May 20, 2012

呪詛の言葉を吐き合うよりも

正直なところ電力供給の30%を占める原発が事故以来1年余りで稼動ゼロになるとは思わなかった。政府は脱原発を宣言しスケジュールを決め、最低限度の稼動は不可欠だと国民を説得し、その最小数にはあらゆる観点でも最高水準の安全策を講じ、5-10年で自然エネルギーに移行するのだろうと考えていた。それが現実的なラインだろうと。

まさか路線変更も宣言できず、安全策の徹底もできず、需給のリアルも公表できず、デタラメで脅迫的な電力不足論で、ズルズルと最悪の形で稼動ゼロに追い込まれるとは。予想外であり自業自得の結果だ。

けれど不思議なことにこの国のエネルギーは原発ゼロで動いている。まかり間違って再稼動してもせいぜい数基以上の稼動合理性はどう考えても作れないし、こうなると一基動かしても政変だろう。その意味では勝負はついているのであり、楽観は禁物だが悲観に陥る必要もないと思っている。
むしろ呪詛の言葉を吐き合う状況を一刻も早く終えて、今後について力を集中しなければならない。それに皆、異議はないだろうと思う。政治への無関心だとかそういう甘いことを言っていられる状況ではなくなった。

これをもって奇貨とすべきだろうと思う。

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May 11, 2012

邪悪と紙一重の強烈な表現と才能。反差別。そして純な魂。ーレディガガ日本公演

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というようなわけで。という久しぶりの更新の面映さをごまかすかのような文頭ではありますが、埼玉スーパーアリーナにガガ様詣でをして来たので少しその話。

レディガガという人がとびきり個性的であることなど、今更言ってもしょうがないだろうけれど、敢えて敢えて敢えて近い人を思い起こせばやはりマドンナなのだろうと思う。がマドンナとの違いは彼女が極貧の生い立ちから、サクセスに向けて強靭な意志の力でのしあがってきたのに対して、最初から裕福な生い立ちのガガというところ。

そのガガのガガたるところはいったいどんなところなのか。ガガは何なのか。それは皆言いたいところがたくさんあるだろうけれど、一つにはそのえげつないまでの(時には滑稽/諧謔)表現で語る「反差別」。それはこの人の一貫したメッセージの一つだと思うが、差別憎しのあまりの邪悪すら感じる表現、逆説的に強烈な差別映像もあげてしまう度胸の良さ。ビヨンセまでおかしくしちゃうほどの(笑)伝播力の強さ。にも拘らず、ピュアピュアな本人のキャラのギャップにあるだろう。

素直ないい人なのである。めちゃくちゃに。みんな知ってるよな。

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May 06, 2012

忘れ難い大きな満月の夜

2012年5月5日。

こどもの日。月が格段に大きく近いスーパームーン。立夏。

そして23時に国内で稼働していた最後の原発泊原発3号機1が発電停止。
「瞬間的に」原発発電ゼロの国へ。

我らの時代。忘れ難い5月5日。「瞬間」が永遠になることを祈る。これからだ。


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元よりスーパームーンと原発停止とは何の関係もない。無論のこと。
けれども、発電停止の23時2分はこの大きな満月がほぼ南中した時刻だという。
何かを感じずにいられるか。

この1年間の沢山の人たちの思いが集約した夜だったと思う。
物語が必要なほど、みなそれぞれにギリギリだったのだ。
一抹の夢を見て何が悪いだろうか。


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定期点検で元々止まる予定だった泊原発3号機だが、今日までに1基の原発も再稼動出来なかったのは世論の力。だから原発ゼロの国は、我らの小さな第一歩だろう。

全ての放射性廃棄物や使用済燃料の消滅までには1人ぼっちで過ごしたウォーリーよりも長い時間がかかるけれど。それでも1歩。

まだ原発停止による電気不足を案じる人達。その電気は誰がどんな境遇で、どんな過酷な環境で作っていたものか。ひとたび事故があれば、どれだけ多くの人達の一生を台無しにするか考えて欲しい。電気は不足しているのではなく、特定の人達の利益になるように調整供給されていることに気がついて欲しい。

