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February 05, 2016

生き物としてのココロ

月並みだけど、東京は空が小さい。自然が小さい。でもモンスターのように人が多い。ありえないくらいに人が多い。

会津では空の広がりと風の匂い、雲や樹々を照らす光の僅かな色の変化を感じることができる。でも人はいない。ありえないくらい人がいない。

自分にとっての美しさも、恐ろしさも、厳しい冬の自然そのものになる。

磐越道中山峠は何度通っても緊張する。恐ろしい。恐ろしい。吹雪の上り坂を超えると、霧の下り坂。上下左右もわからぬ時すらある。

さっきまで穏やかな顔をしていたと思うと、瞬時にヤヌスの牙を剥く。稀代の難所と言われてきたのがわかる。ここがかつて官軍が会津に向けて超えていった道。

一方で。峠さえ超えれば豊かな平野が広がる。

圧倒的な自然の怖さに立ち向かおうとするとき、人の怖さ、いやらしさを自分はしばし忘れる。

生き物としての原始的な怯えが体の底からジワジワと蘇ってきて、それによって自分は生き物としてのココロを取り戻していくのだと思う。ガサガサと体の奥にそれを感じる。

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December 26, 2015

ディズニーとスターウォーズ


https://www.facebook.com/sakacharn/posts/1184839091544025

という投稿を見たのでちょっと。

新作はまだ観ていないのですが、ディズニーの好戦的体質については耳にしたことがありますが、あの戦争では日米ともに多くの作家が戦争宣伝に加担しました。もちろんディズニーだけではありません。

みんなに愛されて僕も大好きだった「のらくろ」は今の価値観ではただの軍隊礼賛モノですし、日本軍をこぞって慰問した有名作家の群れには今更触れるまでもないでしょう。

ウォルトディズニーは戦いも煽ったかもしれないし西部開拓を偏った視点で描いているかもしれないけれど、それでも現実とかけ離れた夢の世界も作りました。ピーターパンも戦っているし、ミッキーだって時に戦いますけどね。ウェンディも時には戦う女の子でありました。

男の子にとって。いやおそらく女の子にとっても、ファンタジーやアドベンチャーと背中合わせに血なまぐさい戦いがあります。それを夢で包んだことで罪があるならあるのでしょうが、ものごとはもう少し複雑であり、多面的に見る必要があるでしょう。

スターウォーズに関しては、きっと多くの人から同じような擁護の論が出るでしょうが、あれは戦いの物語でもありますが、父子の話でもあり、人間の善悪は何なのか、深い世界への構えも同時に用意してきました。

暗黒面に堕ちるなという警鐘のキーワードは常に現実の世界で自分に染み付いていると言わざるをえません。自分として、これが暗黒面だと実際の生活で思うことは確実にあるのです。

さらにスターウォーズは元来ディズニーが生み出したものでもありません。もちろん今後に注目ですがウォルトディズニーの「好戦的な」姿勢をスターウォーズの銀河戦争に繋げるのは些か牽強付会でありましょう。

