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May 21, 2005

終焉を言う者から順に終焉が訪れる----「ガ島通信」のタイトルに思う。

「ガ島通信」さんは、その生き様(古いね。表現が)が魅力的であったことと、そのブログの語り口が、メディアの中に生きるものとして、ある種の「誠実さと率直さ」が溢れるもものであったということで、多くの人の関心を集め支持された。と僕は考えている。

ガ島さんが、会社を退職され、日経BPに執筆されるようになってから、ある種の「客離れ」が起き、こうした批判も見受けられるようになった。コメント欄にも、彼の才能の枯渇を言い立てる発言も増えた。皮肉にもガ島さんの社会的認知度が上がるにつれて、こうした批判的な状況はネットではむしろ増えていった。 これも有名税。大変だね・・ などと「遠景から」見ていたが、今回のこの「ブログの終焉」という記事の表題を見て、この言葉が頭にぽんと降りてきてしまった。

終焉を言う者から順に終焉が訪れる

以下は敬愛してきたブログからこそ言う。少々厳しいかもしれないが、そう思って読んで欲しい。

ブログへの情熱が醒めてきたことを、批判する気持ちはもちろんない。僕もいつかそうしたことを言い出して、突然ここを閉めるかもしれない。今までにも、敬愛するブロガーが何人もそう宣言して、(表面上)ネット界から一時的にあるいは悠久に去っていった。だが、ガ島さんはその記事に「ブログの終焉」という言葉を、安易に使っている。

その記事の内容は、むしろ、コメントへの対応が大変になったとか、仕事が忙しいとかいう個人的な状況の説明であり、いわば「ガ島通信の終焉」を予測させる内容にしかなっていない。いや、それもそれでよい。

率直に自分のブログへの情熱が醒めてきていることを語っているガ島さんが、少し大仰な「ブログの終焉」などという「ミスリードした」タイトルをつけてしまったことは、理解できなくもない。

しかし、しかしである。

その文章には、ブログの草創期から活躍してきた自意識が垣間見え、同時にブログから「次のステージに進みつつある」自分への自負と魑魅魍魎のコメンターへの、軽侮が垣間見える。

私達の社会にも、こうした発言は歴史上頻繁に見られてきた。

少々流行に疎い人間が「109に行ってきたよ!」というと「もう109は終わってるでしょ」

インターネットブームを耳にし、ようやくパソコンを恐る恐る買ってきた人の話を聞くと「もうインターネットは終わったでしょ」

ホリエが騒ぐと「新聞は終わったでしょ」

一般紙にブログの記事がのると「もうブログは終わったでしょ」

こうしたことを言う人はいつの時代にも、どんなテーマにも存在する。そうした人の共通点は、強い自意識と、自分の後塵を拝していると思われる人間への、不遜な思い上がりである。いや、ガ島さんがそうだというわけではない。だが、そのソフトな語り口の諸処に、ブログの草創期をリードしてきたという自負が見え隠れしていることは事実。

でも、ガ島さん。あなたは単に、「ブログへの情熱が醒めた」あるいは「ガ島通信の終焉」を言えばいいのだ。

「ブログの終焉」などというタイトルは、記事の内容にも沿ぐわないし適切ではない。あなたはおそらく勤めておられた会社を去るときにも、そうした言葉「マスコミは終わった」的な整理の仕方をされて、環境を変えられたのだと思う。それは僕にはすごく理解できるし、そうした決心の仕方は、ある決断をするときにエネルギーとして必要なのもわかる。自分も経験してきたからね。今まで何度も。

でも繰り返す。

去るときには、自分の終わりの物語のみを語って、そこから去ればいい。解釈は後の人間がする。

「109にはもう興味が無い」
「インターネットにはもう興味が無い」
「ブログは飽きた」

などと言って去ればいい。

少し話題を変える。
パーソナルコンピュータを誰が作ったかといえば、様々な人間の名前が挙がると思うけれど最初に「ダイナブック」という概念を提唱し、パロアルト研究所でAltoをつくり、後のMacintoshの登場に貢献したアラン・ケイは「パーソナルコンピュータの父」とされ、疑いもなく、その中の1人に数えられる人物だろう。そのアラン・ケイの講演に行った時、彼が発した印象的な一言があった。

