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May 25, 2016

澄んだ瞳にも見えないものがある。もちろん濁った瞳にも。

仕事仲間から素で聞かれたことがある。

「ちょっと聞いてもいいですか?」

なに。

「どうして東京オリンピックに反対なんですか?」

どうして君は反対でないのか驚いたのはこっちのほうだよというジョークは置いといて。

「まず、日本はまだそんな状態じゃない。福島は復興していない。10万人も家に帰れない。原発は手がつけられない。こういう状態にある国は、僕の常識ではオリンピックよりもやることがあると思うものだと思う。こんなタイミングでなぜオリンピックなんかやろうと思うのか、全く理解ができない。」

「。。。」

「次に。東京でオリンピックが行われれば、日本中の注目は被災地ではなく東京に集まる。金も東京に集まる。しかも復興を名目に集める。そのカネはどうなるのか。それはオリンピックに使われる金であり、復興に使われるカネではない。復興を名目に集めたカネは復興に使われるどころか、東京のために使われる。一番必要としているところのインフラ投資が疎かになり必ず被災地を苦しめる」

「本当はみんな知っている。オリンピックと被災地復興なんか何の関係もない。こういうのを方便と言う。心のどこかで関係がないことを知りながら、気がつかないふりをする。もちろん自分も例外じゃない。考えると反吐が出る。」

「そんなことは考えたこともありませんでした。」

まだ納得がいかないと言いたげな彼の瞳は濁っていない。澄んでいる。澄んだ瞳でも見えないものがある。もちろん濁った瞳にもね。

ところが。

そんな濁った瞳の自分にも見えなかったものがある。僕は東京オリンピックが見えていなかった。実際の東京オリンピックはもっとえげつなく、もっと偽善的でデタラメだった。

美化して語りすぎたよ。自分は。本当の話はもっと遥かに酷かった。それがわかってきた今日この頃。あなたはいかがお過ごしですか。

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モンスター

この街は今撮っておくべきだと思うときがある。改築前の古い下北沢がそうであったのであり、いや下北沢はまだ激変が続いているのだけれど、いま渋谷の街で起きていることは、いったい何なのか。このことの意味はきっとずっと先になってからわかるのだろう。父や母の時代の渋谷もきっと、何度もそうであったろうに。

それにしても、のたうつようにメタモルフォーゼを繰り返しながらも街としての動きを絶対に止めないこのモンスターぶりには、怖くなることすらあるのだ。




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April 18, 2016

そんな威信なら壊れてしまえ

熊本大分の大災害を受けてオリンピック中止論がまた叫ばれるようになった。自分も東京オリンピックには反対だが、このタイミングではさすがに中止は厳しいだろうかとぼっと考えていたら、昔もとんでもないタイミングで博覧会を中止した東京都知事がいたことを思い出した。あれも相当なタイミングだった。

世界都市博覧会である。

結果的には中止でかえって財政的には損失が大きくなったとか色々言われて功罪あろうが、青島幸男の意地を見せつけた英断だった。

一方であの時自分は博覧会関連で決まっていたかなりの仕事を失ったが、やはり今と同じ中止論だった。ビジネス的には泣きながら、それでもこれで良しとして食いしばった。それすら功罪わからない。あの時博覧会が行われていたら自分は今とは少し違う場所にいたかもしれない。

誰でもビジネスを抱えている。思想信条とビジネスは多くの場合両立しない。両立するのが理想だがなかなかそうはいかない。

それでも人生の中では何度かやせ我慢をしても歯をくいしばるべき時があると思うし、失ったもののかわりに得るものはあるはずだ。

豪華スイートルームを借り切って大散財する舛添都知事は、きちんとしたところでないと誰が訪ねてくるかわからないから。などと言った。

こういうのを言葉の本当の意味で「お登りさん」という。日本はいつまで世界に対して「お登り根性」が抜けないのか。東京は知事が豪華宿舎に泊まらないと世界に胸を張れないような、そんな都市なのか。