一時的な通過点も大事だけれど、本当は原発事故の最終的な本当の収束も見たい。どれだけ感慨があるだろうと思うが、残念ながらそれは永遠に叶わない。望んで叶わないまま身が先に滅ぶのはこのことだけではないが、最大級の残念なことになった。

どこまでそこに近づけるか。見ていけるか。

空の月は、この我らの物語の最終的な結末をきっと見届けてくれることだろうけれど。

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January 25, 2012

脱原発世界会議報告(1) ※CNETに記事をアップしました。

2012年1月14-15日にパシフィコ横浜で開催された脱原発世界会議に取材出席してきたのでその報告をします。

続き

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January 06, 2012

【新年のご挨拶  昨日と同じ明日】

「この人たちはいったいどこに行くんだい?」

あまり出歩く事のなかった祖母を車に乗せると、夜の都内を走る無数の車の光が不思議で
仕方がなかったらしく、いつも同じ事を尋ねていました。そのたびに私は

「家に帰るんだよ」

とか

「そんなの知らないよ」

などと適当に返していましたが、考えてみれば夜更けに出歩く事の少なかった祖母は、
街がすっかり暗くなっても大勢の人たちがひたすら「どこかに向かって」いること自体
が不思議でしょうがなかったのでしょう。こちらとしてみれば、そんな当たり前のこと
を何度も尋ねる祖母のほうが滑稽に思えてしょうがなかったのですが。

私たちが当たり前に使っていた光がやむをえない事情(とされました)で大幅に縮小を
余儀なくされ、東京の光がみるみるうちに少なくなり、繁華街に夜の暗がりが帰ってき
たときにこの言葉と一緒に思い出したのは、子供の頃に夏休みになると訪れていた三重
の田舎の闇の深さでもあります。
まだ小学校だった私が、日頃見慣れない山里の闇の深さにあまりに怯えるので、田舎の
祖母の姉夫婦が、外に小さな裸電球をつけてくれたのですが、それでも子供の目には、
漆黒の闇の恐ろしさに変わりはありませんでした。

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November 06, 2011

南相馬の状況(2011年10月16日) 鹿島区烏崎付近

南相馬市鹿島区烏埼付近の状況。

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南相馬の状況(2011年10月16日) 鹿島区北泉海浜公園・原町火力発電所付近

整理が遅くなったけれど2011年10月16日の南相馬市の現状を写真中心にまとめてみた。今まで僕が足を踏み入れた事のなかった鹿島区北泉海浜公園付近と火力発電所付近。

○放置された消防自動車

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November 01, 2011

ETV特集「果てしない除染〜南相馬市からの報告〜」をみて

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通っている南相馬市の除染の現実を取り上げた番組、そして知己の方も出ていると言うことで録画で見た。はたからみると「閑散としている」原町区の町並みも、線量が恐ろしいはずの飯舘村と接する山並みも、僕にはもう見慣れた風景であり、懐かしささえ感じる。

ところが、録画をみる前からネットなどに流れた評判を見ていると、番組中に登場する児玉教授の一部の発言をNHKがカットしたとか、番組全体が「除染ありき」を重視するという姿勢だと(そのようには僕は感じなかったが)批判を浴びて、大変な意欲作であるにも関わらず、かなり厳しい評価がされているようだ。

南相馬に行き始めた頃、街の人たちのあまりに無防備な姿や、小さい子供がマスクもかけずに歩いている姿にショックを受けた。雨が降ると決して濡れまいとホテルまでわざわざ傘をとりに帰ったこともある。恐ろしさに身が縮んでいた。

