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July 09, 2017

百万倍の無力




段々と年を重ねて言葉が出なくなってくる。けれど思う。本当の希望は写真の中だけにあるのではなく、食い入るようにそれに見入る若い人たちの中にあるのではないかと。

日本の報道は血を写さない。死体を写さない。だからなんだと思うだろうか。そうであればこの写真展に一度は足を運んで欲しいと毎年思う。

どうせ何もできなくて死んで行くのかもしれない。あなたも私も。けれどそれに気がつけるのか、気がつかないまま死んでいくのか。俺はそこは大きいと思っている。

無力の裏返しであることはわかっている。でも無力も100万倍すれば何かがかわるかもしれない。無力の自覚が集まれば。

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June 23, 2017

死は圧倒的だ

この世の大抵のことはなんとかなる。何ともならないと思っていても大抵のことは何とかなる。それでも、どうやっても何ともならないこともある。人の死だ。死は圧倒的だ。合掌。

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May 18, 2017

多元宇宙マストドンにツイッターは飲み込まれる

以前立てたツイッター没落の仮説はやはりフォローの仕組みだったのだよな。皆がすごい勢いで当時はフォロー、フォロワーを競っていた。人間の数は有限であるしこれが続けばいつか読みきれないほどの数をフォローすることになり、それより前にフォローを止めると思った。フォローが止まればそこでツイッターの成長は止まる。言わば1つの宇宙の成熟と老化の歴史だ。管理の強化以前に物理だと思った。


マストドンはこれに多元宇宙の構造を持ち込んだ。それぞれの宇宙内ではツイッターに類似した構造を持つが、他の宇宙にも繋がっているので、それが全体を老化させることはない。

時々は爆発する宇宙も消え失せる宇宙もあるだろうが、世界が全て終わることはない気がする。

ツイッターは巨大だが所詮は1つの宇宙に過ぎないので多元宇宙に飲み込まれていくのではないか。

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April 30, 2017

底が知れない

2011年のことをぼんやりと思い出すと日常に降ってきた突然のそれも激烈な災禍であるということがある。それも3月11日の午後の時点では東京にあって、ことの大事には気がついていなかった。テレビの映像は遠い世界のようで、たくさんの人が死ぬとは思ったがその夜のメルトダウンには夜中過ぎまで気がつかなかった。

GWに閣僚がこぞって外遊に行き、平和そのものの渋谷の雑踏にまみれて、通常の連休とただ違うのはミサイル発射の報でメトロが緊急停止になったこと。東京にミサイルの標準を合わせている国が確実に存在し、場合によっては迎撃しなければならないこと。その際には頑丈な建物に避難しろと政府が人ごとのようにどこか遠いところで言っていること。

これは何なのだろう。圧倒的な非日常が圧倒的な日常の隣にある。

あの311を思い出すのは、災禍の凄まじさに反比例した正常化バイアスの凄まじさ。もちろん自分も含めて。

現代の戦争というのは、きっと過去のあらゆる戦争とは異なる。それがどのように始まるのか。開戦後にも109で買い物を続ける若者がいるのかいないのか。メトロが何度もJアラートで停止し、それにも慣れてサラリーマンは会社に急ぐのか。そんなプロセスを飛び越えてある時に閃光が走るのか。。何もわからない。経験したことがない。

1930年代から敗戦まで15年以上にもわたって進行したことが、現代の戦争では一瞬にして、たとえば10日間ほどで進行するのかも知れない。


予測不能(いや予測はしようと思えばできた。しようとしなかった)であった福島の大惨事すら、「あっちでよかった。こっちでなくて」と流そうとする者がいる。あれは皆の本音だとうそぶく者がいる。

自分の頭上の1発の閃光などたぶん、ない。ないはずだ。あるとしても考えてもどうしようもない。ならば今日のこの時を、楽しいことだけ考えて暮らす方がいい。終わるなら終わるでみな一緒だろう。仕方がない。

底の知れない刹那というかデカダンというのだろうか。自分たちがたどり着いたのはこういう世界だ。ここまではそう。これからはわからない。どんな世界になるのか。わかったところで抗しきれるのか。

GWの戯言である。

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April 27, 2017

鳥の逆襲

202x年。ツイッターはもはや完全に失速し、マストドン人口は5億人に達しようとしていた。自由を謳歌したマストドンにも当局の監視が入るようになった。

各インスタンスを巡回して問題トゥートを見張るのがマストドン警察。通称マスポリ。ロゴは制服姿のマストドンのイラストである。

マスポリの勧告を受けた各インスタンス主は問題のトゥートの削除と当該アカウントの締め出しを強いられた。従わない場合には当該インスタンスのドメイン使用停止、強制的なDNSレコードの書き換えなど強硬措置が取られる。

これに反発した自由を求めるマストドン住民は、ツイッター社が国家権力との狭間で機能していた鳥の時代を懐かしみ新たなSNSである「鳥の逆襲」(通称ネオツイッター)に集まるようになった。

#以下続 #かないかも

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April 21, 2017

マストドン-破壊できない世界

いつの頃からか鳥では普段着でジャージとかでごろっとできないようになった。ていうかそのことにすら気がついてなかった。自覚していなかった。マストドンに来てからようやくそれに気がついた。

おまけに鍵を人に預けている部屋に住む居心地悪さがない。確かに今は人のインスタンスに住んでるが、その気があれば家も建てられるし引越しもできる。それでいてご近所とその後もおつきあいできる。

あまり言う人を見ないけど、これで国家が場を破壊できなくなったなてのも感じる。ツイッターは米政府に干渉されて噛みついていたけど、いつまで抗しきれるか不安を感じていた。

