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March 29, 2006

オウム事件・高裁の控訴棄却決定に思う。---村井秀夫を刺した男の残像

松本被告弁護側が控訴趣意書を提出
 オウム真理教の松本智津夫被告(51)の弁護側は28日、東京高裁に控訴趣意書を提出した。
 同高裁は27日、昨年8月31日の提出期限までに趣意書が提出されなかったことを理由に裁判を打ち切り、控訴を棄却する決定をしており、同決定で「現時点で、控訴趣意書が提出されても認められない」と述べている。
 また、弁護側は、控訴棄却決定に対する同高裁への異議申し立てを30日に行う方針を明らかにした。(読売新聞) - 3月28日23時47分更新

この数週間の出来事がなくても、この男のことは考え続けていた。麻原こと松本智津夫のことである。1991年9月「朝まで生テレビ」に登場したこの人物のインパクトは今でも諸所で語られ続けているとおりである。「この人物は本物だ」心の奥で蠢く危険なざわめきが、あの時確かに胸の奥にあった。

仏教の何たるかはわからない。宗教もおそらく把握していなかった。しかし結果的には、考えられるあらゆる宗派に一度は顔を出した。そうした巡航に疲れ、そ うした巡りに疲れ、そういう中にあってチャンネルを回したとき。画面の中央になにやら大きな白い椅子に座って、この人物がいた。多くの宗教者が、浅薄な台 詞でテレビアピールに余念がない中、この男の言葉は迷いがなかった。白いクルタ(というのだと後から知った)に包まれた不機嫌そうな顔を見つめた。何か見 てはいけないものを見たような気がした。聞けば「朝まで生テレビ」の放映直後に入信した信者が多かったと、ずいぶんたってから知った。それもうなずけた。

あの時自分が感じた「この人物は本物だ」と思ったあの感覚。今思い出すと身震いのするような不思議な感覚を事件後、僕は忘れようと努めた。その「本物」感とは今思えばいったいどんな「まがいもの」だったのだろう。

そして。

拭うことのできない不快な、忘れることのできない、ざらっとした黒い感じは今でも胸の奥に留まっている。時に僕はそれを思い出して今でも身をすくめる。しかしあのとき、それだけでは済まなかったのだ。村井秀夫のことである。

真相は解明されなかった。日本社会は、真相を欲してはいなかったとすら言える。ここで急に話の位相を変える。「と」がかかって聞こえるかもしれない。が、私はオウム事件の真相の大きな一部は村井秀夫暗殺にあるのだろうと考えている。もう少し言う。村井秀夫のトンマな妄想は残酷だがお笑いを誘う。この間抜けな人間に組織化した殺戮のプロジェクトがこなせるとは私は思わない。およそ、ビジネスでプロジェクトを動かした人間ならその背後に、それなりの玉(タマ)が必要なことを知っているものだ。(極東ブログ「麻原裁判に思う」2004.02.28)

あのとき。1995年4月23日。その男は取り囲む報道陣でもみくちゃにされている村井の前に、人ごみの中から幻のように現れ、村井を刺した。村井は何か顔を少しゆがめ、崩れるように青いクルタのまま倒れた。あの瞬間。日本中が震撼し絶句した。一体何が起きたのか。

村井の----いや、ここで書こうとしているのは実は村井のことではない。

村井秀夫を刺した男。徐裕行のことである。

事件後、徐の経営していた会社名が報道されたとき、何年も忘れていたあのざらっとした黒い感じがよみがえった。オイルのように胸の奥に粘りついていた液体のような。何だろう。この不快な気持ちは。

僕はこの男を知っている。

「その年」の2年前の暮。ある酒類関連企業のクリスマスイベントの出演者の仕込みのために、僕が偶然電話をかけた先が徐の経営していたイベント会社だった。当時僕は別のイベント会社のプランナーをしていたのである。ニュースを見てから、その会社のパンフレットをあわてて引っ張り出すと、確かに代表取締役として徐の名前が記載されていた。打ち合わせでその事務所には確か1回しか行った事がない。しかし霧の中に消えそうな記憶の中で、古い雑居ビルのオフィスの奥に、ぼんやりと座っていた、がっしりとした男の映像が脳裏に蘇った。背中だけ向けてこちらには顔を見せぬ男。口をきいたことはなかった。

あれが徐だったのだ。背筋を冷たいものがよぎった。あの男が村井を刺したのだ。

徐の会社には2回仕事を出し、2回とも順調に終わった。徐の経営する会社は業界ではそこそこ知られていた会社だったのだが、事件後、徐の所属として語られることはあまりなくなり、その代わり「右翼結社構成員」という肩書が多く冠されるようになった。その後その会社がどうなったかは知らない。

