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June 29, 2006
手塚治虫と時刻表
ここでは、無理して「手塚治虫」などとと書いたが、僕にとっては「手塚治虫」と呼ぶのは今でも抵抗がある。僕にとっては、あくまでも手塚先生である。手塚先生とは、20代のころに何年間か断続的に仕事をご一緒させていただいた。「ご一緒させていただいた」などというのは、ご推察の通り、背伸びもいいところで事実と異なる。
ある文化イベントの催事で僕が手塚先生の担当ディレクターになったのをきっかけに、それ以来いくつかの講演会で担当を勤め、日本各地に何度かご一緒させていただいた。いや、「下働きをさせていただいた」。イベント会社に勤めていた若いころのことである。
手塚プロの社長ともその関係で何度かご一緒したが、こんなことがあった。
初めての担当のときである。
ある地方で手塚先生の講演があり、先に現地入りしていた僕のところに、慌てた調子で手塚プロの社長から電話がきた。いつになくあせった口調である。聞けば、手塚先生と同行するつもりが一緒に来れなくなり、手塚さんが先に一人で来ることになったということ、そして東京を出る時間が遅くなったので、予定よりも遅い電車で着くが、駅まで出迎えに行ってくれないかとのことである。
手塚先生は言うまでもなく大家でVIPである。出迎えて間違いなくホテルまで案内するのも僕の仕事であり、それはいいのだが、何を慌てているのかと思えばおかしなことを言う。
「BBさん。手塚はめったに一人で動きません。。。というより動けませんから。くれぐれも宜しくお願いしますね。」
などと言う。・・・・・動けない?
????
何を言っているのかそのときは意味がわからなかったが、聞いた時間に駅で緊張しながら先生を待つ。あっさりと予定時間に、にこにこしながら手塚先生はあらわれた。ご機嫌な様子。なんだ、案じることはなかったと思い安堵しながらも、緊張してタクシーに乗り込む。
すると手塚さんは、後ろの席でおかしなことを言い始めた。一冊のポケットサイズの時刻表をひょいと掲げながら、僕にこんなことを言う。
「BBさん、ちょっといいですか?」
「はい?何でしょうか」
「僕はね、今日始めて時刻表というやつを見たんですけどね、」
「え?」
「この、教えて欲しいんですけどね。このたくさん並んでいる数字は何ですかね?・・・これって・・やっぱり電車の時間ですか?」
「&%$&%'(()=)=)'(&'&%'(???]
「どうやって見るんですか。これ」
「あの、これが駅の名前ですね。で、列車の名前がこれ。到着時間と・・・出発時間がこれです」
「うん、うん・・・ああ!だからこれを見れば乗換えが出来るんですね!!」
「はい・・・」
まるでからかわれているようである。そんな僕をよそに先生は大事なことを聞くことが出来たかのように喜んでいる。
「そうかあ、僕ね、一人で電車ってほとんど乗らないのでね、時刻・・・ああだから時刻表って言うのかあ。面白い本ですねえ。これ・・どうもありがとう。」
新米ディレクターは相槌を打つ言葉もない。
僕はそれ以来、自分が何かとんでもない勘違いをしたり、当然知っているべきことを知らなくて恥をかいたときなど、意図的にこの話をする。天才手塚治虫ですら、時刻表を知らなかったという話である。そういうものなのだ、人間というのは。特に何かに集中している人間というのは、どこか抜けるところもあるのだよ、と。
でもいつも、相手からは必ず言われる。それは手塚治虫であり、天才だからこそ許されることであり、あなたが無知なのは単にあなたが無知なことでしかない。一緒にして語るなと。
確かにその通りだ。天才・手塚治虫であるからこそ許される話であり、その「無知」の対極にすさまじいまでの作品への執念と集中力があった。その現場も何度となく見せ付けられた。そのことを抜きにしてこの時刻表の話だけを語っては間違いになるだろう。
しかし、最近この話を思い出すたびに、果たしてそんなことが本当にあったのだろうかと、自分の記憶ながら、疑わしい気持ちに駆られる。いくら手塚先生でも、時刻表を知らなかったなどということが、あるものだろうか。
もしかしたら、手塚先生は僕をからかったのではないだろうか。
有名人の担当になり、全身でガチガチに緊張していた若造を、ちょっとリラックスさせようとして、からかったのではないだろうか。そう考えたほうがおさまりのいい話のようでもあり、安心できる話のようでもあり。
一方、あのときの手塚プロの社長の慌てようを考えるとやはり記憶の通りであったようにも思える。
手塚先生、本当のところどうだったのですか?
2006 06 29 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント(9) | トラックバック
June 24, 2006
「人間のくず」とルービックキューブ
ルービックキューブをくるくるーっと回しても、青が赤に変わるわけではない。
赤は赤。青は青。
裏に行こうと側面に来ようと、それぞれのパーツの色は変わらない。「人間のくずの色」(というものがもしあれば)それはどこまで行っても「人間のくずの色」である。
裏に回しても、横に回しても。
はっきり言って、僕は小飼弾氏という人物を尊敬している。それは、その人物の持っている並外れた才能と知性に素直に尊敬の念を持っているからであり、それはどうしても否めない。で、たとえばそれはルービックキューブで言うなら「尊敬している部分の色」である。いくらルービックキューブをくるくる回しても、その色も消えることはない。
どこでどんな形の「弾キューブ」を見ても、僕はその部分を取り出してやはり尊敬の念を表すことができる。
これは件の松永さんに対しても同様であり、どんなくだらないことを彼がやろうとも、彼に対する「尊敬している部分の色」が穢れることはない。R30氏にも同様。
僕は元来そういう人間であり、相手を四方八方の小さなキューブに分けて、色を峻別して、自分の中で尊敬と「罵倒」を共存させていると思う。よほどのことがなければ、全人格に対して失望することはないし、その逆もない。
その割り切った覚醒は、自分でそう嫌いな部分でもないが、それだけに「尊敬していない部分」での言及はあるいは行き過ぎの場合があるかもしれない。
その前提の下に考えても、下記の記述は余りにもいただけない。
弾さんに「私もくずですか?」と聞かれれば、限定付ではあるが、「あなたもくずです」と言わざるを得ないし、その共犯関係に同意を求められても、私は簡単に付き合うわけにはいかない。
404 Blog Not Found:最低のおれたち
だとしたら、私も人間のくずかも知れない。少なくとも、四半世紀前の私は。
(中略)ある朝目覚めてみると、どうも「おとなりさん」が息をしていないようだった。私は彼を放置してその場を去った。警察に通報しようものなら、私は間違いなく留置場行き。そんな私がこのことを警察に通報して何かいいことがあったのだろうか?
なぜ、通報すると留置場行きになる羽目になるのかが、そもそもわからないが、たとえ留置場に行くことになったからとて何であろうか。隣の人が息をしていなければ、何度生まれ変わっても僕は(その人物の命を奪ったのが自分であるというような特殊な状況でもない限り)迷わず通報すると思う。というか通報する。
ことほどさように、人の死というものは、ほとんどあらゆることに優先して対応されなければならないと、少なくとも僕は幼いころから何度も言われて育ってきたし、基本的な考えは今でも変わりない。
この「彼」も本当に息をしていなかったのか。もしかしたら通報すれば助かったかもしれないのであり、「不作為の殺人」であったかもしれぬではないか。
それをこう続ける心。
「なにかいいことがあったのだろうか?」
という言い方は、心底傷つけられる。さらに
しかし当時の私と今の私と、そしてあなたと私と一体何が違うというのだろう。
見知らぬところで誰にも救われずに傷ついたり死んだりしている事実を放置している、という点に関して、何が変わっているというのだろう。そう。あなたがこれを読んでいる瞬間にも、こうして我々に放置されて死んでいく人は後をたたない。
世界には80億人分の糧食があるのに、飢餓がなくならないのはなんでだろう?
少子高齢化といいながら、年間30万件も中絶があるのはなんでだろう?
我々は、どこまで隣人の心配をすれば「人間のくず」でなくなるのだろう?
「例の騒動」のとき、弾さんは、「オウム真理教」と「キリスト教」を同列に論じ、キリスト教も大量殺戮を繰り返してきたではないかと「遠景の評価」を行った。またオウムの信者ごとき少数を、社会は融合できるはずだというようなことも言った。
弾さんはそう論じる一方で、私達の「近景の戦い」に関しては見事なまでに「沈黙」を守ったわけで、こじつけではないが、やはり僕も松永さんも、あなたの横で「息が止まりそうになっている」「お隣さん」にしか過ぎなかったからかとさえ、思えてくる。
いわく
「なにかいいことがあったのだろうか?」
そういうことだったのか?
