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January 18, 2018

その人を飢えさせてはならない

この人を飢えさせていては絶対にだめですよ皆さん。と言われて深く同意する。なんとかしなけれゃだめだと思う。圧倒的な才能。今日ここに来ている人たちが頷く。みんなそんなことはわかっている。

そうだ。だからこんなむくつけきオジさんの追っかけを俺が長年やっているのだから。そうなんだ。才能に惚れているのだよ。すとんと言葉にしてもらった。

この人が食べられないなんてあり得ない。俺が飢えてもこの人は飢えてはならない。

でもその人を使って金を稼ぐ方法なんて一つも思いつかない。その人の書くものが今後爆発的に売れる未来も申し訳ないけれど想像がつかない。この人とつきあってもきっと金になど全くならない。儲からない。

けれどそれがなんだというんだ。

この世には金になどならない、できない圧倒的な才能というものがあるのだ。これを芸術というのかな。元来文化というのは本来そういうもので、金に換え易い文化ばかりがもてはやされるのはどういうことだ。だからあの人が飢えるのだ。

自分は儲けたり倒れたりの垂れたりするだろうけれど、文化として保全する意味など全くゼロだ。こういう人間は好きにの垂れても誰も悔いる必要はない。保全する文化的価値は全くない。

けれど彼を飢えさせては絶対にだめだ。ならどうすればいいのか。うだるほど金があればパトロンになるのかな。そんな金はないし、そんなことはきっとその人は望むまい。

とオロオロいつも追っかけているわけだ。まるでストーカーだ。

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January 12, 2018

汚れてもいない。美しくもない。

汚れているもののことを汚れているとは認めない。

美しいもののことも美しいと認めない。
美しくもない。汚れてもいない。
世界はただそこにあって、人の営みも含めて全て罪などない。
だから。
あるがままの、罪なき世界に対峙する自分だけが傷つく必要もまたない。

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January 09, 2018

明日のクリエイターを育てるはずのあなたに言いたいこと

クリエイターなら残業代など言うなというあなたのオピニオンを見てちょっとがっかりしています。あなたはクリエイターを育てる方のはず。創造と言う名のもとにあなたの教え子が社会から搾取されることを望まれますか?法は法です。いいですか?残業代は払われなければならないんです。それ以外の解釈はありません。ないんです。仕事の種類は関係ありません。

そして創造を欲する心と、それを持続する経済的サポートは両立させなければならないのではないですか?あなたがこれをお読みになるかどうかわかりませんが、そして僭越ではありますが。考えてみてください。アシスタントはクリエイターではないのです。あなたは明日のクリエイターを望む若者の味方ではないのですか?

どれだけの若者が創造という大義名分のために強者から搾取されていますか?どれだけの報われぬ明日のクリエイターがいますか?そういう人たちが明日のこの国を作るのではないですか?私達の世代がすべきことは何ですか?

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January 06, 2018

まだ会えていない同志の記録-家族最後の日




すっかり植本一子さんの世界に嵌ってしまい、連作を全て読んでいっている。よその家族の物語であると同時に、一部は自分の物語でもあり、さらに311以降の日々を生きた「まだ会えていない同志」の日記でもあり、また同時に近くて遠い魂の歴史でもある。

様々なリスクもあるだろうに吐露してくれる壮絶なそして私的な記録から自分達が受け取るものは測りきれぬほど大きい。

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December 28, 2017

写真を撮るということ

ある写真家の人の日記を延々と読みながら、そうだ。自分はカメラマンになりたくて、新卒でスタジオマンにまでなったんだと、今更のように、改めて思い出す。今考えると、まるで別の人生のようだ。

で、なぜカメラマンにならなかったのか、考えてみるが、本当に別の人生のように遠い日の記憶で、よく覚えていない。どこかでカメラを仕事にすることを断念したのかもしれないし、だらだらとなれなかったのかもしれない。成り行きだったかもしれないし、そのあたりのことは、あまり覚えていたくもないのかもしれない。

とにかく自分は写真を仕事にする人にはならなかった。それだけの話だ。

それでも、今でも、というかこの頃になって休みの日にはできるだけカメラを持って歩くようにしている。スマホを使えば誰でも写真など撮れるようになって、かえって写真を撮ることの意味を考えることは難しくなった。というより、今の自分にはそんなことの意味などどうでもいい。

