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December 26, 2004

小田和正という存在-クリスマスの約束の衝撃

今夜はちょっと驚いた。
番組や楽曲そのものは、ほとんどが「月曜組曲」の再放送だったので、
あらためて、聴き逃した歌詞とか、曲に集中して聴きなおすことができた
のだけれど(実際番組も1回だけ見そびれて飛ばしているのだ。僕の場合)

その合間に小田和正のコメント。

「テレビはこれで最後にしたい。年齢的にも限界にきている」

とか

「終わったということを、終わりましたとはっきり言わずに、”あいつら”に
伝えてやりたい。オフコースはもう終わってるんだと。」

短いけれど、重く重くさしはさまれていたからだ。

この番組は、彼のこの衝撃的なコメントを残し、後はほとんど何の加工も
なしに、「月曜組曲」のダイジェストを繰り返した。
異論はいろいろあるだろう。でも、僕はこの制作姿勢は支持したいと思う。


彼の言葉自体にショックを受けると共に、実は自分はそれは十分にわかって
この番組を見続けていたことにも、気がついた。

そうだ。小田和正は、「終わって」あるいは自ら「終わろうと」している。
終わろうとする、彼の意志の奥にどんな感慨があるのかはわからない。
言うとおりに体力的な、あるいは気力的なことなのかもしれない。
最近の楽曲に満足していない、あるいは限界を感じているのかもしれない。
一通りのことは成し遂げたという、達成感なのかもしれない。
一段階を終えようとしているだけで、その先に何かが見えているのかもしれない。

それは、彼の心の中にあることだから、僕にはわからない。

今後、もちろん曲は創り続けてはいくのだろうが、彼にとってはそれは
「終わった後」の世界なんだと知る。

しかし、どう考えても自分の中の何かに幕引きをしようとしていることだけは
既に伝わっていた。
言葉はきついけれど、この番組はきっと彼の音楽的な(とあえて言っておこう)
遺書になると僕は前から思っていた。

自分にはわかっていたはずだ。

実際そうとでも考えないと、理解できないような、ある種の「エネルギー」
が彼からは発せられていたと思う。一連のオンエアを通じて。

誰に向かってそれ=「終わり」を伝えようとしたのか。
若い世代には、むしろ自分の経験をせいいっぱい伝えようとしてくれていたの
だろうから、その「終了」の宣言は、オフコースを結成のころから聞いている
僕達の世代に向かって、真っ直ぐになされたものだろうと思う。

おそらく、僕達はそれを悲しむべきではなく、途方に暮れるべきではなく
率直にこの希代のミュージシャンが、ここまで自分をさらけ出して、
メッセージを送り続けてくれたことに感謝すべきだろうと思う。

僕達は、この「月曜組曲 風のように唄が流れていた」~「クリスマスの約束」
を通じて、かつて大事にしていた自分だけの様々な思いに再会した。
また、かつて大切にしていたが別れてしまった大事な人にも、きっと
それぞれが再会できたと思う。

そして、僕は、今僕の心の中にいる「君」=
一緒にいることのできない「君」に今夜深く心の中で
会うことができた。

ここで彼に終わりを宣言されて、途方に暮れない力が、まだ僕にもあなたにも
あるはずだ。それを信じよう。

お疲れ様でした。そしてありがとう。
ここでこの記事を読み継いでくれた全ての人にも。
感謝。

月曜組曲最終回の記事へ

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Comments

『クリスマスの約束』を見た後、自分のブログに何か書きたいんだけれども書けずにいます。
あの番組を見ていて、奇妙な感覚を覚えました。
食べ慣れたはずの何かを味わうつもりが、思いがけず本来そこにあるべきでない味にぶつかって戸惑ってしまった。そんな感じかなあ。
それが、BigBanさんの記事を読んですとんと胸に落ちました。
小田さんが「終わろうとしている」からだったのかもしれないと。

