« March 2006 | トップページ | May 2006 »

April 30, 2006

議会制民主主義こそ二者択一ではなかったのか----徳保隆夫論の矛盾

徳保氏の「コミュニケーションへの冷淡」(氏自身の言葉である)は以前より承知しているので、スルーしようかと思ったが、


# 火中の栗拾いツアー企画(R30 さん)
# GripBlogインタビューを読んで----松永英明氏に誤解を謝罪する(BigBang さん)
# GripBlogインタビューを読んで(2)----R30は何者なのか(BigBang さん)

私は R30 さんの主張に共感します。BigBang さんは、何でも個別に考えて、それぞれに全然違う結論を与えることを是とされるようですね。その非常に恣意的な判断の根拠は、素朴な「常識」即ち「場を支配する多数派の価値観」。直接民主主義が社会の理想像というわけか。
私は個別の事象に対する大衆の判断を信じていない。「常識」側に立つ連中は、すぐに「非常識」を脅迫するのだもの。「社会的に抹殺されるか、こちらの価値観を受け入れるか、二者択一だ」というわけ。議会制民主主義のいいところは、少数派も「国民に選ばれた存在」として尊重されることだと思う。(趣味のWebデザイン備忘録 議会制民主主義のいいところ

さて、「何でも個別に考えて、それぞれに全然違う結論」とは何のことであろうか。文脈からすると、私が2つのエントリー・「松永英明氏に誤解を謝罪する」 と、「 GripBlogインタビューを読んで(2)----R30は何者なのか」の相互で、どんな「全然違う結論」を導き出し、そしてその根拠のどれが、「場を支配する多数派の価値 観」ということにるのであろうか?
この「全然違う結論」として対比されているような結論が、それぞれ何を指すのかがまず不可解。さらに「場を支配する多数派の価値観」とは何を指すのかが不可解。そもそも「多数派」に認定を受ける覚えもない。真に精緻にこの問題を追っておられるか。情動的に自説を展開してはおられないか。

私の主張が、仮に何かを根拠に「多数派の価値観と一致した」と徳保氏が判断したとしても、

多数であるがゆえに正しいとは常に言えない

と同様に

少数であるがゆえに正しいとも言えない

のは等しく真であるからである。これらは同価値であり、「多」と「少」を根拠に価値批判を展開すること自体に限界がある。多が少を「多であるがゆえに」圧しているというなら、数以外の観点から、「多の過ちについて」論じることを試みなければならぬ。

その上それが「議会制民主主義は少数を尊重する制度である」という展開なのだから、摩訶不思議として首を傾げる。

「常識」側に立つ連中は、すぐに「非常識」を脅迫するのだもの。

「常識」とは何であろうか。そして「非常識」とは何であろうか。私がもしも「大量殺戮」を「非常識」であるとして「法の支配」を「常識」であるとして論を唱えたとしても、「常識」は「常識」であるという理由で、氏は「非常識を脅迫している」とするのだろうか。では法治国家とはなにか。それも「常識」の「非常識」への圧力であったのではなかったか。

もしも松永さんの問題で、「社会」=常識とし、「松永さん」=非常識とした場合、(これは氏の視点に沿った類型である)社会(常識)は、何をもって松永さん(非常識)を脅迫しているのだろうか?そしてそれが「議会制民主主義」を持ち出すことによって何か瓦解する要素でもあるのだろうか?
私は現在なされている氏と氏を取り巻く人たちとの対話の試みに対して、このような論拠を持ち出す自体が意味を持つとは思えない。つまり、少なくとも私の議論の中で「意味のわからないものへの不快感」による集団的ヒステリー状態を指す箇所は見当たらないと思うからである。
社会への「経済的融合」を求めているのは、こちらの側ではない。ほかならぬ松永氏の側である(あったはず)からである。(これは「思想的融合」ではない、と前に書いた)
融合の方策を探ることにこの問題の困難があるのである。そこを読まれておられるか。

さらに氏は、この問題における「法の支配」という概念を全く考慮していないのみならず、「議会制民主主義」についても明らかな誤解をしている。

「議会制民主主義」とは、紛れもなく「多数をもって正義とする」政治制度なのである。少数派の意見の表明は、「言論の自由」によって保障されるが、永遠の議論は許されない。制度は多数決により、「多数を正義とする」と定めた意志決定制度なのであり、「少数派も尊重される」と読むのは、それこそ「恣意的」である。

ネットの状況に「直接民主主義の危険」を見たとして、それを→ネット=衆愚政治の否定→議会制民主主義の賛美 と誘導したいのかもしれないが、議会制民主主義の概念を理解していないところで、記事全体が「集団の虐めは良くないので議会制民主主義がよい」という、歪んだ方向性に走ってしまっている。

何よりも、ことのは問題を「常識の圧制」として論じないとすれば、何を議論の基準にしたら良いのか、どこに議論の問題があるのか。氏はそれを具体的に提示しなければならない。そうでなければ、「多数が少数を苛めるのは俺は好かん」という、それまでの話であり、そうした正義感のみで、小学校の苛めですら解決できないのは、それこそ「社会の常識」というものである。

もしも「それまでの話」だよというのであれば、私の「反論」(?)も「ここまでの話」である。

 

2006 04 30 [経済・政治・国際] | 固定リンク | コメント(9) | トラックバック

April 29, 2006

生き急ぐことととか、メリーゴーランドとか------堀江貴文氏の保釈

伸びた髪に、少し細くなった顔つき、深々と頭を下げて、喧騒の中でかき消されるのも構わず、報道陣に向かって挨拶を述べる姿は、かつての面影を取り戻したようであった。拘置所の中に入るということは、世間的に言えば当然絶望の淵に立たされたと考えるのが普通なのだけれど、一方で規則正しい生活と、栄養に無駄のない食事、世間の雑音からも隔絶されることで、この世で最も「クリーンな」空間に置かれるということでもある。この場合の「クリーンな」という言葉はもちろん世俗的には逆説的ではあるが。

 一方、保釈前日ごろには拘置所生活を振り返り、「僕は生き急いだのかもしれませんね……。ゆっくり人生を考える時間が持てました」と話し、「ライブドアの経営にかかわるつもりはない」と言明していた。(2006年4月29日9時53分  読売新聞)

かなりの資産をまだ有しており、暴落したとは言え、ライブドアの筆頭株主。保釈金3億円をさっと払ったことから見てもその余裕は知れるが、一方で公判での追求は言うに及ばず、巨額の株主代表訴訟が彼を待つ。

 14日に上場廃止となるライブドア、ライブドアマーケティングの株を巡り、個人株主が両社などに損害賠償を求める集団訴訟について、「ライブドア株主被害弁護団」(米川長平団長)は13日、東京都内で会見し、原告数が1000人を超える見通しを明らかにした
 1人当たりの損害額は平均約400万円で、請求総額は40億円以上になるとみられる。5月末にも東京地裁に提訴する。大規模な同種訴訟としては、2004年に上場廃止した西武鉄道株を巡り提訴したケースがあるが、この訴訟では、株主が計285人と2法人で、請求額は計約4億8000万円だった。今回のように個人株主の1000人規模は極めて異例だ。
 弁護団によると、これまでに2社の株主、元株主約1700人から、提訴の意思表示があった。このうち事件の影響で損害を受け、原告の資格があると判断した約1200人に、委任状提出を求めている。(2006年4月14日  読売新聞)

弁護団は、微罪を認めて相対的勝利を勝ち取るというよりも、宮内被告の単独責任として、全面的無罪を主張する戦略だという。海外の堀江「隠し口座」についても、検察は決定的な不正の証拠を押さえられなかったという説もあり、裁判の行方は予断を許さない。

万一、代表取締役でありライブドアの実質的な筆頭株主である堀江が無罪となった場合、いくら宮内他、取締役の不法行為が認められたとしても、強制捜査に踏み切り、実質上ライブドアを奈落に落とす結果となった検察への批判が高まるのは必然。そうした意味では、検察としては絶対有罪を勝ち取りたいところであろう。
「拝金主義にストップを」かける必要があった。などと発言している検察関係者もいるようだが、検察はそんな「思想哲学」は語らなくて宜しい。それはほかの人の仕事である。
粛々と「法の前の正義」を愚直に主張して納得させてもらいたい。