この話はここに留まらず、「人間のくず」の色と「尊敬できる俊才」の色と混ざり合い、他の色も混沌としており、近くに行けばいろいろあるのが人間であり、目を凝らして一つ一つを解きほぐしていかなければならないのが人間であるはずなのに、遠くにそのキューブを放り投げて、「なんとなく赤いでしょう。これが人間だよ」などと一般化と陳腐化を繰り返しているジャーナリストの一団と、通じるものを弾さんのこの言葉に感じ、非常に残念である。
「となりで息をしていないかもしれない」人には、あなたは手を伸ばせば届くのである。ほんの少しのあなたのやる気と勇気があれば、である。
80億人や、30万件もの飢餓や中絶の問題に昇華して、一体なんの話だったっけ?と首を傾げさせてしまう、その論法は、ここ数ヶ月そこかしこで散々見せ付けられてきた「向こう側の」論理であり、弾さんの「人間のくずではない」部分の色が、そのことの危うさに、くるりと気がついてくれないかと、せめてもの期待をかける。
なお、元ネタの記事における山田太一の話だが
あんなこと、こんなこと。どんなこと?:最低の男
この本の中で彼はホテルの一室で助監督4人と真上の部屋で女性が複数の男に襲われ暴行される物音を聞き、外に飛び出たが、そのまま戻ったという話を書いている。1人でいたのじゃない。4人だ。しかも最初に真上の部屋だと現場を特定してある。
それはそれで衝撃的であり、ちょうどこの記事を携帯電話で読んだのが、新宿を歩いている途中であることもあり、早速本屋で山田太一の「原書」(「町への挨拶」 山田太一 中公文庫)にあたろうと思ったのだが、紀伊国屋でも南口のブックファーストでも見つけることができなかった。アマゾンで調べる限り、絶版になっている匂いがあり、マーケットプレイスで見つけるしかなさそうである。あるいは「絶版」(わからんが)になった理由がこのあたりの記述にあるのかどうか。それは憶測であり、確認はとれていない。いずれにしても、早くその部分を実際に読んでみたいと思っている。その記述が確認できない限り、この件への態度表明は保留。
【追記】
ほぼ同意見かとお見受けした。
正義感を大事に!というお話。(つらつらつづる~書きたいことだけ書いてます)
2006 06 24 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント(4) | トラックバック
June 21, 2006
ビルゲイツはヒーローか悪玉か----東洋の貧者の穿った憶測
いささか前のニュースになるが、ビルゲイツの引退についてCNET JAPANに「B・ゲイツ氏退任表明:ブログや掲示板での反応」と題して、掲示板やブログに見られるこのニュースに関する受け止め方の典型例が類別されていた。それによればこのニュースに関してポジティブな見方をする「ヒーロー派」と素直に感動できない「悪人派」に分けられるという。それをちょっと紹介。
Gatesヒーロー派:「Bill Gates氏をその功績について常に尊敬してきた。他人が何と言おうと構わない。世界で最も人気のあるOSと『Office』製品の開発を指揮し、職場としても素晴しい会社を経営して成長させ(そう聞いている)、チーフソフトウェアアーキテクトとして日々の開発業務にも関わり続けてきたのは、素晴しいことだ」--mytton.netの特集記事「Gates時代の終わり」より
Gates悪人派:「『悪の親玉兼Torvalds氏の最大の敵』という職種に応募するには履歴書のどの部分を書きかえればよいのだろうか。もう少しまじめに書くと、Gates氏に対するうっ積した嫌悪感を抱える人が多数存在する。移行は困難なものとなるだろう」--Slashdotへの Thunderstruckの書き込み
Gatesヒーロー派:「Bill & Melinda Gates Foundationの仕事の継続に対し、ただただ感謝の意を表したい。Gates氏は自ら進んで活動に取り組んできた。GoogleやRed Hatの若い創始者たち、OracleのLarry Ellison氏、AppleのSteve Jobs氏など、ほかの超億万長者はその点ではGates氏の足元にも及ばない。彼らのすることといえば、戦闘機や船、スポーツチーム、そして大きな家を購入するだけだ。Bill、成功を祈る」--SlashdotへのAnonymous Cowardの書き込み
Gates悪人派:「Gates氏は、Windows OSを使って自分の会社の力を濫用し、技術を食い物にした男として記憶に残るだろう。彼は魂の救済もお金で買えると考えているが、彼がこの世に残したのは、自身が不正かつ不法に破壊した技術やほかの企業だ。彼がいなくなればIT業界はもっと良いものになるだろう」--CNET News.comのTalkbackへのt8の書き込み
Gatesヒーロー派:「『ブラボー、Bill』と言いたい。ここ30年間のMicrosoftの行動についてどう思うかは別にして、Billが世界をより良い場所にするために自らの金と時間を投入し、しかもそれを50歳という若さで実行していることに拍手を送る。Gates氏は本当に熱心で、(できれば)長続きするプラスの効果を生もうとしている。彼がMicrosoftで示したのと同じだけの知識とエネルギーと資金を世界の比較的困難な問題に向けることが出来れば、1000人の政府官僚よりも大きな影響力を発揮できると思う」--Phil Steinmeyer氏のブログより
(CNET JAPAN B・ゲイツ氏退任表明:ブログや掲示板での反応)
まあ、いずれも、ふむふむという感じ。
この件、古川さんあたりが何か面白いことを言っていないかと行ってみたけれど
ビルゲイツ君、とても良い選択をされたと思います。 2008年以降メリンダ・ゲイツ財団へ残りの人生とエネルギーを注ぐというのは、自然な着地点と思われます。(古川享ブログ 速報、ビルゲイツの引退)
なんて月並みなことしか言っていないのでなーんだと。
もう少し穿った見方をするへそ曲がりはいないのかと、あちこち探して見たのだけれど、総じて好意的な見方が多い。で、何で僕がこしょこしょこの件に興味を持っているのかと言うと、この引退が結果的に「本業」のマイクロソフトの業績を押し上げることになるシナリオはないのかと。(株価は一時的に引退を受けて下落しているが)
つまり、僕も広い意味では、素直にビルゲイツの篤志家への転進を信じられない派に属しているのかもしれないわけだが、このあたりから先は、確固とした調べがついていないので、何とも言えないけれど、少し書く。
ビルゲイツの個人資産は約500億ドルと言われており、2000年に夫人とともに設立したBill & Melinda Gates Foundationの資産は現在291億ドルに達している。
ビルが、マイクロソフトの一線から退き、会社から距離を置くということは、そのまま彼と彼の財団自身がマイクロソフトの最大の「外人部隊」=スーパーシンパになることを意味しないかと。
つまり、こう書くと非常にいやらしい言い方になるのだけれど、従来の会社の看板を正面から背負わなくて良くなる反面、かえって自由に豊富な資金でMSの商品イメージの推進を担う、強力な外部パートナーとして機能するのではないかということ。
そういう流れで理解しないと素直にビルの志を受け止められない私も、自分で何だかあまり快ではないし、この姿勢はジョブスに対するそれとはずいぶん違うなあとは我ながら思うのだけれど、Googleとの本格決戦が緊張の度を増し、次期OSのVistaがご存知の通りの困難な船出を強いられそうな昨今、このタイミングでの引退発表がどうも素直に受け止められない。何か想像を超えた商業的な計算が、ビルの頭の一翼にある可能性はないのだろうか。
どう思いますか。
実際調べて見るとBill & Melinda Gates Foundationは特にエイズなど医療関連の分野でかなりの寄付をこの数年続けており、その金で別にMSの製品を買っているとかそういう話をメインに考えるべき話でもないようだが(もちろん貧困層へのコンピュータの寄付などはやっているらしいが)。
どんな偽善でもやらないよりはいいという言葉もあった。などとまとめる自分は所詮島国の貧乏人であり、ビルの大志は遠くわからないのかもしれないが。
やだやだ。
2006 06 21 [経済・政治・国際] | 固定リンク | コメント(4) | トラックバック
June 20, 2006
お帰りなさい。
お帰りなさい。
天才を以ってしても、ひらがなだけというのは表現として早晩行き詰るのは必至。
漢字の大切さを思い出していただければまた吉。既知。貴地。
お帰りなさい。
天才を以ってしても、散らせる範囲には限界がある。
誰があなたに最後に付くか。考えていただければまた吉。機智。基地。
お帰りなさい。