ただ撮りたくなったら撮る。何のためという目的などはない。それでいいのではないかと思うようになった。こういうのを世間ではさかしら顔で「好きなことは仕事にしないほうがいい。趣味にしたほうがいい」などと言うのだろうか。

「趣味」という言葉の、どこか、どん詰まりの享楽感(苦笑)も自分は好きではないのだ。撮りたくて撮る。趣味ではない。そのことによって金が入らないだけだ。

何を撮ればいいのか、なぜ撮るのか。そんなことに迷っている間は、結局は撮ることの自由を獲得できていなかったのだろうと思う。

たどり着いた場所は、たいした場所ではないのだけれど、ここまで随分と時間がかかった。そんなものなのだろう。

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December 16, 2017

伝説の犬

犬の健康が不調。

犬の一生は人のおよそ1/5くらい。とすれば、犬にかける時間が1ヶ月だとすれば、それは人にとっての5ヶ月には相当するはず。そう思って徳を積むつもりで自分に言い聞かせる。

好きな話は、殆どの犬にとって飼い主は不老不死と思われているという寓話。5世代に1匹くらい、その飼い主の死に立ち会うことのできる伝説の犬が現れる。それは犬にとってとても稀な、選ばれた犬だけが立ち会える聖なる経験なのだという。そういう話。

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December 12, 2017

他のどこにも似ていない街



松崎の伊豆の長八美術館 に行ってきた。

松崎というところは不思議な街だ。他のどの街にも似ていない。西伊豆のどん詰まりにあって交通はどう行っても不便。東伊豆の喧騒とは遠く離れて、独特の鄙びた時間が流れている。
ここに来たのはおよそ30年ぶりで、あの時見た長八美術館はあんなに美しくクールだったのに歳月の流れは壁面を薄黒く痛めていた。この国はどうしてこういう至芸の源に金が集まらないのだろう。

松崎プリンスホテルは伊藤園ホテルと名前を変えてあの日と同じ場所に佇んで、同じ海を見ていたが、こちらも何だかしおれてしまっても必死にその場に立とうとする花のようだった。

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December 02, 2017

日本が中国に完敗したならそれを利用すればいい

すごく刺激的な質の高い論考記事なのでお薦め。


日本が中国に完敗した今、26歳の私が全てのオッサンに言いたいこと

中国に100万以上の都市が300以上あるという話を聞いたのはずいぶん前だけれど、それを言っても多くの日本人はポカンとしている。自分が上海に行った時は、東京よりも遥かに大きな大都会だと認識した上で行ったので、そんなにショックは受けなかったが、その前提無くして行けば驚くだろう。

中国はもちろん、今やアジアには東京など遠く及ばない大都市はたくさんある。例えば韓国には釜山という韓国第二の都市があるが、ここの巨大さときたら、東京の比ではない。人口も最盛期は400万である。

いつまでも世界に冠たるNo. 1日本だとか幻想を持っている人たちは中国でもアジアでもどんどん行ったほうがいい。この記事を読んで自分も深センにぜひ行きたくなった。

もう一つあるのは、別にこんなこと悲しむ必要もないということ。日本人のしたたかさを僕は信じる。理性的でも品格高くもないかもしれないし、人権も民主主義もわからないかもしれないが、この国はしたたかである。だから戦後の奇跡の大復興を成し遂げた。

周辺にこれだけ巨大な経済圏が次々と出来上がっているのだから、日本にとってはある意味チャンスである。同胞と若い人たちの今後のしたたかさを自分は信じる。

また中国の発展は目を覆うばかりの凄まじさだが、中国の大地は都市だけでできているわけではない。何十億という、日本の高度経済成長以前の生活をしている人たちもいる。漢民族以外の人たちもいる。それらも考えてこの国を見ないと見誤ると思う。

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November 18, 2017

馬鹿げた、そしてシリアスなギフト



38度線を区切る鉄条網のギフト。そう言えば当時こんな土産を買ってきたのだった。もうすっかり忘れていた。戦争の喜劇性と悲劇性の二律背反を凝縮している場所が板門店だと思う。この馬鹿げた、あるいはシリアスなギフトにもそれが現れているなと思う。

おそらく(僕の予想だけれど)間も無く今回の北朝鮮危機は収拾される。けれどもちろんそれは問題の先延ばしでしかない。言語化したくないけれど、アジアの民はあの地域の負の遺産をきっと、どこかで棚卸ししなければならないだろう。僕は生きているかどうかわからないけれど、あなたはきっと生きている。願わくば現在の日米のいずれの領袖にもその大役を担わせたくない。