マストドンはそう簡単に壊せない。外圧で壊すのは限りなく不可能。インターネットの最もインターネットな世界。分散していて破壊できない世界だ。

それを破壊する者があるとすればそれは俺ら住民だ。内部から瓦解するのはある。過疎るも含めてね。けれど外からは壊せない。

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April 14, 2017

最後には空を仰いで

現実に世界がおかしくなってしまい、真綿で首を絞めるように理由と正義と怒りが手を組んで包囲して戦いを迫ってきた時。

自分は好戦的でもなんでもないのに、どうすることもできないままに必然と必然が手を絡ませて動けなくなり戦いに巻き込まれ、そしてとうとう空から火の玉が降ってきた時。

そうなってしまったら、自分にできることなんてほとんど何もないのだと言うことを思い知らされる。そうした局面の事態になる前に、日常の中で小さなパズルを右から左にせめて動かしたり、無気力というあなたのところにも時々訪れるそいつと戦ったり。

そして結局は最後には空を仰いで祈るしかない。父祖もきっとそうだったのだろうと思う。しかし今ではこの国には祈るべき神すらもほとんど存在しないのだった。

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April 08, 2017

プーちゃん?オレオレ。

「もしもし?プーチン?プーちゃん?オレオレ。トランプ。あのさちょっとさ。ほんのすこーしだけシリアにドカンとトマホーク撃つからさ。危ないから逃げてて。

え?ちょっと話聞けって。オレもさ。いろいろ辛いのよいま。オバマケア潰せないしさ、大統領令通んないしさ。支持者もうるさくてさ。その上プーちゃんとつるんでるって言われてさ。

え?だから話聞けって。

ドカンと撃ってすぐ終わるから。ほとんど砂漠よ砂漠。砂漠に50発くらい撃つからさ。あとちょこちょこっと空港に撃ってすぐ終わるから、あぶねーから逃げてて。いま言うよ?空港の名前。

それとさ、アサドにちょっとガツンと言っといてよ。やりすぎんなって。習近平と違ってさプーちゃん話わかるから好きよ。北朝鮮もこんな感じで行けばいいんだけどな。

じゃあね。これからもまあ大変だけどお互いガンバろうね。じゃあねー。トランプでしたっ」

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April 02, 2017

幼稚化

軟式なんとかとか言っていた人間が言うのもなんなのだけれど、企業の遊びがますます、幼稚化しているような気がする。エイプリルフール遊びへのあなたの苛立ちもその辺りにあるのではないか。

社会と企業、金儲けと理念、利益と最大多数の幸福の狭間。肩肘張って大声で張り上げなくても響くような絶妙なギリギリのところに技とセンスを込めたメッセージの球を投げて欲しいと思う。無い物ねだりか。いや難しいだろ。お前できたかと言われればそれはそうなのだけれど。

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March 25, 2017

「加害」ということ


常磐道を走る

これが1年前。そして人々は帰り始めようとしている。

何を語っても的を射たことが言えるわけもない。ただこの問題について言えば、自分には(当たり前かもしれないが)被害より加害の意識が強いことに今更のように気がつく。

被害とは何か、加害とは何かという狭間に多くの人がいるのだと思う。圧倒的な両極の人たちを除いて。その痛みや迷いを持たずに正義を語って「加害者」をただ糾弾することは自分にはできない。行動原理というか、思考の原理が晒される時間だったと思う。

これも当たり前の話だが、それぞれが自分の内にあるものと向き合うしかなく、向き合うことすら避ける人たちこそが、本当の「加害者」なのではないかと思う。

が、残念なことに圧倒的な多数はそこに位置する。

人はそういうものだと諦念するのではなく、そこから始めるしかない。あなたが幾つになっても。

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March 22, 2017

寛容



#philippines #mactancebu 海外で宗教を聞かれて、いつからか日本人は「無宗教」と答えることのハードルの高さとリスクを知って「Buddhist」と言って切り抜けるようになったと思う。いや別に違ってはいないですよ。多くの場合ね。でもその何だかな感は日本に住んでいればわかっている。神仏習合だの葬式仏教だのクリスマスだの正月だの「日本人は寛容で何でもアリなんでしょ。いい国」とガイドさんが言う。いやあ。知ってるよ。同胞は心の中で頭を掻いている。臆面もなく寛容に生きてきました。父祖の代から。もっともっとずっと前から。

じっと手を見る。寛容な手を。

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March 21, 2017

フィリピンの地域犬




#mactancebu #philippines ホテル近くのスパニッシュ。美味しかった。フィリピンは色濃く今でもスペインなんだけれど、車に乗せられて路地とか走るとわかってはいても今でも凄い。暗がりにいる犬たちは地域犬みたいな感じで人と共存していて、ああいう犬とのつきあい方を日本人は忘れてしまって久しい。日本にいる犬たちとフィリピンにいる犬たちとの距離は幾光年。でも鶏と犬が幸福そうに見える。人は。。わからない。安易には言わない。

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March 11, 2017

6年目




おどろおどろしい。もはや見たくも考えたくもない方もいるだろうけれど、これはまさしく我らの生み出したもの。政治家や東電をそしるのもいいが、まず全ての人が自らの胸に問うべきことだと思う。

震災直後のあの先の見えない暗い街での不安感を、甚大な人達の悲劇を生んだあの海の猛りを残念ながら自分たちは忘れ始めている。

受け取った啓示が何だったのかわかる日は来るかどうかわからないけれど、少なくとも311は全ての人が大小の決意をした日、これから生きていくことについての小さな、あるいは悲痛な決意をした時だと思うが、中には闇に向かう決意もあったのかもしれない。そういう意味においても、何も終わっていない。

しばらく仮設にもうかがっていないことを心苦しく思っている。まず自分の気持ちの原点にせめて戻りいきつ帰りつを忘れないようにしたい。

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February 26, 2017

騎士団長殺し




「ジャズ喫茶をやりながらなんか小説書いてる村上なんとかというのが、売れてるらしいよ。風の歌をなんとかってやつ」
「へー面白いの?」
から幾年月。作家はみるみる売れて日本はおろか世界中で有名になった。

