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« ロバートキャパ最期の日---運命の場所へ | Main | この者メディアに石打つ前に-----「近景の批判」と「遠景の批判」 »

March 04, 2005

堀江ライブドアへの批判は一元的ではない。-----億通りのモジュール

堀江氏に対して相当批判的なロジックを張っている私ですが、彼を糾弾する全ての者に対して共感しているわけではありません。

彼の挑戦的で攻撃的な姿勢全体に対する嫌悪感を持つ人もいる。
ファッションや風貌を因として、本気で拒絶をする人がいる。時間外取引の合法性のボーダーを疑い批判する者もいる。そしてカネカネ言えばいいというものではないというモラル(?)の観点から批判する者もいる。

FAIRNESSさんがおっしゃるように

>ライブドアの意図や手法に、ある種の嫌悪感を持つとするならば「経済至上主義」、つまり政府の経済政策に対する嫌悪感の現れでもあると言えるのだと思う。(私自身も本心では堀江社長の既存勢力にチャレンジする姿勢には共感しても、プラグマティズム的手法に対する嫌悪感が強い)

という観点から嫌悪の念を持つ方もいる。

私は

●表層的には経済至上主義に見えても、この社会は実は経済価値だけを中心に回っているわけではない。(市場さえも)

●報道やジャーナリズムに対して、市場のマッチングシステムは沿わない。
(何よりもライブドアの企業としてのこの分野への的確性を疑う<もしも”この分野”というものが今後も有効な領域として存在し続ける、あるいは存在させるべきだとすれば)

という観点から決して彼の試みには味方しない。

忘れてはいけないのは、ライブドア問題に関して(他のどんな問題に関してもそうです)賛成派と反対派の2勢力があるというわけではない、それは幻想だと言うことです。まさに、FAIRNESSさんが言うように

>「我々が捨てようとする物」と「我々が取り入れようとするもの」をしっかりと見つめて

いく必要があるし、挑戦的で新しいからと言ってそれだけの理由で「それ」を免罪するのであれば、人類の歴史は現在よりもはるかに無謬であったはずでありましょう。
新しさに不合理な「贔屓」をする危険な体質はそのままさまざまな時代において、ポピュリズムの悪として露呈した。そういう意味で私は、あのゲルマンの独裁者すら例に引いたのです。閉塞社会の、単純な英雄待望論は、誤解を恐れずに言えば、99%が誤りを犯す。

私にとっては、リスクをとろうとして少なくとも「近景の戦い」をしている堀江氏(そこは認めます。もちろん)に対して、「新しいからという理由だけで」「遠景から」支持する、「自らの現状を自らの力で変える自らの勇気の不在」を隠して声援を送る「ポピュリズム」は、新参者だというだけで排斥しようとするいわゆる頑固な現状体制維持派とは、等価に嫌悪する対象でしかない。

世界は子供の考えているより遙かに複雑であり、「捨てようとする物」と「捨てようとする理由」の組み合わせは億通りあり、「取り入れようとするもの」と「取り入れようとする理由」の組み合わせもまた億通り以上にある。孤独なことに私達はその億通りのモジュールに分配されているのです。このブログ空間のように。

生きていればそれに気がつかなければならない。

世界は厄介なことに複雑であり輻輳している。それなのに、経済的価値を、あたかも全ての解決のキーであるかのように、あるいは信じているかのようにギミックとして振る舞う集団と、それを取り巻き、許容の姿勢すら見せようとする欺瞞的な社会や集団を嫌悪するわけです。

経済的価値の限界は大人であれば皆が知っているはずであり、世界の事柄を解決する道程には経済的価値以上の魔物が、私達の歩む道の影に、幾らでも隠れている。経済的価値の限界を子供に教えるのもまた知恵あり勇気ある大人のミッションであるとは思われませんか。

孤独について言えば、「取り入れることを拒む」私の言論もまた孤独なモジュールでありましょうが、さらに言えば「孤独でない集団の言論」が果たして一度たりとも言論として妥当性があったことがあるだろうかとも思います。言論を張る時に孤独を覚悟できないのであれば、所詮遠景にしか過ぎない。この点でのメディアへの批判があるとすれば、おそらく正しいし、アンチライブドアだからといって容易に彼らと組することも私はしない。

メディアはマスへの情報の発信という自らの宿命=原罪と、「ミッションの匂いのするもの」=報道の価値という二律背反を、この21世紀になっても解決できないでいる。メディアが抱え込んだこの矛盾と欺瞞に若い人々は敏感になっている。このことの問題は確かに存在している。

しかし、だからといって価値をマッチングから創出することができるなどと考えるのもまた、深く現代の新しい病理に毒されているとしか思えません。

こうした人類史上「奇貨」とも思える皮相な発想に、安直な「放送とネットの統合」などというこれも薄っぺらな「メディアの言葉」を用いて、喝采を送る人々を見ると荒涼たる思いを感じます。
仮にマスメディアが毒されているなら、価値の面から再構築を図るべきであり、間違ってもそれは手法によってなされるものではない。メディアのミッションという価値観に、愚直なまでにこだわるニッポン放送の社員に、私はむしろ共感すする。

「興味のあるものだけ流せばいい」という発想は、産経新聞が怒る以前に、如何に多くの億通りの真実を取捨していることか!価値は物ではない。市場原理の支配している範疇に価値は含まれないと私は考えます。

では、それは本当に価値ですらあるのか?えせ権威の隠れ蓑ではないのか?

そうであったとすれば是正する必要はある。だが断じて殺してはならないのです。殺す事由もまた、あなたのビジネスに得にならないという卑小な理由でしかないなら、なおのこと。

人を殺して何が悪いのですか?と聞いた子供がかつていた。
その記憶を思い出しさえします。


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Comments

こんにちは。J憲法さんのトラックバックから来ました。

>閉塞社会の、単純な英雄待望論

そうそう、これです。今の状況にぴったりの言葉。

>こうした人類史上「奇貨」とも思える皮相な発想に、安直な「放送とネットの統合」などというこれも薄っぺらな「メディアの言葉」を用いて、喝采を送る人々を見ると荒涼たる思いを感じます。

同感です。何か、言い尽くされている感じで感動です。では。

初めてコメントさせていただきます。私は(今のところ)堀江氏のメディア論も1つの在り方として評価しうると思っています。

そこで質問させてください。

>仮にマスメディアが毒されているなら、価値の面から再構築を図るべきであり、間違ってもそれは手法によってなされるものではない。

マスメディアが毒されているとは具体的にどういう状況を指しているのでしょうか。また、価値の面から再構築が図られたマスメディアのあるべき姿とはどのようなものと考えられていらっしゃるのでしょうか。この部分が堀江氏のメディア論との本質的な違いだと思うのですが、具体的な内容がよく分かりません。

それと、

「興味のあるものだけ流せばいい」という発想は、産経新聞が怒る以前に、如何に多くの億通りの真実を取捨していることか!価値は物ではない。市場原理の支配している範疇に価値は含まれないと私は考えます。

これは、新聞とはどういうものか、メディアとはどういうものか、という前提となっている価値観が(堀江氏とは)異なっているので、批判としてはいささか的はずれではないかと思います。

トラックバックいただきました。
ありがとうございます。

私も一つ質問です。
あらゆる論点がない交ぜになっているので、絞りきれないのですが・・・、

【提起】
●報道やジャーナリズムに対して、市場のマッチングシステムは沿わない。
【結論】
価値をマッチングから創出することができるなどと考えるのも、深く現代の新しい病理に毒されているとしか思えません。

これって、報道やジャーナリズムがもともと中立で偏った思想を持たないことが大前提になりますよね。
思想を一方的に押し付けることができるメディアが、現在行われているように、『偏った思想に基づいた編集』を行っている場合、マッチングの外から創出された『思想の絡んだ報道』は、そのものが病理と言うべきものになってしまいませんか?
現在ある報道やジャーナリズムが偏っていないと言い切れないと思うのですが・・・。
抗議や批判の投書なんかは握りつぶしてしまえる(送り先は報道をするその人本人です)訳ですよね。
『石に泳ぐ魚』事件なんて法律を勉強した人意外、誰も知りませんよ?
表現の自由が一部否定された判決だからです。

都合の悪いことは、表面だけしか流さない。
現在のメディアが公正で、中立な報道のみを行っているという思い込みこそが、『深刻な病理』だと考えます。

削除されそうなコメントになってしまいましたね…。

ジョン・ナランさん、こんにちは。
(外国人の方かと最初思いましたよ)


私の

>>仮にマスメディアが毒されているなら、価値の面から再構築を図るべきであり、間違ってもそれは手法によってなされるものではない。

に対して

>マスメディアが毒されているとは具体的にどういう状況を指しているのでしょうか。

ということですが、まず一連の堀江氏に関する記事に目を通していただいたでしょうか?今のマスメディアの現状にに問題がある(毒されているというのは私の用語)というのは、ライブドアの参入を歓迎する考え方の方達が、論拠としている一つの視点です。
私は、今のマスメディアに問題がないとは考えてはおりませんが、ライブドアの参入でそれが解決するとは思えない(むしろ悪くなるのではないか)という考え方を持って、堀江ライブドアを批判しています。
従って、マスメディアが「毒されている」根拠を私が提示するのはおかしなことになりますので、ちょっとご質問の趣旨が図りかねます。
一般論で、

