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March 17, 2006

境界の人

おそらく異界と「こちら側」との境界線は、人が思うほど明確ではないのだろう。

異界にいる人には「こちら側」が異界であろうし、境界線上にいる人にはいずれの世界もが異界なのかもしれない。
「こちら側」の人間の居心地としては、こうした曖昧茫漠な領域が、私たちの住む世界のすぐ隣にあることは、あまり気持ちの安らぐことではないことだけは確かである。しかも、ひとたび「異界」であると認識されてしまえば、そこから境界を越えて「こちら側」に戻るのは容易ではない。「境界に立つ」人にとっては、はなからどこが「異界」であり、どこからが「こちら側」なのかさえ、わからなくなってしまっているのかもしれない。あなたは自分の立っている場所の位置がもはやつかめないでいるのではないか。

境界にいるあなたが、「こちら側」にいるのだ、あなたと同じ世界にいるのだと英知を尽くして説得しようとすればするほど、益々その「異界ぶり」が浮き彫りになるのはどういうことだろうか。

部分の説明ができても全体が説明できない。
全体を説明しようとすると部分がずれる。

あるいは誰の心にも異界というものがあるのかもしれないのであり、我と彼との違いは、その異界が牙を剥いた過去があるのか、ないのか、それだけの差異なのだろうか。
それだけの差異--その差異がなした至上の残虐に比べて、その差異はほんのささいなことなのかもしれないとは確かに思う。

とすればあなたと私たちは、ここからどこへ向かって歩けばいいのだろうか?
どこへ向かって進むことが私たちやあなたの「救い」になるのだろうか。

一番わからないのは、そのことについてなぜ自分がいつまでもこだわり、考え続けているのかということである。

少々疲れてもいる。

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Comments

おつかれさまです。某氏は姿を現しませんが、ことがことだけに身の安全を確保するのが第一。BigBangさんもあれこれ身辺気をつけてください。これマジ。
ま、今回の事件は、ネットの世界ではひとつの試金石になるでしょう。
アルファとか2.0とか盛んに言われているものの実態がどれくらい貧しくて、下手をするとすぐにカルトに絡め取られてしまう、というようなことが如実に滲んだお話であろうかと思われます。
すぐに、実態のない「市民」なんてものを信じてはいかんのですよ。
デイトレに浮かれていた方々と、奥の方では薄く通じているところもある。

さて、本エントリですが「境界性人格障害」という概念をご存知ですか。
80年代頃から言われてきたものですが、ネットの世界はそういった人格のかたちが増殖しやすい環境にある。特徴は色々ありますが、内部における空洞と最後の自滅。
一見極めてよく適応しているかのようにみえるけれども、適応しすぎていて、あるいはそれが巧みすぎるが故にその「操作」が透けてしまう。他人を操るということが、大きな特徴です。文献あたってみてください。

ガガガ通信についていえば、ブログを転職なり階級上昇のひとつのツールとしてみている訳でして、それ以上でも以下でもない。強いものにその時近づくだけで思想性はありません。30代新自由主義者の典型みたいなもんでしょう。これからは恐らく戦前の出稼ぎ国士みたいな役割を本質的には貧しく果たしてゆくでしょうね。
ただ、こうした存在が一時もちあげられていたという状況。その延長戦上に件のブログの問題もあるわけでして、この辺りは極めてリアルに捉えていかねばならない。構造的なんです。
いずれにしても、BigBangさんは面が割れてますので、言いたいことも言えないかも知れません。それを踏まえた上で、ここ一連のエントリは高く評価しています。

すみません。やっぱり微妙な問題で出すぎたことを申し上げたと反省いたしました。
上記コメント、削除していただければ幸いです。申し訳ありませんでした。

削除をご希望なのは、「とりあえず付記など」でしょうか。同一性を間違えて他の方のものをけさないようにと思いまして。
内容は、おっしゃるような「出すぎた」ものではないと思うのですが。もう一度削除の意志とコメントを確認特定していただけますか?

