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« 空気の乱れ----北朝鮮への人間的希望 | Main | なぜ君が代を歌わないと処罰されるのか(2)----東京都教育委員会の違憲行動 »

April 03, 2005

なぜ君が代を歌わないと処罰されるのか(1)----東京都教育委員会の違憲行動

この問題は果たして正当に当サイトで扱うことができるかどうか、筆者の能力的な問題もあるので躊躇していたが、実際に、私生活ではまさに「内心の自由」に基づいて解釈対応している部分も既にあり、コメントを行わず放置するのもしんどい。どこまで記事として成立するか未知数だが、試みてみる。

自分としては、学校の儀式で「君が代」の斉唱があるとき、起立しない、歌わないというのを習慣にしてから長い時間が経つ。子供の体育祭や終業式など儀式全般でそうなので、最初は呆れ、疎んじていた家族もすっかり慣れてしまい、言わば織り込み済みの事項として淡々と過ぎている。せめて家族への配慮で、儀式があるときには式次第に素早く目を通し(苦笑)、君が代斉唱がある場合、席はなるべく後列に座るような「自分なりの配慮」はしている。

ちなみに、子供の学校は公立校ではない。私立のプロテスタント系の学校である。そうした環境と無関係に、学校祭事では公立同様、君が代斉唱と国旗の掲揚が、粛々と行われている。文科省から私立の学校機関には、どのような指示なり意志伝達がなされているのかは不明だが、かかる信条文化にある学校においてもこの習慣が守られていることはそれ自体、かなり奇異な感じさえする。

ちなみに念のために言えば、自分は「一般的な左翼的史観」の持主ではない。
憲法9条を堅持するというような方向での護憲の考え方を持っていないし、国際機関の要請があれば、一定の制約の元での軍事力の保持を改憲憲法の条項に盛り込むことも9条を聖域化しない改憲も必要であると考えている。いわゆる「絶対的平和主義者」ではない。

このサイトの記事を読めばわかると思うが、究極は米国から離れて独自の判断力と自立性を持つ日本というのが自分の理想国家像としてあり、現在のような従属的な同盟国の立場から、最低でも、ECのような一定の自立性を持った、米国にも「必要に応じて」対峙する勢力となるために、アジアの「ブロック化」(このへん危ういところで微妙なところであるが)も選択肢の中に入れるべきだと考えている。(中韓の現状を見るとこれも容易な道のりではないが)

愛国心や国への忠誠心を教育に盛り込むことも、全て反対というわけではない。戦後の自虐的な史観をそのまま教育に盛り込み、その影で米国や大国の戦争に名を借りた残虐行為を見過ごすことにも、ベタなアジアの一部の国への謝罪外交に対しても反対の立場である。

無条件に対米従属しない、議会と直接選挙による元首を中心に構成される、共和制の国家。そうしたところに、この国の理想像のようなものの帰着を、稚拙ながら自分なりに抱いている。そうした意味で現在の日米安全保障条約にも見直しが必要であると考えている。

以上が自分の大まかな政治的スタンスである。それを言明しておかないと、以下に展開しようとしている主張も、単に「左」として処理しされかねないので、敢えて書いておく。

その上で(ここがある意味複雑なところであるが)僕は、天皇制という不合理(と思われる)かつ特異で特殊な制度を、このまま21世紀も日本という現代の国家が、いささかでも「政治制度として」保持することに懐疑の念を抱いている。
もちろん現在の皇族の方々には、日本人として人並みの愛着心や親愛の情を持っているが、雅子妃の問題にも現出したように、皇族自身に対しても人権意識を欠いた不合理で理不尽な現行制度は、「伝統文化の領域」にのみ留めるべきであり、政治制度や法規に記載される「象徴天皇制」なる不可思議なものは、制度疲労と弊害が出ているので廃止もしくは言い改めた方がいいと考える。それはこの国の体制を曖昧にし、真の責任の所在を曖昧にし、さらには日本なるものを茫漠不可思議なる国家にしている一因となっていると考えるからである。

従って、そうした理由から僕は現在の「君が代」という国歌に対して賛意を表明することはできない。これは愛国の情の欠如とか帰属意識の否定とかいう観点ではなく、この国にはもっとしかるべき思想を込めた新しい国歌が制定されるべきだと考えているからである。「君が代」の歌詞は現代の日本における政治システムとも、国民感情にも、国際環境にもそぐわないと感じている。

以上の理由から、「日の丸」の掲揚に対しては立席するが、国歌斉唱には着席するという、傍から見れば必ずしもわかりやすいとは言えない、地味な態度表明をずっと続けている。もっともこれは淡々と続けているものであり(子供に対してはわかる範囲で理由の説明をしている)、僕がこうした思想を着席で表明することに当たっては、少々冷たい周囲の父兄や学校職員の視線を受け流しているだけですむ。自分の中ではこの行動は既に「結論が出ている」ことなので、迷いはない。信条の表明の機会として、脅かされるほどの圧力も(今のところは)感じていない。積極的に周囲を巻き込むことはしていないが、そうした考え方の者もいるということを表現している。それだけである。

ところが、もしも私が公立学校、それも東京都の教職員であるとすれば、事は大事に至るらしい。今年も東京都教育委員会は都立高校や盲・ろう・養護学校の卒業式で「君が代」を起立斉唱しなかったことなどを理由に教職員を処分することを決めた。処分された教職員は本年約50人とみられている。

さて、信条や思想は後述するように憲法によって保障されている。儀式における私のような行動も、またこれと正反対に、国旗国歌の掲揚や斉唱について「全ての国民に強制すべき」と考えることも、左翼政党による一党独裁がこの国にふさわしいと考えて活動することも、特定の宗教を信仰して活動することも憲法上は自由である。しかし、そこに一定の行政機関が公的な権力の元に圧力をかけたり、そうした信条を表明した者に不利益を起こさせたりすることがあれば、それは別の問題となってくる。

この記事の目指すところは、思想として「どちらが正しいか」の主張ではない。現状の法制度の中で、妥当性があるのか否か、特に問題となるのは憲法の解釈と諸法規との関係の問題であると考えている。そうした観点からこの問題を考えてみたい。

まず、この問題をできるだけ精緻に考えるために、関連すると思われる事実や条項関連のを下記に整理する。
少々長くなるがご辛抱を。

【「日の丸・君が代問題」に関する関連事項】

(1)国旗国歌法(1999年8月13日)

