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June 29, 2006

手塚治虫と時刻表

ここでは、無理して「手塚治虫」などとと書いたが、僕にとっては「手塚治虫」と呼ぶのは今でも抵抗がある。僕にとっては、あくまでも手塚先生である。手塚先生とは、20代のころに何年間か断続的に仕事をご一緒させていただいた。「ご一緒させていただいた」などというのは、ご推察の通り、背伸びもいいところで事実と異なる。

ある文化イベントの催事で僕が手塚先生の担当ディレクターになったのをきっかけに、それ以来いくつかの講演会で担当を勤め、日本各地に何度かご一緒させていただいた。いや、「下働きをさせていただいた」。イベント会社に勤めていた若いころのことである。

手塚プロの社長ともその関係で何度かご一緒したが、こんなことがあった。
初めての担当のときである。

ある地方で手塚先生の講演があり、先に現地入りしていた僕のところに、慌てた調子で手塚プロの社長から電話がきた。いつになくあせった口調である。聞けば、手塚先生と同行するつもりが一緒に来れなくなり、手塚さんが先に一人で来ることになったということ、そして東京を出る時間が遅くなったので、予定よりも遅い電車で着くが、駅まで出迎えに行ってくれないかとのことである。

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June 24, 2006

「人間のくず」とルービックキューブ

ルービックキューブをくるくるーっと回しても、青が赤に変わるわけではない。
赤は赤。青は青。
裏に行こうと側面に来ようと、それぞれのパーツの色は変わらない。「人間のくずの色」(というものがもしあれば)それはどこまで行っても「人間のくずの色」である。
裏に回しても、横に回しても。

はっきり言って、僕は小飼弾氏という人物を尊敬している。それは、その人物の持っている並外れた才能と知性に素直に尊敬の念を持っているからであり、それはどうしても否めない。で、たとえばそれはルービックキューブで言うなら「尊敬している部分の色」である。いくらルービックキューブをくるくる回しても、その色も消えることはない。
どこでどんな形の「弾キューブ」を見ても、僕はその部分を取り出してやはり尊敬の念を表すことができる。

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June 21, 2006

ビルゲイツはヒーローか悪玉か----東洋の貧者の穿った憶測

いささか前のニュースになるが、ビルゲイツの引退についてCNET JAPANに「B・ゲイツ氏退任表明:ブログや掲示板での反応」と題して、掲示板やブログに見られるこのニュースに関する受け止め方の典型例が類別されていた。それによればこのニュースに関してポジティブな見方をする「ヒーロー派」と素直に感動できない「悪人派」に分けられるという。それをちょっと紹介。

Gatesヒーロー派:「Bill Gates氏をその功績について常に尊敬してきた。他人が何と言おうと構わない。世界で最も人気のあるOSと『Office』製品の開発を指揮し、職場としても素晴しい会社を経営して成長させ(そう聞いている)、チーフソフトウェアアーキテクトとして日々の開発業務にも関わり続けてきたのは、素晴しいことだ」--mytton.netの特集記事「Gates時代の終わり」より

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June 20, 2006

お帰りなさい。

お帰りなさい。

天才を以ってしても、ひらがなだけというのは表現として早晩行き詰るのは必至。
漢字の大切さを思い出していただければまた吉。既知。貴地。

お帰りなさい。

天才を以ってしても、散らせる範囲には限界がある。
誰があなたに最後に付くか。考えていただければまた吉。機智。基地。

お帰りなさい。

天才を以ってしても、周囲には匹敵する天才も多々。
本当の力は大事なことにお使い下さい。大事とは何か。それはとっくに既知。吉。窺知。

一。二。三。四。ひがしむらやま。

一。二。三。四。一丁目。


そう、まず一丁目から。始めるのはあなたのほう。

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June 18, 2006

後部座席(終章)

今まで一度も僕は、あの車に少年以外の誰かが乗っていた可能性については考えたことがなかった。実際、警察でも、叔父からも、一度もそういった話は聞いたこともない。

彼はおそらく1人であったろうし、そもそも同乗者があったとしても、その存在を僕たちは知らされる必要もなかっただろう。誰かが仮に乗っていたとしても、いなかったとしても、それによってあの事故に影響がないのであれば、どちらでもいいことだとも思えるし、必要のないことは知らされなくて然るべきだったろう。