ピクサーを立ち上げたスティーブジョブズはディズニーの重要な役員でもありましたが、かくいうアップルもファンタジーとカニバリズムの両面を持つ会社となりました。

詰まる所、我々は米国文化とその世界戦略についてどう理解するのかということであり、それはそんなに単純ではないだろうということです。

もっとも、日本は他のどの国よりもその飴の甘さと恐ろしさをわかっている国だと思うのですが、現状進行している様々な事態はつくづく残念なことです。

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December 24, 2015

クリスマスの夢

クリスマスになると苦笑混じりに思い出すことがある。子供の頃の「夢」だ。

「僕はね。クリスマスイブの日に渋谷で牛丼を食べているような人になりたいんだよ」

それを言うと、またバカなことを唐突に言い出したと祖母が笑っていた。

「お前はへそまがりだから」

あんたに言われたくはない。笑

どういう成り行きでそんなことを口にしたのか今となってはよく覚えていない。

で、僕は大人になって、イブになると吉野家の前を通る度にそれを思い出すのに、一回もそれが実現できていないことが気になっている。

あの時に自分が思っていたことは確かにあった。そしてそれは思いのほか、色んなことを象徴していたように思う。届いていない。それだけは確かだ。

それにしても昔のクリスマスはもっと凛として寒かったように思うよね。

メリークリスマス。世界。

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December 23, 2015

地域の邪悪

あまりおおっぴらに発語できないけれど、この国には、いやおそらくどの国にも「地域の邪悪」というのがある。その地域に育っただけで自然と身につける邪悪だ。その地域の人たちが皆、悪人だと言っているわけではない。

しかし、幼い頃から囲まれた周囲の大人たちのせいで、他の地域とはかけ離れた邪悪に包まれている。その邪悪を無視すればみな人のいい日本の田舎の人たちである。

しかし時としてこの邪悪が決定的な意味を持つことがある。原発だとか戦争だとか、国家の行く末を決めるような決断の時こそ、この邪悪は鎌首をもたげ、国を貪り邪悪の方向に引っ張る。

もちろんその邪悪に気がついて、そこから抜け出そうとする人たちもいる。

みな邪悪という言葉で理解していなくても心当たりがあるはずだ。

もちろん東京も例外ではない。

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失語

月並みな励ましは言うまいと思うと人を励ませなくなる。
月並みな正義を口にすまいと思うと正義を語ることはできなくなる。
社交辞令を言うまいと思うと、あなたの話をただ黙って聞いているしかなくなる。

言葉に溢れているようで、この世界に、響く言葉は少ない。少ないことに皆ぼんやりと気がついているから、薄い言葉にもとりあえず乗っておこうとする。そうでなければ虚しい。

それで平和になるならそれでもいいではないかとも思う時もある。

もちろん思わない時もある。

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December 18, 2015

頑迷な同姓主義はまだ見ぬ将来の家族のあり方を破壊する

夫婦別姓の問題に関して、別姓選択への疑問を呈する人達の意見がそもそもわかりません。別姓を選択することで起こりうる混乱は、外国の例を見てもわかるように想像できないからです。

生理として

「そういうのは嫌いだ。夫婦は同姓であるべきだ」

ということを感じる人がいることは理解します。しかしそれは生理的感覚であり、社会的制度としてそう思わない人の行動を縛るまでの、合理性はあり得ません。家族制度を壊す論に至っては論外です。

そういう頑迷な同姓主義こそ、こうした硬直した形式に拘泥することでまだ見ぬ将来の新しい家族のあり方を知らぬ間に破壊しているのだと知るべきです。

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December 11, 2015

萎縮するためなのか。自由のためなのか。

仕事の場で名刺を出したほぼ瞬間、下手をすればメールのやり取りだけでこちらのプロファイリングを一瞬にして終える人たちが増えてきた。それが当たり前の社会になりつつあるのを感じる。

人に対してネットで死ねとか言っていなくても、いきなり「拝見しました」とか言われると流石に「どれをよ!」と思う。笑い話で済む次元ならいいがこうしたところも社会の息苦しさに繋がりつつあるように思う。


「賢き」人々はそのリスクを避ける。無難に無難に。相手に対して攻めどころを与えない。
つまり発言しないのが一番だということになる。


けれど人智はそれを超えるべきなのだ。萎縮のためのツールなのか。自由のためのツールなのか。SNSも人間もその存在を問われている。おそらく勇気も。

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December 07, 2015

立ち上がらない友

ああ。この友人は立たないのだと思うことがある。立てというのではない。考える。恐れる。警戒する。逡巡する。バランスを考える。それらはみな当たり前のこと。

それを踏まえてなお、一気に立ち上がる人がいる。中腰を見せる人がいる。悩みつつ呟く人がいる。

そしてその中で、ああこの友は立たないのだと思う瞬間がある。立とうという意志もないのだと。その友とのこれまでの年月を思う。うなづける時もある。どうしても納得できない時もある。なぜ。と。

ああ。これがあなたの言っていたあの時の社会なのだと思う。それは劇的でもなければ悪魔的でもない。立とうとしない友と、それをわかっても批判のできない弱い心が皆で、皆して作り出して行ったのだと思い当たる。

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November 16, 2015

「意識の高い」あなたへ

うーん。自分が思うのは、事件があったときだけ何でみんな急に意識が高くなるの?というところ。普段、シリア情勢とか難民のこととか考えている人、どれだけいますか?関心を持っている人どれだけいますか?