国旗及び国歌に関する法律(平成11年法律第127号・国旗国歌法)により、日の丸が正式に国旗として定められ、また「君が代」が国歌として定められた。但し、ここでは日の丸を日本国旗と定めること、君が代を日本国歌にすることの定めはされた(成文法でその根拠を定めた)が、これへの強制規定や罰則規定は(当然ながら)一切ない。

(※Wikipediaではこの法規説明の前に「1990年代末に、各地の高校や大学の入学式で日章旗を掲揚するか否かの議論が高まり、校長が自殺するという事件の発生を受け、」という前提を記載している。)

さらに君が代に関する政府見解は以下の通りである。

●政府が法案提出と同時に出した「君が代」に関する政府統一見解(1999.6.11)

 「君」とは、「大日本帝国憲法下では主権者である天皇を指していたと言われているが、日本国憲法下では、日本国及び日本国民統合の象徴である天皇と解釈するのが適当である。」(「君が代」の歌詞は、)「日本国憲法下では、天皇を日本国及び日本国民統合の象徴とする我が国の末永い繁栄と平和を祈念したものと理解することが適当である。」

●小渕首相(当時)による解釈の変更(199.6.29)

 (「君」とは)「日本国憲法下では、日本国及び日本国民統合の象徴であり、その地位が主権の存する国民の総意に基づく天皇のことを指す。」
 「『代』は本来、時間的概念だが、転じて『国』を表す意味もある。『君が代』は、日本国民の総意に基づき天皇を日本国及び日本国民統合の象徴する我が国のこととなる。」(君が代の歌詞を)「我が国の末永い繁栄と平和を祈念したものと解するのが適当。」 

小渕首相の解釈変更では、天皇の地位に関して微妙な言い代えが行われているのがわかる。

(2)学校における国旗及び国歌に関する指導について(通知)(1999.9.17)

これに基づき同年9月17日、 文部省初等中等教育局長、文部省高等教育局長の連名で、以下の通達が、各都道府県知事、各都道府県市町村教育長、国立大学長等に対して出されている。

ここでは

「この法律の施行に伴って,このような学校におけるこれまでの国旗及び国歌に関する指導の取扱いを変えるものではありません。学校における国旗及び国歌の指導については,これまでも適切な指導が行われるようお願いしてきたところですが,この法律の制定を機に,国旗及び国歌に対する正しい理解が一層促進されるようお願いします。」

また卒業式や入学式においては

「調査によれば,前回の平成10年春の調査に比べて全体としては実施率が上昇していますが,一部の都道府県及び指定都市において依然として実施率が低い状況にあります。各都道府県教育委員会及び各指定都市教育委員会にあっては,貴管下の学校における実施状況等を的確に把握し,各学校の卒業式及び入学式における国旗及び国歌に関する指導が一層適切に行われるよう引き続きご指導をお願いします。」

としている。

(3)東京都教育委員会の10.23通達(2003.10.23)

東京都教育委員会教育長横山洋吉名による「学校行事等における『国旗・国歌』の実施」通達(10.23通達)が都立高校、都立養護学校・盲ろう学校校長に対して出された。通達には、

・教職員の服装・座席の指定
・教職員は「国旗」に向かって正面に位置し「国歌」斉唱
・校長は文書で職務命令を出すこと
・職務命令に従わない教職員は処分

などを含み、国旗の掲揚位置や「国歌斉唱は、ピアノ伴奏等により行う」などを事細かに指示する実施方針が記されている。

ここで初めて、服務命令に従わない教職員の処分を明文化した通達がなされた。なお僕の知る範囲では、他に教職員への罰則・処分まで踏み込んでこの件に関して通達を行った自治体はない。

一般にこの10.23通達を「法的根拠」として、今春の教職員処分も行われているわけである。

(4)「服務事故再発防止研修」

この制度はもともと暴力教員やセクハラ教員など、生徒の人権を著しく侵害した教員や、教師としてあるまじき行いをした教員に対し、反省を促すための制度だったが、それを拡大解釈して「日の丸・君が代」を生徒に強制しなかった、あるいは「日の丸・君が代」の強制に従わなかったことを理由にこの「再発防止研修」が行われるようになった。
「再発防止研修」を受けてもなお信条を変えない教員には、「(研修)の成果が不十分な場合は研修終了とならず、再度研修を命ずる。受講して反省の色が見られず、服務違反を繰り返す場合は、より厳しい処分を行うことは当然。」と横山教育長は明言している。

一方政府見解はどうであったか。国旗国歌法の成立過程における政府の答弁の抜粋である。

政府答弁---国旗国歌法の成立過程において

(1)野中広務官房長官 (1999年8月6日国旗及び国歌に関する特別委員会)

「これらの政府の見解(「日の丸・君が代」政府解釈)は、政府自身の見解でございまして、国民お一人お一人が君が代の歌詞の意味などについてどのようにお受け止めになるかについては、最終的には個々人の内心にかかわる事柄であると考えております。」

(2)御手洗政府委員 (1999年8月4日文教委員会)

「子どもは当然、通常の場合に、学校が定められた教育活動に主体的に参加していく、これは教育活動の本来持っております作用でありますし、教員はそういった教育活動の本来的な作用に従って児童生徒を指導していくと言うことでございますけれども、指導の結果、最終的に児童生徒が、例えば卒業式にどういう行動をとるか、あるいは国旗・国歌の意義をどのように受け止めるか、そういうところまで強制されるものではないという意味で、強制するものではないと申し上げているところでございます。」

「これ(内心の自由にまで立ち入って強制することがあってはならない)は学校教育におきましても国民一般の場合におきましても何ら異なるところはないものと思っておりますし、教育に当たる学校の教員が、憲法に保障された基本的人権であります内心の自由にまで立ち入って強制すると判断されるような教育活動を行ってはならない。こういう点につきましては、私ども、今後とも十分留意をして参りたいと思っております。」

(3)有馬文部大臣 (1999年7月21日内閣委員会文教委員会)

「それでは、ご質問のどのような行為が強制することになるかについては、当然、具体的な指導の状況において判断しなければならないことと考えておりますが、例えば長時間にわたって指導を繰り返すなど、児童生徒に精神的な苦痛を伴うような指導を行う、それからまた、たびたび新聞等で言われますように、口をこじ開けてまで歌わす、これは全く許されないことであると私は思っております。児童生徒が例えば国歌を歌わないということのみを理由に致しまして不利益な取り扱いをするなどと言うことは、一般的に申しますが、大変不適切なことと考えておるところでございます。

(4)小渕恵三内閣総理大臣(1997年7月21日 衆議院内閣委員会)

