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January 28, 2005

世界の全てから、見捨てられてしまったとあなたが思っている夜

世界の全てから、見捨てられてしまったとあなたが思っている夜。

おそらくあなたの声はたどたどしく、その言葉は途切れ途切れで、
その苦しい思いの半分も、自分のカプセルから外に出すことも
できないでいるかもしれない。

おそらくあなたから見れば、人には帰っていく場所があり
あなたにだけないように思うかもしれない。
あなたがその瞬間、そう思ってしまっても無理はない。

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「夕凪の街 桜の国」----穏やかでスローな悲しみ

yunagi





原爆投下後10年経ってから始まる物語は、その穏やかで控えめなトーンを最後まで崩さない。

暗い地下の喫茶店で読んで泣いていたら、何年も前に訪れたヒロシマの平和公園と元安川を思い出した。
原爆ドームの近くに流れるその川の水は瑞々しく、手を入れると冷たく感じた。

あの時も暑い夏だったと思うけれど

「ヒトの悲劇の時間と顛末は、おそらくどこかで誰かが見ているのだろう。」

そんなはっきりとした言葉でではなかったけれど、あの時きっと僕はそう感じた。

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NHKなんていらない3---不透明なグループ会社の構造

NHKなんていらない---世界でも珍奇な放送局
NHKなんていらない2---週刊プレイボーイも言っている

NHK問題の中で、メディアではあまり取り上げられないが、その関連グループ会社群の存在は重要である。

例えば、NHKエンタープライズ21という会社がある。
経緯はは昭和60年に設立されたNHKエンタープライズという会社が
平成元年6月にNHKクリエイティブを経て平成7年4月にNHKエンタープライズ21と
して設立された。資本金は11億5千万円。売上高は308億円。

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January 25, 2005

NHKなんていらない2---週刊プレイボーイも言っている

NHKなんていらない---世界でも珍奇な放送局

今朝の朝日新聞、週刊プレイボーイの広告欄
====================================================
政治的圧力問題や制作費横領も許せないけど根本的なことを忘れてないか?
いらねーよ、NHK!
最大の罪は「つまんないこと」だ!
====================================================

BigBanと意見が一致した週刊プレイボーイ。
(だからどうした?)

January 22, 2005

NHKなんていらない---世界でも珍奇な放送局

NHKと朝日新聞との「大喧嘩」は、どちらも一歩も引かない構えで、どっちの言うことがより真実に近いのかわからないが、それより僕は根本的に思うことがあるんだが。

NHKなんかいらないよ。

よく、優れたドキュメンタリーと取材力はNHKならではのものと言われるが、そんなものは民放で作ればいい。もしくは「民営化された」NHK(それをNHKと言っていいなら)で作ればいい。

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January 21, 2005

「非人道的」とはどういうことなのか。批判の限界(3)

「非人道的」とはどういうことなのか。批判の限界(1)
「非人道的」とはどういうことなのか。批判の限界(2)

非人道的な行為を糾すには、加害の視点だけではなく、被害の視点が必要である。
大量の非戦闘員を、一瞬にして溶かされ焼かれたこの国は、実は被害の視点も持っている。アジアではその加害の立場ばかりが取りざたされるのだけれど、日本もまた頭上にかつて恐怖の殺戮兵器を迎え入れてしまった国なのである。

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January 18, 2005

「非人道的」とはどういうことなのか。批判の限界(2)

「非人道的」とはどういうことなのか。批判の限界(1)

ヒロシマの「広島平和都市記念碑」に刻まれた「安らかに眠って下さい/過ちは繰り返しませんから」という言葉。

この「過ち」を犯したのは一体誰で、誰に対して過ちを犯したのだろうか。そして、その「過ち」とはなんだったのだろうか。「過ち」とは原爆の投下か。それとも戦争そのものか。あるいは他の何かか。

