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April 18, 2015

数えること

歳を重ねるということは、自分の幼い日や若い日のことを知っている人たちがどんどんいなくなっていくことだ。

それは言い方を変えれば、自分が若い日に知っていた人が次々と消えていくことでもある。身の回りからも、メディアの舞台からも。

そういったことが何もわかっていなかった頃には、それらの死を一つ一つ嘆き悲しんで数えていたが、いつか数えることをやめるようになる。切りがないし、数える行為が自分にとって過酷だからだろう。

鈍感という安全地帯はこうして作られるのだろうな。

愛川欽也さん、どうか安らかに。十分にあなたの死を数えられないけれど、数えることはしないけれど、どうか安らかに。

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April 14, 2015

卑しきものを見て

SNSなどいっそやめてしまおうかなと時々思うようになったのは、よく言われるような、他人と自分との関係性のこととかではなくて、言葉を投げ捨てている暇があったら、この大事な時期にしっかりブログでも書いているほうがどれだけマシではないかと思うことがあるからだ。

切れ切れの、日々投げ捨てる短い刹那の言葉の応酬によって、確かに自分はある種の満たされる感覚を味わうのだけれど、これは果たしてどうなのか。

その偽りのような、まやかしのような錯覚に近い充足によって、本来書き記すべき多くのことが書けずに自分も人も、言葉が空に昇華されてしまっているのではないかと。ここで小さな満足の平穏など必要なのか。

いや。記すべきことなど、そもそもあるのか。

それもまた錯覚のなせる技でしかないのかもしれないのだけれど。

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March 28, 2015

創る人たちを信じる

NHKで放送された「LIVE!LOVE!SING!」というドラマの録画見てた。奴らはクリエイティブに弱いから。直接的ではない間接的な表現を評価できない。現場を僕は今でも信頼している。
———-

放射能はないつもり
 爆発なんてないつもり
 強い絆があるつもり
 だから心配ないつもり
 311はなかったつもり
 地震も津波もないつもり
 日本はひとつであるつもり
 それで安心なつもり
 地球はつもりで回ってる
 みんなはつもりで歩いてく
 そういうつもりで眺めてみれば
 僕らはみんな生きている
 (劇中歌「ギグつもり」より)

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January 19, 2015

ラインの厳しさー沖縄

《Cさんへの手紙》

今回はお会いできません。残念ですが皆さんによろしくお伝えください。

DefTechは沖縄のイメージがとても強いのですが、Microは東京出身なんだなあといま適宜な動画を探しながら思っている次第。あなたはあまり関心がなかったようだけれど、こんなグループですよ。下に貼っときます。

沖縄は、いま大変なことになっていて、考えれば考えるほど胸が痛みます。最近のサザンのこととかみんなどう思ったかななどと気になっていますが、これはそのうち機会があったら話しましょう。

この世の中に対して自分が引くラインの厳しさのようなものは、きっとそれぞれが、それぞれの高さで持っているのだと思います。世界に対しての期待のようなものです。

そのラインが自分の世界よりも高ければ人は悲しみ、反対に最初から低いラインを引いていれば絶望しないですみますが、いつまでたっても、いくつになってもそのラインと現実とのギャップに苦しむというのも、困ったものです。

そういう人は、開発途上国や戦場などほっつき歩いてくればいいという人もいるでしょうが、それも結局はここよりもひどい世界があるのだから、まだここはましだと思うだけのようにも思います。

自分より不幸な人が、酷い世界があるのだから、自分はまだマシ。そんな風に折り合いをつけていく。そういうラインの下げ方も好きになれません。

とりとめがなくなりました。

ではでは。ほんとうに、また次の機会に。

 

My Way from Def Tech OKINAWA LIVE

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December 29, 2014

小さな「戦争と平和論」

石破さんが公共の場で「集団的自衛権を行使する」と言うべきところで「戦争をする」と言ってしまい、慌てて言い直して話題になっていますが、これに驚いている人結構いるんですが、今更何で驚くんだろうと思いますよ。

