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April 16, 2014

日常

長いこと仕事に待ち伏せされていたらしく、毎朝誘拐されて監禁され、夕方解放されるような状態になりました。

人生で一番難しいのはバランスだとつくづく思わされます。と、「バランス」という言葉から一番遠い生き方をしてきた私が思います。思ったからと言って何もどうにもならないんですけどね。

人は所詮未来の予想はできない。精一杯予想して、当然に裏切られて、それを折り込んでいたような顔をして精一杯生きて行くのだと思っています。
でも多忙にまかせて、2011以降に味わった悔しさや怨念、この国の手の届かないスケールの矛盾、2011年の5月に入った南相馬の原町の駅前など忘れないで、もうしばらくは生きていきたいと思っているという感じです。

この国は素晴らしいし地力もある。本当にそう思うのだけれど、当然ながら完璧ではない。あの年に天命を知るための大きなショックを与えられてそれから個々がどう生きるか、日常との折り合いをそれぞれがどうつけるか。そこなのかなと思うわけです。
我らは日常を忘れず、一方で天命を意識して。

ごめん。ちょっと勢いで書きました。

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April 05, 2014

淡々と

特に才気の走る文章ではない。ただ日常の一コマ一コマ。それはパソコンが壊れて買いに行っただとか、一人旅を初めてした話だとか、ケレンもテクニックもなく、淡々と日常を綴っているある人のブログをもう何年も読んでいる。人柄なのだろうか。惹きつけるものがある。

彼女のブログにただひとつ、どこにでもあるわけではない要素があるとすれば、それはかつて彼女が癌によって命が脅かされ、今もそこからの快復過程にあるということだけである。

だけであるって。

何だそれは。どこが「淡々とした日常」なのだと思われるかもしれない。
けれど、そのことがなお、いやそのことがあるから余計に彼女の日常の起伏のあまりない、当たり前のエピソードの一つ一つが印象に残るのだろうか。

いや。そうではない。例え病気のことがなくても、自分はこの人の毎日を読み続けているだろうな。そこにあるはずの何かを自分はうまく表現できないし、何か綺麗な、もっともらしい言葉でまとめる気もない。

その人も一度もコメントもしたことのないこんな読者のことを意識などしないで書いていることだろう。他人の人生の覗き見と言ってしまえば詮無い話だが、元来ブログとは日記であり、こういうものだった。

波乱万丈でケレンだらけの日常がより人を惹きつけるとは限らないし、平凡な顔をした深い日常というのがこの世界にはある。

残念ながらこの領域もTwitterやFacebookでは味わうことの難しいゾーンなのである。

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March 29, 2014

台湾の件は人ごとではないが

以下の記事が当意即妙な翻訳まとめとあいまって現在台湾で起きていることを理解するのに非常にわかりやすかった。

【台湾速報】抗議で揺れる台湾で「とある社長の独り言」にコメント殺到 台湾の反応「感動した!!」「シェアするべき」
http://taiwansokuhou.blog.jp/archives/4670333.html

このあたりを読んでいて思い出したのはなぜかアヘン戦争。アヘン戦争で欧米列強の脅威をまざまざとした日本がその後明治維新に向かっていく原動力の一つになったと言われている。

今回の脅威は中国であるが、いま起きている台湾の件は人ごとではない。欧米列強ではなくて巨大化する中国。確かに脅威を感じる。台湾が飲み込まれたら直接対峙感ハンパない。

そこに安倍政権の富国?強兵策が乗っかってくるのだろうと思うが、富国はともかく、強兵に関しては僕は疑問視している。台湾の事例を見てもわかるように軍事侵攻よりも恐ろしいのは経済侵攻なのだ。そういう意味でいたずらに軍事チキンレースに参加する時代ではない。平和主義云々ではなく戦略として疑問。

幸か不幸か日本の経済力は台湾よりも遥かに強大だ。むしろ経済外交戦争に本腰を入れるべきで、くだらぬ孤島争奪戦を利用して強兵策に挑むなどそれこそ現実的ではない。

明治維新に学ぶは良いがより富国(経済成長オンリーではなく他国との協調経済で存在感を確保する)戦争で勝利すべきなのが現代のパワーバランス。中南海以外の中国内の親日勢力とはどんどん連携を深めるべきだと思う。