そのことがいけないとか、いけなくないとか以前に現実はどうですか。ほとんどいないでしょう。

国家とか民族とかテロとかイスラムのこととか考えて暮らしている人、どれだけいますか?俺は考えてるぞじゃないです。世間的にはいないでしょう。ほとんど。全体的に。

一事が万事。そういうことを考えているなら最低限、自分の国の選挙には来ますよね。全てがつながっているということがわからないような人たちだから選挙にも来ないし、まして外国のことなんか意識していない。

東京タワーを三色にするとか、アイコンを何色にするかというのは、「意識高いみなさん」のための行為じゃないんです。まったく世界がどうなっているかわからない、関心もない人が、「お?タワーの色が変わったぞ?なんかあったのか?」て思ってくれるためのものなんです。割り切りましょうよ。

こういうメッセージの対象はあなたではないし、僕ではないんです。

そこで終わってはいけない?

そんなことは当たり前のことです。

フランスのときだけなぜやる?

じゃあレバノンがテロにあったときも、あなたはレバノンの国旗を掲げればいいじゃないですか。ガザの地獄を友人にも話して聞かせればいいじゃないですか。沖縄という犠牲を同朋に強いていながらどうすることもできない。そのやるせなさを日常の中で話せばいいじゃないですか。

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November 15, 2015

拳を掲げよう

シリアやパレスチナでは毎日のように起きていることが、パリやNYで起きると瞬く間に世界に広がる。人の命は平等ではないのかとすら思う。しかしだからパリを見逃していいわけはなくアレッポもガザも見逃してはならない。我らは全知全力をかけてそれらに抗議していくべき。例え力に限界があるにしろ。

もちろん人の力には限界がある。あなたも私も生きていかなければならない。その無力感と憤りと悲しみと。すべて抱えてそれでも彼らに抗議しなければならない。「絶対に殺すな」と。

パリで起きていることは明日東京で起きるかもしれない。だからこそ我らは東京で起きなければそれでいいではなく、それぞれがそれぞれの全力でパリにもアレッポにもレバノンにも拳を掲げよう。全てのことは繋がっているのだから。一国だけの平和も一国だけの戦乱もありえないのだから。

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November 07, 2015

ブーメラン

件の人はやはり所属企業を退社したのか。


事は時折、武器は使わなくても市街戦の様相を呈している場合があるが相手の所属企業を人質に取り巻き込んで圧力をかける手法はブーメランを呼ぶのだという教訓か。
但しこれは純粋に戦略の問題であって目的の是非を論じることとは無関係である。依然として彼らは糾弾されなければならないし、何としても批判は止めるわけにはいかない。


心意気とマインドには心から敬服しているし、その気持ちにいささかの揺らぎはない。戦略に多少問題があったということであり、おそらくそれを取り込んで立ち上がるだろう。はなからこれは生やさしい市街戦ではないのだから。ご本人も我らも学べばそれでいい。
遠景の火事だと思い込む人たちはそれはそれで自由である。いつでもどんなことでも彼らにとっては遠景なのだから。

「廊下は走るな」「信号は守れ」は世界一行き届いている国かもしれないけれど、残念ながらそれと同じくらい「憲法を守れ」「自分の意見を言え」「ヘイトはするな」という教育は行き届いていないどころか、世界最貧国のひとつですね。
残念なことではある。

