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May 28, 2005

Time is on my side(1)-----時は今でも味方しているのか

確かにネットには、かなりのめり込んでいるかもしれない。

以前に比べて、とにかく席についている=机の端末に向かっていることが感謝されるような職場環境に変化したこともあり、ブログを読んだり書いたりする時間が、じわじわと増えている。ブログも始めて1年余り。アクセスやコメントもずいぶん増えた。いかん、これでは早いうちに引退しなければならないかもしれない。人のことをあれこれ言っているうちに自分が先に「終焉」してしまうと危惧する。

かといって、現在あちこちで展開されているブログvsオールドメディアのような対立二元論には、あらゆる意味であまり関心がない。なぜなら、この世のあらゆる出来事は、先に伝達する媒体を決めてから生じるわけではない。
いわば星雲のように、自分達の世界に混沌と浮かび散っているのが現象であり出来事であり、それを一つ一つ、雲を掴むように思念で捉えることが、伝える必死の試みがあればいい。その手段など本来どうでもいい。

と言いながら、こんな記事も書いてしまったが、これは個人の乏しい小さな経験を(小さなと敢えて言わせてもらう)、状況に乱暴に昇華しようとすることを、見るに見かねたからだ。きっと僕は彼の若さを見かねたのかもしれない。

それというのも。

それというのも、と考え始めると、重ね、重ねてきた個人的な時間にどうしても思い当たる。

若い時から年長者に、つまらないくらいに言われ続けた「まだ経験が足りない」「苦労が足りない」という言葉の意味が、その重さが、最近起きたネットでの様々な経験を説明するときにも、ことのほかあてはまってしまうような気がしているからだ。

今、僕は非常につまらないことを言おうとしているのかもしれないが、事の本質が面白くなければいけない理由はない。神はいつもイベントを、そしてドラマを求めて宿るわけではない。そう、神はディテールに宿ると言った人も確かいたではないか。

この世の全てのことは、味加減を変えた出来事が、手を変え品を変え繰り返しているだけだ。元来くだらない事どもが形を変えてぐるぐる回っているだけだ。

そう思うとき、否が応でも、あの若い日に猛反発した陳腐な年寄りの繰言の数々(と思っていた)が、すんなり入ってきている-----それも最近の自分の変化を抜きにしては語れない。

認めたくないが、僕は年を重ねたのだろう。

それは事実だ。宇宙の構造に反する話が、この世界には何も残されていないように。

----では、あの歌はどうなった。
あのフレーズはどうなった。

Time is on my side.

20代の頃、苦しい時に、事あるごとに、小さな声でこの歌を口ずさんでいた。ローリングストーンズの、というよりミックジャガーの

Time is on my side.
時は、今我にあり。

訳は僕の勝手な解釈だ。

馬鹿な上司に会うたび、馬鹿なクライアントに会うたび、そしてつまらない大人に会うたびに、会社を辞めるたびに、僕はそっとこの歌を、このフレーズを口ずさんだ。そして、次にこの地獄のような言葉で毒づくのだ。

おまえが先に死ぬ。最後に勝つのはこっちだ。

でも今はどうだろう。
時は、今でも自分に味方しているのか。時は本当に自分の味方だといえるのか。蓄積や経験を武器に戦うべき世代になった僕に、まだ時間は味方しているのか。

気がつけば、大人に悪態をつく年齢ではなくなった。自分自身がどう考えても大人の年代になってしまったのだからしょうがない。この言葉はむしろ、自分に味方しなくなったのではないか。昔の自分のような生意気な若者が今頃どこかできっとつぶやいている。

Time is on my side.
おまえが先に死ぬ。最後に勝つのはこっちだ。

このフレーズを、初めてつぶやき始めたのは苦しい時代だった。

就職試験は、全滅だった。中でも大手の広告代理店の最終面接と、ある新聞社の最終面接をほぼ同時期に終え、両社ともに健康診断まで受け、気が早い周囲の合格前祝まで受けたのに、その後にに興信所の徹底身辺調査がされた末、揃って不合格になったときには、さすがに、心底落ち込むと共に、幾らなんでもこれはおかしいと思い始めた。どちらの企業も、健康診断後の不合格など、いくら友人に聞いても例がない。

気がついたのが遅すぎたのだ。考えてみれば、面接はどこも最悪だった。それでなくても少ない面接時間の大半、面接官は、繰り返し、繰り返し我が家の複雑な家族構成について、同じような質問を繰り返し、手元の複雑怪奇な履歴書の家族構成をにらみつけ、僕の顔と書類とを見比べているうちに、そして多くの兄弟達について説明しているうちに時間切れになった。

