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November 24, 2004

小田和正という存在-月曜組曲での驚異5

小田和正という存在-月曜組曲での驚異
小田和正という存在-月曜組曲での驚異2
小田和正という存在-月曜組曲での驚異3
小田和正という存在-月曜組曲での驚異4

今週は、財津和夫がゲストだったけれど、それよりも印象的だったのは
この曲。


果たして小田和正の「人生を語らず」(吉田拓郎)を
聴ける日が来るとあなたは思いましたか?


センチメントを嫌い、叙情を嫌い、感傷と干渉を嫌う。

青き年のころ。そんな心の頑なさのなかにあって僕に見えなかったものを
そろそろもう一度見てみてもいいのではないか。

今までこの番組を見てきて、そんな思いにたどり着いている。

「今はまだ人生を語らず」

この「今」というのはいったいいつだったのだろうか。
吉田拓郎がこの歌を歌ったのは、74年だからおそらく
彼が28才のころのもの。

最近、若い頃に聞いた「恥ずかしい青い曲」をもう一回聴いてみよう
という、これもまたある意味とても恥ずかしい行為を覚えてしまった
ようなのだが、これも小田和正のせいかもしれない。

小田和正がこんな真っ向からある意味「恥ずかしい行為」を
しているのであれば、自分ごときがもう一度それをしても許されるのでは
ないか。こういう考えもずいぶん不遜と言えば不遜だけれど。

この歌を聴いて、当時16歳の自分は思ったものだ。
確かに今の自分には人生を語るのは早いかもしれない。
でも、いったい「人生を語っていい時期」というのは一体いつなのだろうか、と。
おそらくぼんやりとそれは30前後だと思い込んでいた(根拠なしにだよ)
ような気がする。
そのくらいになれば自分でも語れる日が来るんじゃないか。
吉田拓郎も、その年にはまだ少し(僕に比べれば)足りないから、こんな風に
歌っているのではないか。

そんな風に思っていた気がするのです。

でも、はい。その通り。
間違いだったね。

30歳を遥かに過ぎて、今の自分に見えている世界と人生は16歳の時に
比べて決して深くも広がってもいないように思える。
確かに知識や経験は増えたけれど。

「人生を語る」なんて恥ずかしいことはもちろん一生しなくてもいいのだけれど
この言葉が意味していることは、もっとほかにあるんじゃないか。
「青春の恥ずかしい歌見直し」のプロセスとしては、まだ見えていない世界が
少し見えてきたようにも思うのである。

つまり。
つまりこういうことだ。
賢明な読者にはおわかりだろう。

「人生を語るべき時期」なんてものは、おそらく永遠に。
永遠に来ないのだ。
この歌は、「永遠に来ない瞬間」を歌っている。

吉田拓郎はこの歌を作ったときにそれがわかっていたのか。
そして今夜歌っている小田和正は、それを知っているのか。

知っているんだろうね。きっと。

永遠に来ないことがわかっていても、そのことを歌う場合があるのだ。
歌わなければならないことがあるのだ。
それはあたかも「平和」や「理想」と並べられるような稀有のはかなさと
通じるものがあるかもしれない。

僕達は、永遠に来ないかもしれないもののためにも、悩み祈る。


==============================================

「人生を語らず」(1974年 吉田拓郎)


朝日が昇るから、起きるんじゃなくて
目覚めるときだから 旅をする。
教えられぬものに 別れを告げて
届かないものを 身近に感じて

 越えて行け そこを 越えて行け それを
 今はまだ 人生を 人生を語らず

嵐の中に 人の姿を見たら
消え入る様な 叫びをきこう
わかり合うよりは たしかめ合う事だ
季節のめぐる中で 今日をたしかめる

 越えて行け そこを 越えて行け それを
 今はまだ 人生を 人生を語らず

あの人のための 自分などと言わず
あの人のために 去り行く事だ
空を飛ぶ事よりは 地を這うために
口を閉ざすんだ 臆病者として

 越えて行け そこを 越えて行け それを
 今はまだ 人生を 人生を語らず

おそすぎる事はない 早すぎる冬よりも
始発電車は行け 風を切ってすすめ
目の前のコップの水を ひと息にのみほせば
傷も癒えるし それからでもおそくない

 越えて行け そこを 越えて行け それを
 今はまだ 人生を 人生を語らず

今はまだまだ 人生を語らず
目の前にも まだ道はなし
越えるものはすべて 手さぐりの中で
見知らぬ旅人に 夢よ多かれ

 越えて行け そこを 越えて行け それを
 今はまだ 人生を 人生を語らず


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Comments

はじめまして。
本当に意外ですね。私は途中から聞いたのですが、この曲たしか小室だったかなと思ってました。
これから時々遊びにきます。

こんにちは。はじめまして。
ちょび爺様。(何だかかわいらしいハンドルで・・)
小室等が歌っていたよという話はほかの方からもいただいたのですが、僕は全然記憶がないんですよね。
小室版も聞いてみたいなあ。

九州ではこの放送がなかったんです。楽しみにしていたのに…。なぜか「戦争」関連の特番がやってました。この野郎ですね。だから、この記事を読んで何があったのか分かり、助かりました。拓郎の歌を小田さんが歌っているのを頭に描きながら、私も語れるはずもない人生を思いながら「人生を語らず」の詩を読みました。ちなみに、この歌が世にでたとき、まだ私は小学1年生でした。

> 自称・歌うたいのつぶやき さん。
どうも。

オンエアがない地域でも、気ににしている方が
多いというのが、小田和正の底力(?)ですね。
ついついこのシリーズを続けてしまいます。

今後ともよろしくです。

はじめまして。
掲示板を見ました。
私のほうは「月曜組曲」月曜日の深夜にやっているのですが、12月13日分の録画に失敗しました。
費用と寸志負担しますので、録画されていたらコピーしていただけませんでしょうか?
お返事お待ちいたします。

>AtoZ さん

今晩は。掲示板ってなにかな?残念ながら録画はしていません。お役に立てなくてすみません。

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