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July 31, 2005

東京都の災害対策住宅の不思議-----「待機」とは超過勤務なのか。

先日の足立区で起きた地震に関して、災害対策住宅に住んでいる職員の半数以上が都庁に集合していないということが問題になっている。

 東京都足立区で23日、震度5強を記録した地震で、災害時の対応のため東京都の災害対策住宅で待機しているはずの補助要員50人のうち、半数以上が東京都庁に集合していなかったことが27日、分かった。災害対策セクションの総合防災部職員らが登庁し、情報収集などに支障はなかったが、危機管理に対する意識が改めて問われそうだ。事態を重視した都では、集合システムを改善するため、登庁しなかった職員から事情を聴いている。(2005/07/28 産経新聞より)

僕は不明ながら災害対策住宅への認識がなかったのだが、同日の産経新聞によれば、

都庁周辺に約10カ所ある災対住宅に約200人が住んでいる。こうした職員は50人ずつが1週間交代で待機体制をとることになっており、待機時は都庁から徒歩30分圏内にいるように指示されている。

・・・災対住宅の家賃は3LDKで約5万円と新宿区などでは格安。居住する職員は常時、集合訓練を受け、2回集合できなかった場合は同住宅から退去させられるなど厳しい規定がある。

という。

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July 27, 2005

何歳までが夭折?-----僕はもう「夭折」できないのか

気になった人もいるのではないか?

前記事「夭折という言葉を噛み締めた-----杉浦日向子さん逝く」を書いたときから実は自分自身でどうなんだろう・・と思っていた。

46歳で逝った杉浦さんにこの言葉が当てはまるのであろうか。

書いた後もどうも違和感が去らない。脇道だが調べてみた。

まずこのサイトを見つけた。

● 「夭折の基準」( Shuffle++ )

→ 毎日新聞夕刊に「復活クイーン欧州ツアー」という記事が掲載された。
 ロンドンで行ったクイーン+ポール・ロジャースのコンサートの模様を伝えているのだが、読み進むうちに「91年に45歳で夭折したフレディ・マーキュリーの妖艶とも言える声と……」で躓いた。


で、

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July 26, 2005

夭折という言葉を噛み締めた-----杉浦日向子さん逝く

天才に限って若くして逝くという、良く言われる言葉がここまで真実だと思わされるのはどうしてなんだろうか。

杉浦日向子氏の早すぎる突然の死を悼むブログが多くアップされている。

いつも着物をきりっと美しく着こなしておられた、背筋を伸ばした姿が目に浮かぶ。

「コメディー お江戸でござる」は見ることができなかったが、江戸風俗を、信じられないくらいの考証力で、宝石のように散りばめて書かれた、漫画の一際の美しさにも魅了されていた。

なんとあの荒俣宏氏と結婚されたときには、余りの組み合わせの「妙」に本当に驚いたものだったけれど、そして離婚したときには、そりゃそうだよなーと思ったけれど、今思えば大変な「出会い」だったのだろうなあ、と思う。
全く異なるキャラクターだけれど、自分としては、サルトルとボーボワールのカップルに、二人を何となく勝手に重ねていたような気がする。

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July 25, 2005

Time is on my side(2)-----光は今でも味方しているのか

oouso

最初に
Time is on my side(1)-----時は今でも味方しているのか
を書いてからずいぶん時間が経ち、いろんなことがあった。この記事が最初の記事の続編としてふさわしいのかどうか、僕にもよくわからない。時間を順に追う自分史にも全くなっていない。なっていないのはわかるのだが、今が書くべきタイミングだと思うので、書いてみる。