それにしても、まだ判断するのは早いとはいえ、すっかり様相が変わって現れた堀江氏を見ていると、思いが浮かぶ。つらつら書くと、人生は最後までわからないということ、どんなところからでもやり直しは効くといくこと、人から見れば最大の敗北と見えるその刹那からも、人はチャンスを掴むことがあるのではないかということ。彼が精悍さを取り戻しつつあるとすれば、まだ人は彼の言葉を聞くであろうということ。

もしも堀江氏が変わることがあったとすれば。

もしも堀江氏が、あの若さだけが武器であった時代を、今回のことを契機に、本当に思い出したとすれば。

この人物に見切りをつけてしまうのは、まだまだ早いかもしれず、今度こそ「恐ろしい」経営者となって復活してくるかもしれない。

しかし一方で、人生の時間にしても社会にしても、世界の時計は、ただ同じことを果てしなく、ぐるぐる、ぐるぐる懲りもせずに、メリーゴーランドのように繰り返し続けるだけなのかもしれないのである。その空虚はいつも我らの足下にぽっかりと口を開けている。

例え、あなたや私が生き急ごうとしようが、しなかろうが、それにすら世界にとっては何の意味もないのかもしれないである。

2006 04 29 [経済・政治・国際] | 固定リンク | コメント(1) | トラックバック

April 25, 2006

GripBlogインタビューを読んで(2)----R30は何者なのか

R30氏が今回のインタビュアーの1人に名を連ねていたことは、大いなる驚きであった。敢えて「火中の栗」を拾う「そぶり」を見せてくれたことは評価に値する。しかしそれはあくまでも「そぶり」であった。

R30--今回のインタビューを終えてみた僕自身の結論は、「松永氏は普通の日本人と同じぐらいにguilty」というものだった。理由を知りたい方はぜひインタビューを最後まで読んでください。ここでつまみ食いのように書くと誤解を受けそうなので。

R30--この問題に簡単に結論を付けることなどできない。なぜならそれは、松永氏だけの問題でも、アーレフ信者と被害者との問題でもなく、おそらく日本人全員の問題だからだ。自分自身の過去の反省をうやむやにしてきた我々日本人自身が背負っている十字架を見ずにオウムを罵倒する人は、まさに自分を嘲っているのと同じである。

そうやって、視点を我らよりも30cm上に置き、無難に普遍化することはた易い。そうした意味でこのR30という希代のブロガーが今までしてきたことは、絶え間ない「趣味による」普遍化の重層的な繰り返しであったとも言える。
民主党懇談会でほとんど一言の発言もなく速記に集中し、誰よりも早くその特報エントリーを速報アップした上で、ブロガーの「はしゃぎすぎ」を500マイル離れたところから1人侮って見せた彼は、その同じ筆によって、今回は2ケ月もの長きにわたって、この問題の問題点に対して沈黙した末に、極めて恐るべき、そして優秀なオーマー「松永英明」を、我ら日本人の「普遍の問題」として捉え、「趣味として」そして「仏教徒として」、この事件をこともあろうに、アジアと日本の問題にメタ昇華して、今後も華麗なるアルファブロガー人生を続けていこうとしているのである。
泥水に一瞬身を浸すと見せて、鮮やかにタオルで身を拭い、「天からの視点」を自分に完備する手際の良さは見事としかいいようがない。それが2006年の「アルファ中のアルファ」の極めつけの芸である。

>R30 :それって戦後50年、なぜ日本がアジアとの関係を決算できなかったのかというのとほとんど同じ質問ですよね。

>R30 :というわけで、公安が烏山の前にいるのは日本国憲法をGHQに押し付けられたのと同じレベルの話じゃないでしょうかという。

>R30 :まーね。でも、それで僕が言おうとしたのは何かと言うと、日本は今アジアから、「日本が憲法改正したらまた攻めてくるのか」と言われてるのと同じで、内部の本質的な反省がない中で、外から与えられた枷だけで今そこに踏みとどまってるだけじゃないのかというのが、今のアーレフだっていうことでしょう。あんた方はこの10年間であの事件の内部的な問題として何を反省したんでしょうかという質問に、「今は僕は何もそんな危険なことは考えてないから」と言うのは、外の人が要求する説明にはなってないんだよね。つまり世界観がああいうことに結びついたという解釈なのか、それとも単なる組織問題として、アホなイエスマンをたくさん省庁のトップにつけて、イエスマン同士が功名争いしてサリンを作りましたみたいな話なのか、それとも何なのかという、そこの問題をどう自分たちなりに結論出しているのか、全然わからないじゃないですか。


>松永 :だから、教義によって事件が起こったとみんな思っているんだけど、中にいる人たちは、教義と事件が結びついていないわけ。
>R30 :それって、戦争責任のとり方について日本を批判するアジアと同じだと思う。僕は特定アジアというよりは、タイという表面的には極めて親日な国で、ものすごい勢いで非難された経験があるので、やっぱりその辺の感情が、日本人が思いもよらないレベルでアジア人の根っこに深くあるというのは、すごくよくわかるのですよ、実は。決して中国人や韓国人が国内政治のために言ってる話だけではないということも僕はものすごくよくわかるのね。だからたまたま日本はその後もまた経済大国になれたので、みんなしょうがないからね、あんだけ自分の国よりでかい国なんじゃ文句言ったって始まらないかなというので黙っているけど、多分経済的な力がない国であれば、確実に日本人はオウムみたいに徹底排除されてた。今の話を聞いているとすごくそう思う。多分、力のない人たちって、散り散りになって最後のひとりが死ぬまで「お前らには内在的に危険な論理があるんだ」と言われ続けて終わるんだと思うんだよね。そうならないためには、そこにやっぱり何かが必要なんでしょうね、何かが。反省と言うとすごい軽い言葉になっちゃうんだけど、事件を起こした本当の原因を探し出して批判しないと、多分これって終わらないのかなという気がしていて。

>R30 :「私はそうは言えません」というレベルにあるならば、逆に言うともう、これってアジアと日本の戦争責任問題と同じだぞと。日本人って実はアジア人からこういう風に見られてるんだぜ。それって俺たちがオウムってことなんだぜ。と言うしかないんだよね、そう思う。

>R30 :それって、「戦争をなぜ日本が起こしたのか、お前は靖国に行って参拝することをなぜ反省しないのか」と未だに言われてる話と構造が全く同じで、「いや、私はそこまで考えていませんでしたよ」というのと、ほとんどレベル的には同じですよね。
単にそれが非難する側とされる側の両方の集団を比べたら、される方の日本の経済力が圧倒的にでっかいから、する方は黙ってるしかない、みたいな。そういう感じだよね。

私はR30氏の異常なバランス感覚に絶望する。実にインタビュー中、オウム真理教事件を日本とアジアの戦後の関係に比すること4回。GHQの占領と烏山本部を取り囲む公安を比すること1回。信者の心的自由を、靖国神社参拝問題に比すること1回(これはもともと松永氏の論である)。いったい氏は、今までどんな歴史観を、哲学を形成してきたのだろうか。そのあげくが自サイトでのこの台詞。

本的に、僕自身はこの話に「民主党ブロガー懇談会に参加した」という以外ほとんど何も接点がなく、で、もちろんあの時には泉さんとの面識もなく、松永氏がアーレフのサマナであったことなんかも知りもしなかったし、その後各所でいろいろあったらしいトラブルにも関与していない。なので、今回のインタビューについても、興味本位で聞きに行った以上の何者でもない。ただの「趣味のジャーナリズム」だ。
 趣味であるからして、今後松永氏の発言の裏を取るべく取材するつもりもないし、その義務もないと思っている。だから「R30は松永の発言に信憑性を認めるのか」とか詰め寄られても、答えられるわけがない。そんなことは読み手がネット上に書かれている情報と照らし合わせて判断すべきことだし、松永氏の主張に教団のプロパガンダや陰謀を読みたい人は、勝手にそう読めばいいと思う。