最初、小田さんつながりでこちらを訪ねた時に「不要な角質を落としていったら居間の小田さんになった」というようなことを書いたと思います。
いろんなものが抜け落ちた後の小田さん。
妙にサバサバしてしまった小田さん。
歌う声には衰えを感じなかったけれど、ピアノを弾く手の手首がころころとしていて、そんな小さな部分に老いを感じました。

「あいつら」とは、かつてのメンバーやスタッフでしょうか。
それとも他でもない私達でしょうか。
突然そっと差し出された遺書をどう読み解くか。
もう少し、時間がかかりそうです。

昨年、たまたまテレビで見て今年も楽しみにしていました

うわさでは聞いておりましたが、こちらの地方では月曜組曲放送されていません。

すべての1コマ1コマがすべてたたきつけられたようで、
あのライブのお客さんは勝ち組なのか?

茶目っ気のある小田さんは永遠です。

>なおこさん
>>食べ慣れたはずの何かを味わうつもりが、思いがけず本来そこにあるべきでない味にぶつかって戸惑ってしまった。そんな感じかなあ。

その表現はすごくわかります。僕は「あいつら」とは、一義には収録会場に来ている観客、そしてその向こうにいるファン。あるいは自分の曲を聴いてきてくれた全ての人に向けて「あいつら」と総称したのではないかと思います。

「本当はわかってるだろう?今回で終わりだよ。」

という、あるいは自分自身にもそう言い聞かせたかったのかもしれない。言い残したことがないように、全てやるという風でしたね。
継続することを前提とするなら「月曜組曲」のような番組はいらない。「クリスマスの約束」だけでよかった。
それが今年は何か違うということに、僕もなおこさんも、途中で気がついたのかもしれない。

あれほど、内面から絞り出すような(考えようによっては一つ一つの番組内でもコメントも絞り出すようでした)
コメントの一つ一つが、その終わり方への一歩一歩を確認している作業だったのかもしれないですね。

でも、こうも思うんですよ。
そんなに自由に終われるものかな、果たして「終わり」を決めるのは誰なんだろうって。本人ですらないかもしれないのではないでしょうか。

老いとか、表現とか、天才とか、普段簡単に発している言葉の奥深さを思わされました。


某、以前不愉快な思い(反論しても聞かず新しい記事をたてる有様)をしたブログで、BigBanさんの平明なる意見を拝見し、飛んでまいりました。まさかそこに「クリスマスの約束」についての記事があるとは思わず、驚いた次第です。

私も毎年「クリスマスの約束」を見ています。そして「月曜組曲」は始まるときに記事にもしたのに、なぜか一度も見ないまま終わってしまいました(涙)
今回の「クリスマス~」は、録画だけしてまだきちんと見ていません。が、生で最初のほうを見たときに「もうテレビは終りにしたいんだよね」と打ち合わせで言っていたのを見て、ああ「月曜組曲」はある意味「最後の盛り上がり」だったのか、と得心しました。

私もオフコース世代です。
だから、小田さんがオフコースにいたころから「限界を感じたらやめたい」という考えをお持ちであることは知っていました。ただ、ずっとヒットをここのところ飛ばし続けていたので、「今」がそのときだとは、思わなかったんです。

でも、きっと形を変えて(それは歌という形ではないかもしれないし、歌かもしれないけれど)小田さんはこれからも生きていくのです。それが、とっても嬉しいと思います。

それから「あいつら」がファンのことだとしたら、とても彼らしくて私はにこにこしちゃいますけれど、なんとなく元メンバー(特に古くからのお友だちの彼)のことのような気もして、そうだとすれば、哀しいなあと思いました。

小さい子がいるので、なかなか録画もゆっくり見られませんが、近いうちに見て、また書きにきますね。

初めてトラックバックなるものをさせていただきました。
BigBanさんのページ、いつも拝見させていただいています。切れのいいブログに感心させられてばかりですが、
今日は本当に書き続けて頂いて、ありがとうございますと、お礼を言いにまいりました。
これからも、さまざまな情報を楽しみにしております。
どうぞ、ご無理のないように頑張ってください。