天才を以ってしても、周囲には匹敵する天才も多々。
本当の力は大事なことにお使い下さい。大事とは何か。それはとっくに既知。吉。窺知。
一。二。三。四。ひがしむらやま。
一。二。三。四。一丁目。
そう、まず一丁目から。始めるのはあなたのほう。
【加筆 6/20】
さいこたんから東村山音頭について突っ込みが入った。
むしろ突っ込むなら「お帰りなさい」のタイトルのほうだと思うんだけれど、その件は何もなし。きっとドリフに思い入れがあるんだね。さいこたんは。
で、歌の順番については、確かにそう言われればそうかなと思ったのだ。年をとると物覚えが悪くなってね。それはともかく
間違ったと思ったらすぐ謝る。
思わなかったら絶対謝らない。
訂正すべきだと思ったらすぐ訂正する。
思わなかったら、絶対訂正しない。
のがこのサイトのポリシーだから早速調べてみた。
ちゃんとWikipediaに出ていたよ。
東村山音頭(ひがしむらやまおんど)は、1964年に東村山町農協が発売した、東京都東村山町(現在の東京都東村山市)制定の音頭である。
のちに、歌手の平田満(俳優の平田満とは別人)がカバーした。また東村山市出身の志村けんが1976年にリメイクし、「8時だョ!全員集合」での少年少女合唱隊で披露した。志村けんの出世作でもある。現在でもオリジナル版のカセットテープが市内のJA東京みらい東村山支店で入手できる。
志村けんバージョンが有名だが、志村けんバージョンはオリジナルとは歌詞が若干異なる。特に3丁目と1丁目はオリジナルには無い。3丁目はいかりや長介、1 丁目は志村けんが作詞・作曲を担当している(丁目が若い数字になるほど歌詞がいい加減になる。3丁目は一部歌詞をオリジナルから拝借)。ちなみに志村けんバージョンの歌詞にある「東村山○丁目」という地名は実在しない。1976年頃、当時の小学生の多くは東村山まで訪れ、地元のお巡りさんに東村山1丁目から4丁目の場所を尋ねるといった社会現象が起こった。
歌の順番はさいこたんの言うとおりみたいだけれど、丁目が若くなるほど歌詞がいい加減になるらしいから、さいこたんも気をつけてね。知ってると思うけど。
さいこたんも歌い込みすぎていい加減にならないように。
余計なことはともかく、訂正してくれてありがとう。謹んでお礼とお詫びを申し上げます。
【加筆2 6/20】
いや、素で知らんわけはないっしょ。(ムキ)
2006 06 20 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック
June 18, 2006
後部座席(終章)
今まで一度も僕は、あの車に少年以外の誰かが乗っていた可能性については考えたことがなかった。実際、警察でも、叔父からも、一度もそういった話は聞いたこともない。
彼はおそらく1人であったろうし、そもそも同乗者があったとしても、その存在を僕たちは知らされる必要もなかっただろう。誰かが仮に乗っていたとしても、いなかったとしても、それによってあの事故に影響がないのであれば、どちらでもいいことだとも思えるし、必要のないことは知らされなくて然るべきだったろう。
では、いったい僕は、なぜこんな奇妙な考えに取りつかれるようになったのだろうか。しかもそれだけではなく、久しぶりにあの時間のあの場所------伯母が少年の車に轢き殺されたあの瞬間の映像を、僕は再び心の中でリピートするようになったのである。
その風景はこれまでに何度も見てきたはずだった。ところが僕の視野は、以前とは全く異なっていたのである。
僕は今まで一度も味わったことの無い風変わりな場所から、事故を見ていた。
それは、少年の車の後部座席からの映像である。夢のように妄想のように、僕はあの日の車の後部座席に座って少年の肩越しに風景を見ていた。
少年はやがて、反対車線に飛び出し、対向車に直面する。車は絶望的に逆にハンドルを切り、あのバス停に突っ込んでいく。今まで何度も見て何度もうなされたあの風景を、今僕は少年の車の後部座席から見ていた。今まで見たことの無い風景が繰り広げられていた。僕は、事故を起こした少年の視線にもっとも近いところから、少年が伯母の殺戮の場所に突っ込んでいくその場面を共に見るようになった。
さらには、警察署でうなだれて、少年と一緒に被害者である伯父と「僕」に対面までしているところまでを思い描いた。
それは奇妙な風景である。少年の後部座席に乗っていた僕は、「被害者」でもなく、かといって純粋な「加害者」でもなく、おぼろげで曖昧な存在のままで、「被害者である僕」の前に立っているのだった。跪いた少年の後ろに、ただ所在無く首を垂れて、うなだれて立っているのである。
僕は、気がついた。あれ以来初めて、僕はこの事故を加害者の目線から見るようになったのだと。それも少年その人ではなく、後部座席の同乗者と言う、何とも中途半端な存在として。
そして思ったのだ。もしもあのとき。
僕があの車の後部座席に乗り合わせていたら。もしも自分が後部座席に乗っていて事故を経験していたら、どうだったろうか。もちろん運転者ではないのだから、法的な責任はない。僕は何かの事情で、少年の後部座席に乗り込んだだけだからだ。僕はあらかじめ、起きた惨事を予想できたわけはない。ましてやそんな惨事を引き起こそうとして、少年の車に乗ったわけではない。そんな「僕」に誰も責任など問うことはできないだろう。
だが、それで終わりだろうか。その話はそれで終わりなんだろうか。
この20年、仮に僕が後部座席の同乗者であったとすれば、こんな悪夢に悩まされることもなかっただろうか。あの日の少年の嘆き、恐ろしさ、絶望。そして被害者の怒り。掴みかかった伯父。そして脇に立っておろおろしていた、自分よりも少し年上の「被害者としての僕」。
そんな全ての場面から、記憶から、いくら法的な責任がないからといって、逃れることができただろうか。
いやそれはできなかったろう。もしも自分がその立場であったら、あの時、なぜ暴走を止めることができなかったか、自分にできることはなかったか。本当になかったか。対向車線に無理な追い抜きを少年がかけたとき。後ろの座席から少年の肩を掴んででも、首を引っつかんででも、止めることはできなかったか。
例え、それが無理だったとしてもおそらく、あの日から何度もその思いに悩まされ、何度も被害者の顔を思い出し、何度も自分を責め、何度も加害者の姿を思い出し、苦しんで生きていたのではないだろうか。たとえ法的な責任が自分になかったとしても、道徳的な責任すらなかったとしても。だからといって、自分に全く関係のない出来事として、どうやって涼しく生きてこられただろうか。
何か出来なかったか。何か出来たことはなかったのか。つらい体験の恢復過程で、おそらくそれを何十回も何百回も自分に問うたと思う。あるいは自分を責めたと思う。
後部座席にいた「不作為の者」として。
オウム事件では、暴走する一部の信者の操る車に、たまたま乗り合わせ、なすべくもなくあの大惨事に共に突っ込んでいかざるを得なかった、多くの一般の信者たちがいた。彼らの多くに法的に責任はないだろう。道徳的な責任すら問うことは難しいかもしれない。だが、それで終わりだろうか。本当にそれだけで割り切れるだろうか。
彼らに出来たことはなかったのだろうか。本当にどうしようもなかったのだろうか。そしてその後、彼らは何に苦しみ、何を苦しまずに生きてこれたのだろうか。わからない。もしかしたらそこには何もなかったのかもしれない。「後部座席」などというものは元々僕の妄想であり、「事件の被害者でもない者」が、別のきつい体験をたまたま経験していたからと言って、こうして彼らのことを問うこと自体が、ことのはの人の言うように、「理解できない」ことなのかもしれない。納得のできないことなのかもしれない。
「後部座席の人たち」には、法的にも道徳的にも明確な責任はないのかもしれない。
しかし、苦しまないだろうか。きつくないだろうか。あの惨事の風景は、あなた方を苦しめないのだろうか。乗り合わせた車が地獄の惨事へ突き進む死の車だったことが、あなたがたのせいではなかったにしても、できなかっただろうか。何かが。
そしてその後できることはなかったのだろうか。ただのひとつも。
宗教というのは、あの日の僕と伯父、そして加害者の少年、そしてもう1人。いたかもしれない「後部座席」の同乗者のためにこそ必要だったのではないかとも思う。法や、道徳では割り切れない、どうにもならない苦しさに押し込まれた、巻き込まれた全ての人のために、あるいは宗教だけが救いをもたらしてくれる可能性があったのではないかと思う。
人を呪うことからも、人を憎むことからも、救ってくれるものがあるとすれば、あの日あの場面では逆説的には、宗教しかなかったのではないかと、今でも思う。