変な話だと思われるかもしれない。そして現実逃避だと言う人もいるかもしれないけれど、人と人との関係、自分と人との関係、自分と社会との関係。

そうした事柄で迷ったりひっかかったりしたとき、

「そう言えば光はどうなっていただろうか」

「そう言えば素粒子で言えばどうなっていただろうか」

などと考える。いや、本当だよ。

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July 23, 2005

ディテールに宿るのはいつも神とは限らない-----「クオレ物語」と靖国神社

country

「ディテールに神が宿る」というのはドイツの格言なのだと言う。意味はそのままそういうことだ。この世界において、あるいは人生において大切なことは、大所高所にあるのではなくて、日常のささやかなこと。何気ない出来事の中にある。
あるいは、文学や美術にしても、細かなところに込められている細工を見逃せば、そのことの正しい価値判断はできない。そういう意味であると自分なりに捉えている。

子供の頃の愛読書に、「愛の学校 クオレ物語」という本があった。イタリアの小さな田舎町の小学生、エンリーコの学校生活の1年間を、日記形式で描いた古典名作だ。友人や先生との間におきる様々な諍いや、小さな出来事。それらをエンリーコの視点から描いた感動的な物語で、ささいな人生の中にあるとるに足りないような出来事が、生きていく上で大切な様々な教訓に満ちているという、推薦図書として一時もてはやされた本である。
僕の家になぜこの本があったのかはっきりしないが、おそらく、祖父が何かの機会に買ってきたのだろう。祖父にはそうした、ある種典型的な、「教訓的」面があった。

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愛すること。自由であること。孤独であること。

愛すること。
自由であること。
孤独であること。

人を愛することで、自由になるのか。
それとも
人を愛することで、自由でなくなるのか。

人を愛することで、孤独になるのか。
それとも
人を愛することで、孤独でなくなるのか。

自由であれば、孤独になるのか。
それとも
自由であれば、孤独でなくなるのか。

自由だから、愛することができるのか。
それとも
自由だから、愛することができないのか。

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July 21, 2005

アポロが月に行ったことを含め、確かなことは何一つない。

aporo

今から36年前。1969年7月20日。アポロ11号が月面に着陸した年だ。

あの騒然たる1969年。月面の「静かの海」にアームストロングが降り立ったのだ。この日ばかりは、全ての日常生活を、とりあえず停止することが許された記憶がある。おそらく日本中の小学校で、職場で、この世離れした宇宙飛行士がスローモーションのように月面にふわりと降り立ち、星条旗を立てた映像を食い入るように見つめていたはずだ。その瞬間だけは、この世界の喧騒は暫しの間凍りつき、全ての動きを止めた。

月面に立てられた星条旗は、なびかなくて滑稽な気がした。風が無いのだから、空気がないのだから当たり前だ。

アポロ11号は、人類が初めて、月に足跡を残したときに利用した宇宙船である。アポロ計画で8番目(有人では5番目)に打ち上げられた。地球から打ち上げるために利用したロケットはサターンV型、月着陸船をイーグル、月の軌道を周回する司令船をコロンビアと呼ぶ。
船長のニール・アームストロング、司令船パイロットのマイケル・コリンズ、着陸船パイロットのエドウィン・"バズ"・オルドリンの3名が乗り込んだこの宇宙船は、1969年7月16日9時32分(現地時間、以下同)、アメリカ合衆国のケネディ宇宙センターにて打ち上げられ、7月20日4時17分40秒に月の静かの海に着陸した。
7月20日22時56分15秒、船長のニール・アームストロングが、人類で初めて月面に足跡を残した栄誉を手に入れる。そのときの第一声は「これは一人の人間には小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍だ。」であった。
その後、2時間30分あまりの月面活動を経て、7月21日13時54分に月面を出発。7月24日12時50分に無事に地球に帰還した。なお、帰還の際、アポロ11号は月面に立てた星条旗を噴射によって吹き飛ばした。  (以上Wikipediaより)

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July 14, 2005

Googleの才気と狂気------Gmailから始まるナーバスな未来

earth

いい加減にしなさい!!!!


