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« 投票日の翌日に------偽のテントウムシ | Main | 生きていく理由 »

September 15, 2005

民意は多数をもって正義とは呼べない。----偽のテントウムシ(2)

議会制民主主義は、多数派のみが正義を知っていることを、証明するためのシステムではない。政治に関わる機会をすべての公民に平等に保証するための制度に過ぎないのであり、それは小選挙区制が、あまた検討された選挙制度のうちのひとつでしかないのと同様に、その実現価値に過度な信仰を寄せることは間違っている。

つまり、「民意の多数を確保したから正義なのであろう」あるいは「民意の多数を確保したのだから正義と考えるべきだ」などという見方は、議会制民主主義という一制度に過ぎない、いわばシステムに、ある種の価値観が最初から内在しているかのように思い込むという点において、危険な錯覚がある。

民衆の選択したことであるから、正義である、あるいは正義となるべきだという考え方は我らの世界の思想ではない。議会制民主主義は、そうした価値観を、その原初から内在していない。この国のすべての選挙権を持つ人々、富裕であれ、貧困であれ、異性愛者であれ、同性愛者であれ、無知であれ、教養人であれ、すべての人に公平に一票を与え、その結果には従うべきであるという取り決めである

この取り決めは、民衆が選択したから「正義なのである」ということではなく、人々が等しく平等の権利で参加した結果選ばれた結果には従う「べき」であるということ「でしか」ない。

したがって、得られた結果は、「悪魔の選択である」こともありうる。民は過ちを犯すのである。これは歴史的に証明されている事実である。殺戮の前世紀において、悪魔の選択をしてしまった多くの民の嘆が聞こえよう。それを私たちはポピュリズムと呼んだ。これは民を愚弄するものではない。民を利用し扇動するものに向けてそれは叫ばれるのだ。

先の大戦、昭和16年の真珠湾奇襲の直後に民衆の声をシングル・イシュー・ポリティクスで対米開戦の賛否を問うたら、どんな結果が出たであろうか。答えは火を見るより明らかである。「民の声」が過ちを犯さないとか、「それは過ちではないのだ」とあらかじめ決める考え方は、むしろマルクス思想において、「プロレタリアートは生まれついてブルジョアジーに搾取されているものなのだ、だからプロレタリアートは無謬である」としたように、愚直な共産主義に近い。古い左翼史観の流れを、そこに感じる。

あまたある、知的なブログが今回の結果を解析するにおいて、このような「民衆史観」を、こともあろうに議会制民主主義の解釈の中心に据えようとしていることに自ら気がつかないことは極めて危険な兆候である。

「日米開戦」はその結果において招いたあれほどの災禍にも関わらず、もしもそれが「民主的に」進められていたら、正義であったか?あるいは「仕方のない」結果であったか?
否。であろう。

それはいかに民主的に進められたとしても結果として国家を破滅させた。手法が正しく選ばれたからといって、結果は正義になることはない。

では「偽のテントウムシ」を多数の友人によって「本物だ」とされた少年は、あのときどうするべきだったのだろうか?直ちに暴力で踏み殺すことが許されるわけはない。それは確かである。

彼は、英知と技量の限りを尽くして、彼の友人に、それが彼らの思っている「テントウムシ」ではなく、「ニジュウヤホシテントウムシ」であることを説得しなければならなかったのだ。あるいは昆虫図鑑を持ってきて見せても良かったかもしれない。ありとあらゆる手段を駆使して、知恵を尽くして彼はその説得をしなければならなかった。なぜなら彼には、確信があるのだ。彼一人が真実を知り、多くの友人たちはそれを知らないことを!

しかし、やはり彼が説得できなかったとしたらどうだろうか。友人は偽のテントウムシを本物だと信じ続けるだろう。これ以上彼にはどうすることもできない。彼は民主主義の前に敗北するのだ。多数決というシンプルな取り決めの前に!それは確かである。

だが、そうした場合でも、いくら民の圧倒的支持を受けたからといって「ニジュウヤホシテントウムシ」は「テントウムシ」にはならない。少年は説得に失敗しても、正義の前では真実の前では敗北はしていないのである。ただ、社会におけるプレゼンテーションの力において「そこでは」負けた。彼はもう一度それを証明するために立ち上がればいいだけである。なぜならこの場合「正義」は彼にあるのだから!彼はそれをうまく伝えられなかっただけなのだから!