>ぶんだばさん
来ていただいてありがとうございます。
「あいつら」という言葉。僕はファンのことだと思っているわけですけれど、親しみのこもったと思われるそうした言い方の向こうにも、何かやっぱり凄いプレッシャーがあるのかなあとも考えてしまいました。
ヒット曲は出ていても、彼の「時計」は別の時間をきざんでいたのかもしれませんね。

>TOKOさん
コメントありがとうございます。サイトも拝見させていただきました。これをご縁に今後ともよろしくお願いします。

bigbanさん、
トラックバックありがとうございます。

先日の「クリスマスの約束」を、
見逃してしまったのですが、
こちらに内容が記載されていて、
大変参考になりました。

小田さんの歌が大好きです。
考え方も、生き方も、
かっこいいなあと思います。

たしかおととしの「クリスマスの約束」で、
財津さんとのMCの時、
「昔に戻りたいか?」という会話の中で、
小田さんが、
「絶対戻りたくない。」と言ったとき、
とても関心したのを覚えています。

その意図は、
「若い頃みたいにあんなに苦労したくない、
精一杯やってきたから、、、」というものでした。

私なんて、後悔ばかりで、
いつも昔に戻ってやりなおしたいと、
思っているのに、
小田さんみたいに、
「もう全力でやってきたから悔いはない」と、
言えるなんて、スゴイと思ったものです。

私も少しでもそんな風に、
年をとれたらなあと思わずにはいられませんでした。

それでは失礼いたします。

>motommiさん
コメントありがとうございます。
motommiさんが録画を逃して悔しがっておられたのを拝見したので、TBしました。

>>「昔に戻りたいか?」という会話の中で、小田さんが、
「絶対戻りたくない。」と言ったとき、

悔いがないというのも確かだと思いますが、ここまでの道が平坦でなかったのかもしれませんね。傍から見ているより、ずっときついことや苦しいこともあったのではないかな。
どちらにしても思い切りやらないと言えない台詞ではあるかもしれない。

僕は・・何回やり直しても「もう一回!」といってしまいそうですね。(笑)

では・・また。

こんばんは。
小田さんといえば、昔オフコース時代の名言?として、
受験勉強の話について
「全力を尽くしたので、当日はどんな問題が出るか楽しみだった(大意)」というのがあります。
当時受験生だったわたしには、衝撃でした。楽しみになるほど勉強できるかなあ…で、結局できなかったわけですけど(笑)

小田さんは恐らく、その若いときと同様に、全力で人生を歩んでこられたのではないでしょうか。その時々が常に全力だから「戻りたくない」。
きついことがあったりつらかったりするのとは関係なく、自分は自分のベストを常に尽くしてきたのだと思います。「つらい」も「たのしい」も主観でしかなくて、結局小田さんはたぶん、後悔ないよう過ごしてきた人生を、「愉しかった(しこれからも愉しい)」と捉えるんじゃないか、そんな気がします。

そして今の私も、「前に戻りたいか?」と聞かれたら、「戻りたくない」って即答します。勉強を「問題が楽しみになるほど」できなかったことも含めて、すべて平仄があって今の私がいると思えば、つらい事も悲しいことも、愉しい事も嬉しいことも、あってよかったと、そして自分の選択には間違いがなかったと、自信を持っていえます(ちょっと思い込みかも)。「しあわせか?」と聞かれたらやっぱり「幸せです」って即答すると思います。
この辺は人生観の問題かもしれませんね。

コメントありがとうございます。
うーん、考えてしまうなあ。

>>「しあわせか?」と聞かれたらやっぱり「幸せです」って即答すると思います。
この辺は人生観の問題かもしれませんね。

この件は、このブログにも書きましたが、ちょっと保留だなあ。少なくとも「幸せです」と即答するにはハンディ多かったかもしれない。それを補完するのに使ったエネルギーは、有益な経験にもつながっているかもしれないけれど、やはり多くの「幸」をロスしているように思います。