ところが、何度も行くうちに、いつか僕の中からは初期の警戒心は消えた。画面に映る街も、僕にとっては「大変な問題の渦中にある」とは言え、懐かしい南相馬の町並みである。けれども、そうした(主に県外の人たちの)声を聞き、冷静にあえて「知らぬ街」として見てみると、「何を言ってるのだ。とにかくまず避難だろう」と県外の人たちが声を荒げるのもわからなくはない。自分の中でも「東京に住む自分」と、「多少はあの街の空気を知った自分」との間の奇妙な乖離がある。


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September 16, 2011

南相馬で、自宅に帰ってくる赤ちゃんのために除染体験した話

今まで、泥出しもやってるし、ちょっとこのあたりで除染も経験してみようと、3回目の南相馬で知人にお願いし、急遽チームに入れてもらったのだけど。。はっきり言って舐めてましたね。ここまできついとは思わなかった。以下はその時のお話。もう先月なんですけどね。

集合は朝7時。南相馬に行く人にとっては誰でも知ってる?名所「ヨガ爺テント村」に集まって、現場の鹿島区にある一般のお宅を訪ねる。南相馬ボラセン通しではなくて、前回の原町二中のイベントで知り合った屈強の常駐ボラさんなどの混成チーム。今まで僕は原町区ばかり行っていたので、野馬追のときを除けば鹿島区は2回目。というかほとんど初めてに近い。

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August 12, 2011

南相馬へまた行ってきた 野馬追/ひまわり/花火 (完)


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【前章】
南相馬へまた行ってきた 野馬追/ひまわり/花火 (4)

●支援者の方々に感謝 復興を願う  「ありがとう祭」 (南相馬市原町2中 7月24日)

24日は、原町2中で行われた「ありがとう祭」の取材兼、お手伝いに行った。ここは避難所にもなっていて、会場に着くともうステージが始まっており、周りには多くのブース。食べ物。
賑やかである。

これは子供コーナー

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August 11, 2011

南相馬へまた行ってきた 野馬追/ひまわり/花火 (4)

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【前章】
南相馬へまた行ってきた 野馬追/ひまわり/花火 (3)

昨夜は、ツイッターで知り合った南相馬出身で今は東京にいる佐藤さん(@sunsunmylifeさん)のご実家に、ボランティアの方々と一緒に招待していただいた。佐藤さん、本当にありがとうございました。

思えば、被災を受けた方達とこんなに話をさせてもらったのは、初めてのことだ。僕は前にも書いたように、相方が会津の出身なので、福島には年に何回も来ている。しかし、浜通りには震災まで来た事がなかった。元気なこの街の日々を知らない。同席したボランティアの方たちもみなそうらしい。佐藤さんと、佐藤さんのご両親の話に聞き入る。

この季節は南相馬の人たちにとっては本当に特別な時なのだとわかった。

「本当なら今日は原町は馬で溢れて、観光客がいっぱいで、みんな街に帰ってきて。ちょうど今時分は盆踊りでねー。原町に馬の来ない野馬追なんて野馬追じゃねーよ。。」

何度も何度も「あの日」が来るまでの町の様子を語ってくれる佐藤さん。

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August 07, 2011

南相馬へまた行ってきた 野馬追/ひまわり/花火 (3)

【前章】
南相馬へまた行ってきた 野馬追/ひまわり/花火 (2)

●南相馬市原町区萱浜(7月23日)

野馬追の馬たちから別れ、鹿島区から原町区を目指して、海を左に見ながら6号線を南下。

左に津波被災地が見え始めた。まだ船が沢山放置されている。

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原町区萱浜に戻って来ました。お久しぶりです。

こういう状況で言うのも何だけれど、懐かしい。

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August 04, 2011

南相馬へまた行ってきた 野馬追/ひまわり/花火 (2)

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【前章】
南相馬へまた行ってきた 野馬追/ひまわり/花火 (1)


○相馬野馬追 道中安全を祈願する神事 御発輦祭 /出陣式
(相馬市・相馬中村神社境内)(7月23日)

いよいよ相馬野馬追の初日。

御鳳輦の道中安全を祈願する神事「御発輦祭」と長友グラウンドに勢揃いした宇多郷騎馬が総大将の閲兵を受ける「出陣式」が相馬中村神社で行われる。

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儀式進行中。全体把握難しい。各所で同時進行で色々なことが。

