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March 07, 2006

finalvent氏を支持する(2)------無限の虐殺のリプレイス

■ルワンダ虐殺と関東大震災の朝鮮人虐殺とは異なる(finalventの日記)

私はこうした言及を安易に聞き流していいのだろうかと自問した。よくないと思う。
 そうでなくても旗幟のみが問われる問題になりそうなので、結論を先に書いておこう。それは、ルワンダの虐殺と関東大震災の朝鮮人虐殺はとても異なるものであり、その差異をどう理解するかが日本人に問われるということだ。「あなたの子をアウシュビッツに送らないと誰が保証してくれよう」という懸念を、もし可能なら、薄めておきたいのだ。


差異について無自覚であることを批判することは、発言者を侮辱することでも愚弄することでもない。そして、もしも将来の虐殺を我らが避けようと思うのなら、それは無限の過去の事例の分析の中にしか、おそらくないであろう。ないであろうが、それだけにその分析は慎重にも慎重でなければならない。1言で全てを納得できる筋合いのものではないであろう。一方で町山氏は朝鮮人虐殺の例を引かれることで、既に多大な役割を果たされている。それは氏の言うように、この事件を遠いアフリカの自分と関係の無い出来事と考える人々への警鐘という意味において、である。しかしこの「成果」はあくまでもその目的の達成という「意味以上の意味」を生成するには無理があると考える。二つの事件はどこまでも異なることであり、それを一言で同一視することは、やはり無理があるのだ。(無理の理由のいくつかはfinalvent氏も挙げている。僕も先のエントリーfinalvent氏を支持する(1)------ホテル・ルワンダを巡るカオスについてで触れた)

特に重要なのは、関東大震災の朝鮮人虐殺といっても、その部落襲撃もなければ、その所有物の盗み出しなどもないという点だ。(同上)

略奪があったかどうかなどとは、大したことではないと言う者もあるかもしれない。そうであれば、僕はその人に問いたい。

あなたは映画を見たのか、と。

ツチとフツの泥沼の復讐譚は、生易しいものではない。映画にはその恐怖が描かれる。主人公ポール・ルセバギナ氏は豊かなフツである。危機に瀕して金の力で何度もその修羅場を潜り抜ける。しかし、追い詰められる街の貧しい人々と民兵は、混乱に乗じてレイプと略奪に走る。警察までもが金を積まないと動いてくれない。社会はもはやその形を止めず、夜に紛れた略奪と暴力は国家を根本から破壊する。

その混乱が100万人の死者という人類史上に残る大惨事を生んだ。その恐怖を想像するに、我らは震災の件を思い出さないとそれを嫌悪し、それを憎み、それを繰り返さないと結審決心することはできないのであろうか?彼らに寄り添うことができないのであろうか?
我らの国に起きたことを考えることで、彼らの惨事を「引き寄せる」と称して、実はそこから先は我らと朝鮮人との不幸な歴史を考えることで、ルワンダについて考えることを放棄していないか?ここでも我らにとって「遠いアフリカ」を遠ざけることになっていないだろうか?

問う。あなたはその努力を本当にしたか?

 たぶん、現代の日本人でも、そういう襲撃や略奪のことは想定もできないことではないだろうか。しかし、他国の歴史に見られる虐殺には普通につきまとうことなのだ。
 この日本人のズレた内的な史的感覚――それは他国の歴史を知ればお人好しすぎる甘えちゃんとしか見えないような感覚――が、歴史の意識を無化し、人類の普遍的善意みたいな仮説をおびき出させ、誘導に頷かせようとする。(同上)


■洒落のわからんやつ
(finalventの日記)

※このエントリーにおいて「洒落」という言葉は不適切であり「アイロニー」とすべきではないかとコメントした。finalvent氏はそれを受け入れ、追記に応じてくれた。

僕は「非人道的とはどういうことか」という一連のエントリーを書いた。そこで一貫して問題にしたかったのは被害の視点と加害の視点の両方を考えないことには、真に他民族の不幸にも思いを寄せることができないのではないか、日本も責任ある立場を果たせないのではないかということであった。僕にとっては、今回の件もその延長線上にある。加害の視点からだけでは見えないものが必ずあるのである。(もちろんそれは被害の視点も単独では成り立たないということを意味している)

ここで言えば、朝鮮民族への虐殺を言うのであれば同等に、東京大空襲や原爆の体験はどうなのか。それは「近接する隣人」同士の殺し合いではないから、ここで言う「参照」にそぐわないのか。米国人が口にする、原爆へのあるいは9.11への、真珠湾攻撃の対比(リプレイス)はどうか?あるいは、国民党による台湾原住民への大虐殺「二・二八事件」はどうか。この例でも良いのか。それは我らの父祖が関係していないから不適切なのか。

finalvent氏が、

 町山さんは、虐殺の一般性・人間性に着目し、別に関東大震災の朝鮮人虐殺と特定されないと主張している。
 だから、それなら、通州事件でもいいわけだな、という洒落だよ。
 実際、町山さんの議論では、全ての虐殺は同じだから、そうなるでしょ。町山さんの議論を読んでいるか?
そこは町山さんが優れた見識を持つ点でもある。加害と被害を止揚する視点は評価に値する。
 しかし、追従者に私は疑念を持った。

