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October 31, 2005

ブログの値段---よし売った!


My blog is worth $220,735.14.
How much is your blog worth?

2005 10 31 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント(2) | トラックバック

僕はいつ「ブロガー」などという謎の生き物になったのだろう。

よく考えればテーマがあったではないか。民主党のブロガー懇談会。

>以前より、与党が出している憲法改正の国民投票案のどこに問題があるのか野党第一党の前原代表にインタビューしたいと、民主党へお願いをしておりました。(GripBlog)

以前行われた自民党のブロガー懇親会が、どちらかというと「幅広く意見を聞く」みたいなものだったので、それと混同していた。これは大変と、俄か勉強である。やれやれ。
この状態で参加するなどと言ってしまう自分は何者だ。ブロガーだ。

うん?

ブロガー?

この皮膚にまとわりつく違和感は何だ。

一体いつ自分は「ブロガー」などという謎の生物になったのだろう。確かに僕はブログを書いている。そして、僕はBigBanだ(gはあってもなくても可というゆるい取り決めだ。サイトはBigBangね。)BigBanになった覚えはあっても、「ブロガー」などという謎の生き物になった覚えはない。そしておそらく政治的には「一市民」というヤツに属する生き物だ。

となれば、民主党の懇談会はブログをしている一市民として参加するのだろう。でもそういう僕の性質は「ブロガー」という名前で括られる。「ブロガー」そんな生き物がこの世にいるのだろうか。ブログを書く「ブロガー」。ブログを書かねばただの人か。書いてもただの人かい?あっそ。

「ブロガー」の意見を聞きたい政党。「ブロガー」が政党代表と懇談と報じるネットのニュース。それは真実ではあるけれど真実ではない。なぜなら僕は24時間ブログを書いている生き物ではないし、自分の思想が、生活が、全てブログに乗っているわけではない。ブログを書いているというのは単なる偶然であり、行きがかりであり、勢いであり、気まぐれだ。ブログなどは絶対でもなければ天国でも地獄でもないのだ。

本当は人と話したいのだろう?ならば僕は人だ。
市民と話したいなら、僕は市民だ。
有権者と話したいなら、僕は有権者だ。

だが、ブロガーと話したいなら僕は「ブロガー」か?
違う。それは違う。

明日僕はブログをやめるかもしれないし、筆をいやキーボードを折る(!)かもしれない。それでも僕はこの国で生きていくだろうし、何らかの手段で発言を続けるだろう。呼吸もするだろう。飯も食うだろう。相変わらず君にも振り回されるだろう。

ここで死について書くだろうし、詩についても書くだろう。混乱し錯乱し冷静になればまた、板門店や(ああ板門店のことを早く書きたい)、犬や政治のことを書くだろう。

「ブロガー」は僕の呼び名ではない。
僕はBigBanである。(それも永遠ではないけれど)。

僕はBigBanとしてそこに立つつもりである。
いつでも、これからも。

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October 30, 2005

「民主党 ブロガーと前原代表との懇談会」---弁当よりも意志。

今日帰国しました。
ソウルの空気をまだ引きずりながら帰って見れば、世ではいろいろ起きている。

GripBlogの泉さんは、先の総選挙でみるみる頭角を現したブログジャーナリストだ。自民党とブロガーとの懇談会では「呼ばれないのに」出席し、「呼ばれた人」以上に、充実したレポートを送ってくれた。僕も及ばずながら世耕広報部長宛の質問を泉さんに託すことが出来た。

それと前後して、彼女は何とか民主党ともコンタクトをとろうとしていたが、なんとも民主党はふにゃらな対応。その孤軍奮闘振りは、その後雨のち晴れまた曇り今日は雨か・・という風で、傍目にもじりじりしていたのが実態。

そんなところに朗報。民主党・前原代表が、10月31日に彼女のインタビューに応じてくれる上、10名のブロガーの出席を認めてくれるとのニュースを、韓国のホテルで読んだ。
「やったじゃん」と思うと同時に泉さんに行っていいかなとメール、今朝方飛行機に乗る間際に見てみるとお招きいただけるとのこと。泉さん感謝。

「神学的弁当論争」なども起きているようであるが、友よ、ここは大義に殉じようではないか(?)いや、もとへ。前原氏に対峙する好機。その本論の部分で幹の部分で、尽力集中しようではないか。いやなに、その途中で空腹になろうと満腹になろうと、自民党指名の前回とは異なり、今回はこちらで泉氏が編成したブロガー連。まさか食では転ぶまい。毒饅頭?何を言われる。ついぞ政治家連に接待攻勢された大メディアの記憶もこちらは継承していない。お弁当代、何なら払いますよ。それでいかが?

閑話休題。

本サイトでは自民党の懇談会の折

●自民党のブロガー会見---別に出たいわけじゃないって。

などと書き、あげくのはてに

●自民党のブロガー会見(2)-------やっぱり呼ばれてから行くだけでは駄目だろう。

などとやっていた手前、今度は弁当だけ食べに行ったと言われては名がすたる。いや、名など最初からないか。

民主党・前原代表に対しては

●前原新代表-----ようやく民主党のメッセージが聞こえてきた。

で、政治学徒の末席を汚す者としての立場から稚拙なコメントをさせていただいた。

今回泉さんが決めた残りの7名の方々の顔ぶれとブログを拝見しながら、こうした状況の中で自分に何ができるだろうかと、つらつら考える。新聞やテレビが容易に行えるようなアプローチであれば、自分が行く意味もあるまい。個々の政策について、目配りの聞いた議論をする力が自分にあるとも思えないし、何しろ会合は明後日である。となれば高坂門下生としての前原代表の政治哲学や決心を少しでも具体的に聞き出して来ることが、自分に適した役割ではないか、と今は思っている。で、具体的に何を話せるのか、話してこれるのか。それは熟慮中である。
この場に立つことをあのソウルのホテルで反射的に決めた自分の意志は何か。
板門店に出かける前の少々興奮気味の夜に、そのことを決めた自分の意志は何か。
それを忘れないようにして、民主党に行ってこようと思う

そしてもう一つ。

民主党に用意されているのは、BigBanの席であってBigBanの席ではないのだから、GripBlogに寄せられる皆さんのコメントは僕もしっかり目を通してから行こうと思っている。おそらくその全てを泉さんに委ねてしまうことは、相当な重荷だと思うので及ばずながら。限られた時間の中でどこまでできるかは未知数だけれどね。

試されるのは前原代表と民主党だけではない。つまり僕であり、我々であり、あなた方である。と言いながら、いっちょ明日は予習でもするか。(はは・・)


あ、それからなにやら宿題も出ているようだが、ごめんなさい。BigBanは夏休みの予定表作りと宿題はやらない。ぺこり(爆)

2005 10 30 [民主党ブロガー懇談会] | 固定リンク | コメント(9) | トラックバック

October 28, 2005

ソウル三夜――板門店でブログは更新できるのか?

