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June 07, 2006

希薄なのは「内環」の方ではないのか----佐々木俊尚氏に再度答える

再度この問題を取り上げていただいた佐々木氏の「ネット世論の「拠って立つ場所」とは」を興味深く拝見した。私のブログ他も具体的に引用していただいて、その開かれた姿勢にはまず感服する。というのも、そう言わざるを得ない惨状が今広がっているからである。理由は後で述べる。

その上で、の話である。

佐々木氏は前回のエントリー「「ことのは」問題を考える」の文末で、

「しかし私は今でも、マスメディアが声高に書いてきた絶対的正義の向こう側に、フラットになった言論の世界が誕生し、そこにインターネットのジャーナリズムの可能性があると信じている。なにがしかのその可能性が、単なる楽観主義でないことを、私は今ただひたすら祈っている。」

と表現した。

ところが今回のエントリー「ネット世論の「拠って立つ場所」とは」でこのように書いている。

「中心に泉あいさんと松永英明さんの存在する圏域。その外側に、R30さんや私、歌田明弘さん、湯川鶴章さんらの圏域。その外側に、内側の二つのサークルを徹底的に批判しているBigBangさんや美也子さんたちのいる圏域。そしてさらにその外側には、弾さんや『Parsleyの「添え物は添え物らしく」』のエントリー『今更の『「ことのは」問題を考える』雑感 』が言及している、以下のような圏域。」

「この円環構造が特徴的なのは、ある環を包囲する外側の環は、かならず自分のさらに外側の円環――それは実のところ、包囲者が仮想している幻想の円環、仮の他者に過ぎないのだけれども――が持つコンテキストを背景に、内側の環を批評しようとすることである。
 たとえば松永さんと泉さんらの環に対して、その外側にいるR30さんや私は「ジャーナリズム」という視点からその環を批評しようとした。ところがさらにその外側にいるBigBangさんや美也子さんは、さらに別のコンテキストを背景にして、R30さんや私を批判した。それに対して私は、「あなたがたのコンテキストは絶対的正義ではないのか」と前回のエントリーで異論を述べた。しかし今考えれば、その考え方自体も、円環の中に閉じこめられたがゆえの意見だったようにも思える。
(「ネット世論の「拠って立つ場所」とは」)

これを読んで私は、2月に書いた自分のある記事を思い出した。引用するので、読み比べて欲しい。

人生はどんな暴虐にも懇切に対応していけるほど長くはない。一方で耳を貸すべき批判もたくさんあるだろう。願わくば彼にはそうした批判に耳を傾けて欲しいのであり、石を投げる意味も相手も理由も見えない者どもに、あなたが誠実に対応する義務はない。そういう取捨選択もこの世を生きる闘いのプログラムには、あらかじめ組み込まれていると思うし、それを淡々とこなしていかなければ、あなたの負った大いなる蹉跌も十分に生きないであろう。粛々と闘えばいい。それだけのことである。そして、闘いは慎重にね。準備万端整えて。幸いあなたにはまだまだ長い時間があるのだから。
今は取り囲まれているように思うかもしれないが、彼らの周囲には彼らを遥かに超える数の目がある。黙って、しかし彼らの無残を厳しく見つめて立っている人々は決して少なくない。
感じ取る者は感じ取っている。
見つめられているのは彼らの愚かさであり、囲まれているのは彼らのほうなのである。
(囲まれているのはそっちだろう。-----今井ブログの出来事を見て。)

いずれも「円環のようなもの」に封じ込められた「対象者」をその周囲が「批判」あるいは「攻撃」しているが、その外側にさらに無数の「外側の円環」があると見る。両者がテーマとして扱ったのは「ことのは問題」と「今井ブログ問題」で異なるが、佐々木さんのエントリーと私のエントリーにはある共通の「構造的視点」がある。

では彼我の差はどこにあるのだろうと考えた。で、それは「自己の位置」に関する認識の違いであるとすぐに気がついた。自己のポジションに関する認識である。

佐々木氏は当事者である泉・松永の両氏のすぐ外側に「R30さんや私、歌田明弘さん、湯川鶴章さん」を置いた。それよりも外側に位置する「BigBangさんや美也子さん」は、泉さんや松永さんはもちろん、その外周にある佐々木さんたちにも「石を投げる」者どもなのであり、さらにその外側には冷ややかに見つめる層(サイレントマジョリティ=おそらく「大衆」と呼ぶべきものであろう)を見ている。