「今のマスメディアってどう思う?どこが問題?」

と聞かれたとすれば、権威主義と(記者クラブに見られる)体制迎合主義、そして大衆迎合の3つあたりを、私は問題点(つまり毒されているとすれば、です)として挙げるでしょうね。ですが、繰り返すようにこれは、今回は参入歓迎派の方が提示すべきことです。(つまり、おそらくジョンナランさんのような方です。)


>また、価値の面から再構築が図られたマスメディアのあるべき姿とはどのようなものと考えられていらっしゃるのでしょうか。この部分が堀江氏のメディア論との本質的な違いだと思うのですが、具体的な内容がよく分かりません。


表現が難しい分野ですね。
今回のライブドア堀江氏は、現在のマスメディアのあり方に対して批判的な立場を(当然ですが)とっていると思います。ですがそれは前述した私が持っている問題意識とは異なります。その上で彼は「通信と放送の融合」という、時代の趨勢を論拠として、放送はもっと通信(インターネットですね)との融合を考えるべきだとしています。つまり彼の提示しているのは「手法による解決」であると私はとらえており、これは評価しません。
問題意識の出発点からしてずれているのですから(彼の場合別に問題意識じゃないんでしょうけれど)。

「価値の面からの再構築」とは、言うまでもなく先にあげた諸点

「権威主義」「体制迎合」「大衆迎合」

の3点に関して再構築を図ることです。このうち1番目の権威主義は堀江氏も批判しているところです。あとの2つは彼の態度はよく判りません。
これらは、手法の変化によっては解決できないだろうと(つまり放送と通信が融合したって関係ないでしょ?)そういう意味で「価値の面からの再構築」という言葉を使いました。


>>「興味のあるものだけ流せばいい」という発想は、産経新聞が怒る以前に、如何に多くの億通りの真実を取捨していることか!価値は物ではない。市場原理の支配している範疇に価値は含まれないと私は考えます。

に対して


>これは、新聞とはどういうものか、メディアとはどういうものか、という前提となっている価値観が(堀江氏とは)異なっているので、批判としてはいささか的はずれではないかと思います。


これはおっしゃることがわかりません。今、問題にしているのは彼のメディア観です。その上で、そのメディア観に対して違和感を私は提示し批判しています。異なっているから批判しているのです。その主たるポイントは市場マッチングシステムを報道に関して取り入れることに関してです。(フジサンケイという報道機関の経営に関することですからね?ライブドアが何をどうしようと問題にはここではしていません)
前提となっている価値観について異なることがわかっているから批判しているわけです。その批判に対して同意できないというなら、オピニオンの違いとして理解しますが、
それ自体がなぜ「異なっているので、的外れ」なのか、逆にご提示いただきたいと思います。

こんにちは、みけっくすさん。メールもいただいたみたいで・・ご丁寧にありがとうございます。(不快なんてとんでもないですよ。メールのご趣旨も鑑みた上で、一応コメントを返させていただきますね)

>【提起】
>●報道やジャーナリズムに対して、市場のマッチングシステムは沿わない。
>【結論】
>価値をマッチングから創出することができるなどと考えるのも、深く現代の新しい病理>に毒されているとしか思えません。

>これって、報道やジャーナリズムがもともと中立で偏った思想を持たないことが大前提になりますよね。

>思想を一方的に押し付けることができるメディアが、現在行われているように、『偏っ>た思想に基づいた編集』を行っている場合、マッチングの外から創出された『思想の絡>んだ報道』は、そのものが病理と言うべきものになってしまいませんか?
>現在ある報道やジャーナリズムが偏っていないと言い切れないと思うのですが・・・。
>抗議や批判の投書なんかは握りつぶしてしまえる(送り先は報道をするその人本人です)訳ですよね。


ということですが、前提が私とずれています。論点がメディア論になってしまうので(そりゃなりますよね)別記事かなあなどと最近考えているのですが、私は報道の「公正中立」などというものは支持しません。あれは、国家が放送法という希代の悪法を出した時に免罪符とするために持ってきた概念だと思っています。
もちろんこれは戦前の報道統制への反省もあります。(この辺は長くなるので・・簡素にしますが)

現代にあって、朝日は朝日の論調、産経は産経の論調、文春は文春の論調があるのは周知の事実です。というよりも、「成熟した市民社会」にあってはそれぞれのメディアが「公正中立」な報道をしているとか、しなければならないと考えること事態が未熟であると私は考えています。

私が報道に求めるのは、公正中立ではなくオピニオンです。オピニオンのない報道はライブドアがやればいいのです(いやこれは軽んじて言うのではありませんよ。)。インターネットにおいて新しい情報提示のあり方として、確かにそういう提供方法はあるのです。記事ごとにペイパービューにしてね。
ですが、オピニオンのある報道はどうなるのかと。私は産経新聞にいささかも肩入れするのではないですが、少なくとも現在は彼らは市場原理を最優先にして報道しているとは思っていないのです。これに、マッチングシステムを持ち込むことへの危惧を言っているわけですから、みけっくすさんが最初に

>これって、報道やジャーナリズムがもともと中立で偏った思想を持たないことが大前提になりますよね。

から始めておられることが、既に視点が私とは異なります。

おおよそ、BBCにしろ、CNNにしろ、アルジャジーラ(笑)にしろ、あるオピニオンに基づいて報道がされていることは、そろそろ世界の市民の常識になってもいいのではないかと思います。
それを「公正中立」でないから「押し付け」であると判断するか、それを一つの情報として参考に留め、広くインターネットも含めた情報ソースから自立的に情報を選び取って選択するか(ライブドアの主張に近いですね)は、自立した個々人(成熟した個人)の判断に任せられるべきです。そういう意味で、現在のような産経新聞はやはり必要なのです。
みけっくすさんがちょっとメールで触れておられますが、あえて言うならライブドアは新しい情報提供のあり方をフジテレビなどという既存メディアや産経新聞などというオールドメディアに手を伸ばさず、対立する価値の報道を(いや報道ではないですね。情報ビジネス?)提示すればいいのであり、

「新聞やテレビを殺す」

などというエキセントリックで、不合理な主張をする必要を、私は評価できません。

>『石に泳ぐ魚』事件なんて法律を勉強した人意外、誰も知りませんよ?
表現の自由が一部否定された判決だからです。


そんなことはありません。私は「法律を勉強した人間」とは言えませんが、知っていますし、柳美里のこの問題に関する論評も、対立する論評も読みました。それは、別に現在の報道機関が中立であるとかそうでないとかいうことは、関係なく、自ら情報を選び取っているわけです。
必要なのは、原点に戻りますがメディアリテラシーであり、情報を受ける我々の意識に立ち返ってくる部分が多くあるのではないでしょうか?

もちろん現在の報道に問題がないとは言いません。
このへんは先ほど、ジョン・ナランさんへのコメントにも書きましたのでご参照ください。

※コメントの削除なんて・・よほどのことがないとしません。笑

現在のメディアの問題(毒されている部分)が「権威主義」「体制迎合」「大衆迎合」にあるという点は、私も同感ですし、堀江氏も同じではないでしょうか。メディアが情報に価値付けを行った上で、それを客観的・公共的なものとして提供している。「体制迎合」「大衆迎合」というのは価値付けの仕方の問題だと思います。そして、それに対して価値の面から再構築するというのは、価値付けの仕方を変えるということではないかと思うのです。とすれば、メディアのあるべき姿、つまり、あるべき価値付けの仕方とは具体的にどのようなものなのか? が重要になる。(私にはこれが具体的にどのようなものなのかが分からないのです)

ちなみに、堀江氏の考えは、そのメディアによる価値付け自体を否定するということだと思います。私もこれは「手段による解決」であると思います。ただ私は、それを1つの在り方として評価しています。

と、ここまで書いて、mikexさんへのコメントにある、

>私は報道の「公正中立」などというものは支持しません。

>私が報道に求めるのは、公正中立ではなくオピニオンです。

というのを見て混乱するのでした。「公正中立ではなくオピニオン」を求めるというのなら、メディアが「体制迎合」「大衆迎合」のように見えても「価値の面からの再構築」をする必要はないのではないか? と思うのです。それはまさに、それぞれの「オピニオン」(価値付けの仕方)であり、それを批判するというのは単に自分とオピニオン(価値付けの仕方)が違うということに過ぎないと思うからです。

確かに、新聞等のメディアに求めるものは「公正中立ではなくオピニオン」であるという考え方もあると思います。ですから最初に、「マスメディアが毒されているとは?」「価値の面から再構築が図られたマスメディアのあるべき姿は?」についてお聞きしてみたのです。この点につき、どういう考え方に立つかによって議論の在り方が変ってくると思ったからです。

そしてこれは、私がコメントで書いた、批判はいささか的はずれではないか? という点にもつながってくると思います。堀江氏のメディア観は、メディア自身のオピニオンの主張の場ではなく、あくまでも公正中立な「メディア(媒体)」である、というものでしょう。これは皮肉にも、産経新聞も含めた現在のメディアの依って立つ建前でもありますよね。既存の新聞等のメディアも、自分たちは公正中立であると言っているのです。