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October 21, 2015

持ち分

自分的な感覚。

人は皆、持ち分というのがあって。デモをする人はその持ち分が。人を助ける人はその持ち分。助けられる人だって実はその持ち分を果たしている。

隣を覗き込んでああしろこうしろ言う前に自分の持ち分を果たせと、立ち上がったSEALDsの学生達にあれこれ言ってる大人たちを見て思う。

誰もあなたに何もするなとか、動くな。とか言ってないんだよ。

社会のことを真剣に考え始めて動き出した若者達を応援できることほど幸福なことはない。仮に彼らに多少の未熟があったとして、それが何だと言うのだろう。手を貸せるなら黙って貸せばいいし、違うと思えばその場所で動けばいいではないかと思う。

さて、大人とはなんなのだろうか。

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October 10, 2015

電子メールは絶滅するのか

娘に聞くと今の大学生の多くは友人のメールアドレスも携帯の電話番号も知らないそうだ。

LINEでらちがあかないと、LINE電話をしてしまう。結果優先順位は、LINE→(LINE)電話→メールなのだそうで、いやはや。事実は予想を凌駕する。友人の電話番号もメールアドレスも知らない世界が来てるわけね。

この世代のプライベート空間での電子メールは通常音声電話と同等に絶滅寸前なのでは。

年寄りが「今の子はなんでも電話じゃなくてメールよねえ」なんて言ってるうちに、もしもし?メールも終わってますけど状態。


電子メールと言う中途半端な?メディアがプライベート空間では意外と早く終焉を迎え、LINE電話とはいえ音声電話は残るのか?

というあたりは興味深いと思って見ている。

伝達手段のアナクロさによっていわゆる旧来の音声電話が消えるにしても、それは声によるコミュニケーションを否定しているわけじゃないんだよね。

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October 08, 2015

民主党はどう考えているのか

離れるべき人はとっくに自民を離れている。今でも自民支持の層は鉄板でありそう簡単に離れない。与党の票は今後も激減は考えられないので総数で対抗できる野党票をまとめるしかないが、民主と維新、共産陣営が二極のままで部分的選挙協力しかしないなら、前者から後者への票の移動があるのみかと。

自民票の流動性は低い。流動性があるのは野党間。3極で参院選に突入するなら、民主党は大きく票を減らし共産はさらに伸ばすだろうが、与野党間のバランスに大きな変化はない。民主票の減りを共産が吸収するだけだからだ。自民は多少減らすだけ。公明の落ち込みで多少打撃か。だが安定確保。

与党から野党への票の流れが限界であるのなら普通に考えれば方策は2つ。投票率をあげて無党派層を取り込むか、野党再編あるいは統一名簿で実質上野党票を自民に拮抗させるしかない。民主党はどう考えているのか。この素人でもわかるフレームが違っているなら伺いたい。

ただし根性論は聞きたくない。

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October 05, 2015

『ドキュメント72時間 夏の終わり 国会前の路上で』

ちょうど帰ってきた娘がちらっと画面に目をやって

「これNHKでしょ。こんなのやってるの。すごいじゃん」

とつぶやいて足を止めた。しばらく画面を見つめている。すぐ気がついたんだな。
スタッフとすれ違いざまに「NHKはちゃんと報道しろよ!」というデモ参加者の声が入っていたのをカットしないできっちり流していた。この番組はこういう番組。単に局単位で見ていると見えないものもある。