たまには世界をあっと言わせて欲しい。賛否両論入り混じってもいい。ここまでしか言えない。

国家の威信が災害支援を理由にしたオリンピック中止や、豪華ルームを借りないことで傷つくなら、そんな威信は根こそぎ壊れて構わない。

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April 06, 2016

匂い


三十代の余生-傘をひらいて、空を

この世界には、死のイメージがつきまとって去らない人というのがいる。その微かな匂いに気がつくのは、同じ匂いを持った者同士だけなのだと考えることがある。

このことに関して今の人生が充実しているとか、いないとか、そういうこともあまり関係がないように思う。この死の匂いは人生が始まったばかりの時に形成され、その匂いは容易なことではその人を離れることがない。

現世の暮らしの幸福や不幸は、その人生の最初の頃に植えつけられた死生観に比べれば、いかにも虚しくはかない。

このブログを読むといつも感じることである。

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April 02, 2016

日本の桜はこれからも死ぬのか





日本の桜は2度死んだ。迫る3度目の危機!


1年前の記事なのだけれど、この季節に読むにふさわしい。寓意もたくさん込められている気がする。自分としてはソメイヨシノはすべてクローンなので「隣の個体を別の個体と意識せず手を伸ばしてからまってしまう」というあたりに日本人を感じております。



日本の桜は2度死んだ。迫る3度目の危機!

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March 31, 2016

意志とは違う。運命とも違う。

いくつになっても自分はどこへ行くんだろうと思い続けていることは幸福なんだろうか。不幸なんだろうか。いやそれは幸と不幸で語ることですらないのだよ。きっと。

いつも声は自分の内から聞こえるのではなく、中とも外とも峻別のできない細い細いところから聞こえてくる。人の普通があるかどうか知らないが。これは普通ではないのだろうか。

意志とは違う。運命とも違う。さながら風にこの満開の桜が吹かれていくように、たゆたうように。といえば綺麗だが、ただ、ただ自分の声に翻弄されてさ迷っているだけなのかもしれない。

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March 25, 2016

常磐道を走る

こんな青い空の元で車を走らせていると、ここがどこなのか、ここで何が起きてしまったのか忘れそうになる。というより自分も、この国のほとんどの人たちも、本当に忘れてしまいたいのかもしれない。知性や理性で忘れるべきではないと思う前に、心の奥底で知らぬ間に起きてしまったことを認めることを 5年経った今でも忌避している。

無人の美しい家々。

忘れることはできない。忘れることができるほどに、この田畑一面に広がる風景。青や黒のフレコンバッグの山の存在感は甘くないのだ。悪夢の中の田園風景というものがあるとすれば、その一つはまさしくこの風景だろう。

ここにどんな日常があったのだろう。

自分たちの国は世界史上にない額の借金を作り、世界史上にない2発の核兵器を落とされ、そして有史以来最大級、1000年に一度という大地震と大津波を受け、そして4基の原発が破裂し甚大な放射能を国土にばらまいた。

その上でそれを除去しようとして膨大な除染「事業」を行い、甚大な数の袋に詰めたはいいが、そこで手詰まり。ただ積み上がっていくフレコンバッグの最終的な保管場所も決まらず、倉庫番ゲームのようにこの無人の田畑の各所に積み上げては動かし、動かしては積み上げている。

墓場を走り続ける列車のようなこの車。

土や草木や川の間にこの膨大な数の袋が人の背丈の何倍もの高さに積み上がっていく様を見ながら自分は、「4.4μSV/hour」と表示される横で高速道路を疾走している。こんなところを走りながら息も止めない。呼吸ももう乱れない。

