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January 28, 2006

凡庸なる者たちへ-----ライブドアニュースの報道など

畢竟、堀江に裏切られたと嘆く者は自らの凡庸さに裏切られたのである。

僕を含めて多くの人の人生は、凡庸だ。そうした意味では、僕に感傷があるとすればそれも僕の凡庸さの一形態として見るべきだろう。

あなたの人生にしても、日々は河のようにとうとうと流れていくが、予定調和を大きくはみ出す流れはめったに起こらない。もちろん凡庸の中にも無数の区分があり、互いの人生に見込み違い「のようなもの」やドラマ「のようなもの」が訪れることはある。あるが、それすらも予想された凡庸さの一断面と見るべきだろう。多くの人々は稼ぐことから解放されることもなく、「良い会社」に就職していい給料をもらいたいという卑俗な欲望から解放されることもなく、手がけているささやかな仕事における賞賛の夢から解放されることもなく、可愛く優しい恋人が欲しいという切実な願いから解放されることもなく、生き、眠り、食べ、生殖を行い死んでいく。凡庸さの奥深さとは、夜の帳のように深く、深く、抱かれたその場所から逃れることは容易ではない。

さて、ここから話は凡庸な者について、この凡庸な者が考察することとなる。堀江や宮内がこういう定義の上で凡庸であったかどうかはともかく、沖縄に不業の死を遂げた野口氏の人生が凡庸であったかどうかはともかく、虚業と呼ばれるライブドアに働く連結4,000有余人の人生も我らに等しく凡庸の帳に包まれていたとしか言えないのであって、この話はその観点で理解すべきである。

世界を見るレイヤーは無限にあり、企業活動は、あるレイヤーでは地獄の詐欺集団であり、あるレイヤーでは、人の生活に果てしない進歩と恩恵を与えるものである。資本市場はあるレイヤーでは地獄の搾取の仕組みであり、あるレイヤーでは人類が生み出した最高の英知である。投資はあるレイヤーでは守銭奴のダンスであり、あるレイヤーでは新世紀を人類にもたらす最後の砦である。
全ての事象を「深く読む」とは、多くの場合、単にこのレイヤーを気分によって次々と切り替えているにしか過ぎない。

さあ、ライブドアである。ライブドアを見る我々のレイヤーはどうか。深く読もうと、浅く読もうと我々はいつもこのレイヤーを自分の都合のいいように切り替えて、繰り返し繰り返し論じ合っているにしか過ぎないのであり、見られる対象としてのライブドア、そしてそこに勤務する社員像を考えたとき、このレイヤーをどのように切り替えて見るかは、我々の気ままな意志に、委ねられている。そして、さらに悪いことに我々は凡庸であるので、メディアによって二重に三重に、翻弄される。そうした意味において虚業であるか実業であるかなどと言う議論は何の意味も持たない。

果てしなく悪事を企てていた「凡庸ではない」4,000人のギャングのような人間集団が、六本木ヒルズに集まっていたと考えるならば、それはエキサイティングであり、凡庸のレイヤーを異次元に超越するものになるのであろうが、そうはうまくいかない。そうはうまくいかないのである。

彼らの多くは日々をやり過ごして暮らす、あなたと同じWorking Peopleであり、自らの企業の株分割の企ての意図も意識しなかったであろうし、堀江の数十分の一でしかない給料日を焦がれて待つものであり、残業代がつくかつかないかわからぬ深夜の勤務を気にかけるものであったし、タクシーの領収書が清算できるかどうかを、その日の重要事項として気にかける者であったろう。企業に対する忠誠心があったかどうかを今になって問うたとしても、もはやライブドアの企業存在とは何であったのか、この混乱した状況で「企業への帰属」を問うこと自体が悪い冗談であったとも思えるのである。

そうしたヒールに徹しきれない、ヒールになろうことすらかなわぬのが、あなたや私、多くの凡庸な人々と言うべき者達である。この「凡庸なる」人々の生に正しく照準は当たっているか。