あくまでも、このような同一のメディア観・建前(公正中立な存在であるということ)を前提として、堀江氏の言うメディアと既存メディアの間の議論は展開されていると思うのですよ。(そして、公正中立な「メディア(媒体)」であるという建前をとりながら、自身のオピニオンを押しつけているという誤魔化しを、堀江氏は批判しているのですね) これに対して、それとは異なるメディア観・建前(公正中立を求めない)を前提として批判しても、それは(もちろん異なる議論レベルにおける1つの考え方としては理解できますし、重要な問題だとも思うのですが)堀江氏に対する批判としてはいささか的はずれなものにならざるを得ないのではないか、と思ったのでした。

こんばんは。ジョン・ナランさん。


>現在のメディアの問題(毒されている部分)が「権威主義」「体制迎合」「大衆迎合」にあるという点は、私も同感ですし、堀江氏も同じではないでしょうか。メディアが情報に価値付けを行った上で、それを客観的・公共的なものとして提供している。「体制迎合」「大衆迎合」というのは価値付けの仕方の問題だと思います。


どういった点を根拠に、堀江氏が「体制迎合」や「大衆迎合」を問題視されているとお考えになるのでしょうか?ジョン・ナランさんは、江川ブログを読まれた上で、おっしゃっているのかどうかわかりませんが、彼のマッチングシステムによる記事の順位付けなどは、大衆迎合の最たるものにしか私には思えません。

>そして、それに対して価値の面から再構築するというのは、価値付けの仕方を変えるということではないかと思うのです。とすれば、メディアのあるべき姿、つまり、あるべき価値付けの仕方とは具体的にどのようなものなのか? が重要になる。(私にはこれが具体的にどのようなものなのかが分からないのです)


いや、記者クラブはとりあえず解散するとか、局ごとにより個性的に特化するとかチャンネル数そのものも、割当を考えるとか、NHKは民営化するとか、価値に基づく再編はいろいろあるのではありませんか?これらを実施するのに、何も市場マッチングによる記事の順位付けや「通信とネットの融合」=手法は必然ではないでしょうということです。手法といっても、人気記事で順位づけるとか、デジタル放送はいらない、ネットでできるとかいうことしか彼は言っていないと思いますが?


>ちなみに、堀江氏の考えは、そのメディアによる価値付け自体を否定するということだと思います。私もこれは「手段による解決」であると思います。ただ私は、それを1つの在り方として評価しています。

ここが私と違います。私はメディア自身が価値付けを行わないのであれば、それは報道ではない。ヤフーニュースのように、広く浅く情報を集め、それをビジネスとして展開されればよいと。フジサンケイに手を出して「殺す」理由にはならないでしょうと考えています。そんな浅薄な理由で(好きではないが)産経新聞を殺して欲しくはないですね。


>>私は報道の「公正中立」などというものは支持しません。

>>私が報道に求めるのは、公正中立ではなくオピニオンです。

>というのを見て混乱するのでした。「公正中立ではなくオピニオン」を求めるというのなら、メディアが「体制迎合」「大衆迎合」のように見えても「価値の面からの再構築」をする必要はないのではないか? と思うのです。それはまさに、それぞれの「オピニオン」(価値付けの仕方)であり、それを批判するというのは単に自分とオピニオン(価値付けの仕方)が違うということに過ぎないと思うからです。

>確かに、新聞等のメディアに求めるものは「公正中立ではなくオピニオン」であるとい>う考え方もあると思います。ですから最初に、「マスメディアが毒されているとは?」>「価値の面から再構築が図られたマスメディアのあるべき姿は?」についてお聞きして>みたのです。この点につき、どういう考え方に立つかによって議論の在り方が変ってく>ると思ったからです。


ちょっと待ってください。私の「公正中立を支持しない」という言い方もいささか乱暴でしたが、「公正中立」についての概念が互いにずれていますね。いったん整理しますと「公正中立」というのは「オピニオンを持たない」という意味ではありませんよね?

例えば


(1)特定広告主に有利な報道ばかりする
(2)ある種の政治キャンペーンの片棒をかつぎ、反対陣営の意見を全く紹介しない
(3)特定の宗教団体の代弁ばかり繰り返し行う
(4)特定の政治家あるいは政党のキャンペーンばかり行い、反対陣営の意見を紹介しない。
(5)イラク戦争に反対の立場を表明し、米国保守主義に批判的な論調をはる。
(6)中絶法に対して、社をあげて反対の立場を表明する。

このうち、「公正中立」に反するものはどれで、「オピニオン」はどれですか?私は一応(1)-(4)を「反する」と考え(5)-(6)は反しないという考えです。明らかな偏見に基づき、多面的な考えを紹介しないというのが「公正中立」であり、「主張を放棄する」ことではありますまい。
世界の趨勢としても、そうしたメディアが求められているとは思えませんが。
もちろんこのディテールは人により異なるでしょうが、いずれにしても社が「オピニオンを持つ」こと自体は公正中立の対立概念ではありませんね?
これをも含めて一般的に、「公正中立に反する」「押し付けだ」だから報道機関は価値付けをやめろというのであれば、私は反対だというのが丁寧な言い方です。

そうした「価値付けを行わない」ものは「情報ビジネス」としてどうぞライブドアがどんどんおやりになればいい。だが既存の報道機関を「殺す」などととんでもないということなのです。それに疑問を感じない風潮があるとすれば極めて危険だと考えています。


>そしてこれは、私がコメントで書いた、批判はいささか的はずれではないか? という点にもつながってくると思います。堀江氏のメディア観は、メディア自身のオピニオンの主張の場ではなく、あくまでも公正中立な「メディア(媒体)」である、というものでしょう。これは皮肉にも、産経新聞も含めた現在のメディアの依って立つ建前でもありますよね。既存の新聞等のメディアも、自分たちは公正中立であると言っているのです。


まず上記で触れたように堀江氏の言う「公正中立」は、私の考える「公正中立」ともそもそもずれています。
その後で、「オピニオン性」についても、彼は必要ないという立場ですからこれもずれています。ずれているからかみ合わないではなくて、そうした「メディア観」に基づきフジサンケイグループを経営しようというなら違いますと。(ライブドア単独でやるならどうぞという感じです)

>あくまでも、このような同一のメディア観・建前(公正中立な存在であるということ)を前提として、堀江氏の言うメディアと既存メディアの間の議論は展開されていると思うのですよ。(そして、公正中立な「メディア(媒体)」であるという建前をとりながら、自身のオピニオンを押しつけているという誤魔化しを、堀江氏は批判しているのですね)
>これに対して、それとは異なるメディア観・建前(公正中立を求めない)を前提として批判しても、それは(もちろん異なる議論レベルにおける1つの考え方としては理解できますし、重要な問題だとも思うのですが)堀江氏に対する批判としてはいささか的はずれなものにならざるを得ないのではないか、と思ったのでした。

ちょっと待ってください。

ジョン・ナランさんは堀江氏の見解に対して親切心と贔屓が過ぎませんか?彼のあまりにも乏しい「報道感覚」、そして「興味ないものは必要ないでしょ」発言の連発の中で、そして江川ブログにおける諸発言のどこをどう読めば、そしてどのように評価すればそうした見方が出てくるのですか?

>堀江氏は批判しているのですね。

??
記者クラブには「興味がない」と切って捨てた人間です。「みんなが興味の無いものはとりあげてもしょうがないでしょ」と言っているわけです。

いささかも、何か現状への合理的な批判がこめられているなどという解釈は、実はジョン・ナランさんの持っているオピニオンであり、堀江氏のオピニオンではないのではありませんか?

堀江氏はクラッシャーのように語られますが、彼の為してきたことは、プロ野球にしても、地方競馬にしても、継続ばかりです。
フジに照準を合わせた今回の彼のアタックも、壱リーグ制や廃止等々の変化を彼が止めたように、国が地上波デジタル放送への変化と共に大きく変えてしまうであろうものを、結果的に彼の行動によってそのダメージを軽減させる事になるのではないか。
私はそんな観点から彼を見ています。彼が言うのは現行資産の有効活用です。未知の価値を創出とは言ってません(言っていたとしてもそれは未知な人もいるから彼らに知らせたい…という意味での未知です)。言ってもいないのに、ビジョンが無いとの非難ばかり向けられるのに、私は悪意しか感じられません。
ちなみに、国民に指示された破壊者としてのヒットラーに例えられるのは、やはり小泉総理なのではないでしょうか。彼のグッズやポスター販売、TVCMへの拘り。フセインやジョンイルとも重なります。堀江氏のあのルックスのポリシーにはその対極の意志が感じられます。

