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September 27, 2016

見よぼくら一銭五輪の旗-花森安治

見よぼくら一銭五厘の旗

花森安治

美しい夜であった
もう 二度と 誰も あんな夜に会う
ことは ないのではないか
空は よくみがいたガラスのように
透きとおっていた
空気は なにかが焼けているような
香ばしいにおいがしていた
どの家も どの建物も
つけられるだけの電灯をつけていた
それが 焼け跡をとおして
一面にちりばめられていた
昭和20年8月15日
あの夜
もう空襲はなかった
もう戦争は すんだ
まるで うそみたいだった
なんだか ばかみたいだった
へらへらとわらうと 涙がでてきた
 
どの夜も 着のみ着のままで眠った
枕許には 靴と 雑のうと 防空頭巾を
並べておいた
靴は 底がへって 雨がふると水がしみ
こんだが ほかに靴はなかった
雑のうの中には すこしのいり豆と
三角巾とヨードチンキが入っていた
夜が明けると 靴をはいて 雑のうを
肩からかけて 出かけた
そのうち 電車も汽車も 動かなくなっ

何時間も歩いて 職場へいった
そして また何時間も歩いて
家に帰ってきた
家に近づくと くじびきのくじをひらく
ときのように すこし心がさわいだ
召集令状が 来ている
でなければ
その夜 家が空襲で焼ける
どちらでもなく また夜が明けると
また何時間も歩いて 職場へいった
死ぬような気はしなかった
しかし いつまで生きるのか
見当はつかなかった
確実に夜が明け 確実に日が沈んだ
じぶんの生涯のなかで いつか
戦争が終るかもしれない などとは
夢にも考えなかった
 
その戦争が すんだ
戦争がない ということは
それは ほんのちょっとしたことだった
たとえば 夜になると 電灯のスイッチ
をひねる ということだった
たとえば ねるときには ねまきに着か
えて眠るということだった
生きるということは 生きて暮すという
ことは そんなことだったのだ
戦争には敗けた しかし
戦争のないことは すばらしかった
 
軍隊というところは ものごとを
おそろしく はっきりさせるところだ
星一つの二等兵のころ 教育掛りの軍曹
が 突如として どなった
貴様らの代りは 一銭五厘で来る
軍馬は そうはいかんぞ
聞いたとたん あっ気にとられた
しばらくして むらむらと腹が立った
そのころ 葉書は一銭五厘だった
兵隊は 一銭五厘の葉書で いくらでも
召集できる という意味だった
(じっさいには一銭五厘もかからなか
ったが……)
しかし いくら腹が立っても どうする
こともできなかった
そうか ぼくらは一銭五厘か
そうだったのか
〈草莽そうもうの臣〉
〈陛下の赤子せきし〉
〈醜しこの御楯みたて〉
つまりは
〈一銭五厘〉
ということだったのか
そういえば どなっている軍曹も 一銭
五厘なのだ 一銭五厘が 一銭五厘を
どなったり なぐったりしている
もちろん この一銭五厘は この軍曹の
発明ではない
軍隊というところは 北海道の部隊も
鹿児島の部隊も おなじ冗談を おなじ
アクセントで 言い合っているところだ
星二つの一等兵になって前線へ送りださ
れたら 着いたその日に 聞かされたの
が きさまら一銭五厘 だった
陸軍病院へ入ったら こんどは各国おく
になまりの一銭五厘を聞かされた
 
考えてみれば すこしまえまで
貴様ら虫けらめ だった
寄らしむべし知らしむべからず だった
しぼれば しぼるほど出る だった
明治ご一新になって それがそう簡単に
変わるわけはなかった
大正になったからといって それがそう
簡単に変わるわけはなかった
富山の一銭五厘の女房どもが むしろ旗
を立てて 米騒動に火をつけ 神戸の川
崎造船所の一銭五厘が同盟罷業をやって
馬に乗った一銭五厘のサーベルに蹴散ら
された
昭和になった
だからといって それがそう簡単に変わ
るわけはないだろう
満洲事変 支那事変 大東亜戦争
貴様らの代りは 一銭五厘で来るぞ と
どなられながら 一銭五厘は戦場をくた
くたになって歩いた へとへとになって
眠った
一銭五厘は 死んだ
一銭五厘は けがをした 片わになった
一銭五厘を べつの名で言ってみようか
〈庶民〉
ぼくらだ 君らだ
 
あの八月十五日から
数週間 数カ月 数年
ぼくらは いつも腹をへらしながら
栄養失調で 道傍でもどこでも すぐに
しゃがみこみ 坐りこみながら
買い出し列車にぶらさがりながら
頭のほうは まるで熱に浮かされたよう
に 上ずって 昂奮していた
 