なんというのかな。地下アイドルを応援してたらいつの間にかAKBの1000倍くらいになったみたいなそんな感じか。その間ずっと彼の作品を読んできた。ただそれだけのことなのだけれど、最近は買うのも妙に面映ゆい。

時間とか歳月とか。不思議なものだと益々思う。

#なるべくAmazonを使いたくないが本当に近所に本屋がなくなった。

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January 20, 2017

与那覇大智展「影を放さない」展評

(1/20付沖縄タイムス)




 初めて与那覇大智氏の作品に触れてから10年近くの時が経過したことに気づく。今となっては最初の邂逅の時期にいまだ東日本大震災も起きていなかったこ とが、何やら不思議である。

 それほどに、自分はこの国に何やら揺れごとがあるたびに、静謐な空間に展示された与那覇氏の作品を思い、その前で与那覇氏と交わした会話について思い出してきた。そこで沖縄の運命と出会い、氏の画歴を培ったフィラデルフィアの街を脳裏で辿り、そして深い闇と光に包まれた世界と、与那覇氏と自分の住むこの世界との抗いについて思いを巡らしてきたと思う。

 この国の進むあり方に、与那覇氏は表現者として常に敏感であり続けている。自分が渾身の作品を前に佇み、取るに足らない問いを投げかけると、与那覇氏はそれに答えながらも、より深い場所、自らの魂の中で起きている出来事を返すというダイアログが続いてきた。その対話が自分の中で重要な位置を占めてきたことは間違いない。
 それは決して解のない謎の周りを共に巡るための無比の時間であり、世界の理不尽に対峙する一人の表現者の、言葉にならないイメージに心が触れる時間でもある。そしてもちろん自分自身の魂とも対峙する。否。対峙することを迫られる。

 「影を放さない」と題された今回の展示で中心を占めるのは、光と色彩に囲まれながらも、深い影を落としている椅子を中心に描いた「HOME―椅子」である。
 展示には言葉が添えられている。

 「『光』に照らされた椅子のそばにいる闇、それが『影』です。『影』は椅子が『光』に照らされる限り常に、椅子に寄り添っています。(略)椅子が『影』の主であることを自覚し、その影を放さないこと。それは、椅子が椅子であり続けるために大切なことだと思います。椅子は僕です。そしてあなたです。」

 画面に描かれためくるめく光芒と色彩に包まれながら、深い影を落とす椅子に心を座らせることが、この展示に足を運ぶ人に課せられる魂の試みなのかもしれない。その椅子に座る時にあなたにはどんな光が、そして闇が感じられるのか。闇の存在を忘れていないか。絵は問いかけてくる。
 思えば自分はこうした虚空の椅子に座るために、この場に何度も足を運んでいるのかもしれない。光と闇に包まれた椅子はまた「世界にポジションを取れ」と発する表現者の無言の挑発ではないのか。
 フェンスに隔てられた先に無数の光が煌めく「HOME―裏庭の宴」の前に立つと、画面の四隅まで張り巡らされたフェンスが否応なく心に挑んでくる。このフェンスはあなたと誰を隔てているのか。あなたはこのフェンスを越えることができるのか。いや、そこには本当にフェンスがあるのか。

 絵画という表現を評しようと言葉を撒き散らす己の無力に打ちのめされながらも、自分はこれからも氏の作品が展示される場所に通うだろう。たとえそこに画家の用意した椅子が置かれているとは限らなくても。その時は自分の椅子を置くことにしよう。









…………………………………
 与那覇大智展「影を放さない」は東京・Oギャラリー(中央区銀座1の4の9の3階)で22日まで。問い合わせは同ギャラリー、電話03(3567)7772。

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January 19, 2017

沖縄タイムスに与那覇大智展の展評を書いたのだけれど。








画家の 与那覇 大智 (Taichi Yonaha)さんから、こともあろうに沖縄タイムスに掲載される展覧会評(展評)のご依頼を受け、一昨日入稿させていただきました。

通常は自分のような門外漢が新聞への美術展評の依頼など受けた場合には、「何をご冗談を」と断るのが儀礼でありデフォルトであると思うのですが、馬鹿な私はお引き受けしてしまい、頼んだそのご本人をも驚かせたようであります。

引き受けてしまった後で「どれどれ新聞の展評というのは、みんなどんなものを書くのだろうか」と沖縄タイムスの過去紙面をネットで読み、再度脂汗をかくことになりました。

もとより美術評論家の質など要求されていることはあり得ないので、それならそれで私らしくと開き直って仕上げましたが、「ブログを書くような軽い気持ちで」とはよく言うよ与那覇さん。いくら図々しい私でもそんなわけにいくかと。笑。

運が良ければ、明日20日の沖縄タイムスに掲載されるようですので、掲載後にまた展評含めご紹介できるチャンスもあるかと思います。まあ私の駄文はどうでもいいのですが、与那覇展は22日(日)まですので先だってご案内させていただきます。

1人でも多くの方に。
 

PS. このブログでは与那覇さんの個展に初めてお訊ねした時のことを書いた記事があります。読み返してみると、邪念のない分、今回の展評より良い気がします。

「失われた町」が導いてくれた場所---与那覇大智さんの個展に行ってきた


 与那覇大智展―影を放さない―

会期:2017年1月16日(月)-22日(日)
12:00-20:00(日曜日11:00-16:00)

会場:Oギャラリー
〒106-0061 東京都中央区銀座1-4-9 第一田村ビル3F
℡&fax:03-3567-7772

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January 12, 2017

トランプ会見すら場を取り繕う共同通信とそれをコピペするこの国のメデイアについて


違いを超えて報道の自由を守る~トランプ氏に非難されたCNNをFOXが擁護

江川さんはこう書かれているが、もうこのことだけじゃない。何から何まで違います。日本のメディアとは。こんな私も日本人だな。恥ずかしかったなと思ったのは、少なくとも夕べは米国メデイアも無難に場を作るかと思ったこと。こんな私に誰がしたんですか。日本のメディアの方達ですよ。あなた方ですよ。あなた達のお行儀に毒されたんですよ。