これは私が今井ブログの構図で描いた図式と酷似しているがある1点で異なる。どこが違うかと言うと、私がもっとも外縁の「サイレントマジョリティ」にむしろ「希望」や「期待」を込めたのに対して、佐々木さんはむしろ「内周」に近いところにある自分の立ち居地を中心に、「異なる正義を背負う外周」を「異界」として見ているというところである。のみならず、「外環」をこう表現までしている。

外側にいけばいくほど、その拠って立つ「社会」「世論」は薄く広がり、見えにくくなっていくようにも思える。

佐々木さん、そうだろうか。希薄なのは外周だろうか。今厳しく問われているのは外周ではなく、「サイレントマジョリティ」における言論の希薄ではなく、むしろ「中心部に近いところ」にいる、あなたたち(ともしかしたら私も)の行動倫理、言論倫理なのではないだろうか。
この騒ぎが始まってから今まで、あなたの言う「内部の円環」に属する松永さんは言うに及ばず、(松永さんは松永さんなりの吐露の途上にあったことは認める)泉さんも、そして週刊アスキーの件で問題になったumeさんも、R30さんも、歌田さんも、湯川さんも、そしてあなたも、この問題の核心に直接的に触れず一般的な社会論にオウム問題を昇華して、同じ円周を回り続けるのはどういうことなのだろうか。私は「外周」よりもむしろこの「内環」に強い疑問を感じるのである。

●松永さんは入院後、音沙汰がない。
●泉さんはもっとも肝心なところで口をつぐみ、不向きな政治家インタビューを再開した。
●会社から不当な退職を強いられたとされるumeさんは行方知れず。
●R30さんはオウム問題は「日本とアジアの問題」だと言い残してブログを休業した。
●参加ジャーナリズムの旗手湯川さんのブログは廃墟と化し、あらゆる問いかけに沈黙している。
●歌田さんに至っては、事実と向き合おうともしない論外の体たらくの上、コメントもトラックバックもコントロールしている。

佐々木さんの言論は、無礼な私にも、よくも制御してpoliteに対峙して下さっているとは思うが、「ことのは問題」の肝心な点=GripBlogで何が起きたのか、肝心な部分に何一つ触れず、「フラットなブロゴスフィアの夢」から「円環の社会論」へ、そしてさらに「ブロガーの責任論」へと話を昇華している。

「ブロガーの責任」がないとは言わない。これは明らかに私にも向けられている言説であることは明白だからだ。ここまで騒ぎを拡大した責任の一片は確かに私にもある。
しかし、匿名の一ブロガーの言論と、元毎日新聞記者であり、気鋭の「プロジャーナリスト」佐々木俊尚の言論の、どちらを世間は信頼するだろうか。元ユリイカの編集長であり、週刊アスキーでレギュラーを持つ「優秀なジャーナリスト」歌田明弘と、その歌田氏が鼻でせせら笑う無名の素人のブログのどちらを信頼するだろうか。R30さんは今はプロのジャーナリストではないが、アクセス数で言えば、BigBangの20倍以上の力を持つブロガーである。BigBangとR30のどちらの影響力が重いだろうか。

敢えて「ジャーナリスト」とは言わない。奇しくも「内環」と表現された「あなた方」のこの問題に対する姿勢は、その格段の信頼に応分に応えているものだと言えるだろうか。しかも、この「内環」のメンバーは、「こぞって」(笑)「デジタル・ジャーナリズム研究会」のメンバーとして、親しく「ネットとジャーナリズム」を集い論じ合っておられる方たちではないか。「外環」の私たちは、「内環」の佐々木さん達の唱える全体論や社会論を聞く前に、真実の解明に力を注いでいただきたいのである。

それは、今マスメディアや職業ジャーナリストへの信頼が大きく揺らいでいる世相と無関係ではない。求められているのは、第一義的に「何がなされたのか、何がなされなかったのか」ということである。理想とする社会像への誘導や、オウム真理教との安易なアイデンティティ同一論ではない。
泉さんがもしもまだ「ジャーナリスト以前」だとして、「ジャーナリストの先輩」である佐々木さんが泉さんに伝えられるのは、「外環」への防御だけなのだろうか。R30さんが伝えられるのは、オウム=大日本帝国論だけなのだろうか。湯川さんが伝えられるのは廃墟のブログだけなのだろうか。歌田さんは一番大事な「裏取りの重要性」をどこかで忘れてきたのだろうか。