事もあろうにその土地に人々に帰れというのだ。なにごともなかったかのように。これは何なのだろうか。彼らはどこから来たのか。何の幻覚か。

実のところ、こうやって重ねてものを考えることはもう自分の心の習慣としてはない。ここを何度も通るうちに、この異様な風景に慣れてしまった。風はあくまで気持ちよく吹き渡り午後の日差しは平和に澄み渡る。

この土地の人はどこに行ったのか考えさえしなければ。

美しい空気のいったいどこが汚れているのだろう。何かの勘違いではないかとすら思う自分がいる。

不思議なことに東京に戻って、渋谷の雑踏を歩いている時にフラッシュバックのようにこの遠い風景が蘇りようやく正気を取り戻すのだ。そして唐突に思う。

「自分たちはなんということをしてしまったのだろう」

泣き出したくなる。

それが。刹那。完全に毒が消えるとされている10000年単位の時間を考えたところで気が遠くなり、やはり何かの勘違いか白昼夢を見ているのではないかとまた正気はまどろんでいくのだ。心は平静な日常に戻っていく。

きっと私たちは狂っているのだ。ずっと前から。

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March 22, 2016

パンダはシロクマにはならないが。-白産経と黒産経

産経新聞には白産経と黒産経がいる。名前だけで判断しないで、一生懸命やっている記者がいることを見逃さないで。それを僕は亡くなった日隅さんから習ったんです。皆さん意外に思うだろうけれど、日隅さんは元産経記者ですよ。もちろん白と黒と入り乱れて限りなく黒パンダみたいな産経新聞ですが、いいこと書いた時には、ああこれは白産経だとちゃんと褒めてあげましょう。まあ滅多にパンダがシロクマみたいにはなりませんが。


山梨の野党統一候補は宮沢氏で最終合意 共産の宮内氏は比例へ


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160322-00000018-san-l19

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March 20, 2016

いま改めて小保方晴子さんのこと


STAP現象、米国研究者Gが発表…小保方晴子氏の研究が正しかったことが証明|ビジネスジャーナル スマホ


この件。自分は小保方さんのことはちょっとまだ気になってましてですね。女子としてどうとかじゃないですよ。この事件というか顛末に。

小保方本も読んだんだけど、図々しいとか女使ってるとか色々と言われてますが、彼女は戦えない女子なんですね。自分的には。ポイントや都度の局面で的確に反論できないことが相当彼女を不利にしてきた。

本を出してかなり具体的に反論したのは良かったけれど、いま彼女に必要なのは出版よりも法廷闘争なんじゃないかと思うのですね。自分に確信があればね。

何だかこのまま泣いて終わるのが美しい日本の女子の美徳ですよじゃ困るですよ。この時代。半分悪魔になって結構なので確信あるなら戦ってください。

戦う人には必ず味方が現れる。隅で泣いてばかりの人には出てこない。もしも世間がいうようなことではなく、実力で生きてきたというならそれを見せてください。

彼女が自著で言っていることが本当ならこれは人間の尊厳の問題ですよ。エプロンつけてどうこうとかその口で言うのかお前らはですよ。

いつもこういうことしか言えなくてすみませんけれど。

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March 19, 2016

東芝解体となりふり構わず生き残った三井住友銀行のこと

メディカルを売って白物を売ってパソコン事業を手放して、東芝に残るのは4000億もののれん代未償却のウェスティンを抱える原発事業と半導体事業だけ。ウェスティン関連減損時に瞬間的にも債務超過にならないように部門売却を急いでいるのだろうが、「あの東芝」はもう消滅したも同然だな。。

日本経済と原発事業にカタストロフィを生じさせないように国民へのインパクトを減じながら東芝解体が進んでいる。

バブル末期に三井住友銀行は子会社のわかしお銀行を商号変更し、何と三井住友銀行を消滅させる合併を行って8000億円もの証券の含み損を一掃させた。こんなことが許されるのかとあの時思ったが、いま我々が三井住友銀行と呼んでいるのは旧わかしお銀行であることを知る人は少ない。東芝の存続にはこのくらいのウルトラCが必要ではないか。

