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August 16, 2005

「ガメラ3」から「亡国のイージス」までの6年----「暗喩」としての戦いの終わり

1999年に公開された、「ガメラ3 邪神<イリス>覚醒」は怪獣映画の中でも最高峰の出来栄えであったといって差し障りないだろう。
親を殺されガメラを憎む少女(中山忍)の怨念が育ててしまう邪神イリスが襲来し、渋谷駅や神社仏閣や落成間もない京都駅ビルを破壊しつつガメラと戦うクライマックス。
少女の親を殺したのは、ガメラにとっては避けられない戦いの中、止むを得ない出来事だった。たとえ正義の戦いの過程であっても、戦いは戦いである。その渦中に巻き込まれ、由なく命を落とす人々がいる。非業の最期を遂げる市民がいる。少女は、心の奥底でそれがわかっていてもガメラを許せない。その葛藤が氷解するまでの描写は見事であり、京都駅での少女とガメラの「和解」に至るまでの展開も見事であった。

この映画には、自衛隊が全面協力しており、最新の戦車や自衛隊の指令本部のリアリティが高いことにも驚いた。子供のころに見た怪獣映画にはない、「本物らしさ」と切迫感を映画に持たせることに成功していた。

「怪獣映画」という荒唐無稽とも言える設定の中に、現代の戦争の不条理を重ねることにより、監督金子修介 は、紛れもなく1999年という世紀末の世界の、軍備を描き、現代の人間の戦(いくさ)への思いを込めた。ガメラは好戦的で凶暴な「心ない野獣」ではなく、常に戦うことに逡巡しながらも殺戮を重ねていく巨大な存在であった。それは、米帝国の「戦」のかたちを確実に描いていた。
だが、そこに現実の国家は登場することはなかったのである。想像上の怪獣というフィルターにより、全てを描きながらも「暗喩」としての米国、「暗喩」としての戦争という以上の表現はなかった。いや、できなかったのだろうと思う。だから自衛隊は協力した。と思う。

時は流れた。福井晴敏に傾倒していることもあり、「亡国のイージス」を小説で読み、間を置かずに映画も見に行った。

ある意味当然であるが、小説によって描かれた世界は映画の何倍も濃密であり、流れる時間の意味、登場人物一人ひとりの人生、追い込まれるように国家への反逆という形をとっていく乗員達の苦悩と必然も映画では遥かに舌足らずであった。そうした意味では、映画「亡国のイージス」は、終にこの稀代の小説の鬼気迫る表現に並ぶことはなかったが、皮肉なことに、「物質的な」次元では、とてつもないリアリティを発散させていた。

それは実際の自衛隊の数十にも及ぶ部隊の協力(エンドテロップを見てほしい)、本物のイージス艦での撮影、轟音を響かせる対艦ミサイル発射のシーン(あれは撃ってるよな。絶対に。空砲としても)。皮肉なことに、観念の世界でのリアリティを獲得できなかった映画は、自衛隊の存在感、武器の重さ、迫力、体の底に響くような轟音と恐怖によって、まったく別のリアリティを獲得していたのである。

それはもはや「ガメラ3」で使われた「暗喩」ではない。さすがに小説では明記された現実の国家の名前は「某国」とされ、物語の最後に据えられた米軍の途方もない「裏切り」も映画では表現されなかった。(小説を読まず、映画だけを見た人にはぜひ小説の世界を再読することを薦めたい。)とはいえ、ここで描かれた「戦」は、架空の話ではない。現実に日本が所持する武器を用い、現実に自衛隊に身を置く数千あるいは数万の人々が協力し、現実にこの国が対峙する実在の国家との戦い、そして現実に現行憲法の下でこの国が重ねてきた戦後60年の時間の流れそして苦悩、そうした全てを盛り込んで出来上がった映画である。

そこには「暗喩」ではなく明確に日本国家の直面する「敵」と「戦」が描かれている。

物語は単純ではなく、さまざまな解釈ができるとはいえ、幹をなすのは現役自衛官のクーデターである。それに対して巨額の軍事兵器を提供し、このメッセージの送信に助力した「軍」を思うとき、そしてこの作品を世に生み出した日本の現状を思うとき、時代が来るべきところに、来るべくしてきているのだという思いがあらためてこの身を包む。

戦後60年。昨日は終戦の日であった。

 

【参考リンク】
スポニチアネックス「6年ぶり復活、ガメラの友情物語」

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Comments

「ガメラ」の全面協力は陸自ですね。「亡国のイージス」は海自と空自です。陸自は「ゴジラ」もそうなのですけど、戦車がつぶされるシーンがあっても良しとするのですが、「亡国のイージス」では海自の方からの声で、反乱する現職自衛官のリーダーは艦長ではなく副長になりました。その他いろいろと制限があったようです。

しかし、制限があったにせよ、あの小説のあの内容でよくもまあ許可が通ったものだと思います。もともと、映画への協力を当初断られていたのを、石破防衛庁長官と海幕長が許可を出したそうです。石破長官は原作本をボロボロになるまで読み込んでいたそうで。この国が国としてのありようを無くしているのを一番感じているのは自衛隊なのだろうと思います。

今晩は。フォローコメントありがとうございます。
反乱の「主犯」が艦長ではなく副長になったことには首を傾げていましたが、そういういきさつがあったのですか。それによって何がどう変わるのか理解しがたいですが・・・。

>しかし、制限があったにせよ、あの小説のあの内容でよくもまあ許可が通ったものだと思います。もともと、映画への協力を当初断られていたのを、石破防衛庁長官と海幕長が許可を出したそうです。石破長官は原作本をボロボロになるまで読み込んでいたそうで。

よく許可が出たというのは同感です。
状況からしてかなり石破長官の主観が主導していたということなのでしょうかね。

貴重な情報をありがとうございました。

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