首都の中心部に対して加えられ、多くの罪なき人を殺害した現代のテロ行為と、その後も体系的に(4/25修正)事件を総括することを終に今日まで成しえないでいるアレーフとその信者を、近世の国家と国家が対峙した、日中あるいは日韓の関係に敷衍して一緒くたに論じて、恥じることのないその無神経さと、今も苦しみ続ける被害者がいることを知りながら「趣味だから」と言ってのける、その「傲慢で偏った知のあり方」に、私は今唖然としている。

少なくともこの数年、この人物をアルファブロガーとして奉じなければならなかった、この国のブロゴスフィアの悲劇を今心より嘆く。

2006 04 25 [ことのはを巡る問題] | 固定リンク | コメント(80) | トラックバック

April 24, 2006

GripBlogインタビューを読んで----松永英明氏に誤解を謝罪する

長大なインタビューには、考えさせられるポイントが盛り沢山であるが、今回のインタビューで解明されなかったことを取り急ぎ箇条書にするとともに、インタビューを読んでの最初の感想を書く。

今回明らかにされなかったこと。

●民主党のブロガー懇談会出席をFlashに報道されたまさにその日に、自民党のブロガー懇談会に出席するという理解しがたい行動に出たことの理由とその経緯。

●泉さんの報道機関設立企画構築を松永氏が「手伝った」という、その具体的な作業内容。

●未だに実在さえ疑われているume氏「失職」への、多大なる責任への松永氏の考え方。そして長年のパートナーを巻き込んだ多大なる災難の「元凶」であるはずの松永氏に向かって、それを一言も追求しない泉さんの「平静」の理由。

●「地下鉄でサリンを撒いたこと」以外のオウムの過去の所業への考え方。つまり坂本弁護士一家殺人事件、あるいは仮谷清志さん拉致殺人事件、松本サリン事件などへの関与に関する考え方。

●明確にオウムを「脱する意志」(あるいは乗り越える意志と言ってもいいのかもしれない)の存在。

それはそれとしてまず、松永さんに私は心よりお詫びする。私は、松永さんを誤解していた。私は、松永さんは心から「オウムの世界」から脱却することを必死に望んでいるのであり、それをとりまく社会の偏見や無理解と闘おうとしているのだと思っていた。であれば、そのために彼ができることは全てすべきだと考え、居丈高な調子で「脱会届の提出」を説いた。今この長いインタビューを読んで、私は自分が根本から間違っていたと認めざるを得ない。実はその思いは少し前からあった。それを初めて深く考えさせられたのは、数日前の極東ブログのこのエントリーである。 

本人はアレフは退会していると言いたいようではある。では、退会とは何かなのだが、アレフの規定では退会届けを出せばいいらしい。では、彼も退会届けを出せば「形」が付くじゃないかと私などは考える。が、彼は、そういうことは意味がないんだ、まるでわかってないと言いたいようでもあり、おそらく、それは彼にとっては重要な現状認識なのだろう。
 でも、それはたとえば私には伝わってこない。むしろ、「ほぉ、これが退会届の配達証明書の写真ですか、出したのですね」というのだとよくわかる。そして彼が内心実はアレフの信仰やその関連の活動をしていても、社会に見える形があれば、とりあえず私は勧進帳をするにやぶさかではない。
 という時、私はなぜその形に結局こだわっているのだろうか。自問するがいまひとつよくわからないのだ。(極東ブログ
  形と実態

この記事を読んだとき、私は心の中に「何か」が引っかかった。その引っかかりは何だったのか。わからなかったことが今回このインタビューではっきりわかった。それはつまり、こういうことだ。

松永英明氏は

●今でも、形も内実も、紛れもないオウム真理教徒であるということ。
●但し、サリン散布だけは明確に否定しており、上祐の権威志向にも反感を持っている、そして出家を貫くには俗っぽすぎた、1人の有能なオウム真理教の信者なのだということ。
●その思想的・信仰的立場を変える気持ちなど、今の本人には微塵もないのだということ

である。社会は彼にとって今なお「異界」なままなのであり、経済的必要を除いては、同化する意志はほとんどない。というよりも、もしも彼が信仰に忠実であろうとすれば、この社会は「同化すべき対象」ですらないのではないか。このような人物に向かって。「形式だけでもさっさと整えろ」と法的な脱会届を薦めた私はもはやピエロでしかない。psycho78に嘲笑されても仕方がないのである。なぜなら本人が否定しようとしている実態は上祐派の思想なのであり、「サリンを撒いたこと」なのであり、オウムの教義でも何でもないからである。オウムがもしも殺人さえ犯さなかったら、社会に対して敵意を持つその教団の姿勢も、信仰の自由という大儀の前に今でも敷衍されて昇華されていたであろうということである。思えば脱会届など出しようもないのだ。なぜなら原始仏教=オウム真理教への信仰は揺らいでいないのだから。

そんなこととは微塵も考えず(少なくとも初期は)私は本気で松永英明という希代のブロガーが、オウム真理教の呪縛から逃れ、この社会に帰化ようとして苦闘していると、一瞬でも信じたのである。

今となってはその不明を深く恥じるばかりである。

私は、幼く苦しい時代、救いを求めて多くの宗派の扉を叩いた。その当時もしもオウム真理教が存在していたら、一度は訪ねていても不思議はない。私は本来そういう人間である。だが、ついに宗教に救いを求めることはできなかった。私がこの遠い日の自分の記憶を思い出していたなら、信仰する者=松永氏に対してもう少しまともな対応ができたのではないかと思う。人は時間の流れの中でかつての姿も見失うことがある。自省している。

松永さんが、時折わが身の不運を嘆いて見せるのは、病気と、そして今回の騒ぎで今後訪れるかもしれない経済的な試練を心配しているだけなのであり、信仰の基本的なポジションはいささかも変える意志はない。今回のインタビューではそれがはっきり見て取れる。社会に同化しようと願っているわけでもないが、収入が途絶えることと自らの健康が損なわれることは、異常に恐れている。
被害者に対しては謝罪の気持ちは持てない。なぜなら「あの日」彼は秋葉原まで何も知らずに、頼まれてICレコーダを買いに行っただけだからであるから。彼がサリンを作ったわけでもないし、彼が蝙蝠傘でビニール袋を突いたわけでもない。彼が坂本弁護士一家を絞め殺したわけではない。なぜって彼は仏教に深い関心をもって求道しようとした1人の修行者でしかないのだから。

サリン事件の直接的被害者から、罰を受けることは止む無しとするが、直接的被害を受けていない人からなぜ非難されなければならないのかという彼の感覚からすれば、身内に誰も死者も怪我人もいない私が、なぜこの問題にこれほどこだわるのかは、決して理解することはできないであろう。なぜなら、松永氏にとって、家族も社会も同じく「否定されるべき」存在であり、社会的な視点からの「共感」や「責任」については、全く理解する能力を欠いているからである。

ちなみに松永氏の家族の不在は、それ=社会や家族への嫌悪を是とする感情を正当化する理由にはならない。

それを私が言う理由は明らかであろう。

信仰の自由は果たして無限の自由なのか。他者への贖罪とは何なのか。
その重いテーマに対して背中を向けることは断じて許されないという思いを一層強くした。
オウム真理教の問題とは、サリンを撒いたことだけなのか。果たしてそれ以外にあるのか。

いずれにしても、ようやくこの問題のスタート地点に立てたという意味で、「長い空白の期間」が終わったと私は判断する。

明記する。BigBangとしてこの問題を「解決済」と判断することは当分ない。それを知らせてくれた3人のインタビュアーに心より感謝を捧げる。

2006 04 24 [ことのはを巡る問題] | 固定リンク | コメント(6) | トラックバック

松永英明インタビュー(GripBlog)の勇断に敬意

GripBlogが長い間待ちかねていた松永英明氏のインタビューをついに掲載した。膨大な逡巡と迷いの末にたどり着いた勇気ある決断だと思う。内容についてははこれからゆっくり読ませていただきますが、単独ではないとは言え、泉さん、精神的に苦しいところ、よく踏み切ってくださったと思う。