はい、そうです。「とりあえず付記など」です。
境界性人格障害について誤解されると少々問題かも、と思い補足したのですが、こちらは精神系のサイト様ではありませんし、あまりに唐突で失礼だったと反省しました。そちらで特に必要となさらなければ削除していただけたらと思います。お手間取らせて申し訳ありません。よろしくお願い致します。

疲れますね、哲学的で。
いつまでもオウムなんか相手にしてないで、いつもどおりおもしろい話きかしてくださいよ。

コメントいれていませんが、ずっと読んでいます。

わたしもわからないけれど、そのことについては、わたしもこだわり、そして考え続けているような気がしています。考えれば考えるほど、そして今回の件への意見や反応や、そして彼がかつてだした結論からも・・その差異が本格的にわからなく、なってきているんです・・。だからとても、混乱しています。なにが、両者をわけているのだろう・・・ 

これは、わたしたちが、いつか必ず言葉にできなくちゃいけないものなんじゃないか、という気だけは、していて、でも、その言葉が見つかったら、またあたらしい何かを傷つけていくのかもしれないとも思えて・・・とても複雑な気持ちです・・・


いま、ただいえる1つのことは、わたしにとって、BigBanさんは、"ブロガーという生き物"ではなく、一人の人間です。BigBanさんからも、あいさんからも、それを文からとてもかんじるので、読みに行きつづけてしまうんだとも思っています。お二人の性格を考えると、お二人の置かれた状況を考えただけで、わたしはすごく苦しい気持ちになりますが、でも、そんなお二人だからこそ乗り越えられるとも、信じています。

ともかく、疲れたときは、休んでください。
これだけのことがつづいているなかで
疲れるのは、当然だもの・・・ 
休息で、ブレイクスルーが生まれるときだって、きっとあるとおもうから。。 

長々と失礼致しました。。

コメントご希望により削除させていただきました。

ありがとうございます。
お言葉謹んで。

いただきます。

ありがとうございます。お手間おかけしました。

さあ、これからどうするかなと日々ネットをにらみつけている私でした。

ところで

>ガガガ通信についていえば、ブログを転職なり階級上昇のひとつのツールとしてみている訳でして、それ以上でも以下でもない。強いものにその時近づくだけで思想性はありません。

ガガガ?笑
ちょっと間違えたんでしょうね。今回は。大目に見てあげましょう。(なじった本人が言うセリフじゃないか)ガ島さんには思想性はありませんね。アルファと呼ばれる人の中では、あとR30さんもないほうかな。FPNさんとか。強烈に持っているのが今回の松永氏(思想ではないか?)、小飼氏も持っていますね。独特の思想・・というかあれは価値観のようなものかな。

もちろん思想性を持っていなければならないということはないんですがね。時と場合によってはそのあたりが災いしてしっちゃかめっちゃかになっちゃう。とことんコメントしないならしないで「あり」なんですが、よせばいいのについしちゃう。(人のことは言えないが)

そういえば泉さんもよく、イデオロギーから距離を置きたいとおっしゃっていました。イデオロギー(思想性)がなければトラブルに巻き込まれないかと言うとそんなこともないんですね。

もちろんこの場合「党派性」という意味ではありません。

中心に女がいたということを再考すると面白いです。
アバターだと指摘していたひともいましたが、その後出てきた事実によると、どうも男女の関係がなかったのだとは考えにくい。SとかMとかの性向は誰の中にあるものです。
そうした物語が背後に隠されていて、今まで自分の女だと思っていたものが突然裏返る。家出する。その原因を作っただろう誰かに憤懣をぶつける。オレの女をとりやがって。
女衒というか、なんというかとしては敗北宣言なんでしょうね。博打打ちとしても負けです。
物事は結構シンプルに、身も蓋もなく考えると一面では分かりやすものかも知れない。
(註:上記はフィクションです)

BigBangさん、大人だからこういうの書いてもお分かりになるでしょう(笑)

ところが女は開き直ると強いと(笑)
別のものになっていくわけですなあ‥‥

ここに書き込むのが適当なのかそうではないのか考えたのだけれど(今回の経緯で飛んてきただけで、あなたのログ自体ちょっとしか読んでないのよ)、何か書かないとと突き動かされてさ、不愉快に思ったらすまん

たどり着く経緯は「耐震疑惑→きっこのうわさ→永田メール事件→サイバッチ→野田氏→松永→泉→ガ島→ここ」

俺はメンタル系のサイトやっているんだけども(こっちは食えてない)、飯食う方の仕事の関係で耐震疑惑の調査した、当然きっこの噂は耳に入る訳でちょっと読んだのね、
メンタル系のサイトやってるからと言うわけじゃないんだけれども、ちょっと読んでさ
「あーこりゃ何が何な奴だな」って思ったぜ、何も(その後の情報と関係無く)知らなくても、
文面からさ

