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March 07, 2006

finalvent氏を支持する(1)------ホテル・ルワンダを巡るカオスについて

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特定の人物を支持するタイトルは、基本的には好ましくないと思っているが、例外はある。その例外は今だと思っている。

最初に状況の整理を行い、その次にfinalvent氏の提出した視点について検討したい。

まず町山さんに敬意を表したい。僕は煙さんとのやりとりで、こう書いたけれど、

町山さんは、彼女の「ひどい」エントリーには反論されていますが、ここで、あるいはuki_gumo氏とあなたとの間で問題になっていることに関しては、 これまでのところ態度を表明されていません。この態度表明が知りたいと私は率直に思います。氏がコメントやTBを拒絶しておられるので、こうした対話が不 可能なことは残念なことです。

本音を言えばまさか町山さんから、状況に対する発言が出てくるとは思っていなかった。理由は、彼の置かれた立場が非常に面倒な立場だということに尽きる。僕がその立場であれば、正しく自分の意図するところを表現できていたかどうか。

今回の件は、初期の「ある読者」によって大なる不幸がもたらされたと思っている。前のエントリーでも書いたが、たった一文に反応して、それを一民族の蔑視まで明らかに、しかも無知に拡大したエントリーの罪は深く、僕は許すことが出来ない。許すことが出来ないが、その後ブログスフィアの言論は思わぬ経緯を辿った。僕なりにこれまでの経緯を簡単に整理する。

(1)ある読者のエントリー(リンクはしない)
→町山氏が「ホテル・ルアンダ」に関するパンフレットの一文で、関東大震災の朝鮮人虐殺に触れたことに対し、「知らぬことは知らぬ」としながらも、明らかな町山氏への侮蔑的表現、および朝鮮の方への民族的侮蔑的表現を行った。

(2)それへの町山氏の反論
→おそらく平静ではおられなかったと思う。エントリーで反論をされたが、これは「ある読者」への攻撃の要素を持っていたと思う。


(3)ネット上で、「ある読者」への非難が高まる。
→はてブその他で、「ある読者」の、民族的差別発言に対する非難が巻き起こった。

(4)「ある読者」の差別意識には異を唱えながらも、最後の一文に対して「違和感」を唱えるいくつかの言説が巻き起こった。(私のこのエントリーはこのカテゴリーに属する)

(5)「批評する資格」が煙氏より問われ、パンフレット全文がアップされた。

(6)finalvent氏より、finalventの日記 - ルワンダ虐殺と関東大震災の朝鮮人虐殺とは異なるがアップ。しかしはてブ中心にブログスフィアは猛反発。

(7)町山氏より、「状況に対して」再度のエントリー。ベイエリア在住町山智浩アメリカ日記 - 「わかってもらえるさ」RCサクセション。紛れも無く心打つ内容であったと思う。先のエントリーに比べて彼の心の声が確かに聞こえる内容であった。

人により異なるかもしれないが、これが僕の捉えている、大まかな流れである。さて

参照に関する違和感は虐殺を肯定することではない。

さて、町山さん、まず最初に言いたいことは、関東大震災に関する参照に違和感を表明することが、何も「虐殺を肯定すること」ではないのです。あなたの参照への違和感を「感じる」、あるいは「感じない」を問わず、一定の分別のあるブロガーは(例外もあるが)全て、あなたへの由なき侮蔑を許さない。そして、あなたの出自に関わる事象への侮蔑を許さない。これは絶対的な事実だと思ってもらいたい。当初の「一読者」のエントリーが、余りに非常識かつ無知かつ非道なものであったために、この議論は不幸な軌跡を辿ることになった。それは本当に残念だと思う。一定の水準以下の人物を相手にすることは時間の無駄ではないかとまで思うのである。
しかし、一定の「水準の」ブロガーであれば、誰もあなたへの侮蔑を許さない。それはfinalvent氏も、uki_gumo氏も、lazarus_long氏も、煙氏も、他のブロガーも、そして私も。これをまず確認したい。

では「違和感」の実態とは何か。

既に私は、引き寄せずとも寄り添えるのではないか。-----ホテル・ルワンダと関東大震災を結ぶ視点で違和感についてある程度までの表明を行ったが抽象的だったかも知れない。ここでさらに3つの点を指摘したい。

(1)国際社会という視点について

「ホテル・ルワンダ」で取り上げられている深刻なテーマは、虐殺に対する国際社会の対応というところがある。映画の中で取り上げられている国連軍の悩みは、そのまま国際社会の悩みである。虐殺は忌むべきことである。しかし今後も起きないという保証はない。我々にしてみても、二度と隣人を傷つけないということは言えないかもしれない。虐殺を避けるために我らは全力を尽くすべきであるが、それでも「起きてしまった」虐殺に何ができるのか。それが残念なことに今の人類の英知では国連を中心にした介入しかないのである。ところが、その「介入」の実態について我らはどれだけ無知か。それを描いたのが映画「ホテル・ルワンダ」である。その中にあって、苦渋の怒りを爆発させ、平和維持軍の枠組みを超えても、ホテルの人々を守ろうとするオリバー大佐や、決死の状態でことに当たる赤十字の女性。肌の色を超えて尽力する人々が、主人公の周辺にいる。これは、我らの最後の救いであると同時に、世界に同様の出来事が起きたときに、我らは、そして国際社会は一体どうすればいいのかという重い問いでもある。

さて、関東大震災における惨劇に「国際社会の視線」は存在したであろうか。否であろう。「参照されるべき」惨事に、映画においては重要な視点であるこの点に関する解答は見出せない。これがまず映画と件の惨事との違和感の1点目。