まずはこのインタビューが世に出たことに対して、泉さんに率直に敬意と感謝を表明いたします。



【追記】
現在まだ私は内容については読んでいませんので、インタビュー内容についてのあらゆる先入観は一切ありません。その前提での感想となります。内容の感想はまた別に。

【追記2】
今一通り読み終わりました。これで安心して次へ行くことができる。自分が引っかかっている部分が何なのか、問題の核心が見えた気がする。そういう意味でもやはり「感謝」である。

2006 04 24 [ことのはを巡る問題] | 固定リンク | コメント(9) | トラックバック

April 21, 2006

業界パーティでもたまには面白い話に出会う

業界の立食パーティなんて、行ったってどうせ適宜に飲んで、適宜に食べて、そんなことばかりしていると気が引けるので、思い出したように名刺交換して、自己満足して。その後それが何かの仕事に繋がったなんて経験はないし、どうせそんなもんよということなのだけれど、先日某所でお会いした社長の話は面白く、立ったまま長話をして聞き入ってしまった。

というのも、彼の会社では、いわゆる「ニート」だとか「引きこもり」だとか言われる若者たちに会社を「フリースクール」的に開放し、一定の水準を取得するとそのまま全員採用するという、摩訶不思議な採用方法というか、社会貢献というか、そういうことをしているというのだ。

その話によれば、その会社に通うことを希望した若者は、机とパソコン、そしてネット接続を提供される。原則として毎日通ってくるように言われるが、もちろ ん拘束はない。給与も出ない。1日中パソコンで遊んでいてもいいが、社員プログラマーから少しずつプログラミングの基礎を学んで、一定の時間経過後にその スキルを認められれば就職と、そういう仕組みだ。若者にしてみれば、コンピュータの専門学校に行けば高額の授業料がかかるところが、無料で技術が学べ、就 職までできる。会社側としてみれば、一発勝負の面接で決めるよりも、長い期間その人物を見ることができるので、安心感があるという。

会社内にそうしてブラブラした若者を迎える社員の側はどうかと言えば、最初は戸惑いがあったようだけれど、最近はすっかり慣れてしまったということだ。もちろん現業が優先なので、忙しいときには、指導ができない。そういうときには、「ちょっと待ってて」「わかりました」となる。若者は、先輩社員が手があくまで、横でゲームなどしながら待っていたりする。へー。なんとも想像するだに不思議な、しかしどこか暖かい風景ではないか。

ニートや引きこもりだけではない。先日は工業高校の校長を定年退職した方が、この仕組みで見事に60代を超えてプログラマーとして採用されたそうだ。これを20人足らずの企業で行っているというから、実際には大変なことだと思う。

そんな話を聞いて、なんとなく気になったので帰ってから検索してみたら、いくつか記事が出てきた。

企業宣伝のためのヨイショ記事だと思われると良くないので、敢えてこのサイトでは会社名は伏せる。下記の記事に書かれているのが、僕が話を聞いた社長の企業だ。

「性別、年齢はもちろん、職歴に空白期間がどれだけあろうと一切問わない」。XXX市のシステム開発会社「XXXX」社長のXXXXXは言い切る。若者の就業支援に取り組む地元の民間非営利団体(NPO)の活動に共鳴。言葉通りに門戸を開いた採用を2005年2月から始めた。
 試験はなし。希望者は社員を先生役に基本的なプログラムが組めるようになるまで研修、意欲と気合が見えれば正社員に迎える。若者四人を採用したが「朝礼で話すのがつらい」「優秀な後輩が入社した」と二人辞め、一人は勉強をやり直したいとして「研修生」に逆戻り。二十二歳の元専門学校生だけが残った。
 「正社員になることを意気に感じる世代ではない。定着率も高くない」。XXは難しさを認めながらも「一度辞めても帰ってくればいい。門は常に開いている」と話す。毎朝出勤できるか、仲間として一緒に働けるか。能力ではなく社会人としての「規範」を守れるかを気にかける。現在も十三人の研修生を抱え、試行錯誤が続く。
(中国新聞より)

この会社は小さい会社なのだけれど、大企業がこの仕組みで採用を始めるとずいぶん多くの若者が、新たに雇用のチャンスを得るのではないか。優秀な開発者は企業からは常に必要とされているが、キャリアパスを手に入れるのは容易ではない。職を持っていない若者が自費で高度なプログラミング技術を手に入れられるわけでもない。
ほんの少し企業が姿勢を変えてくれるだけでも、互いにとってずいぶんと視界が開けてくるなら、こうした試みが広がることは歓迎すべきことだと思った。日本の技術者不足を解決する上でも有益だし、また既に就社している技術者に指導をさせることで、コミュニケーション能力を高める効果も期待できるではないか。だが残念ながら、社長の話によればこの仕組みを採用している企業は大小問わずほとんどないそうだ。

どうだろう。考えてみては。

(学生インターンは類似の制度だが、少し実質が違う)

2006 04 21 [経済・政治・国際] | 固定リンク | コメント(3) | トラックバック

April 18, 2006

ライブドアさんから直接謝っていただきました。

今、ライブドアさんからお電話がありまして、今回の事件でBigBangさんには大変にご迷惑をおかけしました。と直々に謝っていただきました。電話ですから相手が誰かはわかりませんが、役員クラスの方のようです。私のライブドア関連の一連の批判エントリーを読まれてのことのようです。直接謝罪を受けて気が済んだのでもうライブドアを批判するエントリーーは書かないことにしました。

って・・・嘘です。あるわけないでしょ。

単に飛び込みで営業の電話をかけてこられた方が、冒頭に決まり文句のようにおっしゃっただけです。

まだ4月1日気分。

しかし大変ですね。営業さんも。1日何百回も謝りながら電話をかけている女の子(営業は女性だった)がこの世には今日も存在するんですね。それこそ本人の責任なんて問えるものではないですが、それでもこの謙虚な姿勢・・。(いや別に言いたいことなんてほかにはないですよ。ないですって。邪推しないように)

【加筆】
謙虚なんじゃない。ただの営業行為だろっ。という予測される突っ込みは無しにしてください。

2006 04 18 [経済・政治・国際] | 固定リンク | コメント(36) | トラックバック

April 16, 2006

アイフル業務停止に思う-----稼ぐ「渡鳥不良社員」の実態に目を向けるべきだ

金融庁、アイフル全店の業務停止命令へ・3―25日間

一般に言われる「上場企業の社会的責任」といった企業倫理を遵守できるかどうかのポイントの一つは、「成績の良い不良社員」に対して、企業の経営層がどのような厳しく的確な評価を与えることができるかにかかる。
今回摘発されたヤクザ紛いの回収を行った社員はおそらく一部であり、大半の社員がみなあの類の脅迫的取立てをしているわけではないと思うし、組織的にそうした命令が出されていたとはと思い難いが、得てしてこうした強引な回収方法を行う社員のほうが、実直な社員よりも数字的実績をとってくる場合が多い。彼らの雇用形態は、多くの場合極端な歩合制の契約社員である場合が多い。ひとつの企業に長く身を置かず2,3年で次の職場を探す。

これは、消費者金融業界に限ったことはなく、たとえば訪販を中心にした教材販売会社においても、格段の成績をあげる営業社員グループといったものが存在することを私は知っているし、新聞販売のセールスにおいても「そうしたグループ」が存在する。外部からも時には内部からも眉をひそめられながらも、数字的成績のいい社員はなかなか組織から自発的に切り捨てることができない。企業内部に、相当強固なモラル規定とチェックシステム、罰則条項が成文化されていなければ無理である。

こうした輩にとっては、実は企業の看板などはどうでもいいのであり、関心は自分の手取りだけである。今回のアイフル関連で公開された録音テープなどを聴く限り、アイフルの企業イメージや公開企業としてのコンプライアンスなどは、念頭にない。元来実績を武器に企業から企業へ渡り歩く、渡り鳥のような集団であり、明日にはよりバックの大きい、別の企業に籍を置くために出奔するかもしれないし、つなぎには闇金融の回収を並行で請け負うかもしれない。