で、サイバッチあたりで「きっこは誰?」な事になっているっので、調べてりゃ当然「5年分読んだ」って松永にあたるじゃない。
そこで松永も読む
読んですぐにさ「あーあ、こいつも何が何じゃん」って、
(後からアドラー好きだって話を読んで「なるほど」って思った)

泉さんのも読んだ
「わかる気がする、松永ってのと気が合うだろね、」ってさ

書かれている内容やら思想的背景じゃなく
(極論内容は全く関係無く)
文面(或いは文体)に表れる人格傾向
「これをこう捉える人か」って部分だよ
難しい話じゃ無いんだってば
個人を個人たらしめるビヘイビアーの総体として個人は成立しているのであって、今語られる「この道右折しようよ(その理由も含めて)」が原語としても合目的性からも一致を見ても、その全体としての実存には乖離があるんだよ。

事実としての一時情報の真偽には疑う予知は無いのだろうけれども(表現者がまったくこの情報にコメントを付けなくても)、『表現される舞台』はこれを入手する読み手の認識を決定つける(或いはその印象自体に忌避を感じる人もいるだろう)。
『舞台装置と選択される情報(つまり選択されている時点において、この一時情報は意図的表現である)』、

それってさ、境界とか面倒な話じゃないよ

こちらの方がGriplogのコーナー http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/9115640 より合っているような気がしたのでこれもまた長いのですがおそらくこちらでは最後のコメントを書かせて下さい。 >Bigbangさん

私はオウム型の人達に接する時「変な感触」があるのですがそれが何であるのか以前は良くわかりませんでした。

同じような事はオウム事件の被害者やその家族の人達も言っていました。
「オウムの人達はどうして私たちのことをわかってくれないのか?」
「オウムの人達はまるで宇宙人かなにかで私たちの言葉が通じない。」
「私たちの話をきかずにオウムの教義を押し付けようとする」
「壁に当たったような感じがする。」
「避けられている感じがする。」などと。


幸い今度の事件で私はそれがどういう事だったのかわかったような気がします。
既に何度か書いたようにそれは「苦しみに対する感受性の欠落」で特に「他の人の苦しみに対する感受性の異常なまでの欠落」が根底にあるのだと思いました。
一言で言えば「無神経」。

なので被害者などがその苦しみを訴えてもオウム型無神経人間たちは何を言われているのかも良くわからないのはもちろん相手が本当に悲惨なまでに苦しんでいるというほとんど一目瞭然の事にすら気付かずに教義の解説などを始めてしまう。

このどうしようもない無神経さが私たちに「変な感触」を与え時には言葉の通じないもどかさにも似た苛立ちを感じさせたりするのでしょう。
しかし通じていないのは「言葉」なのではなく「辛さ苦しさ」なのです。

今思い出しましたがこれと全く同じような苛立ちをアメリカのインディアンの人達が言っていました。
白人と話合いをして幾ら協定を結んでもすぐ破られる。
なのにいつも悪者扱いされて糾弾されたり報復攻撃される。
そうしておいて協定の場で「この約束を守れるだろうな」などとインディアンに言う。
だからこそ「インディアンウソ付かない」という言葉が残っているのです。
食糧や毛皮やその他多くの大事な資源を提供し長年共存してきたバッファローをほぼ絶滅させられて飢えて苦しむ人々の惨状を訴えても聞く耳も持たないどころか虐殺をする。
その呆れるまでの残虐行為は「他の人の苦しみに対する完璧なまでの無神経さ」抜きには出来なかった事でしょう。


もちろん現在のアメリカ人は教育の発達などのせいで優しい人達も沢山居ますが私が住んでいた時でも「いざという時」「最終的」には日本人の方が自分の身の安全や財産などを危険に晒しても他の人の苦しみに目をつぶらない人の割り合いが多いのではないかと感じたのをおぼえています。