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「集団的自衛権を行使する」というのが、何か事務的な手続きだなんて思っている人いるんでしょうか。「集団的自衛権を行使する」とは紛れもなく「戦争をすること」で正しいのであって、そういう意味では石破さんは正直に言ってしまっただけ。驚くなら集団的自衛権を閣議決定した時に、「戦争することを閣議決定した」ことに驚き反対すべきであって、今頃ネット的驚愕なんか表明しても遅いです。ようやく気がつきましたてなもんです。いや遅いは言い過ぎですか。まあいいですけど。

それにしても、つくづく言葉の置き換えというのは恐ろしいものだと思います。売春を「援助交際」なんて言ってたのはまだまだ「可愛い」もので、「合法ドラッグ」やら武器を「防衛装備品」だとか、「大本営」(政府のことです)は時代が変わっても同じ手口を刻んできて、我らは父祖の代からつくづく同じ手に引っかかるものです。

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December 12, 2014

大好きな大好きな美しい日本

いつ起きるかわからない、起きないかもしれない原発事故や数百年かかるかもしれない廃炉のことなんか争点にならない、それよりも今日明日のメシのことがみんな気になるんだろう。という見切りで動いている政治家たち。

そしてまんざらそれが見当違いでもない有権者の地獄のような無関心。あの大事故で国の真髄が問われて、あなたたちの大好きな大好きな、美しい日本が根こそぎ失われてもおかしくなかったまでのことだったのに。たった3年でここまで我らは忘れてしまい、なかったことにしていくのか。

10万を超える人たちが今でも故郷に帰れない。この人たちの窮状を考えると胸が苦しくなるが、もっと恐ろしいことはこの人たちと今後同じ運命を共有するかもしれないのがほとんどすべての地域の日本人であるということ。

騙されていない。みんなわかっている。本当に大災害が原発の立地で起きたら、逃げられない。放射能なんか閉じ込められるわけがない。けれど、それはきっと「起きない」 きっと「今すぐは起きない」 それより明日のメシだ!

隣国の振る舞いには歯をむき出しにするくせに、あの悪魔のような惨状を引き起こした原発に対しては「許す」のか。忘れるのか。僕は忘れない。無人の街の真ん中で幾度も泣いたことを。しょせんは通り過ぎるよそ者であっても、あんな風景は2度と耐えられない。わからないなら行ってみろ。カラスと一緒にあの無人の静寂の街で、ネズミに荒らされた民家の前で、草むした庭で立ち尽くしてみろ。

人はここまで愚かで、この火山列島、地震列島で次々と再稼動してもう1回か2回同じような事故が起きないと動けるようにならないのか。「天罰」という言葉を使って大ひんしゅくをかった政治家がいたが、為政を行うものの上に、、天罰を与えるのは有権者のはず。その有権者が全てを水に流すなら、一体誰が彼らに天罰を与えるのか。

日本が大好きなんじゃないのか。みんな。

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November 23, 2014

ミッション

TOWER RECORDS渋谷の石井麻木さん写真展へ。



大勢の若い来場者でごった返していた。なぜTOWER RECORDSで?と一瞬思ったけれど、震災前から石井さんはライブハウスやミュージシャンの写真を撮っている方だったのだと思い出す。各地を巡回してきたこの写真展が、東京でTOWER RECORDSを会場に開催されるのは理由があるのだ。写真展も半分くらいは東北LIVEHOUSE 大作戦に連動してライブの写真とビデオ。





ヘリから撮影したあの夜。決壊しそうになった国会議事堂前デモの写真がいちばんぐっときた。

で、ちょっと違うことを書くけれど、他者の表現は絶対に自分の表現とは相容れない。それは当然の自明のこととして物心ついた最初から思い込んできた。けれど、日本の学校教育というのは、皆さんも知っての通り、そういう子供の原始的な違和感を矯正していく面がある。必ずしもそういう感性は歓迎されなかった。絆を最初から違うでしょとか言って切りにかかるんだからね。何しろ。めんどくさいやつだ。









まして半分戦時体験のような経験を経て小学校に入学してきた子供の見る風景は、他の子供とどこか違っていたかもしれないのは仕方がないように思うし、そこで何らかの軋轢(さらっと書き流すがそれは当然当事者にとっては大変なことだった)があるのは当然だったろう。