めったに味あわないような緊張にさらされた今日。ソウルのホテルでこれを書いている。

板門店へのおよそ6時間ほどのドライブだった。板門店で撮影、それをすぐに軍事境界エリアからモバイルでアクセス、ライブでブログを更新しようという試みを行ったのだが、さすがに板門店付近はスクランブルを出しているのか、急に携帯電話が通じなくなった。
それでも、国連軍との共同管轄地域の大半で、携帯が使用可能。したがって、ブログに稚拙ながら撮ったばかりの写真と記事を随時アップしていくことができた。投稿する携帯電話は、auのグローバルパスポート対応の機種を使った。

撮影は、許可された場所以外ではできないので、結果的にあがった写真は不十分なものが多いが、極めて特殊な状況下でのライブということで、さっぴいてご覧ください。

得ることの多いツアーだった。
きっちりとしたレポートは、写真と一緒にまた後でまとめたいと思う。

明日日本へ帰ります。



【参考記事】
●ソウル三夜―――└板門店へ 以下の記事。
●板門店へ行った

2005 10 28 [板門店へ行った] | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック

ソウル三夜――板門店4

今キャンプ近くまで戻ってきた。携帯が入りはじめた。
兵士の見送り挨拶。みな明るく若い。

見学の女性に徐隊記念のペナントを贈る兵士も。



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北朝鮮兵士。

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【参考記事カテゴリー】
●板門店へ行った

2005 10 28 [板門店へ行った] | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック

ソウル三夜――板門店3

板門店から更新。したかったが、さすがに電波が入らない。


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051028_112201.jpg
051028_111902.jpg

【参考記事カテゴリー】
●板門店へ行った

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ソウル三夜――板門店2

パスポートチェック二回。ここで国連軍のバスに乗り換え。軍事管理地域。写真撮影は殆んど不可。

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(JSA地域入り口駐車場)

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(国連軍のバスに乗り換えるため降車)


【参考記事カテゴリー】
●板門店へ行った

2005 10 28 [板門店へ行った] | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック

ソウル三夜―――板門店へ

ソウル雨。ロッテホテルの二階に八時半集合。
これから板門店へ。051028_082302.jpg
051028_082401.jpg

【参考記事カテゴリー】
●板門店へ行った

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October 27, 2005

ソウル二夜―――明洞

二夜目は明洞(ミョンドン)。

東京の池袋と新宿と渋谷を全て足したような、エネルギーを持つストリート。
数百メートルにわたって広がる、膨大な数のYoung Koreansに驚嘆。
熱帯魚のように街を泳ぐ女の子達は、みなお洒落で美しい。
ファッショナブルなビルの間に屋台がちりばめられる。

マクドナルドが苦戦する街。明洞。


myondon

2005 10 27 [板門店へ行った] | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック

ソウル一夜―――東大門

ソウル着。東大門。屋台とハングルと色の洪水。
一晩中眠らないアジアの蛍光色が大音量のラップにうねっていた。
僕の命も溶けて、溶けて、この地でうねる。

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【参考記事】
●板門店に行くことにした----切手と非道者の思い出

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October 25, 2005

あのとき、本屋で韓国の本を探していた。

soul

26日からの韓国行きが近づいているので、そろそろ日常の細々としたこととか、仕事のことから一旦気持ちを離して、彼の国のことを考えようと思い始めているのだが、他の国に対してのリアリティ(韓国に限らないのだけれど)というものから、如何に遠いところで普段生きているのかを思い知らされたような気持ちがする。

つまり靖国がどうとか、ヨン様がどうとか言っている韓国は、メディアの中の韓国であり巨大なイメージなんだね。実際にその地に降りて歩くときのイメージをどこに持てばいいのか所在がない。もちろん、このブログでも韓国や北朝鮮のことなど多少は取り上げているけれど、そんなものは、存在する国の地面を2日後に歩こうとする現実の前には泡沫のようなものなのですね。そのことに、出発前に気がついてしまう僕も、いったい鈍いんだか鋭いんだか、良くわかりません。

そんなことはぐちゃぐちゃ言わずに、さっさと行ってしまえばいいという考えもあるんだけれど、何だか整理したくて本屋に行き、韓国関連の本をあれこれ探して見ることにした。

だけどこれが難しいということが良くわかった。韓国関連の書籍は、一般的な旅行書は別としておおよそ次の4つのタイプに分けられるように思う。(数分単位の思考でまとめた乱雑な考察ですので、彼の国研究者の方が読んでいたら許して欲しい)

つまり、

(1)嫌韓日本賛美型
→韓国の近代の発展は全部日本のおかげだ、それにも関わらず韓国人は靖国がどうの、戦後保証がどうのとうるせーよ、みたいなトーンの書籍群。このタイプが今非常に多くなっているのはお気づきであろう。

(2)嫌日韓国被害者型
→言うまでもなく、戦中戦前の日本の行為を糾弾し、如何に彼の国の人々をこの国が苦しめてきたかというトーンの書籍群。

(3)在日視点型
→在日という特殊な立場に置かれた人たちが、自らが受けた差別、あるいは在日の視点で見た韓国、日本、そして世界の中での生き方といった問題について取り上げている書籍群

(4)北朝鮮関連書籍
→韓国関連という言い方とはちょっと違うが、内容は説明するまでもないですね。

うーん、もう少し韓国という国をプレーンに知ることのできる本はないだろうかと、探し回ったんだが(ネットで探しておいたほうが良かったのだろうが)、上記の4グループの全てを避けると、これがなかなかない。日本との関係を考えなければいけないのはわかるが、日本が悪い、韓国が悪いというところから離れて、もう少し違う視点から、読みながら旅行のできる、コンパクトものはないかなあ、などと探してみるが、ほんと難しいんだな。これが。しかし韓国関連の本を探すなんてのも実は始めての経験。