私に見えているのは、皆さんが何かを恐れて、隣にある「暗闇」を明かすことをせず、延々と幻の理想論を唱え続ける姿である。真実の追究を一義とすることについて、テロへの危機意識について、この3ケ月「内環」から何が語られただろう。批判が寄せられるとすぐにコメント欄を閉鎖する姿勢の中から、何を話し合う共通の基盤があっただろうか。

どこで何があったのか。なかったのか。
誰が何をして、誰が何をしなかったのか。
その中で何が問題であり、何が問題でなかったのか。

どんな問題においても、人が、社会が「プロのジャーナリスト」に求めているものはまずそこにあるはずである。その基本を忘れているのは誰か。

幻のネットジャーナリズム論はもう沢山である。

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Comments

以前私が泉さんと湯川さんにあてて書いた批判と、根底の部分で共通するものが多いエントリーで、大変考えさせられました。この数カ月間は一体なんだったんだろうかと。。。しかし一方の私は徒労感のみ強く、コメントするのを止めてしまいましたが、BigBangさんは引き続き辛抱強く、大きな構えを維持されたまま、一貫して希望を見いだそうとなさっていますね。「そこまで粘着しなくても」と反射的に思った瞬間が何度かあったことも、正直に申せば確かです。しかしやっぱり、これは大変な辛苦の道だったと思うのです。そのような作業をBigBangさんが変わらずに継続されていることに、敬服の意を表します。お体ご自愛ください。

「泉さんと湯川さんにあてて書いた批判」に興味がおありの方へ。↓ここのコメント欄でまだ読めます。
http://it.blog-jiji.com/0001/2006/04/fon_90ce.html
かなり散漫な文章ですが、「もはやあの方の問題じゃないんですよ」とか「ジャーナリストと言いつつ何が公共なのかということに思考を向ける姿勢が希薄なこと」といった文言が、その中心的テーマです。

結局、ブロゴスフィアというのが空論なんですよね。
MIXIじゃあるまいし、周などという境界線があるわけもなし…。

花いちもんめのように手をつないでいるのではない。
バスケットのゾーンディフェンスのように、攻撃する人にはゾーンに見えてしまう。そういうゲシュタルト心理学的な解釈(パターン認識)によってのみ、パッケージに見える。それだけのことだろう。

だから、勇気を持って突破すればなんなくゴールをゲットできる。そういうものだと思う。

…つづけてゴメンナサイ。

>幻のネットジャーナリズム論はもう沢山である。

この印象の原因は、「あ~た。結局のところ何をいいたいの? 200字以内で答えなさい」ってことができてないからっすよ。

いまのインターネットは検索をグレードアップすることばかり専心しているけど、次に必要になるのは、サマライズを基礎にしたインテグレート。
つまり、バカ、アホ、マヌケ、トンマ、オタンコナスを、
バカlike×5に変換することだと思う。

だから、

>どこで何があったのか。なかったのか。
>誰が何をして、誰が何をしなかったのか。
>その中で何が問題であり、何が問題でなかったのか。

などということも、言論の希釈作用に一役買う。そういうことだと思っています。

それぞれの論者がリード文として200字で書く。それでいいじゃないですか。それを読み手が40の文章にする。
勿論、論者は200字で書けなかったことを無限大の文章でリンクをつけて発表していい。

だって、「匿名」とか「絶対的正義」とか「責任」とか「こぞって」とか、みんなこの件の本質じゃない議論でしょ。

そして、ここで重要なのは、読み手がオーソライズする立場
になること。そこで読み手のスキルが試される。ただし、その読み手に求められるのは不偏不党ではない。競馬の予想屋(プロフェットと命名したい)に求められるようなスキルだ。

メタ議論になってしまってごめんなさい。
でも、本質的な問題をみんなで論じたい。ノイズは排除したい。そういう思いなんです。


>>スポンタさん
>「あ~た。結局のところ何をいいたいの? 200字以内で答えなさい」
自分でまずやってみたらいかがですか。

>本質的な問題
あなたの独特の持論に賛同するところもありますし、この一連の騒動と一部関連していることもわかります。しかし、その持論の部分に対しては食いつきが非常に悪いのは何故でしょう。それはあなたの持論が(現時点では)本質だと感じている人が少ないからではないでしょうか。少なくとも私は感じません。
厳しい言い方をさせてもらうと、あなたのコメントはノイズが多いのです。

デジジャーナ研に参加できたとしてもここでしているような論の展開をするつもりならば、「うるさいノイズだな(プ」と禄に影響力を持てないまま終わってしまうんじゃないかと危惧しています。