児童生徒の内心にまで立ち至って強制しようとする趣旨のものでなく、あくまでも教育指導上の課題として指導を進めていくことを意味するものでございます。この考え方は、1994年に政府の統一見解として示しておるところでございまして、『国旗・国歌』が法制化された後も、この考え方は変わるところはないと考えます。」

教職員の「内心の自由」については

(5)有馬文部大臣 (1999年8月4日文教委員会)

「教育公務員として、あるいは教員として、地方公務員としての制約はございますね。ですから、その制約と、ご自分の、教員一人一人が持っている内心の自由、今その両方の関係をご質問だと思うけど、どの人が仮に内心の自由で何かをしたくなかったときに、その人が最終的に内心の自由でしないと言うことは、それはやむを得ないとおもいますけれども、しかしながら、教育をする人間としての義務は果たさなければいけない、そういう問題が私はあると思うんですね。ですから、その人に、本当に内心の自由で嫌だと言っていることを無理矢理する、口をこじ開けてでもやるとかよく話がありますが、それは、子どもたちに対しても教えていませんし、例えば教員に対しても無理矢理に口をこじあける、これは許されないと思います。しかし、制約と申し上げているのは、内心の自由であることをしたくない教員が、他の人にも自分はこうだということを押しつけて、他の人にまでいろいろなことを干渉するということは許されないという意味で、合理的な範囲でということを申し上げているのです。」

いずれも

・国旗、国歌の掲揚や斉唱は強制ではないこと
・教職公務員の(憲法に保障された)内心の自由は保証されるべきこと
(但しこの内心の自由を生徒に対して押し付けることは否定している)

が少なくとも保証されたと受け取ることができる。

【憲法の条文から】

次に憲法である。

まず天皇の地位について

(第1条)
天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

最高法規としての憲法は、言うまでもなく他の全ての法規の上位に位置する。
それを明文化しているのは下記の条文。

(第98条)
この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。

それを前提に東京都の10.23通達が抵触しているのではないかとの疑いが、以下の条文について生じるとされる。

(第19条)
思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。

さらに公務員の憲法遵守義務は

(第99条) 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

国旗国歌法と東京都の通達の周辺事項として、押さえるべき事項は、大まかには上記であろうか。読者諸氏において異論や不足等があれば、指摘してもらいたい。

※【4/4加筆】
当記事へのコメントで、下記条項を加えるようにアドバイスをいただいた。憲法に保障された思想や信条の自由は無制限ではない。公共の福祉に反する濫用は制限を受ける。本ケースに適用すれば、着席したままで国歌を歌わないことが、式そのものの妨害につながり、公共の福祉を乱したと判断されれば、思想や信条の自由の表明であっても制限を受ける。
しかし、着席して黙している行為はOKだが、壇上に上がり日の丸を引きおろすのは駄目だという見解もあるだろう。
ここは法的な議論に値する。

(第12条)この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う。

さて、その上で、10.23通達について、その合法性について考えてみたい。

次記事へ続く

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Comments

トラックバックありがとうございました。

おそらく管理人様とは考え方が違っていると思います。
僕はこの処罰された人間には同情心は沸きません。

公の立場である「公務教員」がなぜ日本の国旗・国歌を否定するのかと思うからです。


TBありがとうございました。
TBいただいた当方の記事は、これほどこみ入った問題とは無関係の内容だったので、正直ビックリしましたが…。

私は「良心の自由とか強制反対」と言う前に
「正式に制定された法律(国旗・国歌法)は尊重する」という「民主主義の良識・常識」がもっと大事だ、と言うことです。それでなければ民主主義は成立しない!
 私は「憲法9条には全く反対」ですが、尊重はいたします。それが民主義者の良識だからです。
 「自分の嫌いな法律は無視しても良い」論理なら
「憲法9条に反対の政治家は9条を無視しても良い」ということになりますが、それでよろしいのですね?
 「君が代・日の丸」に反対なら、対案を出し、国会に上程し、採決を図るべきです。それが「民主主義のルール」です。
「反対論者は対案を何も出していない」ではありませんか!
「対案なき反対」は単なる”子供のワガママ”です。
 あなたが「君が代に反対」なら、「国民の多数」の支持を得られる「別の歌」を提示してください!

こんばんは。

>私は「良心の自由とか強制反対」と言う前に
「正式に制定された法律(国旗・国歌法)は尊重する」という「民主主義の良識・常識」がもっと大事だ、と言うことです。それでなければ民主主義は成立しない!


憲法19条と98条についてはどうなりますか?国旗・国歌法はこの2法規には優先されませんよ。


> 「自分の嫌いな法律は無視しても良い」論理なら
「憲法9条に反対の政治家は9条を無視しても良い」ということになりますが、それでよろしいのですね?
 
どなたが、「自分の嫌いな法律は無視しても良い」と言われたのでしょうか?少なくとも当サイトではありませんよね。

>「君が代・日の丸」に反対なら、対案を出し、国会に上程し、採決を図るべきです。それが「民主主義のルール」です。

>「反対論者は対案を何も出していない」ではありませんか!
「対案なき反対」は単なる”子供のワガママ”です。
> あなたが「君が代に反対」なら、「国民の多数」の支持を得られる「別の歌」を提示してください!


この記事の趣旨を読み返してください。現在の国旗・国歌の正当性を論じる意図はありません。様々な考え方があるでしょう。別の歌の提示も一考でしょう。

ですがここの記事の趣旨はただ一点。東京都教育委員会の国旗国歌に関する通達は違憲ではないかという論点です。そこを間違えずにお願いしたいと思います。

> 東京都教育委員会の国旗国歌に関する通達は違憲ではないかという論点です。

その論点で語るなら、

> 「一般的な左翼的史観」の持主ではない
> 自分としては、学校の儀式で「君が代」の斉唱があるとき、起立しない、歌わないというのを習慣にしてから長い時間が経つ。
> 僕は、天皇制という不合理(と思われる)かつ特異で特殊な制度を、このまま21世紀も日本という現代の国家が、いささかでも「政治制度として」保持することに懐疑の念を抱いている。

このヘンは書かない方がいいのでは。せめて別エントリにするとか。

公務員 - Wikipedia 「公務員の義務」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AC%E5%8B%99%E5%93%A1

sabaさん、コメントありがとうございます。

>このヘンは書かない方がいいのでは。せめて別エントリにするとか。

うーん。思想的立場を表明することで客観性を欠く懸念があるということでしょうか。こうした記事を書くとすぐサヨクサヨク言う人がいますので、書いてしまったほうがいいと思ったんですよね。政治的スタンスも一緒に。