政治はテントウムシなのかと言えば、もちろん違うだろう。昆虫学では、絶対に近い客観性で少年の正義を証明できよう。いくら彼が現実の友人世界で手痛い敗北を受けたとしても図鑑の世界では完全に敗北することはない。

政治は社会現象であり、社会科学である。自然科学ではない。正義の証明は、誰がどのようにして行えばいいのか?それが「偽のテントウムシ」だとすれば、それをどうやって証明すればいいのか?易しい課題ではない。

ひとつだけはっきりしていることがある。それは一選挙における票数によって証明はできないということである。なぜなら、それは人々に平等に政治参加をさせしめるための取り決めでしかないのだから。そこには並々ならぬものがあるのは確かであるが、価値はない。

#しかしこの取り決めごとを獲得するために流れた多くの血を、もちろん忘れるべきではない。

社会は輻輳し複雑である。取り決めごとの中には価値はないのである。
もしも、敗北を感じる人々が今いるなら、それはこの取り決めで勝利を得られなかったということであり、それはそれ以上でなければ以下でもない。

土台私たちにとって政治の価値とは何か?この日本という社会においての政治の価値とは何か?如何にすれば「正しいテントウムシ」を認識しうるのか?

その答をここでにわかに宣言すれば、それは自分の考えの浅薄さを証明することにしかならないであろう。そしてその答はおそらくひとつではない。ここが昆虫学よりも政治がより困難で難解な存在であることの事由である。

ただ、あえて僕は思う。

おそらく、それは人の幸福にあるのだということを。人の幸福を除外してあらゆる政治の正義はないのだと。

すべての人の幸福が桃源郷の彼方にあり、人々の手に届かないところにあるとすれば、かつてベンサムが引いたように、【最大多数の最大幸福 the greatest happiness of the greatest number】とその獲得の営みのみが、その答になるのではないか。これを議会制民主主義による代議員制という名の多数決で、決めることを良しとしなければならないまでに、人の歴史は多くの時間を費やした。にも関わらず我らの状況は道半ばであり、究極の正義にはまだ道は遠い。

人が絶望し、年に30,000人以上も自殺する国。累積債務残高は710兆円超にもおよび、国家が自らの責任をも放棄する国。周辺国に大なる疑惑を持たせ、自らの地域安全保障すらできない国。最低限の家族を維持する経済力すらもてない、将来を絶望する若者が大量発生している国。他国の若者の血の上に自らの平和を築いてきた国。愚直に生きてきた人々を改革の名の下に切り捨てる国。

そして、政治家が、一度も投票に行ったことのなかった大量の「浮動層」を劇場型選挙で躍らせる国。

どこに最大多数があり、どこに最大幸福があるのか。それを求める心すらあるのか。
勝てば幸福になれるというのか。負けさえしなければ幸福になれるというのか。

この国の政治が、その取り決めの過程に過ちがなかったからといって、全てを免責されるか。否。否である。そして最大多数が我らの国家のみに限られないのは当然。

これらに正義があるのであれば、「最大多数の最大幸福」に照らした結果のみによって、その結果のみによって判断されるべきであると思う。そこにはドラマも甘言もデマゴークも無力である。圧倒的な「最大幸福」を目指す真摯の前においては、一瞬の劇場に参加する「一時の幸福」の色は明日には醒めよう。

小泉首相。

あなたはいくら民の支持を得ようと、これを実現できなければ、偽のテントウムシでしかない。

僕たちはそれを忘れるべきではない。何百回も何万回も、それを唱える。

忘れるべきではない。

【参考】

●投票日の翌日に------偽のテントウムシ

●最大多数の最大幸福について

#ベンサムがそれに先行するベッカリアやヒュームなどの思想家から引用した、「最大多数の最大幸福」は功利主義的な政治思想のベースとなっているが、要約すると、以下のものとされる(竹内靖雄・<ヒュームの思考より)