戦争は もうすんだのだ
もう ぼくらの生きているあいだには
戦争はないだろう
ぼくらは もう二度と召集されることは
ないだろう
敗けた日本は どうなるのだろう
どうなるのかしらないが
敗けて よかった
あのまま 敗けないで 戦争がつづいて
いたら
ぼくらは 死ぬまで
戦死するか
空襲で焼け死ぬか
飢えて死ぬか
とにかく死ぬまで 貴様らの代りは
一銭五厘でくる とどなられて おどお
どと暮していなければならなかった
敗けてよかった
それとも あれは幻覚だったのか
ぼくらにとって
日本にとって
あれは 幻覚の時代だったのか
あの数週間 あの数カ月 あの数年
おまわりさんは にこにこして ぼくら
を もしもし ちょっと といった
あなたはね といった
ぼくらは 主人で おまわりさんは
家来だった
役所へゆくと みんな にこにこ笑って
かしこまりました なんとかしましょう
といった
申し訳ありません だめでしたといった
ぼくらが主人で 役所は ぼくらの家来
だった
焼け跡のガラクタの上に ふわりふわり
と 七色の雲が たなびいていた
これからは 文化国家になります と
総理大臣も にこにこ笑っていた
文化国家としては まず国立劇場の立派
なのを建てることです と大臣も にこ
にこ笑っていた
電車は 窓ガラスの代りに ベニヤ板を
打ちつけて 走っていた
ぼくらは ベニヤ板がないから 窓には
いろんな紙を何枚も貼り合せた
ぼくらは主人で 大臣は ぼくらの家来
だった
そういえば なるほどあれは幻覚だった
主人が まだ壕舎に住んでいたのに
家来たちは 大きな顔をして キャバレ
ーで遊んでいた
 
いま 日本中いたるところの 倉庫や
物置きや ロッカーや 土蔵や
押入れや トランクや 金庫や 行李の
隅っこのほうに
ねじまがって すりへり 凹み 欠け
おしつぶされ ひびが入り 錆びついた
〈主権在民〉とか〈民主々義〉といった
言葉のかけらが
割れたフラフープや 手のとれただっこ
ちゃんなどといっしょに つっこまれた
きりになっているはずだ
(過ぎ去りし かの幻覚の日の おもい
出よ)
いつのまにか 気がついてみると
おまわりさんは 笑顔を見せなくなって
いる
おいおい とぼくらを呼び
おいこら 貴様 とどなっている
役所へゆくと みんな むつかしい顔を
して いったい何の用かね といい
そんなことを ここへ言いにきてもダメ
じゃないか と そっぽをむく
そういえば 内閣総理大臣閣下の
にこやかな笑顔を 最後に見たのは
あれは いつだったろう
もう〈文化国家〉などと たわけたこと
はいわなくなった
(たぶん 国立劇場ができたからかもし
れない)
そのかわり 高度成長とか 大国とか
GNPとか そんな言葉を やたらに
まきちらしている
物価が上って 困ります といえば
その代り 賃金も上っているではないか
といい
(まったくだ)
住宅で苦しんでいます といえば
愛し合っていたら 四帖半も天国だ と
いい
(まったくだ)
自衛隊は どんどん大きくなっているみ
たいで 気になりますといえば
みずから国をまもる気慨を持て という
(まったく かな)
どうして こんなことになったのだろう
政治がわるいのか
社会がわるいのか
マスコミがわるいのか
文部省がわるいのか
駅の改札掛がわるいのか
テレビのCMがわるいのか
となりのおっさんがわるいのか
もしも それだったら どんなに気が
らくだろう
政治や社会やマスコミや文部省や
駅の改札掛やテレビのCMや
となりのおっさんたちに
トンガリ帽子をかぶせ トラックにのせ
て 町中ひっぱりまわせば
それで気がすむというものだ
それが じっさいは どうやら そうで
ないから 困るのだ
 