以前NYロケでは、いきなり

「日本ではいま福島について話すことはタブーだって聞いたけど本当?」

と唐突に話しかけてきたアメリカ人女性の発言をノーカットで流していた。この番組はNHKの牙を隠した偽装の羊なんだ。


新宿二丁目の、その筋の定食屋に真夜中に取材に行った時は、客からいきなり

「取材してどうするんだ。NHKが何しに来た。結局動物園に来るような目であんたたちは取材するだけだろう」

と強烈に言われる。スタッフは朝まで議論して最後は仲良くなるんだが、そんな場面なんて普通は丸ごとカットですよね。全部ではないがスタッフのため息までオンエアした。

明け方の街に最後は笑顔で手を振って消えていったゲイのおじさんに涙が出た。


よく見ていればわかることがある。想像できないような制約の中で針の孔ほどのメッセージを通すことに文字通り命を削っている人たちもいる。

中国共産党と中国人を一緒にしてはならないように、組織と人とを同一視してはならない。そこに生きる現場のメッセージを見逃してはならない。

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October 02, 2015

「本を持って町に出ろ」

あんな知的な若者たちを「感情的」だとか「衝動的」だとか選挙行ってんのかとかよく言えるなあと思う。


勉強などデスクが向いているタイプとストリートに出てくるタイプとは一般的には共存しないんだけれど、それが奥田君の生い立ちでわかるような、それぞれの特殊な環境により、微妙なバランスで共存している。そしてそこに、時代がかみ合った。どれ一つが欠けてもおそらくSEALDsは出てこなかった。


デモなどにおけるコールやドラムなど、エモーションを掻き立てるアピールに拒絶反応を示す人がいる。「ノーパッサラン!」とか。最後は感性の問題でもあるので、快不快の差異はいかんともしがたいのだけれど、それはそうとして、僕は彼らを見ていて、もっと勉強しなければいけないなあとこの年になって思わされた。


まあそこそこ、これでも全然やらなかったほうではないと思ってるんだけど、当たり前の話だけれど勉強は一生のものだからね。思想にもトレンドがあり、不滅ではない。


そういう意味で、彼のこのツイートには深く共感する。短いけれど、何かこの世の本質を突いていると思っている。それはフィールドと思想を結ぶ、新しい言葉なのだ。かつて寺山修司が言ったことが、今の風で言い換えられた。


このツイートを見るだに、何かに到達するために必要な、生きてきた年数というやつはおそらく、あまり関係ないのだろうなと思う。


RT @aki21st: 「本を捨てて町へ出よ」とか、そういう事も思ってないよ。勉強したほうが良いに決まってる。本を持って町に出ろ。


しかし。


こうやっておっさんが、妙に持ち上げることはきっと彼らは欲していない。


誉めそやすことよりも一緒に戦おう。本を持って街に出よう。

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September 26, 2015

見えない

自分の目で見なければ見えないものがある。見に行かなければ誰も見せてはくれないものがある。

例えばこの道の両側に広がっている風景は容易なことでは撮影できない。何が見えるか。言葉にはならない。

時折カラスだけが鳴いたりする。それも伝えることはできない。

もちろん目には見えない悪魔の気配も。


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4.4μSV/h on road.

初めて常磐道から浜通りへ。大熊付近。高速内最大放射線表示は4.4μSV/h。



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福島菊次郎さん逝く

菊次郎さんには幸いにして世田谷の講演会で接することができた。激しい戦いの一生を描いた映画に圧倒された後で登場したご本人は小さな体の優しい目をした人だった。話し出せば戦前からの長い権力との戦いに話が及ぶ。カメラを構えれば曲がった背中が凛と延びるのだ。年金も拒絶した生涯。