では、いったい僕は、なぜこんな奇妙な考えに取りつかれるようになったのだろうか。しかもそれだけではなく、久しぶりにあの時間のあの場所------伯母が少年の車に轢き殺されたあの瞬間の映像を、僕は再び心の中でリピートするようになったのである。
その風景はこれまでに何度も見てきたはずだった。ところが僕の視野は、以前とは全く異なっていたのである。
僕は今まで一度も味わったことの無い風変わりな場所から、事故を見ていた。

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June 15, 2006

後部座席(その3)

あれから20年以上の年月が経った。
あの日警察で固い床に跪いた彼は今頃どうしているのだろうか。

少年と書いたが、実はよく考えれば僕とそう年は変わらない。1人を死に追いやり、1人を生涯回復できない重症に追い込んだ彼のその後の人生は厳しかったであろうと想像する。

現場には事故の数週間後くらいに、行ってみた。車がスリップした後はまだ生々しく残っていた。バス停の近くで対向車線に追い抜きのためにはみ出した彼は、対向車にパニクッて逆に急ハンドルを切り、歩道に乗り上げた。にも関わらずさらに混乱し、信じられないことだがアクセルとブレーキを踏み間違えたのだ。車は歩道の敷石に上がったところでさらに加速し、バス停に突っ込んだ。
事故を見た人の話も聞きに言った。どんな細かいことも知りたいと思った。伯母が亡くなる時の様子をできるだけ細かく聞くこと。あれは仕方がない事故だったのだと納得をすることを求めていた。
今覚えば、事故の不可避性を自分に納得させることで、あの日跪いた少年を許すための道を探していたような気がする。

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June 14, 2006

後部座席(その2)

衝立一つ隔てた場所で、同時に調書をとられているのが、伯母を轢き殺した少年なのだ。何ということだろう。僕の心臓は高鳴り始めたが、もちろん伯父はそんなものではすまなかった。
先に調書が終わったのは、少年の方だった。彼が立ち上がった途端に、伯父の大声が響いた。

「ちょっと待て!!」

衝立はいつの間にか吹っ飛んでいた。怒鳴られた瞬間、少年は両膝を床について、何かを言おうとした。詫びの言葉だったのだろうが、言葉にならなかった。両手にかけられていた手錠の黒光りのする色と、比較的がっちりとした体格、ジーンズの色を今でも思い出す。

伯父は

「お前に、お前みたいなやつになあ、お前みたいなやつになあ、うちの女房はなあ」

と続けたが後は言葉にならなかった。警察官はただ立ちすくんでおり、僕もおろおろと無様に泣きながら、ただ必死に伯父を座らせようとするばかりで、馬鹿みたいに伯父さん、伯父さんと繰り返した。修羅場としか言い様がなかった。

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June 13, 2006

後部座席(その1)

この騒ぎが起きてから、いつか書こうとずっと思っていたことがある。伯母の話である。

大学2年のとき、交通事故で伯母が死んだ。

伯父と伯母(父の姉)には子供がいなかった。で、僕はこんな状況だったので、伯母はずいぶん僕のことを可愛がってくれていたのだが。伯母を轢き殺したのは19才の専門学校生だった。朝、学校に遅刻しそうだった彼は、反対車線に飛び出して対向車にぶつかりそうになり、慌ててハンドルを切り、バス停に突っ込んだ。

伯母はそこに立っていた。

その日の朝に限って、いつも利用するバス停を避けて、ひとつ先のバス停でバスを待っていたのである。いつも一緒に通勤する伯父は、一足先に出た後だった。体調が悪く、いつもより遅く家を出た伯母は時間を気にして、ひとつ駅よりのバス停を選んだ。いつもどこへ行くにも一緒だった夫婦が、稀に離れ離れになった瞬間だった。