江川氏のインタビューも毎日新聞のインタビューも読んでいますよ。

で、堀江氏はネットに全てをありのままに載せると言っているのですよね。何もバイアスをかけない。オピニオンの押しつけもしない。彼のメディアは「純粋な媒介者」であると言っているのですよ。「ニュースの重みづけはユーザーが判断する」のだと言ってるのです。そして、本来はネットだけで十分なのですよ。新聞を出すのは、今のところその方が信用されるからにすぎない、と言ってますよね。だから、いつまで発行するかも分からない、とも言ってます。彼にとっての新聞(紙媒体)はその程度のものなのですよ。最初のコメントでも言いましたが、新聞とはどういうものか、という前提となる価値観が、従来とは異なるんですよ。ですから、「紙に挙げるときにはランキングによる。そこのところで情報操作をする気はない」と言っている堀江氏に対して、これを大衆迎合だと批判しても殆ど意味ないですよ。批判するなら彼のメディア論の中核であるネットに対する批判でなきゃ。(このことを、いささか的はずれの批判、と言いました)

彼は「みなさんが考えるジャーナリズムは、インターネットがない前提でのお話なんです。インターネットがない時代はもしかしたら必要だったかもしれない。しかし、今は必要ないと私は言い切ってもいいと思う」と言っていますよね。何故なら「興味のあるネタはインターネットで自分で探せるようになっている」からだと言っていますよね。

つまり、別に彼はオピニオンを主張すること自体を否定しているわけではないのですよ。彼のメディアから情報を得て、それに興味を持てば、ネット上で様々な意見を知ることができると言ってます。「(ネットには)いろんな意見がある。いろんなことを考えている人がいて、それを並行して見ることができて、自分の考え方の形成に役立つ」と言っているのですよ。つまり、オピニオンの主張を否定しているのではなく、それを新聞という媒体でやることを否定しているだけなのですよ。

彼の言う「みなさんが考えるジャーナリズム」とは、現在の新聞のようなスタイルのことですよ。公正中立であるという建前をとりつつ、情報にバイアスをかけている(価値付けをしている)。しかし、今は、ユーザー(受け手)が、興味のあることについてインターネットでいろんな意見を知ることができるのだから、新聞が情報に価値付けをする必要はない。しかも、新聞が1日に1回か2回しか発行できず、紙面にも制限があるのに対し、ネットではいつでも、どれだけでも情報を載せることができるのだから、メディアの側がニュースの重みづけをして、掲載するか否か、どの程度の量を掲載するか、などということを考えなくていいんですよ。ニッチな情報でもネットには載せておく、と彼は言ってますよね。ちなみに、「体制迎合」や「大衆迎合」も、伝える情報の取捨選択の過程においてなされる価値づけですよ。堀江氏は、媒介者たるメディアが情報の価値づけ・重みづけをすること自体が問題だとして、それをしないと言ってるのですよ。

新聞を殺す、とか、ジャーナリズムは必要ない、などの刺激的な言葉の表面だけを見て、少し感情的に反応しすぎだと思いますよ。(話題づくりという意味で堀江氏の思う壺でもあるのでしょうが…) 「みんなが興味のないものはとりあげてもしょうがない」(マッチングシステム)というのも、単に彼が発行する新聞の紙面に掲載してもしょうがない、と言ってるだけなのですよ。そこでの新聞がどのような位置づけであるかは前述の通りです。そして、みんなが興味のないニッチな情報でもネットには載せると言ってるのですよ。そして、興味のある人はアクセスすればいい、と言ってるのですよ。ここが大切です。「インターネットはいくらでも記事を出せるのだから。深く読みたければ、いくらでも深く読めばいい。そこから、いろんなところにつながっていく」と堀江氏は言っているのですよ。堀江氏のメディア観の中核はあくまでもネットなのです。

これらのことは、江川氏のインタビューや毎日新聞のインタビューにちゃんと書いてますよ。私が勝手に作り上げたオピニオンではないです。そして、私は、このような堀江氏のメディア論も、1つの在り方として評価しうると思っているのですよ。もちろん、好き嫌いは別問題でしょうけどね。

横入り(完全な横入りですが)失礼します。
堀江氏に関して、今ニュースを見てないので、TOBの結果を知らずに書きます。

私はかのフューラーとは同一視できない、と自分のブログに書いたので、その件に関してはこれ以上は書きません。
それから、ずっと思っていることは、メディアに関して、彼が思い入れを持っていない、ということなのです。

今回は相手がメディアだったから話が大きくなりました。
けれど、競馬のときも、野球のときも、彼には、それを「持つ」ことでなにかをブレイクスルーしようとする意図が感じられなかったのです。

それは今回も同じことです。
彼のインタビューを聴きますが、IT企業に関連している方でなくても、ネットに少し精通している方なら、恐らく彼のいう「ヴィジョン」なるものが、まったく新しくないどころか、すでになされていたり、計画済みだったりすることにお気づきと思います。
わたしも「興味のあるものだけ流せばいい」に怒った一人ですが、あれは、彼のヴィジョンではなくて、苦し紛れの弁明だったのではないか、という気がしています。

つまり、彼はITの先頭に立つには、ITについてしらな過ぎると思うんです。だから、私は彼を「ライブドアの社長」なのではなくて、「ライブドアの社長という肩書きを持つ、投資家」だと考えることにしました。そうでもしないと、あの脈絡のなさは理解ができません。ネット云々は彼の方便で、単なる買収屋さんだと思えば、言動も納得がいくかなと。

そう考えると、ニッポン放送社員の声明はまことにリスナー側のにたったもので、さすがに思い入れが違うと思いましたし、政治家や実業家がこぞって道徳的な面で批判するのも何か違います。
(これはTOBをしておきながら脇を甘くしていたフジテレビもおなじことです)

そして彼が「なにかをしてくれる」人だと思って期待するのも当然違うわけです。彼は彼の利しか追求してない。人のためには絶対に動きません。

わたしも自分のブログで、いろんな観点から彼を批判してきました。結果、これも一億の中の一つでしょうが、たどり着いた終点です。
ゆえに既に私は彼に興味がありません。


こんにちは。妙訝さん。(何とお読みするのだろう・・)

>堀江氏はクラッシャーのように語られますが、彼の為してきたことは、プロ野球にしても、地方競馬にしても、継続ばかりです。

プロ野球は継続もなにも、頓挫しましたね。ですがあの試みは評価しますが、


>フジに照準を合わせた今回の彼のアタックも、壱リーグ制や廃止等々の変化を彼が止めたように、国が地上波デジタル放送への変化と共に大きく変えてしまうであろうものを、結果的に彼の行動によってそのダメージを軽減させる事になるのではないか。

ある視点を果敢に提供したという点では、私も評価します。


>私はそんな観点から彼を見ています。彼が言うのは現行資産の有効活用です。未知の価値を創出とは言ってません(言っていたとしてもそれは未知な人もいるから彼らに知らせたい…という意味での未知です)。言ってもいないのに、ビジョンが無いとの非難ばかり向けられるのに、私は悪意しか感じられません。

ここが問題。「現行資産」=ニッポン放送(フジテレビ)ですよね?それを彼のようにメディアに対する見識の低い(と私は考えている)人物に経営してもらいたくない。さらに言えばそれはメディアの危機につながると考えています。(賛成派はこれを評価するわけですね。彼のメディア観(?)なるものを)


>ちなみに、国民に指示された破壊者としてのヒットラーに例えられるのは、やはり小泉総理なのではないでしょうか。彼のグッズやポスター販売、TVCMへの拘り。フセインやジョンイルとも重なります。堀江氏のあのルックスのポリシーにはその対極の意志が感じられます。


小泉さんはでも間が抜けているし弁が立たないし(笑)ね。
まあ、それは堀江さんもそうなんですが。


こんにちは。ジョン・ナランさん。


>で、堀江氏はネットに全てをありのままに載せると言っているのですよね。何もバイアスをかけない。オピニオンの押しつけもしない。彼のメディアは「純粋な媒介者」であると言っているのですよ。「ニュースの重みづけはユーザーが判断する」のだと言ってるのです。そして、本来はネットだけで十分なのですよ。新聞を出すのは、今のところその方が信用されるからにすぎない、と言ってますよね。だから、いつまで発行するかも分からない、とも言ってます。彼にとっての新聞(紙媒体)はその程度のものなのですよ。


紙か、ネットかは、この際どうでもいいのですよ。彼に「メディア観」なるものがあるのか、そしてそれが妥当なのかどうかが問題になります。ここで何度も紙がどうとか、ネットがどうとか言うのは、(堀江氏がですよ)中身が空疎であるので手法ばかり言っていると批判派(私も)は感じるわけです。おい、ジャーナリズムについてはどうなの?と。

すると・・


>「紙に挙げるときにはランキングによる。そこのところで情報操作をする気はない」と言っている堀江氏に対して、これを大衆迎合だと批判しても殆ど意味ないですよ。批判するなら彼のメディア論の中核であるネットに対する批判でなきゃ。(このことを、いささか的はずれの批判、と言いました)

わかりませんね。なぜ、「ネットに対する批判」をしなければならないんですか?
「ランキングによる。そこのところで・・・・」の部分ですよ。彼が経営権を取ろうとしているのはニッポン放送(フジサンケイグループ)ですよ?それを、ランキングによる情報提供にする。オピニオンは押し付けになるから行わないといっているわけでしょう?
それを大衆迎合と受け取るのが私。ジョン・ナランさんはそれを評価する。
その違いではないですか?