書く手もにぶるが わるいのは あの
チョンマゲの野郎だ
あの野郎が ぼくの心に住んでいるのだ
(水虫みたいな奴だ)
おまわりさんが おいこら といったと
き おいこら とは誰に向っていってい
るのだ といえばよかったのだ
それを 心の中のチョンマゲ野郎が
しきりに袖をひいて 目くばせする
(そんなことをいうと 損するぜ)
役人が そんなこといったってダメだと
いったとき お前の月給は 誰が払って
いるのだ といえばよかったのだ
それを 心の中のチョンマゲ野郎が
目くばせして とめたのだ
あれは 戦車じゃない 特車じゃ と
葉巻をくわえた総理大臣がいったとき
ほんとは あのとき
家来の分際で 主人をバカにするな と
いえばよかったのだ
ほんとは 言いたかった
それを チョンマゲ野郎が よせよせと
とめたのだ
そして いまごろになって
あれは 幻覚だったのか
どうして こんなことになったのか
などと 白ばくれているのだ
ザマはない
おやじも おふくろも
じいさんも ばあさんも
ひいじいさんも ひいばあさんも
そのまたじいさんも ばあさんも
先祖代々 きさまら 土ン百姓といわれ
きさまら 町人の分際で といわれ
きさまら おなごは黙っておれといわれ
きさまら 虫けら同然だ といわれ
きさまらの代りは 一銭五厘で来る と
いわれて はいつくばって暮してきた
それが 戦争で ひどい目に合ったから
といって 戦争にまけたからといって
そう変わるわけはなかったのだ
交番へ道をききに入るとき どういうわ
けか おどおどしてしまう
税務署へいくとき 税金を払うのはこっ
ちだから もっと愛想よくしたらどうだ
といいたいのに どういうわけか おど
おどして ハイ そうですか そうでし
たね などと おどおどお世辞わらいを
してしまう
タクシーにのると どういうわけか
運転手の機嫌をとり
ラーメン屋に入ると どういうわけか
おねえちゃんに お世辞をいう
みんな 先祖代々
心に住みついたチョンマゲ野郎の仕業な
のだ
言いわけをしているのではない
どうやら また ひょっとしたら
新しい幻覚の時代が はじまっている
公害さわぎだ
こんどこそは このチョンマゲ野郎を
のさばらせるわけにはいかないのだ
こんどこそ ぼくら どうしても
言いたいことを はっきり言うのだ
 
工場の廃液なら 水俣病からでも もう
ずいぶんの年月になる
ヘドロだって いまに始まったことでは
ない
自動車の排気ガスなど むしろ耳にタコ
ができるくらい 聞かされた
それが まるで 足下に火がついたみた
いに 突如として さわぎ出した
ぼくらとしては アレヨアレヨだ
まさか 光化学スモッグで 女学生バッ
タバッタ にびっくり仰天したわけでも
あるまいが それなら一体 これは ど
ういうわけだ
けっきょくは 幻覚の時代だったが
あの八月十五日からの 数週間 数カ月
数年は ぼくら心底からうれしかった
(それがチョンマゲ根性のために
もとのモクアミになってしまったが)
それにくらべて こんどの公害さわぎは
なんだか様子がちがう
どうも スッキリしない
政府が本気なら どうして 自動車の
生産を中止しないのだ
どうして いま動いている自動車の 使
用制限をしないのだ
どうして 要りもしない若者に あの手
この手で クルマを売りつけるのを
だまってみているのだ
チクロを作るのをやめさせるのなら
自動車を作るのも やめさせるべきだ
いったい 人間を運ぶのに 自動車ぐら
い 効率のわるい道具はない
どうして 自動車に代わる もっと合理
的な道具を 開発しないのだ
(政府とかけて 何と解く
そば屋の釜と解く
心は言う(湯)ばかり)
 
一証券会社が 倒産しそうになったとき
政府は 全力を上げて これを救済した
ひとりの家族が マンション会社にだま
されたとき 政府は眉一つ動かさない
もちろん リクツは どうにでもつくし
考え方だって いく通りもある
しかし 証券会社は救わねばならぬが
一個人がどうなろうとかまわない
という式の考え方では 公害問題を処理
できるはずはない
公害をつきつめてゆくと
証券会社どころではない 倒してならな
い大企業ばかりだからだ
その大企業をどうするのだ
ぼくらは 権利ばかり主張して
なすべき義務を果さない
戦後のわるい風習だ とおっしゃる
(まったくだ)
しかし 戦前も はるか明治のはじめか
ら 戦後のいまも
必要以上に 横車を押してでも 権利を
主張しつづけ その反面 なすべき義務
を怠りっぱなしで来たのは
大企業と 歴代の政府ではないのか
 
さて ぼくらは もう一度
倉庫や 物置きや 机の引出しの隅から
おしまげられたり ねじれたりして
錆びついている〈民主々義〉を 探しだ
してきて 錆びをおとし 部品を集め
しっかり 組みたてる
民主々義の〈民〉は 庶民の民だ
ぼくらの暮しを なによりも第一にする
ということだ
ぼくらの暮しと 企業の利益とが ぶつ
かったら 企業を倒す ということだ
ぼくらの暮しと 政府の考え方が ぶつ
かったら 政府を倒す ということだ
それが ほんとうの〈民主々義〉だ
政府が 本当であろうとなかろうと
今度また ぼくらが うじゃじゃけて
見ているだけだったら
七十年代も また〈幻覚の時代〉になっ
てしまう
そうなったら 今度はもう おしまいだ
 
今度は どんなことがあっても
ぼくらは言う
困まることを はっきり言う
人間が 集まって暮すための ぎりぎり
の限界というものがある
ぼくらは 最近それを越えてしまった
それは テレビができた頃からか
新幹線が できた頃からか
電車をやめて 歩道橋をつけた頃からか
とにかく 限界をこえてしまった
ひとまず その限界まで戻ろう
戻らなければ 人間全体が おしまいだ
企業よ そんなにゼニをもうけて
どうしようというのだ
なんのために 生きているのだ
 