もちろん趣旨としては、私の個人的思想の押しつけにならないよう配慮しているつもりなのですが。

TBどうもありがとうございます。

>>もちろん趣旨としては、私の個人的思想の押しつけにならないよう配慮しているつもりなのですが

と言うか、このブログで言いたかった問題提起が、あくまでも「東京都教育委員会の国旗国歌に関する通達は違憲ではないか」という点であれば、そこから展開して行けば、分かりやすかったかと。

私も、人のことを偉そうに指摘出来るほど、文章が上手く書けませんが(笑)、(2)を読むまで、国歌が君が代である事に反対、と言う論文のテーマかと思っていたもので。(^^;

まあ、個人的には一部分を除いて、国旗掲揚、国歌斉唱に対して「通達」する事自体に、違法性は感じられません。
ただし、「従わない場合に処罰を与える」この部分だけは、何らかの議論の余地はあるかと思いますけどね。

>(2)を読むまで、国歌が君が代である事に反対、と言う論文のテーマかと思っていたもので。(^^;

ポイントは太字にしたりしていたんですけれど、ちょっと長ったらしいから不明確になったかもしれません。それに実際私は私見では「国歌が君が代である事に反対」であることには違いがありませんからね。議論から外すといっていますが。

まあ、こうしていろんなことを前提として外していかないと、ちょっとネットでの議論は難しいのではないかと思うんですよね。よそのサイトを見てもいろんな枝分かれが議論で生じると混乱する。

人の書いたことと全く関係の無いことを、どんどん書いてくる人とか、思想の別によらず、沢山いますね。

まして「こうしたテーマ」は気を使うべきかなと思います。


>まあ、個人的には一部分を除いて、国旗掲揚、国歌斉唱に対して「通達」する事自体に、違法性は感じられません。
ただし、「従わない場合に処罰を与える」この部分だけは、何らかの議論の余地はあるかと思いますけどね。

この場合の「違法性」とは「違憲性」ですから、実際通達自体を差し止めるべきだとか、その前の国旗国歌法案自体が違憲だとかいう論は無理でしょうね。

ひとえに、強制と罰則規定。これがどうなのかということだと思います。それに、教育委員会の出す通達自体の法的な重みはどうなのか。正当性はあるのか、それも気になっています。

ただ、周知のようによほどのことが無いと裁判所は違憲判決は出さないわけです。行政の条例が簡単に違憲判断されること自体混乱の元ですから。

ただ、この通達は別に議会で立法されたものではないですからね・・そのあたりもう少し調べてみたいと思っていますが。裏づけについて。

私は、起立しても唄わない面従腹背人間ですが、処罰された東京都職員に対しては同情いたしません。

横入りで申し訳ありませんが、若干の補足を。
憲法というのは「公法」という法体系に位置するものでありますが、これは、国家vs民衆(国民)との関係を規定する法律であって、国家の内部に属する公務員に対しては、憲法で定める権利などはある程度制限される余地があると考えられていました。
(特別権力関係理論)

それが、思想・良心の自由にまで及ぶとは今のところ考えられてはいないようですが、少なくとも政治的活動の自由は制限されています。(猿払事件など)
今回の君が代斉唱時の不起立がどのような性質のアクションかは個々人の判断に別れるとは思いますが、見方によってはネガティブな政治的活動ということもできるかと思います。

また、BigBanさんが、「さて、信条や思想は~」という段落で述べられていることは、まさしく政治的活動の範疇にはいるものかと思います。

また、憲法条文ですが、憲法15条第2項をあげておきます。
「すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。」


こんばんは。

>また、BigBanさんが、「さて、信条や思想は~」という段落で述べられていることは、まさしく政治的活動の範疇にはいるものかと思います。


ここを政治活動ととらえるか、「内心の自由」と捉えるかは、議論の分かれるところ。確かにそうです。
ですが、「強制」について考えてください。
著しく精神的苦痛を伴う「服務事故再発防止研修」については東京地裁も警告を発しています。

おおよそ、「強制」が合法化されるような憲法だったのでしょうか。私たちの憲法は?

憲法第15条第2項の趣旨から、代議員以外の公務員については、政治的中立が求められていると解されています。
これは、代議員あるいは有権者の大数によって政治的判断がなされ、その執行機関として各公務員がいるわけですから、公務員がその業務に際し政治的判断を挟むことは逆に行政の執行上混乱を来す可能性があるからです。

そして、君が代・日の丸に関する問題というのは、思想のなかでも政治的か否かといわれれば、まさしく前者のものでありましょう。

つまり、こうした政治問題は、上位の行政機関の判断に従うべきですし、公立校教師の方々はそれを容認したうえで自ら公務員となったのではないですか?

なるほど、「強制」はよくありません。
逃れられない強制はよくないですね。
ですが、強制から逃れられないということがあったのでしょうか。
あまり論点にはだしたくありませんでしたが、憲法第22条です。
この条文は、職業選択の自由を示していますが、これは自分の信条とはあわない職場からは逃れられる自由でもあるということです。
これによって、精神的苦痛をも逃れることができるわけです。

崇高な理念をもって教鞭を持つことはよいことだと思いますが、それならば、私学なり「まだ」自由なところで教鞭を持つことができるというのに、自らルール違反を犯し、いろいろな不利益を被ってまで公立校の教職の座にいるというのはどういった崇高な思想によるものなのでしょうか。

不起立をした教師に対して疑問なのは、その1点です。

また、少し気になったのですが、コメント中に

>どなたが、「自分の嫌いな法律は無視しても良い」と言われたのでしょうか?少なくとも当サイトではありませんよね。

と書いていますが、(2)文中の

>しかるべき判断が確定するまで、この通達に従う必要はないのではないか。

というのは、まさしく、「自分の嫌いな法律は無視しても良い」と同レベルのことじゃないのでしょうか。

どういう意図でかかれているかはわかりませんが、文章を読む限りでは残念ながらそのように読めてしまいます。

茶研さん、再度のコメントどうも。

>憲法第15条第2項の趣旨から、代議員以外の公務員については、政治的中立が求められていると解されています。
これは、代議員あるいは有権者の大数によって政治的判断がなされ、その執行機関として各公務員がいるわけですから、
公務員がその業務に際し政治的判断を挟むことは逆に行政の執行上混乱を来す可能性があるからです。

>そして、君が代・日の丸に関する問題というのは、思想のなかでも政治的か否かといわれれば、まさしく前者のものでありましょう。

>つまり、こうした政治問題は、上位の行政機関の判断に従うべきですし、公立校教師の方々はそれを容認したうえで自ら公務員となったのではないですか?


