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June 30, 2005

「影響力の強いブログ50位」にランクインしたぞ。-----でも「影響力」ってなんだ?

驚いたことに、このブログが、「最も多くのブログからリンクされている、影響力の強いブログの上位100件」にランクインした。それも50位だぞ!つまりこのブログは今、日本で50番目に「影響力が強い」ブログなんである。恐れ入ったか。恐れ入らない?なに?信じられない?じゃあ、このサイトを見ていただきたい。

最も多くのブログからリンクされている、影響力の強いブログの上位100件
(テクノラティジャパン)

どうだ。第50位に入ってるでしょ。(本日現在だぞ)
え?まだ信じられない?そうですか?そうですよね?

そうだよ。これどう考えても変だよね。

というわけで、鼻を高くする前に、(あまりやらないことだけど)いろいろブログ世界を自己分析してみたわけだ。

まず、このランクの基準だけれど、見ていただくとわかるように、「いくつのブログから、いくつのリンクがあったか」。つまり被リンク数によって順位を決めている。例えば、1位が「眞鍋かをりのここだけの話」というのは、まあ、誰もが納得だと思うけれど、1,479個のブログから1,849個のリンクがあったとなっている。(何度も言うけど今日現在ね)

僕の知っている有名どころでは、

・(第5位)「週刊!木村剛」(909個のブログから1,215個リンク)
※木村剛はなぜか第11位にもダブルカウント
・(第18位)【2ch】ニュー速VIPブログ(`・ω・´)  (564個のブログから1,060個リンク)
・(第36位)「ARTIFACT ―人工事実―」  (450個のブログから603個リンク)
・(第44位)「倉木麻衣のMai.K Diary」  (384個のブログから491個リンク)
・(第66位)「【クマガイコム】GMOインターネット社長熊谷正寿のブログです」 (303個のブログから341個リンク
・(第67位)「R30::マーケティング社会時評」( 297個のブログから355個リンク)
・(第90位)「室井佑月blog powered by ココログ」(227個のブログから350個リンク)



といった具合。そして当ブログがなんと

・(第50位)「BigBang」  (346個のブログから394個リンク)
※2004年4月16日の開設以来

どうだ。すごいじゃないか。僕もいよいよαブロガーの仲間入り?・・・・

え?おかしい?そうなんだ。これ良く考えるとおかしいんだよ。

●そもそもリンクされているとはどういうこと?

まず、このX個のブログからXX個リンクって言うのは、一般的なホームページだったら、確かに勲章かもしれないけど、ブログの場合、自分の打ったトラックバックもこれに含まれるんだよ。(もちろんリンク集や記事中のリンクも含む)

つまり、BigBangは目立ちがりやで、トラックバック打ちまくったということか?げげ。
そうなるとこのリストは、名誉どころか非常に恥ずかしいものになりかねないのではないか?げげげ。
自分が調子に乗って打ちまくったトラックバックが評価されて「影響力の強いブログ」なんて、あなた、単なる目立ちがりやではないか。

ここで、冷静に考えるのが僕の良いところ(爆)。もしかしたら、ブログの評価は、打ったトラックバックの数で決まるのではなく、「打たれたトラックバックの数」を基準にしたほうがいいのではないか?なぜって、トラックバックを打つのはこちらの勝手だが、たとえ返礼があったにしても打ってもらえるほうが、まだ評価が高くてもいいような気がする。

でもなあ・・真鍋かおりがトラックバック打ちまくっているとも考えにくい。このあたりになると、本物の被リンクなんだろうなあ。
それはともかく、もしも

「自分の打ったトラックバック数」>>>>>>>>>>>>>「他から打たれたトラックバック数」

だったらこれも相当恥ずかしいことではないのだろうか?そう思って調べてみた。すると、

「自分の打ったトラックバック総数」=394
(全部トラックバックだとして計算。実際には違うけど)


に対して、

「他から打たれたトラックバック数」=542

となった。ほっ。
良かった。ひどいアンバランスはないみたいだ。ついでに言うと、開設以来1年3ヶ月の間にいただいたコメント数が808。ずいぶんとたくさんいただいたものである。ときには頭にくるものもあるが(笑)、ありがたい話であり、こちらの数字にむしろ感謝すべきであろう。



●あのブログがなぜ?

このランキングを見て、同じようなことを考えられた方は多いであろう。そう、あのブログはなぜいない?長者番付に載りたくない隠れた大金持ちののように、奥ゆかしく節税対策でもされたのであろうか?(なわけないって。)

例えば、僕が思いつくだけでも。

・親愛なる「ガ島通信」さんがなぜいない。逃げたか。(冗談)
・苦々しい思い出だが天才「真性引き篭もり」さんはどうした?ブログ界からも引き篭もったか?(冗談)
「切り込み隊長BLOG」は?燃えたか?(冗談・・ではないが。・・・もうやめよう)
・高田さんの「札幌 ニュースの現場で考えること」がない。
「極東ブログ」は?

etc etc まだまだたくさん思いつく。

影響力にしろ、アクセス数にしろ、そしてたぶん質にしろ当然上位に来るべきブログが、軒並みいないのである。それだけではなく室井さんの「室井祐月blog」が90位はないだろうとか、「R30::マーケティング社会時評」が63位ってのはちょっとないんじゃないかとか、要はくだくだ書いてきたけれど、相当当てにならないランキングのように思える。

まあ、理屈っぽく考えると、これはある種のpingサーバが、打たれたpingを数えてリンクを辿って数えにいって出した結果なわけである。となれば、このランキングが用いているpingサーバに何らかの理由でpingを打たないブログは引っかからないことになる。これが冷静な解釈だろう。



●アクセス数は?