戦略的に。

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March 28, 2014

無為の問い

もう少し待っていれば今年の桜だって見ることができたのに。急ぎすぎだ。

斎場の蕾を見上げて息が苦しい。

あの遠い昔。15歳のその人は15歳の自分に声をかけた。それはおそらく今日とそう変わりのない春の日だったが、校庭にはもう桜が咲いていたな。日の光が明るかった。かすかに朧げに、あの日の人懐こい笑顔が浮かぶ。

あれから今日まで幾年も生きてきた。長い時間が過ぎてみたら、その人は今夜白木の箱に眠っている。人の壁をよけて覗き込んで顔を見ると穏やかな表情で眠るその人がいた。

人生を生きてきた大人が、ひとり自分の意志で選んでこの世を去るのであれば我らにできることはおそらく何もない。

でも、もしも。
でも、もしも。

仮定の悔いは無為の問いとなって我らの胸の中をぐるぐる回っている。

でも、もしも。

これが逆になっていたならばなどと愚かなことを考える。ほんの数ミリの運命のずれがあったなら。逆になっていたならと。

その人は白木の箱に横たわる自分を見て、何と言ったろうか。バカ野郎とそしっただろうか。子供のように泣き濡れたろうか。それとも何も言わずうなだれたろうか。

なあ。聞いているか。
想像できるか。お前ならどうした。

お前はもうちょっとした大声では届かないところを今夜歩いているのだろうけれど、逆になったときにお前ならどうする。どんな風に俺の顔を覗き込むんだ。いつかそれだけは聞いてみたい。

またどこか桜の咲く場所で待ってろよ。

きっとまた会うだろうから。


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March 25, 2014

春日狂想

人が旅立つと電話の着信一つでわかる。いつからこんな風になったのだろうか。

この詩人の前には物心ついて以来、いつもあなたが立っていたので、あなたのことなのだか、詩人のことだか僕にはよくわからない時があった。

いま、あなたがそこを去ったので、僕は改めてあなたではなく、この詩人の辞世のような詩を読んでいる。

まこと世は酷く信じられないことが起きる。あなたのこのような退場を思い切り僕は誹るべきなのだろうが、そこにとうの昔からいるはずのない、あなたが遮っていた詩人しか残っていないようで、謗りの言葉も吐けないでいる。

こんな自分を見て、あなたがどこかまだその辺でにやりとしているなら、誠にそれも酷い話だ。

あまりのことに悔やみも言えない状況がこの世にはあるのだと知る。

春日狂想(中原中也)

   1

愛するものが死んだ時には、
自殺しなけあなりません。

愛するものが死んだ時には、
それより他に、方法がない。

けれどもそれでも、業〈ごう〉(?)が深くて、
なほもながらふことともなつたら、

奉仕の気持に、なることなんです。
奉仕の気持に、なることなんです。

愛するものは、死んだのですから、
たしかにそれは、死んだのですから、

もはやどうにも、ならぬのですから、
そのもののために、そのもののために、

奉仕の気持に、ならなけあならない。
奉仕の気持に、ならなけあならない。

   2

奉仕の気持になりにはなつたが、
さて格別の、ことも出来ない。

そこで以前〈せん〉より、本なら熟読。
そこで以前〈せん〉より、人には丁寧。

テムポ正しき散歩をなして
麦稈真田〈ばくかんさなだ〉を敬虔〈(けいけん)〉に編み ――

まるでこれでは、玩具〈(おもちゃ)〉の兵隊、
まるでこれでは、毎日、日曜。

神社の日向を、ゆるゆる歩み、
知人に遇〈(あ)〉へば、につこり致し、

飴売爺々〈(あめうりじじい)〉と、仲よしになり、
鳩に豆なぞ、パラパラ撒いて、

まぶしくなつたら、日蔭に這入〈(はい)〉り、
そこで地面や草木を見直す。

苔はまことに、ひんやりいたし、
いはうやうなき、今日の麗日。

参詣人等もぞろぞろ歩き、
わたしは、なんにも腹が立たない。

   ((まことに人生、一瞬の夢、
     ゴム風船の、美しさかな。))

空に昇つて、光つて、消えて ――
やあ、今日は、御機嫌いかが。

久しぶりだね、その後どうです。
そこらの何処〈(どこ)〉かで、お茶でも飲みましよ。

勇んで茶店に這入りはすれど、
ところで話は、とかくないもの。

煙草なんぞを、くさくさ吹かし、
名状しがたい覚悟をなして、 ――

戸外〈そと〉はまことに賑やかなこと!
――ではまたそのうち、奥さんによろしく、

外国〈あつち〉に行つたら、たよりを下さい。
あんまりお酒は、飲まんがいいよ。

馬車も通れば、電車も通る。
まことに人生、花嫁御寮。

まぶしく、美〈は〉しく、はた俯〈(うつむ)〉いて、
話をさせたら、でもうんざりか?

