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November 15, 2004

友へ---追悼の言葉

今となっては君の耳には届かないけれど、君の友人達に
読んでもらうことで、どこかでどのようにしてか、で
君に届くことを、不合理にも期待して書きます。

芝居を見に行かせてもらいにいく以外に何もできなかったけれど、
最後に告別式で君を見送ることができたのは僕の幸運だった。

久しぶりに見た君の顔はずいぶんとやせ細っていて驚いたけれど
告別式の弟さんのお話では、君は亡くなる最後の瞬間まで、僕達の
良く知っている「奇抜でやんちゃ」な君だったようで、それは
近しい人たちにとっては、大変なご苦労だったようだけれど、
今となっては、皆がみな揃って、滑稽なほど自分らしさを貫いて
走り去ってしまった君のことを、自分自身の生き方とどこかで
比較しながら。心に留めたと思う。

ただ、もっともっと君の芝居を見せてほしかった。

ところで、きっと君は気がついていたと思うけれど、あの君と
同様に「やんちゃでエキセントリックな」作家の小説に、君の
事が少しだけ出てくる。
君がいたときだったら、失礼で言及するのもはばかられたけれど
今だから許して欲しい。

作中に登場する、病に倒れたAを助けようとする
その人の言葉だ。

「わたしの前の夫は役者でした。彼の本棚にAさんの本があ
りました。彼の父が肺癌で闘病している最中に、一方的にわた
しが悪いんですが、夫と離婚したんです」

「なにかのため、だれかのためではなく、ひとにはこころか
らやってみたい、どうしてもしなければならないことがあると
思うんです。その気持ちだけはわかっていただきたいんです。
お願いです。ごいっしょさせてください」


読んですぐに「役者だった前の夫」とは君のことだとわかった。
授業になるとトレーニングウェアのまま稽古場から現れて、授業が
終わると足早にまた戻っていった君と話す時間は僕はあまりなかった
けれどAは確か君があの頃あこがれていた劇団の主宰者だったと
記憶している。

限られていたけれど、一緒に時間を過ごした人に、こういう風に
言ってもらえる君を、僕はあのときとても羨ましく感じて、また
その言ってもらえる相手が幸運にも自分の友人であったことにも
誇りを感じたよ。

シャイでカッコつけの君に直接こんな不躾な話をする機会は、今生でも

今生でも来世でも永遠にないだろうけれど、君を知っている人たちの
間で、そして君を心から惜しんでいる人たちの間で、君の思い出として
ほんの少し共有することを許してください。


心からご冥福をお祈りします。
そして、ありがとうございました。

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Comments

過労死してしまった友人のことを思い出します。
誰もが、彼の事を、頭が良く性格も良く、親兄弟の面倒をしっかり見る、立派な人だと誉めていた。
美人で気立ての良い奥さんと一緒になって、これから幸せな人生が来そうな時、仕事が大変だったとか...。
金融機関に勤めていたので、特にあの頃は大変な時期で、真面目だった友人は必死に働いたのでしょう。
突然、過労で亡くなりました。

いい人だったが、あまりにも、人のためを考えすぎる男だったのです。
あんなに人のためを考えていたら、長生きはできません。
自分の健康を粗末にしてしまった。

ご友人も、ご自分の芸術にすべてを賭けていた。
その結果、健康がおろそかになったのでしょう。
ただ、私の友人と違って、ご友人はきっと天国で腕組みでもして、下界を見下ろし、澄ましているように、私には思えるんです。
やり残したことは多くても、全力で生きたから意外に悔いが少ない人生だったかもしれません。

多くの人が、友の事を本気で泣いて哀しんだ。
良き人だったので当たり前でしょうが、馬鹿な奴だと思うのです。
奥さんが、家族が、置いて行かれてどんなに辛かったか。
少しだけでも、過労にならないように、無理を重ねさえしなければ、...。

馬鹿な奴という言葉は、本来、この過労死した友人の如き者を差して言う言葉です。
見ず知らずの死者を誹るために言うべき言葉ではない。
人間、最低限の礼節というものがあります。
人に対して最低限の敬意を払えぬ者に、どのようにして、敬意をもてるのか。己を他人に軽蔑させたい人間が、こんなに世に多いのが、実に残念です。

貴方が忘れない限り、ご友人は人々の心の中に生きている。
貴方自身も世の人に忘れ去られた頃に初めて、ご友人も世の人に忘れ去られる。
形あるものは必ず無くなる。
すべてが無くなる定めであることを見つめた上で、迷いを絶つ。
そこに悟りの道が在るというのが、仏教でして。

ご友人は先に往く者であり、いつかまた、我々は彼に会います。
我々もまた、定めある命ですから。

何となく格好がつくという理由で、般若心経は(アンチョコありですが)唱えられますので、在家ですが、勝手に唱えておきました。多分、ご友人は福音派ではないと思うので、宗派がどうのと、細かい事は言わないかなと...。
在家の経など、気は心、程度のものですのでね。

ちなみに、この発言登録するのに、20分近くかかりました。
最近、ブラウザが強制終了するし、BigBanさんのブログにコメント書くと、エラーが出やすい気がする...。
単に、深夜なので混んでいると考えれば良いんですが。

まあ、この程度で文句言ってるようじゃ、ネットをやる資格はないかもしれません。
コメントの文章を保存が必要だったので、書き直してブログに登録でもするかな(笑)
BigBanさんのコメントがブログに登録されていたのを見た後で「私のブログに登録しようとしたら、攻撃があったのかな」と考えちゃいましたよ。


りーとさん。ありがとう。

>何となく格好がつくという理由で、般若心経は(アンチョコありですが)唱えられますので、在家ですが、勝手に唱えておきました。多分、ご友人は福音派ではないと思うので、宗派がどうのと、細かい事は言わないかなと...。

思いもかけない、ありがたいことです。
彼の宗教は知りませんが、福音派でないことだけは間違いないでしょう。苦笑。

破綻に近い人生をおくり、死んでいく人がいます。
こうした人に悲しみと、ある種の「憧憬」とを複雑に持ちながら私たちは「馬鹿なやつ」と呼びます。

そうだな・・・極端な例を引いてしまいましょう。

「クマのプーさん」のクリストファーロビンです。いつもプーが馬鹿なことをするたびに「ばっかなクマの奴」とつぶやく彼。思えば友人はクマのプーのようなことばかりしていました。
その上プーより目立ちたがり屋で・・
(おかしな話になってしまった。)

こんな半端なコメントではなくて、今度時間があるときにまたこのことは記事で書こうと思います。とにかく心強いコメントです。

ありがとうございました。


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