でも、この「当然」と流せるようになるまでには相当の年月がかかる。その闇と暴力はもちろん比べようもないが、ベトナムやイラクの帰還兵が長く故郷になじめず、ついには次の戦場へ回帰するところに追い込まれていくようなドキュメンタリーを見たことがある。


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November 15, 2014

黒く危険な「ダイヤモンド」

浜通りの建設屋さんから聞いてきた話。

大量にたまっていく仮仮置場(浜通り、中通り始め栃木も。そこらの軒先)の黒い除染袋。これを仮置場(まだほとんど決まっていない)に運び、さらに中間貯蔵施設(大熊になるかまだ目処立たず)に運ばなければならない。

膨大な量の除染袋を運ぶには大量の車が必要だが、運搬コストは想像もつかない。通常の人件費、車代では誰もやらない。しかも除染袋を運んだ車はほかの荷物は運べない。その後はおそらく廃車。そのコストも織り込んで考えるとコストは天井知らず。

おまけに沿線住民の猛反発が予想され見通しがまったく立たない。だれが自分の家の前を四六時中除染袋トラックが行き交うことを許容するか。

一方でカネを無限に生む小槌のような仕事なので大手ゼネコンは特殊車両の開発を検討しているというが。。

混沌は続く。
黒く危険な「ダイヤモンド」。

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November 08, 2014

幼い頃、夜が嫌いだった。なぜ人は夜になると「死んで」いくのだろう。

「死んでいく」んじゃないよ。眠ってるだけだよ。明日になればみんなまた起きてくる。あなたも早く寝なさい。

それはわかっているけれど、もしも人が眠らずに生きられるなら、もっと色んなことができるじゃないか。本も読めるし、誰かにも会える。会えなくても手紙くらい書けるかもしれない。

だいたい何もできないなら死んでるのと眠ってるのとはどう違うのさ。夢を見るくらい?でも死者だって夢くらい見ているかもしれないだろ。

神様も眠るのかい?何か都合が悪いことがあって人や生き物をみんな眠らせてしまうんじゃないか?

馬鹿だねこの子は。笑。
そんな変なことを考えるんじゃない。早く寝なさい。

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September 12, 2014

墓標の前で

夢を見た人の中で、本当にその夢を掴めた人は僅かしかいない。神の僥倖。

その人の墓標の前で僕達はつくれるはずのものもつくらず、掴めるはずのものも掴まず、互いの見つめる先ばかり気にしている。

それはかつて世界を変える武器だったのだよ。

遠くであの人の声がする。

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September 08, 2014

遠くから投げる石

報道ステーション「原発事故関連のニュースをきょうも放送できませんでした。時間がなくなったからです。申し訳ありませんでした」 のテロップ。

どう考えても異例。取材陣の視聴者への苦肉のアピール。支えるのは国民なのだろう。巨大組織の奥の奥にも同志はいるのであると。

缶コーヒーのBOSSのCMですらジョーンズからの秘められたメッセージじゃないかと思えてしまうからね。僕は。だんだん中国みたいになってきたね。この国。叫ぶ場合は命を気にして隠喩でしか叫べない。


まあ生活のためにやっている仕事を主義のためにやめられるか。そういうワンテーマですよね。やめることはできなくてもスポンサーへの抗議はできますけどね。


主義のために放棄した仕事は数々あれど、我慢して続けた仕事はあるかなと思うと容易に思いつかない。そういう意味では困ったちゃんを貫いてきた方だと思うけれど以前の主義とは単なるへそを曲げた程度のものが多く。

いま見えているはっきりとした圧力に抗せるのか。うーんと悩む。

まあやるだろうけど。

遠くから投げる石は相手にも当たらないかわりに相手の石もこちらに届かない。それがすぐ目の前に相手がいて隣の同僚に石が時々当たって倒れる場所でやってる人たちとの大きな違いですよね。

けれど遠くから投げる石もたまには届く。100万個くらい投げれば100個くらいは届くかもしれない。それが厳しいところにいる人たちに応援に少しでもなればね。

やはり投げるんでしょうね。


LINK
さらに福島県警でも2人の自殺者が出ていたと。// 「報道ステーション、岩路真樹ディレクター「最後の仕事」、そして、二人の警察幹部の自殺」
⇒ http://t.co/ncjP7nLdUR

