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September 24, 2005

「ヒトラー最期の12日間」---広く見開くべし。私も。そしてあなたも。

hitler 

「ヒトラー最期の12日間」を先日ようやく見てきた。

1942年、数人の候補の中からヒトラー総統の個人秘書に抜擢されたトラウドゥル・ユンゲの手記を元に制作され、ヒトラーとナチス幹部の「最期の日々」を類まれな迫力と迫真の表現で描いている映画である。

ベルリンに迫るソ連軍の猛攻の中、次第に追い詰められ破綻の淵に瀕していくヒトラーとゲッベルスやヒムラーなどのナチス幹部、ヒトラーの愛人のエバブラウンなどがこの時間をどのように過ごしたかが迫真のリアリティで描かれている。

ブルーノ・ガンツ演じるヒトラーは、まさにヒトラー以外の何者でもない。その圧倒的な存在感は、あたかもガンツにヒトラーの霊が憑依したかのようであり、他の何者としても私たちはガンツを見得ない。スクリーンを見つめる全ての人にとって、そこに立っているのは役者ではなくヒトラーその人にしか見えないのである。卓越した演技は驚異そのものである。

ここで描かれるヒトラーは、「意思の勝利」で演壇で声を張り上げてドイツ民族の再興を叫ぶ、あのヒトラーではなく、とうに壊滅した部隊の救援を信じて幹部を困惑させ、あるいは錯乱して大声を上げ、とうに正気を失った哀れな人物として描かれている。
彼の後ろに組まれた両手は絶えず神経質に小刻みに痙攣し、破綻への呪詛と怨念を撒き散らし、錯乱して幹部に怒号を張り上げたかと思うと、ユンゲら配下の女性には常に優しく、細やかな心配りを見せる。その二面性の恐ろしさ。
彼がなしえなかった、夢見ていた世界への執着が強いがゆえに、部下の進言に耳を貸さず、降伏もせず、ベルリンを最期まで撤退することもせずに、ついに自殺へと至るのである。

ゲッベルス夫妻のナチズムへの狂信ぶりは異様であり、特にゲッベルス夫人の存在感は異彩を放つ。「ナチズムが滅んだ世界に子供たちを生きさせたくない」として、次々と自分の子供たちを殺害していくシーンは圧巻であり、その狂気とむごたらしさには息を呑む。
「戦争は常に男が起こすものである」とは、よく言われることであるが、このゲッベルス夫人や、映画に登場する従軍の女性兵士などはその例外であろう。ナチズムに心酔したその目の狂気は時として女性ならではの有無を言わさぬ不気味な「確信」があり、たじろぐまでに狂おしい。

ヒトラーが総裁官邸の地下に籠り、撤退も降伏もしないために、ベルリン市民は市街戦と化した街の中で地獄の苦しみを味わうが、「国民のためにも一時撤退を」と必死に進言する幹部に対して、ヒトラーとゲッベルスは全く同じ言葉を張り上げるのである。

「国民がどうしたっていうんだ?!やつらが選択してこの事態を招いたんだ。自業自得だ。知ったことか!」

あっけにとられて沈黙する幹部たち。

これはフィクションではなく、ユンゲの証言が正しいとすれば、ナチス政権最後の断末魔を、その空間のレイアウトや空気、個々の言葉までがある程度正確に再現されていると思っていいだろう。そのことをあわせて考えれば、ヒトラーやゲッベルスが、自分たちの権力の基盤が

「国民が自ら選択し、自ら進んだ道である」

と最期まで確信していたことがわかるのであり、彼らの「責任意識」がどんなものであったかが窺い知れる。それはおそらく破綻に瀕した彼らのぎりぎりの自己防衛であり、そしてそれはおそらく恥知らずな自己欺瞞であったかもしれない。が、同時にそれは「彼らにとっては」真実でもあったのかもしれないのである。

とにかくそのリアリティゆえにヘビーな映画である。破滅に瀕したヒトラーの哀れさ、敗北の無残さ、狂気の深さに途中涙が止まらなかった。特に幼い子供にも刃を向ける、ゲッベルス一家の最期は直視することができず、幾度も映画館を出たくなった。精神的に耐えられないぎりぎりのラインを味わった。

ヒトラーの自殺後も、降伏を選択して「生きる」ことを選ぶ者、そしてゲッベルスのようにナチズムと共に滅びることを選ぶSS隊員らの人間像が描かれる。「もう生きてはいられない」と死を選ぶその背景に、その犯した「甚大な罪」への無意識の視線が、あるいはあったかもしれない。

