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« 小泉首相の毒と蹉跌------森氏と干からびたサーモンに思う | Main | YES-----人は通じ合えないけれど »

August 13, 2005

呪文のような暑中いやもう残暑見舞。敬愛するブロガーズへ。

ここのところエントリーよりも人のブログを読むのが忙しく、TGさんのところで繰り広げられている展開や、SPさんとBFさんの高次な論争などを、しっかり見守っているわけだが(イニシャルでごめん。みなさん。大して意味はないが、なんだかそういう風に表現したい気分なので。そしてきっとみんなこれを読んでくれると思うので)

僕はもともと言語の役割、論理の構成要素として持つと期待されている役割(あるいは持っていると一般に思われている)にも、その意味的普遍性にも信頼を寄せられないし、おまけに人の「思想」なるものや人格の時間的継続性にも、そして心にも懐疑的であるという、きわめて「お寒い心象風景」を持つ寂しい人間なので、ここのレイヤーでは、ピュアに議論に参加できない。

言ってることをくるっと変えるのは、その鮮やかさにおいて自分にとって決してネガティブなことではなく、変節の瞬間芸には見とれてしまうことすらある。
過去にこだわらずに状況判断でくるっと変える。かっこいいじゃん。よく聞いておけ、森元首相。

こうしたところで、実は、元来人と議論をする基本的資格を欠いているのではないかと思う。
そのお寒い心象風景は、これも孤高の罵倒芸ブロガーHI氏に近いと言えば近いのだろうが、あれほどの罵倒の至芸もまたないのは本当に残念。

具体的な政策論や世情、思想についての批評めいたものを人と交わすことは辛うじてできても、その政策論や思想を構成している、より基礎的な概念や原理論、言語の定義に関わる議論になると、元来気が長くない性格だし、上に書いたような特殊な心象風景のせいもあり、ちょっと入っていけないなあと思ってしまう。

できれば僕以外のあまたある鋭敏なる知性が、一通り定義してくれればそれを「開発ツール」として借用しようかというずるい考えすらある。ごめん。

だからBFさん、全然迷惑なんてことはないんだよ。

つまり、こういうこと。

それが家屋であるとすれば、

「釘を貸してくれ」

と声をかけて

「釘と言ってもいろいろある。お前が定義する釘とはおれの定義する釘と同じなのか」

などといわれると

「面倒くせえなあ。釘って言ったら釘だよ。どれでもいいよ。」

と返してしまいそうであり、その結果

「どれでもいいというのはどういうことか。それでは最初に「釘をよこせ」と言った君の言動に対してあまりに矛盾のある行為ではないか」

なんて返されると

「俺は早くこの家作ってKー1を見るか、屋根で昼寝するかどっちかにしたいんだよ、いいから釘貸せ!」

なんてまた言ってしまいそうなわけだ。

で、その発言がまた

「ちょっと待て。釘の問題を先送りにしてK-1や昼寝の話にすりかえる君の変節は一体どういうわけなのか?まず釘のことを軽視した姿勢をわびてほしい」

なんて言われた日には、もう面倒くさくなってもうガチンコも放り出して、

「うるせー。俺は釘のことなんてもううんざりなんだよ!」

と町のスポーツバーかインターネットカフェに出かけてしまいそうだ。

実はあんまり気が長くない。

釘の取り違えについては、SPさんが「言葉と呪い」で的確に書かれていることでもあり(ホントか)、SP氏のこのあたりの無常観というか、色即是空なところは夏の光の中では神々しいほど切れ渡っていて一貫性の美があり、ああ、やはりこういうところは戻って見えても、変わらないなあなどと感心したりする。

BF氏の持ち味は、こうしたSP氏の孤高の神々しさに対して非常にヒューマンな、そしてプロセスをむしろ重視していくところじゃないかな。
SP氏の志向しているように見える「絶対的自由」に対してあなたは常に「プロセス」を重んじるように思う。それがあなたの言論の芯というか魅力でもあるわけだが、そうした意味でBF氏が小泉のプロセス破壊への嫌悪感を隠さないところは、とても理解できる。

実現する価値評価を最終的な成果物に対して絶対的に行うか、それともそのプロセスを相対評価するかの違いは、物事を考える上での流儀の違いとしては、よく見られるところ。テーマ以外にそこも見せてくれているという意味で、もっかの論争は十分価値があるし成果はあがっていると思う。SP氏は意外とイジラレて力を出す人だし。(笑)おっと失礼。

FA氏がこれを注目して見ていたのはよくわかる。FA氏の澄み切った言葉は独特で、その運用について驚くほど誠実だからだと思う。FA氏ほどその名にふさわしい人はいない。みんなそう思うでしょ。

対極で僕はやはりHI氏を思い出してしまう。
誠実に突き詰められた言葉が美しいのは当然としても、手毬のように無責任に宙に連射される罵倒の言葉もまた美しく見えることがある。罵倒が美しく見えるのはやはり才か。
「それしか言えないってのはどうなの?自分」とも思うけど。

何だっけ。

そう、言葉をめぐる話だ。。

最後になったけどTGさん。あなたの漂う言葉はいつも内省の途にある心を吐露しているように思う。思想ではなくてね。
今回見ていてもすごくわかるんだけど、親しい間でもそれがいつも通じるわけではないんだね。内省の特徴のひとつは論理的ではないこと。時空の矛盾をつかれてもね。これは内省ですよと言って、それが外に出ても僕はかまわないと思うよ。少なくとも僕はあなたのエントリーを、そういう読み方しているし。

人の漏らした一言に対峙するに、攻撃的かつ論理的にのみなすならばそれは昔は「総括」と言った。いつか人に接するに総括三昧になってしまうのは、左右いずれにも通じる悪しき慣習か心のあり方か。はなから内省の途にある人に向かって総括を迫るなら、これもまた噛み合わない話。少なくともあなたは総括を相手に求めていないのだし。

議論は必要。総括は不要。呪われたほうがましさ。

もって他山の石とすべし。私の場合はね。そして私たちも。

しかしBUN氏の残した轍は意外と深いなあ。

まだ書ききれなかった人がたくさん。たくさん。また書きます。

残暑お見舞い申し上げます。
さっきまで雷がすごかったよ。

#あえてどの記事にもリンクしません(笑)。しかも内容が粗々。訳わからない人いたらごめんなさい。っていうか誰にとっても全体的に訳わからんかな? 

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Comments

まあ私はすっごく迷惑なんですけどね(笑)。
呪いの中にいる人との間に議論はなかなか成立しません。呪いを被るだけです。

ご覧になってましたか(苦笑)
政治的な話ならBUN氏の名を出しても構わないだろうと思ったんですが、
ちょっとまずっちゃいましたね。
それでも今回、根本的な信頼関係が成り立っている相手なら、
あれだけやり合ってもどうとかなるものなのだと判って、
そういう意味では良かったと思っています。

今回はログを取っていない連中がいないことを願いますが
・・いるような気がするんですよねえ、なんか(笑)

ログを取っていない連中→ログを取っている連中

こんばんは。もちろん見ていますよ。(笑)
ちょっと驚きましたが、確かに基本的信頼は大事かもしれない。
それから前に自分も例の件でヒートしてしまった経験から言うと、とにかく一晩置くというのは、平凡だけれど賢明な処方箋ですね。

>今回はログを取っていない連中がいないことを願いますが
・・いるような気がするんですよねえ、なんか(笑)


僕がとってます。


嘘です。(笑)

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