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逃げ場のない街

#japan #shinjuku #shiodome #tokyo

路地を抜け、すっと逃げ込めるような場所がいくらでもある街と、どこにも逃げ場のない街。



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November 17, 2017

「人間万事塞翁が馬」に繋がっているような、いないような話

自分の話。

何か、自分のやっていることを親の仇のように攻撃する人がいる。一方でまるでそこまで言うかというくらい、褒めそやす人がいる。

通常の、平凡な人生というものが仮にあるとしたら、その定義はどちらの目にも合わず、「可もない不可もない」というような曖昧模糊とした優しい言葉に包まれ過ぎていく人生のことなのだろう。

自分の場合はそれとは程遠い。とにかく持ち上げられやすく、とにかく落とされやすい。毀誉褒貶の激しい人格という方に属するのかもしれない。もちろん「毀誉褒貶」という言葉を使われること自体が、あまり良い印象とは言えない。

この世にある世間というもの。いわゆる「世間がそれは許さない」とか「世間様に申し訳が立たない」という時の世間は、自分にとっては、自己を称賛したかと思えば突然攻撃をかけてくる世間であり、貶めたかと思えば(特に儲かる話でも持っていけば)手のひらを返して擦り寄って褒め称える世間である。

毀誉褒貶の激しい自分としては、このような状況でいちいち弄ばれては叶わないとある日思ったのか、防御の一形態なのか、「自分の評価者は自分だけである」というドグマをいつからか持つようになったと思う。

もちろん元より宗教的ではなくて、道徳的でもない。神も世間も特に何もみていないし、何も正しいことを言ってくれるわけでもないのだから、そこは評価者である自己が決めますからよろしくね。という立場である。

大学を出てから久しく哲学の勉強などからも遠ざかっているのでよくわからないけれど、こういう考え方の人間は「実存主義的」とでもいうのだろうかな。よくわからない。宗教的信念のある人からは哀れに見えるかな。

客観的に考えると、物事の自分なりの合理には酷くこだわるが、世間の理や道徳にはたいして関心を示さない。元々毀誉褒貶の激しい身であるから武装したのかもしれないのに、それがまたループして一部の人たちの神経を逆なですることで攻撃に繋がるという仕掛けである。

自己に利を図ることにも、自己を正当化することにも実はそれほど関心がなく、評価者である自分は自分に対して最も良き理解者であり、一方で最も激烈な批判者でありたいと思うだけなのだが、どうもこうした心理構造は必ずしも一般的ではないようである。

現実的に言うと、このような心性に似合う生き方と、似合わない生き方がある。似合う職業と似合わない職業がある。似合う野山と似合わない荒野があるのである。
時には酷く人を傷つける。しかし助ける時もあるはずだし、あったと思う。奥の方を覗き込んでしまった人にはごめんね。お気の毒にとしか言えない。

仮にそれぞれのこうした構造に「問題」や「苦労の種」があったとしても、何十年も溜まった風雪じゃなくて澱のような心の奥のその塊はどうすることもできない。今更治療や修正の道がないのであれば、せめて賢くマネージしたいと思うのみである。

元々世間など、自己の運命や幸福、帰結に対してなんの責任も負ってくれないではないかと考えてしまうところが、やはりその心性はほらまた出ましたこの殺伐がと思うだろうけれど、この世はそんな千差万別の育ち方と生き方の帰結の失敗作が満ち溢れているであろう。

それでも生きている。

※ここまで書いてから不似合いな「人間万事塞翁が馬」という故語を思い出した。自分はこの最初の2文字を「にんげん」と呼んでいたが、下記の引用によれば「じんかん」と読みこれは世間を意味するのだそうだ。知らなかった。

話が繋がっているのか繋がっていないのか。これもよくわからない。


———-
人間万事塞翁が馬

中国の北の方に占い上手な老人が住んでいました。
さらに北には胡(こ)という異民族が住んでおり、国境には城塞がありました。

ある時、その老人の馬が北の胡の国の方角に逃げていってしまいました。
この辺の北の地方の馬は良い馬が多く、高く売れるので近所の人々は気の毒がって老人をなぐさめに行きました。
ところが老人は残念がっている様子もなく言いました。