「コンピュータはまだ始まっていない」

彼はその根拠として

・活版印刷が人類に根付くまでに400年を費やした。コンピュータは登場してまだ数十年しか経過していない。私達はその使い方をまだ試行錯誤している状態である。

・自転車が発明される前の夜に、自転車のことを説明しても理解できる人は誰もいなかっただろう。今のコンピュータは、その自転車が発明された日の朝の状況を思い浮かべればいい。

・(<あなたの取り組むプログラム言語Squeakに関して>それはOSなのか、アプリなのか?という会場の質問に」

コンピュータを動かすソフトウェアがOSとアプリケーションに分かれているという概念は、誰があなたに植え付けたのか?あなた自身か?違うだろう。私はその人物の名前を知っている。パソコンは、この20年この人物のその率いる会社の製品のおかげで不幸な幼少時期をおくった。

・(「インターネットの登場は大きな事件だったが、どのようにとらえるか?」に対してインターネットはネットワークでしょう?それがなにか?(会場爆笑)

パソコンをいじりはじめて、およそ18年が経つ。インターネットに触れてからもおよそ11年だ。そうした日々の中にあって「もうパソコンは終わりだ」「もうインターネットは終わった」・・・

言いたくなった時が何度あったかわからない。でも、僕はそうした自分の半端な自意識を感じるたびに、この時のアランケイの言葉を思い出すことにしている。

人間は限界がある。1人の人間の中で、情熱や関心はめまぐるしく動いていく。疲れるときもある。飽きるときもある。それが人間だ。ただ、考えよう。

メディアは終わったと言う前に。
新聞が死んだという前に。

そしてブログが終わったという前に。

たかがタイトル。されどタイトルだ。それはあなたの頭の中の写し鏡なのだ。そこから誰も逃げることはできない。

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Comments

終ったか終ってないかで自分の態度を決めるのは、「働いたら負けだと思ってる」というニートと全く変わらないと僕は思う。

終ってるのを知りつつ、どうするのか?っていうのが必要なのにアルファブロガーというブロガーのオピニオンリーダーみたいな人が、あんな脇の甘いエントリをうつなんて最悪ですよ、実際。

終ってるといえば最初から終ってる。それを踏まえた上でがんがるんじゃないのかよ、と僕は思いました。貴方のエントリには共感したのでカキコ。

そちらのサイトへもコメントさせてもらいましたが、内容だぶりで申し訳ありませんが、少し。

「アルファブロガー」という言葉、不明ながら知りませんでした。学ばせていただきました。catflogさんの記事で知ってなるほどと思った次第。

まあ、ブログに限らず何かが熟す段階になると、必ず「終わった終わった」と騒ぐ人たちが現れます。私的には、ネットでもリアルでも手段はどうでもいいから、いいコンテンツを発するようにそれぞれ頑張ればいいんじゃないの?という立場です。

未来形は現在のネットの先にも「オールドメディア」の先にもない、まだ見えていない思いもかけない未来があるのだと思います。それが見えていない私たち同士で諸々言い合ってもなんだかなあ・・という感じがあるのも事実です。

どうしてすぐに(たいしたこともまだお互いにしていないのに)安易に総括したり俯瞰したがるのか。もちろんトレンドをつかむのは結構ですけれど、どうも終わった論には「先行者の特権意識」みたいなものがあって、美しくない。

自分がこの種の記事を書くまで、R30さんのところもそうだけれど、こんなに終わった終わったの大合唱があふれているとは思わなかったんですけれどね。

なんだかなーという感じです。今後ともよろしくお願いします。

はじめまして、antiECO@ブログ持ちです。
いやぁ、鋭い。
ブログはオピニオンリーダーがいなくなってからが楽しくなるのかもしれませんよ、なにせブロガー間のフラットさが最大のメリットなのですから。
リーダーとかランキングとかがそもそもそぐわないのかも知れません。それがいま歪みになってちょこちょこでているように見えるんですけどね。