僕なら。

僕ならやはり迷わず死を選ぶと思う。自らが全霊で関わった世界が崩壊した後、敗北後の世界で生を見出すことはできないだろうと思う。ここでは銃口をこめかみに当てるSS将校に同調する。

ところで、この映画論の末尾で言及することが適当であるかどうかはわからないが、少し現実の話をする。

小泉=ヒトラー論は暴論であるという指摘、あるいはここにおいて、再三にわたってヒトラーになぞらえて小泉批判をすることへの疑問をいただいた。私のエントリーで直接小泉をヒトラーであるなどと断言したりしたことはないが、時代背景の中で、国民の間に、行き詰った状況を、「全力で何かをなしてくれる」カリスマ待望の心を生み、必ずしも合理的であるとはいえない政策を、情念的期待で支持し、それが小選挙区制という制度下で、地すべり的な自民党の大勝利をもたらしたことは事実。それを考えると、ヒトラーを生み出した時代の全てが、現代と全く共通性がない遠い過去のことであると、断言することも、またできない。

元来、民衆が理性を保った上で、冷静な政治的選択を行い続けることが「できる」というのが、議会制民主主義の最低条件であり、必須条件である。その選択自体に感情的・情緒的な色彩が濃くなり、当の民衆一人ひとりですらコントロールできないような状態の萌芽がいささかでも見られるならば、それは何度でもチェックされ、相互の批判にさらされなければならない。

ワイマール体制でのヒトラーの誕生とその後の禍々しい歴史と今とを比較して、当時とはこことここが違う、小泉はこんなことはしなかった、第一小泉は、大量殺戮などしなかったのではないかと相違点を探すことは容易である。だがそれにも関わらず過去の事象にいささかでも未来への予測や警鐘が含まれていることは、曲げられないし、多くの人々がそれを感じ取っている。私たちはそれに敏感すぎるほど、敏感になるべきだろうと思う。

さらにこうも思う。

自由民主党が主導した戦後のこの時代。今日まで国民に一滴の血も流れていないではないか、それが小泉政権に至るこの国の保守政治の成果であるというかもしれないが、そのことがそのまま、我らの無謬性を示すことにはならない。

我らはこの間、他国の軍事力に国土を守らせ、他国の多くの若者が死地に向かい、そこでまた貧しい他国の女性や子供、無辜の市民を大量に殺戮することから、目をそらした。少なくともそこに正面から向かい合おうとしなかった。そして毎日100名が自らの意志で命を絶つ類まれな「先進国家」を作った。

この状況の中で唱える靖国とは何か。

イラク派兵とは何か。

戦争放棄の理念とは何か。

そして平和論とは何か。

憲法九条とは何か。

自ら600万人の人間の命を直接奪うことがなくても、私たちはそうした世界観を持つ国家や指導者を支えることで、間接的に、毎日、毎日、大量の無名の「ユダヤの民」を「殺し続けて」いるのである。そうした意味であなたも私も、いわば「不作為の殺人者」であり続けていると思う。私たちは困難であってもこの「不作為の殺人者」から逃れるべく不断の葛藤を行うべきであり、それこそが私たちに課せられている、「生きる意味」の一つであろう。

民主主義が「最善の政治体制である」ということには、今でも懐疑的であるが、現在のところそれは人類がたどり着いた、ある一定水準の「知の体制」であり成果であることは疑い得ない。そしてそれは「民主主義」という概念自体の中でも、未だ確とした完成形を獲得しえていないのであり、今後も無限の検証と改善の努力にさらされ続けなければならない。

そうした中で選択された、国家の最高責任者の「責任の範囲」は、今日一国日本の狭い国土の中で繰り広げられていることのみに及ぶのではない。それは文字通り「最高責任」であり、この国が関わるあらゆる「世界の事象」に及ぶ。内政と外交にまたがる総合的なこの国の未来を私たちに提示し、私たちがそれを情念的ではなく理性的な判断で選択するのが、真っ当な民主主義のあり方であり、その環境を用意するのが、為政者の義務である。短期的に受けのいい部分だけを切り取ってプレゼンテーションすることで一時的な選挙の勝利を得たとしても、それは決して真の勝利とは言えない。それを考えるのが「政治的思想」の本来の姿である。