それでも心をポーツとさせる、
まことに、人生、花嫁御寮

   3

ではみなさん、
喜び過ぎず悲しみ過ぎず、
テムポ正しく、握手をしませう。

つまり、我等に欠けてるものは、
実直なんぞと、心得まして。

ハイ、ではみなさん、ハイ、御一緒に ――
テムポ正しく、握手をしませう。

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March 11, 2014

あの夜の「平和」

2011年の今日。自分の大きな勘違いのひとつは、みんなきっと北へ向かうだろうと思い込んだことだ。大惨事。きっと日常をいったん棚上げにして、ほとんどの人が東北へ向かうと思った。自分はいつ行こうどこへ行こうと考えた。抗うことはできなかった。他の選択肢もなかった。思い込んで3年だ。

こんな思い込みはきっと何かの勘違いだったのだろうと思う。世界はそんな風にできていない。個々の事情の最大値で。。いや違うな。風の吹かない人には永遠に風は吹かない。そのことは何も罪でも何でもない。自分とて3年間おろおろ歩き回っているだけだ。足元の世界すら変えられない。

自宅に帰り着いた3月11日の夜は、立ち往生した高校生のカップルを迎えに車を近くに走らせた。娘の友人だ。彼と彼女は比較的呑気な顔で現れた。やむなく家に泊めることになった2人にどれだけあの時救われたかと、今でも振り返る。身震いするのはその時かの地で何が起きていたか知らなかったことだ。

僕の頭の中ではあの夜の呑気な高校生のカップルと自分達、その同じ時間に原発で起きていたこと、南相馬で起きていたこと(ずっと後まで知らなかった)が頭で重なり後ろめたい気分になる。写真展に来てあの地獄のような彼の地の数日間を語ってくれる人がいた。問わず語りに言葉が口をついてでる。そして止まらない。

どうしようもないことなのに、あの日に彼の地がどんなことになっていたか。それを知らずに過ごしていた自分の「平和」とのギャップに身震いする。それは結局今でも埋まらない。どちらがどちらではないし、おそらく仕方が無いことなのだろうけれど、3年経ってもそこに行き着けない。

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February 19, 2014

グループ写真展「南相馬の今と昔」開催のお知らせ。

縁もゆかりもない南相馬に2011年の初夏に初めて足を踏み入れてから3年。出会う前から尊敬していたカメラマンの Katsuo Takahashiさんと、この3年ずっと僕たちと南相馬を繋いでくれていた 佐藤 喜彦さんと一緒にグループ写真展を開かせていただくことになりました。

当初ボランティアで入った南相馬の街に最初は満足にカメラも向ける事ができず、何を話したら誰と話したらいいのかもわからない状態でした。3年の年月がたち、グループ展の声をかけていただいたお2人に感謝です。

311以後。東京では散々震災の事を喋っている自分ですが、まだ現地では写真の公開もトークもしたことはありません。正直写真を撮る事以外には、街をうろうろしていただけであり、じっと街の人の話を聞いていただけです。自分の両手が南相馬に対してできたことは本当に何一つありません。

この3人の共通点はきっとパンフレットの高橋さんのリード文(記事末に引用)に的確に表現されていると思います。それは「怖さ」ということです。こんな怖いイベントは正直ないのです。何で引き受けたんだろうと今でも時折思いやめたくなります。苦笑

でも3人は3人のそれぞれの立場から、それぞれの理由で一番恐れている事をよいしょと力を振り絞って実行することになりました。こんなこだわりは人から見ればそれぞれ大したことがない小さなことなのでしょうが、それぞれの目からは大きく見えるのだと思います。人から見ると大した事ではない事でも、本人にとってはそれを超えるのが途方もなく難しいことというのはよくあることです。それをひとつひとつ超えて行く小さな努力もきっと復興には必要なことなのだろうと思い、足を踏み出そうとおもいます。