トランプ陣営はいきなりの暴言からのスタートだったけれど、仮に日本の新首相会見でああいうスタートがあったら、日本メディアは「場をつくろわないで」戦えますか。

そんな最中にも飛び交う共同通信の、他国の首長にすら場をつくろう「速報」の数々。

「トランプ次期大統領、雇用確保を約束」

とかあなた、それ速報ですか。それって報道なんですか。目の前で繰り広げられている彼の国のメデイアとトランプの戦いを見てそれって何なんですか。

心からがっかりした。その共同の速報をコピペで流しているメデイアの方達。配信じゃないんだよ。それを今はコピペと言うんだ。コピペならメディアなんていらないんだよ。ツイッターがあればいい。

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December 04, 2016

おとうさんはきょうもいそがしい

こんなの書いてた。2012年だ。すっかり忘れてた。

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おとうさんはきょうもいそがしい。
おかあさんもきょうもいそがしい。
おとうさんは、おかあさんやぼくのためにしごとにいく。
おかあさんは、ぼくやおとうさんのために、あいをそそぐ。

あなたのためよ。あなたのためよ。
かぞくをたいせつにすることは、せかいをたいせつにすることになるんだよ。

でも。そのせかいがよごれたことを、ふたりともなにもいわない。

ただしくいきていれば、
いっしょうけんめいはたらいていれば、
いいことがたくさんある。
それがせかいのためなんだって、おとうさんはいう。

いっぱいかぞくをあいすれば、
あなたが、がっこうにいくようになって
だれかとであって、またかぞくをつくる。
それがせかいのためなんだって、おかあさんはいう。

でも。そのせかいがよごれたことを、ふたりともなにもいわない。

ねえおとうさん。なぜせかいはよごれたの。
ねえおかあさん。だれがせかいをよごしたの。
せかいがよごれてこまっているひとはいないの。
ないてるひとはいないの。

そんなことはかんがえないで
あなたはしっかりべんきょうして、たくさんたべて、おおきくなって
またわたしたちのようなかぞくをつくりなさい。
おとうさんとおかあさんがいう。

それがせかいのためなんだよ。
かぞくをたいせつにすることは、せかいをたいせつにすることになるんだよ。

でも。そのせかいがよごれたことを、ふたりともなにもいわない。

おとうさんはきょうもいそがしい。
おかあさんもきょうもいそがしい。

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October 27, 2016

物忘れ または 前の前の人生について

自分は、長く生きていると途中で何度か記憶喪失になる。それまでの人生を一回忘れる。忘れてもいいやと思ってるから余計に忘れるのか。何か忘れたいことがあるのかよくわからない。そんなことが何回かあった。

忘れたまま生きているその後の日常の中で、こんなことをなぜ自分はできるんだろうとか、こんなことどこかで覚えたっけとか、意味もなく不安感が押し寄せ、そうなってから初めて「ひとつ前の人生」や「ふたつ前の人生」を稲妻のように思い出す。いやリンネ生まれ変わりじゃないですよ。全て今生なのですがね。

忘れようとしたきっかけは前向きの時もあるし、きつくて忘れたかった時も(おそらく)ある。(単なる物忘れの時もね)

ところで、モーガンフリーマンのこの上なく現実離れした番組が好きで深夜によく見ている。「自己とは何か」「時間とは何か」「自我とは何か」「死とは何か」「記憶とは何か」「生命とは何か」

子供の頃に当然と思っていたことが、最新の科学で根元から覆されつつある。そんな身震いするような衝撃が好きだ。人間はいまそういうテーマに必死で向かい合わざるを得ない段階に差し掛かっていると思っている。

遥か彼方にある夢物語と見下していたAIだとかロボットだとかアンドロイドだとか。それらに現実的に対さなければならない時が近づいている。改めて人間の定義や命の定義をし直さなければ、彼らに向かい合えない段階になっていると思うからだ。

「苦しみ」とか「悲しみ」とか。それらは一体何なのだろう。何なのだろうと考える自分はいったい何なのだろう。

自分はこの世から逃避したいわけではなくて、この「何なのだろう」の領域の中でいっぱいに現実的でありたいとは思っているのだが、それでもその自分とはいったい何なのだろう。この世に何をしに来たというのだろうと思う。

いやこれも「前の前の前あたりの人生」でも考えたことのような気もする。リンネ生まれ変わりではない人生で。これも単なる物忘れなのかもしれない。

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October 23, 2016

この世に悪魔はいたのか

この世に悪魔というようなもの、おそらく日本では鬼ともいう。能の世界では鬼は数々あれど、例えば般若は人の心の中の鬼であるとする。しかし中ではなく外に敵対する鬼を想定することで人は白の世界にいようとするものではないか。暗黒面は光の世界を想定しなければ成り立たない。逆もそうである。

60年代の高度経済成長、70年代後半から80年代のバブル期、その後の氷の世界、2000年代のITバブル期を駆け抜けた広告の悪魔性についてよく考える。人ごとではなく加担してきたひとりとして。自分の中の一部にあの時悪魔はいたか。あるいは悪魔に心を売っていたか。

あの戦争を引き起こした人たちの中に一定の懺悔と怨念があるのであれば、スケールは段違いとは言え、80年代から2000年にかけて、そして現在に連なる日々の中で我らの世代にも一定の懺悔と怨念はあって然るべきだろう。この世は眠っている間に出来上がったわけではないのだから。

時代の懺悔と怨念はどの世代にもあるのだろうが、我らの時代は先の戦争の如き大量殺人を起こしていないからか、まとまった懺悔や後悔の言葉を聞いていない。(オウムの時代は隣接して捉えられるべきだろうが)西武セゾンの全盛を頂点とするバブル広告文化の焼け跡の中で、糸井氏も何も語らない

現代にあってまだその周辺を彷徨っている自分にとってあの時代への加担について、自分如きにあっては、まとまった言葉など出てくるわけもないのは当然かもしれない。しかし今日のような日はぼんやりと考える。自分は果たして小童として悪魔に手を貸していたのだろうかと。