非常に正当な解釈だと思います。ただ私は、誤解を避けるために言っておきますが、公立学校等の現場の教師の「権利侵害」を中心に据えているのではありません。東京都教育委員会の通達の合憲性について論じています。
それも通達自体の合法性ではなく、「強制」項目を伴った通達に違憲性があるのではないかと論じているのです。
この種の問題を論じるときによく堂々巡りになるんですが

「公立の教師になった以上、法に従うのは当たり前」
(この場合の「法」とは憲法等ではなく、多くの場合一般法について言及されます)

法に従わない教師は悪い

いやなら私立にいけばいいではないか

という論法が取られます。

問題点は

(1)本当にその通達や法律は最高法規に照らして合法か
(2)すべての教師が私立に行くわけがない。公立の教育において、そのような教育のありかたは続くことに変わりはない。これが児童への間接的な人権侵害にならないか。

の2点です。
(1)に関していうなら、極論すれば今

「すべての公立教師は式において頭に日の丸を巻いて出席すべし」
という通達が新たに出されたとします。
(今笑いました?あの教育長ならやりかねないんだけど)

これも通達ですから、公務員たる教師は遵法の義務があることになります。さて、そうした風景を予想してみてください。すべての教師が頭に日の丸を巻いているのです。
多くの人は「ばかばかしい」とか「そこまでやる必要があるのか」「前提がばかげている」というでしょう。

でも考えてみてください。
「歌うときのの声量」や「姿勢」まで言及して制度化しようとする今回の通達のばかばかしさと私の例による「頭に日の丸」の愚かさとの間に、私の目から見れば大して違いはないのです。
正規な手続きによって出された法律(もっとも学習指導要綱も、教育委員会通達も果たして強制力のある「法」として論じられるのかどうかさえ疑問です。この後はまあおいておきますが)
だからといって無条件に従わなければならないというわけではなく、合憲性という観点での異議申し立ての機会は保証されるべきだし、社会はその機会を奪うべきではありません。

果たして、正規な手続きの法が命じているからといって「頭に日の丸を巻け」などという命令に公務員は従わなければならないのでしょうか?それがないのであれば、なぜ今回の「姿勢」まで制約する通達は正当で「頭に・・」は不正当なのでしょうか?その差はなんでしょうか。
(両方とも正当であるという人もいましょうね)

これを論じてくれと異議申し立てをする行為は政治的行為ではなく、法規の合憲性を問う当選の行為として私は公務員から奪われてはいないと解釈します。

いやなら公務員をやめろというのはだめです。一人でもそうした教員がいる限り、私やあなたの子供はそうした「ばかげた」公務員たる教員や学校に指導を受ける可能性があるからです。

>そして、君が代・日の丸に関する問題というのは、思想のなかでも政治的か否かといわれれば、まさしく前者のものでありましょう。

これは「君が代」や「日の丸」を国旗や国歌からはずせと主張したときに初めて「政治的行為」になると考えます。
立席の拒否や斉唱の拒否は内心の自由の表現であり政治的行動とまではいえないと言うのが私の考えです。
そして、国家は教員に対してはその自由を認めるべきだと思っています。

逆にすべての公立教員に立席と斉唱を求め、罰則規定を伴って命令することは政治的中立にかなった行為なのでしょうか?一部の考えを持った人々による「政治的な」命令ではありませんか?

国公立の教員は確かに公務員ですが、一方で教員です。
教員は児童生徒に対して、憲法に従った教育を行う義務をこれまた「公務員として」持っています。
ここに関して疑いのある行為を上部機関が命じてきた場合、公立教員をやめるという選択を強いるべきではなく、「異議申し立て」をすべきだと思うのです。

そうした意味で私は

>しかるべき判断が確定するまで、この通達に従う必要はないのではないか。

と書きました。異議申し立てを裁判所に対して行い(いやめったなことでは違憲判決なんか出ませんよ。最高裁でも。
その上であってもあえて争うべきであると思うのです)しかるべき結論が出るまで「違憲の疑いのある通達」に正当な事由で従わない表明があってもいいのではないかと思ったわけです・


>というのは、まさしく、「自分の嫌いな法律は無視しても良い」と同レベルのことじゃないのでしょうか。

嫌いなら?従うな?まったくレベルは違います。
ご理解いただけますか?

それから「公務員なら法に従え」というのが金科玉条のように使われていますが、学習指導要綱は一省庁が作った条項でしかなく、立法機関を通じて採決されたものではありません。
同様に教育委員会の通達について都議会で決議したという話も聞きません。

これらの「命令」自体の法的資格も疑っています。
もう少し調べてからこのへんは言及したいと思いますが。


三度失礼します。
できるだけ短めに…

そもそも、
>国公立の教員は確かに公務員ですが、一方で教員です。
教員のみ、一般公務員から切り離して「聖職」的位置づけにおくのかが理解に苦しみます。

憲法23条の「学問の自由」から派生して「教授の自由」というものが考えられていますが、国公立校であれば、小中高大それぞれの学校の性質によって、その「教授の自由」も制限されると解されていますし、そういった判例も存在しています。

>逆にすべての公立教員に立席と斉唱を求め、罰則規定を伴って命令することは政治的中立にかなった行為なのでしょうか?一部の考えを持った人々による「政治的な」命令ではありませんか?

たしかに、「政治的な命令」かもしれません。
「代議員以外の公務員は、政治的中立である必要があります」といいました。
つまりその命令はさかのぼれば、東京都知事にまでさかのぼるわけであり、知事はまさしく「有権者の大数によって選ばれた者」です。
これは間接民主制をとっている日本ではどうしょうもない事実です。

>嫌いなら?従うな?まったくレベルは違います。

日本は議会民主制をとっている法治国家です。

つまり、あくまで個人の意見として「違憲である」と思っているというのは、嫌いだからという単純な理由でも、BigBanさんのように緻密な理論を根拠としているものでも性質としては、「○○は違憲だという考え」でしかありません。
#個人の考えが内心にある以上は、それに価値をつけることはまったくの無意味です。

これが個人の内面に秘められているうちには、なんら問題になることはありません。
しかし、これが実際に行動を起こされたらどうなるのでしょうか。それぞれの価値観によって数々の法律が(それぞれの脳内)違憲無効となり、(本来使われている意味での)「確信犯」の大量発生です。彼らがすべて「違憲だと思ってやったのならしょうがない」と認められてしまうのであれば、社会は混乱に落とされます。

そのため、「違憲審査権」というのが司法権の存在する最高裁判所に独占的に与えられているわけです。独占的というのは、最高裁判所以外の者が独自に法令その他の社会的規則に対して違憲か合憲化の判断を社会的に判断することは出来ないということです。

