の意識が強いことに今更のように気がつく。

被害とは何か、加害とは何かという狭間に多くの人がいるのだと思う。圧倒的な両極の人たちを除いて。その痛みや迷いを持たずに正義を語って「加害者」をただ糾弾することは自分にはできない。行動原理というか、思考の原理が晒される時間だったと思う。

これも当たり前の話だが、それぞれが自分の内にあるものと向き合うしかなく、向き合うことすら避ける人たちこそが、本当の「加害者」なのではないかと思う。

が、残念なことに圧倒的な多数はそこに位置する。

人はそういうものだと諦念するのではなく、そこから始めるしかない。あなたが幾つになっても。

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March 22, 2017

寛容



#philippines #mactancebu 海外で宗教を聞かれて、いつからか日本人は「無宗教」と答えることのハードルの高さとリスクを知って「Buddhist」と言って切り抜けるようになったと思う。いや別に違ってはいないですよ。多くの場合ね。でもその何だかな感は日本に住んでいればわかっている。神仏習合だの葬式仏教だのクリスマスだの正月だの「日本人は寛容で何でもアリなんでしょ。いい国」とガイドさんが言う。いやあ。知ってるよ。同胞は心の中で頭を掻いている。臆面もなく寛容に生きてきました。父祖の代から。もっともっとずっと前から。

じっと手を見る。寛容な手を。

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March 21, 2017

フィリピンの地域犬




#mactancebu #philippines ホテル近くのスパニッシュ。美味しかった。フィリピンは色濃く今でもスペインなんだけれど、車に乗せられて路地とか走るとわかってはいても今でも凄い。暗がりにいる犬たちは地域犬みたいな感じで人と共存していて、ああいう犬とのつきあい方を日本人は忘れてしまって久しい。日本にいる犬たちとフィリピンにいる犬たちとの距離は幾光年。でも鶏と犬が幸福そうに見える。人は。。わからない。安易には言わない。

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March 11, 2017

6年目




おどろおどろしい。もはや見たくも考えたくもない方もいるだろうけれど、これはまさしく我らの生み出したもの。政治家や東電をそしるのもいいが、まず全ての人が自らの胸に問うべきことだと思う。

震災直後のあの先の見えない暗い街での不安感を、甚大な人達の悲劇を生んだあの海の猛りを残念ながら自分たちは忘れ始めている。

受け取った啓示が何だったのかわかる日は来るかどうかわからないけれど、少なくとも311は全ての人が大小の決意をした日、これから生きていくことについての小さな、あるいは悲痛な決意をした時だと思うが、中には闇に向かう決意もあったのかもしれない。そういう意味においても、何も終わっていない。

しばらく仮設にもうかがっていないことを心苦しく思っている。まず自分の気持ちの原点にせめて戻りいきつ帰りつを忘れないようにしたい。

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