「彼ら」が悪魔であった証拠を見ていたはずだ。と1人の自分は言い、他の自分はそれを頑として否定する。鬼はそれぞれの心の中にあり。彼らを鬼と呼んでそこに何があるのか。世代も変わり社会のストラクチャーが激変する中で、それでも鬼の子供達を鬼と呼び続けるのか。自分は何様だと。

何を言っているのか、わからない人にはそれでいいのだろうが、今でも僕はぼんやりと杉山登志のことを思い出しまた先行する時代を駆け抜けた父親のことを思い、巨大なグループを一夜で廃墟にして逝った総帥のことを思う。彼らが悪魔だったと自分に言えるのか。言えるわけもない。商業主義の何が悪い 。

おそらくそこには人の幸福と商業主義との間の相克があり、暗闇と断層があるのだろう。豊かさと商業主義の幸福な並走はあるいは終わったのかもしれないとも、いま始まったところなのかもしれないとも思う。「個々の人に個々の悪魔が宿った。別々の方向を見ている悪魔が」とするべきなのか。

何もいない空間に向かって念仏を唱え、誰もいないところに自分は問いかけているだけかもしれないが。ネットがその空間として、願わくば寛容であることを。

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October 19, 2016

生きたとて

首根っこを押さえて叱ってくれる先輩も今では少なくなった。この先どうしますかと問われる眼を見る。俺もわからないんだよ。ああこれがエイジなことなのだなと思う。人はできることであれば生涯やんちゃでいたいものだと思うのだが。それに生きたとて、そのうち何かがわかってくるわけでもないのだよ。

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October 09, 2016

過労死自殺の件に触れて

広告関連で一番働いていた時代。一晩に〆切が3本。最後の打ち合わせが夜中前に終わって翌朝までに直せは日常。会議室の固い机の上で寝た。ホームでベンチに座ると意識を失い気がついたら3時間後。コーヒーカップを水平に置けなくなった時点でまずいと思いペースダウン。あのまま行っていたらどうなったか。実際同僚が何人か過労死した。今生きているのはただの幸運だ。

一番多かった時で残業時間はどれくらいだったのか。それすら覚えていないのは、その会社が残業時間の記録すら求めなかったからだ。残業代を払わないからだと思い当たる。考えてみれば酷いところにいた。

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October 08, 2016

エンドレスボアリング

久しぶりにノートパソコンを買おうかと思ってあれこれ見てるんだけど、見事なまでに欲しいものがない。

MacであれWindowsであれ、自分の中でのコモディティ化がハンパなく、かつてのワクワク感がこれほどまでに色褪せてしまうとは想像すらしなかった。気のせいかパソコン売場も今では何だか安い既製服の安売り会場みたいだ。参るなと思うのはそれがスマホにも忍び寄っていること。そんなもんさと割り切るには、この世を生きるのに、ときめくことのできるギアが皆無で良いよと言い切れるキャラではない。

いつかあの箱型の機械たちが総退場してロボットがサイボーグがこの空気を変えてくれるだろうか。AIすらコモディティ化されていつか安い既製服売場のような空間がまた生まれるだけなのだろうか。

エンドレスボアリング。

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September 30, 2016

拡散などという薄い言葉ではなく

優れた文章を読むといつも思うことがある。それはつまり、僕がそれを読んで何を感じたのかなんて、二の次だということだ。自分の感想がどうであるかなんてことよりも、1人でも多くの人に読んでもらえればそれでいい。自分の感想なんてそれに比べれば大した話ではないと。こういう時SNSがあって良かったと思う。拡散などという薄い言葉ではない何かがそこにあるような気がしている。



RT @miura_hideyuki
朝日新聞アフリカ特派員

①極めて個人的なことを少し書く。東北のブロック紙・河北新報の伝説のカメラマン・渡辺龍が今日死んだ。享年43歳。大腸ガンだった。震災発生時、宮城県南三陸町で押し寄せてくる大津波に向かってシャッターを切り続けた、伝説のカメラマンだった

②当時、彼は南三陸支局の記者だった。あるいは妻子がいなければ、彼は津波で死んでいた。震災当日、町の職員と共に町議会の議事堂にいた。職員の多くはその後、防災対策庁舎(今、骨組みで残っているあの建物だ)の屋上に避難し、高さ13メートルを超える津波にのみ込まれて亡くなった

③あの日、龍の妻は偶然仙台に出掛けていた。彼は代わりに息子を迎えに行こうと会議場を抜け出して幼稚園に向かい、助かった。それがなければ彼は間違いなく、あの骨組みの建物の屋上にいた、そういう記者だった

④もしあなたの人生で最大の出来事は何ですか、と聞かれれば、私は迷わず「東日本大震災です」と答える。海外の現場で幾度も遺体や惨状を見たが、あの日沿岸部で見た光景の衝撃を私は今も忘れることができない。私の足元で、子どもが自転車にのったまま、泥に埋まっていた

⑤私は破壊され、混濁し、結局何も書けなかった。だから翌月、志願して南三陸町に駐在記者として赴任した。混乱の中で役所取材のすべてを放棄し、1年間、被災者と呼ばれた普通の人々の暮らしを追い続けた。一人称で、深く、長く、「誠実さ」を掲げて。そしてそこにはいつも龍がいた

⑥鈍くさい記者だった。質問もせず、ただずっと側にいて、最後に数枚写真を撮った。ただただ被災者と一緒に泣いていた。だから愛された。彼には人を惹き付ける、弱くて静かな「優しさ」があった

⑦僕らは「ライバル」であり「家族」でもあった。がれきで覆われた町を駆け回り、秋以降はできたばかりの仮設住宅で鍋を囲んだ。震災報道とかジャーナリズムとか、そんなアホ臭い話はしなかった。「○○さんの奥さんの遺体、やっと見つかったみたいだ」。僕らの周囲には生と死しかなかった