しかし、宗教が必要とされていたからといって、信じるものが必要だったからと言って、後部座席にいた「あなた方」は、少なくともいったん、そこから降りなければならないはずだ。「あなた」が今でもそこにいて、そのままその席に座り続けながら、今でも事故を起こしたその車の後部座席に座り続けて、窓を開け、首を出して、およそささやき声すら、この世に発すことは許されないのではないだろうか。そのまま生きていくことが、あなた方にとって本当に生きることなんだろうか。
つまるところ、僕はあなた方全てに、いったん降りてほしいと今でも思っているのだ。
あなた方の乗っていた車の後部座席から。せめて、あの固い床の上に。
あなた方の運転者が跪いた、あの固く冷たい床の上に。
伯母の事故の記憶が、今でも僕に伝えようとしていることがあるとすれば、もうその言葉くらいしかないのである。
僕はそう思っている。こんな妄想の中で。
2006 06 18 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント(26) | トラックバック
June 15, 2006
後部座席(その3)
あれから20年以上の年月が経った。
あの日警察で固い床に跪いた彼は今頃どうしているのだろうか。
少年と書いたが、実はよく考えれば僕とそう年は変わらない。1人を死に追いやり、1人を生涯回復できない重症に追い込んだ彼のその後の人生は厳しかったであろうと想像する。
現場には事故の数週間後くらいに、行ってみた。車がスリップした後はまだ生々しく残っていた。バス停の近くで対向車線に追い抜きのためにはみ出した彼は、対向車にパニクッて逆に急ハンドルを切り、歩道に乗り上げた。にも関わらずさらに混乱し、信じられないことだがアクセルとブレーキを踏み間違えたのだ。車は歩道の敷石に上がったところでさらに加速し、バス停に突っ込んだ。
事故を見た人の話も聞きに言った。どんな細かいことも知りたいと思った。伯母が亡くなる時の様子をできるだけ細かく聞くこと。あれは仕方がない事故だったのだと納得をすることを求めていた。
今覚えば、事故の不可避性を自分に納得させることで、あの日跪いた少年を許すための道を探していたような気がする。
そしてこの20年間、伯母が亡くなった日のことを、何度も何度も頭の中で追体験してきた。夢にも何度も見た。夢の中で、あの日の事故を何度も何度も体験した。
少年の車は、僕の頭の中で幾度も幾度も同じように登場し、あの場所で加速し追い抜きをかけ、幾度も幾度も歩道を乗り越えて、同じようにバス停へと突っ込んでいく。目を覚ますと、汗をびっしょりかいていることもあった。
ある日見た夢は、伯母がまさにバス停の方へ歩いていく場面であり、僕が必死にそっちに行ってはいけないと呼びかける。そして伯母がその声に応じて「わかった」と笑顔で、事故の起きたバス停ではない方角へ向かう。ああよかった、これで事故は避けられたと思ってそこで目が覚めたこともあった。
でもさすがに長い時間がたった。1人残された伯父も数年前にこの世を去った。伯母の事故を思い出すことも、稀になっていた。夢も最近は見なくなった。
ところが今回の一連の出来事があってから、不思議なことに、僕はまたあの時の事故のことを思い出すようになった。
オウム事件は、僕の経験したこととは比べようもない、大事件であり、多くの人が亡くなり、多くの人がきっと僕よりも遥かに厳しい思いをした。比較してはならないだろう。
にも関わらず、僕は自分の人生の中で、多少とも「被害者」としての経験をしたこと、そして「加害者」に対する思いを味わったこと、周囲の人たちへの「被害者の立場」からの理不尽な憎しみを持った経験を、つまり伯母の事件の経験をオウムの事件に重ねようととしたのか。それで事故のことを思い出したのか。
でも、単にそれだけでは済まなかった。僕はもっと奇妙なことを考えるようになった。それはあれ以来、これほど何度も事故のことを繰り返し考えてきたのに、今までただの一度も考えて見なかったことを、である。
あの少年の車には同乗者がいなかったのだろうか。
(この項続く)
2006 06 15 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント(5) | トラックバック
June 14, 2006
後部座席(その2)
衝立一つ隔てた場所で、同時に調書をとられているのが、伯母を轢き殺した少年なのだ。何ということだろう。僕の心臓は高鳴り始めたが、もちろん伯父はそんなものではすまなかった。
先に調書が終わったのは、少年の方だった。彼が立ち上がった途端に、伯父の大声が響いた。
「ちょっと待て!!」
衝立はいつの間にか吹っ飛んでいた。怒鳴られた瞬間、少年は両膝を床について、何かを言おうとした。詫びの言葉だったのだろうが、言葉にならなかった。両手にかけられていた手錠の黒光りのする色と、比較的がっちりとした体格、ジーンズの色を今でも思い出す。
伯父は
「お前に、お前みたいなやつになあ、お前みたいなやつになあ、うちの女房はなあ」
と続けたが後は言葉にならなかった。警察官はただ立ちすくんでおり、僕もおろおろと無様に泣きながら、ただ必死に伯父を座らせようとするばかりで、馬鹿みたいに伯父さん、伯父さんと繰り返した。修羅場としか言い様がなかった。
結局何も言えず少年は警察官に促されて立ち上がって部屋を出て行った。
「すまなかったな、取り乱して」
と言うと伯父は黙りこくった。その日は警察を出てから、あちこちの役所を回って手続きをした。人が死ぬとこんなにいろんな手続きが必要なんだと、知ったのもあのときだ。
太陽がぎらぎらと照りつける中を、ただ2人で役所から役所へと、黙って歩いた。
夕方になって、僕は、その日サークルの集まりがあって、大学の友人の家に行く予定だったことを思い出した。
「行かれなくなった。伯母が亡くなって」
と電話をすると、電話の向こうの友人は、ただ快活に
「そうか。わかった、わかった」
とまるで気にしていないような声で答えた。電話の向こうではもう友人達が集まっている賑やかな雰囲気が伝わってきた。おそらく電話に出た友人は、とっさのことでよく事態が飲み込めなかったのだろう。誰か僕の遠い親戚にでも不幸があり、その葬式かなんかで来れなくなったのだろうと。よくあることだと。その程度の認識だったのだろう。電話のこちらで僕と伯父がどんな思いをしているか、彼に察しろというのは無理だった。
それは無理だ。それはよくわかる。
よくわかるが、僕はその瞬間その友人を心の底から憎んだ。あのときの強い憎しみは今でもはっきりと思い出すことができる。それは、普通の生活から遮断された者が、通常の生活を送る者に向けた理不尽な憎しみだ。
あの憎しみを言葉にしたことはこれが初めてだが、
あの憎しみの強さを、そして理不尽に人を憎む自分に対する、吐き気のするような自己嫌悪を、僕はこれからも決して忘れることはないだろう。
今ならはっきりとわかる。暴走して伯母を轢き殺し、命を奪ったあの少年よりも、僕は電話の向こうで快活な受け答えをした友人を憎んだのである。
何ということだろうか。
(この項続く)
2006 06 14 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント(3) | トラックバック
June 13, 2006
後部座席(その1)
この騒ぎが起きてから、いつか書こうとずっと思っていたことがある。伯母の話である。
大学2年のとき、交通事故で伯母が死んだ。
伯父と伯母(父の姉)には子供がいなかった。で、僕はこんな状況だったので、伯母はずいぶん僕のことを可愛がってくれていたのだが。伯母を轢き殺したのは19才の専門学校生だった。朝、学校に遅刻しそうだった彼は、反対車線に飛び出して対向車にぶつかりそうになり、慌ててハンドルを切り、バス停に突っ込んだ。
伯母はそこに立っていた。
その日の朝に限って、いつも利用するバス停を避けて、ひとつ先のバス停でバスを待っていたのである。いつも一緒に通勤する伯父は、一足先に出た後だった。体調が悪く、いつもより遅く家を出た伯母は時間を気にして、ひとつ駅よりのバス停を選んだ。いつもどこへ行くにも一緒だった夫婦が、稀に離れ離れになった瞬間だった。
それが永遠になった。
運命である。
伯母は即死し、他に2人が重症を負った。1人は高校の教師だったが両足を切断してようやく命をとりとめた。後のもうお一人は、どうなったかわからない。長い間夫婦だけで暮らしてきたのである。誰もがもう伯父は駄目だと思った。
同時に僕の祖父母は、娘を一瞬で失ったのである。
知らせを受けたとき、家には僕しかいなかった。伯母の会社の人から電話を受けたとき、すでに伯母は亡くなったという知らせだった。屋上で珍しく2人揃って植木を眺めていた祖父母の話し声が夢の中のように遠くに聞こえた。悲報を知らせに行った時、2人とも「え!!」と言ってそのまま立ち尽くした。
夏の暑い日だった。蝉が鳴いていたような気がする。