要はこうした「営業成績抜群の不良社員」を中長期的な視点から拒絶したり是正したりしていけるかどうかが、企業が社会的信用を確立できるかどうかの境界であるのだが、多くの企業の経営者がここで蹉跌を踏むことになる。
数字は、客観的に非常に評価しやすい基準であり、月に1000万稼ぐ社員よりも、月に100万稼ぐ社員がその倫理基準によって前者よりも評価されるということはめったにない。めったにないけれども、結局一部の渡り鳥的な「愚連隊」のようなメンバーに、知らないうちに(あるいは知りつつも)企業の根本を腐食されることになる。

もっとも企業側も狡猾であり、こうしたグループを何度も切り捨てては、企業全体が生まれ変わったかのような「偽の禊」を演出して、結局同じようなことを繰り返していく場合もあるから、どちらもどちらという面もあるが。

結果的に多大なる損害を受けるのは、もちろん彼らの活動を黙認することで支援した企業であるが、社会的な騒ぎになっているころには、それらの者たちはわずかな罰金など、巧みに微罪で切り抜けて次のショバを求めて「予定の範囲として」移動していることが多いのである。そこで同じようなことをまた繰り返す。

そうした裏の実態を見つめることにも報道は配慮すべきであると思うが、もしも業界の実態を、より具体的に知っている人がいれば積極的にブログなどで発信していくことも意義があると思う。

2006 04 16 [経済・政治・国際] | 固定リンク | コメント(6) | トラックバック

April 15, 2006

土曜日なので遊園地の話をします。

彗星のようなひらがな童話作家が出てきたので、これからは「大人の童話」の時代かなあと思って期待していたのですが(変な意味じゃないですよ)突然閉鎖されてしまったようです。何かあったのでしょうか。とても心配です。

で、今日は土曜日なので遊園地の話。

先日、遊園地の前で言い争いをしている親子を見た。何でも入場券のことで揉めているらしい。父親が息子(らしい)に入場券を買ったかどうか確認しているが、息子の返事がどうも意味不明。

ちなみにこの息子、「決して嘘を言わない」らしい。(そんなことどこから聞いたかって?くもの巣の上にメモが置いてあったんだ。それ以上は聞かないように。)とにかく絶対に嘘はつかない、頭のいい子なんだ。それをよく覚えておいて。

「で、お前入場券は買ったのか?」

「買ったかどうかを確認する前に、すでに買ってないと決め付けている、人には答えたくない

「お前ねえ。ずいぶん大人びた返事をするな。(親子だって設定だぞ、少しは場面を考えろ) じゃあ、買ったということか?」

「買ったと決めつけるならそう思っていればいいだろう。」

「じゃあ買ってないのか?」

「買ったといってもそれを証明しろととーちゃんは言うだろう」

「当たり前だろ。遊園地に入れないじゃないか」

「買ったと僕が言っても遊園地の職員がそれを嘘の入場券だと言ったらどうする

「じゃあ、買ったということか?まず買えよ」

「買ったとか買ってないとかいうことではなく、それ自体に意味がないということだ。遊園地の玄関に入場券の金額は出ているが、入場券がないと絶対に入れないとも書いてない」

「じゃあ買ってないんだな?なぜ買わない。すぐ買ってこい」

「その命令口調が気に入らない。そんな命令口調で言う人のいうことは聞けない。

「じゃあいいよ。しばらく考えろ」

「とーちゃん」

「何だよ」

「腹が減った」

「レストランは遊園地の中だ」

「じゃあこうしよう。入場券の話はいったんおいておいて、まずレストランで昼食にしようよ」

「勝手を言うな。それなら入場券を買って来い」

何をどう進めるのか順番について指図しないで欲しい。僕はまずレストランで食事したい。入場券の話はその後だ」

「お前ってやつは・・」

確かにこの息子は一度も嘘を言っていないんだから大したもんだ。でもなぜそんなに入場券についてはっきり答えないんだろうか。そんなにこの話がいやなら遊園地になんか入らなければいいのに。遊園地だからといってそんなに楽しいことばかりじゃないかもしれないし。遊園地に入りたいなら入場券をさっさと買えばいいのに・・・あ、すでに買っている可能性もあるんだね。

うーん、難しい子供ですね。どうしたらいいんでしょうか。
え?お節介?そら失礼。

【加筆】
お節介ついでにリンクをひとつ。ここでも似たような話をしていましたので。

2006 04 15 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント(7) | トラックバック

April 14, 2006

今夜は才人よりも鯨の安否を心配することにします。

誰もクジラの安否を心配していないのでしょうか

わあ、何てタイトルのエントリーだと思った。鯨よりも怪我をした人のことを心配しろとかそんなことは言う気になりません。5号館さんは確か生物学者さん(そうですよね?)なので、こういう感想も一際だと思う。
それにしても、最近どうして鯨と船の衝突が増えているんだろうか。子供のころなんてこんな話聞いたこともなかったよね。上のエントリーでテーマになった事件については、船がぶつかったのは「鯨ではない」説があるそうだが、それもはっきりしない。(ここでも陰謀論ですか)乗客はぶつかった直後に海が茶褐色になるのを見ているという話もある。やはり生体なんだろうか。でも鯨以外の生き物という考えもありますよね。ネッシーとか。(あ、ごめんなさい。)

やっぱり「平成狸合戦ぽんぽこ」みたいな話なのかな。人間が鯨の生育領域をじわじわと脅かしているのだろうか。この他にも引用したサイトのコメント欄では、海底ケーブルに絡まって死ぬ鯨の話だとか、鯨の個体数が増えているのではないかとかいう話が紹介されていました。

今頃海の底では大問題になっていて、鯨たちが額を寄せ合っているかもしれないね。

2006 04 14 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント(5) | トラックバック

April 12, 2006

形式くらいさっさと整えろ---ことのはの人に緊急連絡

冷静に書いていこうと思ったけど
http://d.hatena.ne.jp/matsunaga/20060412#1144809102
あたりとはてぶを読んでいたらあまりなことだったから今朝は緊急連絡。

さっさと形式的外観だけでも整えなさい。=脱会届の提出。
教団は脱会届を必要としていないなんてことは関係ない。その書類が今誰よりも必要なのは教団じゃなくてあんたでしょう。
それがあれば、不当に解職されたときに少しでも担保になる。

体調が悪いのは同情するけれど内容証明の体裁くらいわかるでしょ。今日の午後にでも出しなさいよ。その内容証明を見せるという声に対応するかどうかは次の問題。

【加筆】※僕のはてぶも貼っとく

言いたいことがあれば、ここでもどうぞ。 ↑強制なんぞしてない。キレてるんだ。 / もしこれもお節介だと松永さん思うなら2度と私の名前に言及して死ぬだの何だの言うな。意識があろうとなかろうと。

2006 04 12 [ことのはを巡る問題] | 固定リンク | コメント(40) | トラックバック

April 11, 2006

遺書もなく去る人を止めなければならない法はないが。---過剰なのか、鈍感なのか。

別に月曜日を越えたから書くわけではないが、そして当然のように今日は火曜日だし明日は水曜日であり、当然のように時間は過ぎていくのだから、だから今書くというわけでもないが

こういうトラックバックもいただいていたので、少し触れる。(しかしこれは引用先の筆者にのみ問うエントリーではない。念のために)

「ジャーナリズムの「評価」

一言で言うと、ついてゆけない。
どうして、そこまで熱くなれるのだろうか?

私も問おう。

どうして、そこまで醒めていられるのだろうか?