徐はなぜ村井を殺したのか。

その事件とは、オウム真理教一連の事件のなかでも、もっとも不透明で謎に満ちた、村井秀夫刺殺事件のことである。村井「オウム真理教科学技術省」長官はなぜ殺されねばならなかったのか? 事件直後から噂が飛び交ったように、刺殺事件は村井にたいする口封じだったのだろうか? ただ、それだけだったのだろうか? 実行犯・徐裕行の背後には、事件直後から暴カ団関係者の介在と、北朝鮮工作組織の影が色濃く噂されてきた。
オウム真理教の一連の事件を、北朝鮮工作組織との関係のなかで再検証しようとするこの連載のなかで、この村井刺殺事件はどうしても避けて通ることのできない事件のひとつである。さらに言えば、オウム真理教の一連の事件の背後に横たわる、これまで明らかにされてこなかったもうひとつの隠された真実を解明する、重要な手がかりを与えてくれる事件であった、と言うこともできる。
事件の再検証をはじめるにあたって、あらかじめ述べておきたいのだが、一回の記事だけではそのすべてを書き尽くすことは難しい。何回かにわたって作業をつづけるが、この事件が、それだけ深い闇と陰謀に彩られているのだ、ということだけは冒頭に述べておいてもいいだろう。( -週刊現代 1999年10月15日--高沢皓司(ノンフィクション作家)「オウムと北朝鮮」の闇を解いた__9 )

徐は当初「義憤にかられて」青山のオウム総本部に来たと主張していたが、その後山口組系暴力団・羽根組(三重県伊勢市)幹部の上峯憲司に指示されたと主張。上峯が共謀共同正犯の疑いで逮捕されたが、捜査から公判段階まで一貫して事件への関わりを否定。1997年3月、東京地裁で無罪判決。1999年3月29日、東京高裁でも1審に続いて上峯は無罪判決となり確定している。
同種の村井刺殺事件を巡る噂は、他でも多く語られており、北朝鮮疑惑は有名な疑惑として疑惑のままフィックス(おかしな言い方だが)された形になっている。

果たして松本智津夫は真実を知っていたのか。

そして、オウム事件の数々の謎の中では村井の刺殺事件も、ほんの一部を占めるに過ぎないのだが、村井が刺されたことで失われた物の大きさに世間が気づいたのは、それからずっと経ってからのことである。村井がサリン事件の首謀者であったかどうかは不明であるが、オウム事件の真相を解明するキーマンの一人であったことは紛れもない事実であり、村井の死とともに永遠に失われたものは、悔いても悔いきれないほど大きい。オウム事件はまさに村井の死と、そして事件後11年を経ての、松本智津夫の不可解な沈黙、そして今回の高裁の控訴棄却処置の前に、まさに事件全体が闇に沈もうとしている。

作為か、狂気か。松本智津夫の深い沈黙が続く限り、たとえ裁判を続行しても我らの辿り着ける場所は、限られた場所なのかもしれないし、もしもそれが人知を超えた不可思議さの闇の中に沈むのであれば、我らは天を仰いで不可解さの無慈悲の前に畏怖するのみだったかもしれない。
この世には想像もできないことが起きるし、その想像もできないことの解明を、遥か後の時間になってから望むことは、輪をかけて我らの達すことのできないことなのかもしれない。
それにしてもである。その場所へ我らが進むことが、弁護団の書類提出の有無といった、いたって事務的な理由で閉ざされるというのは、なんとも割り切れない思いが残る。

弁護団は昨年8月以来2度にわたって控訴趣意書の提出を遅延しており、特に8月当時においては、50ページにも及ぶ趣意書を裁判所にまで持ち込みながら提出を拒んで再度持ち帰っている。法の厳格な運用によれば趣意書が提出されないところで控訴審を続行できないのは道理であり、いくら弁護団が松本被告の精神鑑定の内容に異議があったとしても、この大失態を法的に抗弁することは最高裁判所への異議申し立てをもってしても難しく思う。

しかし他方、今回の急展開が松本智津夫の死刑確定にまでつながり、同時に社会に事件の「急激な」清算を望む声があり、それが裁判所が無視できないほど大きいことも、裁判官の過激とも思える棄却決定に影響を与えているのではないかと思うと、オウム裁判が真に譲ってはいけないものが何であったのかあらためて考えさせられる。
「真に譲ってはいけないもの」はオウム事件の全ての真相を、可能な限り我らの前に開示することであり、松本被告にそれを限界までなさしめることだったはずである。

僕が徐の会社に依頼したのはバグパイプの演奏者だった。スコットランドの民族衣装に身を包んだ演者が独特の哀感を帯びたバグパイプのメロディを奏でながら歩くのを見るたびに僕は、村井が刺された夜のことを思い出す。そして記憶にぼんやりと霞むオフィスで見た徐の背中を思い出す。

真実に迫ることは迫る者も迫られる者も命震えることなのだ。命震える感覚を失った全ての論議には意味がないし、一片の価値もない。

「何とかならないものか。」超法規とは言わない。
断固として言わないが、「何とか」ならないものか。こんなにも無様に、こんな形で我らは不可知の闇に屈していいものなのか。

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