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August 02, 2011

南相馬へまた行ってきた 野馬追/ひまわり/花火 (1)

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【前回】
南相馬市原町区で少しだけお手伝いしてきた話(1)-(4)


7月の22日から南相馬へまた行ってきた。2回目の訪問の主な目的は、相馬野馬追を見ること。前回見られなかった街の様子をもっとよく見ること。原町2中のイベントをお手伝いすること。

●相馬野馬追

相馬野馬追は1060年以上の歴史がある祭。例年であれば400頭もの馬にまたがった武者が市内を行列し、勇猛な神旗争奪戦を繰り広げる。残念ながら、震災以後に南相馬に来るようになった僕なので、見たことがない。

今回の津波の被害により、多くの馬が流され、それぞれの家で保管している甲冑や旗も流されてしまった。おまけに小高地区が原発事故で警戒区域に入るという満身創痍の中、野馬追は一時中止の見通しがあったが、相馬の人たちは悩んだ末に、この祭を中断させない道を選んだ。

その代わり、今年は異例の構成として神旗争奪戦は中止。行列の規模は縮小され、相馬市の中村神社とと南相馬市鹿島区を主たる会場として行われることになった。

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July 16, 2011

「東京の空の下でAfter311をゆるく語るオフ」という会をやりました

だいぶ遅くなっちゃいましたが、と書き出したところで考えてみるとまだ2週間ちょっとしか経ってないんですね。6月の終わりに僕がお声がけをして「東京の空の下でAfter311をゆるく語るオフ」と題したイベントをしたわけですが、その報告をしておこうと思います。

こんな感じのイベントでした。

東京の空の下でAfter311をゆるく語るオフ

大震災から100日が過ぎました。今更言うまでもなく、東日本は激烈な震災に見舞われ、海岸沿いは津波で壊滅的な打撃を受けました。原発事故は収拾の目処もついていません。そんな日々が私たちの日常になりつつあります。

この100日間はニッポン国には怒濤の毎日でありました。首都圏に住んでいる私たちにも、もちろん皆それぞれ大きな影響や思いがあったと思います。親族の方が被災を受けた方もおられると思います。
100日を過ぎて、この震災以後の日々をちょっと語り合ってみるのも悪くないかなと思い、このオフを企画します。

震災の話 あのときどこにいたかな話 怒っている話 原発の話 被災地の話 個人的な話(もちろん言っても構わない範囲) そしてこれからの話 怖いよーな話。いまの話 

そんなことを、あまり肩に力を入れないで、暗くなり過ぎもせず(難しいですけど) ちょっと試しに話してみたらどうかと思います。これからニッポンをどうしていくべきか。なんて考える前に、私たちはもう少しだらだら喋ってみる時間を共有してみてもいいのではないか。と思っています。

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July 08, 2011

南相馬市原町区で少しだけお手伝いしてきた話 (完) 流出品洗浄作業と「犬っていう犬」の話

(前章)南相馬市原町区で少しだけお手伝いしてきた話 (3) 泥出し作業と遠くにある海


南相馬2日目。

前日の泥出し作業の翌日が危ぶまれたが何とか体はもっている。でも違う仕事も経験してみようということで、流出品の洗浄班を希望した。(最初の日に陽気なBさんから、ちょっと写真洗浄の仕事のことを聞いていたためもある。)


洗浄というから水を使うのかと思ったが、アルバムや写真の泥を払い乾かす作業。倉庫に保管してある、膨大なバラバラの写真や手紙、賞状を外のシートに並べて乾かす。ほとんどがまだ湿って泥だらけ。最初は水で洗っていたらしいが、洗う事でカビが生えてしまったり、痛んだりするので今はボランティアは泥を払うのみ。(今では水を使った作業もしているらしい) それでも手強い。倉庫番のようにひたすら分類と外での乾燥。午後になると雨が来そうなのでまたしまいこんだり。