ライブドアニュースに流れる記事の大半は、確かに既存のメディアからの切り貼りであるが、システムが非人為的に集めているのではなく、編集権は明らかに人為に委ねられている。さらにこの混乱に右往左往する社内の自らの姿も、ネットに報じている。これは何か。これも世論に合わせた「悪意」であったか。その余裕を持てる者たちであったか。
さらに、ライブドアPJと称して集めた集団は、心細いながらもかつてのライブドアの企業意志に基づいて構成された集団である。その集団は今回の事件に際して、自社にとって都合の悪い記事を、カットとまでは行かなくても、避けて通ることは出来たのでありその選択はあり得た。実際多くの既存メディアが自社の不祥事に際して、それをやってきたのであり、ここでライブドアニュースがそれを「踏襲」したからといって、責めるほどの余地もこの混乱の中ではいささかのものでもなかったであろう。しかし彼らはそれをしなかった。

ライブドアニュースは、今回の大カタストロフィに直面して、中にある者の凡庸さをもって考えるならば、見かけ上、「企業人としての忠誠」を装っても良かった。おそらくライブドアという企業は、そのことの是非はともかく、宮内ではなく堀江の企業であったのであり、堀江のいないところにコアはもはやなく、トヨタやSONYであれば発揮されたかもしれない企業人の忠誠心などは、発露の土壌すらなかったのであろう。

それは会社への忠誠心の問題であり、実はどうでもいい。過剰な正義感を見る必要もないであろう。問題は凡庸さである。

凡庸に生きるWorking Peopleであれば、ヒールに徹することもクールに徹することもできずに、なす術もなく検察の暴力とメディアの暴力に晒された。これら凡庸な人々への同情は、あなたや私の人生に対する同情と同義である。そうした意味で、昨日と同じように昼食を食べ、たわいもない歓談に生きていることの、ある種の安定を見ていた社員たちが、晒された暴力に際して、期せずとも選んだ選択の結果があのライブドアニュースの姿勢であることは、はっきりと認識すべきであろう。万分の一は評価しても間違いではない。

事象を深く見るとは、結局はレイヤーの切り替えにしかならないのであり、これら凡庸なる人々の、たまたまライブドアに籍を置いた社員たちの凡庸なる生をどう見るかは、たまたま武富士に籍を置き、かつて狂った債務者に焼き殺された女性社員の嘆きに照準を置くか、あるいは彼女の自業自得の罪と見るかという問題ともどこかで連なっている。

あらゆる事柄を原初より悪意で企てる「非凡な」人々はそう頻繁には世界に現れない。堀江ですらその例外ではないと思う。

彼らのために流す涙は、おそらく凡庸の最たるものであろうが、告白すれば、僕はその凡庸の涙をそれほど嫌ってはいないのである。

Inspired by Mr.Samejima's comment.


【参考記事】
心の中のライブドアショック----私たちは暴力装置の中で生きている
naoyaのはてなダイアリー -  ライブドアの技術の話
真価が問われるライブドアニュース(ガ島通信)
ライブドアニュースの中立性と寡占(現代期待システム論)

 

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Comments

一番感じるのは、そんなにコストかけなきゃならない部分なのかなここは。という疑問。
何だか仕事が手につかない。とか、アイロニカルな批評にエントリーをもって応えるとか、ライブドアニュースの姿勢には万分の一の評価があって良い根拠を述べる為に、長文を書くとか。
昨今は集中と選択が大事とされていて、それは人生が有限だからに他ならない。

そんな所にコストかけてると、人生なんてあっという間におわっちまうよ?と言いたくなってしまって仕方がない。

御意。御意。その通りでござる。(笑)
Junさんも私のエントリーなどにコメントする時間を、ほかの大事なことに使ってくだされ・・

いや、皮肉でなく謹言感謝。

トラックバックありがとう。市井の人々に光をあてた、愛情にあふれる文章だと思いました。

あのー、レイヤーって言葉、知らないんですけど。(頭ぽりぽり)