⑧かなり傲慢なことを言えば、私と龍ほど被災地に溶けこんで日々を見つめた記者はほかにいなかったと思う。書籍『南三陸日記』を読んで欲しい。本が出たとき、龍は「いい本だ。これは俺たちの記録だ」と言ってくれた。嬉しくて涙が出たよ

⑨だから毎年3月はどこにいても南三陸に帰った。昨年3月には龍はもう末期で、仙台で入院中だった。最後だと思ったんだろう。だからわざわざ南三陸に会いに来てくれた。「まだ生きてるな」と私が言うと、「そっちこそ。三浦より先には死なないよ」と冗談を言って、無理に笑った

⑩今年3月は記者仲間みんなで温泉に行った。何枚も写真を撮った。私は言った。「また2人で震災報道やろう。つまらない、作ったような『作文』じゃなくて、ここで暮らす人が『いいな』と思ってくれるような、そんな記事を2人で書こう」。龍は言った。「三浦は戻ってくるな、外で頑張れ」


⑪実を明かすと、私は11年9月と12年3月に2度、彼に「朝日新聞で一緒に働かないか」と転職を持ちかけている。当時、私は災害報道に人生を捧げたいと考えていて、津波を目撃し、その後も人々と共に泣き暮らした記者やカメラマンが絶対に必要だと信じ込んでいた

⑫龍は数日留保した上で「やっぱり河北でがんばるよ」と笑いながら言った。「それが津波を撮った人間のつとめだ」。奥さんも笑ってた。「あまり主人を惑わせないでくださいね」。龍は12年3月に言った。「ありがとう。三浦さんの誘いを一生胸にここで頑張ってみるよ」

⑬河北新報のみなさん。どうか良い紙面を作ってください。私はあなたたちが作っている紙面が好きです。記事や紙面は武骨だけれど、人間の匂いがする、伝えていくべき喜怒哀楽がある。龍のためにも。あの不条理にのみ込まれ、未だ立ち上がれない、彼が愛した人たちのためにも(終)

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September 27, 2016

見よぼくら一銭五輪の旗-花森安治

見よぼくら一銭五厘の旗

花森安治

美しい夜であった
もう 二度と 誰も あんな夜に会う
ことは ないのではないか
空は よくみがいたガラスのように
透きとおっていた
空気は なにかが焼けているような
香ばしいにおいがしていた
どの家も どの建物も
つけられるだけの電灯をつけていた
それが 焼け跡をとおして
一面にちりばめられていた
昭和20年8月15日
あの夜
もう空襲はなかった
もう戦争は すんだ
まるで うそみたいだった
なんだか ばかみたいだった
へらへらとわらうと 涙がでてきた
 
どの夜も 着のみ着のままで眠った
枕許には 靴と 雑のうと 防空頭巾を
並べておいた
靴は 底がへって 雨がふると水がしみ
こんだが ほかに靴はなかった
雑のうの中には すこしのいり豆と
三角巾とヨードチンキが入っていた
夜が明けると 靴をはいて 雑のうを
肩からかけて 出かけた
そのうち 電車も汽車も 動かなくなっ

何時間も歩いて 職場へいった
そして また何時間も歩いて
家に帰ってきた
家に近づくと くじびきのくじをひらく
ときのように すこし心がさわいだ
召集令状が 来ている
でなければ
その夜 家が空襲で焼ける
どちらでもなく また夜が明けると
また何時間も歩いて 職場へいった
死ぬような気はしなかった
しかし いつまで生きるのか
見当はつかなかった
確実に夜が明け 確実に日が沈んだ
じぶんの生涯のなかで いつか
戦争が終るかもしれない などとは
夢にも考えなかった
 
その戦争が すんだ
戦争がない ということは
それは ほんのちょっとしたことだった
たとえば 夜になると 電灯のスイッチ
をひねる ということだった
たとえば ねるときには ねまきに着か
えて眠るということだった
生きるということは 生きて暮すという
ことは そんなことだったのだ
戦争には敗けた しかし
戦争のないことは すばらしかった
 
軍隊というところは ものごとを
おそろしく はっきりさせるところだ
星一つの二等兵のころ 教育掛りの軍曹
が 突如として どなった
貴様らの代りは 一銭五厘で来る
軍馬は そうはいかんぞ
聞いたとたん あっ気にとられた
しばらくして むらむらと腹が立った
そのころ 葉書は一銭五厘だった
兵隊は 一銭五厘の葉書で いくらでも
召集できる という意味だった
(じっさいには一銭五厘もかからなか
ったが……)
しかし いくら腹が立っても どうする
こともできなかった
そうか ぼくらは一銭五厘か
そうだったのか
〈草莽そうもうの臣〉
〈陛下の赤子せきし〉
〈醜しこの御楯みたて〉
つまりは
〈一銭五厘〉
ということだったのか
そういえば どなっている軍曹も 一銭
五厘なのだ 一銭五厘が 一銭五厘を
どなったり なぐったりしている
もちろん この一銭五厘は この軍曹の
発明ではない
軍隊というところは 北海道の部隊も
鹿児島の部隊も おなじ冗談を おなじ
アクセントで 言い合っているところだ
星二つの一等兵になって前線へ送りださ
れたら 着いたその日に 聞かされたの
が きさまら一銭五厘 だった
陸軍病院へ入ったら こんどは各国おく
になまりの一銭五厘を聞かされた
 
考えてみれば すこしまえまで
貴様ら虫けらめ だった
寄らしむべし知らしむべからず だった
しぼれば しぼるほど出る だった
明治ご一新になって それがそう簡単に
変わるわけはなかった
大正になったからといって それがそう
簡単に変わるわけはなかった
富山の一銭五厘の女房どもが むしろ旗
を立てて 米騒動に火をつけ 神戸の川
崎造船所の一銭五厘が同盟罷業をやって
馬に乗った一銭五厘のサーベルに蹴散ら
された
昭和になった
だからといって それがそう簡単に変わ
るわけはないだろう
満洲事変 支那事変 大東亜戦争
貴様らの代りは 一銭五厘で来るぞ と
どなられながら 一銭五厘は戦場をくた
くたになって歩いた へとへとになって
眠った
一銭五厘は 死んだ
一銭五厘は けがをした 片わになった
一銭五厘を べつの名で言ってみようか
〈庶民〉
ぼくらだ 君らだ
 
