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November 19, 2004

果たして「闇」は変わろうとしているのか?-「むぎ茶」と「ネオむぎ茶」と「電車男」

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まだ2ちゃんねるが今ほど巨大ではなく、ITベンチャーが球団を買うなど
遠い未来でしかなかった、ネット世界の神話の時代。
「むぎ茶」というハンドルを持つ魔神がうごめいていた。

「むぎ茶」は決して媚びない、妥協しない、なじまない。
虚偽を見抜き、偽善に敏感でとてつもなくニヒルで露悪家。
それでいて、寸鉄人を射るような言語と頭脳の鋭さを持つ。

僕は今でも「むぎ茶」なるものが残した掲示板の書き込みを思い出すたびに
鳥肌が立つ。

そうだ。あの頃。渋谷に「ビットバレー」などという馬鹿げた呼び名が付き、
成金ぶった青二才が昨日あつらえたようなスーツで街を闊歩し始めた90年代。
ネットバブル前夜。

「むぎ茶」なるものは、悪のヒーローだった。

決して「むぎ茶」と闘ってはいけない。手を出してはいけない。
それはネットの世界になじみ始めた者には不文律だった。

なぜなら「むぎ茶」はあなたの心の中の「嘘」を見抜くからだ。
あたかも、あなたの心の中から現れた者のように

しかし、「ビットバレー」の嘘臭さが露見し始めた頃、「むぎ茶」は突然
姿を消した。

その名前が衝撃的な形で再び姿を表したのはあの時だ。
佐賀のバスジャック事件の「ネオむぎ茶」である。
2ちゃんねるに犯行を予告した彼の使ったハンドルは「ネオむぎ茶」。
あまりマスコミは報じなかったけれど明らかにあの悪のヒーロー、
「むぎ茶」を意識していた。

生きていく途中で、育っていく途中で、誰しも一度は悪に惹かれる。
それは「悪」は思い切りが良く、迷いがない(ように見える)からだ。

「バカはバカだ」「そんな奴は死んでしまえ」こう、口にするときの暗い
すがすがしさはどうだ。正義ぶってそれに反論しようと思えば、こうした
単純思考の連中に比べて何万言も費やさなければならない。
たどたどしく愛を説かなければならないし、誠実を、人としての倫理を
口にしなければならない。

そんなものは格好悪い。
奴らはそれを知っているのだ。

「むぎ茶」が「ネオむぎ茶」に伝えてしまった悪は、あのような最悪な形で
終末を迎えた。「むぎ茶」が色濃く持っていた、「誠実そうな不誠実を許さない
姿勢」や「本当そうに見える嘘を決して見過ごさない」姿勢はきれいに
フィルタリングされてしまい、いさぎよいかに見える「悪」だけが受け継がれた。

僕にとってあの佐賀のバスジャック事件はそういう事件だった。

さて、時が移って電車男である。
かつて悪の巣窟のように扱われた2ちゃんねる、むぎ茶やネオ麦茶が生まれた
その場所を舞台に、全く新しいタイプの純愛ドラマとして「電車男」は
現れた。

愛や恋の物語はいつでもあり、それには共通のオーソドックスなスタイルは
確かにあるのだけれど、電車男のスタイルの新しさは、かつて泥水のように
扱われ、某キャスターが「便所の落書き」とまで呼んだこの電脳の魔窟を
思いがけない明るい世界として21世紀に創出した。

果たして「闇」は変わろうとしているのだろうか?

電車男の誠実さ、ひたむきさ、それを応援する集団が作り上げていく恋愛の
理想世界は、この泥水のようだった闇世界を、少しでもまともなものに
見せるには、おそらく多大なる効果をあげることだろう。
僕のように、闇のネットを記憶し、「むぎ茶」のようなヒールの恐るべき
スタイリッシュな後姿を覚えている人間のほうが、少数派になっていくのかも
しれない。
そう言えば、「出会い系」という言葉も当初のいかがわしさをすっかり薄め、
反抗期を過ぎた子供のようにものわかりの良い笑顔で、あなたに親友のように
とりつく。


だが、思い出す。

「誠実そうな不誠実を許さないこと」

「本当そうな嘘を許さないこと」


そして

「決して妥協をしないこと。媚びないこと」

それをもしも、闇の世界の英雄の数少ない置きみやげだとするならば、電車男が
もてはやされる世界の、一皮剥いた裏側に、ひずんだ闇や残酷、不誠実は隠されて
いないか。口当たりのいい物語の余韻に酔うのは良いが、すっかり姿を変えた「闇」に
私たちはどう対峙するか。

村上春樹が「アフター・ダーク」で書いたよりもはるかに、この世界の闇は複雑に
姿を変えてあなたの後ろに潜んでいるのかもしれない。


このブログに来た人ならわかるはずだ。

まだまだ「悪意」は消えていないのである。

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Comments

多分、インターネットはとりあえず、より完全な社会の縮図となりつつあるのでしょう。つまり、社会に闇が深くなっているので(なかなか解決できない問題が多いから)、伝統的に教育学や心理学の素人しか採用しない文部科学省が悪いに一票。
素人ばかりで「ゆとり教育」とか、決めないでくれ。
土曜日を完全休みにしないで、「ゆとり教育と総合学習の日」にしたらどうかなあ(話がずれてますね)。

りーとさん、どうも。
インターネットの闇が(闇がそこにあるとして)一般社会の
縮図に近づいていく世界は、少しもスリリングではないという面もありますが・・スリリングであるということに遊びおぼれてもいけないでしょうけれど。

いずれにしてもこの記事の内容はもはや神話譚の類ではあります。

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