(君からの携帯電話はこのタイミングだったんだ。訳がわからないまま、いつものように怒鳴られていきなり切られ、呆然。君はどうして寂しいときにも元気なときにも、僕に喧嘩腰なんだろう。嘆息)

気を取り直して探し続ける。

結果的に十分な結果と言えるかどうか、甚だ疑問だが次の2冊を選んだ。まだ読んでいないので中身については全くコメントできないんだけれど。

●「韓国の昭和を歩く」(鄭銀淑)

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「日本の人たちにも「懐かしい」の後にプラスαの何かを感じてもらいたい。もし、みなさんが住んでいる街に言葉の通じない外国人が押し寄せてきて、一等地に見慣れない家を次々に建て始めたら、どう感じるか。ほんの少し想像力を働かせてほしいのだ。
日本人は、植民地支配について「あまりにも無自覚な人」と「やたらと反省する人」の二極化が激しいのではないか。いずれのタイプと話をしても、ぎくしゃくしたものを感じてしまう。韓国人と日本人は、本当はもっと肩の力を抜いて話し合えるはずである>(「まえがき」)より。気鋭のジャーナリストが祖国を歩いて見つめ直した、新しい視点による日韓歴史文化論」(Amazonの解説より)


そしてもう1冊は

●「韓国 近い昔の旅 植民地時代をたどる」(神谷 丹路)

korea2

著者の神谷丹路氏は日帝時代の韓国を辿ることをライフワークとしていて、ソウルへの留学経験を持つ。在日の血を引く方のようだがこの点仔細は不明。

001 年の春、日本の侵略・植民地支配を正当化する「新しい歴史教科書をつくる会」の歴史・公民教科書が検定に合格した。今日に至るまで、事実を歪曲したそうした〈歴史物語〉が隣国との間に横たわる深い溝の〈創出〉を〈演出〉してきたわけだが、著者は本書で、「日帝時代=植民地時代」の痕跡を訪ね歩き、日本人のひとりとして、自分たちの歴史認識のあり方を検証していく。歴史22編の本文、20編のコラム、百数十にわたる写真で構成した「日韓近代史」入門書でもある。(同じくAmazonの解説から)

何だ、最初に言ってることと全然違うではないかと思った人もいるかもしれないが、結果的にはかつての日帝時代、日本支配の時代の面影を韓国に辿っていく紀行書を2冊選んでしまったことになる。特に神谷氏の著書のタイトルは韓国へ携えていくのはちょっと刺激的。

でもま、いいか。

心を全く白くするのは難しい。これこそが、今の日本と韓国の状態を端的に表していて、なんと言うのかな、こんな僕ごときのの優柔不断な逡巡にも現れているのではないかと思ったんだよ。

読後感想はまたいずれ、たぶん帰ってきてから。初めて訪ねるソウルという都市を、とにかく見てきます。

【参考記事】
●板門店に行くことにした----切手と非道者の思い出

2005 10 25 [板門店へ行った] | 固定リンク | コメント(2) | トラックバック

October 24, 2005

恢復する力----中越地震と小千谷の花火

hanabi

昨日、八王子の祖母の家へ往復する車の中でこの番組を車内のテレビでずっと見ていた。泣かせ番組と知りながら、つい嵌ってしまったという話。

「江口洋介が追い続けた1年 中越地震の町に咲いた超特大花火~花火の数だけ涙があった~」

新潟県の小千谷市には世界一の特大花火「四尺玉」を打ち上げる「片貝まつり」というものがある。この「片貝まつり」の花火は、スポンサーのほとんどが個人であり、それぞれのメッセージを花火の打ち上げ前に場内に流し、夜空にその思いをこめた花火を打ち上げるというものである。
通常の花火大会とはかなり異なり、生きて呼吸している、その地に暮らす人々からのメッセージが花火によってプレゼンテーションされるという形式の祭である。

俳優の江口洋介がこの祭に訪れる様子を中心に、成人式を迎える町の若者たちの様子や、復興への思い、大切な肉親を病で失った人たちの回復への道程を取材する形式で描いていて、この番組自体、見事なドキュメンタリーになっていたのだ。
思わず車を止めて、車内で見入ってしまった。

地域のコミュニティが、元来内在しているある種の恢復の機能について考えた。大切な部分の喪失を余儀なくされ、命のぎりぎりのラインまで傷ついた人々を、地域の祭とか、人と人との関係とかそういう、土地に宿っている磁場のようなものが癒していく、古来の力のようなものが、あらためて思い起こされた。

自分は比較的都市に属する地域に生まれ育ち、こうした経験、地域が全体として癒しあい、かばい合い、喪失から恢復する人々の背中を押していくというか、互いに支えていく、良い意味での日本的共同体の力をもらう機会に恵まれなかった。というより、もっと根本的なところでいろいろな力に恵まれなかったのだけれど、成人の儀式に臨む小千谷の若者たちを見ていて、ああ今でもこういう若い日々をおくっている若者たちがいるのだなあと、ある種の感慨を味わった。

Blogsphereの中で苦しんでいる多くの人達のことも心によぎったのだけれど、こうした人々に、あるいは自分自身に欠けているのは、こうした大きな空間とか自然とか、ある種「非合理」で「不可知」な癒しの恩恵を受けることができないでいることではないかと思うのである。

ブログという先端のツールによるコミュニティにも、無論こうした伝統的な地域の「恢復力」に近い、あるいはその新しい形の発露のようなものは十分宿っていると思うのだけれど、現実の地域で数百年かかって作られた「魂」のようなもの--その地域の地縁、血縁の託ち出す、土地の、あるいは空間の持つ力を外に引き出し、人の心に強い癒しとして与える仕組みのようなもの---それらを全てこの未来型のサイバー空間の中で補完するまでには、至っていないのだよなあ。

都市化とか、災害後のコミュニティの崩壊とか、今進行している地域の市町村の統廃合とか、そうした事柄との関連が浮かんでくる。

「優しさをなくした政治」という表現は、今では小泉の「小さい(苛烈な)政府」を批判する場合の野党の決まり文句となっている感があるのだけれど、厄介なのは現実の政治社会の中で簡単に「抵抗勢力」とか「守旧派」などとレッテルを貼られてしまう、日本の古い隠微な性質もまた、この癒しの地域空間に隣接して支えられているということだ。