(2)フツとツチの抗争とは何か

映画でも描かれていることであるが、「フツ」と「ツチ」との間に民族的な峻別はない。かつての宗主国ベルギーの支配に対して、協力する者達を、ベルギー人は「ツチ」と呼び、非協力的な者を「フツ」と呼んだ。あの虐殺は民族抗争「ですら」なかったのである。その空しさ、空虚さ、馬鹿馬鹿しさが確かに映画では描かれていた。パンフレットから引用しよう。

国家としてまとまっていたルワンダを分裂させるためにベルギーが利用したのはフツ族とツチ族の容姿の差。黒い肌に平らな鼻と厚い唇、そして四角い顎を持つフツ族に対し、薄めの肌に尖った顎と、よりヨーロッパ人に近い容姿のツチ族をベルギーは経済的にも教育的にも優遇。1933-1934年にはすべてのルワンダ人をフツ族、ツチ族、そしてトゥワ族に分類し、人種が記されたIDカードまで発行する。

さて、我らと朝鮮民族とは、「何者かの視線」によって峻別されたのであろうか?否であろう。無理やり恣意的な視線で分断されたのか?否であろう。その点において、ツチとフツの悲劇は、西側の宗主国による分断政策の所産であり、実態はない。実体が無い差異において悲劇の空しさ、やるせなさが、関東大震災を参照することで、真に我らにわかるのであろうか。この点において、ルワンダの悲劇の空しさは遥かに「我らの悲劇」を上回ると思う。これが違和感の2点目。

(3)我らは、そしてあなたは客観的なりうるのか。

ツチとフツの悲劇に、想像しうる限り我らの関与はない。いや、100%無いとは言えぬのかも知れないが、少なくともBigBangの知力では想像しえない。我らはこの悲劇を、客観的に批判できるのであって、確かにそのことの無責任さもあるかもしれぬが、父祖の過ちを抱える身にならずに済む。その立場からの結果がどうであれ。finalvent氏が言う「歴史に埋め込まれている感じ」というのは、おそらくこの感覚を言うのである。そしてこの感覚がわからぬと言われれば、言葉を失う。

 

関東大震災の朝鮮人虐殺はルワンダ虐殺とは異なったものだ。それが同じように痛ましいできごとであるとしても。
 それがどのように異なっているかを日本人が内的に問うことが日本人に課せられた課題であり、その考察と日本人同士の対話が果実を結び得るなら、日本人の未来に類似の悪夢を消し去ることが可能になるだろう。
 そうではなく、普遍的な、歴史から切り離された、あたかも宗教的戒律のように問われたとき、それにただ頷くことは盲信と異なることはない。( finalventの日記 - ルワンダ虐殺と関東大震災の朝鮮人虐殺とは異なる)

 

さて、我らの国で起きた惨劇のほうはどうか。朝鮮の人たちを「たたき殺した」のは、あるいはあなたの祖父であるかもしれないのである。私の祖父であるのかもしれない。そして町山氏の父祖がたたき殺されたのかもしれないのである。我らは、そして町山氏はこの状況下で、真に冷静な評価ができるのであろうか。否であろう。それを「あなた」は真に意識しているか。畢竟これはこの問題の永遠のジレンマであり、「引き寄せる」ことにより、かえってルワンダを客観的に見ることが困難になるのではないか。これが違和感の3点目。

長くなった。次のエントリーでfinalvent氏の提出した視点について検討する。

finalvent氏を支持する(2)------無限の虐殺のリプレイス

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Comments

TBさせて頂きましたが、すいません、二重に送信してしまったようです。
お見苦しいと思われましたら、お手数ですけれども削除願います。

 はじめまして、つよぽんです。以後お見知りおきを。ホテルルワンダは見ましたが、こんな脇の話で話題になっているとは思いもよりませんでした。

条件状態が同じという事件が、世の中に二つと起こる訳ではありません。 仮定ですが、もし日本の東の端で夜中高校生がビルから小学生をつき落としたとします。一方、日本の西の端の人通りの激しい通りで昼間老婆が小学生を刺し殺したとします。この二つの事件で場所・時間・犯人の年齢・性別・状況・殺し方がすべて違います。しかし、もし両者に小学生を殺して見たいという猟奇的な願望があったならば、同質な問題として対にだして語ることもできます。
 ルワンダの場合、確かにフツ勢力は計画的でした。しかし、末端の民兵まですべて計画どおり統制されていたか少し疑問が残ります。なぜなら、つねに民兵が親玉に従うわけではないということを、ティモール問題について書かれた伊勢崎賢治氏の本で知ったからです。 統制を外れて行った殺戮は個人の行為であり、このことにおいて「関東大震災の事件」はつながってくると思います。
 そして、ポール=ルセサバキナ氏によれば「フツもツチも一緒に暮らし、お互い憎しみあっている訳ではありませんでした。もし、そうであったとするならばそれは指導者のためです。そして、大統領が暗殺され事態が変わってきました」(ピースビルターカンパニー主催「今、アフリカで何が起こっているか、「ホテル・ルワンダ」のメッセージ より)ということで、憎しみあった対象同士でなかった両者が、とある事件により対立し合うようになるという面でも「関東大震災の事件」と接点があると思いました。

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http://ultrabigban.cocolog-nifty.com/ultra/2006/03/finalvent_63d2.html#more 論旨には概ね肯けるのですが、私はどうもこの文章それ自体に「違和感」を禁じえない。 私の誤読でなければ、BigBang氏の主張は「ルワンダの殺戮を、『関東大震災時の朝鮮人虐殺』によって『我々の問題』と称して引き寄せる事で、結果的にルワンダを『遠い存在』にしてしまってはいないか?」という事になりましょうか? ……これは、私自身がそうは思わなかったし、見... [Read More]

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