つまり、「違憲だと思うからそんな法律・命令・通達には従わない」といってしまうのは、日本が法治国家であるという前提を重んじる以上は、どんな理由であれ、認めるべきではないのだと思うのです。


茶研さん、議論につきあっていただいてありがとう。
茶件さんのおかげで、記事の曖昧な部分が補足できているように思います。


>教員のみ、一般公務員から切り離して「聖職」的位置づけにおくのかが理解に苦しみます。

「教員のみ」とも思いませんし「聖職」という使い古された言葉に興味はありません。
教育職「は」元来、生徒に対して「憲法に従った教育を行う義務」を負っていると言っているのです。
これは茶研さんのいう「聖職」というどこか特権的な身分保障を髣髴とさせる言葉には馴染みません。むしろ、より一層厳しい自戒と姿勢が教職には求められると言っているのです。


>憲法23条の「学問の自由」から派生して「教授の自由」というものが考えられていますが、国公立校であれば、小中高大それぞれの学校の性質によって、その「教授の自由」も制限されると解されていますし、そういった判例も存在しています。


それは無論でしょう。理解します。


>たしかに、「政治的な命令」かもしれません。
>「代議員以外の公務員は、政治的中立である必要があります」といいました。
>つまりその命令はさかのぼれば、東京都知事にまでさかのぼるわけであり、知事はまさしく「有権者の大数によって選ばれた者」です。
>これは間接民主制をとっている日本ではどうしょうもない事実です。


「どうしようもない事実」ではなく、抵抗の方策はもちろん選挙における石原都知事の罷免もありましょうし、裁判所の違憲立法審査権に求める方法もあるでしょう。
この通達に違反して解雇されたなら、解雇の仮差し止めを求めることもできましょう。
茶研さんは、現状認識への割り切りが早すぎませんか?
知事が政治的に「偏った公務員」であることがこの問題の一因であるなら、表面的遵法を言う前に、現状を是正すべきではありませんか?


>これが個人の内面に秘められているうちには、なんら問題になることはありません。
しかし、これが実際に行動を起こされたらどうなるのでしょうか。それぞれの価値観によって数々の法律が(それぞれの脳内)違憲無効となり、(本来使われている意味での)「確信犯」の大量発生です。彼らがすべて「違憲だと思ってやったのならしょうがない」と認められてしまうのであれば、社会は混乱に落とされます。

>そのため、「違憲審査権」というのが司法権の存在する最高裁判所に独占的に与えられているわけです。独占的というのは、最高裁判所以外の者が独自に法令その他の社会的規則に対して違憲か合憲化の判断を社会的に判断することは出来ないということです。


社会に判断しろとは言っていません。ここでも茶研さんの主張は法理論の原則であるに過ぎず、個別のケースである今回に適用して問題を議論するのは精緻さにかけるのではないでしょうか?
果たして、一地方自治体の教育委員会の通達に従わず、国歌斉唱において声を出さなかったり、立席をしなかったからといって「社会を混乱に陥れる」までの事態が生じるといえるでしょうか?

つまりあなたの主張は一般論としては正しいですが、そうであれば全ての法は「悪法も法である」とまとめて終わりになり、抵抗の施策を封じることにもなりません。

最高裁で違憲が確定するまで通達には従っていなさいという主張かもしれませんが、法理論は原則論であるとともに「解釈の戦い」「運用の議論」というものがあります。

成文法は、(釈迦に説法かもしれませんが)個別の事件における全ての運用まで成文化してはおらず、個別の事件における司法部の解釈にゆだねられているのです。

それですら絶対ではない。
納得のいかない司法判断に対抗するには、国民には司法部の最最高裁判所の裁判官の罷免権もあります。
そう単純なものではないことはおわかりだと思います。

違憲かもしれない誤った通達に10年従っていればその10年間に受けた児童の人権侵害はさかのぼって回復することは困難です。

危急性の求められるケースでは、身分回復の仮差し止め訴訟なり、地位の原状回復の申し立てなり、通達の停止の申し立てなり様々な闘争としての手段が存在するし、社会はこうした戦いのもとに、法を弾力的に運用しているのです。

私は、意見がわかれるかもしれませんが、東京都の現状は危急に判断が求められるケースだと思っています。

それに、茶研さんのように細かな議論につきあってくださる方はよいですが、「法律なんだから黙って従え」「法を破るなら悪いに決まっている」という乱暴な議論が最近社会に見受けられますが、ことは「法解釈」をどう考えるかという議論なのです。法は絶対ではあるが、解釈運用には議論が生じます。

今回の件についても、双方が自分の主張は「合法だ」と考えているのです。ある者は通達の合法性に乗っ取って。そしてある者は憲法に乗っ取って。厳しい判断が求められます。

>つまり、「違憲だと思うからそんな法律・命令・通達には従わない」といってしまうのは、日本が法治国家であるという前提を重んじる以上は、どんな理由であれ、認めるべきではないのだと思うのです。

「そんな法律には従わない」やり方がが、現場で稚拙に駄々をこねたり、無意味な抵抗に終わればそういわれる謗りを免れないでしょう。法に対抗するには法によって堂々と対抗すればいいと思います。まず法に従え、それから行動せよ・・・と無条件にいえるものではありません。
そこは、法的対抗手段は様々に存在しますよ。

そうした行為は毎日法廷でなされています。まさに、法解釈をめぐる闘いです。これも法治国家の一側面でしかありませんし、また法治国家だからこそ保証されるべきなのです。そう思われませんか?


初めて投稿させて頂きます。

最初からで恐縮ですが「東京都教育委員会の国旗国歌に関する通達は違憲ではないか」という論点に絞っているのは卑怯だという事です。

国旗国歌に関して色々と議論されている中で貴方が勝手に「東京都教育委員会の国旗国歌に関する通達は違憲ではないか」と言うのはあくまでも論点のすり替えです。

本質は何故そういう通達が出されたかという事です。
国旗国歌に偏見を持たせるような誘導をしようとしている一部の教員が問題なのです。

ここでの投稿に対する貴方の回答を見ていても、他のHPでのやりとりと何ら変わるものではないように思われます。

日本の歴史や文化に対する考え方が根底の問題です。
はっきり言って国民投票でもしないかぎり結論が出ないような問題ですし、仮に国民投票で国旗国歌の容認派が多数を占めても貴方はその結果に対してまた異論を唱えるでしょう。