放心状態の伯父について警察に行ったのは、その日だったのか、次の日だったのかも覚えていない。誰かが一緒にいないと伯父は危なかった。僕しかいなかったのである。
警察で硬い粗末な椅子に座らされて、「被害者」としての調書を取られ、伯父がぽつりぽつりと答えているとき、ずっと僕は横に黙って座っていた。こういう立場でも取られるのは「調書」なのだと、初めて知った。
少し時間が経ったとき、伯父と僕は信じられないことに気づいた。
衝立をはさんで、やはり隣で調書を取られている若者。それが伯母を轢き殺した専門学校生だった。今考えても信じられない警察の杜撰な行為である。加害者と被害者を、同じ部屋で、衝立1枚はさんで同時に事情を聞いたのである。
警察官の質問に答えながらも、伯父の顔色は次第に変わった。
(この項続ける)
2006 06 13 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント(1) | トラックバック
June 09, 2006
暴虐と矛盾に生きる。---村上世彰と新井将敬
で、それはともかく。
村上ファンドの一連の事件を見ていたら、あのことを思い出した。
新井将敬氏の自死についてである。
なぜ彼のことを思い出したのか。それは、時代も立場も違うとは言え、村上氏とのあまりの距離を、そして日本という国が歩いてきたこの何年かに、一体何が起こったのかについて、あらためて考え起こされたからかもしれない。新井氏にはもちろん面識はなかったが、当時は被差別者から立ち上がった「改革派のスター」として、メディアにもてはやされていた。
新井将敬が、「借名口座」でいったいいくらの額を調達しようとしたのかは、よく覚えていない。覚えてはいないが、罪状はやはり証券取引法違反である。さらにそれを超えて日興証券に利益追求していたとされ、逮捕直前に自ら命を絶った。あまりにもあっけない死であった。
あれこれ探していたら、新井の死から2ケ月後に書かれた黄英治氏のこの論説を見つけた。在日の貧しい被差別環境から「成り上がって」きた新井氏に、死をも選ばざるをえなかった、どんな事情があったかは知らない。誰かをかばおうとしたのかもしれない。あるいは「縄目」の屈辱に耐えられなかったのかもしれない。しかし、いずれであったにしろ、その「犯したとされる罪」が命をもって償わなければならないほどのことであったとは、わかっている事実からは考えられない。
新井将敬代議士が自死して、2ヶ月がたった。在日韓国人二世という出自を否定し、その激しい自己否定のエネルギーを推進力に、日本社会のエリート階段を上りつめようとして挫折。それでもなんとか再起を期そうとしていた矢先、株の不正取引が暴露され、証券取引法違反容疑者として逮捕が目前に迫った2月19日、自死という手段でこの無明世界からすり抜けていった新井将敬氏。
この日本社会では特異な彼の出自と経歴、そして自死という衝撃的な結末のためか、この長くもない2ヶ月の間、彼の生と死に関してさまざまな言説が飛び交った。一方、3月25日には、彼に利益提供していた日興証券事件の初公判が開かれた。その被告席には、「弁明できぬ永遠の欠席者」に全責任を転嫁しようとする自己弁護者たちだけが座った。そして29日には、彼の選挙区の補欠選挙がおこなわれた。補欠選挙には、新井氏の妻が「主人の潔白を訴える」と立候補を表明したが、結局は断念するという、本番以上に緊迫感のある幕間劇をへて、東京の国政選挙では戦後最低の投票率で、新井氏と同じ自民党の候補者が当選した。このように、彼が「存在したこと」を彼方に押しやるような出来事も、この日々のなかで積み重ねられている。
(新井将敬代議士の孤独な自死 黄英治)
一連の証券スキャンダルでの借名口座による株取引が問題化。 更に日興証券に利益要求していたという疑惑も浮かび上がる。衆議院本会議で逮捕許諾が議決される直前に、真相が解明されないまま都内のホテル(ホテルパシフィック東京23階2338号室)で首を吊って自ら命を断った。部屋にはウイスキーの空き瓶が沢山落ちていた。ただ自殺には諸説あり、他殺の可能性もないとはいえない。山口節生は「新井将敬を殺したのは、他の政治家たちだ」と主張した。(Wikipediaより)
村上氏は、数千億のギャンブルマネーを使って世をかき回したあげく、「聞いちゃったと言えば聞いちゃったんだよねえ」と、口元に笑いさえ浮かべながら、会見会場を去り、その後逮捕された。村上の胸中が穏やかであるわけもないであろうが、外形的に見る限り、その動かした金額の巨額さに比べて、その態度は如何にも軽い。
そこにある違いは何なのだろうか。新井と村上の境遇の違いか。人間の違いか。逞しさの違いか。誠意の違いか。歩んだ道の違いか。絶望の深さの違いか。民族の違いか。あるいは生きていこうとする、どんなときにも生きていこうとする、奥底に流れる命の力の違いなのか。
村上世彰と新井将敬。
その二人を比べること自体が愚かなことなのかもしれない。どちらが正しいとか、強いとか、弱いとか、潔いとか、言葉は口に出した次の瞬間に、禍々しい偽物に変わっていくような気がする。
それでも、我々もまた、新井や村上ほどではないにしても、暴虐に晒され、失敗を謗られ、あるいは嫉妬され、あるいは自らと時代の暴力に晒されて生きている。
生きていく時間が長いものが勝つと言ってしまえば、あまりに即物的である。ではあるが、それでも死をもって贖う罪が、この世界にどれだけあるだろうか。逆説的に言えば、死をも想像される苦境に落とされながら生きている人々がどれだけいることか。
人が成功をするとき、自らの力だけで成功したのではないように、過ちの淵に落ちていくときもまた、自らの業のみによって落ちていくわけではないと思う。
何度でも這い上がればよいと言えば、その言葉もまた風に吹かれて、指の間から滑り落ちていく。
自分の内なる業も含めた、あらゆる矛盾と暴虐に耐えていくこと。
生きていくことはそういうことなのではないかと思う。
村上を見ていてそう思えたのである。
2006 06 09 [経済・政治・国際] | 固定リンク | コメント(2) | トラックバック
June 07, 2006
50万アクセス超えました
こんな最中で何だけど(最近いつも「何かの最中」)、開設以来通算で、さっき50万アクセスを超えたみたいです。だから何だという感じもありますが、2004年の春開設だから、およそ2年が経過。
もはや最近の状況を見ていると、続いているだけでもう獣。
アクセスがどうとかいう段階じゃなくなってきていますけれど、とりあえずは、こんなブログを読みに来てくれている皆様に、感謝と、よろしくと。
いつか真人間に戻りたいと思います。
ではでは。
2006 06 07 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント(3) | トラックバック
希薄なのは「内環」の方ではないのか----佐々木俊尚氏に再度答える
再度この問題を取り上げていただいた佐々木氏の「ネット世論の「拠って立つ場所」とは」を興味深く拝見した。私のブログ他も具体的に引用していただいて、その開かれた姿勢にはまず感服する。というのも、そう言わざるを得ない惨状が今広がっているからである。理由は後で述べる。
その上で、の話である。
佐々木氏は前回のエントリー「「ことのは」問題を考える」の文末で、
「しかし私は今でも、マスメディアが声高に書いてきた絶対的正義の向こう側に、フラットになった言論の世界が誕生し、そこにインターネットのジャーナリズムの可能性があると信じている。なにがしかのその可能性が、単なる楽観主義でないことを、私は今ただひたすら祈っている。」
と表現した。
ところが今回のエントリー「ネット世論の「拠って立つ場所」とは」でこのように書いている。
「中心に泉あいさんと松永英明さんの存在する圏域。その外側に、R30さんや私、歌田明弘さん、湯川鶴章さんらの圏域。その外側に、内側の二つのサークルを徹底的に批判しているBigBangさんや美也子さんたちのいる圏域。そしてさらにその外側には、弾さんや『Parsleyの「添え物は添え物らしく」』のエントリー『今更の『「ことのは」問題を考える』雑感 』が言及している、以下のような圏域。」
「この円環構造が特徴的なのは、ある環を包囲する外側の環は、かならず自分のさらに外側の円環――それは実のところ、包囲者が仮想している幻想の円環、仮の他者に過ぎないのだけれども――が持つコンテキストを背景に、内側の環を批評しようとすることである。
たとえば松永さんと泉さんらの環に対して、その外側にいるR30さんや私は「ジャーナリズム」という視点からその環を批評しようとした。ところがさらにその外側にいるBigBangさんや美也子さんは、さらに別のコンテキストを背景にして、R30さんや私を批判した。それに対して私は、「あなたがたのコンテキストは絶対的正義ではないのか」と前回のエントリーで異論を述べた。しかし今考えれば、その考え方自体も、円環の中に閉じこめられたがゆえの意見だったようにも思える。
