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February 27, 2005

刹那の1秒だったとしても

さて、どうやって自分を大事にしよう。

これが大事なことなんだけれど
こんな私の場合、
まず自分を大事にするのはなぜなのか。
なぜに生きていかなければならないのか。

それを確認する必要がある。

一番シンプルで効果的なのは
自分に何かがあったとき、悲しんでくれる人の顔を思い浮かべることだ。
そう、もしも自分がいなくなったとき、もしも自分の体が血を流したとき、
悲しんでくれる人の顔を思い浮かべることだ。

あなたにも、そして、こんな私にも
1人くらいはいるでしょう?
1人くらいはいるでしょう?

さて、ようやく思いついたとしよう。
こんな私はそれでも次に考えるのだ。

その1人は、悲しむは悲しむだろうけれど、どのくらいの期間悲しんでくれるだろう。
どのくらいの間、涙を流してくれるだろう。

1日?
1週間?
1年?
それとも?

いや、やめよう。永遠を求めるのは。

それがたった1人だったとしても、
それがたった刹那の1秒だったとしても、

私はそれで生きていけるのではないか。
生きていかなければいけないのではないか。

私の去った後、宇宙に何事も起きないにしても。
私はそれでも、生きていかなければならないのではないか。
生きていけるのではないか。

たとえそれが、刹那の1秒だったとしても。

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Comments

TBありがとうございます。
BigBanさんにはいつも励ましていただくばかりで、本当に申し訳なく、ありがたく思っています。
私も考えてみました。。
誰が悲しんでくれるだろうって。
多分・・子どもたちは悲しんでくれるだろうと思います。
そして、、私とは状況が違うけれど、母がいないという状況をこの子達に繰り返してしまうってこと。
それはどうしても避けたい。こんな思いはここまでで。

わかっているのですよ。
生きなければならないって。

何故こんなにもいろんな想いが交差するのでしょうね。
こんな思いしなくて済むのなら、
楽しい事もうれしい事も感じなくてもいいから、
感情というのを、全て取り去ってしまいたい。
そんな風に思ってしまいます。

確かに、この記事はdeep_breathさんのサイトを読んで書いたのです。ですが、一方的な励ましなどというおこがましいものではなく、deep_breathさんの苦しい気持に近い状態が僕にもあるので、そういう表現を使うなら、両方(あなたと私)に向けて書いた励ましかもしれません。

互いにもちろん「1人」ではないでしょうしね。この記事が当てはまる対象となる、気にかけるべき人は。

あるいはdeep_breathさんと私とは、苦しい気分の何かがしばしば、互いに呼応しているのかもしれませんね。そんなことを思いました。

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