個人情報なのでそれに気をつけるよう、うるさく言われる。写真撮影ももちろん厳禁。
ひたすら並べる。分ける。乾かす。泥を落す。

アルバムに泥水がかかるとどうなるか、写真がどうなるか。膨大なサンプル。。自衛隊が回収したものが大半だという。おびただしい家の記録。歴史。写っている人が無事かどうか。無論わからない。

子供の写真がめちゃくちゃ多い。一般家庭では写真とは子供のためにあるようなものだ。座り込んで、写真の中の子供の顔についているなかなか落ちないひどい泥をこすっていると、やはり涙が出てくる。Bさんが言っていた通りだ。これかと思う。

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2011 07 08 [南相馬] | 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)

July 03, 2011

南相馬市原町区で少しだけお手伝いしてきた話 (3) 泥出し作業と遠くにある海

(前章)南相馬市原町区で少しだけお手伝いしてきた話 (2) 南相馬へ入る

ボランティアセンター受付

翌朝。いよいよホテルから歩いてボランティアセンターに向かう。朝食をすませてフロントを通りかかると、フロントのおばさんが、ボランティアに来たと思われる宿泊客に津波の話をして泣いている。ご家族が亡くなったようだ。黙って横を通り過ぎる。

ボランティアセンターの場所は昨日のうちに下見してあったが、やはり何となく不安。ぽつぽつと歩くが、道すがら同様にセンターを目指す人にかなり出会う。仲間だ。

南相馬市原町区の場合、ボランティアセンターへの登録は当日でOK。事前に連絡する必要はない。朝9:00から受付開始なので、センターの前に並び、初日には簡単な登録をすればよい。(この時にボランティア保険に加入していない場合にはそこで加入しなければならない。)僕は少し遅れてしまい、10分過ぎくらいになってしまったが、この日は土曜日とあって、すでに多くの人が並んでいる。

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登録が終わると、初日の登録者には庭で簡単なオリエンテーションがある。先にも書いたようにここには、団体のボランティアバスなどはほとんど来ていないので、一人で来る参加者もかなり多い。年齢も性別も様々。見ると服装も軽装から重装備まで様々な参加者が集まっている。

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2011 07 03 [南相馬] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)

しょうがない運命はない

美容院のアシスタントの子が福島出身だと言うのでどこですか?と聞いたら言い淀んでいてよく聞いたら警戒区域にある町の名前を教えてくれた。
ご両親はしばらく避難所→仮設住宅を経て仙台に移転された。原発が見えるとこですと笑うので聞いたら1km圏内だそうだ。

それは大変でしたねえとまでは言葉が続くが。

「仮設住宅ってすごいんですよ。でっかいテレビも最新型の冷蔵庫も全部ある。テレビなんて50インチくらいじゃないかなあれ。あ、わかんないけどでっかいです。うちなんかよりずっとすごいし、前の家よりもすごいです(笑)」

避難所に数ヶ月いて、やっと入れた仮設だけれどお父さんの仕事が仙台で見つかったので仙台に行く事になった。

仙台へ行く前に一時帰宅されたと言う。高台にあり津波は免れた。
「冷蔵庫の中は見ないでおいたって言ってました」と。そかそか。そうだよねえ。
お兄さんは福島の自衛隊で遺体回収をしていたそうだ。「最近休みが取れるようになったらしいです」。

少しずつ引き揚げてるからね。少しずつ。

ここは同じ国なのだけどな。海も遠い。山も遠い。

帰る時に笑いながら言っていた。「でもオヤジは原発で働いてましたから」。でも?(だからしょうがないんです)と言いたかったのかなあ。もしそうなら、しょうがなくはないよ。しょうがなくはない。

