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July 08, 2018

死刑囚にバラの花を貼ってはならない

死刑囚写真に次々「執行」シール TV演出に疑問の声も


こういうことをしてはいけないのだという人としての基本の違和感、危機感がない。おそらく選挙の投票結果とか、街角アンケートとかと同じ発想で悪意なくやったのだろう。人の死とか死刑とか、そしてサリン事件の重さ、深刻さに対する厳粛の意識を説く人がメディアにいなくなってきているのではないかと思う。あるいは若いスタッフの浅慮であるなら、こういう時こそリアルを知っている世代が頑張るべきだと思う。きっとさらに前にはあさま山荘とか、戦争体験とか、沖縄戦だとかに繋がるリアリティの劣化なのだろうなと思う。

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June 27, 2018

渋谷を毎日通るおっさんによる渋谷駅攻略ポイント











●ヒカリエとマークシティの区別がつくか
●何度も無駄な上がり下がりをさせられた時騙されているのではと疑わないで確信を持って迷いなく進めるか
●昨日までの記憶を毎日忘れられるか
●東横線までJRからまさかこんなに歩くわけはないと途中で引き返したりしないでいられるか
●まさかあの渋谷駅ともあろうものがこんな細い迷路に客を通すわけがないと思い込まないか
●外に出ればなんとかなるだろうなどと安易な考えを捨てられるか
●誰かに道を聞けば教えてもらえるなどと言う甘い考えを捨てられるか
●今日覚えた知識は明日はゴミになると割り切れるか

#毎日が意識のコペ転

#書いているうち人生のことのように

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June 15, 2018

1F視察に参加した

機会あって1F視察に参加した。

1Fにも普通の日常の時間が流れていた。視察はバスから降りられないけれど、私服のまま。マスクも配られない。今では靴も何も覆わない。作業員も特別な地域以外はみな軽装で、そのせいか風景に深刻さがない。

話には聞いていたけれど敷地はとてつもなく膨大で巨大。どこかの企業の大工場のようだ。1000個もある1000㎥汚染水タンクも、あの中にあっては少しも大きい気がしない。

海の方向を見ていると4つの原発建屋の頭が見えてくる。敷地は汚染水タンクや免震棟よりはるかに低い。海ギリギリに建っている。

原発は壊れたので改築されているビル群のようだった。後から設置されたパネルの間から邪悪なあの日の瓦礫の傷口はのぞくけれど、なにすぐに直りますよとすましているようだった。
バスを降りてすたすたとあの建物の中に入っていったら、程なくして自分は死ぬのだという実感が持てない。ここまで来てもリアリティがない。

「傷は燃料デブリで汚染水は血液だ。血液を止めないと傷は治らないんですよとある社会学者が言ってまして。いや面白いことを言うものだと思いました」

と解説の合間にふっとそんなことを言ったのは東電の案内役だ。こうやって抜き出すと不謹慎のようだけれど、彼らの目には原発は傷ついた大きな獣で、その血を止めるために自分たちは必死になっていると言いたかったんだろうな。可愛がっていた大きな獣が病んでいる。人は病む前の穏やかだった獣を知らない。彼らが毎日愛でて可愛がって世話をしていた。それがある日突然狂った。

でも血液を止めれば傷が治るというのはそれは違う。と自分は思った。汚染水を止めたところで、燃料デブリは取り出せないからだ。

あまり注目されていないが、こいつがこの国を救ったのだと思った。6号機のディーゼル発電機。

1-5号機の発電機が全てタービン建屋の、こともあろうに地下に設置されていたのに、6号機のための土地だけが低地になかったことが幸いした。6号機のディーゼル発電機だけは小高い丘の上に立っていて、最後まで止まることはなかったので、5,6号機の冷却が続けられた。この発電機も動かなかったら、もしも他の5機のように低い場所にあったら、6機の原発が全滅していた。

1Fにも多くの東電の女子社員が働いていることも改めて知った。山と積まれた積算線量計のデリバリーとか、見学者のケアなどは彼女たちが一生懸命やってくれる。Tepcoの制服を着た女子を、しかも1Fで見るのは当然初めてだから、ちょっと印象的だった。

バス中の最高線量は2-3号機の間で270μSV/h。

今日の視察参加者の積算被ばく量は0.1mSv。

「歯科医でレントゲンを2回かけたくらいの量です」

東電の案内役が言った。

※中にいるときは、何を見ても心が動かなかったのに、後から一つ一つの風景を思い出すと動悸が激しくなる。

(東電が撮った写真が来たら改めて全体をまとめます)