何かを破壊することで、期せずして、その隣接する場所の価値も破壊してしまうことはよくあることだけれど、物事は広く見なければ、弱者切り捨て御免の社会体制の、負の部分がなかなか見えてこない。それらは得てして、現代国家に対峙する不合理や情念の領域に内在しているからだ。

そして思えば、あの中越地震が起きたとき、1年前の今頃僕は、この「地が揺れる深い夜に--みんな生き延びよう」を書いたのだった。いつにも増して、あの夜も僕は生き難く、人と自分の「生きる力」を信じたかったのだけれど、あの夜の僕の傍らには、しっかりと信じ合える魂が寄り添ってくれていた。

今となればその奇跡に感謝すべきだろうと思う。

小千谷の花火を見ながらそんなことを思ったよ。

#番組の花火を見て?ああ散々泣いたさ。
まんまと制作者の意図に乗って。悪かったね。

【参考リンク】
●にいがた夜物語 -片貝まつり迎賓館-

2005 10 24 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント(3) | トラックバック

October 22, 2005

心を削れ。さもなければ砕けてしまえ。

glass


畢竟。

生み出し続けていくことは、辛く厳しいことなのだ。
身を切るという言葉があるけれど、どんな言葉も、どんな思いも
どんな思想も、そしてどんな愛情も。恋愛も。

あなたのところに真っ直ぐには降りてこない。
鋭角に降り注ぎ、鋭角に空気を裂き、あなたの言葉があなたの心に切りつける。
続けるということはそういうことなのだと、思う。

終わりを意識することは、あってもいい。いやむしろ。

全ては終わるために営まれているといってもいいのだから。
にも関わらず、続けていくことにも、相応の敬意が払われてもいい。

ブログが日記だなどと誰が言ったのだろう。
いや、その言い方は違うか。

日記こそが実は命の営みを過酷に記録する、死ぬほどつらく厳しい作業だったことを。
およそ日記こそが、私とあなたの命を記録してくれる、それこそ血を吐くような、ぎりぎりの営みであったのではないか。

命を削らないなら、ここに立つべきではない。
心を削らないなら、ここで呼吸をすべきではない。。

幾千億の、心を削らない営みは断罪されるべきではないが、
さりとてあなたの心にもまた届かない、彼方の花火でしかないだろう。
花火を凡庸と呼ぶことに、もしも心がざわつくのであれば、私は全ての花火を
貫徹しつくす視線を持ちたい。眼差しを備えたい。

だから私は心を削って、心を見据えて、まだしばらくは続けていこうと思う。

何かが終わるその日まで。

代償として心など砕けてもいい。それが私の心なら。

砕けてしまえ。

2005 10 22 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック

October 20, 2005

板門店に行くことにした----切手と非道者の思い出

hanmon

当時はおそらく板門店は遠い遠い場所だったであろう1960年代。

父はその頃ある新聞社に勤めていたので、何度か38度線を訪れていた。
幾度かのそうした取材旅行の後、僕が祖父母と暮らしていた家に立ち寄ることがあった。
父はトーンをあげてその取材旅行の土産話を語り、宙に熱気を何時間も撒き散らした。
自分の息子をろくに構いもせず、優に1年、2年。時には3年も顔を出さないことすらあるこの「非道者」に祖父母は眉をひそめていたが、僕はそうした父の「自慢話」が嫌ではなかった。

きっと目を輝かして聴いていた。と思う。

やがて、父は韓国の珍しい形や色の切手を貼ったアルバムを出して、説明を始めた。
僕は珍しい外国の切手に夢中になって覗き込んだ。あの頃の多くの小学生と同様に、僕も切手を集めていたのである。

しかし父は、一通り説明を終えるとその切手のアルバムをまたしまいこんだ。あっけにとられる僕。

「これはXXXXX(父と暮らしている腹違いの僕の弟)への土産だから」

と悪びれもせず言うと、また38度線の話だ。

とことん「わからぬ奴」であった。

そんな父に祖父母は怒り、この子(僕)のことも考えてやれと、くどくどと父を責め始める。すると父は逃げるように帰り支度を始めて、そのまままた1年も姿を見せなくなったりするのだった。

それなのに、父の3度目の妻だった札幌の母は、父の死後に、1人で板門店を訪ねたと、妹の結婚式のときに聞いた。でも僕にはそれは意外でもなんでもなかった。

父と時間を過ごした「僕たち」にとって、板門店はある特別な場所だった。そしてそれは、世界情勢がどうとか、平和がどうとか、緊張の国境だとかそういうことではなく、あのどうしようもない自分勝手をやり尽くして、7年前に足早に去って逝った、父のイメージと結びついているのである。

それを札幌の母親は知っている。そして僕もだ。

小泉首相閣下が、自らの信念に従って、またも靖国参拝に勤しまれている今日この頃、よりによって、ふとしたことから、僕は来週26日から、日本人にとっては、良くない雰囲気が立ち込めているという、ソウルに行くことになった。
ソウル行きが決まった時すぐに、僕は板門店に行こうと思った。僕の板門店は父のイメージであり、あの弟に横からさらわれた、美しい記念切手のイメージがある。そこがたぶん、普通の人とはだいぶ違っているかもしれないが、とにかく僕は、1日空いた時間を利用して、ソウルから半日観光で板門店を訪れることができる、現地のツアーを探した。

で、探してきたのがこの旅行会社。

板門店ツアー以外に「西部戦線DMZ(非武装地帯)ツアー」というのがあり、北朝鮮がひそかに掘った南進のためのトンネルを見学できること、また「北朝鮮亡命者とのDMZツアー」というのもあり、「北朝鮮亡命者と一緒に西部戦線DMZを観光するイベント観光商品」などと不思議な言葉が並んでいる。

いずれもロッテホテルからツアーが出ている。板門店ツアーは料金70,000ウォン。

「板門店観光は訪問統制日(日・祝日等)を除き、毎日08:50分小公洞ロッテホテル二階 panmunjom Co-Op Centerを出発する定例商品で、半日観光商品である。」