「このことが幸福にならないとも限らないよ。」

そしてしばらく経ったある日、逃げ出した馬が胡の良い馬をたくさんつれて帰ってきました。
そこで近所の人たちがお祝いを言いに行くと、老人は首を振って言いました。

「このことが災いにならないとも限らないよ。」

しばらくすると、老人の息子がその馬から落ちて足の骨を折ってしまいました。
近所の人たちがかわいそうに思ってなぐさめに行くと、老人は平然と言いました。

「このことが幸福にならないとも限らないよ。」

1年が経ったころ胡の異民族たちが城塞に襲撃してきました。
城塞近くの若者はすべて戦いに行きました。
そして、何とか胡人から守ることができましたが、その多くはその戦争で死んでしまいました。
しかし、老人の息子は足を負傷していたので、戦いに行かずに済み、無事でした。

 この話は、中国の古い書物「淮南子(えなんじ)」に書かれています。

「人間万事塞翁が馬」の「人間(じんかん)」とは日本で言う人間(にんげん)の事ではなく、世間(せけん)という意味です。
「塞翁」というのは、城塞に住んでいる「翁(おきな)=老人」という意味です。

「城塞に住む老人の馬がもたらした運命は、福から禍(わざわい)へ、また禍(わざわい)から福へと人生に変化をもたらした。まったく禍福というのは予測できないものである。」
という事です。

https://mizote.info/image/02profile/30kaisetu_jinkan.html

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November 08, 2017

今日の悟り

その仕事が多少なりとも創造的であればそれに費やした時間がどれほどであったかは本質には一切関係がない。だから10分の仕事というものもないし1時間要する仕事も1ヶ月分の仕事もない。

仕事というのは終わるときにはそれこそ一瞬。数秒で終わるだろうし、終わらないときは永久に仕上がらないからだ。‬

大抵の場合、終わっていないことにさえ気がつかないか、あるいは気がつかないふりをして、自分たちは時をやり過ごしていく。そこまでの時間分の金さえもらえればいいと思えば、またそれもやり過ごしの、未完の口実になる。

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13年

時折自分のブログで確か書いたよなあ。あれはいつだったかなあとか思って分け入って行くと、もはや記事の膨大さに自分でもクラクラする。ここはもはや魔窟である。闇である。いや広大なゴミ屋敷かもしれない。

どれくらい前の記事まであるんだろうと見ていくと13年である。たかだか13年。大したことはないなあと思うが、この13年の間に日本で起きたことの膨大さよ。

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November 03, 2017

35年目のブレードランナー

初作は1982年公開。35年の年を経ての新作。レプリカントがまだ夢まぼろしの世界だった頃と比べてリアルが増している。思えば35年前はビルの外壁に大型ビジョンが唸る世界すら新鮮だった。あの衝撃は流石に再現できないものの、35年後の渾身の世界観の継承は見事だとしか言いようがない。

人間の近くに確実に忍び寄っている人工知能に対して、自分たちの感じる恐れとか、憧れ、未知のものへの距離感の掴み方など、これを最初のブレードランナー遭遇とする世代にも迫るものがあるだろう。

新宿のTOHOシネマ、IMAXで。スクリーンの大きさもだけど音が素晴らしい。お薦め。

どうだろう。3作目もありそうな雰囲気だけど、見られるかな。時間的に。



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October 31, 2017

夢—南島原市の作った美しい動画を見て考えた時間のこと

誰にでも若い時があったということは、普通に考えれば当たり前のことなのだけれど、時としてそれが不思議なことのように思える時がある。あの人にもこの人にも、そして自分にも本当にそんなことはあったのだろうか。過去にあったと思い込んでいることは、本当に存在していたのだろうか。

時間が過去から未来へと一方向に進んでいることを否定する物理学者もいるそうだ。
彼らによれば時間は一方向に流れる線ではなく、全ての時間は同時にこの世界に存在していて、次々と失われていくものではないらしい。最新の物理学のなかでは本気で議論されていることだという。

全ての世界が、人の脳内に映る幻影だとすれば時間ほど儚い幻もないだろうと思う。

美しい動画である。


【南島原市観光ショートフィルム「夢」完成】

■ショートフィルムはコチラから
 https://www.youtube.com/watch?v=w3TYq0Xo8ok

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October 22, 2017

雨の惑星

「今日も雨だね。」‬
‪「そうだね。。。」‬
‪「また雨だね。。。」‬
‪「この頃ずっと雨だね。」‬
‪そう言葉を交わし合っている頃に僕たちは気づくべきだったのだ。雨が降り始めてからもう6年にもなることを。‬
‪止まない雨を毎日見ているうちに、雲の向こう側にいるはずの太陽のことを僕は忘れた。そしてあなたのことも。‬