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June 09, 2018

村野ミロ読み返しプロジェクト




村野ミロシリーズ読み返しプロジェクト。第2作は1994年「天使に見捨てられた夜」日活で映画化されてたのか。この頃インターネットがあったら謎の大半は秒殺で解決するな。

それにしてもこの頃の桐野夏生は筆が走っている。降りてきた物語に書かされている感じ。

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May 27, 2018

久しぶりに村野ミロに会う



何年振りかで桐野夏生の村野ミロシリーズを無性に読み直したくなった。前には図書館で読んだらしくいくら探しても家に一冊もない。仕方なくAmazonで文庫本を買って一作目から読んでいる。こんな深夜に読むと変な夢を見そうだが構わない。

ストーリーはほとんど忘れていたが、懐かしい知り合いに再会したよう。暗く孤独で荒々しくて不安定で時に暴力的でエキセントリックな女。ミロ。久しぶり。

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May 23, 2018

桜となってはいけない

事実を淡々と述べながらも決して人を責めず自らの責任を語る若者に多くの人が共感した。自分もその例外ではないが、その姿に旧日本軍の兵士のような危うい美意識を感じたのも事実。

私たちはこういった日本人の「美徳」と一度は決別したのではなかったろうか。不正な圧力には決して屈しない態度、凛とした態度が尊敬される国になろうとしたのではなかったのか。責任を自ら引き受け滅んでいく桜ばかりを美しく思ってはならないはずだ。

なぜこの国の隅々でパワハラが横行するかと言えば、そうして耐えて責任を引き受ける姿の幾ばくかを私たちが美しいと思ってしまい、戦う者たちに対しては、和を乱すものとして眉をひそめる性向があるからだ。それが続く限り、社会の隅々の人達まで抵抗しない限り、蜂起しない限り、そうした人達こそが尊敬されるようにならない限り、この国からパワハラはなくならない。

また桜が散っていくだけだ。

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May 01, 2018

軍政の闇を抜けてきた国-映画「タクシードライバー」と光州事件





今日新宿で観てきた。

「タクシードライバー」というタイトルの軽さと、前半のコミカルなトーンに騙されると、後半で途轍もなく、凄まじく打ちのめされる映画。

南北会談が話題の韓国だけれど、自分たちが大学生の時は、岩波の「韓国からの手紙」が作者不詳で話題になり、とにかく軍政の「暗い国」であり、圧政国家であり、中の様子が今のように伝わってこなかった。光州事件はそんな最中の1980年。中国の天安門事件とも重なる、自国軍による民衆の大虐殺である。韓国はそんな時代を経て、今に至っており、戦いの地獄を日本より遥かに知っている。

自国の軍が銃を国民に対して水平乱射してくる地獄を中国もロシアも韓国も知っているが、幸いにして日本は知らない。もちろん自分も知らない。その甘さが、今日の政権の跋扈を許す甘さにもつながっているのだろうなと思う。

秀作。

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April 29, 2018

久しぶりに国立能楽堂に行ってきた








実に久しぶりに国立能楽堂に能を観に行った。このブログには何度か書いたと思うけれど、自分の社会人としての出発点は、写真と薪能だったのです。原点に帰るような気持ち。

30代の頃に見た当時の金剛流の宗家は既に亡く息子さんの代になっている。と言ってもその人が60代。謡のテキストが前席の背面にはめ込まれた液晶に表示されるなど、能楽堂は現代化されているけれど、能世界の空間は少しも変わらない。歌舞伎と違って観客をそう簡単には寄せつけない閉じた世界の凛。

演目は夢幻能の典型とも思える「江口」。難解だった。

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April 28, 2018

板門店の戻ってこないかもしれない空気

今後の板門店はどうなるんだろう。今日はまた体の半分しか「敵」に見せないあの屈強の韓国軍兵士が復活しているんだろうか。
たとえそうであっても、昨日までの板門店と今日からのそれは全く意味が違うだろう。

かつて(2005年だった)ガチガチに緊張している板門店を自分の目で見に行っておいて、今は良かったなと思う。あの時の板門店の空気はおそらく今後は帰ってこない可能性があるからだ。

あの青い境界線の建物も統一記念館も平和の家も、大成洞も、そしてあの幅15cm程度の軍事境界線も、間近で見た北朝鮮兵士も記憶の中に、その時の空気の匂いと共にあって、その場所で今回のことが繰り広げられたということが、今回の出来事を、より自分の側に引き寄せている。

世界全体を自分の側に引き寄せるなんて到底無理なのだけれど、自分の根源にあるのは表現し難いそうした「引き寄せたい」気持ちなのだと思う。で、それは何なのかきっと最後までわからないまま死ぬのだろうな。