注意書によれば、アフガニスタン、パキスタン、キューバ、イラク、イラン、北朝鮮人民共和国、スーダン共和国、シリア、リビアの国民はこのツアーに参加することはできない。

また外国人は容易にツアーに参加できるが、韓国人は亡命の可能性があることなどから、厳重な身元チェックが行われるため、ほとんど見学には行けないのだと言う。板門店はソウルの北方約60km。目と鼻の先にありながら、韓国人にはやはりそう近い場所ではないのである。

世界でも数少なくなった平時と緊張を保ちながらも観光地化されている板門店が不思議なところなら、非道の父の所業を知りながらも、次々とその場所に向かおうとする札幌の母も、僕もこれまた、不思議な連中ではある。

とにかく、見てくることにするよ。

2005 10 20 [板門店へ行った] | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック

October 18, 2005

孤であることを、個であることを。

たとえばこんな夜。

雨の音を聴くとき、君は一体何を思うのだろう。
夜が水の音で満たされるとき、君は一体何を思うのだろう。

僕?僕はね、世界の全てが静止してしまったような
深い深い闇を思う。心地の良い死を思う。

雨の音を聴くとき、君は一体何を思うのだろう。
夜が水の音で満たされるとき、君は一体何を思うのだろう。

僕?僕はね、全ての登場人物が去った後のような
長い長い物語の終わりを思う。心地の良い終わりを思う。

僕たちがしてはいけないことは、どこから来たかを自分に問うことだ。
そして、どこへ行くのかを自分に問うことだ。

問わず、思わず、疑わず、愛せず。

こうして流れにまかせていつか泡のように消えていく。
孤であることを、個であることを、むしろ誇りながら。
泡のように消えていく。

僕はそんな風でありたい。



雨の音を聴くとき、君は一体何を思うのだろう。
夜が水の音で満たされるとき、君は一体何を思うのだろう。

僕?僕はね、世界の全てが死に絶えた
深い深い闇を思う。心地の良い静寂を思う。

愚かだろう?

2005 10 18 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント(5) | トラックバック

全ての愛情を

darkside


全ての愛情を。
自分の存在全てに関わる全ての愛情を。
全てが幻だとして。
全てが無だとして。
捨て去りたくなる夜がある。

全て。全て。この身そのものさえも。

この身の周囲にあった
「それらしきもの」が全て消え失せたとて
一体何の不自由があるだろう。

無であるものを追い求めるより
最初からなかったものを追い求めるより
いっそすがすがしくはならないか。

失うものなどなにもない。

これは

諦念なのか。
非情なのか。
甘えなのか。
我心なのか。
怒りなのか。

違う。

最初から僕は何も必要なかったのだ。
なぜなら何も与えられなかったのだから。

最初からあなたも何も必要なかったのだ。
なぜならあなたは全てが与えられているのだから。

生まれたときから、どす黒い真空の中でやっと呼吸している。
それが僕だ。

救いなどいらない。

それは誰か他の人に向ければいい。

全てが満ち足りたあなたから
全てを失った人たちに
向ければいいと、僕は思う。

こうやって呪う夜こそが呪わしい!

許して欲しい。
僕は自分を愛せない。

2005 10 18 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック

October 17, 2005

それほど「楽天的」ではいられない。----「火車」のようなIT企業のトラウマ

tbs

10/16付の読売新聞によれば、楽天がTBS株15.46%の取得に要した資金は880億円。その多くを手元資金の活用や株式発行ではなく、複数の大手金融機関からの融資で調達しているという。

ライブドアがニッポン放送買収に際して使った転換社債型新株予約権付社債(MSCB)は、リーマン・ブラザーズ証券が、ライブドアの買収策がどちらに転んでも損はないように仕組んだフレームであり、堀江氏の「冒険的過ぎる」手法が注目を浴びた。

楽天の場合、こうしたリスキーな手法はとらなかったわけだが、2004年12月期の楽天の連結決算の経常利益は154億円。仮に1年間資金を借り続けたとすると、楽天の負担は10億円程度になると見られ、統合交渉に時間がかかれば、財務的には決して少ない負担ではないと指摘されている。

もっとも、楽天の高い時価総額からすれば、さしあたって金利負担の少ない1000億円程度の転換社債を発行することも可能であるとして、この見方は一方的であるとする論もあるようだ。
1株主が20%を超えると発動されるとされるTBSの新株予約権の存在を伺いながら、村上ファンドとの連携を持ちながら、さらに買い進める資金力はニッポン放送買収時のライブドアよりもむしろ余力がありそうだし、全体によく計算されている印象もある。

だが、ここで少し別の論点からこの話題を考えて見たい。

売上高の圧倒的に少ない楽天が(楽天455億円(2004年12月期)/TBS3,017億円(2005年3月期)TBSを優位に立って買収にかかれるのは、言うまでもなく、高い株価を背景にした時価総額の差によるものだが、(楽天約1兆円/TBS7,000億円)米国で同じような図式で推移したAOLとタイム・ワーナーの合併劇の顛末を見ると、一時的な時価総額に頼る資金調達がいかに危ういかが思い起こされてならない。

2000年の1月にタイム・ワーナーと、アメリカ・オンライン両社は対等合併をすることで合意した、と発表して世界を驚かせた。
新会社の売上高は年間三百億ドル(約三兆円)以上となり、活字、映像などの従来型メディアと、インターネットをまたにかけた巨大総合情報企業「AOLタイム・ワーナー」が誕生するというニュースは世界を衝撃的に駆け巡った。

このときの、タイムワーナーとAOLの時価総額は、AOL2500億ドルに対してタイムワーナーが1000億ドル.登場した新会社の時価総額は3,500億ドルとされた。
しかし、その後ネットバブルが崩壊し、AOLの業績は大低迷し、AOLを企業名からはずされる事態に追い込まれ、AOL創業者のキース会長も事実上、更迭された。
最近では、タイムワーナー社がAOLをマイクロソフト社に売却する交渉を進めていることが米国のメディアで報じられ、最近ではこれにグーグルも買い手候補として取りざたされている。