(「ネット世論の「拠って立つ場所」とは」)
これを読んで私は、2月に書いた自分のある記事を思い出した。引用するので、読み比べて欲しい。
人生はどんな暴虐にも懇切に対応していけるほど長くはない。一方で耳を貸すべき批判もたくさんあるだろう。願わくば彼にはそうした批判に耳を傾けて欲しいのであり、石を投げる意味も相手も理由も見えない者どもに、あなたが誠実に対応する義務はない。そういう取捨選択もこの世を生きる闘いのプログラムには、あらかじめ組み込まれていると思うし、それを淡々とこなしていかなければ、あなたの負った大いなる蹉跌も十分に生きないであろう。粛々と闘えばいい。それだけのことである。そして、闘いは慎重にね。準備万端整えて。幸いあなたにはまだまだ長い時間があるのだから。
今は取り囲まれているように思うかもしれないが、彼らの周囲には彼らを遥かに超える数の目がある。黙って、しかし彼らの無残を厳しく見つめて立っている人々は決して少なくない。
感じ取る者は感じ取っている。
見つめられているのは彼らの愚かさであり、囲まれているのは彼らのほうなのである。
(囲まれているのはそっちだろう。-----今井ブログの出来事を見て。)
いずれも「円環のようなもの」に封じ込められた「対象者」をその周囲が「批判」あるいは「攻撃」しているが、その外側にさらに無数の「外側の円環」があると見る。両者がテーマとして扱ったのは「ことのは問題」と「今井ブログ問題」で異なるが、佐々木さんのエントリーと私のエントリーにはある共通の「構造的視点」がある。
では彼我の差はどこにあるのだろうと考えた。で、それは「自己の位置」に関する認識の違いであるとすぐに気がついた。自己のポジションに関する認識である。
佐々木氏は当事者である泉・松永の両氏のすぐ外側に「R30さんや私、歌田明弘さん、湯川鶴章さん」を置いた。それよりも外側に位置する「BigBangさんや美也子さん」は、泉さんや松永さんはもちろん、その外周にある佐々木さんたちにも「石を投げる」者どもなのであり、さらにその外側には冷ややかに見つめる層(サイレントマジョリティ=おそらく「大衆」と呼ぶべきものであろう)を見ている。
これは私が今井ブログの構図で描いた図式と酷似しているがある1点で異なる。どこが違うかと言うと、私がもっとも外縁の「サイレントマジョリティ」にむしろ「希望」や「期待」を込めたのに対して、佐々木さんはむしろ「内周」に近いところにある自分の立ち居地を中心に、「異なる正義を背負う外周」を「異界」として見ているというところである。のみならず、「外環」をこう表現までしている。
外側にいけばいくほど、その拠って立つ「社会」「世論」は薄く広がり、見えにくくなっていくようにも思える。
佐々木さん、そうだろうか。希薄なのは外周だろうか。今厳しく問われているのは外周ではなく、「サイレントマジョリティ」における言論の希薄ではなく、むしろ「中心部に近いところ」にいる、あなたたち(ともしかしたら私も)の行動倫理、言論倫理なのではないだろうか。
この騒ぎが始まってから今まで、あなたの言う「内部の円環」に属する松永さんは言うに及ばず、(松永さんは松永さんなりの吐露の途上にあったことは認める)泉さんも、そして週刊アスキーの件で問題になったumeさんも、R30さんも、歌田さんも、湯川さんも、そしてあなたも、この問題の核心に直接的に触れず一般的な社会論にオウム問題を昇華して、同じ円周を回り続けるのはどういうことなのだろうか。私は「外周」よりもむしろこの「内環」に強い疑問を感じるのである。
●松永さんは入院後、音沙汰がない。
●泉さんはもっとも肝心なところで口をつぐみ、不向きな政治家インタビューを再開した。
●会社から不当な退職を強いられたとされるumeさんは行方知れず。
●R30さんはオウム問題は「日本とアジアの問題」だと言い残してブログを休業した。
●参加ジャーナリズムの旗手湯川さんのブログは廃墟と化し、あらゆる問いかけに沈黙している。
●歌田さんに至っては、事実と向き合おうともしない論外の体たらくの上、コメントもトラックバックもコントロールしている。
佐々木さんの言論は、無礼な私にも、よくも制御してpoliteに対峙して下さっているとは思うが、「ことのは問題」の肝心な点=GripBlogで何が起きたのか、肝心な部分に何一つ触れず、「フラットなブロゴスフィアの夢」から「円環の社会論」へ、そしてさらに「ブロガーの責任論」へと話を昇華している。
「ブロガーの責任」がないとは言わない。これは明らかに私にも向けられている言説であることは明白だからだ。ここまで騒ぎを拡大した責任の一片は確かに私にもある。
しかし、匿名の一ブロガーの言論と、元毎日新聞記者であり、気鋭の「プロジャーナリスト」佐々木俊尚の言論の、どちらを世間は信頼するだろうか。元ユリイカの編集長であり、週刊アスキーでレギュラーを持つ「優秀なジャーナリスト」歌田明弘と、その歌田氏が鼻でせせら笑う無名の素人のブログのどちらを信頼するだろうか。R30さんは今はプロのジャーナリストではないが、アクセス数で言えば、BigBangの20倍以上の力を持つブロガーである。BigBangとR30のどちらの影響力が重いだろうか。
敢えて「ジャーナリスト」とは言わない。奇しくも「内環」と表現された「あなた方」のこの問題に対する姿勢は、その格段の信頼に応分に応えているものだと言えるだろうか。しかも、この「内環」のメンバーは、「こぞって」(笑)「デジタル・ジャーナリズム研究会」のメンバーとして、親しく「ネットとジャーナリズム」を集い論じ合っておられる方たちではないか。「外環」の私たちは、「内環」の佐々木さん達の唱える全体論や社会論を聞く前に、真実の解明に力を注いでいただきたいのである。
それは、今マスメディアや職業ジャーナリストへの信頼が大きく揺らいでいる世相と無関係ではない。求められているのは、第一義的に「何がなされたのか、何がなされなかったのか」ということである。理想とする社会像への誘導や、オウム真理教との安易なアイデンティティ同一論ではない。
泉さんがもしもまだ「ジャーナリスト以前」だとして、「ジャーナリストの先輩」である佐々木さんが泉さんに伝えられるのは、「外環」への防御だけなのだろうか。R30さんが伝えられるのは、オウム=大日本帝国論だけなのだろうか。湯川さんが伝えられるのは廃墟のブログだけなのだろうか。歌田さんは一番大事な「裏取りの重要性」をどこかで忘れてきたのだろうか。
私に見えているのは、皆さんが何かを恐れて、隣にある「暗闇」を明かすことをせず、延々と幻の理想論を唱え続ける姿である。真実の追究を一義とすることについて、テロへの危機意識について、この3ケ月「内環」から何が語られただろう。批判が寄せられるとすぐにコメント欄を閉鎖する姿勢の中から、何を話し合う共通の基盤があっただろうか。
どこで何があったのか。なかったのか。
誰が何をして、誰が何をしなかったのか。
その中で何が問題であり、何が問題でなかったのか。
どんな問題においても、人が、社会が「プロのジャーナリスト」に求めているものはまずそこにあるはずである。その基本を忘れているのは誰か。
幻のネットジャーナリズム論はもう沢山である。
2006 06 07 [ことのはを巡る問題] | 固定リンク | コメント(14) | トラックバック
June 05, 2006
週刊アスキーと歌田明弘氏への質問書(4)----歌田氏の回答(2)
歌田さんから、どういうわけかもう1通回答をいただいた。いい加減憂鬱になってきている上、前回以上に不愉快な内容だが、最初のものを公開して、こちらを公開しないのは片手落ちというものだろう。そういうわけで、公開をさせていただく。
論評は・・・・。 まあ後から考える。やれやれ。
(こちらもこのような人に質問したこと自体を後悔し始めたよ。まあお読みくだされ。)
---------------------------------------------------------------
XXXXX(実名)様
これ以上、お答えしないと言っておきながら、メールをお送りしてしまうのは何ですが(苦笑)、先の回答にひとつ重要な点が抜けていましたので、補足させていただきます。
あなたは、そもそもume氏の挙動に異様なまでの関心をお持ちですが、私には、とりたててume氏の発言を追及する理由がありません。もしその発言に多少の違いがあったとしても、ume氏に根拠なく言うにはあまりに重大で不当な疑い(つまりオウムの関係者であるということ)がかけられてきたことは、ネット上で誰でも知りうる事実ですから、そういう意味で被害をうけたことは明白ではないでしょうか。