①善とは幸福であり、幸福とは快楽が大きくて苦痛(不快)が少ないことである(エピクロス的原理)
②個人とは快楽を最大にし、苦痛を最小にしようとする(ただし、結果がつねにそうなるというのではない)
③社会にとって「正しい」行為とは、関係する人々の幸福を増進する行為である
④社会にとってもっとも好ましいこと、したがって目標とすべきことは、最大多数の人が最大幸福を達成することである
 
よって、最大多数の最大幸福(さいだいたすうのさいだいこうふく, the greatest happiness of the greatest numbers)は、「個人の快楽の総計が社会全体の幸福である」という意味ということになる(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』(キーワード;最大多数の最大幸福より)

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Comments

こんにちは。

多数意見を「正義」とできるのか?
そこでいう「正義」とは何か? 
難しい問題ですね。


それと並んで、僕は、
「取決め」に基いて行われた一回の手続を根拠に、
どれだけの「最大幸福」を奪ってもよいのか、
その問題でもあると思いました。


一方では、賛成票を投じた以上、
もしくは闘争の機会がありながら敗れた以上、
そこから生じた結果は全て受忍しなければならない、
という考え方もあるかもしれません。

彼らは僕たちの「代理人」になったのだ、
「公約」が記載された委任状で委任したのだ、と。


しかし、彼らは僕たちの「代表」ではありますが、
「代理人」ではなく、代表者たちの意思決定が
僕らの意思決定にそのまま代わる訳ではありません。

「(郵政だけで)白紙委任状を渡すことになる」と
批判のためにそのような“言い回し”をしましたが、
本当に白紙委任状を渡したわけではありません。

言論でなす批判に対して、
「だって選挙で勝ったじゃん」は、
批判の内容の正当性まで奪うわけではありません。
言論の必要性まで奪うわけではありません。

単に権力を担う一機関で働く権利を渡したに過ぎません。

我々が形成する世論は民主政の一要素であり、
選挙結果が出てしまった後でもなお重要です。
まだやるべきことは終わっていません。
権力に対する監視を強める必要がありそうです。
与党だけで議席の特別多数を占め、
世論もリードされているこの状況ではなお一層。
さらに大変ですけど。

このエントリーを読んで、
そんな風に思いました。

今晩は。

>我々が形成する世論は民主政の一要素であり、
選挙結果が出てしまった後でもなお重要です。
まだやるべきことは終わっていません。
権力に対する監視を強める必要がありそうです。
与党だけで議席の特別多数を占め、
世論もリードされているこの状況ではなお一層。
さらに大変ですけど。


確かにそうです。絶え間ない地道な努力が「あなた」にも私にも必要だといえますね。そうした意味においても自民党に一票を投じて「しまった」人と自分の間に線を引く気持ちもないのです。
政治家の「真実」や「正義」があるとすれば、結果責任をとれるかどうか。その一点のみ。
幕間の余興は、本当のところどうでもいいのです。

はじめまして。

>それを私たちはポピュリズムと呼んだ。これは民を愚弄するものではない。民を利用し扇動するものに向けてそれは叫ばれるのだ。

っていいですね。
何か今回の選挙を批判すると、「やれやれ愚民論ですか。西尾みたいですな。」と開き直って茶化される現象が多くて、嫌だったんですが、そういうことじゃないんですよね。

ちなみに、アメリカの大統領選挙って、実は妙に複雑で、選挙人制度や各州独自の集計方法をごちゃごちゃに存在させているんですね。これは制度の不備というよりも、18世紀の賢人たちが民衆の一時の感情がダイレクトに選挙結果に反映しないように意図的に放置したというのが真相みたいです。国家の意思は、おおむね多数者の意思を反映するが、しかしながら、ある時期の多数の国民の意思が、そのまま国家のあるべき意思とはいえないという考えなんでしょうね。

こんにちは。
第一章からの論のつながりがよくわからなかったんですが…
「幸福」というもの、私はベンサムの定義ならばわかりますが、政治において「最大幸福」といわれると、「幸福とは何ぞや?」という気がします。ミクロな視点でみれば、まったく同じ条件を持つ人間が、それぞれ同じだけ「幸せ」と「感じて」いるかはわからないからです。幸福というのは主観、客体をもつものではありません。
BigBanさんのおっしゃる「最大幸福を切り捨てた(と思われる)」列挙されているそれまでの政策はもちろん賛成しかねるところではありますが、それが「幸福を切り捨てた」かどうかはわからないと思います。