あの八月十五日から
数週間 数カ月 数年
ぼくらは いつも腹をへらしながら
栄養失調で 道傍でもどこでも すぐに
しゃがみこみ 坐りこみながら
買い出し列車にぶらさがりながら
頭のほうは まるで熱に浮かされたよう
に 上ずって 昂奮していた
 
戦争は もうすんだのだ
もう ぼくらの生きているあいだには
戦争はないだろう
ぼくらは もう二度と召集されることは
ないだろう
敗けた日本は どうなるのだろう
どうなるのかしらないが
敗けて よかった
あのまま 敗けないで 戦争がつづいて
いたら
ぼくらは 死ぬまで
戦死するか
空襲で焼け死ぬか
飢えて死ぬか
とにかく死ぬまで 貴様らの代りは
一銭五厘でくる とどなられて おどお
どと暮していなければならなかった
敗けてよかった
それとも あれは幻覚だったのか
ぼくらにとって
日本にとって
あれは 幻覚の時代だったのか
あの数週間 あの数カ月 あの数年
おまわりさんは にこにこして ぼくら
を もしもし ちょっと といった
あなたはね といった
ぼくらは 主人で おまわりさんは
家来だった
役所へゆくと みんな にこにこ笑って
かしこまりました なんとかしましょう
といった
申し訳ありません だめでしたといった
ぼくらが主人で 役所は ぼくらの家来
だった
焼け跡のガラクタの上に ふわりふわり
と 七色の雲が たなびいていた
これからは 文化国家になります と
総理大臣も にこにこ笑っていた
文化国家としては まず国立劇場の立派
なのを建てることです と大臣も にこ
にこ笑っていた
電車は 窓ガラスの代りに ベニヤ板を
打ちつけて 走っていた
ぼくらは ベニヤ板がないから 窓には
いろんな紙を何枚も貼り合せた
ぼくらは主人で 大臣は ぼくらの家来
だった
そういえば なるほどあれは幻覚だった
主人が まだ壕舎に住んでいたのに
家来たちは 大きな顔をして キャバレ
ーで遊んでいた
 
いま 日本中いたるところの 倉庫や
物置きや ロッカーや 土蔵や
押入れや トランクや 金庫や 行李の
隅っこのほうに
ねじまがって すりへり 凹み 欠け
おしつぶされ ひびが入り 錆びついた
〈主権在民〉とか〈民主々義〉といった
言葉のかけらが
割れたフラフープや 手のとれただっこ
ちゃんなどといっしょに つっこまれた
きりになっているはずだ
(過ぎ去りし かの幻覚の日の おもい
出よ)
いつのまにか 気がついてみると
おまわりさんは 笑顔を見せなくなって
いる
おいおい とぼくらを呼び
おいこら 貴様 とどなっている
役所へゆくと みんな むつかしい顔を
して いったい何の用かね といい
そんなことを ここへ言いにきてもダメ
じゃないか と そっぽをむく
そういえば 内閣総理大臣閣下の
にこやかな笑顔を 最後に見たのは
あれは いつだったろう
もう〈文化国家〉などと たわけたこと
はいわなくなった
(たぶん 国立劇場ができたからかもし
れない)
そのかわり 高度成長とか 大国とか
GNPとか そんな言葉を やたらに
まきちらしている
物価が上って 困ります といえば
その代り 賃金も上っているではないか
といい
(まったくだ)
住宅で苦しんでいます といえば
愛し合っていたら 四帖半も天国だ と
いい
(まったくだ)
自衛隊は どんどん大きくなっているみ
たいで 気になりますといえば
みずから国をまもる気慨を持て という
(まったく かな)
どうして こんなことになったのだろう
政治がわるいのか
社会がわるいのか
マスコミがわるいのか
文部省がわるいのか
駅の改札掛がわるいのか
テレビのCMがわるいのか
となりのおっさんがわるいのか
もしも それだったら どんなに気が
らくだろう
政治や社会やマスコミや文部省や
駅の改札掛やテレビのCMや
となりのおっさんたちに
トンガリ帽子をかぶせ トラックにのせ
て 町中ひっぱりまわせば
それで気がすむというものだ
それが じっさいは どうやら そうで
ないから 困るのだ
 
書く手もにぶるが わるいのは あの
チョンマゲの野郎だ
あの野郎が ぼくの心に住んでいるのだ
(水虫みたいな奴だ)
おまわりさんが おいこら といったと
き おいこら とは誰に向っていってい
るのだ といえばよかったのだ
それを 心の中のチョンマゲ野郎が
しきりに袖をひいて 目くばせする
(そんなことをいうと 損するぜ)
役人が そんなこといったってダメだと
いったとき お前の月給は 誰が払って
いるのだ といえばよかったのだ
それを 心の中のチョンマゲ野郎が
目くばせして とめたのだ
あれは 戦車じゃない 特車じゃ と
葉巻をくわえた総理大臣がいったとき
ほんとは あのとき
家来の分際で 主人をバカにするな と
いえばよかったのだ
ほんとは 言いたかった
それを チョンマゲ野郎が よせよせと
とめたのだ
そして いまごろになって
あれは 幻覚だったのか
どうして こんなことになったのか
などと 白ばくれているのだ
ザマはない
おやじも おふくろも
じいさんも ばあさんも
ひいじいさんも ひいばあさんも
そのまたじいさんも ばあさんも
先祖代々 きさまら 土ン百姓といわれ
きさまら 町人の分際で といわれ
きさまら おなごは黙っておれといわれ
きさまら 虫けら同然だ といわれ
きさまらの代りは 一銭五厘で来る と
いわれて はいつくばって暮してきた
それが 戦争で ひどい目に合ったから
といって 戦争にまけたからといって
そう変わるわけはなかったのだ
交番へ道をききに入るとき どういうわ
けか おどおどしてしまう
税務署へいくとき 税金を払うのはこっ
ちだから もっと愛想よくしたらどうだ
といいたいのに どういうわけか おど
おどして ハイ そうですか そうでし
たね などと おどおどお世辞わらいを
してしまう
タクシーにのると どういうわけか
運転手の機嫌をとり
ラーメン屋に入ると どういうわけか
おねえちゃんに お世辞をいう
みんな 先祖代々
心に住みついたチョンマゲ野郎の仕業な
のだ
言いわけをしているのではない
どうやら また ひょっとしたら
新しい幻覚の時代が はじまっている
公害さわぎだ
こんどこそは このチョンマゲ野郎を
のさばらせるわけにはいかないのだ
こんどこそ ぼくら どうしても
言いたいことを はっきり言うのだ
 