それが永遠になった。
運命である。

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June 09, 2006

暴虐と矛盾に生きる。---村上世彰と新井将敬

で、それはともかく。

村上ファンドの一連の事件を見ていたら、あのことを思い出した。
新井将敬氏の自死についてである。

なぜ彼のことを思い出したのか。それは、時代も立場も違うとは言え、村上氏とのあまりの距離を、そして日本という国が歩いてきたこの何年かに、一体何が起こったのかについて、あらためて考え起こされたからかもしれない。新井氏にはもちろん面識はなかったが、当時は被差別者から立ち上がった「改革派のスター」として、メディアにもてはやされていた。
新井将敬が、「借名口座」でいったいいくらの額を調達しようとしたのかは、よく覚えていない。覚えてはいないが、罪状はやはり証券取引法違反である。さらにそれを超えて日興証券に利益追求していたとされ、逮捕直前に自ら命を絶った。あまりにもあっけない死であった。

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June 07, 2006

50万アクセス超えました

こんな最中で何だけど(最近いつも「何かの最中」)、開設以来通算で、さっき50万アクセスを超えたみたいです。だから何だという感じもありますが、2004年の春開設だから、およそ2年が経過。

もはや最近の状況を見ていると、続いているだけでもう獣。

アクセスがどうとかいう段階じゃなくなってきていますけれど、とりあえずは、こんなブログを読みに来てくれている皆様に、感謝と、よろしくと。

いつか真人間に戻りたいと思います。
ではでは。

希薄なのは「内環」の方ではないのか----佐々木俊尚氏に再度答える

再度この問題を取り上げていただいた佐々木氏の「ネット世論の「拠って立つ場所」とは」を興味深く拝見した。私のブログ他も具体的に引用していただいて、その開かれた姿勢にはまず感服する。というのも、そう言わざるを得ない惨状が今広がっているからである。理由は後で述べる。

その上で、の話である。

佐々木氏は前回のエントリー「「ことのは」問題を考える」の文末で、

「しかし私は今でも、マスメディアが声高に書いてきた絶対的正義の向こう側に、フラットになった言論の世界が誕生し、そこにインターネットのジャーナリズムの可能性があると信じている。なにがしかのその可能性が、単なる楽観主義でないことを、私は今ただひたすら祈っている。」

と表現した。

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June 05, 2006

週刊アスキーと歌田明弘氏への質問書(4)----歌田氏の回答(2)

歌田さんから、どういうわけかもう1通回答をいただいた。いい加減憂鬱になってきている上、前回以上に不愉快な内容だが、最初のものを公開して、こちらを公開しないのは片手落ちというものだろう。そういうわけで、公開をさせていただく。

論評は・・・・。 まあ後から考える。やれやれ。
(こちらもこのような人に質問したこと自体を後悔し始めたよ。まあお読みくだされ。)

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XXXXX(実名)様

 これ以上、お答えしないと言っておきながら、メールをお送りしてしまうのは何ですが(苦笑)、先の回答にひとつ重要な点が抜けていましたので、補足させていただきます。

 あなたは、そもそもume氏の挙動に異様なまでの関心をお持ちですが、私には、とりたててume氏の発言を追及する理由がありません。もしその発言に多少の違いがあったとしても、ume氏に根拠なく言うにはあまりに重大で不当な疑い(つまりオウムの関係者であるということ)がかけられてきたことは、ネット上で誰でも知りうる事実ですから、そういう意味で被害をうけたことは明白ではないでしょうか。
 

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June 04, 2006

「仮想報道 われわれはみな”隠れオウム”の容疑者」(週刊アスキー)の問題点について

週刊アスキー(2006年6月月13日号)掲載記事で、特に問題があると感じるのは次の一節である。順序が後先になるが、これについて認識されていないコメントも散見するので、確認の意味からも再掲しておく。

質問書
とその回答も参照して欲しい。

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●「オウム信者でないこと」を証明できるか

実質的により深刻な被害を受けたのは、泉氏にサーバーを貸していた男性かもしれない。「この男性こそが、『オウムの謀略』をたくらんだ黒幕」といった声が上がり、憶測にすぎないそうした話もネットで広まった。
 これまた唐突な疑いに思われるが、泉氏のブログに書かれたこの男性自身の文章によれば、こうした話には会社が神経を尖らせるシステム関係の仕事をしていたこともあって、結局、会社を辞めなければならなくなったという。 
 疑惑を知った会社は、オウムと無関係だと証明するよう求めてきたそうだ。 
 しかしこれは、言うはやすく、行なうのははなはだむずかしい。
 この男性は、オウムと関わりがないことを警察に証明してもらおうとしたところ、警察は、「まず、あなたがオウム信者でないことを警察に証明してください」と言ったという。
 笑い話のようだがほんとうにそうなのだ、と書いている。