ナチズムですら、一部の異常な人間によって起こされた異常現象だったわけではない。また、ある朝起きたら、突然ヒトラーが演壇に立っていたわけでもない。人々はある日突然ガス室に送られていたわけでもない。毎日を生き、食べ、働き、愛し合い、眠る。そしてまた昨日と「同じはずの」明日が来る。
通常の社会に生きる通常の人間たちが、当たり前の日々の繰り返しの中で生み出した政治的・社会的体制であり、その結果がいかに悲惨なものであっても、まさにナチスの幹部たちが叫んだように、「国民が選択」した結果の積み重ねによってこそ生み出されたものである。正しくナチズムはドイツ国民が「選択して」生み出したのである。ヒロシマが私たち日本人の「選択」によって生み出されたように。

私たちはいつでも「明日のナチス」になり得るのだ。

発言する全ての知性にとって重要なのは、「過去との違い」を見つけて過度に安穏することではなく、いささかでも過去に近似の情景を認識したときに、いち早く警鐘を発する「カナリア」たるべきことではないか。

映画の証言者、秘書ユンゲはいまも存命であり、映画の最後で本人がコメントをしている。23歳で家族の反対を押し切ってヒトラーの秘書になり、幸運にも戦後を生き延びた彼女は、ユダヤ人の大量殺害などの狂気がヒトラーによってなされていたことには戦後になるまで、全く気がつかなかったという。

#しかしそんなことがあるものだろうか?映画を見れば見るほどこの発言は疑問である。何しろ彼女はヒトラーやゲッベルスの遺書までタイプしているのである。ある種の防衛的な発言ではないかという疑念は残るが、それはともかく・・

彼女のこの言葉で映画は終わっている。

「若すぎて何も気がつかなったというのは、言い訳にならないと思います。(私があのとき)よく目を見開いてさえいれば、気がついたはずなのです。」

今このときも広く見開くべし。私も。そしてあなたも。

【9/27加筆】
「さわやか革命」さんから指摘をいただいた。ユンゲは、この映画の取材撮影時には生きていたようだが、現在はもう亡くなっているとのこと。調べてみたところ、

1920年、ミュンヘン生まれ。1942年末から45年までアドルフ・ヒトラーの秘書を務める。戦後、一時ソ連の収容所に送られたのちは、『クイック』誌の編集長付秘書などの仕事を経てフリー・ジャーナリストとなる。2002年2月11日、ガンのため死去

とのことである。著書に「私はヒトラーの秘書だった」がある。

【参考リンク】
●「ヒトラー最期の12日間」オフィシャルサイト

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Comments

はじめまして。トラックバックありがとうございました。
http://blogs.yahoo.co.jp/gruenestulpchen から上記へ移動しました)
「ヒトラー」をみていて「これって誰かに似ている気がするけど、誰だろう」とずっと考えていました。そう、まさにK首相。もちろん彼が人殺しをしたわけじゃないし、同じところに並べて言ってるわけじゃない。でも何か、同じものがそこに含まれていると感じました。
ホントに同感です。

映画の感想、全く同感いたしました。(私も自分のブログに書きました)
ゲッベルスの奥さん、怖過ぎ!--と思ってたら澁澤龍彦の『世界悪女物語』にちゃんと近現代部門で入っていたのは驚きです。

コイズミは過去の事例を研究した--というよりは、広告代理店の指示通りにしたのかも知れませんね。ゲッベルスの手法は広告業に受け継がれているようですから。

なお、秘書のユンゲさんは今は存命でなく、数年前に亡くなったようです。映画のラストの映像はその以前に作られたドキュメンタリー映画の素材かも知れません。

ここのところ、ばたついていて、まとめてのコメントで失礼します。

>saskia1217さん
コメントありがとうございました。しかしそちらのサイトで触れられていたデジカメのエピソードはちょっと驚きました。そもそも、マナーの問題はもちろんですが、こういう映画をデジカメで撮るかね・・引っ越された前のサイトも興味深く読ませていただいています。


>さわやか革命さん

>>なお、秘書のユンゲさんは今は存命でなく、数年前に亡くなったようです。映画のラストの映像はその以前に作られたドキュメンタリー映画の素材かも知れません。

そうでしたか。ありがとうございました。早速追記で加筆させていただきます。ゲッベルス夫人のことはこの映画で初めて認識したのですが、「世界悪女物語」に入っているとは・・・

ナチスの登場からこの映画の舞台にいたるまでの歴史をもう一度辿ってみようと、ナチズムの書籍を借りてきて、勉強しなおそうと思っています。


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