それに、ブログの影響力って、いろいろ言ったところで、質も大事だけれど当然ながらアクセス数という大きな基準があるのは確か。1位の真鍋ブログは、名実ともに日本一のアクセス数と言われているので、この位置もわからなくはないが(質はともかく・・でも面白いんだよね。確かに真鍋さんのブログ。僕は好きです)

BigBanの現在のアクセスを公開してしまうと、訪問者数で1日平均300前後くらい。アクセス数で600-1200くらい。(ちゃっかりRSS事件のときには2500を超えたけどね。一時的に)これは、明らかに「極東ブログ」や「室井祐月ブログ」の遥か一桁以上小さい数字だろう。
それで、「影響力」云々は片腹痛い。



●・・・・・で、考えてみた

つまり結論として、これはかなりあてにならないという、平凡な結論が出てしまって、それだけのことなのだけれど、例えばアクセス数にしても、訪問者数にしても今くらいだったら、このくらいのペースで、コメントやトラックバックも気持ちよくフォローできるけれど、この数字がもっと上がってしまったら、はっきり言ってこういう形での運営はもうできなくなると思う。
僕にはいまくらいがちょうどいい。

ブログが成長していくことは大変にうれしいし、始めたばかりの、海とも山とも言えない、1年前の閑散としていたあの雰囲気を思えば、今のように多くの人が読んでくれるようになったことは感謝に耐えないのはやまやまだが、訪問者数が1,000人/日を超えてくると、自分の中でも何かが変わってしまうような気がするのだ。うまくいえないけれど、おそらく

・記事のトーンが変わってくる(自分よりも読み手のことばかり考えそうだ)
・記事への脅迫概念が強くなる(うけねらい)
・コメントやTBを見なくなる(見ていられない)
・勘違いする(特に言わなくてもいいだろう)

そうした現象が出てきそうだ。

およそ、「影響力」とはなんだろう。もしも今、ブログを始めたばかりで、アクセス数を上げようと躍起になっている人がいたら聞いて欲しいのだけれど、本当のところアクセス数ってなんだろう。
1日に数万の人が風のように拾い読みして駆け抜けていくサイトは、1日数十人の人が隅から隅まで熟読してくれるサイトに比べて本当に幸せなのだろうか?それで「影響力」を持ったといえるのだろうか?

否、「ブログの影響力」とは、そもそも何なのだろうか。

もちろん、読むに耐えないような「質の低い」記事ばかり書いていれば読者は去っていくわけである。更新を何週間もしなければ、読者は来なくなるわけである。それは「影響力」という観点で考えれば、マイナスなんだろうけれど、その場合に失われる「影響力」は自分にとって、あるいはそのサイトにとってどれほどの価値があるんだろうか。どういう意味を持つのだろうか。ここが深く考えるとよくわからない。

何かを世の中に伝えようという運動系のサイトなら、少しでも多くの人にメッセージを伝えるのが肝要なのはわかるけれど、自分のところに来る人を増やすことそれ自体が目的になってきた場合、それに成功したとして、次はどうするんだろう?もっともっと増やすことに躍起になっていくだけだとすれば、これは不幸だね。

もったいなあと思われつつも、ぽんと休止してしまうブログ。惜しまれながら消えていくブログ。そういうブログの「誕生と死」の意味だとか・・・うーん、そのあたりに何かがありそうな気がする。

「影響力なんて幻だとわかった」ブロガーは今夜、容易に答の出ないことまでいろいろ考えてしまったのだった。

【参考リンク】
「 テクノラティのランキングの不思議 」(ARTIFACT)
「テクノラティジャパン、ブログ検索サービスのベータ版をオープン」(CNET JAPAN)

2005 06 30 [パソコン・インターネット] | 固定リンク | コメント(4) | トラックバック

June 29, 2005

天皇皇后慰霊の方程式-----なぜ今サイパンなのか

banzai

確かにバンザイクリフでは僕も絶句した。ここは、日本という国の悲しさに二重に向かい合うことができる場所である。

1つは、言うまでもなく60年前の玉砕の修羅場が演じられた究極の場所であるということ。
次々と人が飛び込んだ断崖絶壁は、その映像が残っているという厳粛な事実をもって、ここが悲劇の場所であったということを心底まで知らせてくれる。

そしてもう1つは、太平洋戦争などにいささかの興味もないままに、退屈極まりないといった表情をしてさっさとバスに戻っていく、皇国日本の多くのバカ観光客にこの地で接することへの悲しみである。

1944年6月から1ヶ月間、サイパンはアメリカ軍による艦砲射撃と戦闘機、そして火炎放射器による攻撃を受けた。ミッドウェイ決戦後,日本軍は太平洋上で連戦連敗し,1944年7月には、ついにサイパンを奪取された。
この戦闘で死者は日本側軍人38,000人、日本の民間人12,000人、合計50,000人に及んだと言われている。
サイパン陥落後はグアム・サイパン・テニアンなどのマリアナ基地、後にはさらに本土に近い硫黄島が次々と陥落した。
東京上空にB29が初めて姿を現わしたのは,1944年11月1日である。このB29は,サイパンから飛来したものである。そしてあの東京大空襲につながっていく。

サイパンの陥落は、まさにその後の日本の運命を決めたのである。

しかし、この時期なぜサイパンなのか。

ずっと不可解な念を拭い去れなかったが、今日、天皇皇后が韓国人慰霊施設を訪問したと聞き、妙な納得感を感じた。胸の中ですとんと音がした。
もとより、今回の訪問には、サイパン在住の韓国人より、慰霊施設を訪問するよう、要望が出ていたが(また一方で反対運動があったことも事実である)事前に宮内庁から返答はなかった。

だか結果的には今日、天皇皇后は慰霊施設の前に立った。
※この件、車の中からの礼だったという情報もあるが、どうなのだろう。未確認。

【6/29加筆】
韓国の中央日報によれば「天皇はこの日午前10時から4分間、平和塔前の道路に立って黙祷した。 」ということだ。

元来サイパンへの慰霊が決まった時から、この成り行きは予想できなかったものでもない。というよりも、サイパンへの慰霊を決めた時点で、この時節柄、なにやら政治的な思惑もあったのではないかと穿った見方をしてしまうのは、僕だけだろうか。

つまり、慰霊の旅が決まった当初から、この一連の出来事がプログラムされていたのではないかと思えてならない。こともあろうに、あの信念の火だるま政権、小泉首相の暴走外交の尻拭いを、賢くも陛下が務められるという、甚だ美しくない図式が計画された疑いがある。