この街とのたった3年のおつきあいの中で、貴重な友人と尊敬する仲間を失いました。その人たちにも何もできていなかったことも悔いています。その悔いも繰り返さないためにも。

お近くの方はどうか足をお運びください。

(以下は パンフレットから高橋かつおさんのリード文です)

きっかけは佐藤がツイッター呼びかけた原町でのオフ会だった。

時は2011年7月某日。当時佐藤は震災後に気を揉んでいた故郷原町に数年ぶりに戻って来ていた。その折に殿岡は震災後初のボランテシアとして南相馬に来ており、高橋は4月から始めた撮影で南相馬に入っていた。

偶然集った3人は生まれ、年齢、仕事など立ち位置や背景は全く違い、原発に関しても今後の南相馬についても意見を異にするが、以降3人で何かできたらと話しており、気付けば3年の時が経った。タイミングの問題もあったと思うが正直、みな怖かったのだと思う。自分のフィールドで、しかも地元の方々に見てもらってその反応を見るのが。「よそ者の自分が」という後ろめたさもあったと思う。

それでも「あれから」3年を迎える今回発表することにしたのは世間の風化と、そして我々自身の中で風化することの危機感からだ。行政からもメディアからも半ば放棄され(=Abandoned)、文字通り「行き止まり」の地となった南相馬が3年を経ても何も始まっていない閉塞した現状とそれに対して何もできていない3人。その現状を少しでも打破できればと願い写真展開催に踏み切った。過去と現在の写真を通じてそれぞれの南相馬の未来を想起してもらえれば嬉しい。

最後に、今回の展示では地元出身の佐藤が南相馬の過去を、殿岡が野馬追を中心とした南相馬の現在を、そして高橋が震災以降の人々のポートレートを担当した。

文責 : 高橋かつお

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February 16, 2014

甚大な大雪被害--- 甲府の友人からの手紙

空前の大雪で陸の孤島となっている山梨県。甲府にいる高校時代の友人から現在の状況を伝えるメールと写真をいただいたので、アップさせていただいた。

(ここから)

皆様。ご心配いただき、ありがとうございます。
XXXXX@陸の孤島・甲府、です。
こちらの状況報告をします(長文)。

【2月15日(土)雪のち曇ときどき晴れ間】
まだ降っている朝方、試しにちょっと外に出てみました。
この時点での積雪が110cm超。
(甲府駅から武田神社に向かうメインストリートの)武田通りにはクルマの轍が残っており、
そこを歩いているひとがちらほら。クルマは皆無。
しかし、自宅からそこへ行くのが大変でした。
人が歩いたあとがあればまだいいのですが、全く歩いていないところは腰まで埋まります。
ラッセルをしなければならないので、少しの距離でも非常に疲れます。
こどもや小柄な女性ではとても無理でしょう。
吹き溜まりだと、場所によっては胸あるいは頭くらいまでの高さがあります。
ときおりサイレンが聞こえますが、幹線道路から一本内側の道へクルマは入れません。

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January 29, 2014

勇気と決断

311以後の論旨をここまでなめらかに理路整然と元首相(2人)が語ってくれる都知事選になったことをまず喜んでいる。彼らの戦略ありきという人もあるだろうし、国政への野望という人もある。

確かにそれはその通りだろうが、ご本人も言うとおり、首相まで務めた悠々自適の70を超えた「老人」があえて寒空に立ち、東京とは言え地方自治体の首長に立候補することに「悪意」を見ることは難しいものがある。勇気と決断には最大の尊敬を払いたい。

若い世代がというなら、若い世代がどんどん名乗りをあげていけばいいのだが、残念ながら投票所に足を運んでもらうことすら困難な状況である。三宅洋平さんのような人は多くはない。その厳しさは受け止めるべきだ。

細川さんの「足りないところ」「危ういところ」は皆で補うべきところだろう。

※ちなみに今回は投票前日に宇都宮さんと細川さんのどちらか「有利と思われるほう」に票を投じることにした。選択も公開しないのが自分の決断である。


【政見放送 NHK 2014都知事選 無所属 細川護煕】
http://www.youtube.com/watch?v=hb2oxZJbXvc&feature=share

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January 28, 2014

覚醒を

東京都知事の候補者として資質や人間性が飛び抜けているのは間違いなく宇都宮さんだと思います。だから頭が痛いのです。悩ましい。我らが東京をどう思っているのか。東京だけの選挙なのか、そうではないのかということです。