書くことや、写真を撮ることの意味に似ていると言ったら、この時代だと少しは共感できる人もいるのかな。形を変えたライフログのようなもの。と言ってしまえば。

【板門店へ行った】
http://app.m-cocolog.jp/t/typecast/26615/28156/category/4822002

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April 27, 2018

板門店の信じられない光景とヒトの世界の悲しさ





流石にちょっとウルっときた。板門店にこんな光景を見ることになるとは。

一度金正恩が単独で軍事境界線を越えてから、文在寅大統領を誘って2人で北側へ。改めて北から2人で一緒に境界を超えた。

‪今日の笑顔にまでたどり着くのにあれだけ狂気のミサイル弾道弾発射を繰り返さなければならなかったのか。そのことの愚かさと悲しさを含めてヒトの世界に泣けてくる。‬

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April 21, 2018

完全なる性の不完全

「完全な男性性」というものがあるのかどうかは知らないし、「完全なる女性性」についてはもっとわからない。わからない上でいうと、その「完全なる男性性」(を設定すると)は女性のことなどわからない。理解できない。共感もない。その上こうした「完全なる男性性」は現在の日本社会では、批判されるどころか権力機構のなかで守られ正当化され、むしろ崇められている。男は完全なる男になれと言われ、女性も同様。大相撲もセクハラもその発露の一例。

つまり単一の性に極度に依存することは、「国粋的性主義者」のようなものを、(男の側だけではなく)両性に作り上げる危険がある。これがトランスジェンダーの人達がポジションをとらなければ社会が是正されない根拠の一つだと思っているし、知的であるとかないとかの基準の一つはあらゆるものに対してトランス的な立場を取れるかどうかではないかな。性だけではない。国籍も民族も。貧富もだ。

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April 20, 2018

決断と勇気と、報道とは何であるかということ--ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書

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アメリカのベトナム戦争政策に決定的な影響を及ぼしたマクマナラ文書を巡る、ニクソンとNewYorkTimes、そして当時は1地方紙でしかなかったワシントンポスト、特にワシントンポストの社主(メリル・ストリープ)と、その敏腕記者(トム・ハンクス)の戦いを軸に描いた秀作。スティーブン・スピルバーグが、トランプ政権の元で米国の報道の自由が脅かされる今、どうしても世に問いたかった作品と言われる。

マクナマラ文書を巡る両報道機関と政権の行き詰まる攻防を描くが、何と言っても、優秀な夫を早くに失い、周りから期待されない「普通の主婦」でありながら、ワシントンポストの命運を握ることになったメリル・ストリープのギリギリの選択が見所。

社交界の延長の感覚で、「明らかに能力がない」と思われながら社主に就いた彼女が、トムハンクス演じる、真実の前には一歩も引かない自社の敏腕記者に強烈に影響され、やがて重大な決意を命を賭けて断行する。
報道とは何なのか、時の政権に対する報道人の矜恃とは何なのか、全ての人が胸に問いかけるだろうし、もしも人生の重大な岐路に立っているなら、己が姿とメリル・ストリープを重ねるだろう。もちろんメディア関係者なら絶対に見て欲しい。

スピルバーグが念頭においたのは、2018年の米国であるが、我らは、政権の中心高級官僚が報道機関の女性記者に対しての進行形の振る舞い、そしてモリカケにおける重大な政権の不誠実と、官僚の腐敗、偽装。その事実の前にある。ベトナム戦争に大打撃を与えてついに撤退へと追い込んだかつての報道人たちの苦しみを前にして、我らは何を重視し、何を考えなければならないのか。
古めかしい活版から手で活字を拾い、ギリギリのタイミングで強烈に輪転機を回し、衝撃を社会に拡散していく当時の新聞社の描写も良い。

地味だけれど大変な秀作である。強くお薦めする。

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April 15, 2018

ナイフのような心理劇-木漏れ日に泳ぐ魚




一般に小説はタイトルでかなり内容を想像させられる。強烈なタイトルのものは自ずと中身の刺激性に期待をするのだけれど、この小説は穏やかとも見えるタイトルに加え、ありきたりの設定かと思えるようなスタートで、中盤から後半の強烈さをとても想像できない。限られた登場人物による、それも一歩先も読めない緊張感のある心理劇のよう。ナイフのような切れ味が各所にある。

あとがきで鴻上さんが恋愛についての物語であると語っているけれど、それは一部でしかなく、人の記憶と観念と、もっと恐ろしい何かについて描かれている気がする。

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April 13, 2018

赤い血の出ない人はない

彼女はある種の洗脳状態にあったのだと思う。それが覚めた。人は人であり、徹底的な非「人」はいないし、体を切り裂いて赤い血の出ない人もいない。
超常的な夢のようなミステリアスな「女」を求める層がいて、それを作り出して売る側がいる。