今晩は。はじめまして。

結局、「まだ根付いていない」んですよ。使い方がわかっていないし、終わったとかどうとかいわれること自体が、まだ「こなれていない」証拠。

さすがにインターネットが終わったとかいう人、このごろいなくなりましたけれど、昔は結構ありましたよね。そういう話も。セキュリティがだめだから終わるとか、信頼性がないからだめだとか。

どんな商品もテイクオフを過ぎれば成熟段階に入るもの。

その当たり前のことに「個人的思い入れ」を恣意的にからめて「終わっている」とかどうとか、あまりにパターン思考でいやんなっちゃう。

ある面(たとえば「先進的である」とか)では「終わった」のかもしれませんけど、全然根付いてないですよね。ブログ。
文化として未熟すぎて、未だにどう位置付けていいのか、自分でもよくわかりません。

私も、「終わってるしー」という人を好きになれないので、あまり簡単に「終わった」と断言してほしくありません。
だって「戦後」ですら「終わってない」もの!

トラックバックありがとうございます。私も自分だけ静かにさっていけ、というのに同意します。
一時期のFadは去ったかもしれませんが、平常営業の安定状態にはまだまだと思っています。その段階で本当の文化が始まるのだと思います。


こんばんは。

>一時期のFadは去ったかもしれませんが、平常営業の安定状態にはまだまだと思っています。その段階で本当の文化が始まるのだと思います。


おっしゃるとおりだと思います。「ブーム」を軸に物事を考える必要も意味もない。一部のメディアを除いて。
そういう意味では、「終わり論」の背景にあるのは、いわゆる「オールドメディア」のまなざしでしょう。


これほど「不完全なもの」(パソコンもインターネットもそう!)になぜ「終わり」という評価を与えられるのか。不思議でなりません。

はじめまして、自分もここんとこ騒がれてる『ブログ終焉論』違和感を感じていて、記事を書こうと思ってましたが、こちらの記事を読んですっきりしました(^^;
ずっと思ってたことが解決です、終わりたい人は去ってくれというか、確かに『まだ始まっていない』ですね、まだ胎児のようなもので、アルファブロガーたる人達は(何がアルファなのかわかりませんが)、それを育てる事こそアルファブロガーの使命なんだと思います。

色んな歪みや、勝手な総括が終わって、サークルクラッシャーな人達が去って、ホントの始まりかなと思いました。

こんばんは。TBありがとうございました。
「にぶろぐ」のyoshihirouedaさんがおっしゃっていましたが、まさに正論だと思います。
「人間って限界があって、弱いものなんだな。この一件もそうなのかな」なんてことをこの文章を読んで改めて感じた次第です。
これからもよろしくお願い致します。


こんばんは。記事中コメントまでいただき、ありがとうございました。またそちらへもお邪魔します。
いつも思うんですが、どうしてみんなせっかちなんでしょうね?笑

人生と同じ。そう簡単に終われないし始まれない。(あら、横丁のおやじになってしまった。)

僕はここをまだ去るべき場所とは全く思っていない。それだけです。


こんばんは。

>「人間って限界があって、弱いものなんだな。この一件もそうなのかな」なんてことをこの文章を読んで改めて感じた次第です。

ガ島さんからは「お忙しいので」反応はないですけれど、きっと読んでくれたのではないかなと思います。

限界があって、弱い。

その通りですね。僕もそうです。

もう、やめた!やめた!やめた!とわめき、布団をかぶって寝てしまって、翌朝、もう一度始める。

その繰り返しに、ネットもリアルもないのではないでしょうか。

でも世界は終わってくれないし、終わっていない。
いくらわめいてもね。続いていく世界に遠景から毒づいても寂しくなるだけのような気がします。

どーもです。自分の所にもコメントありがとうございました。通りすがりの人からはもらうのですが、ブロガーの方からコメントは初めてかもです(^^;

>いつも思うんですが、どうしてみんなせっかちなんでしょうね?笑
自分の気分を全体論にしないでって感じです

私も当分ブログ飽きそうにありません(^^;
またおじゃまさせていただきますね。

俺たちもう終わったのかな。
バカ!まだ始まってさえいねーよ!