ついでだからもう一つ厳しいことを。しかもその影響力をもてなかったことを他の参加者のせいにしそうです。あなたは自分の意見を相手に伝える最大限の努力をしていない。読み手の方を見ないで自分の方ばかり見ている。そんな風に感じます。まず伝わらなきゃ何も始まりませんよ。

#200文字程度のものも書いたのですが、さらにとんでもなく無礼なものでしたので直してたら倍以上に増えましたw
エントリに関係なく、しかも雰囲気を悪くしそうな投稿すみません管理人さん。

今日のエントリを読んで、気になった点をちょっと述べさせてください。

うちのブログの関連エントリのPVは、今は1日50件もないです。BBさんのブログのPVがどんなもんか知りませんが、たぶん「R30のほうが20倍も影響力のある」という表現は明らかに誤解だと思うので、訂正してください。PVや影響力で言えば、もうBBさんのほうが僕よりずっとアルファブロガーだと思います。

それは更新を止めていらっしゃるからではないですか?R30さん。それにしてもあなたほどのブロガーで1日50件PVがいかないというのは驚きですが。
RSSの登録数、アンテナの被アンテナ数、第三者が確認できる指標ではあなたのブログは抜きん出ているのは間違いないことはお認めいただけるだろうとは思いますが。加えてあなたはR3Oというお名前で商業オピニオン雑誌にも記事をお書きになっている。影響力うんぬんで言えば、BigBang氏よりもあなたのほうがはるかに巨大であろうというのが私の認識です。
まあどちらのPVがどれほどだと言い合うのもズレているような感じもしますが、累計アクセスで50万を越えたというこちらのブログですが、期間と比例してみれば現時点での累計では大したことないです(笑)。
私がやっていたブログも大したことはないですけど(笑)、最後の数ヶ月はIPで1日あたり4000から6000程度のアクセスはありました。
それを維持できれば3ヶ月で達成する数字ですから、50万アクセスという数字は。
で、世の中には1日で1万、2万のアクセスがある巨大なブログがあります。あなたのブログもそうしたメガブランドのひとつだという認識です。

そうか、50件/日か...
R30好きだったんだよ。歌田もね。
黒、鮫のほうが怪しくみえたあの頃。

BBすごいよ。マジ。

ここが50万に達した一方、R30さんのカウンターは379万。BigBangを含むアンテナ (63)に対して、R30::マーケティング社会時評を含むアンテナ (1489)。RSSフィードメーターのランキングでは、R30は22位だが、ここは300位圏外。どっちにしても、「R30のほうが20倍も影響力のある」という表現と、「アクセス数で言えば、BigBangの20倍以上の力を持つブロガーである」という記述は噛み合っていないし、本題から離れた些末な議論だす。

歌田しゃんってジャーナリストなのかしらん。
評論家のような気もするけど。
評論家なら裏取りは不要だからこの違いは大きい。
ジャーナリストって自称してるのかしら。
BBさんあての手紙を読むとチンピラ風だけど
あの人、東大出てるのね。
ふーん。

本当に、BigBangさん以外の自称「アルファブロガー」や「プロジャーナリスト」の連中の、ムラ社会的な封鎖性、ジャーナリストとしての気概のなさ、あまつさえ社会人としての常識のなさに呆れかえっています。

新しいジャーナリズムに期待していると言いながら、彼らのやっていることは、事実の隠蔽、詭弁を弄したかばい合い、真実を見据えたい人への無根拠な罵倒。
彼らにはジャーナリストとしての気概のひとかけらも感じられません。

いったい彼らはいったい何を恐れているのでしょうか?
松永が社会的な信用を失うことが、自分たちへのとばっちりを生むとお思っているのでしょうか?
だったらなおさら、松永たちに真相を話させるのが得策であることくらいわかればいいのにと思います。
事実を隠蔽して事態が良くなるなど一つもないというのに。

そして滝本弁護士のおっしゃるとおり、日本はかつての犯罪者にものすごく甘い国です。ほとんど社会的なペナルティも無い。やろうと思えば松永もいくらでもやりなおしはききますよ。
ただし、現在までのいきさつが納得できる形で出されれば、に決まっているのに、どうしてわからないのでしょう?どこまで松永や泉氏を甘やかせば気が済むのでしょうか。

彼らは、とにかく自分たちが今までと同じく、いくばくかの信者たちを引き連れ、持ち上げられてさえいればいい、と考えている用に見えます。
その為には松永も駒として置いておきたい、また、松永が断罪されれば松永も所属していた自分たちの集団にも傷が付く。そのためにまず「松永は悪くない→悪いのはおまえらだ」という無理な擁護ありきで、ジャーナリズムも何もほっぽり出して、詭弁丸出しの無理な擁護(結果的に自分への保身のための)を重ねているようにしか見えません。
しかし、自分たちの知能を信じるのは勝手ですが、世間の人は、自分の信者ほど馬鹿ばかりではないことが理解できないようですが。