不幸の源泉は幼少にあるので、そういう意味において過去に戻りたくはありません。

ところでぶんだばさんのまねをして、記事を1本常時アゲにすると掲示板に使えて便利だなと僕も思ったんですが、ココログはちょっと時刻編集の機能がないようで無理みたいですね。あれ、いいアイデアだと思います。


あ、僕の話じゃなくて小田和正の話でしたね。

BigBanさん;
実はそのお辛い経験を、読むのがつらくて保留してきました。
私のブログも読んでくださっているとのことなので(ありがとうございます!)今回全部読みました。

「しあわせ」と「不幸」について。
BigBanさんと、私はたぶん定義が違います。
私は、「こういう条件がそろえば幸せ」「こういう条件がそろえば不幸」とは考えないんです。
だって世の中に「絶対的しあわせ」なんてないですものね!
「絶対的不幸」がないのと同様に。

たとえば…わたしは普通の核家族に育ちました。ごく平凡な育ちだったと思います。これは「幸せ」なんでしょう。でも、ブログをお読みのとおりの状態です。人からみれば、この状態は「不幸」です。他人から「死ね」と言われたこともあります(リアルで)。でも、育ちから見れば、そして現在の社会的環境から見れば「しあわせ」という範疇に入るんでしょう、他人からみれば。

で、私はどう考えるかというと…ここは私の「意地」なのかもしれませんが…鬱病で何度死のうと考えて実行未遂しようと、やっぱり「しあわせ」って思ってるんですよ。不幸だから死にたいのではない。自分が許せないから死にたい。それは「しあわせ」「不幸」というカテゴリとは別のものです。

というわけで「人生観の違いかもしれませんが」と最後につけました。BigBanさんのお考えになる「幸不幸観」とはきっと違うのでしょうが、わたし個人としては「不幸」と自分を考えてしまうとあまりにつまらない(そしてつらい)ので、しあわせと思っている、というようなところもあります。だから「即答」なんです。

小田さんから随分離れてしまいました。ごめんなさい。
ちなみに小田さんのお父さんは(もう亡くなられたかもしれないけど)カーネルサンダースみたいなおぢさんのようです。

しまった、追記:
さんまさんのお子さんじゃないですけど

「生きてるだけでまるもうけ」

って考えもありますよ!

私は娘を授かって、ああ今も息している、ああ今朝も元気に起きてきてくれたって何度思ったことか。(新生児時代は本気でSIDSを心配していました)
まさに「生きて(くれて)るだけでまるもうけ」です。

それから、個人的なことですが、相方の家庭もかなり複雑で、相方は祖父母に育てられたようなものだ、と言ってます。相方もおかしなところがありますが、相方以外の子供たちはスポイルされたも同然な現状を送っています。それでも、彼らが生きることを拒否する権利は誰も持っていません。

そしてBigBanさん、誰かが貴方を必要としています。必ず必要としています。それだけでも、すごいことじゃありませんか?こうして発信して、誰かがコメントをつける。「お気に入り」に入れて定期読者になる。すごいことじゃないですか?私はBigBanさんの経験を少しも知らないかもしれない。でも、私にはBigBanさんは必要な方です。これだけはお伝えしたかった。

さらに小田さんから離れてしまった。しかも長い。反省。

突っ込んだコメントをありがとうございます。でも、互いに小田和正から少々ずれてきましたね・・(笑)コメントで返すより、これは近々新しいエントリーをたてようかな・・と思います。

こんなに遅くなってからTB打たせていただきました。
鈴木氏のインタビューは月曜組曲が終わる前のものですから、その中で「再結成」をほのめかした彼に対して、小田さんの方は「もう終わっている」と答えた格好だと読む向きもあるようです。
でも、そんなことはどうでもいいやという感じです。
小田さんも鈴木さんも、それぞれに自分の「終わり方」を考える時期にきているということなのでしょうね。そう考えると寂しい気もしますが、見届けたいと思います。

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