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June 01, 2005

戦いを巡る愛情と憐憫-------そして「死のキス」

春の嵐の後、夜更けに「戦い」について思い、邪気を帯びる。

60年前。

日本は米国に敗北した。完全敗北と言っていいだろう。
敗北の理由や開戦の理由は、百論輩出であろうが、負けたということ。
完全敗北したということは、全日本人が共有する紛れも無い歴史的事実である。
完膚無きまでに叩きのめされ、荒廃の限りをつくした国土で、敗北者の立場を思い知らされたろう。惨めさを極限まで味わったのだろう。

我らは、祖父母からその屈辱の遺伝子を受け継いでいる。

敗北から戦後の日本は歩き始めたのであり、米国との「親密な」関係は血塗られた国土の上に民主主義という化粧を昨日の墓標の上に施すことから始まった。
憲法だけではなく、靖国だけではなく、国家の今のありようは、米国への完全敗北を原点=グランドゼロとして考えなければ、理解はできない。

敗北とは、有無を言わさず異質の意志を体内に受け入れることである。
異質の意志に貫かれることである。

いかに東京裁判の無意味をあげつらったところで、あの日。
昭和20年の8月15日に日本は完全敗北し、そこから全てを今日に向けて再構築してきた。

米国に、連合軍に、この国は射ぬかれ、貫かれたのである。
その記憶は、無念は我らの遺伝子の中にある。

では中国に対してはどうであったか。
中国は紛れもなく勝者の陣営であったはずである。

しかし

1度でも、日本は中国に敗北したと思ったことがあっただろうか。
1度でも、中国は日本に敗北したと思ったことがあっただろうか。

否。

否であれば何が我らの関係を支えてきたのか。

不完全に燃えた炎は、今も我らを苦しめている。
あらゆる誤解を恐れず言う。

この2国は正しく戦い、いずれかが正しく敗北しなければならなかったのである。
それも完膚無きまでに。

その戦いなき所に、日々を、黄土の大地をカネにまみれさせ、
彼らも我らも、何かをなしえたようで何もなさず、今日に至った。

戦うことの残酷
戦うことの無意味
戦うことの後悔
戦うことの空しさ
戦うことの高揚感
戦うことの偽善
戦うことの悲しさ

そして途方もないその無駄な殺戮と破壊。

戦いの、
戦いの、とてつもないエネルギーの損失と、ヒトの血。血。血。

それらを、全て見ぬふりをして、
全てを、曖昧なアルカイックスマイルでスルーしたところで、
我ら2国は年月を費やしてきた。

中国とは今も血の池のような日本海をはさんで向かい合い、
国土を焦土に追い込んだ直接の当事者である米国とは、
「死のキス」を交わし運命を共にしている。

戦いを巡る愛情と憐憫-------そして「死のキス」

浮かぶ情景がある。

映画「戦場のメリークリスマス」で、日本軍のエリート士官ヨノイ(坂本龍一)が捕虜のイギリス人、セリアズ少佐(デビッドボーイ)の美しさに次第に心を射抜かれ、そして、突然にセリアズはヨノイを抱擁し、接吻をする。

その直後、ヨノイは炎天下の戦場に、崩れるように倒れていく。
衝撃的なシーンである。

あれからずっと、考えていた。あのセリアズの接吻の意味を。
なぜ、セリアズは。なぜ、ヨノイに。

戦いを究極の究極までに避けながらも
戦うべき時に戦うこと。

そして、悪戯に日々を消耗しながら
接吻さえも生まれない平和を蝕むこと。

いずれが、我らのかたちなのか。
いずれが、我らの生なのか。

戦うことの残酷
戦うことの無意味
戦うことの後悔
戦うことの空しさ
戦うことの高揚感
戦うことの偽善
戦うことの悲しさ

そして途方もないその無駄な殺戮と破壊。

それでも尚。

それでも尚、あの「接吻」さえ生み出せない幾十年の、
あらゆる意味での凡庸を、僕は嫌悪する。

それをもしも「平和」と呼ばなければならないなら、
その卑怯な平和を嫌悪する。
あらゆる無慈悲と残酷を超えて。

それをいったい誰が止められるだろうか?

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Comments

BigBangさん おはようございます。
TBを送らせていただきました。
まとまりの無い文章で、ピントがずれているかもしれませんが時間が有ったら見てみてください。

こんばんは。
中島篤「山月記」を読んだ後、BigBangさんの文章と今更ながらのプロフィールの文を読んで涙が出てきました。
今は上手く言えません。
自分の中で消化、昇華してまた書きます。
なら、書くな〜〜〜なぁんて言わないで。
書かずにはいられなかった。
では、、、

今晩は。私も時折、ブログを読ませていただいています。

当記事は・衝動的に書いたので本人もよく意図がつかめなかったのですが(そういうことがたまにあります。私の場合。何日かかかって自分の記事を自分で読み込むんです 笑)

どうもこのごろ周囲の「場」が荒れていて、落ち着かない日がつづいているのですけれど、静穏や平穏を志向する自分の気持ちもあることをわかった上で、その静穏や平穏を至上のものにはしないほうがいい・・・

というようなことが言いたかったのかな・・・と、せとさんとFairnessさんの書き込みを見て、思いました。


おはようございます。
まず、訂正。(こっそと、、、ですか?)
中島あつしさんは篤でなくて敦でした。急いで書いたので失礼を致しました。
さて、あの後ゆっくりと考えました。
山月記の主人公李徴が何故虎になったか?
そして、わずかに残っている人間の心と獣の本能とに翻弄されながらのたうち回る姿が、BigBanさんのたみかける訴えに重なったのです。
>いずれが、我らのかたちなのか。
いずれが、我らの生なのか。

戦うことの残酷
戦うことの無意味
戦うことの後悔
戦うことの空しさ
戦うことの高揚感
戦うことの偽善
戦うことの悲しさ

と、あなたは自らと読み手の私に問う。
読んだ私は、はからずもその「心のにこ毛」をグサツと捕まれ、タジタジしながら涙が出るのです。
鋭くて深くて哀しいあなたの呼びかけ。
李徴の咆哮に重なり、また私のそれにも重なります。
いまだ、その答えは出ない。
山野をさまようばかり、、、です。
さて、
これからも素敵な文、書いてくださいね。楽しみにしています。
私もいずれ自分の記事でまとめます。
その折はご覧くださいね。
(今回はニーチェの永劫回帰を書いてみました。あなたにはとおく及ばないけれど、、、)
では、また。

BigBanです。
なるほど、山月記の李徴ですか。久しぶりに聞く小説ですが、ネットであれこれいじって辿ることで、そのあらすじを思い出すことができました。

この記事の続編をすでに書いてしまいましたが、これもまたせとんという人をして、何かが私に打ち返してくれたのだと思うことにします。

古来より後世に優れて残る芸術というのは、もしかしたらこういう「人に何かを打ち返させる」切り口をいかに多く持っているかなのかもしれませんね。

芸術の純粋な評価とは別に、この発信口を多く持つ作品のみが、時間を越えるのかなあとちょっと思いました。

永劫回帰、ゆっくり読ませていただきます。

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