疑いをかけた方に必要なのは、謝ることであって、あなた(方)のほうで何らかの具体的な追及理由を示さないかぎり(示しているつもりなのかもしれません
が、あなたの発言をざっと拝見したかぎりではとても理解できるものではありません)、これ以上追及する必要も、またするべきでもないのは明らかです。あな
た方のやっていることは、まったく理解できない所業です。
こうした観点に立っているわけですから、取材が必要かどうかはそもそもまったく問題にならない話だと思います。
いささかあきれてきたので、いまでは、お答えしたことを後悔し始めました。週刊アスキーにも、お答えしないことを勧めるつもりです。
また、実際のところ、多くの雑誌同様、編集部と著者は信頼関係で成り立っているわけで、どういう具合に原稿を書いたのか、その詳細を把握しているのは書
き手のほうなので、こんどのご質問の場合はとくに、著者の回答で十分だと思いますし、いまでは、先に書いたように、私もまともに相手をしたことを悔いてい
ます。
ほかに質問を送られたスポンタさんにお答えせず、あなたになぜお答えしようかな、と思ったのは、あなたのお名前が社会で名乗られているほんとうのお名前
で、ネット上で簡単に検索される方と同一だともしすれば、あなたと私は同じ年のようで、同じ時間だけ生きてきて、私などに比べてはるかに社会的な地位もあ
る方のようなのに、なぜこんなことをわざわざやられているのか、不思議に思ったからでもあります。もう少し卑近な言い方をすれば、あなたに少しばかりの関
心を持ったからです(それがお返事してしまうという間違いのもとでした)。
まあ、先のメールをいただいて、取材するんでしたら、あなたのことを取材したほうがおもしろいような気もしたことは事実です(笑)。
余計なことも書きましたが、これでほんとうに終わりにします。
これも公開されるのでしたら、前回同様、全文をお願いします。
歌田明弘
2006 06 05 [ことのはを巡る問題] | 固定リンク | コメント(17) | トラックバック
June 04, 2006
「仮想報道 われわれはみな”隠れオウム”の容疑者」(週刊アスキー)の問題点について
週刊アスキー(2006年6月月13日号)掲載記事で、特に問題があると感じるのは次の一節である。順序が後先になるが、これについて認識されていないコメントも散見するので、確認の意味からも再掲しておく。
質問書とその回答も参照して欲しい。
---------------------------------------------------------
●「オウム信者でないこと」を証明できるか実質的により深刻な被害を受けたのは、泉氏にサーバーを貸していた男性かもしれない。「この男性こそが、『オウムの謀略』をたくらんだ黒幕」といった声が上がり、憶測にすぎないそうした話もネットで広まった。
これまた唐突な疑いに思われるが、泉氏のブログに書かれたこの男性自身の文章によれば、こうした話には会社が神経を尖らせるシステム関係の仕事をしていたこともあって、結局、会社を辞めなければならなくなったという。
疑惑を知った会社は、オウムと無関係だと証明するよう求めてきたそうだ。
しかしこれは、言うはやすく、行なうのははなはだむずかしい。
この男性は、オウムと関わりがないことを警察に証明してもらおうとしたところ、警察は、「まず、あなたがオウム信者でないことを警察に証明してください」と言ったという。
笑い話のようだがほんとうにそうなのだ、と書いている。------------------------------------------------------
※ここまでの著述は確かに歌田氏が回答してきたとおり、明らかにネット取材で知りえた事実を羅列してだけであると言えるだろう。単に歌田氏はGripBlogに掲載された、ume氏の退職の経緯をそのまま「伝聞で」記載しているだけだ。
しかし、記事はここからトーンが変わる。
----------------------------------------------------
警察は、「隠れオウム」を全員知っているわけではないかもしれないし、知っていたとしてもそうした微妙な情報を持っているとは言いたくない。だから、嫌疑を晴らすことまではしてくれないわけだ。
さて、そうしたとき、あなただったら、どうやって「オウムでないこと」を証明するだろうか。おそらく誰もできないのではないか。
そういう意味では、われわれはみな潜在的に「隠れオウムの容疑者」だ。
泉氏やこの男性についての疑いの広がり方を見ると、そうした極端な話が、かならずしも極端とはいえないように思えてくる。(「仮想報道 われわれはみな”隠れオウム”の容疑者」より)
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この青字の部分で、記事はいつの間にか、ume氏に起きたことが事実であるという前提に立っている。さらに、一気に私たちもいつオウムの容疑者であると不当な疑いをかけられかねないとリードすることにより、この男性に起きたことがいかに理不尽であるか、あるいは自分の身に起きたらどんなに恐ろしいことであるかを、断定的に印象付けている。警察が疑惑を「晴らしてくれない」ことも、自明のことのように書かれている。
さて、読者はここまで読み進んだとき、これがネット上で公開されただけの、「裏づけのとれていない話である」と読み取ることができるだろうか。あるいは、記事の筆者がこの事実を全く裏取りをしていないことを読み取ることができるだろうか。
おそらくそれは無理であろう。ここにこの記事の問題点がある。
歌田氏は回答の中でこう語っている。
また、私は、口頭で述べられたことよりも、文章として記したことのほうが証拠能力は高いということも常々思っています(いうまでもありませんが、どちらも虚偽の証言をすることはできますが、テープを回して公開でもしないかぎり、言った言わないの水掛論争になりがちな口頭の証言に比べて、ともかくもネットで書かれたことは残っていて公開されているという意味です)。というわけで、ネット上で公開されている情報をできるだけ使うようにしています。
しかし、取材源を相手の「口語」からとるか「文章」からとるかなどということは、この問題への答になってはいない。「文章なら後々残るから言った言わないの問題で有利である」というのは、瑣末な取材者側のテクニックの話であり、取材源の裏づけをとるということとは、基本的に関係がない話である。
通常は、証言者の話が真実であるか、誇張がないかを検証するために、被取材者以外の第三者の発言や、証言者の証言の合理性、一貫性を精査するはずである。その結果、不自然な点があれば、その発言を元にした記事の基本が崩れることになるので、殊更に慎重を期すべき作業である。
メディア関連で仕事をされている方にとっては、基本中の基本であるはずである。それが「ネットで書かれたこと」の名の元に承認されるとすれば、ネットジャーナリズムとは、書いたことに責任をとらない無責任の体系であることになる。
まして、ことはオウムというナーバスな問題である。IT業界の噂話を書くのとは訳が違う。取材者はあらゆる可能性を疑ってしかるべきであり、その取材者の姿勢が読者以上に、一貫して厳しいものであることによってこそ、記事として信頼に足るものになる。少なくとも、裏づけをとっていないならいないと、記事中に明記することは最低限すべきであろう。
そうした意味において、なされるべきことがなされずに、未確認の事実にお墨付きがなされるような形で流されたことは誠に残念であると言わざるをえない。質問書を出したのも、この点に強い違和感を感じたからであり、この件に関して歌田氏が言う「何らかの意図」などというものは当方にはない。
もしも(あまり可能性はないと思ったが)歌田さんが独自取材をした結果、たどり着いた結論であるなら、それはそれで状況の一歩前進になったのであるが、どうやらそれはありえないことだったようである。
2006 06 04 [ことのはを巡る問題] | 固定リンク | コメント(3) | トラックバック
June 03, 2006
週刊アスキーと歌田明弘氏への質問書(3)----歌田氏の回答でわかったこと
私は、8つの質問を歌田氏に投げかけたのだけれど、結局はっきりお答えいただいたのは
(8)上記の松永氏インタビューの後、泉さんは、オウム真理教問題に長年取り組んでこられた、弁護士の滝本太郎氏にもインタビューを行っておられます。滝本氏は、先に松永氏になされたインタビューの内容の一部について、問題がある危険な部分を具体的に言及されておられます。松永氏のインタビューを紹介するなら、この滝本インタビューの内容にも触れないと、著しくバランスを欠いた記事になるのではないかと懸念されますが、この点に関してどのようにお考えですか?