サイパンの慰霊の旅はそうした方程式だったのではないか。

まあ、そうした政治的な計算が裏にあったにせよ、なかったにせよ、あのバンザイ・クリフに皇后と二人で立ち祈るその立ち姿には、感銘を感じたのは事実。制度としての天皇制はともかく、人格としての日本の皇室は、アジア周辺諸国の狭量あるいはテロルな「元首」にも、当国の首相にも期待が持てない中、少なくともご本人の気風は際立っていたと言ってもいいだろう。

穿ち過ぎず、信じすぎず、しかし厳粛に受け止めよう。

2005 06 29 [経済・政治・国際] | 固定リンク | コメント(4) | トラックバック

June 28, 2005

深夜のJ-Waveにやられたが-----「宇宙戦争」よりも怖いもの

宇宙関連のエントリーが続くが、6/27(月)の深夜2時過ぎのJ-Waveの生放送には参った。やられた。
東京湾に巨大な隕石が落下したという強烈なひっかけ放送。やるよなーJ-Wave!!
余りのリアルさに、途中まで信じてしまった。

最初に
「今入りました臨時ニュースです。先ほど都内各地で目撃された光ですが、東京湾に何か飛行物体が落下したそうです。これは航空機ではないようです」
から始まって
「今確認されました。東京湾に落下したのは巨大隕石の模様です。今現場に取材が向かっています。」
に続く一連の放送。さすがに、

「落ちたのは隕石ではなく、人工の丸い飛行物体の模様です。世界各地でも同様の目撃が・・」

あたりで「やられた」と気がついたけれど、深夜にテレビをつけてNHKをチェックしたり、あちこちネットで情報を得られないかと、さ迷ってしまったよ。
くやしい。まんまとやられてしまった。深夜におきているのは1人。確認しあう相手もいない。情報といえばネットとメディアくらいしかない状況でで迫真の演技で電波芝居をされると、僕のような冷静で知的な(?)人物でも、一瞬で催眠状態に陥らせることができるのだ。メディア恐るべし。

冷静に考えてみれば時節柄、映画「宇宙戦争」のプロモーションもかぶっていたのではないか。
「宇宙戦争」は1898年に発表されたH・G・ウェルズのSF小説『The War of the Worlds』(邦題『宇宙戦争』)を、現代へ置き換えて製作。第2次世界大戦が始まる3年前の1938年10月30日の夜、ラジオドラマ化されて、アメリカ全土をパニックに陥れた、いわくつきのシロモノ。実際に全米をパニックに陥れた様を克明に描いた傑作TVムービー「アメリカを震撼させた夜」も知られている。(僕は見たこと無いけどね。)

インターネットもテレビ放送もない時代。当時の人々がパニックになったのは、昨夜の僕をしてみれば非常に良くわかる。うーむ。何しろこの冷静な・・・・しつこいな。

そんな話は良く知っていながら、まんまと騙される。「天文少年」が聞いて呆れる。

直径100mくらいの小惑星は数百年に一度くらい。1.5kmくらいのものは100万年に一度くらい衝突しているというが、まさに、「天文学的確率」。千年間に直径1Km以上の小天体が地球に衝突する確率は0.5%と見積もられているそうだ。巨大隕石が地球に衝突した場合に引き起こされる全地球規模での環境破壊については、まじめに検討している学者もいるそうだが、たとえば6千5百万年前にメキシコのユカタン半島付近に落下して、恐竜などを絶滅させたと考えられている巨大隕石は直径約10kmと推定されているそうである。

要は、

要はそう簡単に東京湾に巨大隕石は落ちてこないということである。

他にも騙された奴がいないかと必死に探したら、意外といないんだね。みんな冷静で結構だね!と思っていたが、今日になって、2ちゃんの「実況板」と「ラジオ番組板」ではやっぱりパニクっていた若干名を発見。ようやく「肩の荷がおりた」(??)

そんな「天文学的」話よりも、最初に東京湾に「飛行機以外の何かが落下した」という触りで、ぞっとしてしまった面もある。その原因は、お察しの通り。宇宙戦争よりも遥かに夢の無いおぞましき想像だ。とにかく人が人為的に引き起こす災禍の危険度は、自然災害よりも遥かに確率が高いということだけは言えそうだ。

宇宙戦争よりも怖いリアルには遭遇したくないものだ。


【6/28加筆】
●信じてしまった人たちの結構笑える記録(若干名でもないじゃん)
→笑っていていいのか、J-Waveにマジで抗議すべきなのか、どうでもいいような次元のような看過できない次元なような・・・判断に迷う。(というコメントすらどうでもいいような気もする)それにしても、このニュースの間中、番組のホームページまで故意に落として臨場感を盛り上げていたらしい。何だこの粘着騙しは!
深夜にJ-Waveを聞いている人間は法治国家の市民として扱われていないのか!(怒)

2005 06 28 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント(7) | トラックバック

June 23, 2005

今とは違うどこか別の世界の空----ベネット彗星のことなど。

benet

今夜は、もう少し別のことを書こうと思っていたのだけれど、ブログを巡回していて「札幌から  ニュースの現場で考えること」の高田さんの記事を読んだら、星空のことを思い出した。僕も天文少年だったからね。

※そのころの自慢話は、「しし座流星群」の時にここにも書いた。

高田さんはウエスト彗星のことを書いているけれど、僕が覚えているのはベネット彗星だ。(これも相当古いぞ。みんな調べるな!)確か生まれて初めて見た彗星だったように記憶している。明け方の空に長い尾を引いて現れた姿は今でも心の中に残っている

その頃暮らしていた八王子の、都営住宅の屋上に、天体望遠鏡を持ち出しては星を見るのがあの頃の日課だった。花火の夏の夜も、凍えて寒い冬の夜も。
うちは狭かったので、望遠鏡は毎回畳まないと置いておけず(苦笑)、従って毎回望遠鏡を組み立てて星を見るという、ずいぶんご苦労なことをしていたのだ。