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【安保法制違憲訴訟の原告に加わることにしました】





さる9月19日に国会で成立されたとする安保法制は正当な国会決議を受けていないと考えています。またその内容は違憲であり法律として施行されることは不法行為だと考えています。このことに自分はどうしても納得ができないので、安保法制違憲訴訟の市民原告に加わることにしました。申し立て費用や弁護士費用は基本的にカンパで賄われる予定ですので、若干の手数料以外、原告に加わることで即時お金がかかるようなことはありません。微細な行動ではありますが、ここは看過できませんので自分としては当然に加わります。賛同を感じる方の合流によりによりこの動きが拡大することを期待します。

●安保法制違憲訴訟の詳細はhttps://anpoiken.wordpress.com/

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March 12, 2016

1日遅れてしまったけどあの日から5年目に

「あの時、大変なことになっていたんだなあ」

ということを国民の(ざっと考えて)半数?半分も行かないか。共有できるまででに5年もかかるんだとつくづく思い知らされる。周りを見ていても思う。

でも自分は被災者ではないのだ。被災された方はどれだけの思いだろうと思う。

「「メルトダウン」と言うな」

が(誰の命令か知らないが)その筋の暗黙の前提になっていたことも、報道で知る。このNGワードに圧力がかかっていた。ツイートすると猛烈な圧力が親しいフォロワーからさえ来た。

素人が原子力についてわかりもしないのに、不確かな意見を拡散するな。という圧力も凄まじかった。「被災者を傷つけることになるんだぞ」という不思議な脅しは未だにある。

これは全て政府の圧力と反発する人がいる。もちろん今の政府は駄目だ。自由の価値、民主主義の理念を理解していない。それどころか嫌悪している。

でも圧力の出所は政府だけではない。この国の社会だ。普通の人たちが圧力に加担し体制の味方をする。それが巨大な圧力になるのだ。それがこの国の恐ろしいところだ。

きっとあの戦争でもそうだったのだろうなと、リアルに想像することができるまでの5年間だった。

卑怯なる者は、大きな力を持つくせにそれを隠し、もっとも弱い者の名を語りそれを利用して圧力をかける。そしてもっと悲しいのは、その利用されている弱い人たちまでもがこの圧力に加担してしまうのだ。

311以前、自分はこういうことにここまでリアルには気がついていなかった。教えてくれた311は自分の人生にとって遅すぎた大災禍だったかもしれないが、気づかせてくれたことを軽んじないようにしようと思う。

#1日遅れてしまったけど5年目に。

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March 04, 2016

永遠に失われた国立競技場のこと

久しぶりにジムへ行って帰りに着替えている時、ふと「そう言えば最近競技場に行っていないな」と思ってから、「そうか。もう無いんだ」と思ったら、例えようのない寂しい気持ちになった。澄んだ冬の夜のあの冷たく凛と張り詰めた空気の香りと一緒に走った人の息遣いやその背中を思い出した。

あの国立陸上競技場は消えてしまったのだった。永遠に。

もとより嘆く立場でもない。ただ、自分は何年かの間、仕事帰りに一般向けに開放されている競技場で何とも中途半端な距離を走る素人ランナーだった。いや、そう言うにも恥ずかしく。実にへなちょこな走りしかしていなかった。

へなちょこだからトラックを10周もすれば座り込んでしまい、走っているただごとならない人達、同じ空気を吸うのが申し訳ないような人達の、ひたひたと走る姿と音を感じる。同じ人間とは思えないんだ。あの走る姿の美しさと速さ。厳しさ。音。

こんなところにいてごめんなさいと思いながら、まだ来ぬ、共に走るはずだった人のことを気にしながら帰る。

雨の夜でも国立競技場には走る場所があった。観客席の最上階の裏には、屋根のある室内のトラックがあった。寒すぎる時、雨の降る時。そこがトラックになった。

自分は前回の東京オリンピックをかろうじて覚えている。あの時。この国の熱狂のまん中にこの競技場はいた。あの燃え盛る聖火が燃えていたのは、あの中央のあの台の上なのだ。真っ赤な日の丸。燃え盛る聖火。