国を思うなど高尚なふりかざしをしなくても、一人ひとりが日々の生活を幸福に送ることは大事なことで、それを咎める権利など誰にもありません。けれど、東京もそれでいいのだろうか。実際311前、多くの東京人は福一のことも知らずに繁栄を享受していたのではないのかな。それで良かったのか。

人間性に優れた人はピュアです。妥協しない。だからこそピュア。そう思えば一本化などあり得なかったのです。でも政治はどうだろう。誰もが認めるいつも正しいことを言っているけれどいつも野党でいる政党があるとして、それはピュア度が足りないのではなく、寛容や柔軟、そして戦略が足りなかったのではないか。正しいことを言い続ければ必ずみんなにわかる時がくる。本当にそうだろうか。

こう考えてくると、特権意識ということではなく、東京の責務は重大なのだと気づく、それに比してこの数年やってきたバカげた騒ぎは余計に罪が深い。世界一どころじゃない。一からやり直さなければならない。選挙結果を憂慮すればキリがないが。

ここで書いても届かない顔のない「組織」へ。

覚醒を。

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January 23, 2014

「回虫」の死

かつてネットで「回虫」とまで言われた有名なネットストーカーが亡くなった。

このブログの古い読者であれば、彼の名前は知っているはずだ。あらゆる揉め事に顔を出し、よけいな事をし、当事者にからみまくった。

僕も数年前にやっかいなネットトラブルに関わる事になり、彼とは反対陣営になった。彼は僕の自宅や本名をつきとめ、職場や取引先に電話をし、ある宗教団体の関係者とともに、脅迫的な振る舞いを行った。そのことで自分は警察にも被害届を出す事になった。忌々しいといってあれ以上の忌々しさはない。

ところがその人が最近急死した。

東京から原発被害を免れるために熊本に移住し、なにか店を開いたようなことまではおぼろげに知っていたが関わるのも忌々しいので無視していた。

熊本に行った彼は九州への避難者の面倒を見ながらその店を拠点とし、いつか頼られる存在になったようだ。Twitterに彼の死を惜しみ、感謝を述べる人が後を立たず、正直僕はあんぐり口をあけて見ている。

人の一生はわからない。僕たちにとっては「回虫」のような存在であっても、その過去を知らない人にとっては、彼は熱心で親切な兄貴分だったようだ。死を惜しむ人たちに対して何も言う事はない。人の生涯は死ぬまでわからないし、あそこまで非業の限りを尽くした彼が、その「晩年」に少なくない人の尊敬を集めて亡くなったことに、僕は戸惑うとともに、どこかほっとしている。

紆余曲折があっても、人の一生は棺桶にはいるまでわからないという。

そういう意味では「回虫」は人になって旅立った。いや。人どころか、立派に最後を締めくくったのだと思う。

その点だけはこれからの人生の中で僕も近づければいいと素直に思う。

月並みな弔辞は述べたくない。これが僕の感じる全てだ。




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January 21, 2014

諦めない

思うのだけれど、人は脱原発で進歩も進化も諦める必要はないし、べきでもない。社会がこの技術を葬ったからと言って停滞するとは思えない。むしろ原発依存の思考停滞を問われている。処分のできないエネルギーは人を滅ぼす。かと言って、カネより命というのも違う。豊かさと命。両方追求するのが人類だ。それはそれでいい。

けれどもうひとつ。

人は誰も他人に自分以上のリスクを強要できない。東京を守るために浜通りにリスクを引き受けさせる。原発作業員にリスクを引き受けさせる。それをやむをえないとするあなたの論拠は何か。

誰も一人では生きられない。人にリスクを引き受けろと言うなら、あなたは何を引き受けるのか。あなただけの豊かな人生など、彼らは知ったことではない。

異論のある人とは時間があればネットではなくリアルにゆっくり話してみたいと思っている。

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January 17, 2014

【超乱暴な自分の現在の私的脱原発論(付都知事選)まとめ】

当面の不足する電力補充は火力でやれることがこの3年で実証されている。ただコストの先行高とエネルギー安全保障、環境への影響等の観点からそのまま放置できない。代替エネルギーが立ち上がるまでに空白の期間があることは予想されるので、この間いかにコストを押さえて電力会社を原発への一方的依存から離し、発送電分離と正当な競争の導入などに耐えられるよう、経営を再構築できるかという政策論になっていると理解している。政治家が本気になればできるというその点は小泉氏の言う通り。この政策論争は利権配分の戦いでもある。