ライブドア・ニュースの姿勢に関しては、一度だけライブドアのパブリック・ジャーナリスト(PJ)の肝いり役みたいな人(LD外部の人みたい)に話を聞いたことがあります。(昨年3月ごろかな)ライブドアの戦略がどうあろうとパブリック・ジャーナリズムを確立するのが目的みたいな話でした。
普段、他媒体の記事をピックアップして配信している人は、いわゆるPJではなくて、LDの社員さんかもしれないけど、既存企業(メディア企業も含む)とはメンタリティーが違うかもしれないし、LDニュース部門の組織の雰囲気も今までの企業とは違うのかも…。結構あっけらかんとしているかもしれず、あるいは意識的に「自社にマイナスでもニュースはニュース」と歯を食いしばっているかもしれず…。

企業論としてもメディア論としても、力をこめて書いてもいいテーマと私は思いますが、ただ「凡庸」をキーワードに据えなくてもよかったのではないかと思います。
マスメディアの喧騒、ブログなど個人のメディアのセンセーショナリズムに対する違和感の対置なのかもしれませんが。

前回のエントリーでBigbangさんはライブドアニュースの姿勢に関して「姿勢には敬服」とか「彼らのフェアな報道姿勢は、素晴らしかった」とか書かれていたと思いますが、今回その評価を「万分の一は評価しても間違いではない」と、非常に慎重な評価に変えましたね。こういうのを「変わり身が早い」と世間では言うんでしょうけれど、ま、このことにおいて、私の書いたコメントの意義は達せられたと私自身は思っています。

結局、ライブドアニュースはフェアでもなんでもないでしょう。世論が堀江批判を望んでいるから堀江批判を並べてつつ、ぬけぬけと新社長の華麗なる人脈に軸をずらしていく。面白いもんですね。この時期にあえて堀江某擁護のニュースを掲載すればさすがの私も「こりゃ期待してもいいかな」と思うのですが、一向にその気配はないようです。批判一巡後に必ず「あれはあれで天才だった」的な論調になってくるでしょう。

この話、とどのつまりは熊谷史人新代表を中心とした新勢力のクーデターという側面があり、それに利用されるライブドアニュース、という構図しか私には見えないのですが、どんなもんなんでしょうね。

いやいや。笑

>今回その評価を「万分の一は評価しても間違いではない」と、非常に慎重な評価に変えましたね。こういうのを「変わり身が早い」と世間では言うんでしょうけれど

(あなたたちも)万分の一は評価しても間違いではない(のではないか)ということですよ。私の評価はもっと甘い。ですが

>私の書いたコメントの意義は達せられたと私自身は思っています。

これは同意。ここまで書くモチベーションを作ってくださったのは事実。

>とどのつまりは熊谷史人新代表を中心とした新勢力のクーデターという側面があり、それに利用されるライブドアニュース、という構図しか私には見えないのですが、どんなもんなんでしょうね。

熊谷氏もそうだがいかにも小者の印象。陰謀説をとればナベツネ(反小泉)と結託した旧勢力のクーデターのシンボルに新社長が祭り上げられたとも読めますね。で、ライブドアニュースが利用されているというのは、確かにそれはそれだけのことかもしれません。(そのレイヤーではね)

>にぶろぐさん

ありがとうございます。ライブドアニュースを仔細に読もうとしているブログとして、読ませていただきました。

>kuronekoさん

「凡庸」の使い方ですか。「平凡」とも「善良」とも違う。この言葉がなぜかぴったり来てしまったんですけれどね。何だか「過大評価」のような気がするんですね。1人1人の構成員に対してはよくも悪くも。ま、ライブドアという会社を常にメディアが過剰に読み違えたことが今に繋がっているんですが。

なるほど。

ということは、「彼らのフェアな報道姿勢は、素晴らしかった」という評価は、今日現在でも変わらずお持ちなわけなんですね。

私はそう見て最初の記事を書きました。

あなたが提示されたのは「あれはフェアなんて立派なものではない」という視点です。その見方には、そういう見方もあるなとは思い、議論を深めるには有益ですが、反面「フェアではなかった」と納得するに十分な「事実」も出てきていない今としては、当初の見方を変えるには至っていません。

BigBangさんの論って「白樺派」みたいっすね(笑)