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September 07, 2014

ひな壇

前にも見たのだけれど、今見ても背筋が。

口パク疑惑のビヨンセ。その会見後、記者全員が彼女のファンになった理由とは


で、ちょっと違うことも考えた。安倍内閣の新しい女性閣僚がひな壇を安倍さんを取り囲むように降りてくる様子だ。

一つの強烈な意志を表明する土壇場の力と勇気に男女の差も、国籍の差ももちろんない。しかしビヨンセのバックにある巨大な星条旗に僕はどうしても注目してしまう。

悪も数え切れないほどある。それはわかっているが、私たちが対峙しているのはこういう国だ。

忘れまい。

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June 23, 2014

欠損ではない

理屈なんかどうでもいいから、とにかくさっさと結婚して子供を産めと内心彼らは思っている。だから少子化対策と、あのような輩は水面下で実は繋がっている。

本当にこの社会に女性の力を借りたいなら、結婚しようとしまいと、子供を産もうと産むまいと、無関係に平等にその立場を尊重することだ。

世には、結婚したい人、したくない人、子供を産みたい人、産みたくない人、機会に恵まれる人、恵まれない人、父のない人、母のない人、異性を愛する人、異性を愛さない人。様々な人達が生きている。

それを「欠損」だと考えるから他人に高飛車に無神経になる。「個性」と思えば尊重できる。わからぬか。

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June 22, 2014

紫陽花の使者



雨の季節にいつも紫陽花は咲き色褪せてやがて散る。あの年の強烈な花はもう散ったけれど翌年になるとまた花を咲かせる。あの時、我らが立ち止まった場所に何度でも現れる使者のように。

忘れるな。

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June 17, 2014

かつて嫌っていたこと

僕はあの古い下北沢の駅を愛していたのだなあと夜中に写真を見ながらふいに思う。

やれやれだ。

なくしたものは帰らないし、新しいものは、なくしたところからでないと始まらない。それはわかっているけれど、前も向けず先へも進めず、うずくまって生きることが意味が無いなんて誰が言えるだろう。

かつて嫌っていた生き方が、気を許すと部屋の傍にうずくまっている。

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June 07, 2014

引き受けるということ

当然ながら、何十年もの間に仕事上の酷い失敗を何度かしている。自分のせいであったり、結果としてそうなってしまった理不尽なものもある。

ある金融機関の新規出店プロジェクトに関わっていた時、こともあろうにその出店予定地の地主を激怒させた。事務所にいた女の子の電話応対が無礼だったと、たったそれだけのことだったが、地主は人の道に反すると激怒した。いま思えばナーバスな土地交渉のさなかである。彼もナーバスになっていたのだろう。
詫びたが収まらずもう土地を貸さぬというところまでこじれて、担当者の僕は震え上がった。まだ20代だった。
ついには何とその金融機関の支店長と一緒に地主を訪ね、玄関先で長時間粘り、ようやく中に入れてもらい、共に畳に頭を擦り付ける羽目になった。

「このクソジジイが」と僕は怒りに燃えていたが、横で共に頭を擦り付ける支店長は一言も僕のことも、事務所の女の子のことも責めなかった。間にたった代理店の担当者も共に黙って頭を下げてくれた。

地主の怒りはようやく収まった。電話一本の恐ろしさを知った。

「こういうこともあるよ」

と落ち込みまくる若い自分に対して、ニコリと笑った支店長の笑顔がいまでも忘れられない。彼こそ理不尽と屈辱に震えていたろうに。

そればかりかその日は、致命的とも言えるミスをした我々を飲みに誘ってくれて遅くまで盛り上がった。やがて支店は無事にオープンしたが、バブル後の混乱期を経てその金融機関は今はない。

だが。いまでもその駅に降りるたびにあの日の遠い記憶を思い出す。いま、自分のために横で頭を下げてくれる年上の人は殆どおられなくなった。それどころか、おそらく誰かのために頭を下げたり、嫌なことを引き受ける場面が増えたと思う。