日曜日の朝だと言うのに、けたたましい物音で目を覚ます。
台所から、また祖父母が言い争う声と駆け回る足音がする。
祖母の怒りの矛先は、祖父が後生大事にこの50年間も保存しているメールボックスに向けられているのだ。いつもの風景だ。

祖父は、メモリがたったの100GBしかない旧式の大事なウェアラブルPCを抱えて、いつものように庭先を逃げ回っている。それを祖母が壊そうと追いかけまわす。

ここ何十年も繰り返されてきたいつもの、老夫婦の年中行事。だからといって、何も日曜日の朝でなくてもいいじゃないか。僕は、うんざりするのも疲れ果てた。また毛布をかぶる。

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July 10, 2005

かつて「テロリスト」だった国にあって思う。-----「対テロ戦争」はシャドーボクシング。

ロンドンのテロについて考えるとき、この悲惨な許すべからず犯人の所業に直面しても、こだわっておきたいのは、連発される「対テロ戦争への勝利」という言葉。

9.11以来、「対テロ戦争」は米国ネオコンの謳い文句となり、その文脈でアフガン戦争がなされ、イラク戦争が実行された。おそらく今回のロンドンのテロについても、ブレアのポジションはともかくとしても、ブッシュは、「対テロ戦争」の一層の強化を、ここぞとばかりに関係各国に対して強調してくることだろう。

一方で、アフガンでは少なくとも3,700人のアフガン市民の命が失われたといわれる。
イラクでは1,700人の米国兵が死に、10万-15万人ものイラク人の命が失われたとされており、アフガンとイラクを合わせた戦費は朝鮮戦争と同程度の3,500億ドルに上っている。

仮に今回のテロがアルカイダの所業だとして、米国もしくは、それに追随する各国(当然日本を含む)のこれほどまでの「攻撃」にも関わらず、一体テロどころか、アルカイダ1組織ですらなぜ殲滅することができないのか。

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July 08, 2005

七夕の夜に-------あなたと私のリアル

七夕の夜に怒れる者が人を傷つけたニュースを聴く。

この世界には怒れる者がいる。
私達にその怒りを届ける術は、こうしたことのほかないのか。
それは確かな現実。
思えば現実に一時の中断もない。
それも確かな現実。

リアルであれば目に見えるというものではない。
目に見えないからといってリアルではないわけではない。

だからこうして、
よりによってこういう夜に限って
その血なまぐさい姿を見せ付ける。

ベガとアルタイルの間の距離は15光年。
怒れる者と、傷つけられた者との間の距離は
何光年あるのだろうか

あなたと私は人が人を殺す惑星に住んでいる。
それがあなたと私のリアルだ。

July 04, 2005

「意志の勝利」が残した記憶----久しぶりにレニ・リーフェンシュタールを思い出した。

triumpfdeswillens

菊地成孔という人のことをあまり知らなかったのだけれど、今夜の「情熱大陸」で見て、へー。才がほとばしる人はうらやましい。などと平凡な感想を持ちながらぼーっと眺めていたのだけれど、その中で、彼がちょっと音楽と平和に関しておもしろいことを言っていた。

質問は、「音楽に平和をもたらす力があると思うか」とかそんなものだったのだけれど、彼はそんなものは全然ないですよ、と否定してその根拠として、第二次世界大戦で米国が勝った理由の一つはスウィングジャズだったと言っているのだ。
二次大戦の時に、スウィングジャズの絶大な戦意高揚効果があったのに対して、ベトナム戦争の時はそうしたものがなかったどころか、音楽を反戦の方向に走らせてしまった。ベトナム戦争の敗因の一つは、音楽を味方につけられなかったことにもあるのではないか。つまり、音楽があれば平和になるとか、幸せになるなどという考えは間違いで、そんなことを言うのは、お金があれば幸せになりますというのと同じくらいに、実に頼りのないものである。音楽というのはどう利用するかというところが肝心なのであり、所詮そんなものではないのか、というようなものだった。

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