今度こそ ぼくらは言う
困まることを 困まるとはっきり言う
葉書だ 七円だ
ぼくらの代りは 一銭五厘のハガキで
来るのだそうだ
よろしい 一銭五厘が今は七円だ
七円のハガキに 困まることをはっきり
書いて出す 何通でも じぶんの言葉で
はっきり書く
お仕着せの言葉を 口うつしにくり返し
て ゾロゾロ歩くのは もうけっこう
ぼくらは 下手でも まずい字でも
じぶんの言葉で 困まります やめて下
さい とはっきり書く
七円のハガキに 何通でも書く
 
ぽくらは ぼくらの旗を立てる
ぼくらの旗は 借りてきた旗ではない
ぼくらの旗のいろは
赤ではない 黒ではない もちろん
白ではない 黄でも緑でも青でもない
ぼくらの旗は こじき旗だ
ぼろ布端布はぎれをつなぎ合せた 暮しの旗だ
ぼくらは 家ごとに その旗を 物干し
台や屋根に立てる
見よ
世界ではじめての ぼくら庶民の旗だ
ぼくら こんどは後あとへひかない
 
(8号・第2世紀 昭和45年10月)

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September 22, 2016

東京都写真美術館-杉本博司展 「嘘をついている者が」




世界が終わる33のかたち。様々な職業の33人の証言者が世界が終わった理由を綴り、その個々の世界を表現している。

なぜかこの中に嘘をついている者がいると感じた。その人数によって何かが少し変わるかなと考えたところで、ここに繰り広げられているのは33通りの未来であり、パラレルワールドでなければ、嘘つきは32人ということになるとたどり着く。

世界がその時まだ続いているなら全員が嘘をついている。あまり意味がない妄想だとは思う。

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September 11, 2016

想像力と希望





知というのは知識量でも、ましてや学歴でも階層でもなく、想像力のことではないかと最近強く思う。想像力があれば自分の見えない世界で起きている非道を想像できる。自分と違う立場の人々の苦境を想像できる。自分に何が足りなくて、何が満ちていて、何に対して傲慢なのか、何が人を傷つけるのか、何に対してどう貢献できるのか想像できる。
知識や技術が足りなければ、それをどうやって身につけるか想像できる。そのあとの世界も。

世界報道写真展の会場ではいつもどこかで誰かがすすり泣いている。悲しみだけれど、想像力と希望の音でもある。

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September 08, 2016

黒いハイネックとヒゲのキャラクター -Appleが輝いていた頃

息を飲んでその時を待つ。02:00という時間も気にならない。どんな手段でその時を共有すればいいだろう。刻々更新されていくサイトの写真にも興奮を覚える。何が発表されるか予想もつかない。この人の一挙手一投足に世界の目が集まる。今夜のその時間までと、今夜のその時間からは世界が変わるのだ。プレゼンの段取りが狂うような、機材のトラブルすら心躍る。どんな鮮やかな切り抜け方をするだろうか。

黒いハイネックのセーターは同じものを何十着も持っていたそうだ。人としてどうかと言われればおそらくクズだ。親としてどうかと考えれば、これもおそらくクズだ。だが才能としてどうかと言われれば間違いなく天才だ。天才という言葉すら卑小すぎた。

その人ですら挫折を味わい、駆逐され破産の危機に見舞われ、もう二度と帰って来れないかという表舞台に、これ以上ない舞台仕立てで帰ってきた。片手をあげれば世界がどよめく。そんな経営者は2度と出ないかもしれない。

Appleが最も輝いていた時代の話だ。

今。彼はそこにいない。その代わりに、日本企業から生まれたヒゲのキャラクターがAppleの製品の中で踊ることが高らかに宣言されている。来場者は拍手を送る。だがその拍手がかつてはレインボーだったとすれば、今は数色の色程度の話だ。誰だってわかっている。

彼が残したスマホは少しだけスリムに、少しだけ速く、少しだけ洗練されて、少しだけ電池が持つようになり、少しだけメジャーなコンテンツが乗るようになった。

失われたのはあの熱気。何回となく繰り返されたあの熱気だ。ここから先、その熱気を知らない子供たちが、Appleの製品を買うかもしれない。だがそのAppleは自分の知っているのとは別の会社だ。

忘れるべきものは忘れるべきであり、忘れるべきでないものは忘れるべきではない。繰り返しが繰り返しとして続いていくことは知っている。知ってはいる上で今朝の僕の感想の一部である。



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September 03, 2016

シン・ゴジラと平成ガメラ

今晩は。ご無沙汰ばかりでごめんなさい。

シン・ゴジラは僕にはあまりアピールしませんでした。何ていうのかな。日本政府の対応がどうとか、法的な面がどうとか、僕には退屈で、もっと怪獣ものの基本に徹して欲しかったです。特撮にももっとお金をかけてもらいたかった。どう考えてもハリウッドに比べて見劣りして、その分、色々な著名俳優を揃えて誤魔化している気がしました。