「彼のメディア論の中核であるネットに対する・・」というのが何をさすのか理解に苦しみます。何度も言いますが、そのうちほっておいてもフジサンケイグループはネットに移行します。フジだけじゃないでしょう。ネットに移行するからといって、「押し付けのオピニオンは・・・」というのは、必然では在りません。ネットでオピニオンも続ければいい話です。メディアにはもっと重大な問題がたくさんあります。

ネット化=ランキングというのは堀江さんの方向性でしょう?でしたらそういう方向でライブドアで情報ビジネスをおやりになればいい。「既存の資産」をそうした方向に変えていくことに対してジョン・ナランさんは支持しているのでしょうが、私は批判している。批判は的はずれという意味がやはり伝わらない。的外れなのではなく、あなたと私のオピニオンが異なるのです。それだけの話。


>彼は「みなさんが考えるジャーナリズムは、インターネットがない前提でのお話なんです。インターネットがない時代はもしかしたら必要だったかもしれない。しかし、今は必要ないと私は言い切ってもいいと思う」と言っていますよね。何故なら「興味のあるネタはインターネットで自分で探せるようになっている」からだと言っていますよね。

はい、言っています。ですがそれは「みなさんの考えるジャーナリズム」ではないんでしょう?「私の考えるジャーナリズム」でもありません。それは情報ビジネス。


>つまり、別に彼はオピニオンを主張すること自体を否定しているわけではないのですよ。彼のメディアから情報を得て、それに興味を持てば、ネット上で様々な意見を知ることができると言ってます。「(ネットには)いろんな意見がある。いろんなことを考えている人がいて、それを並行して見ることができて、自分の考え方の形成に役立つ」と言っているのですよ。つまり、オピニオンの主張を否定しているのではなく、それを新聞という媒体でやることを否定しているだけなのですよ。

ジョン・ナランさんの言っているオピニオンと私の言っているオピニオンは違うんです。例えば大衆がどっと好戦的になったときに歯止めをかけるのは、おそらく従来であればジャーナリストの役割でしょうが、堀江メディアではそうした「ポジション」はいらないのでしょう?そうすると誰がそうした役割をするのですか?大衆の善意と相互批判にまかせるわけですか?そうしたポピュリズムは怖くて信頼できないと私は考えます。

そもそも、どうしてメディアのオピニオンを「押し付け」「押し付け」と受け取るのでしょうか。それも一つの考え方と割り切ってその後粛々とインターネットでも使って、他のニュースソースもあたればいい。(ここのところをライブドアがやるんならいいですよ)最初の、オピニオンのところはいらないというのがおかしい。そもそもこのあたり、あの人は(ぶんだばさんも言っているけれど)真剣になんて考えていないし、興味も無いでしょう。かいかぶらないほうがいい。


>彼の言う「みなさんが考えるジャーナリズム」とは、現在の新聞のようなスタイルのことですよ。公正中立であるという建前をとりつつ、情報にバイアスをかけている(価値付けをしている)。しかし、今は、ユーザー(受け手)が、興味のあることについてインターネットでいろんな意見を知ることができるのだから、新聞が情報に価値付けをする必要はない。

いや、あるんです。それがあなたと私の違い。どこまで市民にそれをまかせられるかの信頼の違い。先日のイラク人質事件のように社会がヒステリックな状態にヒートしてきたとき、新聞というよりもメディアは正しい情報を伝え、オピニオンを伝えなければならない。(紙でもネットでも)そうした分野も、「オピニオンの押し付け」だと考えるのが、ライブドアのメディア観に賛同する人の特徴だと思いますが違いますか?


>しかも、新聞が1日に1回か2回しか発行できず、紙面にも制限があるのに対し、ネットではいつでも、どれだけでも情報を載せることができるのだから、メディアの側がニュースの重みづけをして、掲載するか否か、どの程度の量を掲載するか、などということを考えなくていいんですよ。ニッチな情報でもネットには載せておく、と彼は言ってますよね。

いや、ここでまたネットという手法と価値が混同されています。そんなことは産経新聞がネットに配信さえすればいいわけでしょう?それ以上でも以下でもない。ただ産経は情報に人気ランキングはつけないですよ。これが重要。
堀江氏があれこれ言わなくても既存メディアはいずれネットに移行します。


>新聞を殺す、とか、ジャーナリズムは必要ない、などの刺激的な言葉の表面だけを見て、少し感情的に反応しすぎだと思いますよ。(話題づくりという意味で堀江氏の思う壺でもあるのでしょうが…) 


いやいや思う壺ではありません。あの安直な発言のおかげで、ずいぶんと敵を増やした。本人のために利にはなっておりませんから。


>「みんなが興味のないものはとりあげてもしょうがない」(マッチングシステム)というのも、単に彼が発行する新聞の紙面に掲載してもしょうがない、と言ってるだけなのですよ。そこでの新聞がどのような位置づけであるかは前述の通りです。そして、みんなが興味のないニッチな情報でもネットには載せると言ってるのですよ。そして、興味のある人はアクセスすればいい、と言ってるのですよ。ここが大切です。「インターネットはいくらでも記事を出せるのだから。深く読みたければ、いくらでも深く読めばいい。そこから、いろんなところにつながっていく」と堀江氏は言っているのですよ。堀江氏のメディア観の中核はあくまでもネットなのです。


「ここが大切です」といわれましてもね。

ですからそれは「ライブドア新聞」でも出せばいいではありませんか。フジサンケイは(何度も言うけど決して好きな企業グループではないが)ライブドア傘下でそうした方向に行こうよと彼は言っているのでしょう。私は行って欲しくないな、と。
新しいメディアをやるなら自分が新規参入すればいい。自前で。
新しいことをやろうとしている人物が、確立された権威が欲しくてフジサンケイを多額の借金をして買収しようとするのは、傍から見ていて面白いけれど、違うでしょうということなんです。


>これらのことは、江川氏のインタビューや毎日新聞のインタビューにちゃんと書いてますよ。私が勝手に作り上げたオピニオンではないです。そして、私は、このような堀江氏のメディア論も、1つの在り方として評価しうると思っているのですよ。もちろん、好き嫌いは別問題でしょうけどね。


好き嫌いではありません。意見の相違です。



こんにちは。ぶんだばさん。
いろいろお疲れ様(?)です。


>それから、ずっと思っていることは、メディアに関して、彼が思い入れを持っていない、ということなのです。


「情報ビジネス」はもしかしたらカネになると思っているんですね。それから、彼はぶんだばさんの言うように「乗っ取り屋」いえ、「投資家」(笑)ですから、フジサンケイを牛耳れば自分の企業価値が上がると思って、800億借金しても元がとれると思って始めたんです。

そうしたら、何だかジャーナリズムがどうの、メディア観がどうのと彼にとって興味の無いことをみんなが聞くから、「いや、通信と放送の・・」と5年以上前からみんなが言っているようなことを言ったり、「ランキングでいいじゃないですか」なんて、記事のマッチングシステムなどという、言論界を激怒させるようなことを言う。

おおよそ良く聞いていても、この2つしか言っていない。

「放送とネットの融合」
「記事のマッチングシステム」

ザッツオールです。

僕はたぶん、ぶんだばさんほど産経新聞が好きじゃないけれど、これであれば既存の産経新聞に、あるいはバカであっても(笑?)才長けたフジテレビの既存路線を支持する。
ネット化なんて、目新しくもなんとも無い。ライブドアなんていなくてもできるんです。あのグループ単体で。

>それは今回も同じことです。
>彼のインタビューを聴きますが、IT企業に関連している方でなくても、ネットに少し精通している方なら、恐らく彼のいう「ヴィジョン」なるものが、まったく新しくないどころか、すでになされていたり、計画済みだったりすることにお気づきと思います。
>わたしも「興味のあるものだけ流せばいい」に怒った一人ですが、あれは、彼のヴィジョンではなくて、苦し紛れの弁明だったのではないか、という気がしています。


まったく同意です。


>そして彼が「なにかをしてくれる」人だと思って期待するのも当然違うわけです。彼は彼の利しか追求してない。人のためには絶対に動きません。


メディアの経営者や新聞の経営者は難しいところがあるんです。経営であるからには「自分のため」=利益もあげなければならないのですが、「世論」という難しいものを相手にしなければならない。時にはバカになり、時には国家を振りかざすフジサンケイグループですが、これでなかなかバランスの取れた悪くない企業集団だと最近思っています。
ライブドアが来てから一層そう思うようになりました。

まあ、冗談で言うんだけれど、これがテレビ東京を買収するとかでしたらね。
(ずいぶん安いらしい。もっとも日経と戦うのも大変だが)ライブドアを応援してもいいかもしれませんけど。笑

テレビ東京と、ライブドアTV・・・うーん究極の選択。


え~
あの独自路線のテレビ東京を買ってしまうのはイヤ~~~!
かの崩御の日も、地下鉄サリンのときも、独自路線を貫いた気骨ある(?)局ですよ!
そして全国のゴルフファンが「ゴルフ番組がなくなったらどうしてくれるんだゴルァ!」と怒りそうです(笑)

わたしはそんなに産経新聞を評価していません。
「正論」を一度読んだらあまりの「右」路線にひきましたし、かの女史のよく寄稿しているところでもありますし(^_^;)
産経新聞取ってないし(^_^;)