貴方が何を主張しても自由ですが、とても世論の支持を得られるとは思えません。


こんにちは。

こちらも「おやおや」です。

>最初からで恐縮ですが「東京都教育委員会の国旗国歌に関する通達は違憲ではないか」という論点に絞っているのは卑怯だという事です。

何が卑怯なのでしょうか?あなたの気に入るスタイルに議論が展開していないからですか?ブログをお持ちかどうかわかりませんが、それであれば気に入る論点であなたがお始めになれば宜しいではありませんか。あなたがその議論で、全く通達の違憲問題に触れなくても、私はそのことをもってあなたを卑怯だなどと思わないし、また呼びもしませんが。

ここは私が主催するブログです。私なりの論点の絞り方をさして、あなたに感情的に卑怯呼ばわりされる覚えはありません。
これだけ様々な視点から、通達に関して考えようとしているのに、そのいずれに対しても具体的な見解を述べず、あなたのように「要するに日の丸と君が代でいいじゃないか。つべこべ言うな」と言わんばかりに単純に議論をぶった切るように見える方こそ、私にとっては驚異に値しますし、到底容認できません。

>はっきり言って国民投票でもしないかぎり結論が出ないような問題ですし、仮に国民投票で国旗国歌の容認派が多数を占めても貴方はその結果に対してまた異論を唱えるでしょう。

どういう根拠で私が国民投票の国旗国歌の容認という結果に対して異論を唱えると決めていらっしゃるんでしょうか?全くわかりません。もう少し落ち着いて、ご自分の文章を読み返して整理してから投稿されたほうがいいと思いますよ。

全体的にあなたが気に入るような論点で、(それがどんなものかわかりませんが)「おやおやさん」が別の場所でおはじめ下さい。もしくはあなたが気に入るスタイルで議論が展開されている場所に行ってご議論ください。

以上です。

>何が卑怯なのでしょうか?

再度言いますが、

本質は何故そういう通達が出されたかという事です。
国旗国歌に偏見を持たせるような誘導をしようとしている一部の教員が問題なのです。

国旗国歌に関して色々と議論されている中で貴方が勝手に「東京都教育委員会の国旗国歌に関する通達は違憲ではないか」と言うのはあくまでも論点のすり替えです。
本来の論点をすりかえて、やり方云々を取り上げて目先を変えてごまかそうとする貴方のやり方が卑怯だと言うのです。

何故最初から本来の論点である国旗掲揚・国歌斉唱そのものについて議論しようとしないのか?

現に貴方は長々と否定的な意見を述べているではないか。
にも関わらず、「東京都教育委員会の国旗国歌に関する通達は違憲ではないか」という論点に絞って論議しましょうなんてのは甚だ片腹可笑しいと言わざるを得ない。

歴史認識の違いとは言え、歴史の浅い新興諸国等から羨ましがられる程、世界に誇れる日本の文化や歴史を尊ぶ日本人の一人として貴方のような主張は貴方流に言わせれば、到底容認できません。

こんばんは。


>何故最初から本来の論点である国旗掲揚・国歌斉唱そのものについて議論しようとしないのか?

>現に貴方は長々と否定的な意見を述べているではないか。
にも関わらず、「東京都教育委員会の国旗国歌に関する通達は違憲ではないか」という論点に絞って論議しましょうなんてのは甚だ片腹可笑しいと言わざるを得ない。


困りましたね。繰り返しますが、ここは私のブログです。問題の立て方や論点が気に入らないのであれば、あなたの場所なり、あなたが思いっきり主張できる場所でお願いします。ブログ界は広大ですから、そんな場所はいくらでもあるのではありませんか?

私は私なりの価値観から、「通達の違憲性」についてテーマをたて、ある程度客観的な根拠も示し、それに関心を示してくれる方々と議論をしてきた。
ところがあなたは、現れるや否や、それには興味がないとして、ここでの議論の基本を否定し、「自分にとってはこっちの方が大事だから」「こっちの言うテーマで議論すべきだ」と言う。このことの不自然さがわかりませんか?

要はあなたとは価値観が違うので私にとって重要だと思うものはあなたにとって重要ではないということです。逆も然りです。
普遍性のある「本来の論点」など存在しません。そんなものは人の数ほどあるのです。それが自分とずれたからといって卑怯呼ばわりするのは笑止千万です。

あなたにとって自明の

>>歴史認識の違いとは言え、歴史の浅い新興諸国等から羨ましがられる程、世界に誇れる

云々の主張は、あなたが大切に心に抱いていれば宜しいでしょう。皮肉でもなんでもなく、それはあなたの大切な信条でしょうから。

もう一度言います。

あなたが思い切り「あなたの愛国心」について語れる場所はここでなくても宜しいでしょう。私はそれに興味が無いのです。ふさわしい場所をお探しください。

この件は繰り返されても同じです。

>ここは私のブログです。問題の立て方や論点が気に入らないのであれば、あなたの場所なり、あなたが思いっきり主張できる場所でお願いします。

貴方はインターネット上でHPを公開するとはどういう事か再認識した方が良いのでは?

第一に貴方は次のような事を議論の大前提として堂々と掲げておられる。

>皇族自身に対しても人権意識を欠いた不合理で理不尽な現行制度は、「伝統文化の領域」にのみ留めるべきであり、政治制度や法規に記載される「象徴天皇制」なる不可思議なものは、制度疲労と弊害が出ているので廃止もしくは言い改めた方がいいと考える。それはこの国の体制を曖昧にし、真の責任の所在を曖昧にし、さらには日本なるものを茫漠不可思議なる国家にしている一因となっていると考えるからである。

従って、そうした理由から僕は現在の「君が代」という国歌に対して賛意を表明することはできない。これは愛国の情の欠如とか帰属意識の否定とかいう観点ではなく、この国にはもっとしかるべき思想を込めた新しい国歌が制定されるべきだと考えているからである。「君が代」の歌詞は現代の日本における政治システムとも、国民感情にも、国際環境にもそぐわないと感じている。

以上の理由から、「日の丸」の掲揚に対しては立席するが、国歌斉唱には着席するという、傍から見れば必ずしもわかりやすいとは言えない、地味な態度表明をずっと続けている。


貴方流の「地味な態度表明をずっと続けている」にも関わらず、「私は私なりの価値観から、「通達の違憲性」についてテーマをたて、ある程度客観的な根拠も示し、それに関心を示してくれる方々と議論をしてきた」とはどういう事かな?

自分は勝手に「地味な態度表明をずっと続けている」がその事について他人にとやかく言われる筋合いのものでもないし議論する価値もないって事なのかな?

「東京都教育委員会の国旗国歌に関する通達は違憲ではないか」という事だけに絞って議論を展開してどういう結論を誘導したいのかな?