しょうがない運命はないし、しょうがない命もない。
しょうがない不幸もない。
しょうがない犬も猫もいないし、しょうがない牛や豚もいない。

地上にも空にも。どこにもない。


※FBにあげたものを少し改変しました。


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June 28, 2011

南相馬市原町区で少しだけお手伝いしてきた話 (2) 南相馬へ入る

(前章)南相馬市原町区で少しだけお手伝いしてきた話 (1) 

梅ヶ丘のボランティアビューローで、ボランティア保険の手続きをする時、窓口の人にどこの被災地へ行くのかと聞かれ、南相馬と答えると興味をもたれたらしく、「どのように行くのか」などと色々聞かれた。各地の被災地へ行くボランティアを送り出しているのだが、ここにもあまり情報が入っていない様子だった。

南相馬にとってアクセスの大きな障害になっている原因は2点ある。1つは常磐線が分断されている点。そしてもう一つは原発事故である。原発事故のことは後から触れる。

原町駅のある常磐線は現在も久ノ浜(福島県いわき市)~亘理(宮城県)間の運転が不通になっている。言うまでもなくこの間に福島原発があるため、復旧の見通しは全く立っていない。関東から南相馬へ行くルートの最新情報は、南相馬市災害ボランティアセンターの公式サイトで確認して欲しい。(http://bit.ly/lSk7o5)

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June 24, 2011

南相馬市原町区で少しだけお手伝いしてきた話 (1) 出発前

今月の初めに南相馬市に行きお手伝いしてきたのでその時の話を書く。

南相馬に決めた

ボランティアに行くというよりも、まず自分の目で被災地を見てきたかった。順番としてはそれ。で、ただ見学に行ったら邪魔になるし、それでは申し訳ないと思ったので、お手伝いできる範囲でやらせてもらおうと思った。「ボランティア」という言葉自体、どうも自分には馴染まない。どうせ役に立たないだろうという諦念みたいなのが頭にあった。年だしな。でも結果的にはそんなことはなかった(と思う)。迷っている人もいるだろうから、できるだけありのままを書くので参考にしてほしい。

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May 14, 2011

映画「100,000年後の安全」-- 「忘れ去られるべきこと」を忘れないこと。放射性廃棄物最終処分場「オンカロ」の挑むもの。

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「ロケットに乗せて太陽に打ち込んでしまう事も考えた。しかし打ち上げに失敗するかもしれない。海底深くに埋める事も考えたが、地形が変わらないとは限らない」(映画より)

原発に賛成の立場を取ろうと、反対の立場を取ろうと、我々が忘れてはならないことがある。それはすでに人類が生み出した、世界中で25万トンとも言われる放射性廃棄物の存在である。この先。我々がどんなエネルギーを選択して生きていくにしても、既に生み出されたこのデーモンは容易には消え去る事はない。それらが完全に無害になるのは、気の遠くなるような未来。およそ10万年先であるということをあなたは知っているだろうか。

果たしてこのデーモンを我々はどうしたらいいのか。フィンランドは、この問題に真っ向から向き合っている極めて特異な国家である。この国は、海外からのエネルギー依存に頼る事なく、自前で確保するためにあえて「過渡的な形態として」原発を選択した。しかし、その思索のフレームは、我々日本人とは全く異なっている。

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April 26, 2011

魂への暴力

平穏あるいは平和であるという状態には2種類あるように思っている。つまり真に平穏である場合と、平穏である外観を呈している場合である。

前者のような「絶対的平穏」とでもいうような状態はこの世界ではなかなか得難いので、ほとんどの平穏は後者に属するのでは無いか。

成立起源的に、平穏を希求しなければならない国家は、そうなると容易に実現できる方、「平穏な外見」を整えようとする。その方がたやすいからだ。

国家による、あるいは政府によるあらゆる隠蔽は、このためだと考えれば納得がいく。隠す側もそれこそが正しい道だと思い込んでいるのであり、「外観の平穏」を希求する国民も、容易にそれに賛同するから、少し大袈裟だが、この「平穏」は時として魂への暴力となる。

ここしばらくの大異変に対して日本が装っている不思議な平穏は、海外からは評価されている場合もあるようだが、この「外観を整えようとするチカラ」が日本人はとりわけ強いからだけではないか。