‪-雨の惑星

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October 21, 2017

遠い道-明日は投票日

この数年、国会議事堂の写真を撮る機会が増えた。有楽町銀座から内堀通りを走り、議事堂正面に続く長い道を外れて、三宅坂の方へ抜けて行く道は、何度も何度も通ってきた道で、自分にとっては何の不可思議もない日常だった。

この正門に続く長い道を車ではなく自分の足で歩いて見るとまったく違う風景があることに気がついたのは311の後の話だ。

この道がこんなに長く長く、そして遠い道だとは気がつかなかった。

明日は投票日。












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October 14, 2017

8年前のファーストペンギン-逢坂誠二さんとツイッター

北海道8区から無所属で出馬しておられる逢坂誠二前議員ですが、ご本人は覚えておられるかどうかわかりませんが、2009年当時、まだ国会議員がツイッターをやるのが珍しかった頃に、いち早くツイッターを始めておられ、BBCが取材に来られたことがありました。

ご本人が取材を受けるのだから、ツイッター中継を代わりにやらせてくださいと、確か数日前に一面識もないのにお願いしたら快く、どこの何者なのかおそらくご存知もなかったろうに、受け入れてくださり、BBCの取材の横でツイッター中継(これも懐かしい言葉です)をさせてもらったことがありました。今回の選挙で単独奮迅しておられる姿に当時のことを思い出し、色々ぐぐったら、ここに当時のことを私のツイートを中心にまとめている方がおられました。

http://d.hatena.ne.jp/FKU/touch/20090702/1246548668

自分でも忘れていたこともたくさんあり、当時からBBCが日本の政界は途轍もなくクローズであると思っていたこともわかります。

8年の時間の経過に色々思うと同時に、当時からオープンハートでおられた議員の姿に敬服の念を改めて持ちます。

(自分も無茶ばかりしてますが、こんな時にも十分無茶ではありました。呆れます)

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October 09, 2017

「天使のはらわた 赤い淫画」を何十年ぶりかで観たのだけれど

こないだ出向いた映画セミナーでトーラさんとかに「天使のはらわた 赤い淫画」の絶賛の話を散々され、何十年ぶりかで観たんだけれど、いやー。あの頃のにっかつロマンポルノって改めてすごいよなぁ。

まずポルノ以前に暗い暗い暗い暗い。なんであんなに鬱屈して暗いんだろう。

そのうえスマホがないないないない。

連絡がつかないつかないつかないつかない。

俺なんかその辺りが気になって気になって、あ。公衆電話かけるのかそうかみたいなそこかよ。

ないないない言ってるうちにその辺で気持ちがとらわれて、エロは。。あれエロなのか。エロってあんなでしたっけ。今のAVってなんなのこれ。みたいな。なんだかエロまで妙に複雑な味がする難しいお菓子みたいなんだよなあ。

美味しいのこれ?どうなのみたいな。
まず第一に。。とか語りたくなるエロってもうないよね。ロリアニ全盛の地点から何千光年彼方の星だよ。

別の国の別のおとぎ話みたいだね。おとぎ話と呼ぶにはグロいんだけどね。あの時代の空気ってあんなでしたっけ。

うーん。これは何なのだろうと改めて考えると暗がりの狭路に迷い込むようで、この辺りが評論魂を掻き立てるのだろうなあ。同シリーズの他の作品も観たいか観たくないか。微妙です。

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October 07, 2017

戦う仏たち-運慶展

運慶展。仏教といっても運慶が表現するのは四天王、十二神将など筋骨備わる憤怒の表情で戦う仏たち。鎌倉の世だけではなく、人間の歴史のほとんどの時間は、戦いの歴史だった。戦いがあったからこそ祈りの時間もあったのだろうと思う。

武器は持たなくても、自分たちも戦うことから解放はされていない。もちろん祈ることからも。要は彼我もみな人であること。今までも。ずっとこれからも。そのことを確認する夜。




















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October 04, 2017

6年目の「枝野寝ろ」-今わかってきたこと

まあ自分はやはりネット上の異変には目をつぶれないのだけれど、いま立憲民主党のツイッターアカウントに起きている「異常事態」の意味を考えるに、ここ1週間ほどの政変だけでは説明ができないものがあるように思う。