理不尽だと憤るとき、誰かのために人の嫌がることをしなければならない時、あの日の支店長のことを思い出す。

どんな時も逃げるなと彼はきっと教えてくれた。そう勝手に僕は信じ込んでいる。

※昨日ちょっと厳しいシーンがあったのでそんなことをちょっと思い出して書いてみた。

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May 24, 2014

過酷で無慈悲で不合理な

仕事というのは多かれ少なかれ過酷で無慈悲で不合理な部分はある。過酷で無慈悲で不合理な部分を直そうとすると、大体の場合は状況よりも自分がダメージを受けるので、多くの人はそれをやり過ごして現実との間に均衡点を求める。こうして人はオトナという都合のいい生き物に成長する。

それはそれだ。

しかし現実に対して無制限の妥協を重ねると、いつかそれは私のチンケな仕事の分野にとどまらず、全てに波及する。そして社会に波及する。

各所で至る所でこの流れに抗する小さな抵抗がなされることがきっと必要で、それが合流して大きな力に知らぬうちになっていく。これはまさに選挙における投票行動とそっくりの話だと思う。

あなたや私のチンケな1票では何も変わるように見えないが、そのチンケな1票以外に社会を変える方法はない。それができなければ革命しかないのだ。

あなたは笑うけれど、それは世界においては始終起きていることだ。タイ以外でも。どこでも。どこでもだ。

投票行動は社会を変える欠かせない力だけれど、唯一絶対ではない。ほかに変えるべき手段があってそれを本当に実行できる機運と勇気があるなら試すのもいいだろうと思う。

けれどもちろん、チンケな投票ひとつも行わないただのチキンが、そんなことを唱える資格はないと思う。

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May 18, 2014

けもの道

集団的自衛権。国会でよく議論しろと公明党は言っているが、そもそもこれは立法ではない。内閣の「見解」で憲法解釈を変えるという掟破りだから決もとる必要がない。成立させるべき法もないのだから。適宜に時間をとって野党の反対意見を聞き、「参考になりました。じゃあこのへんで」



改憲どころか強行採決すらする必要がないのだ。まさかこんな裏道を使って集団的自衛権を正当化するとは思わなかった。

弱点は法ではないこと。解釈だから次の政権がまた解釈を変えればいいのだが、憲法をここまでないがしろにするなら、どんどん骨抜きになって行く。それが恐ろしい。

僕は改憲論者である。だから堂々と議論して直すべきところは直すべきだと考えていたが、まさかここまで非道とは。周辺の緊張があるならなおいっそう王道を歩むべきではないのか。ほとんどの事態は個別的自衛権で対応できることは、自民党さん。あなた達が一番よく知っているだろう。

所詮まともな論戦では通らないと思っているから、こんなことをする。日本は獣道を歩む国に成り下がるのか。

武力の行使に絶対反対の立場じゃない。
山田洋次監督がテレビで「中国とも北朝鮮とも話せばわかるんだから」と言っていたが、僕はそこまで楽観的ではない。地獄の収容所で赤ん坊まで囚人にする国と、ウイグルに地獄の弾圧を重ねる国とまともに話せるかどうかという思いはある。


しかし我らはそれでも最後の最後、99.99999%のプロセスを外交という戦争で戦うべきなのだ。武力の行使は最終手段であり、その時も丸腰でいいとは思わない。

しかし今の政権は最初から腕まくりをしいつでもやってやるという姿勢が見え見えだ。こんな国家に誰が心を許すだろう。世界に向けても国民に向けてもウソにウソを重ね、外交よりも戦車が好きな宰相である。

何度言われればこの国の人達も気がつくのだろうと思う。強い危機感を感じている。

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May 12, 2014

理想主義なのかヘタレなのか

何だか現状思い切り「経済回せ側」に取り込まれそうになっており内心複雑であります。経済回せったって自分の経済がすぐに回る話ではないのでありますが、当たり前の話、ひとたびここから外に出れば出たところの力は強大であります。それを改めて痛感しています。

「清く貧しく美しい」など嫌いだと公言しています。清く美しいものが、貧しくてもいいと言っているなら、それはどこかおかしいわけです。

正しいなら、美しいなら、富むはずであり、豊かで幸福になるはず。
それが達成できないならそれはどこかその社会の仕組みがおかしい。原発もそうです。オリンピックもそうです。