あの頃は祖母も元気で、夜中でも明け方でも望遠鏡を覗いている僕の横で、所在無げに時間をつぶしていたものだった。時々、「見える?」などと適当な声をかけ、それでもその僕の見ている対象にはそれほど興味が無い様子で、屋上の片隅で座っていた。

たまに、都営住宅に住んでいるほかの家族や、子供が興味を持って寄って来ることがあった。そういう時には照れながら望遠鏡を貸したりしていた。もうウン十年も(笑)昔の話だ。

今はもっと都心に住んでいて空も明るく、星を眺める機会はほとんどない。驚異の小型プラネタリウム、メガスターの記事に胸を躍らせたり「everynight」という素晴らしいブログを時々眺めたり、「Newton」の相対性理論の特集は買いそびれたのでぜひ買いたいとか、思ってしまったりしているのは、あの頃の名残だけれど(そう言えばこのブログのタイトルも多分そうだな。)、夜の空と空気はやはり今とは、どこかが確実に違っていたように思う。

冬の夜に「昴」を見つめて、溜息のように吐いたあの息の白さは、やはり戻ってはこない「今とは違う白」だったし、暗黒から次第に白んでいく空の「曙」は、今とは違うどこか別の世界の空だったとさえ思う。今となっては遠い遠い夜空である。

祖母は90を超えてまだ健在だが、星どころか、僕の顔も良く見えなくなった。あの時、望遠鏡を据えた都営住宅に、僕はもう住んでいないが、老朽化のため、まもなくとり壊され、その後は七階建ての高層マンションに生まれ変わる予定だ。

星を眺めたり、カメラに興味を持って天体写真を撮ったりするのは中学まで続いたが結局は趣味で終わり、僕は結局天文学者にも、カメラマンにもならなかった。

子供の頃になりたいと思った職業に就ける人は、初恋の人と結婚できる人と同じくらいに幸せで稀有なことなのかもしれないが、これもまた初恋の人と同じく、思い出にしておいたほうがいい場合もありそうだ。

少なくともそう思うことにしている。

また叙情に走った。だめだ。だめだ。

2005 06 23 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント(6) | トラックバック

June 21, 2005

エノラ・ゲイ参拝問題-------靖国と原爆投下を結ぶそれほど細くもない線

enola

米国大統領が、太平洋戦争終結の日に、エノラ・ゲイを展示した資料館に詣でることを始めたとしてもおかしくはない。なにしろブッシュのことである。小泉首相と同程度に彼には何でも起こりうる。

そうした場合、私達は米国大統領の、このような言葉を信じられるだろうか。あるいは許せるのだろうか。

エノラ・ゲイは平和の象徴だ。だからエノラ・ゲイに頭を垂れるとき、私はいつも世界の平和を祈念している。」

「米国の大多数の市民はエノラ・ゲイに尊敬の念を抱いている。なぜならこれがあの忌まわしい戦争を終わらせ、多くの米国の将兵の命を救ったからだ。」

「日本国民の命?たぶん救ったはずだ。死者はたったの13万人(ヒロシマ)ですんだのだから。エノラ・ゲイのおかげで。なぜって、今でも日本国民は生存しているではないか。」

「大事なのは過去ではない。未来なのだ。歴史に学ぶのはいいが、それに拘泥すべきではない。・・・・私?もちろん来年の今日も、ここでエノラ・ゲイに頭を垂れることだろう。」

「これは日本国民の心情をいささかも踏みにじるものではない。私はそれを確信している。なぜならば、私がそれを確信しているからだ

「エノラ・ゲイを他へ移せ?何のために?エノラ・ゲイはまさにここにあってこそのエノラ・ゲイなのだ。だめだったらだめだ!

日本国民は内政干渉をやめよ!私はこれからも適切に判断した末に、結局エノラ・ゲイに祈念するであろう。

「何を?もちろん世界平和をだ。二度とこのエノラ・ゲイが飛び立つような野蛮な国家をこの世に作り出さないために、だ。」

罪を憎んで、武器を憎まず。孔子も言っているだろう。(小声で秘書に)孔子は日本人だろ?


『参考記事』
ナショナリズムも合理的かつ未来志向で願いたい。--靖国神社参拝問題に関して
「非人道的」とはどういうことなのか

2005 06 21 [経済・政治・国際] | 固定リンク | コメント(7) | トラックバック

June 18, 2005

終わらせるというよりも、もう終わっているのでしょう。

畢竟、人と人との完全な理解は困難というより、始原的に不可能でありましょう。これはリアルであれ、サイバーであれ、同じこと。男女間であれ、同性間であれ、同じこと。互いに誤解が残ったとしても、そこまで辛抱強い「誤解」があるならば、一定の程度までそれは「誤解」でなく真実であったのかもしれない。

そしてもう一つ。100%の善意も100%の悪意も存在はしないということ。

僕の顔が鬼に見えたとすれば、ある一瞬鬼だったのでしょう。あなたの顔が一瞬鬼に見えたとすれば、あなたもその時鬼だったのでしょう。
鬼であった時間が瞬きの間であったか、ある程度長い時間であったかは別として、その刹那をもしも切り取る目が頭上にあったとすれば、互いに叫んだことは、その瞬間は真実だったとも言える。それは認めてもいいでしょう。

鬼であったすればこれは互いのこと。互いに認めましょう。

鬼同士が口角泡を飛ばして言い合ったとすれば、傍から見て何ともみっともないとも言えるが、時には渦中で戦うこともそう捨てたものではないのではないかと思います。
黙って相手を上目遣いで睨み、背中で小声でつぶやくよりも、こうした「戦い」はある種至高のコミュニケーションであったとも言えるのではないか?