楽天とTBSに、AOLタイムワーナーの悲劇をそのまま安直に当てはめて考えることはできないし、地上波を中心にしてネットへの対応が大幅に遅れている日本のテレビ局が、「旧勢力」呼ばわりされるのは理解できなくもないが、現在の楽天は、その事業収益から考えれば、TBSを飲み込めるような規模の企業でないことは誰が考えても明らかであり、その資金源はその高株価が今後も継続することを前提にしている。
AOLタイムワーナー程ではないにしても、統合後の持ち株会社が支配する両者の時価総額は推定で2兆近くになるわけだが、それも楽天の破格の時価が維持できれば、の話であり、楽天の将来性へのマーケットの信頼性が落ちれば、すぐに時価は逆転する可能性がある。
そうなれば、飲み込んだはずのTBSに今度は楽天がイニシアティブを握られる可能性があるのであり、ここでAOLタイムワーナーの悲劇が思い出されるわけである。

楽天にしてみれば、資金調達力のある「今のうちに」より収益力を持つ媒体=テレビを吸収しないことには明日の高株価が維持できないという、ある種のジレンマにあることは確かであり、これはライブドアにしても、ヤフーにしても、ソフトバンクにしてもネット企業共通のジレンマ=火車のようなトラウマともいえる。つまりITという産業の「業」のようなものなのだ。常に次を「飲み込み」将来性へのマーケットの期待を裏切らないように走り続けなければならない。この産業ほど「堅実な成長」という言葉がなじまない業界はない。

よって、既存メディアの吸収に血道をあげる「性」に、明るい未来社会のメディアモデルばかりを強調するのも実態にはそぐわないように思う。特に楽天の現在の収益モデルが、時価総額1兆円というのは明らかに高すぎる評価であり、今後見通しにそう「楽天的」ばかりではいられないであろうし、三木谷氏はこのへんの危機意識は既に十分持っているように見える。

それにしても、日本のメディアを前にして三木谷社長が行ったという一時間近くのプレゼンテーションのほとんどが残念なことに報道されず、相変わらず敵対的であるか友好的であるか、TBSが負ける勝つかなどといった典型的なゴシップ趣味でのみ、報道がなされている現状は実に嘆かわしいと思う。結局、この国のメディアにとって、通信と放送の融合の有効性などといったテーマはまだ真剣に受け止められてはいないとしか思えない。
多くの報道番組の「評論家」も、楽天のやりたいことが何だかわからないとか、通信と放送の融合といっても具体性がないとか繰り返すのみである。具体性がないのは三木谷社長のプレゼンなのか、あなたの基礎知識なのか。

一方でAppleのiPodがついに動画対応して、podcastが次世代のコンテンツ配信媒体として、急速に表舞台の存在感を確立しつつあるのを見ると、ゴシップ報道と実体のないM&A騒ぎに終始している間に、今後のメディアシーンにおいて、日本企業全般にとって取り返しのつかない事態になってこないかと先が憂えてならない。

「通信と放送の融合」以前に、ここでもまた、「日米統合」されなければ良いが。

2005 10 17 [経済・政治・国際] | 固定リンク | コメント(3) | トラックバック

October 12, 2005

だって神は死んだのだもの。

god_is_dead


14歳になったとき、神を探しに出かけた。混乱して情けなくて苦しくてぼろぼろで惨めで、人生は早くもショートし始めていた。どうも僕の世界は作り違えられてしまったに違いない。あるいは僕が何もわかっていないだけなのか。ガキだしさ。

で、責任者よ出て来いみたいなノリでカトリックの教会へ行ったんだよ。とことこと。

責任者よ出て来い。

でもそこにはステンドグラスと賛美歌はあったけれど、神はいなかった。
責任者はいなかったんです。

16歳になったとき、もう一度神を探しに出かけた。今度は彼女と一緒。彼女が招いてくれたのはプロテスタントの教会だった。僕はそこで優しい彼女と、神の歌を一緒に合奏した。彼女の愛する人は、信仰のある人の中から神が選ぶ。彼女はそう言った。僕は彼女の横顔にさようならを言った。

責任者よ、出て来い。

そこには音楽と魂(ソウル)はあったけれど、神はいなかった。
責任者はいなかったんです。

17歳になったとき、また神を探しに出かけた。今度は立川の中央線沿線にある民家が教会だった。この頃、ひとりで、孤独で、さびしくて、一人でひとりだった。民家で「神の存在を証明します」と言われ、「世界の第一原理」というものを何時間も聞かされた。美しい女の人たちが、笑顔で迎えてくれた。美味しい飯も食べさせてくれた。

責任者よ出て来い。

そこには、誘惑と原理(のようなもの)と癒しはあったけれど、神はいなかった。
責任者はいなかったんです。

18歳になったとき、「神は死んだ」と叫ぶ哲学者を知った。実習生の割には態度の大きい鋭い目をした顔色の悪い女子大生が、煙草をふかしながら教えてくれた。毎日放課後になると彼女のところに行き、「死んだ神」についての話を聞いた。

責任者よ出て来い。

そこには哲学者と不良はいたけれど、神はいなかった。
責任者はいなかったんです。




僕はそのとき、僕の人生に責任者などいないことが、やっとわかった。
で、神を探すことをやめることにした。

で、それからもう何十年も探していないし、これから先もきっと探さないだろう。

だって神は死んだのだもの。
だって神は死んだのだもの。



僕とあなたの人生に責任者はいない。
いないんだよ。

2005 10 12 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント(2) | トラックバック

October 08, 2005

Time is on my side(3)-----どちらが孤独なのか。


ainsyut

「光とは何か?人類が100年間も騙され続けた相対性理論の大嘘」は凄い本だった

これを書いた後、長い時間がたってようやく最近読み終えたのだけれど、確かに「凄い内容」だった。本も凄ければ、そもそもこれを書籍にして出してしまった徳間書店も「凄い」と言われているけれど、確かにそう言わざるを得ない部分もある。

アインシュタインですら光については何もわかってなかったというのは本当であろう。そのわかっていないご本人が唱えた相対性理論など信用ができないと言われれば、確かに説得力もなくはないが、この本は何しろ「光速」というものを根本的に否定している。速いとか遅いとかではなく、光に速さがある、あるいは光が新幹線のように虚空の宇宙空間を何万年もかかって「移動する」そのあり方そのものを否定しているのである。