我に帰ると年老いた競技場があった。いま目の前にあるしんとした、凛としたこの場所が、あの子供の時の熱狂の場所と同じだとはとても信じられなかった。

あなたはどうだったろうか。何を考えてそこで走っていただろうか。それはきっともう僕は永遠に知ることはできないし、確認もできないだろう。あなたはもうそこにいないし、国立競技場はもうないのだから。

永遠になくなったもののことは、それから何年も何十年もしないと誰にもわからない。人と人の関係も。

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February 29, 2016

許してはならないこと

Facebookでまた1人友人を失った。というかこれがギリギリのところだったろう。そろそろ駄目だと思っていた。相手も同じだったろう。

こんな小さな人間が、精一杯深呼吸をして大きな気持ちになったとしても、震災以来5年たって、まだメルトダウンでは無く炉心溶融だったなどと言わんばかりの意味不明の擁護や、チャイナシンドロームを言った人間をDQN呼ばわりする一方で、5年間にわたってメルトダウンを認めなかった東電やその擁護派の学者たちのことを「あの時はやむをえなかった」とか「言葉の定義の問題ですよ」などと主張する人たちと友人でいることはやはりできなかった。いるべきでもないだろう。

人は人を許さなければならない。なぜなら人は過ちを犯すものだから。自分ももちろん。
けれど一方で許してはならないものがある。許してはならないことの苦しさや辛さに翻弄される人たちをこの時間、自分の出来る範囲ではあるが、それでも見てきたつもりだ。

その自分が「そういう考え方もあるよね」などと下がることはどうしてもできないし、この先もしない。

極力寛容な心は持つべきだし、相手の言うことに理があれば主義や主張でがんじがらめになるべきではないと思う。耳開かれているべきだ。

けれど限度というものがある。それでもこの世の中にはどうしても許してはならないこともあるのだ。絶対に。

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February 27, 2016

絶望と希望の狭間で---Cocco 「ジュゴンの見える丘」 大浦湾に帰ってきた2頭のジュゴン 辺野古で起こっていること

辺野古の沖に親子のジュゴンが現れた。---自分を含めて内地の多くの人たちは「へー」くらいの感想で済ませてしまっていただろう。

そのことの意味を。
そのことへの思いを。
そして多分-僕は愛という言葉はよくわからないが
生きていく形のようなものを
Coccoが勇気を持ってコンサート会場で語っているので、動画をぜひ見て下さい。

人間は他の生物全てに比べて、どういうわけか圧倒的な知性と圧倒的な力をこの星で授けられた。それには疑いの余地がない。

人はその圧倒的な力をもって、この星を支配し、命の体系の最上位に君臨し、そのことの正邪はともかく現実として、ここに支配圏を確立している。

人は地形を変えるし海すら陸にするし、大気すら変える。他の生き物の命を人の理屈で簡単に、しかも大量に奪うことができる。

そして、人はそれは人類だけに許された特権だと(おそらく)思っている。
誰もそれを人類に言葉で言ったものはない。人が勝手に「神」のようなものを造形し、ノアの伝説も紡ぎだした。

けれど、傲慢な人の中にあって、少なくともノアはすべての生き物を助けようとしたのである。

もしも人間が、この傲慢極まりない思いと、圧倒的な力をこれからも保持するなら、そして他の生き物のすべての運命を左右する力を保持しようというなら、それは同時に圧倒的な責任の重さが、その肩に背負わされていると考えるべきだと思う。他に解はない。