これについては実は原爆慰霊碑碑文論争(「はまゆう通信」さんへのリンク)というものがある。

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January 13, 2005

安らげる場所に。

深夜の小田急線。
一斉に携帯電話が掲げられている。
にょきにょき。

祖母よ。あなたはかつて言った。
深夜の高速。
「この人たちはみんな、一体どこに行くの?」

お婆ちゃん。
今なら僕は、答がわかる。
あなたの問いに答えられる。

みんな帰ろうとしているんだよ。
安らげる場所に。自分の場所に。

January 12, 2005

生きていこうと今は思う。

新年のカウントダウンを始めたころ、バグダードでも花火があった。 2005年になる10分ぐらい前に、家からほど近いところで大きな爆発が 3回起き、家が揺れた。よりによってこの時にと、ちょっと驚いた。いとこ の娘たち二人は最初おびえたが、その後はくすくす笑いが止まらなくなった。 E.は手を打ち合わせて叫んだ。「ワオー花火だ!!グッバイ2004年!!」。 それに続いて子どもたちがでたらめなダンスを踊りだした。 (バグダードバーニング by リバーベンド)


なぜだろう。この記事を読んで村上春樹の「ダンス・ダンス・ダンス」を思い出した。
なぜって・・理由も関連性もない。(じゃあ言うな)

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January 11, 2005

「非人道的」とはどういうことなのか。批判の限界(1)

様々な局面で「人道的」あるいは「非人道的」という言葉が多用されている。
「人道的食糧援助」「人道的に問題がある」「劣化ウラン弾は非人道的である」云々
云々。
北朝鮮であれば、即時の経済制裁を強く主張する主張に対して、この国民の命脈を断ち切りかねない、食糧支援の打ち切りに対して「人道的」立場から強く反対を唱える人々がいる。
フセインがクルドに対して使用したと言われる、マスタードガスについてもその「非
人道的」側面に国際社会の非難が集まった、とされる。

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January 07, 2005

幸福と不幸をめぐるもう一つの話

kafka


もう結構前の話になるんだけれど村上春樹が「海辺のカフカ」に寄せられた読者の手紙をまとめて、全てに(!)コメントをつけている「少年カフカ」という劇画雑誌のような表紙の分厚い本があるんだけれど、その中に僕がよく引く村上春樹のフレーズがあるので紹介したい。

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「人はみんな病んでいる」というのが、僕の基本的な世界観です。
僕らはみんなその治癒を求めて生きているのです。
あなたが誰かに治癒を求めようとすれば、あなたもまた誰かを
治癒しなくてはなりません。僕らは、その交換行為の中で、
「生きている」という実感を得るのです。わかっていただけますでしょうか?
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ふむ・・なるほど。という感じですね。

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January 06, 2005

不幸に敏感で幸福に鈍感であることの不幸3

最近別の記事「小田和正という存在-クリスマスの約束の衝撃」への

コメントで、ぶんだばさんと

「もしも前に戻れれば戻りたいか?」
「幸せと聞かれたら幸せか?」

という話から、少し小田和正をそれた話題になってしまったので、この機会に
以前に書いた記事の続編として書いてみることにした。

以前このテーマで、自分の私的なことも含めて記事を書いた。

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January 05, 2005

ヒトの社会

年が変わり、動き出したのはヒトの社会だ。

ヒトの街の空気や喧騒は、
ほんの少しの間、改まった口調であなたに新年の挨拶をすると、
次の瞬間、くるりとキビスを返し、
いつものあの表情…幸福か不幸かわからないあの表情に戻って、
さっさと足早に遠ざかって行く。

で、自分なのだけれど、僕はもう一度、凛としてこのヒトの街を歩きたいと誓う。

あらゆる淀みを抱えても尚。

January 03, 2005

謹賀新年--大災害に接して。

もはや小規模の地殻変動であったと言ってもいい、スマトラ沖地震の現地情報
は、年末年始のお気楽テレビ番組の洪水にあって、少しも入ってこない。
こういう時には、ブログのリンクがそれこそ情報源として貴重なものに思える。

いくら考えても答を出せないとわかっていながら、大きな災禍を目のあ
たりにすると、「なぜその場所だったか」という思いにかられる。
といっても、科学的な説明や合理的な説明を求めているのではない。
そのことの「意味」ーそれが、その場所に起きたことの意味はないのか。
そんなつかみ所のない思いにかられるのだ。

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