アラーキーに本当はこんな陳腐な図式は当てはめたくはなかった。だがそう思いたがっていた自分もまた、人のことを人として考えていなかったのかもしれない。


アラーキーの「ミューズ」と呼ばれた私のこれから。KaoRiさんが語る、告白後の心境

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March 20, 2018

高木佑輔写真展「kagerou」-中心部に近い周辺

昨夜、Yusuke Takagiさんの写真展「kagerou」に伺ってきました。自分にとっては何度か見ていて再会するような気持ちのする作品の数々にまったく新たな命を吹き込まれているような、新鮮な気持ちで見ることができました。



















写真家に限りませんけれど、作品はその作家の行動や発言と背中合わせにあるものだと思います。アウトプットのみを見て感じるものももちろんあるけれど、takagiさんと南相馬と自分、そして原発事故は自分にとっては不可分の存在なので、きっと自分なりに中心部に近いところから見ているのだろうと、ちょっと思いました。

もちろん最中心ではありませんが。その周辺の1人くらいで。

改めてあの事故と、街と、自分の見てきたものを思い出しました。

明日までです。曳舟のReminders Photography Stronghold

https://m.facebook.com/events/345719499169482?acontext=%7B%22ref%22%3A%2298%22%2C%22action_history%22%3A%22null%22%7D&aref=98

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February 04, 2018

知っているもの




不変よりも、流転するもの。

剛直よりも、柔らかなもの。

迷わないよりも、揺らぐもの。

滅びないよりも、再生するもの。

完成するよりも、終わらないもの。

満たされるよりも、満たされないもの。

辿り着くよりも、辿り着かないもの。

傷つかないよりも、傷つくことを知っているもの。


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January 23, 2018

意味なんかなくていい

写真を撮ることの意味とか言ってたらダメであってとにかく撮らなきゃダメだったんだよね。とにかくとにかくバカみたいに撮らなきゃダメ。皆がバカみたいに撮りまくる時代になって奇跡のように素晴らしい写真が沢山生まれてる。写真に限らないなこれきっと。

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魔王の墓碑銘の前で-造花のような娘たち





全員社会人ってウソでしょ!?ネットで話題のアイドル『東池袋52』のクオリティが高すぎる

そうだったか。迂闊にもあのセゾンだったか。結びつかなかった。今はセゾンと言えばクレディセゾンだったのだな。52ってサンシャインのあれか。目くるめく蘇る封印された記憶の数々。魔窟は既に魔窟ですらなく、魔王もまた冥界に旅立たれた。あなたの墓碑銘になるはずだった塔の前でこんな娘達が造花のように群れ踊っている2018年。嗚呼。

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January 18, 2018

その人を飢えさせてはならない

この人を飢えさせていては絶対にだめですよ皆さん。と言われて深く同意する。なんとかしなけれゃだめだと思う。圧倒的な才能。今日ここに来ている人たちが頷く。みんなそんなことはわかっている。

そうだ。だからこんなむくつけきオジさんの追っかけを俺が長年やっているのだから。そうなんだ。才能に惚れているのだよ。すとんと言葉にしてもらった。

この人が食べられないなんてあり得ない。俺が飢えてもこの人は飢えてはならない。

でもその人を使って金を稼ぐ方法なんて一つも思いつかない。その人の書くものが今後爆発的に売れる未来も申し訳ないけれど想像がつかない。この人とつきあってもきっと金になど全くならない。儲からない。

けれどそれがなんだというんだ。

この世には金になどならない、できない圧倒的な才能というものがあるのだ。これを芸術というのかな。元来文化というのは本来そういうもので、金に換え易い文化ばかりがもてはやされるのはどういうことだ。だからあの人が飢えるのだ。

自分は儲けたり倒れたりの垂れたりするだろうけれど、文化として保全する意味など全くゼロだ。こういう人間は好きにの垂れても誰も悔いる必要はない。保全する文化的価値は全くない。

けれど彼を飢えさせては絶対にだめだ。ならどうすればいいのか。うだるほど金があればパトロンになるのかな。そんな金はないし、そんなことはきっとその人は望むまい。

とオロオロいつも追っかけているわけだ。まるでストーカーだ。

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January 12, 2018

汚れてもいない。美しくもない。

汚れているもののことを汚れているとは認めない。

美しいもののことも美しいと認めない。
美しくもない。汚れてもいない。
世界はただそこにあって、人の営みも含めて全て罪などない。
だから。
あるがままの、罪なき世界に対峙する自分だけが傷つく必要もまたない。

