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May 10, 2006

中村屋のボース----恋とインド革命とアジア主義と謎の青い球

Boos

新宿中村屋にインドカリーを持ち込んだのは、インド独立運動で名をはせたラース・ビハリー・ボース(R.B.ボース)である。(同じくインド革命の英雄チャンドラ・ボースとは友人だが別人)インド総督ハーディングに爆弾を投げつけた「テロリスト」ボースは日本に亡命し、当時の新宿中村パン屋の当主、相馬愛蔵と妻の黒光の保護を受け、やがて彼らの娘、相馬俊子と結婚する。中村屋は、ボースを記念して長く中村屋のインドカリー(インドカレーではない。カリーである)にこだわり、その伝統を守り続けた。

そのあたりまでの知識はおぼろげながらあったのだが、戦前戦後の日本のアジア主義の系譜の中で「思想家R.B.ボース」がいかなる存在であったのかを、当初大学生でありながら、著者中島岳志がボースの娘樋口哲子氏の資料提供等、全面支援を受けながら、ボース研究の執念の結晶として書き綴ったのが本書である。第5回大佛次郎論壇賞(朝日新聞社主催)を受賞している。

ここには、日本の「アジア主義者」あるいは単に「国粋右翼」として括られる頭山満、大川周明、そしてチャンドラ・ボースらの実像が、ビビッドに魅力的に描写されている。
インドの独立運動をひたすら願いつつ、心ならずも日本に亡命して、中村屋のアトリエで潜伏し、後にとりあえずの自由を得たボースは、その後も長くイギリスの機関に命を狙われ続ける。果敢に彼を支えた俊子の急逝、男気とはこういうものだと思わせる相馬愛蔵、頭山満らの群像は、現代日本の姑息な日常に生きる者にはまぶしい。

やがてボースは大東亜共栄圏の理想を支持しつつも、それを利用してインド独立を果たそうとする夢に破れ、絶望しつつ生涯を終える。アジアの欧米からの独立を実現するために、日本の台頭に期待しながらも、自国の誇りとの間に板ばさみになっていた、当時のアジアの知識人の思いがどんなものであったか。画一的な戦前アジア思想への批判では描ききれない世界が、ここにある。推奨できる貴重なルポルタージュである。

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そんなボースにどっぷり浸っていた僕は、打ち合わせ先で、あのタヌキ関連の歴史好きの友人に、この本を見せて、ぜひ読むべきだと薦めた。すると、さすがタヌキの森の守護者は凄いことを言い出した。

「ちょっと待って」

さっきまでGoogle Earthが動いていた彼のパソコンに、目まぐるしい勢いでたくさんの画像が表示されていく。

「まさかボースの写真もパソコンにあるとか言わないでよ・・・・・・って・・・おい!何だ、それは!」

彼のパソコンには、中村屋のアトリエやボースの顔写真、相馬夫妻の写真などが次々と表示されたではないか。

「それって・・・ローカルだよね?今ネットから持ってきたんじゃないよね?」

タヌキの守護者が説明してくれたことには、なんと1週間ほど前に偶然彼は、ボースが身を潜めていた中村屋のアトリエ(このアトリエは、荻原禄山が作ったものである)の前住人、画家の中村彝(ツネ)の下落合のアトリエを訪ねて、写真を多く撮ってきたばかりだという。なんという偶然!

Tsune

身を乗り出すと、1枚不思議な写真がある。アトリエの廊下を写した一角の暗闇に、青い鮮やかな球が宙に浮いている。

「何?これ?ハレーション?」

「いや・・・これを見てよ。これなんだと思う? 俺が撮った写真なんだけど」

彼が青い球を拡大した。すると表面に無数の網目模様が入っている。毛糸で編んだ青い球のようであるが模様は意外と規則的。長く写真をやっていた僕には、これが明らかにハレーションでないことはわかる。

「何?これ?」

繰り返しながら息を呑む。薄暗い中村彝のアトリエの廊下に浮かぶ青い球。
彼によれば、その場所の写真を撮ったときには、何も見えなかったという。しばらく僕たちはその不思議な青い球を眺めて黙っていた。

何かボースに呼ばれたといえば、因縁話になる。なるが、そういうこともある。この球が何だかわからないが、希代の革命家の周辺とその後世に、そういうことがあっても不思議ではない。

というわけで不思議な青い球を見ながら、読了したばかりの「中村屋のボース」とR.B.ボースの生涯を、もう一度思い出していた。

果たして友人と一緒に、タヌキの森のぽんぽこに騙されたか??あるいは何かに呼ばれているのでしょうか。

#またインドですか。やばいです。

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Comments

新宿中村屋でカレー、じゃなくてカリーがあったとは知りませんでした。しかも、チャンドラ・ボースと友人の人だったとは。チャンドラ・ボースにせよ、ラース・ビハリー・ボースにせよ、日本と関わったインド独立の先駆者たちは結果的には失敗し、日本とは関わらなかったネルーやカンジーがインド独立を成し遂げた、その違いはなんであったのだろうと考えます。そこに、戦前の日本が言っていた大東亜新秩序なるものの真実があるのではないでしょうか。

それにしても、その青い球体ですが、きっと・・・・それを追って赤い球体が現れるんじゃないかと思うのですが。写っていなかったでしょうか。

青いオーブですか・・・青いオーラなら「博愛」気質とか。
ボースの至誠さに打たれ、ただただ支援し続けたような人がいたのですから、空気が未だに漂ってるのかも知れませんね。

うん、空気が漂っているのはあるでしょうね。それを信じられるほどには「観想」的ではあります。

で、真魚さん。赤い球体って何?

この本を読みますとね。アジアの日本以外の国の人たちの、「大東亜共栄圏」に対する気持ちが実際どうだったか。すごく考えさせられるんですよ。もちろん、そこには非常にまずい部分もあったんですが、少なくとも歴史の教科書には書いてないと思いますね。このあたりの複雑な心情は。

で、そのあたりが何我々が、ふるい落としてきたもののコアなんじゃないかなあ。

そうですね。現状として欧米の植民地の下で、なんとかしなくてはならないと考えていたアジアの知識人は数多くいて、良きにせよ悪しきにせよ大日本帝国の掲げた「大東亜共栄圏」に希望を託したことは事実だったと思います。日本の側も、それに応えようとした人々は数多くいて、例えば大川周明のアジア主義は、そうしたアジアの希望に応える理念だったと思います。大川周明なんて、東京裁判で東条のアタマを叩いた人ぐらいのことしか、一般的に知られていないですけど、この人は見直されるべき思想家ですね。我々戦後日本人は、かつてこの国が掲げた「大東亜共栄圏」をきれいさっぱり忘れましたが、日本以外のアジアはまだそれを覚えていますから。そのへんも、今の日本と他のアジア諸国のぎくしゃくした関係の原因のひとつだと思います。アジアの人々の日本に対する心情は複雑なんでしょうねえ。この本、僕も読んでみます。

赤い球体って、あれですよー。かとくたいのビートルが激突してぇ。あっでもサイズが小さいでしたね。

大東亜共栄会議については、まだ研究者の間でも評価がわかれていますが、少なくともRBボースの手記を見る限りは、全くの日本による茶番会議であるという見方はしづらいように思います。

ぜひ、真魚さん、読んで見てください。

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