つまり、700光年彼方にあると言われているオリオン座のリゲルから光が700年かかってあなたの目に届くなら、それはあなたが700年前のリゲルを見ていることになる。同様に夜空に散らばる殆どの星は遠い過去に「そこにあった」としか言えないのであり、真空中で299,792,458m/s(≒30万キロメートル毎秒)と言われる「光速」を信じるならば、自分の手ですら10億分の1秒過去の手である(!!)ことを認めなければならなくなる。

光に速度があると信じるから、人はあらゆる「現在」を認識できなくなる。この不自然な世界観はどうなのよ?世界の「過去」しか認識できないなんて?というのが筆者の趣旨。あらゆる「過去」に囲まれて生きている人間存在などというものこそ奇妙奇天烈だとして、ここから「光速」自体を否定にかかるのだから、確かに強引にも強引。

現代の物理学では、確かに「光の実態」(エーテルを伝わるとか、いや電磁波だとか)は完全に解明はされていないけれど、その速度はかなり緻密に計算されていて、そのことはどうなんだ?と突っ込みたくなるが、筆者は「哲学」あるいは「認識論」から入って光速を否定してるのだから、これはもう物理学でも天文学でもなく、思想というべきであろう。

で、じゃあ光はどうやって「伝わる」のかというと、「発光部」に「受光部」が「正体のわからない理由」によって瞬時に(光った瞬間)伝わるという説を展開している。そうなればリゲルは過去のものではない。今この瞬間の「リゲル」であるし、あなたの両手が10億分の1秒前のものであるなどという、「不可思議な」ことを言わないでもいいではないかと展開される。これは思想としか言いようがないでしょ?

最後まで「科学的には」甘い本で、一部でトンデモ扱いされちゃっているみたいだけれど、あらゆる「過去」に囲まれて生きているという相対性理論の世界は、居心地で言えばそれほどいいものではないというのもわからないではない。

誰が「過去」の恋人の顔を見たいだろうか?誰が「過去」の娘の顔を見たいだろうか?
目の前の恋人としっかり抱き合いたいと思うのは、両者の距離を0ミリにして、伝わらぬ心を持ち寄りながら、せめて「時」だけは共にしたいという悲しい試みか?

君の「今」に永遠に寄り添えないなんて!

人は過去ではなくて今この瞬間を共にしてくれる存在を探して、渇望して今日も生きているものであるとすれば、光は何億キロメートルもの彼方からでも「瞬時に」伝わってくれたほうが、「幸せになれる」のかもしれない。

だが、僕たちは、恋人の顔はともかく、宇宙的には、あまりにも相対性理論の世界にどっぷりと漬かって生きているから(なに?あなたは漬かっていないって?笑)、今更「全てが過去ではない」と言われても、逆に戸惑うのみ。

無限の「過去」に囲まれて生きること
無限の「今」に囲まれて生きること

幸福を一つの観点として見るなら、どちらが幸福なのか。
孤独を一つの観点として見るなら、どちらが孤独なのか。

異論も諸説も出る分野ではないか。

無限の「過去」に縛られているこの自分を思えば、今更光の速度が無限大になったとしても、直ちに「今」と添えるかどうか。直ちに君と寄り添えるか。

それすらわからないのである。

(4)へ続く


【参考記事】
●Time is on my side(1)-----時は今でも味方しているのか
●Time is on my side(2)-----光は今でも味方しているのか


2005 10 08 [自分のこと] | 固定リンク | コメント(4) | トラックバック

October 07, 2005

一瞬の夕暮----1点を、ただその1点を。

station

突然な話かもしれませんが、たとえば、午後から急に降り出した雨が、ようやく止んだばかりの夕暮の街を思い描いてください。
まだどことなくしっとりとした、この日の空気に包まれて、郊外の駅に降り立ったあなた自身を思い描いてください。

止んだ雨の一瞬の安堵から、それぞれ家に閉じこもっていた人々が姿を見せ、街はいつもの賑わいをとり戻しつつある、そうした一瞬の夕暮に立っている、あなた自身の姿を想像してみてください。

次にあなたの胸に、あなたのその右手を添えて、茜色に染まり始めた西の空を見ながら、ゆっくりとゆっくりと息を吸い込んでみてください。あなたの体がこの空気を心ゆくまで吸い込んだら、次にゆっくりと、ゆっくりとそれを吐き出してみてください。

もしも何かの音が聞こえたら、その音がどこから来ているのか、じっと耳を澄まして欲しい。

もしも誰かの声が聞こえたら、その声を発する者たちのことを、じっくりと考えて欲しい。

喧騒の中に生きている私やあなたには、なかなかできないことです。
だからこそ、この時間。華やいだ空の色が沈み、程なく墨のような闇に沈んでいく一瞬前の、淡い夢のようなこの時間。

あなたの体中に、この大気を満たして欲しい。

私はそうやって今日を何とか生きています。
そしておそらく多くの人たちが。

こんな言葉もおそらく、あなたにとっては儚く、儚くしかなく。
私も、あなたの傍にいるその人のように、少しもあなたを救わないかもしれないけれど。

病んだあなたのその身体の絶望が、悲しみが、苦しさが、記憶が、そして混乱がせめて少しでも軽くなるように。少しでも軽くなるように。

無力の深い淵から、私はその1点を、ただその1点をひたすら祈る。

私だって、希望は未だ探せていないけれど


祈ります。

2005 10 07 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント(4) | トラックバック

October 03, 2005

靖国参拝は犬の散歩ではない----参拝私人論の不自然

yasukuni

小泉純一郎首相は30日の衆院予算委員会で、首相の靖国神社参拝について違憲判断を示した同日の大阪高裁判決について「私の靖国参拝が憲法違反だとは思っていない。首相の職務として参拝しているのではない。それがどうして憲法違反なのか、理解に苦しむ」と述べ、反論した。松本剛明氏(民主)の質問に対する答弁。首相は同日夕、判決が自らの参拝に与える影響を記者団に問われ、「ま、ないですね、(判決自体は)勝訴でしょ」と述べ、否定した。
 答弁で首相は「私は戦没者に対する哀悼の誠をささげるということと、二度とあのような戦争を起こしてはならないという気持ちで参拝している。それが憲法違反であるというのはどういうことか」と判決を批判。年内の参拝の予定については「適切に判断する」との立場を改めて示した。(毎日新聞 - 10月1日)