けれどおかしいものを、おかしいと言い続けるだけでは何も変わらない。奇跡の革命などない。

我らはこの唾棄するような日常。それでも先人がそれ以上の唾棄する思いを重ねてバトンしてくれたリレーを、微々たるものでも唾棄しないですむようにして、後の人に引き渡す努力をしなければならない。

それは決して豊かだけれどクxな社会ではなく、昨日よりも豊かで昨日よりはほんの少しクxではない社会。

その理想主義なようなヘタレなような世界観に私のやっていることは叶っているのでありましょうか。
あなたのやっていることは、どうですか。叶っていますか。

#別に酔っておりません。

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May 10, 2014

消えて行く下北沢

今となってはというか、今の段階で既にというか撮っておいて良かった。最近になって思うのは写真なんて撮るんじゃなくて撮らされて、そしてその写真がいつか勝手に何か話し始めるんじゃないかな。

カメラマンを目指していた頃にはそんなこと考えたことなど、もちろん微塵もない。




消えて行く下北沢(2013年5月17日)





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明日の始発から地下駅に移行する下北沢駅周辺の町並みをパノラマを使いながら撮ってみた。。人生でもっとも忙しく疲弊していた時代に2年間住んでいた場所でもある。ゆっくり街を歩くこともあの頃はなかった。3/21から一定の時間ごとに撮影。

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May 06, 2014

「鼻血ごときで騒ぐ人は発狂するかも」という雁屋哲氏の「いつもの悪い癖」


「現在発売中の「スピリッツ」22・23合併号に掲載された「福島の真実篇」において、東京電力福島第1原発など福島県を取材のため訪れた主人公・山岡士郎らが鼻血を出す描写があり、これが風評被害を助長するのではないかとの指摘が相次いだもの。作中には前双葉町長の井戸川克隆氏も登場し、「福島では同じ症状の人が大勢いますよ。言わないだけです」と発言、ネットを中心に炎上状態」

自分は3月11日以降、福島には何十回も足を運んでいるが、直接「同じ症状の人」に会った事もないし、「同じ症状の人」を知っているという人にも話を聞いた事がない。けれどだからといって「そういう症状の人」はいないということにはならない。実際SNSでは「低線量被曝による鼻血などの症状」を訴える人がたくさんいることは知っているし、確かにそうした人たちもいるのだろうと思う。僕がたまたま会っていないだけかもしれない。

けれど、だからといって自分の個人的視点で見る限り「大勢いますよ。言わないだけです」などという状況になっているとは判断できない。一定の発信力を持つ人がメディアで「言わないだけです」などと言えば何も知らない人は壮大な隠蔽を想像するだろうし、「血にまみれた福島の過剰な闇」を想像するだろう。

この問題に関して両論は両論とも不完全であり、慎重な見方をとりながらも「わからない」というのが現在のもっとも誠実な対応だと思う。注意しながらも気を配る。こういう慎重でまだるっこしくも思える対応の継続にしか真実はないように思う。

一方で「3年経っても死んだ人が誰もいない」から放射線への脅威論の化けの皮がはげたなどという論陣を張る人がいてそれに賛同する人がいる。安全論の根拠として「放射能で死んだ人が誰もいない」などとたった3年で主張する事もおかしい。そもそも本当に誰も死んでいないのか。この3年間で吉田所長含め癌でこの世を去ったコアな関係者は多くいる。亡くなっている方達の死を即放射能被曝に結びつける事には慎重であらねばならないだろうが、即「死んだ人は誰もいない」などと判断するのもまた違う。
さらにチェルノブイリでは20年以上たってからも相次いで甲状腺がんの発症や心臓の異常が続いていることはもう周知の事実だと言ってもいいだろう。