実際人は喉元に切っ先を突きつけられないと、本当に真剣には物事を考えない。究極は恐怖によってのみ「宿題」をこなす、困った生き物であることもまた事実。

今日会った人は、過剰な「自意識」の醜さを言っておられた。それもわからなくはない。

ですが僕は、抑えた「自意識」ならば、むしろ、刹那醜くても、発露することをむしろ良しとする。実際、1年や2年で何ほどの実像も見えるものではない。能楽の記事でも書いたけれど、現世もまた同じ。5年経ち、10年経ち、15年経ちしたときに、「発露されなかった自意識」を内に抱えて、もしも綿々と悔いるに比べれば、一夜の自意識のぶつかり合いが、大立ち回りが、いったい何ほどの恥であろうか、と思います。

おっしゃる通り、終わりに美しさも取り繕いも求めるのは無為とも言えましょう。確実なのは、こうして言葉を紡ぐ間にも時間が過ぎていくということ。

それに抗するは私の本懐ではありませんし、かと言って過度の反省もまた本懐ではありません。互いにある種の割り切れなさは残ろうが、こうして時間が過ぎていく。それだけが、リアルな現実の姿なのだろうと思います。

終わらせるというよりも、もう終わっているのでしょう。
忘れたいことは忘れて、覚えていたいことだけ覚えていたいと思います。

2005 06 18 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント(2) | トラックバック

June 17, 2005

米国の下半身----MSも中国のブログ検閲に協力

何とも馬鹿げた話だ。このニュース。

中国でブログ検閲に協力 米マイクロソフト

【ニューヨーク13日共同】AP通信によると、米マイクロソフト(MS)は13日、インターネット上で自分の意見などを書き込めるブログの開設サービスの中国版「MSNスペース」で、中国政府に協力して書き込みを検閲していることを明らかにした。
AFP通信のインターネット版によると、「自由」「民主主義」「人権」「台湾独立」などの言葉を含む意見を書き込もうとすると、「それらの言葉は禁止されています。他の言葉に置き換えてください」とのメッセージが表示。中国政府にとり好ましくないテーマの書き込みはできない仕組みになっているという。

この記事で触れたのが人間の二面の邪性であるとするなら、差し詰めこれは、企業の二面の邪性とでも言える側面か。今後急拡大が予想される中国市場に向かうマイクロソフトが、中国政府に逆らうことは得策でないと判断しているのではないかということだが、何とも馬鹿げた話である。

>「自由」「民主主義」「人権」「台湾独立」などの言葉を含む意見を書き込もうとすると、「それらの言葉は禁止されています。他の言葉に置き換えてください」とのメッセージが表示。中国政府にとり好ましくないテーマの書き込みはできない仕組みになっているという。

だと?

まあ、中国がインターネット界において次元の異なる異界であり、巨大なFireWallを国中にめぐらせていることは、この記事「反日デモは鎮静化の模様だが----中国ネット検閲の実態」でも触れた。
このFireWallと検閲システムに、米国系企業では具体的にシスコシステムズやノーテルネットワークス、サンマイクロシステムズなどの名前が挙っていることもその記事中で触れたとおり。

これにマイクロソフトも加担していたと、そういうことである。言ってしまえばそれだけの話であるが、米国も「上半身」と「下半身」が分離しているということか。やりきれない話である。

2005 06 17 [中・韓・朝関連] | 固定リンク | コメント(3) | トラックバック

June 12, 2005

「ひめゆり学徒証言は退屈」------不謹慎と表現力の微妙な関係

うーん。こういうのはどうなんだろうなあ。と考えてしまった。
この記事。

「ひめゆり学徒証言は退屈」=青山学院、入試英語で出題

 青山学院高等部が2月に実施した入学試験の英語科目で、太平洋戦争末期の沖縄戦に動員された元ひめゆり学徒の証言について、沖縄を訪れた生徒が「退屈で飽きてしまった」と語る内容の英文が出題されていたことが9日、分かった。
 元ひめゆり学徒の1人は「体験を話しているのは若い世代に伝えたいから。こうした文章が入試で出るのはつらいし、許せない」と指摘している。
 設問は長文を読んで質問に答える形式で、試験用に同校の教諭が書き下ろした。3種類の入試のうち一般入試で出題され、1057人が受験した。 (時事通信) - 6月9日21時1分更新

この英文の全体を読んでいないので、何とも論評できないし、「元ひめゆり学徒」という人が不快を表明するのもわかる。確かに、入学試験の問題としては不適当といわれてもしょうがなかったかもしれない。

だが・・だがである。

「大切な話」や「重要な話」が、「退屈である」ことはこの世の中、よくある話。おそらくこの英文の原文を書いた(教師だと聞いているが)人が、ひめゆり学徒の体験談を「退屈だ」と感じてしまったのは紛れも無い事実。
「退屈だ」と感じるのがいくら不謹慎だと言ったところで、そう感じてしまった事実を覆すわけにはいかない。

思えば、こうした「不謹慎」と「退屈」の軋轢のような話は、私達の社会には少なくない。例えば葬儀の席とかで、不謹慎とは知りつつ、あるいはその故人への思いは決して軽くないにも関わらず、あまりに冗長な挨拶に退屈を感じてしまったことが、あなたにはありませんか?

思うにその話の「重要さ」とか「深刻さ」とは別の次元に「表現の力」という問題があって、全く内容のない話なのに、「表現」が絶妙なので聞き入ってしまうこともあれば、今回のひめゆり学徒の話のように、「重要」で「深刻」なのに「表現」が未熟で(おそらく)退屈と言われてしまう話もある。
これはブログなんかもそうだ。大事なテーマだと言うのはわかるんだけど、あまりに退屈で読めない記事なんて山ほどある。

まあ、そう思ってもその「退屈さ」を率直に出してしまうところが「不謹慎」と言われる所以なのだけれども、それを不謹慎とばかり言っていても始まらない、もう少し深い考察も、あるように思うのだ。少なくとも文学はそうした微妙な人の気持ちの絢のようなものを無視しては成り立ち得ないし、心を動かそうと思えば、ことの実態の力に甘えず、「表現方法」に貪欲になってもいいはずだ。

つまり、どんなに重要な話であって、限界まで「表現」を尽くせというミッションからは逃れられないのは例外ではないということか。

深いような、当たり前のような、何とも表現のし難い話である。

【同日加筆】

今、夢幻の如さん児童小銃さんのサイトで問題となっている原文を読んできた。確かに多くの方が言われている通り、報道と実際の問題文とはだいぶイメージが違う。ここで表現されているもの=つまり英文の問題自体の表現しようとしているものは決してそう低い内容のものではない。
これもまた、仮に「退屈なひめゆりの体験記」というものがあったとして、私達が如何にして「そのこと」に向かい合うべきかというテーマを、期せずして提示しているように思える。