だけ。
これについては、
>なお、ご質問をいただく以前に次の原稿が校了になっておりましたが、滝本弁護士の主張も興味深く拝読しましたので、こんどの火曜日発売の号で取上げさせていただきました。
のお答をいただいた。どうも普通に読むと歌田さんは、私が質問をするまで滝本弁護士のインタビューを読んでいなかったようにも思えるのだけれど、そこは定かではない。いずれにしても次の記事に反映されるようで、その点だけは良かった。
で、淡々と検証すると(1)から(7)についての質問には直接的な形では全くお答えいただけなかった。よって、回答文から類推するしかない。
>ひとつひとつお答えしませんが、基本的にブログ記事等の情報にしたがったものについては、原稿中にそのむねを書いておりますので、原稿をお読みいただければわかるかと思います。
→記事に書いてある以上の情報は持っていないと理解した。
>そのうえで、今回のご質問には直接かかわりないことですが、私が当該の連載を始めるにあたっては、普通の人が普通にネットなどを通して集めたり接した情報で、何が言え、どんなことがわかり、考えられるかに興味があって始め、それを原則にして書いてきましたし、少なくとも今のところこの連載についてはそういう形で続けるつもりです。
→「普通の人」がネットを使って集めた情報と同じ情報で記事を書いている。つまり、「普通の人」がネットで収集できる以外の取材手段は今回尽くしていないと理解した。
>また、私は、口頭で述べられたことよりも、文章として記したことのほうが証拠能力は高いということも常々思っています(いうまでもありませんが、どちらも虚偽の証言をすることはできますが、テープを回して公開でもしないかぎり、言った言わないの水掛論争になりがちな口頭の証言に比べて、ともかくもネットで書かれたことは残っていて公開されているという意味です)。というわけで、ネット上で公開されている情報をできるだけ使うようにしています。
→要は取材対象に会って直接コメントをもらったところで嘘をつくかもしれない。なら「ブログにあがっている文書」情報のみで記事を構成することに問題はないではないか。という意味か。それなら既成の新聞社や雑誌社の記者の皆さんがやっている手法(=1次情報にあたる)は、口頭で証言を取る限りは、信頼できないということか。ずいぶんとユニークな説をお聞きした。
つまり、早い話が歌田さんは、ご自分の書いた記事について「普通の人がアクセスできる」ネットの情報以外については一切取材をしていないと理解して差し障りはなかろう。
後半で私の匿名性について延々と書かれている。こちらの出した質問にはスルーに近い対応をされながら、どういう意図で文字数を尽くして論点をそらそうとされるのかわからないが、要はあなたの答は「裏取りはしていませんが何か?」ということであろう。
であれば、この歌田というジャーナリストは、ネットで垂れ流されている程度の情報のみで「われわれはみな”隠れオウム”の容疑者」というタイトルの記事を公開してしまう人であるとわかったので、私は正直なところこの人とこれ以上やり取りをする意欲はない。
歌田さんは、あたかも私が自分の個人情報をネットに公開することが、情報交換の条件のような言い方をされておられるが、あなたの側に、これ以上出す情報や説明が何もない以上、あなたの理不尽な要求を受け入れてリスクを背負う必要は私にはさらさらない。交渉にも脅しにもならない話。
要はあなたは裏取りはせずに、泉さんの言い分を右から左に流したとそういうこと。それがわかれば十分である。
そもそも、私は質問書の送付にあたっては、質問文に自分の実名を記載している。その気になればあなたはネットで私の素性について詳細な情報をとれる立場にある。にも関わらず
>自分は、オウムでもないし、明らかにする必要はないと言われるかもしれませんが、あなたの文章を読んでいるわれわれにはどういう方かわかりません。(オウムでないにしても)別の意図があるかもしれません。名前があれば疑いが払拭できるわけではありませんが、そのお名前が失われると困る場合は、発言することにそれなりにリスクを負うわけで、説得力が出てくるということはあるでしょう。
とか
>松永氏は、ペンネームにしてもリアルな世界でそれなりの蓄積があり、失うと困る名前を明らかにしていたわけです。その行為を問題にされているあなたも、ネットで言論活動をされているわけですから、最低限、「松永氏なみ」の対応をされることを望みます。
などと記載するのは全く理解に苦しむ。
さらに重大なことがある。
歌田氏が記事の中心に据えている「umeさん」の一件が事実なのか、umeさんが存在しているのかどうかも検証していないのみならず、泉さんすら本名ではない匿名の存在であることを知らずに、この記事を構成したということである。
泉さんはご自身のコメント欄でこうおっしゃっている。
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sayokoさん
>泉さんが匿名であると、歌田さんは知っているのですか?
「泉あい」名でお会いする方々へ名刺をお渡しする度に「実名ではなりません」と補足説明しているわけではありませんので、歌田さんがご存知かどうかは私ではわかりかねます。
投稿 泉 あい | 2006/06/03 15:41:55
-----------------------------------------------------
つまり、泉さんは歌田さんに本名を公開していないのである。
ここで歌田さんの記事は悲劇的な状態に陥ることになる。
つまり、歌田氏の言う「どこの誰ともわからぬ」泉さんというキャラクターの言い分をそのまま流すことにより「仮面に隠れて特異な言論活動をしたときの意味について問題提起」を行い、それに対して質問をした私をまた「仮面に隠れて特異な言論活動をした」として信用ならぬと評したのである。しかも私は歌田氏に本名を提示しているが、それすらもなされていない人物を信用したということになる。
この重大な矛盾についてはもはや解説しない。
読者それぞれが理解されれば良い。
後は「週刊アスキー」の編集部から、社としての見解も歌田さんと同じなのかどうかご返事を頂くように、確認に努めたいと思う。
コメント欄で今回も「名無しの某」さんが見事にまとめてくださっているのだが、私の質問の主たる主旨は、言うまでもなく「umeさん」の離職に関する一件が、裏取りもしない「杜撰な」記事で活字化されることにより、
オウムの元信者の疑いをかけられた一般人がネットの中傷により退職にまで追い込まれた
という「確認されてもいない事実」が、1人歩きをすることを危惧したものである。(既に何度も書いたように私はこの件に関して懐疑的である)
歌田さんがご返答いただけたことにより、今回の記事が、何の裏もとっていない記事であり、「匿名の女性ジャーナリスト」の証言のみにより誘導された記事であることを、読者には理解いただけたと思う。この次元までは、私の目的は果たすことができた。
さて、最後にBigBangの匿名性についてであるが、少し書いてみる。歌田さんの「要求」は先に書いたように非合理的極まりなく、ジャーナリズムの基本も踏まえない稚拙な見解であるとして、私は「微笑」するのみである。(やはり2007年問題かなあ。)
で、それとは全く別にこのブログを「実名ブログ」に変える可能性は、全くないわけではない。既に親しい友人や家族にこのブログは公開しており、今回の騒動の相手方に属する方たちは、軒並み私の本名とプロフィールをご存知である。「必要があれば」BigBangが実名ブログに変更されるためのハードルは、既にかなり低くなっていると解すべきである。
だが、それは「必要があれば」であり、今回のやりとりごときの稚拙な意見で、おいそれと挑発に乗るわけにはいかない。しかし、私の匿名性が、私に対する「唯一の」対抗手段であると考えているとすれば、あなたたちは甘いと思う。
それだけは忘れないでいてほしい。
さあ、
>最低限、「松永氏なみ」の対応をされることを望みます。
と言われた件は、取るに足らぬ妄言として「水に流して」、週刊アスキーの正式見解をお待ちすることにしよう。
#それから最後に歌田さん。理屈はともかく、公の媒体に記事を書く場合には、「裏取り」をしたほうがいいですよ。特にあなたが扱っておられるのは、あのオウム問題だ。それがわかっていますか?その重大性が、この社会に与える意味について、しっかりと考えておられますか?
そうそう。「人は口頭では嘘をつく」から「ネット取材だけで構わない」などという詭弁にまぶしたジャーナリズム論を、公言しているジャーナリストが、あなたのほかに一体誰がいるのか。
それも機会があれば教えてください。
機会があれば、ですが。
2006 06 03 [ことのはを巡る問題] | 固定リンク | コメント(55) | トラックバック
週刊アスキーと歌田明弘氏への質問書(2)----歌田氏の回答
歌田さんから、早速ご回答をいただいたのでまずそのまま公開します。回答に関する論評は後で別に書きます。
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XXXX(実名)様
ご質問をいただきましたので、お答えさせていただきます。
ひとつひとつお答えしませんが、基本的にブログ記事等の情報にしたがったも
のについては、原稿中にそのむねを書いておりますので、原稿をお読みいただけ
ればわかるかと思います。
そのうえで、今回のご質問には直接かかわりないことですが、私が当該の連載
を始めるにあたっては、普通の人が普通にネットなどを通して集めたり接した情
報で、何が言え、どんなことがわかり、考えられるかに興味があって始め、それ
を原則にして書いてきましたし、少なくとも今のところこの連載についてはそう
いう形で続けるつもりです。
ま