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January 21, 2005

「非人道的」とはどういうことなのか。批判の限界(3)

「非人道的」とはどういうことなのか。批判の限界(1)
「非人道的」とはどういうことなのか。批判の限界(2)

非人道的な行為を糾すには、加害の視点だけではなく、被害の視点が必要である。
大量の非戦闘員を、一瞬にして溶かされ焼かれたこの国は、実は被害の視点も持っている。アジアではその加害の立場ばかりが取りざたされるのだけれど、日本もまた頭上にかつて恐怖の殺戮兵器を迎え入れてしまった国なのである。

目的至上主義の米国保守主義者は、テロの脅威とか、自由を守るとか、世界を解放するとかそうした大義の前には、ほとんどあらゆる行為と手段を認める。
その行為そのものが残虐なのか、理不尽なのか、ではなく、動機さえ正しければ無辜の非戦闘員の「多少の」犠牲などは、止むを得ないことなのである。この多少の上限は彼らによれば極めて大きい。

この手法は、ヒロシマやナガサキにかつて使われた論理と全く同じである。

龍3さんの原爆投下目標・京都!で紹介されているところでは、「京都に原爆を投下せよ」(吉田守男著・角川書店)の記載として京都が原爆投下の最有力候補であったことを紹介している。

記載中、原爆目標選定委員会によって、京都が最も理想的な投下目標とされた理由の中でも

>④日本人にとって宗教的意義を持った重要都市であり、この破壊が日本人に最大の心理的ショックを与えることができ、その抗戦意欲を挫折させるのに役立つ。

などはまさしく身の毛もよだつような理由であるが、かくほどさように、彼らの「目的至上主義」の前には、プロセスにおける非人道は、もっと大きな大義の前に無視されるのである。

そのまったく同じフォーマットで、9.11後、アフガンはたたかれたのであり、イラクは壊滅的な打撃と10万人のイラク人の犠牲を出した。
大量破壊兵器の定義が、瞬時にして数十万人を殺す兵器のことであるとすれば、ついにそれを持たなかった国家の民衆に対して、アメリカとその同盟軍は、瞬時ではない・・数ヶ月かかって同じ災禍を与えたということの違いだけである。いったい、これをどう考えればよいのか。

それさえも彼らによれば「非人道的」ではないのだろう。なぜなら正義のための行為なのだから。

祖国よ。祖国に過ちがあったとすれば百万編も謝罪し、反省し、頭を垂れるのもよいだろう。
しかし、同じほどの激烈さを持って、同じほどの執念を持って、私達は私達のヒロシマに起きたことを、ナガサキに起きたことを、トウキョウに起きたことを、人類普遍の情愛に昇華させる前に、すべきことがあったのではないか。はっきりするべきことが。
外交とは正義ではない。力と力の戦いは軍事以前から始まっているし、軍事が終了した後にもなお続く。

もしもあの時、毅然とした「攻撃的平和主義」をこの国が取り得たとすれば、あるいはファルージャの、アルグレイブの、悲劇は避けられたかもしれないのである。

そうした意味でヒロシマは、ナガサキは、トウキョウは、終わっていない。

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恐怖とは、飛行機が超高層ビルに衝突する姿に気をもむことだけではない。テロリズムとは、国家保安隊がアメリカ軍のハムヴィー(訳注:多目的装甲車)かイラク高官を通すという理由で、渋滞の最中に、ほんの数メートル先でカラシニコフ銃の炸裂音を聞かされること。恐怖とは、自分の家が家宅捜索され、ほんのつまらないことでアブグレイブに連れて行かれて兵士に拷問され、殴打され、殺されるかもしれないと知ること。恐怖とは、マシンガンの連続音が止んだ最初の瞬間、必死に頭を上げて、愛する人がまだばらばらにされていないかどうか確かめるとき。恐怖とは、近くが爆破されたために粉々になったガラスの破片を居間のソファーから拾い集めようとして、もしここに人が座っていたらどうなっていただろうかと想像しないように努めること。

大量破壊兵器は一切存在しなかった――国が見分けもつかないほど焼かれ爆撃されたあげくに、まるで愛する人が犯してもいない罪状によって死刑を宣告されたようなものだ。そうして、2年間にわたって死者を悲しみ、失われた国の主権を悼んだ後になって、そんな兵器隠匿の罪を犯していないと聞かされるなんて。私たちはかつて一度もアメリカの脅威だったことはない。

おめでとう、ブッシュ。今こそ私たちは脅威よ。
(バグダードバーニング by リバーベンド
2005年1月15日(土) 幻の大量破壊兵器より)


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「非人道的」とはどういうことなのか。批判の限界(4)---東京大空襲60年」

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Comments

はじめまして.winter-cosmosさんのところから飛んできました.
「非人道的」とはどういうことなのか.批判の限界(1)~(3),興味深く読ませていただきました.しょうもない私のエントリーもTBさせていただきました.

>祖国よ。祖国に過ちがあったとすれば百万編も謝罪し、反省し、頭を垂れるのもよいだろう。
しかし、同じほどの激烈さを持って、同じほどの執念を持って、私達は私達のヒロシマに起きたことを、ナガサキに起きたことを、トウキョウに起きたことを、人類普遍の情愛に昇華させる前に、すべきことがあったのではないか。はっきりするべきことが。

↑ほんとうにそう思います.

日本は,言いにくいことは言わないで今がよければそれでいい・・・みたいに感じます.はっきりさせることを後回しにしたつけが,今,来てる感じ.

以前,アメリカの軍人さんと話す機会がありました.彼は,広島の原爆ドームを見て,私に「まだ,怒ってる?」と聞きました.絶句して何も言えなくなった(英語が苦手なのでなおさら)私に,「僕はまだ生まれてなかったんだから~」とふざけた調子で言いました.「あたしのおじいちゃんは被爆者だよ」とやっとの思いで言った後,私はまた,沈黙するしかありませんでした.

正義の戦争なんてあり得ないと思います.

今晩は。始めまして。

NHKスペシャルの東京大空襲の記録はビデオにとりました。
ぜひ見ようと思ってまだ見れていないのですが、自分の書いた、以前のこの記事との関連からも、何かの形で、新しく記事としたいと考えています。

>「僕はまだ生まれてなかったんだから~」とふざけた調子で言いました

所詮彼らには「遠景」なのです。熱線の熱さが伝わっていない。

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