だが、入試問題のミッションとして妥当かどうか。その疑問が最後まで残るのも事実なのであり、そこまで考えるとそもそも、「入試で出題される文章」のミッションは何なのか、というところまで考えてしまった。未整理だけれど。

2005 06 12 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント(9) | トラックバック

June 11, 2005

「月見座頭」-------青く冷たい空間と人の二面性

zato

ここでは余り書いたことがないが、実は20代の時から、数知れないほどの能の演目を見ている。ほとんどが薪能だ。その頃、薪能のプロデュースをするという不思議なコンセプトの会社に籍を置き、全国の薪能を観歩いていた。

能のことなど何もわからなかった自分を、導いてくれた人がいた。その人との縁は儚く消え失せたが、観能の趣味はその人から自分への、貴重な置き土産である。

薪能のことは、書き出すときりがない。今年も芝・増上寺の薪能を見に行ってつくづく思わされたのだが、能あるいは狂言とは不思議なもので、その時の自分の年代によって同じ演目でも、見え方や感じ方が変わってきていることに気づく。

今まで聞き取れなかった難解な「謡」が急に耳にすんなりと入ってくることがある。物語の細部の気がつかなかった真実が、急にすとんと見える時がある。

単に深くなってきたとか、浅いとかそういうことではない。六条御息所の生霊の怨念を描いた「葵上」にしても、誰もが知っている「羽衣」にしても、海上で平家の亡霊と大立ち回りを演じる「船弁慶」にしても、見るたびに違う趣や、感慨を持ってきてくれる。10年前に見た同じ演目を、また10年後にも見てみたいと思うのである。そうした経験は他に得がたい。

そんな中、かつて大谷の石切り場、地下奥深くで青い光と固い石で切り取られた硬質の空間で演じられた、ある狂言の演目を時折思い出す。

「月見座頭」である。

中秋の名月の夜。一人の座頭が野辺へ出、さまざまな虫の声に耳を傾け楽しんでいる。そこへ都から月見にやってきた男が声をかける。二人は互いにうちとけ、男が持参した酒でささやかな宴が始まる。男は座頭を労わり、優しい声をかける。

歌を詠み、謡い、舞い、存分に楽しんだ後、二人はそれぞれの帰途につく。座頭も気持ちよく家路につこうとする。

ところが、ところが、一体どうしたことであろう。

男はふと気が変わり、表情が変わる。今別れたばかりの座頭に向かって急に踵を返す。
そして、無言のまま別人をよそおって、座頭を小突きなぶってその場に打ち倒し、杖も奪って遠くに放り投げ、逃げていくのである。さっきまで優しかった男が豹変する。その不可解さに観客は圧倒される。

 野辺にはひとり座頭が残され「先ほどの人と違い、なんと酷いことをする奴がいるものだなぁ」とつぶやく。後半のこの意外な展開は、人間の不条理と不可解さ、掴み切れない魔性と残酷が込められている。

この演目は、盲人をなぶることがテーマになっていることもあってか、微妙なところがあり、めったに演じられることがない。狂言は元来能と能との幕間に演じられる滑稽な出し物であるが、この「月見座頭」は最後まで笑える場面はない。狂言には時折こうした演目もあるのである。

打ちひしがれた座頭が、ゆっくりと嘆きつつ退場していった後、客席はそれぞれの思いにしんと静まり返っていたことを今でも思い出す。

言うまでもなく、「月見座頭」が描いているのは人間の二面性である。自分はこの座頭を打ち倒した男のようなことをしたことが全くないかと考えると、否定する自信はない。あまり思い出したくない幾ばくかの記憶がよみがえるような気がして、あわててそれを振り払う。

この演目を思い出すたびに、今でもあの大谷の石切り場の深く冷たい天井の高い空間と、青い照明。そしてひんやりとした空気を思い出すのである。

二面の邪性からどうして自分だけが逃れられようか。

2005 06 11 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント(4) | トラックバック

June 08, 2005

報復連鎖の地獄

(1)こんなひどい目にあったのだから、私も相手にこのくらいのことをすることは、許されるのではないかと考える。

(2)相手も多少は痛いかもしれないけれど、自分はもっと痛かった(に違いない)ので、こんな痛みは相手に与えて然るべきだと考える。

それでも少し心が痛いので、今度は正当化が始まる。

(3)よく考えれば、私は相手を思うからこそ、こんなことをしている。
相手は今、多少は痛いかもしれないけれど、きっと後になったら私に感謝するに決まっている。

(4)そうだ。これは相手のためになる行為なのだ。邪魔をするな!黙れ!消えろ!

「ためになるはずの行為を」を与えられた相手は怒りに燃え、(1)に戻って、被害者は今度は加害者になる。無限連鎖。

あなたは忘れている。
あの朝、東京の地下鉄で大殺戮を行った宗教集団も、同様の論理を主張した。法は、こうした循環に終止符を打たせるためにこそ機能する。不法行為は不法行為であり、それ一つとりあげて不法であれば、前後に関係なく不法となる。酌量の幅はあっても。

不法は、この社会では許されない。なぜならこの連鎖を止めるためだ。抗えば今度は、法によってあなたは「報復」されることになる。それでも、あなたが報復論の地獄に陥るというなら、話は別だ。

法とも徹底的に戦うがいいだろう。

自らが傷ついたという、あなたの言う「深い心の傷」を声高に示し、この残虐な行為に正義があると全力で訴えればよかろう。自分も相手もぼろぼろになっても訴えればいいだろう。

そこまで行けばすがすがしくさえなるかもしれない。そこまでいけばね。

2005 06 08 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント(1) | トラックバック

June 04, 2005

戦いを巡る愛情と憐憫(2)-------「場」の争乱とクローズな平和の凡庸。

どうも最近、場が荒れている。先日のこのことは有意義だったと思うが、ある親しいブログの閉鎖だとか、逆にしばらく休んでおられたブログが新スタートを切ったりとか、そこここのバーチャル空間で人と争ったり、リアルの場で人とひどい喧嘩をしたり。