なお、誤解があったようなので、付け加えておきますね。
>メディアの経営者や新聞の経営者は難しいところがあるんです。経営であるからには「自分のため」=利益もあげなければならないのですが

わたしが「自分の利しか考えない」と書いたのは、まったく堀江という人間の財産を増やすことしか考えない、という意味だけなのです。

企業を経営する以上は、企業の利益を考えるのは当然です。
が、それだけではなく、その企業があることで、日本が進歩していくように、考えてきた企業のトップもたくさん以前はいらしたと思うんです(それは出版社しかり、松下やホンダやソニーや…ということです)。そういう「遠き慮り」がなく、自分の社員を育てるつもりもなく、ただただ自分の資産を増やすこと「のみ」を考えるのが彼、かな、と思ったわけです。

うーん、噛み合いませんねぇ。別に噛み合わなきゃいけないって言うわけでもないとも思いますけど。ただ、坊主憎けりゃ袈裟まで憎い状態になってる気がするんですよね。言葉の意味の持つ射程距離を冷静に掴む必要がある気がします。(つまり、言ってもないことを批判してもしょうがないということです)

例えば、

>例えば大衆がどっと好戦的になったときに歯止めをかけるのは、おそらく従来であればジャーナリストの役割でしょうが、堀江メディアではそうした「ポジション」はいらないのでしょう?そうすると誰がそうした役割をするのですか?大衆の善意と相互批判にまかせるわけですか?そうしたポピュリズムは怖くて信頼できないと私は考えます。

堀江メディアはそうした「ポジション」はいらないというのはその通りですね。では誰がそうした役割をするのか? ジャーナリストにそうした役割があるとすれば、ジャーナリストがすることになるでしょうね。ただ、堀江メディア(純粋な媒介者)はしない。新聞(ネットに移行しようが紙媒体であろうが純粋な媒介者という意味)というメディア自身はそれをしない、と言っているだけで、それ以上のことは言っていないんですよ。新聞が、自身のオピニオンに沿う形で世論をコントロールしようとすべきではないと言ってるだけです。

>先日のイラク人質事件のように社会がヒステリックな状態にヒートしてきたとき、新聞というよりもメディアは正しい情報を伝え、オピニオンを伝えなければならない。(紙でもネットでも)そうした分野も、「オピニオンの押し付け」だと考えるのが、ライブドアのメディア観に賛同する人の特徴だと思いますが違いますか?

正しい情報というのが正確な情報という意味ならば、それは堀江メディアも否定してないでしょう。堀江氏も情報の正確性まで考慮しないとは言ってないですよ(江川インタビュー)。ただ、メディア自身のオピニオン(我が社のオピニオンこそが正しいオピニオンだと言うのですかね?)を伝えるというのは「オピニオンの押し付け」だと言うでしょうね。

>いや、ここでまたネットという手法と価値が混同されています。そんなことは産経新聞がネットに配信さえすればいいわけでしょう?それ以上でも以下でもない。ただ産経は情報に人気ランキングはつけないですよ。これが重要。
堀江氏があれこれ言わなくても既存メディアはいずれネットに移行します。

堀江氏は、ネット上に全てをありのままに載せると言ってるのですよ。情報に、メディア自身のオピニオンによるバイアスはかけないと言ってるのです。これが重要。ただ、ネットに載せたものを全て紙媒体に載せることはできないので、何を載せるかはランキングで決めればいい、と言っていてるだけです。ネットに完全移行すれば、それは必要なくなるんですよ。

>好き嫌いではありません。意見の相違です。

これはどっちでもいいです(笑) 私は1つの在り方として評価しますが、評価しないという方がいてもそれは当然だと思います。

ありがとうございました。

BigBanさんコメント有難う御座いました、小生の勉強不足も有りますが人それぞれの色々な意見として考えて行きたいと思います、最終的な結論はどうなるか分からないので今後の動向を楽しみにしてますよ、BigBanさんの貴重な意見で勉強もさせてくださいね、熱くならない冷静な意見はやはり貴重なコメントですから~♪

ここの議論勉強になります。遅すぎるコメントですが、議論の中で、3点気になるのでコメントさせてください。

(1)ジャーナリストとマスメディア企業を一体としてみているように感じること

コンテンツを書く人と、それを伝達する手段を持っている人が必ずしも一体である必要はないと私は思います。意見を持つジャーナリストと、それを中立に流すことに専念するメディア。悪い組み合わせとは思えません。

(2)買収に対する拒否感

ライブドア自体がメディアを作ることはOKとしながらも、既存メディアを買収することはNOというのは分かりません。新聞であればまだしも、電波という有限の資源を使ったメディアの場合は、今から作りたくても作れませんよね?そうなると、放送という手段を持ったメディア経営は既存のメディア経営者以外にはもう認められないということになってしまいます。


(3)大衆への不信感

これはもう何を信じるかなのでしょうが、嘘や意図を持った情報により扇動された大衆の判断は危険だと思いますが、真実を伝えた結果の大衆の判断は、一部のジャーナリストによる判断よりも正しいと私は思います。大衆の判断=危険というのは、あまりにも大衆を見下しているようにすら感じてしまいます。

トラックバックありがとうございました。
来てみてびっくり。なんで私なんかの記事に
トラックバックしていただいたのか、どう考えても謎ですが、とってもうれしいです。
高度で硬度な議論の数々、大変勉強になりました。
私は皆さんとはレベルが違いすぎて好き嫌いでしか
ホリエモンを見ていません。す、すみません。怒られそうですね・・・。
でも、想定できないのが人間の感情で、そんな様々な
感情を持った生身の人間が組織として働いているのが
会社で、社員も会社の大きな資産だと思います。
人間が働く場所である企業を買う時にホリエモンは、
あまりにもその部分を無視したと思っています。
そして、そういう人は私は嫌い。というわけです。

それと、
>挑戦的で新しいからと言ってそれだけの理由で「それ」を免罪するのであれば、人類の歴史は現在よりもはるかに無謬であったはずでありましょう。
新しさに不合理な「贔屓」をする危険な体質はそのままさまざまな時代において、ポピュリズムの悪として露呈した。そういう意味で私は、あのゲルマンの独裁者すら例に引いたのです。閉塞社会の、単純な英雄待望論は、誤解を恐れずに言えば、99%が誤りを犯す。

というご意見、両手を挙げて大賛成です。
今、私がアタマに来ていることのほとんどはこれです。
ホリエモンは新しいという幻想で彼を賞賛する人を見るとつくづく気分が悪いんです。
ほんとに勉強になりました。これから私ももう少し理論的な文章が書けるようになりたいものだと思いました。
またお邪魔しますね~。

はじめまして。

>(1)ジャーナリストとマスメディア企業を一体としてみているように感じること
>コンテンツを書く人と、それを伝達する手段を持っている人が必ずしも一体である必要はないと私は思います。意見を持つジャーナリストと、それを中立に流すことに専念するメディア。悪い組み合わせとは思えません。

その通りです。一体である必要はありませんから、堀江氏は伝えるほうに徹すればいいのではないでしょうか?そのメディアを既存のフジサンケイグループを使って(リプレイスして)行おうとするのであれば反対だと言っているのです。

>(2)買収に対する拒否感
>ライブドア自体がメディアを作ることはOKとしながらも、既存メディアを買収することはNOというのは分かりません。

理由は簡単です。既存のフジサンケイグループをリプレイスして、堀江色にするなら(堀江色とはどんなものかはここでさんざんかきました)反対だからです。新しい流儀の情報産業は自分でおやりになればいい。


>新聞であればまだしも、電波という有限の資源を使ったメディアの場合は、今から作りたくても作れませんよね?そうなると、放送という手段を持ったメディア経営は既存のメディア経営者以外にはもう認められないということになってしまいます。


ちょっと待ってください。そんなことはありませんよ。「電波という有限の資源」とおっしゃいますが、技術的な側面と、法規制の面とがあります。携帯電話の帯域に関して孫氏がNTT等を相手に物言いをつけているのはご存知の通り。
現在の放送法の垣根は確かに高いですが、新規参入できないわけではありません。
そうした方向での参入であれば支持できたように思います。

また、ネットと放送の融合を唱えるライブドアであれば、こと地上波でポジションをとろうと躍起になること自体が存在矛盾ではりませんか?
それこそ、デジタルもある。インターネットもある。地上波に物言いをつける方向もある。
このジャンルの回答は明白です。フジテレビの企業価値をとりこみたいわけです。それを「乗っ取り」といえば乗っ取り。綺麗に言えばM&A。

要は、冗談スレッド「どのテレビ局なら・・」でお茶らけましたが。リプレイスしようとするものと、ライブドアとの価値比較の問題です。

>(3)大衆への不信感
これはもう何を信じるかなのでしょうが、嘘や意図を持った情報により扇動された大衆の判断は危険だと思いますが、真実を伝えた結果の大衆の判断は、一部のジャーナリストによる判断よりも正しいと私は思います。大衆の判断=危険というのは、あまりにも大衆を見下しているようにすら感じてしまいます。

これも強く異議を唱えざるを得ません。メディア論において、大衆の果たす役割、過去にはたしてきた役割について、もう少し注目していただきたいと思います。
大衆によるヒステリックな衆愚政治を仮に危惧したとしても、それは「大衆蔑視」だというわけではありません。私もあなたも、「大衆」の一部分です。
私達は個々にはそれなりの「見識」を持っているつもりですが、香田さんの事件然り、北朝鮮に対する対応然り、「正しい」と思われている事実が報道されても、必ずしもこの国の世論は「ふさわしく」動いたといえますか?