と「通州事件」を論じている真意は、「アイロニー」なのである。つまり私なら「二・二八事件」を出すかもしれない。東京大空襲を出すかもしれない。もちろんこれらが「朝鮮人虐殺」よりも適切だという意味ではない。それら無限の虐殺のリプレイスの向こうに一体何があるのか。彼の事件を身近に引き寄せるという意味か?それを理解するためになぜ我らはルワンダから遠く離れなければならないのか?そしてダルフールでも同じ手法を使わなければ、我らは起きていることへの共有の視線をもてないのだろうか。

期せずして町山さんも言及されている「ミュンヘン」のラストシーンでの、あの「塔」に復讐の連鎖の空しさを見ることと、何が違うのか?
つまり虐殺の恐ろしさは、「加害者」であればわかり、「被害者」であれば理解できないことなのか?その逆か?加害の経験と被害の経験にこだわり続けることが、かえって「復讐の連鎖」につながる可能性がないと言い切れるか?私たちはそこも乗り越えなければならないのではないか?

彼の「彼らしさ」は、それでも随所に見えるユーモアに。そしてニューヨークで復讐に脅えて暮らすアフナーが歩くラストシーンの彼方の空に、無限の報復の空しさを象徴させるかのように、今は亡き世界貿易センタービルの2本のビルを、合成で再現したところだろうか。 もちろん1972年当時、あの時、確かにあの建物はあの場所に建っていたのだけれど。
印象的なラストシーンだった。(
ミュンヘン----国家の絶対的物語と3人の女 BigBang)

我らが自らの歴史に頼らなければ他の民族の上に起きた事態を想像できないとすればそれはfinalvent氏の言うとおり

この日本人のズレた内的な史的感覚――それは他国の歴史を知ればお人好しすぎる甘えちゃんとしか見えないような感覚――が、歴史の意識を無化し、人類の普遍的善意みたいな仮説をおびき出させ、誘導に頷かせようとする。

としかならないのではないか。
そしてこの「甘えちゃん」を作っているのは、断じて町山氏ではない。町山氏の言論の成果を、「映画も見ず」「引用されたパンフレットを読み」わかったように盲従しようとしている無数の無責任な言説の群れである。そもそも、仮に氏への「差別」があったとして、その氏の言説も、常にその観点からしか評価できないとすれば、それは支持すると見せかけた内なる差別ではないのか。

finalvent氏は今回何度か、適切でない表現をしたかもしれない。しかし、今回の事態の原点は何なのか知っている数少ないブロガーであると僕は評価する。このブロガーの問いかけに集団で罵声しか浴びせられないとすれば、あるいは言葉尻の揚げ足しか取れないとすればその者共は、歴史的状況が少しでも変われば今度は町山氏に刃を向ける者になり得るのではないか。

我らと町山氏は、ある一読者によってこの問題に不幸な形で向き合わされた。その不幸を乗り越えて、この問題の中心は何なのか、考えるべきである。自国の歴史的事象を参照することで彼らの悲劇を体感できる者もいようが、参照しないで体感しようとするものもいる。その両者を保証しないで歪んだ「逆差別」の論を立てないようにすべきではないか。

僕はそう考える。

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Comments

こんにちは。はじめまして。
finalvent氏が「アウシュビッツ」や「通州事件」を歴史的に固有のそれとしてではなく、未来に起こりうる事件のメタファーとして使用している点はどう思われますか。
つまり、「『あなたの子をアウシュビッツに送らないと誰が保証してくれよう』という懸念」、「日本人がこれからの世界で向き合う問題は、通州事件の巨大化でもあり」といった部分ですが。
この点は、一方では歴史の固有性・一回性を言い、一方では歴史の普遍性・反復性を言うダブル・スタンダードである、という以上に問題があるように思います。特に「アウシュビッツ」については。finalvent氏は「誰が」、「あなたの子をアウシュビッツに送」りこむかもしれないと恐怖しているでしょうか。


この点、後ほどトラックバックするかもしれませんが、取り急ぎコメントさせていただきました。

はじめまして・・ですがご高名はかねがね。(笑)
finalvent氏は、個別のケースとしてのルワンダと関東大震災時の虐殺との差異は言っていても、普遍的な「歴史の固有性・一回性」は主張していないのではないかと見ますがどうでしょうか。私もすべての「歴史的メタファー」を否定するものではありません。考察が仔細に行われているのであれば。

>特に「アウシュビッツ」については。finalvent氏は「誰が」、「あなたの子をアウシュビッツに送」りこむかもしれないと恐怖しているでしょうか。

すみません。ここの部分はおっしゃっていること、あるいはJonahさんの問題意識がよく読み取れません。

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