ある朝、新聞の片隅が黒く塗りつぶされて配達されてきたらどうするか。紙面には何の説明もない。噂ではその新聞社で何かがあったらしい。何かがあったらしいが、その「黒く塗りつぶされた部分」を読めなくても、その理由を知らなくても、うちの朝御飯に影響はない。きっとお父さんの給料にも子供の成績にも、あなたの住宅ローンにも影響はあるまい。

さて、大騒ぎして新聞社に電話する人間は過剰か。適切か。

例が大袈裟か?では変えよう。

テレビ番組のバラエティで、次長課長の台詞が5秒間にわたって削除されたまま放映された。おそらく放送不適切用語だろうと見当はつく。見当はつくのだが、その番組の終りには何のテロップも流れなかった。さて、どうなる?その理由を知らなくても、うちの朝御飯に影響はない。きっとお父さんの給料にも子供の成績にも、あなたの住宅ローンにも影響はあるまい。

さて、大騒ぎしてテレビ局に電話する人間は過剰か。適切か。

過剰と鈍感の差に個人差があることは認める。黒塗りどころか、新聞なんてとってねーよって?あるいは新聞が1日くらい来なくたってテレビガイドがあるからいーじゃねーかって?

是。是。

それはあなたの人生だ。好きにされるがよかろう。人生にはもっと楽しむべきことが沢山あろう。健康で美しい人生が。(あなたにとって)重箱の隅と思われるようなことに、何を苛ついて日をおくる?
あるいは世界には「もっと大切な」問題がある?それならあなたがその「もっと大切な」問題に拘ればいい。

OK。あなたの人生だ。あなたの人生はあなたのものだ。
だが「公共」はあなた1人のものではない。それは等しく私のものでもあるのだ。

公共にいるあなたは、聞かれれば答えなければならない。あなたの給料を聞いているのではないのだ。あなたの夫婦関係の不和を聞かれているわけではない。

あなたの出席した公党との会合に非合法者が悪意で紛れたと聞けばあなたはそれについて答えなければならない。そうだったのか?果たして違うのか。

あなたが受けたインタビューが、理由もわからず削除された。あなたの回答にあるいは、インタビュアーに問題があったのか?なかったのか。

あなたが書いたブログの原稿が「何者かの意図で」削除された。あなたに問題があったのか?なかったのか。

1つ1つに答えていくことを苦痛だと考えるなら、それらに関わるのがそれほど苦痛なら、答は簡単だ。公的空間に出ないことだ。
美しくつつましく(揶揄しているのではない)生きる方法はいくらでもある。よく考えて欲しい。公的空間に出てきたことは「あなたの意志」だ。誰かに強制されたわけでもあるまい。為すべきことが苦痛なら、為すべきことが重荷ならあなたの意志で、あなたの空間に戻ればいい。

それでも自らが去るときには遺書くらい書いていくのが当然であり、残された者への礼儀であろうと「私は」思うが、もちろん遺書もなく去っていく人たちも大勢いる。それならそれ以上言うべき言葉はない。

それも「あなたの」自由である。だが私は「そうしない」というだけである。

【参考記事】
湯川氏と時事通信社は一刻も早い説明を。------泉インタビューの削除に関して(Bigbang)

【参照】

渦中の時期に上がったことには何の意味もないのだろうか。意味があるのだろうか。先日絶妙かつ外した煽りで強烈に揺さぶっていただいた、その同じ人の筆によるとは信じられない。謹んで拝読しかつ共感した。

「自分は要らない存在じゃないか」と悩んだ人と考えるトピック(切込隊長BLOG(ブログ)~俺様キングダム~)

2006 04 11 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント(25) | トラックバック

April 09, 2006

もう椅子からずり落ちないように----民主党米PR会社と縁切り

ようやく・・という感じと今更・・という感じ。

民主党が、米国系PR会社「フライシュマンヒラードジャパン」(東京都中央区)との間で結んでいた、政党イメージや選挙のコンサルティングに関する契約を 打ち切っていたことが七日、分かった。昨年夏の総選挙での敗北が直接の原因。七日に実施された代表選でのメディア戦略などは、外部の専門家を入れずに、党 スタッフ中心で仕切られた。(民主党 米PR会社とのコンサル契約打ち切り-FujiSankei Business i. 2006/4/8

民主党懇談会のときに、絶対聞いてみたいと思っていたテーマのひとつが、この「日本をあきらめない」というキャッチへの評価だったが、居合わせた松本政調会長や、大塚参議院議員は、口を揃えて「(岡田さん中心に)いつの間にか決まっちゃいました」「聞いた瞬間椅子からずり落ちましたよ わっと」などと評していた。広報戦略を構築した「党スタッフ」というのが具体的に、誰だったのか。わからぬまま。

代表以外の現執行部がそのまま留任となった今日、「ブロガー懇談会は?」と誰かが聞いたとき、執行部が口を揃えて「あれは前原さんのたっての希望で・・最初にやるって聞いたとき、椅子からずり落ちましたよ」なんて言わなければいいけれど。

もっとも今はこちらもそれどころではないが。

日本では、徹底した世論調査や、新聞・テレビニュースでの民主党の扱われ方などを調べ上げ、今後の展開を提案するなど、党のイメージ戦略に大きな影響を与 えてきた。民主党が主導権を持って実現した選挙へのマニフェスト導入にも力を発揮してきた。コンサルティング料は、年間一億円以上だった。(同上)

マニュフェストなどといった「地味な努力」は所詮一発の失敗キャッチで台無しになるのか。岡田さんをメインビジュアルにしたのはいいが、あの「暗い」頑なさがまたマイナス評価になったと思う。

だが昨年九月の総選挙で「ニッポンをあきらめない」をコピーにした民主党は、「改革を止めるな」を訴えた自民党に惨敗。党内で「日本の選挙ではPR会社に任せても票は取れない」といった議論がわき出て、契約を打ち切ったようだ。
 民主党では「最低限の運営は、PR会社などに頼む場合もあるが、現在はどことも契約していない」と話している。
 今回の打ち切りについて自民党の広報担当は、「代表選でのメディア戦略が控えめだったのが印象的だった。小沢さんはもともとメディア嫌い。民主党はPR戦略を重視しない党になる可能性がある」とみている。                                                          (同上)

「日本の選挙ではPR会社に任せても票は取れない」ってのは、商品不発の原因をすべて広告代理店に押し付けている無能な企業広報部のように見える。もっとも、「無能な」企業広報部ですら、別の代理店を使おうとは思っても、代理店自体を使うことを放棄したりはしないのだが。

小沢さんはもともとメディア嫌い。

小澤の「良さ」は政策であり、イメージではない。
という意味であれば、悪くはないのだが、これはどう出るか。

それはともかく前原代表での総選挙を一度くらいは見てみたかった気もする。

小沢氏のことはまた今度。


 

2006 04 09 [経済・政治・国際] | 固定リンク | コメント(3) | トラックバック

April 08, 2006

湯川氏と時事通信社は一刻も早い説明を(2)------泉インタビューの削除に関して

スポンタさんやトリルさんの言われることもわかるけれど、やはりこればかりは湯川さんが自分で責任をとって、公共に対して説明する以外の選択肢はないと私は思う。
私もかなり性急な姿勢で回答を迫っているし、おそらく今日の段階でそれに対して早急な回答ができない事情があるということもわかってきたけれど、そしてその雰囲気を伝えてくれたのはお2人だけれど、これ以上は何分にも本人がしっかりと説明しないことには、収まらない。

何者かの、富士通への垂れ込みが原因であったかのような情報であるが、これも現在の状況では、はっきりと確定できない。例えそうであったとしても(つまり富士通への情報提供が読者からあったとしても)所属の時事通信社へ、この2日何の相談も報告もなされていないとは考えにくいと思っている。スポンサーである富士通と湯川氏の所属企業である報道機関、時事通信社の間でどういう話がされたのか、されなかったのか。削除までの速度が非常に速かったことも、不思議と言えば不思議である。

今回の出来事が非常に厄介な状態を招いたのは、この「削除事件」によって、否応なく富士通や時事通信といった大企業が、一連のことのは事件や泉さんにまつわる出来事に対して、コメントなり姿勢なりを示さなければならない可能性が出てきたということ。企業にとっては大変に面倒な局面に追い込まれることになる。