工場の廃液なら 水俣病からでも もう
ずいぶんの年月になる
ヘドロだって いまに始まったことでは
ない
自動車の排気ガスなど むしろ耳にタコ
ができるくらい 聞かされた
それが まるで 足下に火がついたみた
いに 突如として さわぎ出した
ぼくらとしては アレヨアレヨだ
まさか 光化学スモッグで 女学生バッ
タバッタ にびっくり仰天したわけでも
あるまいが それなら一体 これは ど
ういうわけだ
けっきょくは 幻覚の時代だったが
あの八月十五日からの 数週間 数カ月
数年は ぼくら心底からうれしかった
(それがチョンマゲ根性のために
もとのモクアミになってしまったが)
それにくらべて こんどの公害さわぎは
なんだか様子がちがう
どうも スッキリしない
政府が本気なら どうして 自動車の
生産を中止しないのだ
どうして いま動いている自動車の 使
用制限をしないのだ
どうして 要りもしない若者に あの手
この手で クルマを売りつけるのを
だまってみているのだ
チクロを作るのをやめさせるのなら
自動車を作るのも やめさせるべきだ
いったい 人間を運ぶのに 自動車ぐら
い 効率のわるい道具はない
どうして 自動車に代わる もっと合理
的な道具を 開発しないのだ
(政府とかけて 何と解く
そば屋の釜と解く
心は言う(湯)ばかり)
 
一証券会社が 倒産しそうになったとき
政府は 全力を上げて これを救済した
ひとりの家族が マンション会社にだま
されたとき 政府は眉一つ動かさない
もちろん リクツは どうにでもつくし
考え方だって いく通りもある
しかし 証券会社は救わねばならぬが
一個人がどうなろうとかまわない
という式の考え方では 公害問題を処理
できるはずはない
公害をつきつめてゆくと
証券会社どころではない 倒してならな
い大企業ばかりだからだ
その大企業をどうするのだ
ぼくらは 権利ばかり主張して
なすべき義務を果さない
戦後のわるい風習だ とおっしゃる
(まったくだ)
しかし 戦前も はるか明治のはじめか
ら 戦後のいまも
必要以上に 横車を押してでも 権利を
主張しつづけ その反面 なすべき義務
を怠りっぱなしで来たのは
大企業と 歴代の政府ではないのか
 
さて ぼくらは もう一度
倉庫や 物置きや 机の引出しの隅から
おしまげられたり ねじれたりして
錆びついている〈民主々義〉を 探しだ
してきて 錆びをおとし 部品を集め
しっかり 組みたてる
民主々義の〈民〉は 庶民の民だ
ぼくらの暮しを なによりも第一にする
ということだ
ぼくらの暮しと 企業の利益とが ぶつ
かったら 企業を倒す ということだ
ぼくらの暮しと 政府の考え方が ぶつ
かったら 政府を倒す ということだ
それが ほんとうの〈民主々義〉だ
政府が 本当であろうとなかろうと
今度また ぼくらが うじゃじゃけて
見ているだけだったら
七十年代も また〈幻覚の時代〉になっ
てしまう
そうなったら 今度はもう おしまいだ
 
今度は どんなことがあっても
ぼくらは言う
困まることを はっきり言う
人間が 集まって暮すための ぎりぎり
の限界というものがある
ぼくらは 最近それを越えてしまった
それは テレビができた頃からか
新幹線が できた頃からか
電車をやめて 歩道橋をつけた頃からか
とにかく 限界をこえてしまった
ひとまず その限界まで戻ろう
戻らなければ 人間全体が おしまいだ
企業よ そんなにゼニをもうけて
どうしようというのだ
なんのために 生きているのだ
 
今度こそ ぼくらは言う
困まることを 困まるとはっきり言う
葉書だ 七円だ
ぼくらの代りは 一銭五厘のハガキで
来るのだそうだ
よろしい 一銭五厘が今は七円だ
七円のハガキに 困まることをはっきり
書いて出す 何通でも じぶんの言葉で
はっきり書く
お仕着せの言葉を 口うつしにくり返し
て ゾロゾロ歩くのは もうけっこう
ぼくらは 下手でも まずい字でも
じぶんの言葉で 困まります やめて下
さい とはっきり書く
七円のハガキに 何通でも書く
 
ぽくらは ぼくらの旗を立てる
ぼくらの旗は 借りてきた旗ではない
ぼくらの旗のいろは
赤ではない 黒ではない もちろん
白ではない 黄でも緑でも青でもない
ぼくらの旗は こじき旗だ
ぼろ布端布はぎれをつなぎ合せた 暮しの旗だ
ぼくらは 家ごとに その旗を 物干し
台や屋根に立てる
見よ
世界ではじめての ぼくら庶民の旗だ
ぼくら こんどは後あとへひかない
 
(8号・第2世紀 昭和45年10月)

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