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January 03, 2005

謹賀新年--大災害に接して。

もはや小規模の地殻変動であったと言ってもいい、スマトラ沖地震の現地情報
は、年末年始のお気楽テレビ番組の洪水にあって、少しも入ってこない。
こういう時には、ブログのリンクがそれこそ情報源として貴重なものに思える。

いくら考えても答を出せないとわかっていながら、大きな災禍を目のあ
たりにすると、「なぜその場所だったか」という思いにかられる。
といっても、科学的な説明や合理的な説明を求めているのではない。
そのことの「意味」ーそれが、その場所に起きたことの意味はないのか。
そんなつかみ所のない思いにかられるのだ。

今回のスマトラ沖地震はなぜ、インド洋の素朴で美しい島々とそこに暮
らす人々を、そして、たまたま冬の休暇にその地を訪れた無辜の人たち
を、突然海の奈落に引きずり込んだのか。

どうしてほかでなく、そこだったのか。
私の住む場所でも、あなたの暮らす街でもなく。

なぜ?

自明である。この問いの答はない。
失われた多くの命に思いをめぐらすすとき、無慈悲で不条理な過酷さ
に身がすくむ。

思えばこの星は、幾万回も幾億回も、そうした命への一見無意味な、そ
して暴虐な気まぐれとも見える試練を与えてきたのだろう。
母であるはずの地球の残虐な仕打ちの前に、創世以来、滅んでいった生
き物たちの怨嗟が心をよぎる。

そして、過酷な運命に見舞われた命に解を求めることができないのと同
じように、私達がそこにいなかった理由もまた、永遠に求めることはで
きない。
いた理由もいない理由も。同じくらいに茫漠たる理不尽の中に埋もれる。

天災だけではない。
ここ数十年、人の営みの世界に目を移せば、さらに不可思議は深まる。

●ヒロシマ・ナガサキへの原爆の投下は「なぜその場所だったのか」
●アウシュビッツの大虐殺は「なぜその場所だったのか」
●北朝鮮による拉致は「なぜその場所だったのか」
●地下鉄サリン事件は「なぜその場所だったのか」
●9.11テロは「なぜその場所だったのか」
●大量の市民の犠牲をともなったイラク戦争は「なぜその場所だったのか」
●香田証生さんの死は「なぜその場所だったのか」

なぜ私は、そしてあなたは、その場所にいなかったのか。

数ミリ径の針の穴ほど運命が狂えば--
悪魔の照準がほんの少し左右にずれていれば---
私達がその場所に立っていたかもしれないと思えば、いまここにこうし
て新年を迎えることができた幸運は、生き延びている私達に、果たすべ
きミッションを知らせるために贈られた、億分の一の「重いギフト」で
はないかと、今あらためて思う。

思えばこの星はいつも、生き延びたものに何かを伝えるためにこそ、こ
の試練を与えてきたのだから。理由のない試練にするか、意味あるものに
するかは、命を残された側にかかっている。


=========================================================

新年おめでとうございます。

願わくば、ギフトを分かち、共に災禍に立ち向かう力となりますように。
そして、間違っても。
間違っても人が人を傷つけ、人の世界に災禍を与える愚挙に、断じて組することのなきことを。
「その場所にいなかった」私達の誓いとして、それを共有させていただけれれば幸いです。

本年もBigBanブログをよろしくお願いいたします。

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●インドネシア・スマトラ沖地震情報
●スマトラ沖地震義援金情報(Yahoo!)

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Comments

BigBanさん TBありがとうございます。
自然の災害はいつどこで何が起こるか判らない全く「理不尽」そのものですね。
でも自然災害そのものには悪も善もない。
だから、そこにあるのは「恨み」よりむしろ「悲しみ」や「喪失感」。
それと同時に人にとって何が大事で何がそうでないかを見せつけられるような気がします。
天災の中に「人災」を見つけ出し善悪を持ち込んでしまうのは自然がする事ではなくて人がする事。
「人災」をそこに見出してもいいけど、それに転嫁せずにもっと大事な「あるがまま」を歪めることなくいつまでも忘れずに伝える事ができれば人はもう少しやさしくなれるのかもしれませんね。

今年も宜しくお願いします。

こんばんは。
私自身は、まだこの大災害について語るべき言葉がありません。どんな言葉も「でも貴方は日本にいたでしょ」といわれてしまいそうで。
今回の地震と津波が大災害になってしまったのは、リゾート地であったこと、遠浅だったこと、耐震構造になっていなかったこと、などなどいろいろありますが、それまでほとんど地震や津波を経験していないのですから、それらを責めても仕方のないことです。
かくなる上は、復興に向けて、日本の地震に対する技術がどうか有益に生かされますように、と祈るしかありません。

私は無宗教ですが、ここのところの地球の温暖化、地震の多さ、台風の多さ、そして今回の災害(それ以外にもイランで地震がありましたね)と、もしも「神」というものがあるとすれば、神が何らかの警告を発しているのかもしれない、とすら思えてしまいます。それは、めずらしく恵まれた環境にあるこの星を、お前らが勝手に破壊することは許さん!という怒りかもしれない…そんな風にも考えてみました。

>Fairnessさん

こんにちは。いつもどうも。

>>それと同時に人にとって何が大事で何がそうでないかを見せつけられるような気がします。
天災の中に「人災」を見つけ出し善悪を持ち込んでしまうのは自然がする事ではなくて人がする事。
「人災」をそこに見出してもいいけど、それに転嫁せずにもっと大事な「あるがまま」を歪めることなくいつまでも忘れずに伝える事ができれば人はもう少しやさしくなれるのかもしれませんね。

直接の被害者であったわけではないけれど、阪神大震災の衝撃は忘れられません。
生活空間が瓦礫と化した状態のつらさは、被災者でないと到底表現できないと
思いますが、あの中で本当に大事なものが見えてきたといわれる方が多いですね。
通常のハードウェア(コンクリートや・・さまざまな覆い)で隠しているものが
解き放たれるのでしょう。
あらゆる事柄に責任論を持ち込んで人災の要素を探す傾向も確かに
この社会にはありますね。津波に対する対応が全くできていなかった
インド洋諸国の政府の責任論も出ているようです。

学習は必要なのですが、糾弾の体裁をとらないとできないものかどうか。
優しさと毅然との両立は難しいのでしょうが。

>ぶんだばさん

>>私は無宗教ですが、ここのところの地球の温暖化、地震の多さ、台風の多さ、そして今回の災害(それ以外にもイランで地震がありましたね)と、もしも「神」というものがあるとすれば、神が何らかの警告を発しているのかもしれない、とすら思えてしまいます。


ちょっと最近の天災の多さと異常気象はおかしいという人は周りにも多いですね。
科学的には、新潟地震とスマトラ沖地震、異常気象には何の関係も見出されていない
(ホントか?)ということだけれど、結びつけて考えたくなります。
神(がいるとして)そこに意味があるのか、単なるダイスゲームのようなものなのか
不可知ですね。人間の無力を感じます。

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