例えば最近新作のゴーストバスターズを見たんだけど、あれほどバカバカしいストーリーを圧倒的な特撮技術でリアリティ持たせるのがハリウッドの手法なんですね。ターミネーターにしろ、スターウオーズにしろ、いま新作を準備しているブレードランナーにしろ。

日本映画はハリウッドに対抗するなら、どろっとした人の葛藤。アメリカ人では描くのがなかなか困難な(ハリウッドではという意味です)心の機微を描いて欲しく、そこがラフだと特撮の未熟さばかり目につきます。

その観点では好きなのはやはり平成ガメラシリーズで、中山忍とかが出ていました。戦いの宿命性とか、憎しみを超えることだとか、見事に描かれていて、そちらに軍配を上げざるを得ません。

世代的にエバG世代ではないので、その分もシン・ゴジラが理解できないのかもしれないですけどね。

以上、怪獣ものにはちょっとうるさいBigBangでした。

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絶望が生む希望-世界報道写真展が始まった

2年間も改修のためにクローズしていた東京都写真美術館で今日から世界報道写真展。行きたいけど今日は混むだろうなあ。

毎回、何というか自分の心とか暮らしとか生きていくことだとか仕事とか、色々なことを考えていく時の大事なペースメーカーだ。

圧倒的な現実に、これほどまでに自分は世界を知らないのだと思わされ、また息を凝らして写真の前に佇む沢山の若い人達の姿に励まされる。

絶望が生む希望。


世界報道写真展始まる 第一線の写真家の150点紹介

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September 01, 2016

「100年の孤独」を読み返すことと「量子のもつれ」

祖母が逝って8年になるのか。

「100年の孤独」

自分が書いたものだけれど、時々読み返す。読み返した時に思うことはその時々で変わる。力をもらうこともあれば、打ちひしがれることも、忌々しく思うことも。

確かなのは、今はこれを読み返す時だということだ。

人の精神の歴史は、おそらくその個体の歴史ではない。引き継がれるもの、引き継がれてはならないもの、どうしようもないものもある。答を探す時に自分の体の中、頭の中だけを見ていても見つからない場合がある。

ところで実は人間の精神や心は宇宙を構成する元素と量子レベルで繋がっていて、遠く離れた人や死者の魂とも交感できる---交感と言っていいのかな。とにかく繋がっていて感応する。我々の体も心もそうした元素の起こす反応でしかないからだ。

最新の科学ではそうした次元を超えた感応を「量子のもつれ」と表現するのだと最近知った。

カルトではなくて、そうした考え方に立たないと説明のできないことはたくさんある。そういうことだそうだ。死者を思っても、自分の次の世代を見つめても、そうかもしれないとぼんやりと思っている。


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August 28, 2016

台風10号と福一

台風10号で福一を大丈夫かなと心配してる人多いけど、まあ普通に考えて大丈夫じゃないですよね。また著しい海洋への汚染水流出が起きる。東電もわかってるでしょ。僕らもわかってる。でもどうにもならないから仕方がないと思ってる。海へ流れちゃったら流れちゃったで。ていうか日本人の多くがそう思ってしまっている。天井にね、頭がぶつかってるんですよね。何か対策をって言われても何があるのか。自分にもわからない。

こういう場合の対処は、本当に悲しいけど2個しかないと思う。ひとつは気にしないこと。多くのこの国の人たちと同じように。もうひとつは、酷いことにならなければ運がいいくらいで割り切ること。つまり東電と同じかな。再核反応でも起きなければ、この程度ならば、すぐに人が死なないなら。と割り切る。辛いけど、この5年半で思い知らされたこと。福一のようにいったんなってしまったら人間にできることは本当に少ない。

でも福一に関してはそうでも、他の原発にはまだできることはたくさんある。止めて廃炉がベストだけれど、自分はそう信じているけど、安全対策だってたくさんある。

伊方原発。常識として半島の付け根に原発を作り、そこに何かあっても半島の人たちがどうにか逃げられるなんてありえない。船で逃すとかバスで逃すとか誰が信じる。そうじゃない。多少被曝しても死ななければいいでしょうくらいに考えている。人の安全は常識の範囲なのにそれを無視する。

再生可能エネルギーで日本のすべてのエネルギーを担うっていう難しい話じゃない。常識の範囲だ。そういう場所は動かさない。

その常識が通じない人たちが政権にも電力会社にも官僚にも経済人にも、あなたの友人にもいることが死ぬほどわかった5年半。

自分は嘆くばかりではなく、これでも希望を探そうとしているのだが。暗い気分にさせたらごめんなさい。

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August 22, 2016

恥ずかしいマリオ




マリオになって出てくるのが安倍総理ではなく往年のスポーツ選手だったら印象は全く違ったはず。BBC始め世界が驚いているのはこの臆面のなさ。それを褒め称える幼い国民。権力と文化の間に一線を引く矜持がない国だ。ハリウッドがオバマに役割を与えオバマが引き受けたりするだろうか。両者の拮抗の概念すらない。