美だった。

かつて世俗を捨てて住んだ無人の地には寄り添う女性がいた。菊次郎さんのあまりに苛烈な清貧に耐えかねて、女性はひそかに菊次郎さんの商業写真の仕事を探そうとする。

菊次郎さんは怒り狂った。

「おれは福島菊次郎だ。俺を理解できないなら出ていけ」

女性は泣く泣く出ていったが菊次郎さんを気遣いそれでも付かず離れずの場所にいたが、その後病気でなくなった。菊次郎さんは男泣きに泣いたという。

反権力
反天皇
反自衛隊
反米

猛ける怒りと力。とても我らはついていけるものではない境地だったが、水俣病の患者の写真は本当に凄まじかった。

激しすぎる生き方と、それを静かに支えてこられた娘さんの存在も映画で知った。

もとより自分の到達できる領域の人ではない。しかしありがとう菊次郎さん。あなたに自分は確実に勇気をもらった。

安らかに。

http://mainichi.jp/graph/2015/09/25/20150925dde041060048000c/013.html

(ニッポンの嘘)
http://bitters.co.jp/nipponnouso/

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August 20, 2015

「本当に悲惨な独り身の最期」を読んだけど

20〜40代の若い人達に言いたい。独身生活、または結婚しても子供を作らない生活は、健康で人生を楽しめるうちは確かに楽で楽しいかもしれない。だが、あなたたちが老人になり、衰えていく時に、世話をしてくれる家族がいないと本当に惨めで不幸な死に方をすることになる。独り身は老衰スピードも速い。80歳まで元気に生きてある日ぽっくり死ねる自信がないなら、悪いことは言わないから、結婚して子供を作った方がいい。それも1人ではなく、2人3人を大切に育てるんだ。3人も子供がいれば、あなたと配偶者が衰え死んでいく時に、それを見守って支えてくれる人は、結局家族しかいない。

だから家族を作れ。結婚しろ。子供をつくれ。怖くないのか。独り身が。と脅し文句でたたみかけるのは、何か違うんだな。

人類の理想は自由に生きていくことだ。その自由に生きていくことの中には、自由に生き、しかし孤独に死んでいく自由も含まれる。そして、最後のセーフティネットが本人である社会は、決して人間にとっての理想点ではない。それは社会や国であるべきなのだ。

もちろんそうした社会や国家に頼らず「のたれ死ぬ」覚悟すら自由の選択肢としては残るが、選ぶのと他に選択肢がないのとは違う。断じて。

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July 18, 2015

憲法9条と自衛隊

安保法制について、自衛隊の存在や日米安保条約が既に違憲性を含みながら国民の間に受け入れられていることを持って、「集団的自衛権についてのみ厳格に違憲性を問うのはおかしい。国際情勢の変化に関して自衛隊では解釈を織り込んでいるのになぜ集団的自衛権では織り込めないのか」という論があるようだ。メディアを含め友人の中にもそうした考えを持つ人がいる。これについて思っていることをちょっと書いてみる。

まず憲法9条の条文を凝視してもらいたい。

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

9条1項で否定されているのは「国際紛争を解決する手段として」の戦争、武力による威嚇または武力の行使である。

従って「前項の目的を達するため」と始まる第2項で否定されている「陸海空の戦力」や「国の交戦権」は、「国際紛争を解決するための」手段としてのそれであり、外国の侵略行為に対して無条件に武力による自衛権まで否定しているわけではない。したがって国土防衛のための最小限の軍事力である自衛隊の存在は合憲である。---

これが長い間に自民党を中心とする戦後保守陣営が、一定の理解を国民に得られたところの自衛隊の合憲性であり、現在では共産党を含め自衛隊の違憲性をいう政党はない。国民は自衛隊の存在に対して違憲性を言わずここは「解釈の範囲」としてきた。

それでも自衛隊の存在が憲法上、曖昧性があることは事実であり、自分としては第9条に自衛権の存在を明記する必要がある。その方向で改憲が必要だと思ってきたし、今でもそう思っている。

日米安全保障条約に基づく米軍の存在を合憲とした砂川判決も、この自衛権を明確に憲法に織り込むことでより明確に担保されると思う。(日米安保条約への個人的かつ政治的思いはここではいったん置く)

ところが。安倍政権の解釈改憲は真っ向からそれを超える程度と度外れた乱暴な論理でやってきた。

長くなるから簡素に言うが、現在の政権の唱える集団的自衛権とは、この自衛権を巡る解釈とは次元の異なる概念である。国土を防衛する最小限の戦力というところまでは、国際情勢の変化の中で織り込んできた日本国民も、国土が侵略の直接的危険に至るはるか手前で、内閣の「総合的判断」で、地球の裏にまで出かけていく行為を、合憲とは織り込めない。織り込むわけにはいかない。ここで限界に至っているのであり、だからほとんど全ての憲法学者が、違憲判断を下しているのである。

従って安倍政権が行うべきことは2つにひとつ。この法案を取り下げるか、憲法を改正するかのみである。維新案に至っても自分としては改憲なしには成立させるべきではないと思う。