今回の一連の出来事の奥は根深い。簡単に泉さんと「通常のよくあるブログ炎上」エピソード扱いの懇談を行ってまとめて、何とかなるという性質の問題ではないのであり、それを認識しなかった湯川氏の事前リサーチが非常に甘かったことを曝け出したことだけは間違いない。

一方で、背後の「力」が、「たかがブログ上の出来事」であるとして、黙殺して強硬突破しようとする可能性もある。blogosphereはそれを警戒すべきであろう。企業の判断がいつも的確であるとは限らないことは経験の示すところ。もしもこれが個人的自主規制=湯川さんの個人的考え方で削除されたのなら、遥かに事は単純であったろうが。言論ブログにホスティング業者以外のスポンサーがいる場合の問題点、サラリーマン報道ブロガーの問題点も露呈したと言えるだろう。

」が表示できなくなったとき、確かに湯川さんは「驚いて」おられ、自分が「表」を削除したのではないことを「」で言明しておられた。サイトの不具合であると思われていたようである。湯川さんの運営方法の独特の特徴。つまり「裏」対「表」の二重構造が裏目に出た形となった。つまり記事が「削除された」サイトオーナー本人がそれに対して狼狽しているという無様な状態を曝け出してしまったわけである。standpoint1989氏の指摘は、この経過の不明朗さについて説明を求めるものであるが、たまたま同時期に実際に「表」でシステム不調が起きていたという説もあり、実際はどうであったのか、やはり湯川さんの説明が待たれるところである。

月曜日なのか。やはり。

※「裏」のブログのホスティングは知られているとおりココログ(Nifty)であるが、エキサイト(4/8 訂正)であるが、「表」のドメインはblog-jiji.com(これについてはGMOインターネットでホスティングされているようであるが・・・)。

2006 04 08 [ことのはを巡る問題] | 固定リンク | コメント(24) | トラックバック

湯川氏と時事通信社は一刻も早い説明を。------泉インタビューの削除に関して

そう慌てることはないという生ぬるい論には今回は組することはできない。

「コメントを受けて成長-泉あい氏」(湯川鶴章のIT潮流

にアップされた泉あいさんのインタビュー(ポッドキャスティング)が突然削除され、その後、公共に対して何の説明もない状況が続いている。
会社としての見解をまとめて月曜日に発表するといった情報がトリルさん経由スポンタさんで入ってきているが、(トリルさんスポンタさんには他意はないが)なぜそうしたことを含めて湯川さんご本人が、直接ブログで経過説明をされないのか。

●問題となった点

●削除に至った経緯

●今後の対応の見通し

●現在の所感

この4つくらいのことを、公表できる範囲とできない範囲に区分けして、少なくとも削除の当日、ジャーナリストとしては公共に対してメッセージを出すべきである。経緯から見て時事通信社がこの件に関与していないとは考えづらい。今日は土曜日であるが、企業としての活動を休日だからといって、休みにしていいような体質でもあるまい。時事通信社は24時間闘っている企業ではないのか。

100歩譲って企業としての説明の方向性が整理できなくても、1人の言論の人として出せる言葉はあるはずである。

この程度の問題は、民主のメール疑惑でもあるまいし、一刻を争う問題ではないとたかを括られているとすれば、それは違う。どんな企業のどんな問題も、その発生当初に当事者が「時間的危機意識」を持てなかったのが、それがのちに問題を広げた大きな原因である。まさに幾度もその現場を目撃してきたメディアの記者であるはずの湯川さんが、そのことの大事さを理解できないわけはあるまい。
すべてを一気に出すことができないことくらいは、企業人=オトナであれば理解もする。区分けは許容される範囲である。それにしても削除以来のこの沈黙は長すぎる。Blogの力を舐めているのではないか。(この言葉を湯川さんに投げなければならないのか)

鮫島氏のように「コワモテ」の期限切をする意図はないが、月曜日などと言わず、騒ぎが拡大する前に、中途説明のエントリーくらい上げることが、プロフェッショナル湯川氏の最低の義務ではないか。すぐに個人的なコメントくらいは出して欲しい。しかもpodcastingしたブログはあなたの「表」であり、「裏」ではない。説明のミッションは高い。

GripBlogがことのは問題への的確な説明対応に遅れ、追い詰められていったのは、十分にお分かりの上で、あのインタビューを企画されたと信じる。その取材者が、また同じような説明の遅延で追い詰められていくのを見るに忍びない。

この道はいつか来た道である。

しかも泉さんはアマチュアであったかもしれないが、あなたはプロフェッショナルである。プロフェッショナルの技量を発揮するミッションの重みは、blogosphereでは例外であるというわけではない。

出て来た言葉を私は批判しているのではなく、言葉が出て来ないことを批判しているのである。

オーマイニュースを論じる以前の問題だ。



【加筆訂正 4/8】
翌週に関する情報を私信からとしてアップされていたのは、トリルさんではなくスポンタさんのようでした。ご両人にお詫びします。

【加筆:関連リンク】
ネットは新聞を殺すのかblog

2006 04 08 [ことのはを巡る問題] | 固定リンク | コメント(7) | トラックバック

April 07, 2006

6,281万4,000人は今月1度もここには来ない

1人。

自分以外誰も読む人がいないブログ。
寂しいけれど、本来の日記だね。時々誰かが「間違って」やってくるかもしれないだけ、どきどきする。最初に来るのは誰だろう?
悪くないよね。

2人。

自分以外に読む人が「1人」いるブログ。
それは誰だろう?恋人?友人?夫婦?交換日記のようなものか。
悪くないよね。


5人。

仲間のブログ。5人いれば結構話題が続く。順番にふられた話でもすれば朝までもつかもしれない。5人揃って朝の光の中で目をこする。
悪くないよね。

10人。

ブログが燃えちゃうとか言っても、別に本当に燃えるわけではないのだが。
コメント欄に管理人に対して「反感を持つ」10人くらい張り付いちゃうとそういう状態になるのだそうだ。
でもいきなり「反感」を持った人が10人来るのは考えづらい。やくざだっていきなり殴らないだろ?だからまだ燃えない。
悪くないよね。


100人。

賑わってきた。管理人を外してコメントの応酬もあるけれど、揉め事もありそうだ。このうちの10人が「貼りつくと」ブログが燃えちゃう。いや、本当に燃えるわけではない。(もう書いた)
悪くないよね?


1,000人。

今BigBangに1日に訪れる人がだいたいこの前後。だからこういう状態。200人に1人くらいが毎日コメントを書き、1000人に1人くらいがメールをくれる。燃える寸前だと(苦笑)50人に1人が毎日コメントを書く。喧嘩、揉め事。日常。毎日2ちゃんからお客様が来る。いつも誰かが落ち込んでいる。いつも誰かが怒っている。めったにトラバを飛ばさなくなる。そのくせぶくまする。

管理人はしばらくネットから離れるかなどと言い出す。寝不足が続く。
で、結局離れられない。

悪く・・悪くなってきた?


30,000人。

1ケ月に最低1回はここを読んでくれる人。そろそろ逃避癖が強くなりブログを分けようかと考え始め、はてなに手が伸びる。
またブログかよ。

そっちでぐだぐだする。
自分のブログでは落ち着かなくなってくる。ここまで来るまでに、何回かは半分ブログは燃えている。あ、本当に燃えるわけでは・・(しつこい)

2ちゃんを見るのはやめようと思う。

でも見ちゃう。


日本のインターネット人口は6,284万4,000人(2004年)

つまり6,281万4,000人は今月1度もここには来ないということだ。

30,000人が僕を死ぬほど嫌いだとすれば6,278万4,000人が僕を愛している(と思う)。

コメント欄に10人貼りついても、6,278万4,000人が一斉に水をかけてくれる(と思う)。

もしも100万人が貼りついてしまったら、どうしよう。
その時は6,200万・・・・水を

いや、その時はブログを閉めよう。
消えていこう。

悪くないよね?