この幼さが産むファシズムの危険がやはり懸念される。一事が万事。自分はひたすら恥ずかしい。

【BBC】Super Shinzo Abe Mario Brothers! #Tokyo2020

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August 11, 2016

人を信じる -Trust People

人は信じられるかもしれないが、国は信じられない。組織も信じられない。一人ひとりの人間が集合になった時に起こる邪悪から自分達は決して自由になることはできない。それは今目の前にいるあなたを信じられるかどうかということとは全く別のことだ。これは悲しみだけではなくて力でもあるのだが。




あの大震災の時Googleで起きていたことを振り返るTED
1-3 Masashi KAWASHIMA at TEDxTohoku 2011

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August 10, 2016

鵺であるなら要らない-安倍昭恵さんのこと

昭恵さんは首相夫人である前に1人の人間なのだから首相と違うなら違うと個人としての思想を堂々と表明すればいいこと。そんなことはあり得ないと言う人もあるが、夫婦であっても(相方が総理でも)考えが違うことは恥じるべきことでも何でもない。個人主義を基本とする欧米なら普通でしょう。

我らは陛下ですら1人の個人として動かなければならないことがある極限の例を見たばかり。

安倍昭恵という人は恐らく悪い人ではないのだろうが、(悪意でなければ)所々で甘い。ここで動くなら修羅にならなければならない。それができないなら動かない方がいい。

鵺であるなら要らない。

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August 06, 2016

オリンピックが始まった

人類は戦争はもちろん国威発揚を目的としたあらゆる場面から自由になることを目指すその1点のみで生き残れるのだと思っている。文化民族の多様性を表現するのはいいが国威を競うあらゆるものから自由になること。国ごとのメダル争いなど必要ない。いつかメダルの集計すら口に出されない世界に。どこの国のどんな民族がメダルを幾つ取ったではなく、その個人を讃える。それでいい。

そして。多くのスポーツの世界大会が別にある状況であるのに、敢えてこれだけの競技種目を一堂に集めて巨額の費用をかけて一斉に行うことの意味は何か。オリンピアの時代からは遠く離れ反対の声が強烈にある大会に臨んで真剣に意味を考える時に来ていると思う。単に華やかで良いと言うには巨大化しすぎた。数えきれない困難に直面してもそれでも我らはこのやり方でこれからもオリンピックを続けるのか。スポーツを見たければ個別の大会で見ることができる。

今となっては商業オリンピックは大変にバランスが悪い。意味を再度考えるべきだと思う。

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July 31, 2016

式神ならいらない

#今日投票ですけど 都知事なんていなくても回ると思うんですよ。ヒマだから毎週別荘に行けたり、石原さんみたいに週に2回の登庁で済むんだから。余計なことする知事ならいなくていい。あるいは、国の言う通りに振る舞う式神なら本当に知事はいらない。東京は首都だから国に吸収してもらって自治権は返上すればいいんです。東京都解体。 #すこしヤケ

まだ都知事選を総括するのは早いけど、大義と誠実(自分の心)というようなものがあって、どちらを選ぶかと言われたら誠実を取る人を評価せざるを得ない。自分としては。大義は恐ろしい。一気に逆ブレもあるわけです。そのときに胸を揺さぶって問いかけても目を合わさずに大義のためだと言う人はヤバい。

赤狩りもそうでしょう。逆もある。

今日言っていいことは「投票に行こう」だけだそうです。わかるけどそのレベルの話で汲々としている状況の中で、モノを考えているのか知っているのかわからない大群衆が100万単位の票を浴びせかけてくる。国政もそうです。この状況をどう考えればいいのか。

彼ら彼女らは誠実?

ショートカットはない。わかってるけど。

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July 22, 2016

発生するのはポケモンではなく怪しい人たち



いまさらポケモン たかがポケモン されどポケモン
それでもポケモン まだまだポケモン ここからがポケモン ほんとかよポケモン じじちゃんばばちゃんなにか起きてるのわかんないポケモン  

#発生するのはポケモンではなく怪しい人たち #位置情報ってだれのものでもない南極大陸 #がんばれ妖怪ウォッチ #いつもの判官ひいき #生成流転 #私たちはどこからきてどこへ行くの #風が吹けば位置情報屋が儲かるってなりませんのなりませんかキャラですかそうですか。

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高江のこと

10年位になるだろうか。
まだ高江を知らなかった頃。

家族でやんばるの森のエコツアーに参加したことがある。小高い丘の上に出た時東村のガイドさんがこの辺にヘリポートが出来る計画があるんですと控えめに反対のチラシを渡した。