さらなる悲劇はこの政権が、こうした歴代の保守政治の取ってきたスタンスに準じた議論を行う意志も能力も持ち合わせていないことである。このような政権を生み出した我らの最大の過失がいま我らに牙をむいている。

改憲へ進むことで行為的整合性は保たれるが、この政権にそれをさせては絶対にならない。それを許して地獄への道を日本国民が歩むなら、言葉はないし止めようがない。

法は廃案にできるが、改憲となるとそう簡単にはいかない、そこまで我ら国民は愚かではないと思うが。

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May 30, 2015

友人へ

東京には東京の戦い方がある。福島は福島の、沖縄は沖縄の戦い方があるように。みながみな、自分の場所で、自分の時間で、自分のできることを誠実にひとつひとつやるしかない。

もちろん「まずはここに来てみろ」はどんなときにも正しいと自分は思う。行きもしないで、自分の目で直接確認しもしないで、先入観でものをいうのは避けたいと思う。これはあらゆる人が。あらゆる人がだ。あなたもそして私も。行ける場所ならそこに直接見に行くべきだ。


けれど、いつかはみな自分の場所に帰っていく。帰った後は、帰った場所で、暮らしている場所でやれることをやる。東京には「残念ながら」そして「幸福にも」、さらに「不幸なことに」壊れた原子炉はない。海上保安庁の監視艇もいない。


でもこの街には、国会議事堂がある。首相官邸がある。考えられないほど多くの政府機関があり、石を投げれば(投げるなよ)届く場所に最高責任者がいる。大きな声を出せば聞こえる。


あなたなら東京にいたら何をしますか?
「残念なことに」原子炉も保安庁の船もない街で。

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May 24, 2015

戦場ぬ止み -月並みな予想を裏切られるドキュメンタリー映画





「戦場ぬ止み」
※いくさばぬとぅどぅみ と読みます

単なる辺野古反対の運動映画だと思って見に行くといい意味で期待は裏切られます。ご自分の立場に関わりなく本当にみんなに見に行って欲しい映画。

僕はこれを見てちょっと辺野古の問題に対する意識が変わりました。僕たちはひとつの現象を理解するのはそんなに簡単なことではないのだと思い、同時に福島のこともずっと考えていました。何が違うのかと何が同じなのかとか、いろんなことを。浜通りの人たちにも見てもらいたい。どう感じるかな。

沖縄のおばあ、文子さんの語る沖縄戦のすさまじさ、翁長さんの出てくる高揚感。海保とのやり取り、ゲンさんという人間のこと。見るべきところがたくさんあります。

東中野のポレポレで。昨日から始まったばかりです。

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May 23, 2015

「正しい戦争」

「正しい戦争」と「間違った戦争」の区別などない。戦争は戦争である時点で全て「正しくない」。必ずしも世の人はそう考えていないのかとちょっと驚いている。

正しい戦争はないがやむを得ない戦争があることは理解している。区別するなら「必要な戦争」だったか「不要な戦争」だったかだと思う。

では勝っていれば正しい戦争だったのかということだ。正しくない理由は負けたからだと言うならわかる。その延長で米国は原爆投下を戦争を終わらせるために正しかったと言っている。

もしも日本に反撃能力があり、ニューヨークにも核が落とされていたなら、最初の核攻撃を正しかったとは言うまい。

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May 22, 2015

世界征服と弱気なマッチョ

現代に生きる全ての日本人にとってポツダム宣言が踏み絵になるならそれもまた違う。「世界征服が狙いだった」と言われてその通りだと心の底から頷く日本人が多いとは思えない。

大事なのは歴史認識であり異を唱えるなら唱えればいいのだ。読んでいないとか逃げるのが一番見苦しい。弱気なマッチョか。

その点においては「受諾したということである」以上のコメントができない官房長官には一抹の理解を示せる。バカのふりして無責任に逃げるよりましである。
#ふりか素かしらんが

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