関連した話としては最近日本でも映画が公開されて多少話題になっていたルワンダの話があります。
どこかの女子校で部族ごとに分かれるようにと言われた時に生徒たちは拒否して分かれなかったのだそうです。
そしてそのせいで全員皆殺しになったそうです。
悲惨な話なのですが私はこれを読んで嬉しく思いました。
そして「この子たち凄いな」と思ったのです。
ナタや斧を持った人間たちが入ってきて部族ごとに分かれるように命じた時に恐らくどちらの部族に属する生徒たちも一方の部族が殺されるのは感じられたことでしょう。
命令通り分かれれば一方の部族は殺されないのに彼女らは友達と分かれず殺されていったのです。
無神経の極地の虐殺行為のさ中にもごく普通の感受性を尊重したとんでもない勇気を持った子供たちがいたらしいのです。

この話を読む大分前に同じ学校かどうか知りませんが生徒が虐殺されたまま死体の埋葬も行なわれず残っている学校の報道を見た事がありました。
なのでその学校の光景とこの話が重なってその悲惨さは十分想像できましたがそれにも増して友達の恐怖や辛さから目を背けることを拒否した彼女たちの死に様が本当にすがすがしいくらいに思えたのです。

ルワンダの虐殺がどのようにして起こったか?というのは多少聞いたことがあってそれもちょっと書きたいと思いますがどうしたら他の人の気持ちを感じない無神経人間になれるのか?というのを先に綴ってみたいと思います。


オウム型人間の無神経さが「他人の苦しみからの逃避である」というのが私の見方なわけですが生まれつき脳の障害でそういうことになる可能性も否定しませんが生まれた後の出来事になんらかのきっかけがあるのではないかと思い幸い資料が残っている松永自称元オウムのページを読んでみました。
http://web.archive.org/web/deva.aleph.to/essay/001.html
(アドレスの001を006まで、そして201から207までに変えると全部読めます。)

何らかの不幸な環境、特に周囲の人にまつわる苦しみが鍵なのではないかと予想して読んでみました。
すると彼の成長過程において幾つかの決定的要因があるのがわかります。
(彼が本当のこと書いていたとしたら、の話ですが。)

一つはアル中と呼んで良い程の酒飲みの父親が家に帰ってきて当たり散らす家庭環境。
もう一つはいじめられっ子で親友もいなかった小学校での経験。

彼は体も小さくスポーツも不得意で自ら進んでガリ便優等生という「演出」を行ないクラスのみんなから嫌われて寂しかったということを書いています。

そして最終的にいじめっ子に毎日ビンタを食らわせられて「怨み」と「プライド」をてこにしてそれに耐えた為に鬼の様なつり目の顔になる程だったそうです。

また父親が酒の飲み過ぎで早くして死んでしまった後に親類縁者が金や物をむしりとろうとする浅ましい姿を見て極度の人間不信になったそうです。

つまり彼には小さな時に「心を許す事のできる友達」「本当に信頼できる大人」がいない環境で育っているように思われるのです。
そして寂しさや苦しさはもっぱら本を読むことや「優等生である」という「優越性の幻想」に逃避して紛らわせていたのではないかと私は思うのです。

本当なら泣きたいくらいで実際泣き虫だったようですが甘えて可愛がって欲しい、友達と仲良くして遊びたいという子供のごく自然の欲求を既に抑え付けて「本の中の知識」や「演出された優等生イメージ」への逃避を続け、究め付けに「プライド」を守る為に「怨み」で体も心も固めてビンタの苦しみに耐えたのでしょう。

小さな子供の顔が鬼の様になるなんてちょっとやそっとのことではありませんから本人がその影響を自覚しているかに関わらずこの経験はかなり深く刻印された筈です。

そして現在の彼の無神経な言葉の端に表れる傾向とこれらのデータを突き合わせると驚くほどそのまま変わっていないように思えるのです。

すぐに「本の知識」に逃げ頼る傾向。各種人格イメージの演出。極度の「先を行ってるぜ」プライド。豹変して見せる攻撃性。

つまり小学生の時から人格の根本部分についてはガチガチの無神経に固まってしまって成長せずにそのままになってしまっているのではないかと思うのです。

幼少時のトラウマで人格的成長が止まってしまうのは別に珍しい事でもないのだろうと思いますが彼の場合はそれが感情的な寂しさと肉体的苦痛の両方を強く遮断する形で行なわれ、その後の極度の人間不信も重なって本人の自覚もないままに「他の人の苦しみへの感受性」が閉ざされてしまったのだろうというのが大雑把な見方です。