へえと思ったが眺めてもただ広大な森しか見えず、チラシの意味もよくわからなかった。家族の反応も薄かった。

あれが高江だった。ずっと後に標的の村を見て心震えた。申し訳なかったなと今でも思っている。

今でも僕はあの時に丘の上から見た森が忘れられない。その高江が戦争になっている。

俺たちは生きている限り、まるで息を吸うように他者を見殺しにして、見捨てていく。罪深さを少しでも清めようと思うなら、その場所から動くしかない。

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July 15, 2016

皇室への無責任な尊敬

自分は天皇制には反対である。

それは陛下始め皇族の方々への反感があるからではない。むしろ逆で、この仕組みが他ならぬ皇族方に対して、この上なく非人間的で人権を無視した忍耐を強いるからである。この方たちには国民の持つあらゆる権利がことごとく保証されていない。儀式を執り行うことの見返りは、食べて生活することと尊敬という名の国民の至って無責任な感情でしかない。

それでも、天皇制が日本古来の大切な伝統、文化の礎であり、日本という国家にとってなくてはならぬものと思う人も多かろう。それであれば、なおのこと、陛下始め皇族方の、人間として当たり前の権利を行使する自由を保証するべく、現代的な新しい皇室をつくるべく努力すべきだと思う。それもしないで尊敬などとは笑止極まりない無責任ではないのか。

今回のことはそこが問われていると思う。

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July 10, 2016

投票の有無を秘匿する権利について

どの候補者に投票したかを秘匿する権利は当然のものであり、民主主義国家には不可欠の権利であると思います。しかしながら、投票したかどうかを秘匿する権利はあるのだろうかについては少し考えます。

思うに、この権利を守る必要があるのは、北朝鮮のごとき一党独裁国家が国民に踏み絵を迫るような場合です。棄権が即体制への反逆を意味すると見なされるからです。

日本においてはどうなのでしょう。「投票しない権利」なるものは守られるべきですか?(試行錯誤しながら書いています)思うにそれは単なる自らの権利の放棄であり、民主主義国家を支えていくための国民の責務(義務とは書きません)の放棄でしかありません。

罰則が無い以上、これをもって投票しなかった人を罰することはできませんが、「投票しない権利」や「投票しない自由」あるいは「投票したかしなかったかに関する情報」は保護されるまでの「権利」なのでしょうか?

自分の今まで学んだ知識の中では、それを積極的に保護すべき公理がこの国においては思いつきません。単なる怠慢や現実逃避、無知が招く行為を懲罰できないからといって、それらの「権利」を保護する必要などないと思っているからです。

反論もあるかもしれません。先に書いたように試行錯誤しながら書いています。

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July 02, 2016

量子もつれ

モーガンフリーマンの「時空を超えて」という番組の録画を見ていて、恥ずかしながら「量子もつれ」について今ごろ学んで少し興奮しているのだけれど、昔書いた記事に出てくる書籍
「光とは何か?人類が100年間も騙され続けた相対性理論の大嘘」
」は量子もつれの考え方を使えば説明できるという可能性に気がついた。げげげげ。
げにこの世は不可解に満ちている。

今まさに自分の運命に起きている想定外の事態も、もしかしたらこれで説明できないかと欲張って企てたが、少し考えてから止めた。まあこれは先に置いておこう。

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July 01, 2016

当たり前のことなんだけれど

言うには足らない当たり前のことだけれど、敢えて言語化するなら。仕事より大切なことなんていくらでもこの世にはあるわけです。だからと言って仕事を全部放り出して生きていける人などほとんど皆無。

バランス感覚は永遠の至言だと思いますが、その仕事より大切なことの中には、あるいは健康だったり、あるいはどうしても譲れないことだったり、自分以外の誰かの運命だったりもする。いや自分の運命も仕事だけでは守れません。で、なぜそれが大切なのか判断するのも自分なんですね。バランス感を決めるのも自分。

ともするとこの国は有無を言わさず至上の価値に仕事を置きますのでね。国も社会もそういう病と言ってもいいところがある。凄く当たり前のことなんだと思いますが、ちょっと彼我に対しても確認のために言葉にしてみた次第。

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June 26, 2016

遠かった




当たり前のことだけれど、ここに来ても何も覚えていない。同じ東京の中でほんの僅かな距離なのに、遠かったし、長かった。地番も変わってしまっている。

あなたはこの街で、長い年月何を考えて、どんな暮らしをされていたのだろうか。今となってはもう永遠にわからないだろうね。

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June 24, 2016

スカイツリーの近くで



ねえ。知ってましたか。俺はスカイツリーの近くで生まれたんですよ。もちろん当時はスカイツリーなんかありませんでしたけどね。(笑)本人も気がつきませんでしたが、スカイツリーを見ると何かやな感じがしてたのはこのせいですかね。忘れてましたよ。