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January 09, 2018

明日のクリエイターを育てるはずのあなたに言いたいこと

クリエイターなら残業代など言うなというあなたのオピニオンを見てちょっとがっかりしています。あなたはクリエイターを育てる方のはず。創造と言う名のもとにあなたの教え子が社会から搾取されることを望まれますか?法は法です。いいですか?残業代は払われなければならないんです。それ以外の解釈はありません。ないんです。仕事の種類は関係ありません。

そして創造を欲する心と、それを持続する経済的サポートは両立させなければならないのではないですか?あなたがこれをお読みになるかどうかわかりませんが、そして僭越ではありますが。考えてみてください。アシスタントはクリエイターではないのです。あなたは明日のクリエイターを望む若者の味方ではないのですか?

どれだけの若者が創造という大義名分のために強者から搾取されていますか?どれだけの報われぬ明日のクリエイターがいますか?そういう人たちが明日のこの国を作るのではないですか?私達の世代がすべきことは何ですか?

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January 06, 2018

まだ会えていない同志の記録-家族最後の日




すっかり植本一子さんの世界に嵌ってしまい、連作を全て読んでいっている。よその家族の物語であると同時に、一部は自分の物語でもあり、さらに311以降の日々を生きた「まだ会えていない同志」の日記でもあり、また同時に近くて遠い魂の歴史でもある。

様々なリスクもあるだろうに吐露してくれる壮絶なそして私的な記録から自分達が受け取るものは測りきれぬほど大きい。

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December 28, 2017

写真を撮るということ

ある写真家の人の日記を延々と読みながら、そうだ。自分はカメラマンになりたくて、新卒でスタジオマンにまでなったんだと、今更のように、改めて思い出す。今考えると、まるで別の人生のようだ。

で、なぜカメラマンにならなかったのか、考えてみるが、本当に別の人生のように遠い日の記憶で、よく覚えていない。どこかでカメラを仕事にすることを断念したのかもしれないし、だらだらとなれなかったのかもしれない。成り行きだったかもしれないし、そのあたりのことは、あまり覚えていたくもないのかもしれない。

とにかく自分は写真を仕事にする人にはならなかった。それだけの話だ。

それでも、今でも、というかこの頃になって休みの日にはできるだけカメラを持って歩くようにしている。スマホを使えば誰でも写真など撮れるようになって、かえって写真を撮ることの意味を考えることは難しくなった。というより、今の自分にはそんなことの意味などどうでもいい。

ただ撮りたくなったら撮る。何のためという目的などはない。それでいいのではないかと思うようになった。こういうのを世間ではさかしら顔で「好きなことは仕事にしないほうがいい。趣味にしたほうがいい」などと言うのだろうか。

「趣味」という言葉の、どこか、どん詰まりの享楽感(苦笑)も自分は好きではないのだ。撮りたくて撮る。趣味ではない。そのことによって金が入らないだけだ。

何を撮ればいいのか、なぜ撮るのか。そんなことに迷っている間は、結局は撮ることの自由を獲得できていなかったのだろうと思う。

たどり着いた場所は、たいした場所ではないのだけれど、ここまで随分と時間がかかった。そんなものなのだろう。

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December 16, 2017

伝説の犬

犬の健康が不調。

犬の一生は人のおよそ1/5くらい。とすれば、犬にかける時間が1ヶ月だとすれば、それは人にとっての5ヶ月には相当するはず。そう思って徳を積むつもりで自分に言い聞かせる。

好きな話は、殆どの犬にとって飼い主は不老不死と思われているという寓話。5世代に1匹くらい、その飼い主の死に立ち会うことのできる伝説の犬が現れる。それは犬にとってとても稀な、選ばれた犬だけが立ち会える聖なる経験なのだという。そういう話。

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December 12, 2017

他のどこにも似ていない街



松崎の伊豆の長八美術館 に行ってきた。

松崎というところは不思議な街だ。他のどの街にも似ていない。西伊豆のどん詰まりにあって交通はどう行っても不便。東伊豆の喧騒とは遠く離れて、独特の鄙びた時間が流れている。
ここに来たのはおよそ30年ぶりで、あの時見た長八美術館はあんなに美しくクールだったのに歳月の流れは壁面を薄黒く痛めていた。この国はどうしてこういう至芸の源に金が集まらないのだろう。

松崎プリンスホテルは伊藤園ホテルと名前を変えてあの日と同じ場所に佇んで、同じ海を見ていたが、こちらも何だかしおれてしまっても必死にその場に立とうとする花のようだった。

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«日本が中国に完敗したならそれを利用すればいい

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