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December 31, 2005

ばらばらにされた1人1人---大晦日に

そろそろ今年最後のエントリーになる。

なぜブログを書くのか、なぜブログを続けるのか。
こんな単純な問いにも答えることができないまま続けたこのブログも、304本の記事を持つ場所になった。

そして気がつけば今年も大晦日である

昨日、高田さんの「ニュースの現場で考えること」を読んでいた。そこに書かれた、ご友人からのメールの心打つ内容に、のめりながら読み進んでいたら、なぜか私の2本の記事へのリンクが、あまり説明もされずに掲載されていた。

そして、何の脈絡もなく、BigBangさんが少し前に書かれたエントリ「僕はいつ『ブロガー』」などという謎の生き物になったのだろう。」を読んだ。「僕らは静かに消えていく」も読んだ。(「そして、年がまた重なる」--ニュースの現場で考えること

驚いた後、このどちらかというと地味な記事に触れて下さった意味を、記事を読み返しながら少しの間、考えて見た。少々手前味噌であるいは見当はずれかもしれないけれど、おつき合い願えるとありがたい。

ブログブームだの何だのと言ったって、ほとんどの人間はブログのことなど考えて生きていない。(中略)しかし、そもそもブログをする人がもっと増えてくれば、社会はブロガーだらけになるのであり、ブロガーだらけの社会では属性としての「ブロガー」は逆説的に言えば、消えていくのである。属性としての存在理由を失うからである。過去にも多くのものがそうやって消えて行った。(中略)属性としての「ブロガー」は消えていく運命にあるのだ。
僕らは静かに消えていく

明日僕はブログをやめるかもしれないし、筆をいやキーボードを折る(!)かもしれない。それでも僕はこの国で生きていくだろうし、何らかの手段で発言を続けるだろう。呼吸もするだろう。飯も食うだろう。相変わらず君にも振り回されるだろう。
ここで死について書くだろうし、詩についても書くだろう。混乱し錯乱し冷静になればまた、板門店や(ああ板門店のことを早く書きたい)、犬や政治のことを書くだろう。「ブロガー」は僕の呼び名ではない。僕はBigBanである。(それも永遠ではないけれど)。
僕はいつ「ブロガー」などという謎の生き物になったのだろう。

そして、高田さんの書いた記事と自分の書いた記事を読み合わせて、僕はブログを書いてきたこの1年間の時間を思い、去っていった人のことを思い、新たに知った人のことを考え、出来る限り全ての僕の周りの人のことを考えた。

そして、さらに僕たちがブログを書くことに、いや違う。生きていることに、そこにもしも「意味」があるとすれば、その「意味」に外形があるとすれば、それはどんな顔をしているのだろうとぼんやりと考えた。

いや。僕は本当は知っているのだ。「意味」には明確な姿などないことを。

僕たちは生きていることの意味も、その意味の意味も知らないまま漂って、いつか消えていく。もしも意味に何らかの形があるとすれば、それは思い出す有限の人々の顔と、その人たちが自分に残していく言葉にのみあるのではないか。たとえ故人であっても。

書くことの意味を考えることは、大袈裟に言うと、生きていくことの意味に直結しているのだと思う。

友人はメールの最後に「ありきたりですが、ばらばらにされた一人一人を結ぶ大きな仕事を君の力でぜひ実現してください。期待しています」と書いていた。その言葉を聞くことが、いまは苦しいくもる。けれども、私も他の誰も、進むことを止めるわけにはいかないのだと思う。進んでいる方角が分からなくても、足を前に出すことは止められない。。。いつの間にか、私や私のような世代は、そういう年齢に達しているのだ。「そして、年がまた重なる」「そして、年がまた重なる」--ニュースの現場で考えること

「ばらばらにされた1人1人」を結ぶことのほんの一端が、この僕にもできるのだろうか。できないかもしれない。できないかもしれないが、もしその1人1人が苦しんでいるとすれば、救うことは出来なくても、せめて「ばらばらに苦しむのはやめよう」と呼びかけることくらいは、自分にもできるかもしれない。不安に1人で震えていれば、せめて「ばらばらに不安になるのはやめよう」と呼びかけることもできるかもしれない。

そんなことを考えさせてくれた人達、今年出会い時間を過ごした全ての人達に感謝します。多くの幸いがその全ての人達にありますことを。

今年1年間ありがとうございました。来年もよろしくお願いします。

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Comments

>僕たちがブログを書くことに、いや違う。生きていることに、そこにもしも「意味」があるとすれば、その「意味」に外形があるとすれば、それはどんな顔をしているのだろう

 こんにちは。

 今年一年は本当にお世話になりました。

 僕はBigBangさんのお顔も声も存じ上げませんが、BigBangさんが発した声は、僕に対してすさまじい「影響」を与えました。BigBangさんの渾身の思考は、僕の物の見方考え方を大きく変容すらしたと思います。必ずしもBigBangさんの意図する形ではないかもしれませんが、僕がネット上で話す言葉に、そしてリアルで行う言動に対して、明らかに「外形」が刻まれています。

 今まで何年も何も得ることができなかった僕が、今年、辛うじて僅かながらも前に進めたことにも、BigBangさんが与えてくれたものが推進力の一つとなっていると思っています。

 そして、BigBangさんが気を遣っていただいた分の何分の一も僕は活かせなかったけれど、僕は、BigBangさんに、「ばらばらに不安になる」ことから救ってもらえたんだとも思っています。BigBangさんに、僕の存在を「認識」してもらえたことが、「籠もらざるを得なかった」僕のどれほどの心の糧となったか。

 いえ、こういう言い方をすると、本質を外れた馴れ合いという疑いを持たれたりするかもしれませんし、それ以上に言われたご本人がとまどってしまわれる面があるでしょう。このコメントも迷惑に思われるかもしれません。そういう「空気の読めなさは」は申し訳ないとお詫びするしかないのかもしれないです。とりあえず、上に書いたことは、僕の偽らざる本音です。

 今年は本当にありがとうございました。来年もまたよろしくお願いいたします。

僕はボクシングファンさんが、現在の問題もそうですが得意の、法律面からインスピレーションをいただけることに、感謝しています。

昨年はいろいろありましたけれど(笑)、そしてコメントで言っていただく様な内容は、明らかに自分としては過剰なお言葉ですけれど、いささかでもそういう受け止め方をしていただいているとすれば光栄に思います。

そして、さらに言えばあなたが、ご自分のサイトで発しておられる言葉も、「別のあなた」がきっと読んでいると思います。その「別のあなた」は、必ずしも最初あなたに友好的な形では現れるとは限らないかも知れないけれど、あなたやあなたの発言を気にしている人であることには変わりがありません。そうした意味で僕たちはずいぶんと前から「ばらばら」に生きてはいないと思いますよ。

後先が逆になりましたが、新年おめでとうございます。本年もよろしくお願いします。

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