一体この人物は何度同じ言葉を繰り返すつもりなのであろうか。「理解に苦しむ」のはあなたの頭の中である。あなたがこれまで「適切に判断」できていないからこそ、靖国は近隣国に外交カードに使われる羽目になっているのである。
のみならず、国内の伝統的国家主義、あるいは保守に属する人々が、この「外国からの干渉」を事由にして、憲法の政教分離の原則に対しても感情的な批判をする風潮を呼び起こす結果となり、事態をますます「面倒な事態」に追い込んでいる。

このサイトでは何度も靖国については取り上げているが、

A級戦犯の分祀や東京裁判の再評価といった作業への誘惑にこの国家を誘導することによって得られる国家的利益はない。同時にまた、中韓の「政治的思惑」からなされる外交攻勢に対して、守勢に追い込まれる結果を招いていること自体、明らかに参拝が引き起こしている「国家利益の損失」である。
つまり今更止めれば外交的敗北と受け止められかねない結果を恐れなければならず、さりとて、強行を続ければそれもまた周辺国から交渉の材料として駆け引きに利用される。

外交の目的は様々あるが、国家間の利益調整という現実的側面の背後には、近隣国との平和的交流を構築することで、国家の安全保障を確立するという、「より現実的な」面も存在する。この点に関しては綺麗事ではないのであり、付け込まれる余地のある行動は、相応の熟慮がなされるのが当然である。

元来、政教分離の原則は、特定宗教や思想に対して、国家が過剰に肩入れすることの弊害を防ぐ目的と共に、こうした対内的/対外的な「国家利益の喪失」や混乱を避けるための予備的意味合いも結果として持っている条項であると解釈すべきであろう。

(これは原始的な20条の解釈とはやや異なるかもしれないが、現代的な政教分離の解釈はそこまであるべきであると、私論であるが確信する。)

小泉首相は、合理的に説明できない彼個人の、情緒的感情や思想、心情を国政の場に持ち込む傾向が明らかにあるが、それがこのリスクを継続的に発生させている原因となっているにも関わらず、そのことへの説明責任を明らかに怠っている。先の選挙でも意図的にこのことを政争のテーマから避けたのは周知の事実。

しかし、この問題は「さっぱりわかりませんねー」などという、横丁のオヤジぶって片付けられる問題ではないのは無論であり、今になって裁判所が私的参拝であるか否かを基準に違憲判断することも、誠に奇異なことである。

大阪高裁(大谷正治裁判長)の判決は、原告の賠償請求は退けつつも、(1)参拝は、首相就任前の公約の実行としてなされた(2)首相は参拝を私的なものと明言せず、公的立場での参拝を否定していない(3)首相の発言などから参拝の動機、目的は政治的なものである--などと指摘し、「総理大臣の職務としてなされたものと認めるのが相当」と判断した。

小泉首相は、参拝を「私的な行為である」とは明言していないが、そもそも参拝行為を、「公人ではなく私人としての行為である」などと、当の首相自身が、あるいは周囲の主観によって選択できる余地はあるのか?これも極めて疑問に思う。

参拝を「私人の行為」などと苦しい言い逃れを始めたのは、自民党の支持団体からの強い要請により1975年に三木首相が戦後最初の参拝を行ったときからである。当初は玉串料を公費から支出しないというだけでなく、公用車を使わず公人としての肩書きも使わないということで「私人としての参拝」をうたい、憲法違反を逃れたというのが、この茶番の始まりである。

私人論の一つの論点は、首相の人権的な観点を重要視するもので、「首相個人の信仰や信念も尊重されるべきであり、参拝は私人とし行われているものであり問題がない」という立場である。

しかしこれは苦し紛れの範疇を出ないと見なさざるを得ない。日本国の首相が靖国参拝を行った場合、国内は言うに及ばず、世界に対して報道がされる。中韓の反応のあり方の是非はともかく、それは具体的に外交への「無視できない影響」を及ぼしている。実際に昨今首相参拝が報道で取り上げられることで、靖国神社への参拝客が増えていることは事実であり、この原因に首相参拝があることが明らかである以上、参拝行為の「私人性」を言うことには疑問が残る。首相の参拝行為が及ぼす公的な影響の重大性を考えれば、「問題がない」どころか非常に問題のある行為であると思う。

「日本の小泉首相が靖国神社に参拝した」としてひとたび認知されれば、それは、どう考えても日本国総理大臣小泉純一郎の、公務行為でしかなく、その瞬間の端的な事象をのみ抜き出して、「公用車を使ったかどうか」とか、「玉串料を国庫から捻出したかどうか」といった基準を元に判断すること自体も、極めて不自然な基準であると解せざるを得ない。

首相が「私人として参拝」することに問題がないとすれば、先の「国旗国歌法」における東京都の教職員の君が代や日の丸に対する厳しい強制などは、誠におかしなことになるわけであり、そこでも「教職員の私人としての国歌斉唱の拒絶事由」をなぜ認められないのか、という議論になってくる。教職員の行為の自由は、私人として免責されず、それよりも遥かに重要な影響力を持つ、首相参拝が「私人である」で済むのか。

おおよそ、高度な「公共の利益」の前には、私人としての利益は制限されてしかるべきであり、首相ともなれば次元の高い「公人性」を24時間負っていると解されるのが自然であろう。。
個人の思想信条の自由というが、首相在任中の参拝の回避が、人間小泉純一郎の人権を「回復できないほど」侵害するとは到底思えない。

「私人」という言葉が、参拝を正当化するための概念として今でも頻繁に使われ、それにメディアや国民、そして裁判所までが巻き込まれて論争している状態の異常さが、そろそろ意識されるべきではないか。

何よりも、そこまで「私人」を強調してなされ、外交物議を巻き起こす首相参拝こそ、かえって靖国に眠る霊を冒涜することにならないか。

言うまでもないことだが、靖国参拝は、首相がプライベートで行う犬の散歩ではないのである。


【参考記事】
●横丁のオヤジの繰言は聞きたくない--靖国神社参拝問題に関して
●ナショナリズムも合理的かつ未来志向で願いたい。--靖国神社参拝問題に関して
● 靖国神社と首相と私(たゆたえど沈まず)

2005 10 03 [経済・政治・国際] | 固定リンク | コメント(2) | トラックバック