さらに悪い事には抑圧される事で溜ってしまう苦しみや寂しさや異性や友達付き合いの欲求などを原始仏教への誤解からもっと「コントロール」すなわち抑圧すべきものとして解釈してしまい自ら無神経さを強めていったのです。
もちろんオウムに行っても似たようなものだったのでしょう。


「異界」とさえ感じられることのある極度の鈍感さというか感受性の欠落はオウムみたいにカルマだなんだと言わずともこの場合は幼い時からの恵まれない経験とその後の自分自身の間違った努力によって形成されたのだと思うのです。

なので本人が現状の愚かさをとことん自覚するならこの状態を解消する事はおそらく可能でしょう。

寂しさや悲しさ辛さ苦しさそして異性や友達への欲求などを抑圧してしまう長年続けてきた自覚的なものと無自覚な逃避行動を止めれば良いだけです。

しかし実際には逃避を止めれば長年の苦しみが吹き出したりして耐え難い程辛かったりしますしビンタに耐えた様に「固まって我慢する」のでは効果がなくてそれこそM泉のように苦しみに身を任せる必要があるだけでなく無意識的な逃避はその存在に気付くだけでも大変なので現実的には彼の現状では無理なんじゃないかと思う。


とにもかくにも彼らの呆れた行動のお蔭で「無神経さ」という観点に注意してみると色々な事が普通の人には非常に納得しやすいのがわかったのでとても面白かったです。

無神経オウム vs 普通の感覚を持つ日本人、
無神経白人 vs ネイティヴ、
他にもかなり応用が効きそうですね。

アメリカの政治にしろ批判は全く気にもせず完全に無神経に進められていますし無神経なイスラエルのパレスチナ侵略占領や無神経な中国のチベット侵略やその他諸々もマヌケで馬鹿で大抵は残虐な無神経行為が未だに続いています。


陰謀論をはイタいと松永無神経ブログで言っていたので陰謀論風な物語にしてみると、もしかしたら「911以降の世界」というのは無神経な押し付けが標準となる世界なのかも。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/matsunaga/20060320%231142811173

批判には耳を貸さないとか無視するという以前に批判の理解能力なしで共感機能が壊れていて人々の苦しみも全然感じないから気にならない。
無神経人間って最強の作戦用ロボット人間ですね。マヌケで馬鹿だけどためらい無く何でもやってのける。
感受性豊かで優秀な人よりマヌケな超無神経な人間の方が家畜的に扱いやすいですから。
軍事教練なんて人殺し用無神経ロボット人間の即席大量乱造工程みたいなものですし。

低能ブッシュや無神経松永を使用すれば罪悪感とか気持ちに考慮するとかそういうのお構いなしにずかずか侵略したりできますからね。
破壊行為にはまさにうってつけ。
911(日本の119/110番)に電話しても窮状が伝わらないので意味のない世界。
911が意味を持たなくなった後の世界。

そういう意味では無神経人間が沢山頑張って活動している日本のネットの片隅も「世界の新標準」に適合していると言えますから本当に面白いものです。

オウム風の陰謀論みたいに展開してもお馬鹿な結論になるどころか現状とけっこう合致してしまうので困りものですが。


しかしもっと飛躍して考えるとカンボジアの子供兵もアフリカの麻薬漬け子供兵士も松永河上的抑圧人間の大量製造技術の実験だった?
ルワンダもベルギー時代からの政策とヨーロッパ人が指導していた?千の丘ラジオによる大人を含めた急速無神経化技術の実験だった?
オウムは北朝鮮と統一教会で開発実験済みの無神経化技術を使った日本転覆予備作戦だった?
などなど「無神経人間」技術が破壊工作で活用された可能性を考えると松永が河上イチロー名を使っていた時に「ハカイダー」を自称していたのもまたまた良く合致してしまって陰謀論マニアはかなり楽しめるかも。

でもこの陰謀論って本当に半端じゃなく痛いです。苦しみを感じられるなら。


痛過ぎて楽しい笑える陰謀論になかなかならないのでもっともっと飛躍させてオウム風に「ユダヤフリーメーソン」に無理矢理結びつけるとすると松永父は一級建築士で30そこそこで独立して事務所を開いてライオンズクラブの会員だったそうです。