その背負わせたなにかを神と呼ぶか呼ばないかは別として。

もしも我らが、自分達が日々の飯を食うためだけに、あるいは国家だとか民族だとか、自分たちの種にとって都合のいい。。いや種にすら害悪になる考えのためだけに、防衛という欺瞞の言葉のもとに大量殺戮の拠点や巨大な放射能を撒き散らす発電機をつくり、他の生き物の存続を脅かし、この星全体のマネージメントをする資格がない愚挙を繰り返すなら、この生態系の頂点にいる資格はない。直ちに降りるべきである。

「寄生獣」の一見荒唐無稽なストーリーの中で僕が心に残って離れないフレーズは

「地球上の誰かがふと思った。みんなの未来を守らなければ」

※だったかな

Coccoは彼女にとっての絶望と希望の境界のギリギリの場所からメッセージを届けている。辺野古に行きたい。早く行かなきゃな。

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February 26, 2016

牙を尖らせて

自分の祖母は貧農の生まれで、教師にすら蔑まれて、明治から大正を生き、関東大震災から戦争、東京大空襲と戦後を獣のように牙を尖らせて生き抜いた。

その祖母が期せずして大きな家に嫁ぎ貧乏人、無学と愚弄され、やがて運命的に引き受けた小さな孫に「戦え」とのみ教えて育てたとして、なんの不思議があるだろう。

今になってわかるけれど、彼女にはこの国に蹂躙され続けた恨みつらみとコンプレックスが溜まりまくっていた。その淀みまくった恨みを合理的な言葉で説明できず、ただ「戦え」と表現したのだろう。

「誰の言うことも信じず、自分が思ったことに殉じろ」

今になって思えば、そして側から見ていればきっとカッコよかったぜ。ばーちゃん。あんたほど平和を唾棄して権力に媚びず絶対孤独を引き受けると明言してた人がいるだろうかね。

けれども戦いがデフォルトで育てられた自分は苦労している。どうやってこの世界と折り合いをつけていくか。それはあんたは教えずに逝った。通常の人は、牙の不在に苦しむらしいんだ。鏡の世界だな。

きっと俺はそういうところから沖縄を見ている。福島を見ている。

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February 21, 2016

双葉消防本部の記録を観た

原発事故のあと、不眠不休で放射能の恐怖の中活動した消防隊、双葉消防本部の記録を見ている。見ているだけで涙が出てくる。隊員たちに取材してこの番組を作っているのも #NHK である。いつかきっとこの現場と経営との邪悪な解離の時期を歴史的に証言する人たちが中から出てくるだろう。それを確信する。

それにしても双葉消防本部の原発事故後6日間の記録。参ったな。あの時、死をも恐れず動いた人たちのおかげで我らの今がある。我らはいろんなことを知らないで、あるいは知ったつもりで生きていて、先人の努力を無に帰すようなことを平気で行う。

掬い上げられるものを限界まで掬い上げるのが政治の責務ではないのか。そんな政治家を我らは選べていない。このままなら選べない社会は滅ぶ。

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February 20, 2016

新宿で「スティーブ•ジョブズ」




新宿で映画「スティーブ•ジョブズ」 見なくてもよかったかなあ。「ジョブズとリサ」てタイトルにしたほうが良かったのではと。

Appleの歴史とジョブズのライフストーリーの概要を知らない人はわけわからんだろうし、知ってる人にはまあ。。どっちでもな感じ。映画全体がサイドストーリーみたいな。

「こんなクズだったのか!」と知らなかった人には新鮮かな。でもきっともっとクズだったと。

とにかく大半が発表会の楽屋でこんな時こんなこと言ってくるかよみたいな話をどっと登場人物が詰め込んでくるし、場面転換があまりなくてセリフが膨大。ウディアレンみたい。スラムドッグミリオネアは素晴らしい映画だったけどなあ。同じ監督だそうです。

