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May 19, 2005

核のような言の葉-----憂国の夜

小説「終戦のローレライ」を全身でのめりこんで読んだ。ただ事ではないその重量感。たぶんこの本のことは別に記事で書くけれど、パウラと征人の人生に打ちのめされ、すっかり頭は憂国ムードである。結局BigBanは単純なのだろうか。いや、そんなことはない。この時節に憂国を感じないものがあるものか。(一杯いるか)

昨日のエントリーでは、国家の最高指導者に向かって無礼千万、バカ呼ばわり。その上あろうことか、賢くも陛下まで引きずり出したけれど、確かに日本も周辺国に対しては苦労している。靖国や反日デモの例を引くまでもなく、多くの人のエントリーに、日に日に苛立ちの色が濃くなってきていることは事実。ネットでは、親愛なる隣人国家に向かって極東3・・国家などと大変に失礼なことを書いている手合いがいるけれど、そんなことは言うものじゃない。彼らをこんな風にしてしまった責任は、やはり日本にもあるのだ。それに人だって、国だって生まれてくる場所は選べない。(・・・と僕が言うと洒落にならない)

それはともかく、その極東3・・国家の中でも一番の世間で評判の変わり者、天然パーマのドラ息子が、核を持つ、核を持つと騒いでいる。また始まったと受け流す向きから、今度は本気だと厳戒モードになる国までいろんな観測があるけれど、下手をすれば、日本の目と鼻の先、日本海の波打ち際で核実験という、空前絶後の事態になる危険性がある。靖国に毎年詣でていた僕の祖父も、板門店まで何度も行きながら、一度も僕に土産の韓国の記念切手を買ってこなかった、火宅のジャーナリストであったバカ父も、今日の事態を知りせば、目をむくであろう。

「XXXX!何をやってるんだ。お前は!」

「・・・・・・・・」

じいちゃん、とうちゃん。天然パーマの言動は僕の責任の範囲ではない。

知っているかい?そこなギャル。昔むかし、僕がまだ生まれていないくらいの大昔に(嘘だ)キューバ危機というものがあったのだ。知らない人はここから勉強するように。
いま、日本に平和憲法があって本当によかった。(これも嘘・・じゃなかった皮肉)本当は弱いくせに向こうっ気ばかりが強かった、かつての日本。青年将校闊歩するかつての日本であったなら、米国に頼むまでもなく、日本海に石垣と竹槍を・・じゃなかった日本海に負けじとミサイル台を、今頃は、ずるずると持ち出していたことだろう。世界に例を見ない不思議な憲法、第9条のおかげで、我ら早々たる対応はできない。

しかし世界は、事態は、あなたや私、人の考えていることを裏切って、時にずずいと進む。ずずいと進むその数秒前には、美しい星が静寂の中に煌き、あなたも大切な人と海辺で愛を語り合っているかもしれない。僕は君と夜のトラックを走っているかもしれない。
しかし、その数秒後に事態は、忽然と動くのである。たった数秒間。でもその数秒は取り返しがつかない、二度と元には戻れない数秒間である。まさにBigBangが起きるポイントが来る瞬間というのが歴史には確かにある。いつでもそうやってこの星は動いてきたのだ。

改憲か護憲かなどという、これもまた世界に例を見ない「平和で特殊な議論」をしているうちに、(そもそも「護憲」とは「論」なののだろうか?不思議でならない)ここでもまた日本人はかつてのABC包囲網にがつんとやられたように、状況に巻き込まれて、「然るべき」方向に動いていってしまうのかもしれない。それはかつて来た道ではないかと言われれば、誠、その通り。中韓朝そして台の4ケ国に米(コメではない)を混ぜたとき、日本の新しい黙示録が静かに始まらないと、誰が言えるだろう。そもそも、およそ、日本人が何かを主体的に決めることができたことなどあったのだろうか。いや、それは日本だけではなかったというほうが正確かもしれない。

災禍は悪意だけが起こすものではない。

国民は平和ボケしていると言われるが、この緊迫した事態に、幾千万敵に回すといえども英霊への誠を貫くと頑張るお人も、これもまた平和ボケ。実は、北一輝の東アジア構想に密かに共感の心を持つ僕としては、2・26の時代状況に生きた青年将校に思いを重ね、この政治家達に向けて、現代にふさわしいテロのかたちはないものかなどとまで、時に思いつめるのである。

而して

226の青年将校今生きて在りせば、この日本にあって何をするであろうか?

と。

少し話題を変えて、「核のような言の葉」である。(少しどころではないな)

多くの人が驚嘆していると思われる「真性引き篭もり」さんの「下手な考え」や「竹島は韓国領土」といった一連のエントリーの、底の知れない力に感心して読み耽りながら、ブログが「日記のようなものです」などと評された時代の終わりを感じている。「真性引き篭もり」さんのブログに至っては、「引き篭もりオタクの日記」などという次元をとうに超えている。まさに「核のような」言葉の力。こもっておられるという部屋の隅からそっと出された、言の葉の破壊力は半端ではない。凡百の言葉を蹴散らして一瞬に廃墟と化する力を持つ。

ブログの利用者が、今年3月末の時点で延べ約335万人を数え、少なくとも月に1度はブログを見る閲覧者も1651万人に達しているという今日のニュース。その中にあってようやくメディアも、僕達も「ブログの力」というのがどこにあるのかということに、単なる日記ツールではないということに、気がつき始めている。そうだ。これは「日記ツール」ではない。いやむしろ、ツール自体の性格がどうではなく、どだい人が発する日々の言葉を「日記」などという明治の私小説のような範疇に納めて表現すること事態が、違ったのかもしれない。対象の誤認か。

きっと、生きているあなたや私達の日常の言葉にこもったエネルギーは、そう甘いものではないんだよ。フツーの人たちを侮るべからず。鬱々たる今を生きることに苦労すればするほど、その言葉は「核」となるのだ。甘く見るな。甘く見るな。

再び話題を戻す。

226の青年将校今生きて在りせば、この日本にあって何をするであろうか?

僕は、たぶん、この答をもう書いたと思う。

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Comments

2.26事件の青年将校はともかくとして、最近思うことは、ある意味において三島由紀夫は正しかったということです。もちろん、だからと言って、あの最後の行動は正しいものとは思いませんが。少なくとも、あの檄文に書かれている内容は、今から見ると同意せざる得ないことが多いです。「終戦のローレライ」について書かれるとのこと、楽しみにしています。同じ著者の「亡国のイージス」もお勧めです。

おひさしぶりです。


>「終戦のローレライ」について書かれるとのこと、楽しみにしています。同じ著者の「亡国のイージス」もお勧めです。

楽しみにされると・・苦笑・・
真魚さんもお読みになったのですね。私は226を持ち出しましたが、真魚さんは三島を引かれた。
わかる気がします。

戦うということの、意味と熾烈さが思われます。この茫漠と広がる日常の中で。

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