>BigBangさんの論って「白樺派」みたいっすね(笑)

否定しません。(笑)

世論がライブドア叩きで概ね占められている状態で、自社のことを悪く書いている記事を集め、それをもって「フェア」と言えるのでしょうか。それは単に自虐性の裏返しにすぎないような気がしますし、もっと言えば「お涙頂戴」以外の何者でもないでしょう。絶妙なタイミングで「白樺派」という言葉が出てきましたが、言い得て妙です。

本当にフェアに徹するなら、世論がこういう流れになってきている時にこそ、堀江某を擁護する言論もあってしかるべきなのではないでしょうか。

勘違いしないで下さいね。私は「堀江某を擁護しろ」とは言っていません。クオリティーペーパーたらんとすれば、二つの相対する論を並列に並べるべきではないか、というのが私の意見です。そういう意味で、事件発生から今日まで、ほとんど一方的な意見しか並べていないライブドアは、やっぱりフェアではなく、素晴らしくもなんともない、という結論に至ります。

ひとつ質問を差し上げましょう。

何故ライブドアニュースでは元社長の立場を擁護する記事を掲載しないのでしないのでしょうか。是非、BigBang氏のご意見をお聞かせ願いたいです。

×掲載しないのでしないのでしょうか
○掲載しないのでしょうか

訂正します。

>本当にフェアに徹するなら、世論がこういう流れになってきている時にこそ、堀江某を擁護する言論もあってしかるべきなのではないでしょうか。

同意。ですが

>何故ライブドアニュースでは元社長の立場を擁護する記事を掲載しないのでしないのでしょうか。

という点については、私も不思議に思っていましたが、ぽちぽち掲載されていますよ。(PJではありますがね)世論に姑息に擦り寄るあまり、擁護論を掲載しないというのは、見識ではあると思いますが、そこまで極端ではないでしょう。PJではないところで掲載しないのは、会社利益を考えてなのか、精神的なもの(それはやめておこうよとか)なのかまではわかりませんが。


「堀江貴文の魅力とは」
http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__1670313/detail

「堀江氏を叩きまくるマスコミへ!? 三浦和義対談」
http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__1667123/detail

「ライブドア、産経の電子商店街疑惑報道を否定」
http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__1657357/detail

そして、何とこの私の記事が「関連ブログ」としてリンクされていますよ。擁護論と取ったか?ライブドアニュース。笑

http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__2006_0116_01/headlines

>私も不思議に思っていましたが

ほんとかなあ(笑

ま、確かにぽつぽつ出始めていますね。「堀江貴文の魅力とは」はPJだけでなく、トップからリンクされていますし。

まったくフェアではない、という意見は撤回しましょう。
失礼な物言いありましたこと、お詫び申し上げます。

ちょっとづつ変わっていくかもしれませんので、全否定も賞賛もせず、冷静に見ていきましょう。

冷静にな総括としては、ライブドアのことについて直接言及しているわけではないのですが、下記のブログのエントリーの最近の物が至言であると思います。

http://www.kitazawa-office.com/saka/

同意です。
いろいろ突っ込んでいただいたおかげで、こちらも補充された部分があります。

ご紹介いただいたところ、読んでみます。

 こんにちわ。
 Bigbangさんのテキストには、凡庸なる者、現場の人間への温かさを感じます。
 いろいろな思惑が錯綜しているだろうけど、ニュースの編集現場の葛藤を想像すると、こちらのエントリには、胸を打たれざるを得ません。
 凡庸な涙は、自分も好きです、実は浪花節なのかな?

 白樺派…には自分も同意^^;
 秀逸な記事に拍手拍手です。

わたし、白樺派って、一度ぐらい誉められてみたいなあ。

冷徹な分析家なんぞとは、別に言われたくはないけど。(おちゃめな皮肉屋ならまだ多少嬉しい)

ありがとうございます。携帯でこのコメントを読んで、携帯に頭を下げました。(笑)

>わたし、白樺派って、一度ぐらい誉められてみたいなあ。

この場合、誉められているのではないようですけれど。苦笑

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