ジョブズのクズっぷりも中途半端でリサのエピソードとかへーてところもなくはないが、しかしスカリーはお気の毒な描き方。

2013年のバージョンを見てみたくなったけど、まあどうだろうか。

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February 14, 2016

天に吐く唾

自分は思う。

不倫によって社会的制裁を受けるのはしょうがない。多くの人たちに非難されるのも仕方がないと思う。

けれど。議員辞職は違うのではないかと思う。議員の職は責任を取って会社を辞めますよ的な考えで、それを得たり、それを投げ出したりするものなのだろうか。一般的な職とは境界を画す、なにか違う論理がそこにあるべきだと考えることはおかしいだろうか。

我らはその議員に倫理を期待して投票したのではなく、公職に対する気概と、命をかけてくれることを期待して投票するのではなかっただろうか。

いや。わかっている。おそらく彼はそれほどの器ではなく、彼らもそれほどの選良ではないのだ。わかってはいる。しかし、わかることと、それでいいこととは違う。地に堕ちた政治家への侮蔑や罵詈雑言の唾が、結局落ちてくる場所はどこなのだろうか。

彼はひたすらにボロボロになり、審判は選挙のみでなされるべきだったと思う。異論もあるだろうが、自分の両手には彼に対して投げる石はない。投票以外に。

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February 05, 2016

生き物としてのココロ

月並みだけど、東京は空が小さい。自然が小さい。でもモンスターのように人が多い。ありえないくらいに人が多い。

会津では空の広がりと風の匂い、雲や樹々を照らす光の僅かな色の変化を感じることができる。でも人はいない。ありえないくらい人がいない。

自分にとっての美しさも、恐ろしさも、厳しい冬の自然そのものになる。

磐越道中山峠は何度通っても緊張する。恐ろしい。恐ろしい。吹雪の上り坂を超えると、霧の下り坂。上下左右もわからぬ時すらある。

さっきまで穏やかな顔をしていたと思うと、瞬時にヤヌスの牙を剥く。稀代の難所と言われてきたのがわかる。ここがかつて官軍が会津に向けて超えていった道。

一方で。峠さえ超えれば豊かな平野が広がる。

圧倒的な自然の怖さに立ち向かおうとするとき、人の怖さ、いやらしさを自分はしばし忘れる。

生き物としての原始的な怯えが体の底からジワジワと蘇ってきて、それによって自分は生き物としてのココロを取り戻していくのだと思う。ガサガサと体の奥にそれを感じる。

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December 26, 2015

ディズニーとスターウォーズ


https://www.facebook.com/sakacharn/posts/1184839091544025

という投稿を見たのでちょっと。

新作はまだ観ていないのですが、ディズニーの好戦的体質については耳にしたことがありますが、あの戦争では日米ともに多くの作家が戦争宣伝に加担しました。もちろんディズニーだけではありません。

みんなに愛されて僕も大好きだった「のらくろ」は今の価値観ではただの軍隊礼賛モノですし、日本軍をこぞって慰問した有名作家の群れには今更触れるまでもないでしょう。

ウォルトディズニーは戦いも煽ったかもしれないし西部開拓を偏った視点で描いているかもしれないけれど、それでも現実とかけ離れた夢の世界も作りました。ピーターパンも戦っているし、ミッキーだって時に戦いますけどね。ウェンディも時には戦う女の子でありました。

男の子にとって。いやおそらく女の子にとっても、ファンタジーやアドベンチャーと背中合わせに血なまぐさい戦いがあります。それを夢で包んだことで罪があるならあるのでしょうが、ものごとはもう少し複雑であり、多面的に見る必要があるでしょう。

スターウォーズに関しては、きっと多くの人から同じような擁護の論が出るでしょうが、あれは戦いの物語でもありますが、父子の話でもあり、人間の善悪は何なのか、深い世界への構えも同時に用意してきました。

暗黒面に堕ちるなという警鐘のキーワードは常に現実の世界で自分に染み付いていると言わざるをえません。自分として、これが暗黒面だと実際の生活で思うことは確実にあるのです。