世間知らずの若者の、せいいっぱいのはったりや絵空事のような夢に耳を傾けている時間は彼らにはなかった。この不可思議な生まれの世間知らずをどうすべきなのか、きっとそれで頭が一杯だったのだ。

そもそも最終面接まで残れたこと自体、奇跡だったのである。

自分のような人間は、身元を保証するしっかりとした紹介者やコネを十分に用意しておくべきでったのである。それなのに、これほどのハンデに気がつかず、僕はそれまでの多少の成績のよさや卒業した学校の名前の重みによりかかり、意味も無い自信を持ち、それを怠った。夏休みに受講したマスコミ志望者向けのセミナーでの成績が格段に良かったことも僕を油断させ、おごらせていた。馬鹿な話だ。

祖母はどうしていいのかわからず、ひたすら毎日嘆き、泣き、そうした環境を作った父を呪う言葉を繰り返した。それがまた僕を痛めつけた。

クソみたいな社会だが、当然の洗礼をその社会から受けたことを悟ったのである。僕は自分を信じた自分を卑下し、社会を信じた自分を卑下した。中でも、わざわざ父の在籍した新聞社を避けてまで受けた(もちろん父への反発からだ)、何のコネもない、業界でもトップではないが良識あると評判の新聞社が、もっとも執拗に身元を調査した末、断りを入れてきた事実は僕を深く傷つけた。若者のつまらない純真さで、それまでその会社を意味もなく信奉していたのである。

そもそもそれまで、メディアは正義のはずだった。人を、その身分や出生、学歴で差別してはいけない。人をその先天的な形質で差別してはならない。毎日毎日、彼らはそうした記事を書いているではないか。

僕はそのとき、確か初めてつぶやいたのだと思う。

Time is on my side.
おまえが先に死ぬ。最後に勝つのはこっちだ。

やむを得ず方向を180度変え、通常の就職をあきらめた僕が選んだのは、スタジオマンとしてこの黄色いビルに通うことだった。ここまで社会にコケにされるなら、そうした選別をする会社で社畜になるようりも、小さい頃から興味を持っていたカメラマンになろうと決めたのである。広告代理店への就職を、前祝してくれた知り合いのカメラマンに頼み込んで、僕はこのスタジオのスタジオマンになった。

あそこまで愚弄されて、今更「通常の世界」に戻れるものか。そうも思った。

ところがそこは、すさまじい職場だった。そもそも大学から新卒で入ってきたのは僕が始めて。アルバイト雑誌に、学歴経験不問で募集すると、毎日のように何か勘違いした若者が、面接にやってくるが、半日スリッパばかり磨かされると、昼を食べに行ったまま、逃走した。そんなことが日常的に繰り返されている職場だった。

悪いことに、そのスタジオの親会社の専務は、僕の大学の学部の先輩だった。

ペンキだらけのぼろぼろのシャツで、スタジオのステレオのボリュームを一杯にして、1人でホリゾントを、ペンキ塗りしていた僕は、ある朝その専務に呼び出された。ネクタイとスーツの営業職が行きかう、その会社はスタジオに隣接していた。

場違いの格好で、専務室に現れた僕の全身を見回したその専務の台詞は、明日から営業をやれというものだった。

「カメラマンなど低脳のやることだ」

彼の言葉に、思わず息を呑んだ。

「それに、俺の後輩がそんな惨めな格好でペンキ塗りをしているのはたまらん。」

眉をひそめて居丈高に、僕の足元を見つめた。さっきまでペンキを塗っていた軍足をはいた足元は、煤とペンキでぐしゃぐしゃになっている。専務室の絨毯を汚さないだろうか、と僕はつまらないことを気にした。

迷わないことはなかったが、結局僕はその話を断った。それで首になるなら、それでもいいと思ったのである。だいたい、変な話だがプライドが許さなかったのだ。僕は本来なら大手の新聞社か、業界でも第二位の広告代理店で働いているはずだった。

「いまさらこんなちっぽけな会社の営業になんかなれるか。」

僕にとっての誇りの最終ラインが、不思議なことに、スタジオマンという、将来も全くわからない混沌の職だったのである。その考え方もかなり不思議だったろうが、こんな陳腐な専務のもとで貧乏臭い営業をやるよりましだ。そう思った。そう信じていたのだ。

このときも専務室のドアを閉めたときつぶやいた。

Time is on my side.
おまえが先に死ぬ。最後に勝つのはこっちだ。

お前が関心があるのは、俺じゃない。
自分の卒業した大学の後輩が惨めな様子なのがいやなだけだ。結局自分のプライドで、僕を営業に持っていこうとしているだけだろう。いやなこった。

警戒心と猜疑心で全身と全神経が張り詰めていた。人間の手負いというのはああいう状態を言うのだろう。

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