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June 03, 2006

週刊アスキーと歌田明弘氏への質問書(3)----歌田氏の回答でわかったこと

私は、8つの質問を歌田氏に投げかけたのだけれど、結局はっきりお答えいただいたのは

(8)上記の松永氏インタビューの後、泉さんは、オウム真理教問題に長年取り組んでこられた、弁護士の滝本太郎氏にもインタビューを行っておられます。滝本氏は、先に松永氏になされたインタビューの内容の一部について、問題がある危険な部分を具体的に言及されておられます。松永氏のインタビューを紹介するなら、この滝本インタビューの内容にも触れないと、著しくバランスを欠いた記事になるのではないかと懸念されますが、この点に関してどのようにお考えですか?

だけ。

これについては、

>なお、ご質問をいただく以前に次の原稿が校了になっておりましたが、滝本弁護士の主張も興味深く拝読しましたので、こんどの火曜日発売の号で取上げさせていただきました。

のお答をいただいた。どうも普通に読むと歌田さんは、私が質問をするまで滝本弁護士のインタビューを読んでいなかったようにも思えるのだけれど、そこは定かではない。いずれにしても次の記事に反映されるようで、その点だけは良かった。

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週刊アスキーと歌田明弘氏への質問書(2)----歌田氏の回答

歌田さんから、早速ご回答をいただいたのでまずそのまま公開します。回答に関する論評は後で別に書きます。

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XXXX(実名)様

ご質問をいただきましたので、お答えさせていただきます。

ひとつひとつお答えしませんが、基本的にブログ記事等の情報にしたがったも
のについては、原稿中にそのむねを書いておりますので、原稿をお読みいただけ
ればわかるかと思います。

そのうえで、今回のご質問には直接かかわりないことですが、私が当該の連載
を始めるにあたっては、普通の人が普通にネットなどを通して集めたり接した情
報で、何が言え、どんなことがわかり、考えられるかに興味があって始め、それ
を原則にして書いてきましたし、少なくとも今のところこの連載についてはそう
いう形で続けるつもりです。
また、私は、口頭で述べられたことよりも、文章として記したことのほうが証
拠能力は高いということも常々思っています(いうまでもありませんが、どちら
も虚偽の証言をすることはできますが、テープを回して公開でもしないかぎり、
言った言わないの水掛論争になりがちな口頭の証言に比べて、ともかくもネット
で書かれたことは残っていて公開されているという意味です)。というわけで、
ネット上で公開されている情報をできるだけ使うようにしています。

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June 02, 2006

週刊アスキーと歌田明弘氏への質問書

週刊アスキー(2006年6月月13日号)掲載記事に関して、本日、質問書を週刊アスキー編集部と、歌田明弘さんに送付しました。記事の重要性を鑑みて、質問は実名で行っています。

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質 問 状

歌田明弘 様
週刊アスキー編集部 様

貴下益々ご清祥のことと存じます。

XXXXXX(実名)と申します。

早速ですが、今回、歌田明弘様が執筆されました、「週刊アスキー」(2006年6月月13日号)における「仮想報道 われわれはみな”隠れオウム”の容疑者」の記事の内容に関しまして、お尋ねしたき重要な件があり、誠に不躾ながら質問状をメールにて送付させていただきます。

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June 01, 2006

優しさと微笑と厳格----関嘉彦先生を悼む

恩師・関嘉彦先生が亡くなられたのは、少し前のこと。
今年の5月4日のことだった。

関 嘉彦(せき よしひこ、1912年11月19日 - 2006年5月4日)は、昭和・平成期の社会思想史家。東京都立大学名誉教授。法学博士(京都大学)。元参議院議員。イギリス労働党の日本における紹介者として知られる。(Wikipedia)

1936年大学卒業後、日本生命を経て、恩師である河合の推薦により1940年太平洋協会に勤務。河合が2・26事件から来る弾圧にもリベラリストとしての節を曲げずにファシズム批判を続け、出版法違反で起訴されたためその法廷闘争の応援活動を続けた。戦時期には陸軍軍属として太平洋協会より南方占領地調査に派遣され、北ボルネオで司政官(調査部員)として勤務した。(同上)

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