そこで東電の解体、再構築の方策を巡る議論になる。
埋蔵金のように無駄なコストが原子力発電には隠されている。このコストをあぶり出して価格にフィードさせてもなおかつ値上げが必要なのかどうか。

現在の状況はあらゆるところで「変数」が隠されているので我らの正当な判断が妨げられている。その変数をあぶり出さないと即時停止なのか10年後に停止なのかは判断できない。

ただ再稼働は極めて困難。立地的にも保険会社等の引き受け拒絶的にも国家レベルの政争を巻き起こす可能性からしても。

宇都宮氏の考えている方向性は、真っ向からこれら既得権力を敵に回す「市民の戦い」 一種の市民革命の様相になる。甘美だがこの路線のほうが本当に脱原発を早く実現するのかどうか僕は判断がつかない。保守側の総反発を食らえば戦いはむしろ長引く危険がないかと思う。

小泉が代表しているのは自民党の一部でしかない=壊すと見せかけて再構築する は正しいと思う。ここのところ自民党の中枢はウルトラ国家主義者に乗っ取られているかのようである。これが補正されるなら歴史的な意味はある。もちろん市民革命を唱えるなら自民党は根こそぎつぶれるべきだ。しかし。さはありながら。。(論考中途

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January 06, 2014

2つの靖国

僕でも誰でも(たいていの人は)自分の国に思い入れはある。

子どもの頃から正月になると祖父に連れられて靖国神社に行くのが恒例だった。祖父は靖国で爆弾三勇士の話を何度も何度もしてくれた。祖父がそんなに思い入れを持って何かを語ってくれた記憶が僕にはほかにない。爆弾三勇士は確か像のようなものがあったように記憶しているけれど曖昧だ。

八王子から靖国神社のある九段下まで、普段会話もない祖父のあとをトコトコついてはるばる電車に乗って行くのは正直苦痛だったけれど、きっとじいちゃんには大事な習慣なんだろうと、子供心に納得させた。

祖母は決してこの正月のツアーに同行しようとはしなかった。靖国神社を祖母は敵視しており、毎年正月に参拝する祖父の行動を心底いやがっているようだった。祖母は正直なところ、小学校もろくにいっておらず、戦争で何がおきていたのか、何が起きていなかったのか、正確に把握していたかどうか疑わしい。けれど繰り返し繰り返し言っていた事から想像すると、敗戦で手のひらを返したように日本中が態度を変えて、全てを東条英機始めとする戦犯のせいにしてしまったこの国のありさまに、心底嫌気が差しているようだった。
祖母の本能的なカンは、国の英雄を、「手のひらを返して」誹る行為も、崇める行為も両方に嫌気がさしていたのだろうと今は思う。


けれど。

寒い冬の光の中で、愚直に八王子から正月になると靖国に詣で、何度も何度も爆弾三勇士の話をする祖父の着ていた地味なオーバーコートも僕は忘れない。

同じ戦中を生きながら、まったく正反対の態度をとる2人の老人に、僕はこの国の矛盾を言葉では表現できない形で学んだのだと今となっては思う。

「A級戦犯を合祀したらなんでいけないんですか」
「中国と韓国に言われたい放題でいいんですか。内政干渉でしょう!」

と意気込む人の話を聞くたびにぼくは、八王子のアパートを祖父と僕が出て行くのを苦々しげに見送っていた祖母と、爆弾三勇士の碑を見上げる祖父の地味なオーバーコートを思い出す。靖国のことを考え続けているのは、そんな幼時の記憶と深く結びついているのかもしれない。

世界に単純な事はそれほど多くない。
いきさつを知って考え抜いた上で、みなそれぞれが考えを決めればいい。
けれど、靖国に詣でることは、伊勢神宮や出雲大社に行くこととは、全く違う。
それが区別できていない人がいるように思う。
誰が何のためにあの神社を作ったか。