さらにスターウォーズは元来ディズニーが生み出したものでもありません。もちろん今後に注目ですがウォルトディズニーの「好戦的な」姿勢をスターウォーズの銀河戦争に繋げるのは些か牽強付会でありましょう。

ピクサーを立ち上げたスティーブジョブズはディズニーの重要な役員でもありましたが、かくいうアップルもファンタジーとカニバリズムの両面を持つ会社となりました。

詰まる所、我々は米国文化とその世界戦略についてどう理解するのかということであり、それはそんなに単純ではないだろうということです。

もっとも、日本は他のどの国よりもその飴の甘さと恐ろしさをわかっている国だと思うのですが、現状進行している様々な事態はつくづく残念なことです。

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December 24, 2015

クリスマスの夢

クリスマスになると苦笑混じりに思い出すことがある。子供の頃の「夢」だ。

「僕はね。クリスマスイブの日に渋谷で牛丼を食べているような人になりたいんだよ」

それを言うと、またバカなことを唐突に言い出したと祖母が笑っていた。

「お前はへそまがりだから」

あんたに言われたくはない。笑

どういう成り行きでそんなことを口にしたのか今となってはよく覚えていない。

で、僕は大人になって、イブになると吉野家の前を通る度にそれを思い出すのに、一回もそれが実現できていないことが気になっている。

あの時に自分が思っていたことは確かにあった。そしてそれは思いのほか、色んなことを象徴していたように思う。届いていない。それだけは確かだ。

それにしても昔のクリスマスはもっと凛として寒かったように思うよね。

メリークリスマス。世界。

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December 23, 2015

地域の邪悪

あまりおおっぴらに発語できないけれど、この国には、いやおそらくどの国にも「地域の邪悪」というのがある。その地域に育っただけで自然と身につける邪悪だ。その地域の人たちが皆、悪人だと言っているわけではない。

しかし、幼い頃から囲まれた周囲の大人たちのせいで、他の地域とはかけ離れた邪悪に包まれている。その邪悪を無視すればみな人のいい日本の田舎の人たちである。

しかし時としてこの邪悪が決定的な意味を持つことがある。原発だとか戦争だとか、国家の行く末を決めるような決断の時こそ、この邪悪は鎌首をもたげ、国を貪り邪悪の方向に引っ張る。

もちろんその邪悪に気がついて、そこから抜け出そうとする人たちもいる。

みな邪悪という言葉で理解していなくても心当たりがあるはずだ。

もちろん東京も例外ではない。

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失語

月並みな励ましは言うまいと思うと人を励ませなくなる。
月並みな正義を口にすまいと思うと正義を語ることはできなくなる。
社交辞令を言うまいと思うと、あなたの話をただ黙って聞いているしかなくなる。

言葉に溢れているようで、この世界に、響く言葉は少ない。少ないことに皆ぼんやりと気がついているから、薄い言葉にもとりあえず乗っておこうとする。そうでなければ虚しい。

それで平和になるならそれでもいいではないかとも思う時もある。

もちろん思わない時もある。

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December 18, 2015

頑迷な同姓主義はまだ見ぬ将来の家族のあり方を破壊する

夫婦別姓の問題に関して、別姓選択への疑問を呈する人達の意見がそもそもわかりません。別姓を選択することで起こりうる混乱は、外国の例を見てもわかるように想像できないからです。

生理として

「そういうのは嫌いだ。夫婦は同姓であるべきだ」

ということを感じる人がいることは理解します。しかしそれは生理的感覚であり、社会的制度としてそう思わない人の行動を縛るまでの、合理性はあり得ません。家族制度を壊す論に至っては論外です。

そういう頑迷な同姓主義こそ、こうした硬直した形式に拘泥することでまだ見ぬ将来の新しい家族のあり方を知らぬ間に破壊しているのだと知るべきです。

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«萎縮するためなのか。自由のためなのか。

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