つまりどうしても6年前の原発事故、当時の枝野官房長官に連呼された「枝野寝ろ」を思い起こさざるを得ないのだ。自分だけではないだろう。

あの時、枝野氏は毎日毎日テレビに登場し、今思えば「事実ではないこと」を何度も何度も喋っていた。つまり本人が意図したかどうかは別として「嘘」をつき続けていたわけだ。

一時は腹立たしかったが、それから何年も経ってじわじわと思えてきたことがある。それは、あの時のあの立場にいたら、誰に一体他の何ができたのかということだ。未曾有の大事故、日本国の存亡の危機と言っても差し障りない事態に、この人は耐えた。ベストではないかもしれないが耐え切った。それは事実だし、そして決して卑怯ではなかった。

腹の立つこともたくさんあったが、あれから6年経って、あの時のネットにあふれた「枝野寝ろ」の意味を、実はみんな胸の奥で考え続けていたのではないかと思う。それが今回の政変で皆の中で蘇ったとすれば。

不十分であったかもしれないが、この人はベストを尽くした。そして逃げなかった。そのことがこの歳月の中で皆の中で熟成したのだとすれば。

これは夢想かもしれずまた政治の嵐の中で裏切られるかもしれないが、少なくとも自分には今そんな風に思えている。







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父権の反民主性

加藤浩次にずっと感じている嫌悪感の原因のひとつが顕在化されている。


加藤浩次、LINEでの告白は"ダメ"「娘の親として許しません」


まあこういう話は世のおおよその人は笑って流すのだろうなとは思うけれど、敢えてマジレス。LINEでおれは告白しないよ、されたくもないよならわかる。問題は父権の拡張として娘とその相手に対して許さないよと発言することを異様だと思わないこの国のあり方。

父権の拡張により娘に干渉することは、単語を変えれば上司による部下への干渉に繋がり、社長の社員への、そして官僚や議員の国民への「権利」の当然の拡張が行われることと根元で繋がっている。残業の強制もあれは父権だよ愛だよと言えなくもない。

父権とは(ここでいう)反民主的なのである。日本古来の伝統だとか文化だとか、そんなことを言い出せばサウジアラビアと同じである。

あるいは自らの中に誰でも持っている「権利の拡張意識」「干渉意識」「傲慢さ」「勘違い」「アナクロさ」それらと抗することが理性であろうし、合理であろうと思う。

「父権」という言葉を敢えて使ったがこれは男の性とは限らない。女性にもあること。いま毎日テレビに出ている彼女とかね。

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September 23, 2017

潰せばいい

もし今、自分が30代だったら。今の自分のようなオヤジは全力で潰す。そうやってやってきた。そういう生意気な若者が歳を重ねて、今の30代の前に立ちはだかっていると思う。ごめん。

老害だというなら倒していけという気持ちがある。例えばインスタンスだか何でもいいけど。自分なら潰す。

今は酔ってるからそう思うのかもしれない。そんな夜。

イマココ。

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September 17, 2017

愚か者に対するサントリーの奮起を

サントリーとしては「残念」以上のことを言うのがなかなか難しいのだろうけれど、本当は当意即妙に断固とした差別拒絶の意志を示して欲しかった。困難であっても日本の企業はその域まで成熟しても、いい加減いいころではないのか。ましてサントリーでしょ。ある程度商業主義の修羅場踏んできたでしょう。

それにしてもCMに「純日本人」を使えと言うなら、ほとんどの企業のCMは成立しなくなるんだよ。そんなこともわからない程度の人間たちに本来向かい合うのも無意味かもしれないが。要は韓国系をやめろと言うんだろうが、それを含めて愚かしいことこの上ない。


サントリー広報「残念」水原希子が出演するCMに批判投稿が相次ぐ - ライブドアニュース

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September 15, 2017

追っかけと映画の話と古書の香り

「気分」で映画を観るすすめ 第3回「道に迷ったときに」 佐野亨 ゲスト:東良美季 トークを聴きに来たせんだぎ。





密かな?トーラさん追っかけとして聴きに来た。言葉で構成する映画空間に全身。観なければな映画や、観なおさなければな映画がたくさんできた。古書ほうろうさんの古書の香りが落ち着く。時間があれば買って帰りたい本がたくさんあった。言葉と映画と古書と。デジタル無縁の濃厚で潤沢な空間。稀少な時間だった。

しかし。

声をかければすぐお友達になれるだろうけれど、遠くで見ていたい人っているのな。「いつも読んでます」とか「ファンです」とか言いたくないのな。その後が続かない。続けたくない。

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«アウンサンスーチー氏の荊棘

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