という某映画の台詞を思い出しました。

インターネット時代以前からずっと物を書いてきた人間からすると、ブログというのは「場」以上でもなければ以下でもなく、もとより過剰な期待も抱いておらず、それだけに面倒くさいと思うことはあっても裏切られたとは思いようがないものですが、終焉論が出てくること自体が、ブログに対する幻想の存在を暗示しているように思います。
インターネットそれ自体は革命的ですが、ブログはその延長線上にあるもので、語るべきものを持たない人がブログというツールを持ってもどうにもならない。
重要なのは語るべき内容があるか否か、ですが、ツールに過ぎないブログそれ自体が語るべきものを何かしら「補填」するという形でのブログスフィア論にはどうにも頷けないものがあります。
ガ島さんが語りたいものと(メディア論)、私の関心領域はかすりもしなかったので、ガ島さんがブログをおやめになるとしても、「へえ、そう」以上の関心は持ちようがないですね。
ガ島さんが残した「終焉宣言」、それ自体は私もまたブログを閉じたように、とりたてて特別なものと見なす必要もない、ブログが必ず辿るであろう道のりのひとつに過ぎないものですが、それに対してこういう形で「反論」が多く出てくるということ自体、ブログスフィアなるものに対する信頼というか、信頼と言う共同幻想があることを提示しているように感じます。
それは「ひとりで立っている」こととは、ずれてしまっていませんか。

お久しぶりです。standpoint1989さん。

>それは「ひとりで立っている」こととは、ずれてしまっていませんか。

覚えて下さっているのですね。何だかとてもうれしく思いました。

でも、少なくとも「遺伝子の継承を自負する」(笑)私は「ずれては」いませんよ。

理由は、ブログを閉じて暫定的に立ち去ったあなたは、強烈な自己の「終息感」「ひと区切感」を、半ば暴力的に語ってあまりにもきっぱりと去り、私たちを悲しませたけれど、その理由として、ブログは愚か、「状況の終焉」などという、乱暴なことは少なくともおっしゃらなかった。あなたは「ブログからも離れて」立っておられた。

「真性引き篭もり」さんのところで、ガ島さんへの長い長い批判エントリーを読んできたばかりですが、ガ島さんが「自分にとっての物語」の終焉を、「状況の物語」の終焉に、重ねてしまう「いさぎ悪さ」について、語っているのです。

standpoint1989さんは、他者には極めつけの鋭い舌鋒をお持ちだけれど、もしかしたら、ご自分のことは気がつかないのかも知れませんが


>ガ島さんが残した「終焉宣言」、それ自体は私もまたブログを閉じたように、とりたてて特別なものと見なす必要もない、ブログが必ず辿るであろう道のりのひとつに過ぎないものですが、

それは違います。

あなたとは全く違うのです。一人で立っていた(笑)あなたとは。(できれば真性引き篭もり氏の批判もお読みください)

その上、ガ島さんは別にブログを閉じたわけでもない。こういうこと=状況への曖昧で安易な自己同化をしてしまう態度と、あなたの去り方を同一視することは、決して僕は認められない。(なに力いれてんだか・・笑)

ただ、彼のこうした姿勢で、共通のブログ議論の基盤ができたことは事実。困ったことに、あらゆるものは「幻想」生成の基盤になります。それが何かに向けての批判であったとしても。

だから「一人のあなた」はそれも共同幻想として拒絶するのです。

>ブログスフィアなるものに対する信頼というか、信頼と言う共同幻想があることを提示して

それでこそ、あなたです。

#私の最後のこのフレーズは、「継承者」としての(そろそろ気持ち悪い?笑)あなたと私への自戒も込められています。本当に1人では、人は生きられませんから。


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