建築士と言えば創価学会のヒーローで耐震価値をどんどん創造した姉歯が今では有名ですが古くは教会建設などで知られた石工組合(メイスン)の伝統を受け継ぐ業界でフリーメイスンにこじ付け完了。
しかも若くしてわけあり業界で出世してお役所仕事にあり付き談合などもやっていたのではないかということで「お仕事組合」の後押しの可能性もあり得る。
ライオンズクラブも良い子の学研ムーを読んで育ってヒヒイロガネに夢を持ってはがきで応募までしてしまうオウム少年風に言うなら邪悪な秘密結社のダミー組織でしょうね。

それに父親の友人が1999年の人類滅亡ノストラダムス風ハルマゲ親子丼ブームの仕掛け本でオウム少年の感受性に影響を与えたというおまけ付き。
これで「終末論への恐怖」をバネにして生き残り至上主義カルトで自分達だけのことを考えるユダヤ的選民思想とのこじつけもオウム信者なら喜んで受け入れられることでしょう。

つまり松永英明こと河上イチローハカイダイーは仏教少年の皮を被ったユダヤフリーメーソンの手先としてオウムに関わっていたのだ。だからオウム信者としては少し異色で偽装脱会したり最入会したりオウムへの裏切り行為をしたり忙しく活動しているのだ。
今はユダヤフリーメーソンが日本の優しい心を踏みにじり地球人の超無神経家畜ロボット化の為にWeb2.0の推進を画策しているのだ。
などと無茶苦茶言うとけっこう笑えますが。


しかし彼が自分で書いたこの経歴見るとやはり無神経にも「優秀な人間が野田ストーカーによって可哀想なことになってしまっただけ」という自分たちの宣伝ラインを死守することにしか関心がないみたいすね。
http://aum-aleph.g.hatena.ne.jp/matsunaga/20060319


これを見る限り無神経人間を利用して優しい人々の弱点を最大限に突き何でも強引に押し付け押し通すというアメリカやイスラエルなんかのやり方と全く同じなので今後も変わらずに続けるのでしょう。異界が標準であるかのように。


ホントに困ったものです。
現状では無神経人間たちが大多数の人をだませない限り彼らが全ての面を掌握することはありませんが数年後に選挙マシーンのハードかソフトを押えられてしまうと何でも可能になりますし。

現在の日本人は優しくて人が良いので「それでもいつかきっとわかってくれる」と信じて期待し続けるのでしょうし。
数百年くらいしたらわかってくれるのでしょうか?数万年かな?

私は生きている間はこれからも繰返し起こるであろう苦しみの数々から目を背けずにいたいとは思いますが何回も生まれ変わって数万年もの間マヌケな無神経人間たちと付き合わされるのだとしたら堪忍して欲しいです。
それ拷問ですよ。

でも無神経さで鬼のように凝り固まった不感症人間になるくらいならどーしようもなくって苦しみに耐え切れずに泣きわめきながらでも辛さ苦しさを感じている方がいいです。たとえそれに終りが無かったとしても。

それに鈍感人間になって苦しみを押え込むのに必死になりながらマヌケな言い訳とウソばっか繰り返す人生よか辛いことも含めてしっかり感じていた方が結局は楽しくて楽なんじゃないかと思いました。


BigBangさん、色々考えるきっかけとそれを書く場与えて頂いてを本当にありがとうございました。

ごく普通の感性の大事さを最確認することができてわたし的には大収穫でした。

なので私にとってはこれ以上ないくらい「いい形」でランディングしたのだと思います。
BigBangさんにとっても「いい形」でのランディング訪れるといいですね。

では。

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http://ultrabigban.cocolog-nifty.com/ultra/2006/03/post_d8c0.html これには、「同じ世界の人と付き合わなくてはいけない」「自分と違った人間とは付き合ってはいけない」という世界観が垣間見える。これはまさしく、僕自身が親に教えられ、そしてその所為で頓挫した世界観ではないか。ならばこのエントリーに言及することが自分探しに繋がると信じ、言及させていただこう((そして、トラックバックを送った後に、送ってしまったと後悔するのは分かりきってるけど... [Read More]

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