あるいは「正しい」情報とは何ですか?それは誰が判断するのですか?「大衆」だということですか?

もしもこの世にイラクについて「人気がないから」報道しないメディアがあふれたとき、私達はどうやってそのことの価値判断をするのでしょうか?

これは「報道しない」情報産業が「報道する価値=商売にならない」と判断するだけでこの状態になるのですよ?

そうした中にあってヒステリックな親米、反北朝鮮主義、国粋主義が横行したとしても、それは危険なポピュリズムではありますが、大衆蔑視とは異なります。

もともと人間は、あるいは私やあなたはそうした危険な集団主義を内なるものに抱えているのです。


こんにちは。

>ホリエモンは新しいという幻想で彼を賞賛する人を見るとつくづく気分が悪いんです。


好悪には必ず理由があります。顔が嫌いだとかスタイルがどうとか言われるとどうしようもないのですが、ある人物の発したメッセージが、好かれないとすれば必ず理由はあるのです。

特にメディアに対してどのようなプレゼンテーションができるのかは重要なことだと思います。

堀江氏は初動で明らかに間違えた。そのことを今(ニッポン放送に関しては経済的には勝利を収めつつも)一度離れた人心をとりもどすには大変な努力が必要です。
時として不可能かもしれない。

それでなければ、いくらグループの締め付けがあるにしろ、ニッポン放送、ポニーキャニオンの全社員がアンチを唱えるわけがありません。これを単なる「上からの締め付け」と強弁するのが本気であれば、まだわかってないと思ってしまいます。

今晩は。とてもご丁寧な回答ありがとうございます!

>(1)ジャーナリストとマスメディア企業を一体としてみているように感じること
>コンテンツを書く人と、それを伝達する手段を持っている人が必ずしも一体である必要はないと私は思います。意見を持つジャーナリストと、それを中立に流すことに専念するメディア。悪い組み合わせとは思えません。

>その通りです。一体である必要はありませんから、堀江氏は伝えるほうに徹すればいいのではないでしょうか?そのメディアを既存のフジサンケイグループを使って(リプレイスして)行おうとするのであれば反対だと言っているのです。

既存のフジサンケイグループをリプレイスして行うのに反対なのは何故でしょう?ライブドアがニッポン放送やフジテレビを買収したとしても、フジテレビやニッポン放送にいるコンテンツを書く人が今後も書き続けることは出来ます。

書いても伝わらなくては無意味というならば、他社(例えば日本テレビとか)を使ってもいいですし、下記の「買収に対する拒否感」に対する、ご自身がご回答されているような手段でフジテレビやニッポン放送にいるコンテンツを書く人が再度伝える手段を持ってもいいでしょう。(もしそれが可能という前提ならば)


>(2)買収に対する拒否感
>ライブドア自体がメディアを作ることはOKとしながらも、既存メディアを買収することはNOというのは分かりません。

>理由は簡単です。既存のフジサンケイグループをリプレイスして、堀江色にするなら(堀江色とはどんなものかはここでさんざんかきました)反対だからです。新しい流儀の情報産業は自分でおやりになればいい。

自分でやるのと買収してやるのを区別するのが分かりません。感情としてというのであれば分かりますが。目的と手段の手段にこだわるのは何故でしょう?

もし、「ライブドアにフジサンケイグループがリプレースされてしまうと、フジサンケイグループでコンテンツを作っていた人が伝える手段がなくなるから」とするならば、下記でご回答いただいてる内容と矛盾すると思うのですが?


>新聞であればまだしも、電波という有限の資源を使ったメディアの場合は、今から作りたくても作れませんよね?そうなると、放送という手段を持ったメディア経営は既存のメディア経営者以外にはもう認められないということになってしまいます。


>ちょっと待ってください。そんなことはありませんよ。「電波という有限の資源」とおっしゃいますが、技術的な側面と、法規制の面とがあります。携帯電話の帯域に関して孫氏がNTT等を相手に物言いをつけているのはご存知の通り。
現在の放送法の垣根は確かに高いですが、新規参入できないわけではありません。
そうした方向での参入であれば支持できたように思います。

新規参入が理論的に「不可能」とは言いませんが現実的には「不可能」ではないでしょうか?今、テレビに使えるアナログ帯域で放送を開始できますか?デジタル放送に移行したら可能ですか?孫さんが今、携帯電話に何とか参入しようとしているのは、テレビがデジタルに移行するために電波帯域が開くからです。それまでは不可能だったのです。そして、テレビに関しては、既に全ての帯域が既存事業者と一部新規事業者に渡されていて、今からの新規参入は不可能な状況にあると思うのですが・・。

>また、ネットと放送の融合を唱えるライブドアであれば、こと地上波でポジションをとろうと躍起になること自体が存在矛盾ではりませんか?

彼は将来のことを言っているので、全く矛盾しないと思います。ネットは自分達が持っている。持っていないのはテレビ。テレビを自分で立ち上げるのは実質不可能。ならば、テレビを買うことで手に入れる。そして、テレビが強い間にテレビを利用して、ネットを更に成長させるという考えではないでしょうか。

>それこそ、デジタルもある。インターネットもある。地上波に物言いをつける方向もある。

デジタルはないことと、地上波(アナログですよね?)はテレビは流せなくなります。インターネットについてはインターネットでテレビを見るという習慣が根付くまで待たなければならない。

>このジャンルの回答は明白です。フジテレビの企業価値をとりこみたいわけです。それを「乗っ取り」といえば乗っ取り。綺麗に言えばM&A。

売っているものを買うことが乗っ取りならば乗っ取りですね。


>要は、冗談スレッド「どのテレビ局なら・・」でお茶らけましたが。リプレイスしようとするものと、ライブドアとの価値比較の問題です。

正直お気持ちは分かります。しかし、ライブドアが新規にテレビ局を作れると思われるのであれば、フジサンケイグループも再度作り直せるという理屈になりますから、フジサンケイグループがそうすれば問題ないのでは?

>(3)大衆への不信感
これはもう何を信じるかなのでしょうが、嘘や意図を持った情報により扇動された大衆の判断は危険だと思いますが、真実を伝えた結果の大衆の判断は、一部のジャーナリストによる判断よりも正しいと私は思います。大衆の判断=危険というのは、あまりにも大衆を見下しているようにすら感じてしまいます。

>これも強く異議を唱えざるを得ません。メディア論において、大衆の果たす役割、過去にはたしてきた役割について、もう少し注目していただきたいと思います。
大衆によるヒステリックな衆愚政治を仮に危惧したとしても、それは「大衆蔑視」だというわけではありません。私もあなたも、「大衆」の一部分です。
私達は個々にはそれなりの「見識」を持っているつもりですが、香田さんの事件然り、北朝鮮に対する対応然り、「正しい」と思われている事実が報道されても、必ずしもこの国の世論は「ふさわしく」動いたといえますか?

つまり、今のジャーナリズムをもってしても「ふさわしく」動かないと言われていますか?ならば、逆にそれは必要なのでしょうか?単に不足をしているのでしょうか?

>あるいは「正しい」情報とは何ですか?それは誰が判断するのですか?「大衆」だということですか?

脚色のない、事実だけを伝える情報です。

>もしもこの世にイラクについて「人気がないから」報道しないメディアがあふれたとき、私達はどうやってそのことの価値判断をするのでしょうか?

>これは「報道しない」情報産業が「報道する価値=商売にならない」と判断するだけでこの状態になるのですよ?

>そうした中にあってヒステリックな親米、反北朝鮮主義、国粋主義が横行したとしても、それは危険なポピュリズムではありますが、大衆蔑視とは異なります。

すみません。ちょっとこの部分分からないのでご回答できません。

>もともと人間は、あるいは私やあなたはそうした危険な集団主義を内なるものに抱えているのです

仰るとおりだと思います。そしてジャーナリストも人間ですから「危険な集団主義を内なるものに抱えている」と思います。よって、少数のジャーナリストであれば正しいことを判断できて、大衆では正しいことを判断できない理由にはなっていないと思うのですが。

情勢が激しく動いていますね。


>既存のフジサンケイグループをリプレイスして行うのに反対なのは何故でしょう?ライブドアがニッポン放送やフジテレビを買収したとしても、フジテレビやニッポン放送にいるコンテンツを書く人が今後も書き続けることは出来ます。

>書いても伝わらなくては無意味というならば、他社(例えば日本テレビとか)を使ってもいいですし、下記の「買収に対する拒否感」に対する、ご自身がご回答されているような手段でフジテレビやニッポン放送にいるコンテンツを書く人が再度伝える手段を持ってもいいでしょう。

いや、日本テレビなどまで持ち出すのであれば話が堂々巡りします。つまり、A社とB社を比べているときに、C社でもA社の役割は果たせますとなればどんなことでも議論の焦点が定まりません。
ここでは二者択一なら私はライブドアを支持しない。(フジに比べて)あなたはライブドアを支持する(?)ということでいいのではいでしょうか?