「東京都教育委員会の国旗国歌に関する通達は違憲である」という結論を誘導して国旗・国歌に否定的な教師を擁護したいのかな?

インターネット上でHPを公開して自分の主義主張を掲げておいて、自分の思い通りの議論を展開してくれる人間は歓迎するが自分の思い通りの議論を展開してくれない人間は拒否すると言う事なのかな?

だったら最初からインターネット上でもっともらしく問題提起などしなければ宜しい。
それこそ貴方が言われるように「あなたが大切に心に抱いていれば宜しいでしょう」。

そろそろ、あなたのスレッドは終わりにしたいんですがだめでしょうか?今回はご質問集のようなのでお答えはするが。

>貴方流の「地味な態度表明をずっと続けている」にも関わらず、「私は私なりの価値観から、「通達の違憲性」についてテーマをたて、ある程度客観的な根拠も示し、それに関心を示してくれる方々と議論をしてきた」とはどういう事かな?


書いてある通り。
そういうことです。

>自分は勝手に「地味な態度表明をずっと続けている」がその事について他人にとやかく言われる筋合いのものでもないし議論する価値もないって事なのかな?

愛国心はそれぞれが自分なりに考えるべきこと。あなたは日の丸が国旗とふさわしいかどうか、君が代が国歌としてふさわしいかについて私から否定的見解を引き出し、それについて愛国心がないなどと言いたいのかな。
私の国旗、国歌についての見解は書いた。私はそれについて少なくともあなたのような方と議論して有益だと思えないので議論する気はない。それは反対意見云々ではない。
あなたはその理由についてここまで私から説明を受けてもわからないようだから、これ以上説明してもわからないだろうと思うだけ。

それともあなたはそうした他人の自由意志すら認めないのでしょうか。全ての人はあなたが関心を持ったテーマについてあなたと議論しなければ気がすまないのかな?

>「東京都教育委員会の国旗国歌に関する通達は違憲ではないか」という事だけに絞って議論を展開してどういう結論を誘導したいのかな?

通達に違憲性があると思われるので、違憲審査を早急に提起すべきだと言っているんですよ。法的議論が煩雑で理解できないのですか?

>「東京都教育委員会の国旗国歌に関する通達は違憲である」という結論を誘導して国旗・国歌に否定的な教師を擁護したいのかな?

あなたが「擁護したくない」だけでしょ。私はそのテーマに興味はない。

>インターネット上でHPを公開して自分の主義主張を掲げておいて、自分の思い通りの議論を展開してくれる人間は歓迎するが自分の思い通りの議論を展開してくれない人間は拒否すると言う事なのかな?

よく議論の流れをお読み下さい。この記事に対してコメントしてくださった方の中で、あなたは異彩を放っています。気づきませんか?反対意見だからではない。あなたが他人と議論する上での自明のルールを最初から無視しているからです。
自明のルールまで説明しなければわからない人は拒否しますが問題ありますか。それがブログの最低限の常識だと思いますが。

もうこのテーマはこのへんで。

以上。


終わりにしようかと思いましたが最後に一つだけ。
僭越ながらアドバイスしますよ。

例えばあなたの発言。

>>「東京都教育委員会の国旗国歌に関する通達は違憲である」という結論を誘導して国旗・国歌に否定的な教師を擁護したいのかな?

じゃなくて

>「東京都教育委員会の国旗国歌に関する通達は違憲である」という結論を引き出すことで国旗・国歌に否定的な日教組の教師を擁護することに繋がるのではないかと私は考えるが、それについて見解をいただきたい。

とやればいいんですよ。最初から。うっかり私は答えたかもしれませんよ。卑怯だなんだと言わずに語れることはたくさんあるでしょ。それが他人と議論するときのルールなんです。

これで最後にします。

>通達に違憲性があると思われるので、違憲審査を早急に提起すべきだと言っているんですよ。

要はこの事を言いたかった訳でしょ。

何故最初から堂々と「通達に違憲性があると思われるので、違憲審査を早急に提起すべき」と言わなかったのか?

最初から結論ありきではないですか?

>どこまで記事として成立するか未知数だが、試みてみる。

貴方の主観抜きで公平な記事として成立しますか?
記事ではなくて貴方の個人的主張でしょ?

貴方流の「地味な態度表明をずっと続けている」にも関わらず「私はそのテーマに興味はない」と言い張るのはどう考えても変でしょ?

多分こちらにはもう来ないでしょうから疑問点には答えて頂かなくても結構ですが、他にも疑問に思っておられる方がいるかも知れませんので貴方のご判断でお答え下さい。

最後に、数々の非礼はお詫び申し上げます。


NOBIです。
大変興味深く拝見しました。
今後とも宜しく御願いします。

 

 こんにちは。

 最新エントリーでリンクされてていたので、思わず熟読してしまいました。今さらコメントするのもアレだなぁと思うのですが、どうしても「身につまされて」。


>インターネット上でHPを公開するとはどういう事か再認識した方が良いのでは?

 ああ、どこかで聞いたようなセリフ(笑)

 ブログ主の意向に逆らってばかりの僕としては、この部分「だけ」には反対できないなぁと。そういう僕からすると、おやおや氏とのやりとりの是非は、「卑怯VSブログ運営権」ではなく、「双方の主張でより論理的に筋が通っているのはどちらか」で決めたいところです。


 おやおや氏の主張は大雑把にこのようなものですよね。

1 文章の冒頭で君が代に反対している
  のは誤った意見である

2 1を前提に通達を違憲と考えている

3 2のみを論じるのは「卑怯」であり、
  本来論じるものは1である
 (誤った教師を守る行為である)


 これって、かなり単純な「誤読」に過ぎないんじゃないかと思えます。ビッグバンさんが「君が代反対」を表明したのは、「君が代には異論が存在する」ということを示すいわばサンプルに過ぎないんですよね。2の違憲問題は、「議論があるのに一方の主張を政府が押し付けること」が内心の自由に関わるという話なわけです。

 「君が代反対」だけを聞いて頭に血が上ってしまったのか、「思想良心の自由」の意味をあまり考えなかったのか。エントリーが長かったのか(笑)。

 おやおや氏の問題は、単に論理的に誤っていることだと思いました。ビッグバンさんは「所与の前提」を切り離せる議論をしているのに、おやおや氏の方にだけ「所与の前提」が存在したみたいな。

 基本的にはただそれだけなんじゃないでしょうか。


 ええ、自己正当化です(笑)。

 とりあえず、出だしで「卑怯」とか言っちゃうと、後の話が混乱するということは、僕も気をつけようと思いました。

 すいません、変なコメントで。

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