私のリアルはともかく、思えばこのブログというものは、本当にバトルになりやすい、フレーミングを誘発しやすいメディアだ。考えてみればそれぞれのブロガーの数だけ、掲示板があり、それらがTBにより互いを勝手に結びつけるのである。いわば「掲示板」が触手を他の「掲示板」に伸ばして、そこで気に入らないものの存在を見つけてはそこに押し入り、あるいは戦いを持ち帰るのである。この仕組みで荒れないわけがない。であれば、あちこちで火の手が上がるのは止むを得ないのかもしれない。

本当に周囲が騒然としている。結ぶ手を探し回って。あるいは振り払う相手を探して。

そんな中にあって、最近の僕の私的精神的状況を色濃く反映した前記事に、Fairnessさんから美しいTBをいただいた。自分が自分の記事でみなまで書き切れなくても、乱暴な衝動的な記事に対して、その行間を埋めてくれる。そういうブロガーは本当に少ない。こういうのを美しいTBというのだろうな、と思う。この人のブログの魅力は、中庸の美を、本当に見事に綺麗に見せてくれることだ。時に暴力的で、衝動的な記事を空間に投げ出す自分などは、こういう解釈をしてくれる人の存在が必要だ。それは暫し自分の思考を検証し、黙視する契機になる。

記事の完成度とか、そういうことではなく、別種の美をそこに感じる。

そこで、前の記事の意味も自分で考えながら、もう少し書いてみる。

コメント欄にも書いたけれど、平穏や平和を求める気持ちは自分にも人並みにはあるけれど(元来人よりは薄いと思うが)、これら、求める平穏や平和は、実は曲者であると思っている。平和や平穏は、一般的に人が言うほど美しいものだと思えない。無条件に賛美できない。
むしろそれは、つまり平和を志向する心は、孤立的で独善的、自分の周囲の空間のみ守る、エゴイスティックな感情なのではないか。そして、これらが非常にクローズな感覚であることは、それらが宿命的に持っている危険な側面ですらある。
なぜなら他者に深く関わろうとすれば、平穏は遠くなり、他国に深く関わろうとすれば静穏は必然的に乱されるからである。遠い他者の持ち込む不幸は私達の平和を例外なく破壊するからである。

反して、戦いは、必ず他に対象を求める。当然である。対象なきところに闘争は生じないからである。そこでどんなに苛烈な争いがあっても、怒号が飛び交っても、実はそこでは相手との間で、一種のコミュニケーションが生じている。サイバー空間であっても、リアルの世界でも同じこと。極言すれば、相手を傷つけあうことも殺しあうことすらも(!)コミュニケーションである。暴力にすらコミュニケーションは内含されている。それは薄々気がついていても、目を背けがちな、世界のもう一つの側面である。

逆説的に言えば、戦争には元来、他者に関わろうという、血の滲むような切望が含まれている。他者にコミットし、他者を貫こうとして文字通り自分が、あるいは相手が滅びさる危険で警戒すべき現象であることに間違いは無い。そしてクローズした戦争もまた存在しない。闘争や戦いは他者と必然的に関わることでオープンなのである。

戦後日本に欠けていたものがあるとすれば、現象としての戦争と共に失われた、他者に関わろうという血の滲むような切望と実践ではないか。それに代わって凡庸なる一国平和主義の静穏な日々が訪れた。それは世界の視点から見れば、他国に理念以外何も貢献しない、自分勝手で独善的な平和の実現を為した。

日本は宙に向かって平和を叫び続け、その閉じられた空間に閉じこもり、血で手を染める行為を自ら引き受けず、軍事に特化した同盟国に依存した。
九条という謎の呪文を唱え続けていたが、その声は小さく喉の奥で鳴っていたため、誰も聞き取ることができなかった。

戦後60年、1人の他国民も戦禍に巻き込むことも殺めることもしなかった。--これはよく言われる日本の「誇り」であるが、その間に同盟国はその手に大量の血を抱いていたのである。
この軍事特化の同盟国の庇護=死のキスなしには、この特異な、人類史上例を見ない「平和の国家」は成立しなかった。護憲の論は時としてそれを忘れている。

平和は専ら内側に向けての静穏にはなっても、外側の世界には無意味に近かったのは、中韓の最近の反応を見ても自明。ましてや米欧以外の開発途上の国々にとっては、安定した経済がもたらした経済の恩恵はあっても、この喉の奥で鳴らしていた理念は、はなから届かなかった。

深く深く閉じた平和という凡庸な日々を送ることになったこの国家は、勢い他国との関係に真剣味を欠き、おざなりにした。他国との恒常的な緊張感の欠如は、この「決して戦わない国家」という特異な概念に、国も、政治家も国民も洗脳されることにつながり、覚悟を失ったた結果ではないか。であれば、むしろこの洗脳は「自虐国家の洗脳」よりも根が深いと言えはしないか。

この凡庸によって自国の平穏のみが保証され、その平穏が保証されるためにはオープンではなくクローズな思念の空間が不可欠だった。このクローズな空間の平穏は、まさにこの空間のためだけに機能していたのである。経済的な発展の影で、世界の血に目を向けない、精神的な鎖国状態。それが私達の住む世界のもう一つの容貌である。

平和憲法の理念がもしあるとすれば、このクローズな空間から、グローバルな空間へ向けてそれが継続的に強く照射されなければならなかった。だが、その照射の試みがもしされたとすれば、この国の平穏は乱れ、静穏は奪われていただろう。こうした文脈で、平和憲法は元来、内在的に、宿命的に自己矛盾を抱えているのである。

それが外部と「関わらない」ことによってのみ実現される箱庭の平和論は、いつか外部がそれに気づき、焦がれ、模倣してくれるという受身の体制でしかその理想を広める手段を持たないのである。誰かが気がつくことだ。小さい声を聞き取ることだ。