「この国は自由な国である」という言い方は正しいが、「この国には自由がない」という言い方も異論がないだろう。その意味は、この国に暮らす者なら誰でも知っている。

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April 14, 2011

3月11日がやってくるまでの個人的な話。今思えばどこかで繋がっていた。

大震災から1ヶ月たった。ようやく書く気分になったので、3月11日がやってくるまでの個人的な話をちょっと書いておく。

僕は1月ころから中東で起きている大変革に心を奪われた。アルジャジーラの報じるエジプトのタハリール広場の映像にかじりつき、時計の表示を日本とエジプトに合わせて常に現地時間にあわせて、Twitterに飛び込んでくる現地や欧米の英語情報を拙い日本語に翻訳するというようなことを延々とやっていた。

そんなことを始めたのも、エジプトの大変動が日本のメディアでは殆ど報道されなかったからだ。いくつもの欧米メディアや広場の若者からリアルタイムで飛び込んでくる情報は日本の日常とは遠く離れたスリリングなものだ。慣れてくると相互の情報の隙間に垣間見える現地の民衆の息づかいも体感できるようになる。時を忘れた。

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February 20, 2011

Twitterで振り返るエジプト革命18日間の記録(3) 1月30日(日)-31日(月) 飛ばないチャーター機。と人間の鎖。

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【参考リンク】Twitterで振り返るエジプト革命18日間の記録(2)

2011年01月30日(日)

RT @kojima_masasige: 【エジプト衝突】邦人退避へチャーター機派遣検討 日本政府:  日本政府は29日、エジプト滞在中の邦人旅行者らを帰国させるため、チャーター機を派遣する検討に入った。 http://bit.ly/heEwVM #hate_korea
posted at 00:14:22(エジプト 17:14)

「派遣した」んじゃない。検討に入ったんだ。

いいね。RT @su_suguru: RT @gloomynews: エジプト・カイロの国立美術館を警備する市民の盾の写真 => http://ow.ly/3MvuJ #egyjp
posted at 00:22:24

H2fw

カイロ市民がスクラムを組んで国立美術館を守った。しかし結局色々残念なことが起きたのはご存じの通り。

ムバラク。飛行機が空港でお待ちかねだよ。 とタヒール広場で合唱。RT @sharifkouddous: Chanting in Tahrir Sq: "Mubarak, the plane is waiting for you at the airport." #Egyjp
posted at 00:58:37

少し楽観的なムードが流れていた。

続きを読む... "Twitterで振り返るエジプト革命18日間の記録(3) 1月30日(日)-31日(月) 飛ばないチャーター機。と人間の鎖。"

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February 18, 2011

Twitterで振り返るエジプト革命18日間の記録(2) 1月28日(金)-29日(土) エジプトはインターネットの中で「死んだ」

【参考リンク】Twitterで振り返るエジプト革命18日間の記録(1) 


2011年1月28日(金)

暫定大統領をやってもいいと彼は言っているとか。//// エジプト反体制デモ、エルバラダイ氏参加へ : 国際 : YOMIURI ONLINE(読売新聞) http://ht.ly/3LjFI
posted at 01:09:08 (エジプト 18:09)


エルバラダイが帰国し参加。

エジプト。正念場。
posted at 11:25:06 (エジプト 4:25)

エジプトの状況は悪化–インターネットとSMSが完全に遮断 http://ht.ly/3LKGq
posted at 15:38:34

時事ドットコム:ネット、携帯網遮断か=エジプト http://ht.ly/3LKIC #Egypt
posted at 15:41:46

ネットを閉じたみたいね。電話も。RT @Annan3: ネット音痴で全然わからないんだけど、今個人のWiFiのパスワード公開策も効かない?通信まったくゼロ? RT @wikileaksjp: ウィキリークスが、新しいエジプト公電を公表開始 http://is.gd/T9ghki
posted at 20:38:45

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