我らは何度でもだまされるのだ。

祖母があの目で僕に伝えた事だ。
祖父が身を持って知らせた事だ。

いや祖父にも思いがあったのだろう。
今となっては確認はできないが。

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December 25, 2013

メリークリスマス

マッチ売りの少女がクリスマスの夜に見た幻影は、マッチの炎の中に浮かび上がるクリスマスツリー、幸福そうに笑う家族。

僕達がいま幻影を見るとしたらそれはマッチではなく小さな小さな液晶の光の中。あなたの手の中にもあるそれ。

メリークリスマス。

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December 19, 2013

ダーツ

東北道を運転中に何度も何度も鳴る電話。悪い知らせであることは出る前からなぜかわかった。

予感は的中した。

高校の同級生であった友人が膵臓癌で急逝したという。唖然として言葉に詰まる。

11月の終わりに胃カメラを飲んで発見された癌は既に肝臓に転移していて手の施しようがなかった。ホスピスを勧められて、空き待ちをしていたが、ようやく入所できることになり、説明を聞いている途中で容態が急変。発見からわずか1ヶ月で鬼籍に召されたという。

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December 09, 2013

カナリア

もうよほどのことがなければ自分は徴兵されないだろう。そうなると戦に賛同するということは、この国の若者の誰かに「俺たちや国のためにお前死んでこい」ということに等しい。もちろん為政者の連中は全てそうだ。若い命を無数に殺してまでこの世に生き残らせるべきものとは何だろうか。

やはり311から全てに気がついたと言う人は多いだろう。あれほどの過酷事故で賢明なるこの一流国家は直ちに全ての凶の源を閉じると思った。ところがその閉じる手を止めようと押さえにきた力の狂気に度肝を抜かれた。同じ手がいまきな臭い場所に歩めと背中を押し始めている。

あなたは何を大袈裟にと思っているかもしれないが、ここかしこでカナリアが鳴き始めている。そしてその数は1羽や2羽ではないことに気づくべきだ。人間は愚かだけれど愚かすぎるわけでもない。


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September 20, 2013

二つ目の地獄はいらないー深刻化するフクイチ汚染水

原発事故当時、たった一度の事故で未来を捨てるのかと言われた。パニック脳とか放射脳とか今でも。さて2年半が経ってこれほど原発事故が恐ろしいものだといよいよ我らは知ることになっている。チェルノブイリ当時、あれは無知蒙昧な圧政ソ連の成せる技。遠い出来事だと思っていた。別の世界だと。


核燃料を冷やすために注いで一時はほっとした膨大な水は今や放射能汚染水という無限に増えるエイリアンの卵のような存在になり一帯を地獄に変えつつある。作業員確保も世界に救いを求めなければ無理だ。恐怖は去るどころかチェルノブイリと異なる地獄が10数万人の人から故郷を奪った。


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June 22, 2013

Oblivion ドローンの恐怖とロマン

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映画 「Oblivion」を見た。Oblivionとは「忘却」という意味。ネタバレになるからストーリーは書けないけれど、ただのSFではなく、人が人として何であるかまで想像を刺激する。

それにしても最近のハリウッド映画の描く人類の未来はそのエンターティメント強調路線にも関わらず、どこまでも暗い。

SFにでてくる武器や恐怖はその時代のトレンド最先端を反映する。思えば「マトリックス」や「アバター」で人類が武器としたのはガンダムのような巨大ロボット兵器だった。人類が人類の考えるもっとも恐ろしいものを世界最高水準で造影化するのがハリウッドだからだ。この映画では放射能汚染、核、クローン、さらにどうみてもオスプレイの進化形としか思えない戦闘機。

そして何と言ってもこの映画で恐ろしさを発揮するのは凄まじい戦闘能力を持つ「ドローン」である。

すでに世界中で毎日何十人、何百人もがドローンで殺されていると言われるがその数ははっきりしない。最近はFBIが自国内でも監視用のドローンを飛ばしていることが暴露された。ヒズボラがすでにドローンを飛ばしているという説すらある。

パイロットはアメリカの砂漠のただなかに隔離されたシェルターでゲームのように画面に映る遠い国の街角の敵対者を殺害する。普通の神経ではいられないために、たちまちPTSDに陥り長くは続かないというその「仕事」。そんな人間の弱さを救うのは、あるいはドローンをさらに操作する「人以外のもの」なのだろうか。


敵が誰であるのか最後まで一向に明らかにされないところも、現代の世界の地獄を描写してふさわしい映画だ。そんな地獄だけでなくロマンもある。オルガ・キュリレンコが本当に美しくトムクルーズは同世代とは思えない。お薦め。