「正義」など、証明できないと思います。所詮人間は「神」の存在すら証明できたことがないほどの原始的な存在なのです。

そして私は、あの選挙での投票行為およびその結果が「正義」などとは少しも思えません。自分は自分の重さ分の投票をしかるべき人間(および党)にしたと、それだけの行為です。もしもその結果をもって「正義」を信じる政治家がいるならば、それを止めるは我々国民だけであって、あえて誰かの責任にするとすれば、公約もよく読まずにお祭り気分で投票に行った方々、でしょうか。


こんばんは。


>これは制度の不備というよりも、18世紀の賢人たちが民衆の一時の感情がダイレクトに選挙結果に反映しないように意図的に放置したというのが真相みたいです。国家の意思は、おおむね多数者の意思を反映するが、しかしながら、ある時期の多数の国民の意思が、そのまま国家のあるべき意思とはいえないという考えなんでしょうね。

近現代の民主主義国家は、個々人の政治的選択を平等に保証することには成功したわけですが、極めて重要な問題として、一時の感情で単一的で暴力的な投票行動に走る民衆とそれを操縦する権力の問題。つまりポピュリズムの問題は解決できずにいます。

つまりポピュリズムは「そこに確かにある」問題なのであり、ここまで劇的な勝利を、通常投票所に赴かない10%もの浮動層を味方につけておさめた首相が、この観点から厳しい視線や批判にさらされるのは当然のことであると僕はみます。

この批判の動きそのものを一方的に「愚民思想」に基づくものであり、多数の選択を愚弄するものであるなどと呼ぶなら、それは民主主義の抱えている暗部にあまりにも無自覚な批判であるといわざるを得ません。

20世紀の肥大した国家主義の歴史を知らぬわけはないのですが。


お久しぶりです!お元気になられたご様子・・と言ってよいのでしょうか?

>政治において「最大幸福」といわれると、「幸福とは何ぞや?」という気がします。ミクロな視点でみれば、まったく同じ条件を持つ人間が、それぞれ同じだけ「幸せ」と「感じて」いるかはわからないからです。幸福というのは主観、客体をもつものではありません。

政治が用意する幸福とは、個人の「幸福」とはまた違う次元ですね。いわゆる人間として「最低限度の」生活を用意すること、その環境を整備することが政治の役割だと思います。
勢い、食べることとか、安全に暮らすこととか、教育だとか、もっとずっとベーシックなことですね。
それらを用意すること以上になると、それこそ個人の「内面の自由」の問題になってきますから、政治の知ったことではないですね。

私がここで連ねていることの一部はまさに内面的なことであり、「政治的な幸福」の外にあります。そうした意味で「最大多数の最大幸福」はこの国では当然に実現されていなければならないことばかりであると思ってきたのですが、どうもこのごろ様子が変わってきているように思えるのですけれどもね。

TBありがとうございました。
「議会制民主主義は、多数派のみが正義を知っていることを、証明するためのシステムではない」というのはその通りだと思います。民主主義とは、多数派の意見を正論とするシステムではなく、異なる意見や少数派の意見を排除せずに残存させるシステムだと思います。もちろん、ひとつの決定はしなくてはなりませんので、多数派の意見が選択されることになります。しかしながら、これは、その決議に反対する少数派の意見の価値を否定するものではありません。民主主義の利点とは、いかなる判断も、常に反論者の意見と照らし合わせて考えていこうとするチェック・アンド・バランス機能を持っているということだと思います。この機能があるからこそ、多数派の意見も、そして少数派の意見も、(ヘーゲルの言葉を借りれば弁証法的発展のプロセスによって)より良きものになっていくと思います。本来、政治の言論のダイナミズムというのは、ここから生まれていくものです。今の政治には、これがありません。