2006 04 07 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント(10) | トラックバック

今後のGripBlog---泉さんのポッドキャスティング

湯川さんのサイトで、泉さんがインタビューに応じておられる。
懐かしくお声をお聞きしました。

コメントを受けて成長-泉あい氏

細かい論評は差し控えますが、今回の騒動の件や今後のGripBlogの方向性について彼女が肉声で語っておられるので、彼女にお会いになったことのない人にとっては評価はともかく貴重な情報だと思うので紹介しておきます。

ほんの少しume氏の近況も触れておられるが、この件に関しては詳しい話はされていない。




【加筆】

論評しないと書きましたが、やっぱり少し論評します。せっかくの機会なのに、大変に残念な内容のインタビューです。ジャーナリストは、おそらく「対象を語りつくす」ことでジャーナリストになるのだと思います。取材対象を徹底的に語ることが、自分を語ることになるし、自分を理解させることにもなる。決して自分を語ることで手一杯になってはいけない。たとえ「力不足で成長途上の」ジャーナリストであっても。それは天性のものが要求される部分だと思います。勉強してどうなるというものではない。
どうなるものでもないと書くと突き放すことになりますが、まず環境を落ち着けたら今度こそ性根を入れてやっていただきたいと思います。

そうした意味で、いろいろ過去があるにしろ、人間的評価にいろいろ声があるにしろ、対象松永氏にあそこまで迫った野田氏はそういう点において紛れもないジャーナリストです。

これを聞いて私はそう思いました。

【加筆 4/7夕】

理由はわかりませんが、湯川ブログの表裏双方から、泉さんの記事が突然削除されました。何かが起きたようですが、詳細は湯川さんから説明があるでしょう。消されたことに、最初ご本人は気がつかなかったようですね。

 

2006 04 07 [ことのはを巡る問題] | 固定リンク | コメント(13) | トラックバック

April 05, 2006

ことのはの背負ったもの(4)-----もちろん命は大切だけれど

■「ことのはを巡る」を考える会(仮称)

への答は一応、ここで返したんだけれど、それはそれとして、ここのところというか毎日のように備忘録ことのはインフォーマルを読んでいるんだけれど、そしてあまり余計なことを言わないように辛抱強く待っていたつもりなんだけれど、ちょっと最近違うなあという気がしているのでちょっと書く。
別のエントリーでも書いたけれど、ことのはの人の説明は、当初の勢いがすっかり消えて、話の核心の部分は中途で避けて、最近は枝葉末節のところでヒートしたり、「爆笑」したり。そういう状態を見ていることは、ある意味でとても失望し虚脱感を覚える。

お前が虚脱しようと失望しようと知ったことかという見方もあるかもしれないが、そういう意味では元々僕にしても彼の人が「どうなろうと」(つまり現在でもそうした信仰があろうとなかろうと、今後どうなろうと)知ったことではない。いや正確に言うと「知ったことではないはず」なのだけれど、じゃあ本当に松永英明という才人が消えてなくなろうと、仕事に窮して教団に戻ろうと、病に倒れてフェードしようと、どうでもいいと考えているかというと、そんな風にはどうしても思えないし、そう思えない者がいつまでもここに拘り続けているのだと思う。

もちろん全部じゃないさ。「厨房」や「煽り」のひどいのもいっぱいある。それはあるんだが、今ことのはの直面していることは、そんな次元に関わることではなく、何よりも自分の本筋を正面から語ることだと思うのだ。野田のこととか結核のこととか、中国のこととかじゃなくて。

この話に「結核」まで混ぜたのには理由があり、病気というのは本来ならば、本当に重大なことであるとは思うけれど、残念ながら本件で語る必要のある部分とは、「関係がない」ということだ。そういう意味で「結核すら」僕たちにとっては野田のことと同じ次元の余計なことでしかない。

過酷な言い方で申し訳ないけれど、結核の薬の写真をアップしたり、診断書をアップしたりすることに、真実へのどんなルートがあるんだろうか。どんな意味があるんだろうか。この行為でもしも同情へのリーディングや誘導を意図していないとすれば、どんな意図があるのか俄かに想像ができない。

人の命に関わるかもしれない病気のことを、こんな風に言うのは大変に意に染まないし、一部には猛反発する人もいるかもしれないけれど、ことのはの人にとって今重要なのは、病気のこと「ですら」ない。その次元はもう11年前に超えてしまっているはずだ。本人の命の問題ですら、この件にあっては「一部の問題」であり、本筋からは阻却されるべき問題ではないか。

おおよその場合人間は、まず自分の命を何よりも大切にしなければならないのは言うまでもないのであり、それと同じように他人の命を大事にしなければならない。他人の命と自分の命のどちらもが、相互に干渉して他方を阻害してはならないというのが、この社会の基本的な約束であると思う。ところが、本件の根源には、この阻害が極めて無残な形でなされたという重い過去がある。11年前にこの原則が踏みにじられたのだ。

ここが他の問題とこの問題の全く違うところであり、その極めて重い重要な部分に比して、それよりも優先されるべきことは今何もないと僕は思う。厨房への恫喝も、野田の過去も、そしてあなたの病気ですらもだ。この「語るべきことの重さ」よりも優先されることは、今ないはずだ。

教団を離れた時期とプロセスにしても、事件への総括にしても、この時期の中国行きにしても、途中まで語り始めて、理解できない「他の」理由でぱたりと止まった自伝にしても、彼の人の周囲には相変わらず不明な霧が拭われず残っている。

■[今日の更新] 20:20
オウムの件についてはこちらで今すぐ更新しない方がよさそうなので停止中(別の形で出てから)

■教団側は 13:33
私の仕事が壊滅して生活できなくなって教団に戻ることを期待しているようだ。
今のところ収入が途絶えることは回避できそうだけど。
備忘録ことのはインフォーマル)

今は本筋を見据えて

(1)あなたがどう関わっていたのか
(2)そのことをどのように受け止めているのか
(3)そこからどのように離れようとしているのか

の正面からの描写に、今はとにかく全力を尽くすべきではないのか。

かつてやはりその人は仏教徒であったのだろうし、命の無常についても思いをしたはずだ。であれば、命の終わりがすべての終わりだと思っているとは思えない。病を軽んじろとは努々言う気はないが、それと同じほどに、語るという重いミッションを妙な形でごまかすべきではない。人はしっかりと見ているのである。
すべては時期の問題だけなのであり、いずれ彼の人の言うようにすべてが語られるときが来るのであれば、性急な杞憂に過ぎないのであろうが。

で、戻るけれど、彼の人を語らせるためには「しっかりとした対抗拠点」の存在が不可欠だと思う。そうした意味で「まとめサイト」も重要である。本人に対話のルートを持っていた泉さんのGripBlogがそういう意味では最適だと思っていたけれど、ここのところの展開を見ていると、彼女にそれを求めるのはもはや無理だ。であれば、そしてこの文脈であれば「「ことのはを巡る」を考える会(仮称)」の活動も意義があると思う。

ただこの問題は決してエンターティメントにはなり得ぬのであり、一緒に飲んで語り打ち解ければそれでOKというようなところとは基本的に次元の違う、重い宿命を背負っていることを忘れてはいけないと思う。

いま思っていることはそういうことだ。

【参考リンク】
■「ことのはを巡る」を考える会(仮称)」で思うこと。(finalventの日記)

2006 04 05 [ことのはを巡る問題] | 固定リンク | コメント(25) | トラックバック

April 03, 2006

Maid in JCB----嘘だと言ってくれ。

4月3日22:06現在。真偽わからず。
(エイプリルフール終了後26時間経過)

嘘だと言ってくれ

http://www.jcbcard.jp/maid/

怪しいドメインだと思ったけど、これを見るとマジっぽいよね。


http://72.14.203.104/search?q=cache:_3HIZR3P1P0J:www.jcbcard.jp/frn/+%E6%A0%AA%E5%BC%8F%E4%BC%9A%E7%A4%BE%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%93%E3%83%BC%E8%A5%BF%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%96%B6%E6%A5%AD%E9%83%A8&hl=ja&gl=jp&ct=clnk&cd=2&lr=lang_ja&client=