あんなに避けて避けて避けてきた葛飾区のそのエリアに、仕事の合間に止むを得ず足繁く通っています。四半世紀もそれ以上も遅れて、まさかこんなことになるとはね。自分の愚かさと運命の数奇ぶりに真底から嫌気がさしてしまいますよ。馬鹿ですね。本当に。本当に。それにしてもね。

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June 22, 2016

人はなぜそこにいるのか

人はなぜその場所にいるのか。

答えは2つ。そこにいたいからいるのか、他に行くところがないからいるのだ。そんなことは当たり前だと思うかもしれないが、実は奥が深い。

行くところがないと思っていること自体が、思い込みである場合がある。そこにいたいと思っていたはずが、実は行くところがないからいただけである場合もある。

人はなぜその場所にいるのか。こんな簡単に見える問いが重いことに最近になって気づく。

あなたはなぜそこにいますか。

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June 10, 2016

身体なき頭脳-「彼ら」の狙い

アプリジャパンの会場に昨日一日中いたわけだけれど、自分にとってスマホ以後の世界でやはり面白いと思うのはロボットだなあ。ロボットの稼働ハードウェアの進歩は遅い。20年スパンでしか進化しない。ソフトウエアやクラウドのほうはCPU含め途轍もなく早いので、いまはロボットの知能に身体の発達が追いついていない状態。それで「身体なきロボット」であるディープラーニング(人工知能)が先に突っ走っているという話をされた演者があり、久しぶりにガツンときました。身体がないディープラーニングは既存の車などの稼働系に潜り込もうとしている。つまり既に「彼ら」の活動は始まっているわけですね。

技術は原発もそうだったんだけど、困ったことに人を滅ぼしかねないような領域が面白い。困ったことにね。これも「彼ら」の想定の範囲かもしれない。

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June 08, 2016

地獄の門

ちょっとしたことから、いやちょっとしたことでもないのだけれど、今まで避けに避けてきた自分のルーツと、この歳になってから向き合わなければならないことになりました。

唖然としております。

関わる人たちが次々と鬼籍に入っていく中で、こじれた物事も消えていくと思っていたのですが、その後には大量の故人の軌跡。まあ平たく言えば大量の戸籍謄本やら除籍謄本の山々。その一つ一つを掘り起こしていかないと、自分の場所には辿り着かないのです。

通常とか普通とかいうのがこの世にないのはわかった上で、敢えて通常という言葉を使うなら、自分には通常の人と比べて半分の世界しかなかった。

見えない半分の世界は、確かに存在しているし、その世界に触れようと思えば触れられるのに、生まれてからこのかた、そこを避けてきた。自分らしくなかったのですが。

自分はもうこの半分を知らずにこの世界を去るのだろうと、それもまた良しと思っていたのですけれど、ここに来てやられました。世の中そんなに甘くはなかったのであります。

半分の世界の地獄の門が開いて待っておりました。

どうしようもないトラップをかけないと、こいつは一生逃げ回る。ばれたのでしょう。高いところから網をかけられた気分であります。

これが救いなのか本当の地獄の入口なのか知りませんが、そして自分は神様を信じていませんが、神というものがあるとすれば、言わばそれは自分の反作用。自分というものの向かう方向に対して働く強烈な反作用のことなのかもしれないとも思います。

もう一度言うならそれが、その人の救いになるか地獄への入口なのかまるでわからないことも含めて。それがおそらく神でありましょう。

これも面白いと思うべきなのでしょうか。僕にはわかりません。この世は手強いですよ。皆様。

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May 28, 2016

謝罪のドミノ倒しは無意味だと思う

慰霊碑に頭を下げ、「罪なき」被爆者を抱きしめ、未来への決心を語るのもオバマ大統領であり、無人機で何千キロも彼方の人々を殺しているのもオバマ大統領であり、辺野古の海を埋め立てようとしているのもオバマであり、アルグレイブを廃止できないのもオバマ大統領である。業。だからこそbetter worldという言葉は重い。

米国が日本に原爆投下の謝罪などしたら謝罪のドミノ倒しになって、永久に日本は中韓に土下座だぞ。謝罪の最終ゴールが広島長崎で止まると思うなら日本人は甘すぎると思う。いま必要なのは謝罪ではなく後悔と決心だ。その意味ではオバマを支持する。言っとくがその意味では。だ。


これが茶番だと言うなら結構。我々は茶番という世界の中で苦しんで生きているのである。茶番にもベターな茶番とワーストな茶番があるのだよ。それすら区別しないならそこにはただの冷笑主義があるだけだ。


とにかく、はっきりしているのは、あれがスピーチだと言うこと。ザスピーチなんだ。そのレベルからの批判は批判自体もレベルを引き上げられるからまだいい。批判に値するレベルになっているということでそれが世界級の指導者だということ。叩くなら気合を入れて叩こう。どこかの嘘つきとは違うんだよ。

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«澄んだ瞳にも見えないものがある。もちろん濁った瞳にも。

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