今回の選挙の結果を、民衆はアホだみたいに論じている書き込みがネットでは多いですが、これは民意を「絶対的に正しい」と思っていることの裏返しですね。民主党もそうです。しかし、「民意は絶対的に正しい」という根拠も保証もありません。むしろ「民意だって間違えることがある」という前提であるべきです。だからこそ、民意に基づく民主主義は、いくつものチェック・アンド・バランス機能を持っていなければならないわけです。

TBありがとうございます。

素晴らしい記事を堪能させていただきました。私の言いたいことはほとんど言い尽くされているのでコメントしようが。。。それでもブログを汚してみようかと思います。笑

今回の選挙から一週間が経ったから言えるのですが、有権者も政治家も所詮は人間なのだということです。見識豊かな素晴らしいモノでも無知で愚かな烏合の衆でもない。人間そのものだということです。

数多くの長所と欠点を併せ持つ人間が、地元選挙区の候補者と政党名をそれぞれ一票にしたためる。そうした単純な行為に政治的意見を集約させなければならないのです。問題が起きないはずがないのです。

だから、不必要に悲観になる必要もないし、不必要に達観する必要もない。今はそんな気持ちですね。


いつもコメントありがとうございます。ブログでの醍醐味は、自分の提示した、あるいは自分が他者の記事に対して提示した、(その時点では)一杯いっぱいの言説に対して、真に理解しそれを補強し、整備し、さらなる価値を加えてくれる「読者」の
存在です。(もちろん批判者の「いくらか」もこれに含まれます)
真魚さんの「議会制民主主義」に関するコメントはシンプルで的を得ており、自記事への意を強くしてもらいました。感謝します。

それに限らず後段の


>今回の選挙の結果を、民衆はアホだみたいに論じている書き込みがネットでは多いですが、これは民意を「絶対的に正しい」と思っていることの裏返しですね。民主党もそうです。しかし、「民意は絶対的に正しい」という根拠も保証もありません。むしろ「民意だって間違えることがある」という前提であるべきです。だからこそ、民意に基づく民主主義は、いくつものチェック・アンド・バランス機能を持っていなければならないわけです。

これはあなたも、そしてこの後コメントをいただいたforesight1974さんもおそらく同じ思いだと思うのですが、

私は「民意が過ちを犯すことがある」というのは、それこそ誰もが理解している賛同している真理であると長く思ってきたのですが、そういう風に考えない考え方もあるのだということがわかって、選挙後に実は唖然たる思いを味わっています。
そのことのほうが民主党の大敗北という事実よりも遥かに自分にとっても、この国にとっても中期的には重い事実のように考えますが如何でしょうか。

私たちは、同じような教育を受け、同じような環境に暮らし、同じような情報に接して育ったであろうという者通しでも、あまりに基本的価値が共有できていないという事実。

これが、重く私に今回の戒めとなっています。

こんにちは。サイト記事も参照させていただきました。真魚さんへのコメントにも書きましたが、反対者も含めて(「含めて」ですよ!どこぞのお方!笑)互いの記事の内容が自然に手を差し伸べあって一つのblogsphereを作っていく現象を見ることは、ブログをしているものの醍醐味です。そう思われませんか?

私も基本的には自分をも含めて、「民意」は基本的に過ちを犯すものであるという立場です。ですが、それが自覚されているからこそ、真魚さんも言われるとおり、チェック機能に磐石な備えをと模索の歴史を辿ってきたし、今もそれは途上にある。

参議院も、制度しての限界を露呈しているのは確かですが、理念論としての二院制には、言うまでもなくそうした役割があったのですね。その役割は現代、直接討議の手段=直接民主制に近い位置での発露としての、こうしたブログも含めたネットによって、かなり補完されてきていることも事実ですが、まあ、まだ補い切れるものではない。

ちょっと話がそれましたが、そのような私にとっては、どこをどう解釈すると、いったん発露された「民意」を、至上視に近い形で、別次元に冠させなければならないかが釈然としないわけです。

この「危うさ」への危惧には当然自己の危うさへの危惧も含まれているわけですが、民意を過剰に評価する行為は、実は「危うい自分の選択」への批判の視線も曖昧になり、「起きてしまったこと」へのニヒリズムに繋がらないかと、思えてなりません。

一方で民意を侮蔑倒すことによるニヒリズムも確かになくはない。それは同じく苛烈に批判されるべきでありますが。

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