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June 09, 2013

さ迷い道

TwitterやFaceBookはやはり昼間の大通りなのかなと思う。

その証拠に夜中にブログをさ迷い歩いていると、そうした昼間の通りでは出会わなかった言葉や事実にこつんと当たり、驚いて立ちすくむことがある。

僕が長い間、SNSなどというどこか浮ついた言葉が出るずっと前からブログをやっているせいかもしれない。何かが知らせることもあるのだ。

人は自分の自画像をいくつもの層に分けてそれぞれの層を見せる相手を決めている。それぞれの層は薄くてはかない。

人の姿の真実になんてその層を何枚も繋ぎ合わせても、何枚も通り抜けても、たどり着くことなんてできない。あなたの姿にも。僕の姿にも。

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June 01, 2013

メシも食わないで命がけでししゃも持ってくる居酒屋とかゴメンだぞ。

「命がけで全部のお客様をみていたら、命がけで全部のお客様を気にしてたら、ものなんか口に入るわけない、水くらいですよ」 「営業12時間の内 メシを食える店長は2流」(渡辺美樹ワタミ会長) そこまでしなくていいです。ご飯食べて。

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May 31, 2013

消えていくブログ


夜中に知人が嘆いていた。彼のうっかりミスで過去何年間ものブログの記事が消えてしまったと。バックアッップから戻しても数ヶ月分の記事しか戻らないと。



普通なら「よくあることだ」で済むんだろう。

「お気の毒にあはは」と。



ところが今回そうはいかなかった。僕はショックを受けた。



「うわあああ。マジか」



あわてて、google から彼のブログにあるはずだった記事を検索してみる。当然リンクは消えている。

うわー本当に消えてる。。。こんなことなら記録をとっておけばよかった。。とブログ主でもない自分が夜中に呆然とモニターを見つめている。



ここまで他人のブログにこだわるのも理由がある。



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May 29, 2013

悪魔

世の暗い部分だけを見て生きることもできるが、明るく楽しい部分だけを見て生きることもできる。どちらも同じこの世を見ているのだが、世の中を良くするよりも、全ての人の幸福を実現するよりも、それを無視して見過ごす方が明らかに遥かに容易だ。
但し。それが幸福な生き方になるかどうかは知らない。
忘れてるかもしれないが福島の悪魔は水に姿を変えている。数千個のタンクの中の汚染水だ。私やあなたが寝ている間もお笑い番組を見ている間も。24時間。これからも半永久的に増え続ける。タンクのボルトは劣化しつづけている。
もしも地面に漏れれば2シーベルト。誰も近づけない。こんな国になった。

「私達はパンドラの箱を開けた。悪が全部箱から出て行った後に、希望がまだ中にあるかもしれない。箱の底に。またみんなが幸せになれる日が来るかもしれない。自分の生きているうちには来ないかもしれないけれど。」(ハッピーさん)AP通信

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May 23, 2013

出所後の堀江さんのことを自分はこう話したらしい。-あの激しい時代を思い出す。

少し前だが知人の在英ジャーナリスト、小林恭子さんから、出所してきたホリエモンこと堀江貴文氏についての感想を求められた。元々は彼女が、非営利組織「欧州ジャーナリズム・センター」のための英文原稿を書かれるための参考資料だ。それはそれで立派な英文の原稿となってここに載っている。

しかし自分も、ちょっと答えればいいのに、かつての「ライブドア」「堀江貴文」といえばこのブログではどれだけ論じたかわからないということで、つい喋りすぎた。小林さんも困ってしまったのか(苦笑)ありがたいことに、あらためて日本語のブログ記事にもまとめていただいて、Yahooニュースに掲載された。

それが次の2本の記事。私だけではなく何人かのコメンテーターにより、今改めてそれぞれの「堀江観」が表明されていて興味深い。

堀江貴文氏に期待することは?(1)「速報重視の既存メディアに良い刺激になってほしい」(小林恭子)

堀江貴文氏に期待することは?(2)「ネット社会に国境はない」「海外にも積極展開を」(小林恭子)

私の話したことは(2)でかなり長く引用していただいた。小林さんには感謝に堪えない。あの激しい時代。激動の時代を思い出した。(どのブログも熱かったね)詳細は小林さんの記事を読んでいただければいいのだけれど、一つの記録として、このブログでも小林さんの記事から自分の関係した部分を引用しておきます。

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May 15, 2013

日本国憲法

そう言えばこんなの持ってたよ。 中はこんな本だ。日本国憲法。小学館。1982年4...

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