>もし、「ライブドアにフジサンケイグループがリプレースされてしまうと、フジサンケイグループでコンテンツを作っていた人が伝える手段がなくなるから」とするならば、下記でご回答いただいてる内容と矛盾すると思うのですが?

手段がなくなるということは言っていません。何度も繰り返しになりますが、フジテレビを買収して堀江流の経営方針に変えようと。これがライブドアの姿勢ですね?ですからそれを支持するのか、従来のフジの方向を指示するのかは二者択一になるわけです。
これが新規参入であれば、そうした比較はしないで両立できるわけです。つまるところフジサンケイというグループを必要だと考えている私と、それはどうでもいいのではないかと考えるかの差だと思います。

>新規参入が理論的に「不可能」とは言いませんが現実的には「不可能」ではないでしょうか?今、テレビに使えるアナログ帯域で放送を開始できますか?デジタル放送に移行したら可能ですか?孫さんが今、携帯電話に何とか参入しようとしているのは、テレビがデジタルに移行するために電波帯域が開くからです。それまでは不可能だったのです。そして、テレビに関しては、既に全ての帯域が既存事業者と一部新規事業者に渡されていて、今からの新規参入は不可能な状況にあると思うのですが・・。

プロ野球と同じ話で新規参入を認めさせれば可能ではないですか?これが不可能であると判断するほどの根拠もないのではないでしょうか?
ただ、買収の方が早いというのはとにかく速さだけではなく企業価値を「他の企業を飲み込む」ことで成長してきたライブドアですから、これはゼロから始めたらいかが?といえばやらないでしょうね。そんな苦労をしてまでは。
それは考え方の問題ですからどうこういうつもりはありません。
要はこのグループは過去を見ても分るように、成熟した企業を飲み込むことで成長してきたグループです。新しいメディアを本気でゼロからつくっていこうという姿勢はないのですから、何を言っても後づけの観は否めません。
このあたり=彼らのメディア観の特徴とそれに対する疑念はメディア観の特徴も含めこのスレッドで何度も書きましたから。このへんで。

>つまり、今のジャーナリズムをもってしても「ふさわしく」動かないと言われていますか?ならば、逆にそれは必要なのでしょうか?単に不足をしているのでしょうか?

そうは言っていません。大衆がヒステリックに近い動きをする傾向が出てきた時に、「記事のマッチングシステム」で対応するだけの巨大なメディアができたとすれば、それは一応の言論の表現手段を持っているフジサンケイ以上に危険を感じると私は考えています。
前述の事件を例にとれば、メディアには確かにあおる機能もあるが、冷静な言論を伝える機能もある。
とりあえず現在のフジサンケイには一定の方向の主義も存在している。
この「主義なるもの」が果たしてメディアに必要かどうかで、この問題は大きく見方が分かれているのです。
私は「必要である」と考えています。

#それは残る日本テレビやテレビ朝日にまかせればいい・・などと言わないで下さいね。笑


>脚色のない、事実だけを伝える情報です。

何が「事実」なのか何が「事実でない」のかは、そんなに簡単なことではありませんよ?同じ事象でも伝え手が異なれば全く別の情報になるのです。あらゆる事象はそれを伝える人間の手によって黒にもなるし白にもなる。
だから伝い手の資質は重要になってきます。その的確性をライブドアに認めるかどうかです。

>そしてジャーナリストも人間ですから「危険な集団主義を内なるものに抱えている」と思います。よって、少数のジャーナリストであれば正しいことを判断できて、大衆では正しいことを判断できない理由にはなっていないと思うのですが。

それはそうです。ここであなたは議論をちょっと変えてしまっていませんか?

「ジャーナリストよりも大衆のほうが間違える」

などということは私は一言も言っていませんし考えていません。

真実はどちらも間違うことがあるのです。それはシンプルな話でしょう。そうではなく、「大衆の陥りやすい過ち」はジャーナリストが補い、「ジャーナリストの陥りやすい過ち」は大衆がチェックすると考えるのが普通でしょう。
ただ、「大衆の判断にまかせろ。ジャーナリストはいらない」ということではないでしょう?

ご回答有難うございます!(ちなみに私はライブドア支持でもないし、フジテレビ支持でもありません。正確には市場支持です)

一旦議論のベースを整理しますと、

まずBigBanさんの発言から前提として
(A)メディアをコンテンツ作成とコンテンツ伝達の2つに分離できるとします
(B)日本でコンテンツ作成とコンテンツ伝達両方とも新規で始められるとします

これは良いですよね?私は前回の質問で(B)について疑問を呈していますが、「プロ野球と同じ話で新規参入を認めさせれば可能ではないですか?これが不可能であると判断するほどの根拠もないのではないでしょうか?」というBigBanさんの意見に同意して(B)という前提に立ちました。

その前提で議論をしているとして、

(1)ニッポン放送コンテンツ作成者がコンテンツ伝達を出来なくなることが問題なのでしょうか?
(2)ライブドアのマスメディア参入方法(ニッポン放送買収)が問題なのでしょうか?

つまり、手段なのか、その結果としての影響を問題視されているのかということです。この2つは前提(A)と(B)により必ずしもセットにはならないので、分けて議論が出来ます。

私としては

(1)についてはライブドアが新規参入であろうと、ニッポン放送買収であろうと影響がないので問題ないと考えています。ライブドアがニッポン放送を買収して経営方針を変えようとしても、ニッポン放送でコンテンツを作成しているひとたちが「嫌だ!」というのであれば、別にもうひとつ放送局を作って、そこで現在のニッポン放送と同じ内容を放送すれば良いだけですから。

(2)については、そもそも売っていたものを買ったので問題ない。(フジテレビのTOB中に市場内で買うのも全く無問題)また、(1)により手段は影響に対して若干の時間の差としてしか影響しないのですから問題ないと考えます。

最後にこれとは別でジャーナリズムの必要性についてはインラインで解答させてください。


>>つまり、今のジャーナリズムをもってしても「ふさわしく」動かないと言われていますか?ならば、逆にそれは必要なのでしょうか?単に不足をしているのでしょうか?

>そうは言っていません。大衆がヒステリックに近い動きをする傾向が出てきた時に、「記事のマッチングシステム」で対応するだけの巨大なメディアができたとすれば、それは一応の言論の表現手段を持っているフジサンケイ以上に危険を感じると私は考えています。
前述の事件を例にとれば、メディアには確かにあおる機能もあるが、冷静な言論を伝える機能もある。
とりあえず現在のフジサンケイには一定の方向の主義も存在している。
この「主義なるもの」が果たしてメディアに必要かどうかで、この問題は大きく見方が分かれているのです。
私は「必要である」と考えています。

そうですね。私はマスメディアの「主義なるもの」に逆に恐怖を感じていますので、ここは価値観の問題だと思います。

>#それは残る日本テレビやテレビ朝日にまかせればいい・・などと言わないで下さいね。笑

言っちゃうかも(笑)。私もライブドアが言っている「記事のマッチングシステム」という新しいメディアが果たしてどれだけ機能するかについては確信を持てないでいます。(というか、世界にないので誰も確信持てないのでは?)

私から見ると、問題は代替性があるかないかなので、ライブドアが新しいメディアを作ったとしても他があれば別にいいかなとは考えています。

>>脚色のない、事実だけを伝える情報です。

>何が「事実」なのか何が「事実でない」のかは、そんなに簡単なことではありませんよ?同じ事象でも伝え手が異なれば全く別の情報になるのです。あらゆる事象はそれを伝える人間の手によって黒にもなるし白にもなる。
だから伝い手の資質は重要になってきます。その的確性をライブドアに認めるかどうかです。

ライブドアに適格性があるかないかについては、彼らは政治的に極めてニュートラルであると感じているので、私はあると思っています。逆に主義主張を強く持っているナベツネさんみたいな人のほうが適格性については疑問を持ちます。

>>そしてジャーナリストも人間ですから「危険な集団主義を内なるものに抱えている」と思います。よって、少数のジャーナリストであれば正しいことを判断できて、大衆では正しいことを判断できない理由にはなっていないと思うのですが。

>それはそうです。ここであなたは議論をちょっと変えてしまっていませんか?

>「ジャーナリストよりも大衆のほうが間違える」

>などということは私は一言も言っていませんし考えていません。

>真実はどちらも間違うことがあるのです。それはシンプルな話でしょう。そうではなく、「大衆の陥りやすい過ち」はジャーナリストが補い、「ジャーナリストの陥りやすい過ち」は大衆がチェックすると考えるのが普通でしょう。
ただ、「大衆の判断にまかせろ。ジャーナリストはいらない」ということではないでしょう?

そうですね。相互のチェックがあることは重要だと思います。ただし、今回のライブドア報道をみてしみじみ感じているのは、マスメディアによる偏向報道です。今やネットがあるので、こうしたblogをみて「今のテレビキャスターの発言おかしいぞ?」と感じることが出来る(=大衆によるジャーナリストのチェック)人も増えていますが、これがない時代だったらと思うとゾットします。

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