不幸すぎる未来を喧伝して人を惑わすのはもちろん慎むべきだが、現状に漂っている不透明な部分を見てみないふりをするのもまた違う。

いずれにしても

「鼻血ごときで騒ぐ人は発狂するかも」

という不要な挑発的台詞を吐く雁屋哲氏の「いつもの悪い癖」には眉をひそめざるを得ない。それは誠実な態度だろうか。福島に対して。そして我ら全てに対して。

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May 04, 2014

gの文字の方向

IEの脆弱性を修正する緊急アップデート公開、XPにも「特例」で提供

今回のIEの騒ぎは一体何だったのか。おそらく裏事情があるだろうしいつか明らかになることがあるのだろう。明確に過去のMSには起こらないことが起きていた。

大規模なセキュリティホールは過去にも何度もあったのに、米日の政府関係筋が使用そのものを禁止するなどといったことは過去になかった。

ではそれほどの危険だったのかというと、どうもそうとは思えない。陰謀論に組みしたくないが水面下で何か攻撃的なことが起きているのだろう。gの文字の方向を横目で睨みながらそう思う。

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May 03, 2014

『ラストデイズ 忌野清志郎×太田光』


『ラストデイズ 忌野清志郎×太田光』

夕べ録画を見ていて、彼について知らないことがたくさんあったことに気がついた。そして少し驚いた。

思ったことは他にも色々あるが、その一つは、人が何かに拘ることにはきっと理由があるということだ。誰でも。そしてキヨシローでも。

本当は何の理由もなくても、この星に生きているものとして、呼吸をしているものとして、特殊な理由がなくてもいま起きていることに、今の生活を崩すこともなく生活者の1人として息をするように平然と立ち向かうべきなのだと思っている。それがきっと理想であり自然だ。

だが現実はそうはできていない。こだわる人にはこだわるだけの理由がある。それが現実であってそこで理想を振りかざしても仕方がないのかもしれない。

降りてくるものには降りてくる理由がある。物理の法則のように。

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April 16, 2014

日常

長いこと仕事に待ち伏せされていたらしく、毎朝誘拐されて監禁され、夕方解放されるような状態になりました。

人生で一番難しいのはバランスだとつくづく思わされます。と、「バランス」という言葉から一番遠い生き方をしてきた私が思います。思ったからと言って何もどうにもならないんですけどね。

人は所詮未来の予想はできない。精一杯予想して、当然に裏切られて、それを折り込んでいたような顔をして精一杯生きて行くのだと思っています。
でも多忙にまかせて、2011以降に味わった悔しさや怨念、この国の手の届かないスケールの矛盾、2011年の5月に入った南相馬の原町の駅前など忘れないで、もうしばらくは生きていきたいと思っているという感じです。

この国は素晴らしいし地力もある。本当にそう思うのだけれど、当然ながら完璧ではない。あの年に天命を知るための大きなショックを与えられてそれから個々がどう生きるか、日常との折り合いをそれぞれがどうつけるか。そこなのかなと思うわけです。
我らは日常を忘れず、一方で天命を意識して。

ごめん。ちょっと勢いで書きました。

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April 05, 2014

淡々と

特に才気の走る文章ではない。ただ日常の一コマ一コマ。それはパソコンが壊れて買いに行っただとか、一人旅を初めてした話だとか、ケレンもテクニックもなく、淡々と日常を綴っているある人のブログをもう何年も読んでいる。人柄なのだろうか。惹きつけるものがある。

彼女のブログにただひとつ、どこにでもあるわけではない要素があるとすれば、それはかつて彼女が癌によって命が脅かされ、今もそこからの快復過程にあるということだけである。

だけであるって。

何だそれは。どこが「淡々とした日常」なのだと思われるかもしれない。
けれど、そのことがなお、いやそのことがあるから余計に彼女の日常の起伏のあまりない、当たり前のエピソードの一つ一つが印象に残るのだろうか。

いや。そうではない。例え病気のことがなくても、自分はこの人の毎日を読み続けているだろうな。そこにあるはずの何かを自分はうまく表現できないし、何か綺麗な、もっともらしい言葉でまとめる気もない。

その人も一度もコメントもしたことのないこんな読者のことを意識などしないで書いていることだろう。他人の人生の覗き見と言ってしまえば詮無い話だが、元来ブログとは日記であり、こういうものだった。

波乱万丈でケレンだらけの日常がより人を惹きつけるとは限らないし、平凡な顔をした深い日常というのがこの世界にはある。

残念ながらこの領域もTwitterやFacebookでは味わうことの難しいゾーンなのである。

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«台湾の件は人ごとではないが

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