あらゆる懸念にも関わらず言えば、護憲はこのクローズな鎖国状態、他者と関わらない平穏を、この国一国の平和のために将来に向けて継続しようという試みである。

こんな壮大な話だけではなく、私的な苛立ちと状況への苛立ちがそれぞれ交互に絡み合い生まれた、ある種の雑多な苛立ちのカオス-----それが前記事を書かせた、と自分で解釈する。

自分で記事を書いていながら、それが何を意味しているのか、何が自分に記事を書かせたのか俄かにはわからないことは、少なくない。そうした状況に、ブログのTBは、正しく使われればいい意味での変化を与えてくれる。

そして、今回わかったことは、こうしたことのカオス・・はおそらくFairnessさんが感じている感覚の出発点とそう遠くはない。だが彼女はおそらく僕よりも一段木目の細かい感性でその構造を、より慎重に吟味しようとしているのではないかと思う。

今」凡庸に甘んじる姿を見るならば、武器を持った戦いの中でもまた凡庸な役割しか演じられないのではないか。
その場合、その対極が実感できないから、凡庸を振り切る事ができるような気がするのではないか。
武器を持つことを決意した一瞬間だけ凡庸を離れ、また次の瞬間凡庸に埋没するのではないか。

自身の凡庸に対する苛立ちは自身の中にある凡庸への苛立ちで、対象は二次的なものなのではないか。
(Fairnessより)

こうした返信が返ってくると、複雑系の世界の中でも、何かその底にある一貫したものの存在。それは神とは言わないが、何かがそこに動く気配は、感じるのである。Fairnessさんをして、僕の発信に対して、打ち返すものの存在を。

このような存在は、目を閉じればどんな世界にも感じ取れるのではないか。

荒れた世界にも、荒れたブログにも。
平和な世界にも、平和なブログにも。

荒れた家族にも、荒れた恋愛にも。
平和な家族にも、平和な恋愛にも。

つまり、あなたと私に関わる全ての世界に、だ。

2005 06 04 [経済・政治・国際] | 固定リンク | コメント(2) | トラックバック

June 01, 2005

戦いを巡る愛情と憐憫-------そして「死のキス」

春の嵐の後、夜更けに「戦い」について思い、邪気を帯びる。

60年前。

日本は米国に敗北した。完全敗北と言っていいだろう。
敗北の理由や開戦の理由は、百論輩出であろうが、負けたということ。
完全敗北したということは、全日本人が共有する紛れも無い歴史的事実である。
完膚無きまでに叩きのめされ、荒廃の限りをつくした国土で、敗北者の立場を思い知らされたろう。惨めさを極限まで味わったのだろう。

我らは、祖父母からその屈辱の遺伝子を受け継いでいる。

敗北から戦後の日本は歩き始めたのであり、米国との「親密な」関係は血塗られた国土の上に民主主義という化粧を昨日の墓標の上に施すことから始まった。
憲法だけではなく、靖国だけではなく、国家の今のありようは、米国への完全敗北を原点=グランドゼロとして考えなければ、理解はできない。

敗北とは、有無を言わさず異質の意志を体内に受け入れることである。
異質の意志に貫かれることである。

いかに東京裁判の無意味をあげつらったところで、あの日。
昭和20年の8月15日に日本は完全敗北し、そこから全てを今日に向けて再構築してきた。

米国に、連合軍に、この国は射ぬかれ、貫かれたのである。
その記憶は、無念は我らの遺伝子の中にある。

では中国に対してはどうであったか。
中国は紛れもなく勝者の陣営であったはずである。

しかし

1度でも、日本は中国に敗北したと思ったことがあっただろうか。
1度でも、中国は日本に敗北したと思ったことがあっただろうか。

否。

否であれば何が我らの関係を支えてきたのか。

不完全に燃えた炎は、今も我らを苦しめている。
あらゆる誤解を恐れず言う。

この2国は正しく戦い、いずれかが正しく敗北しなければならなかったのである。
それも完膚無きまでに。

その戦いなき所に、日々を、黄土の大地をカネにまみれさせ、
彼らも我らも、何かをなしえたようで何もなさず、今日に至った。

戦うことの残酷
戦うことの無意味
戦うことの後悔
戦うことの空しさ
戦うことの高揚感
戦うことの偽善
戦うことの悲しさ

そして途方もないその無駄な殺戮と破壊。

戦いの、
戦いの、とてつもないエネルギーの損失と、ヒトの血。血。血。

それらを、全て見ぬふりをして、
全てを、曖昧なアルカイックスマイルでスルーしたところで、
我ら2国は年月を費やしてきた。

中国とは今も血の池のような日本海をはさんで向かい合い、
国土を焦土に追い込んだ直接の当事者である米国とは、
「死のキス」を交わし運命を共にしている。

戦いを巡る愛情と憐憫-------そして「死のキス」

浮かぶ情景がある。

映画「戦場のメリークリスマス」で、日本軍のエリート士官ヨノイ(坂本龍一)が捕虜のイギリス人、セリアズ少佐(デビッドボーイ)の美しさに次第に心を射抜かれ、そして、突然にセリアズはヨノイを抱擁し、接吻をする。

その直後、ヨノイは炎天下の戦場に、崩れるように倒れていく。
衝撃的なシーンである。

あれからずっと、考えていた。あのセリアズの接吻の意味を。
なぜ、セリアズは。なぜ、ヨノイに。

戦いを究極の究極までに避けながらも
戦うべき時に戦うこと。

そして、悪戯に日々を消耗しながら
接吻さえも生まれない平和を蝕むこと。

いずれが、我らのかたちなのか。
いずれが、我らの生なのか。

戦うことの残酷
戦うことの無意味
戦うことの後悔
戦うことの空しさ
戦うことの高揚感
戦うことの偽善
戦うことの悲しさ

そして途方もないその無駄な殺戮と破壊。

それでも尚。

それでも尚、あの「接吻」さえ生み出せない幾十年の、
あらゆる意味での凡庸を、僕は嫌悪する。

それをもしも「平和」と呼ばなければならないなら、
その卑怯な平和を嫌悪する。
あらゆる無慈悲と残酷を超えて。

それをいったい誰が止められるだろうか?

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2005 06 01 [経済・政治・国際] | 固定リンク | コメント(5) | トラックバック