アルファブロガー界、マスコミ界がここまで「覚悟」の無い情けない人たちばかりだということに、今回の事件で本当に失望しました。
自分たちのやっている事に少しも筋を通さず、濁ったぬるま湯の秩序乱す人を揶揄することしかしない。これが日本の言論界の悲しすぎる現状だったのですね。

とにかく、歌田氏、R30氏、泉氏には一言これだけは言いたいですね。
「ジャーナリストとしての”覚悟”をかけらでもいいから持て!それと、世間はそれほど馬鹿じゃない。屁理屈で煙に巻こうとしても皆わかる。なめるな」
今さらこんな事まで言わなくてはならない日本のジャーナリズム界・・・本当に情けないです。
アジテーションやプロバガンダとジャーナリズムが未分化な後進国ですよこれじゃ。

>R30さん

勢いとは言え、もろもろ失礼の段はお許しを。ここのところ、いろんなことがあったので、普段なら素直に取れる、お褒めの(?)お言葉もなかなか素直には受け取れません。
20倍というのは、主に登録されているアンテナ数あたりからの推測ですね。もちろん根拠はありません。それに今あなたは更新されていませんし、比較の対象にならないですね。

それにしてもあなたの言う50PV/日という数字は俄かには信じられません。

#最近全てが謀略に見えている愚かなBigBangでした。

説明責任の話が,その特性を無視した一般論に落とし込まれることは問題であると感じるのでコメントさせてください.なお,不可解な誤読をされる方がおられるやもしれませんので,少々くどい書き方になっている点はご容赦ください.

「フラットな言論」の世界で,その言葉に対する責任の重さは,<ジャーナリストか単なる1匿名ブロガーかの肩書きは問題でない,同等である>とも解釈しうる佐々木氏の主張については<数の問題><肩書きの問題>との捉え方でBigBang氏,あるいは他の方により反論されています.それだけでも十分ではあるのですが,数の問題に矮小化した反論もあるようですので補足しておきます.
#肩書きの問題についてはここでは触れませんが,Net慣れしていない
#人にとって,肩書きそのものが信頼度に関する重要な要素である
#ことは未だ事実として残っている気はします.

<旧来の意味での,自称ではない>ジャーナリストが重い責任を負わされてきた理由を基本に立ち返って考えると,それは言論という手段で社会に対して相対的に大きな影響力を持ちえたから,そして,ジャーナリストの誤りを放置すればその影響が急速に広がりかねなかったからだと考えます.ジャーナリストに限らず,社会的影響力が大きい職業に就く者,あるいは社会的影響力が大きい人物が,一般の人より重い(説明)責任を問われるという昨今の風潮と照らし合わせて考えてもそれほど外れていないのではないでしょうか.

もう少し細かく見ると,<社会的>影響の大きさというのは,単純な数の問題と,その事象の社会性の大小の2つを考慮すべきで,概算するとすれば,両者の積となるかと思います.

数の問題としては,多くの人の目に触れるメディア(ここではblogも含む)は大きな影響力を行使できます.また,その反面,多くの目に晒されて検証,批評され,必然的に,誤りを犯した場合に見逃してもらえる可能性は低くなり,厳しい指摘を受けかねない宿命を負っています.両者は不可分であり,その責任を負う覚悟もなく,いいとこ取りをしようとしても手痛いしっぺ返しを食らいます.大きな力を行使する者はそれだけの責任を負う必要があるでしょう.
#それにしても,商業ベースに乗るだけの数を確保し,訂正不可能であり,
#誤りに対する反論機会もない紙メディア上に,誤って解釈された言葉が
#漏れ出すことの害悪はなんとかならないものでしょうか.

扱う事象の社会性がもう1つの重要なパラメータです.多数の目に触れるからといって,娯楽マンガの作者が,同数の読者を持つジャーナリストと同等の社会的影響力を持つことは通常ありませんし,同等の社会的責任が問われることもほとんど考えられません.逆に,社会性の高い内容を扱う者は,ジャーナリストであるかどうかにかかわらず,大きな社会的責任が求められるのは自然なことであると私は思います.

ここで現在のblogの話に戻すと,現在,ブロガーはその注目度が高ければ高いほど多数の目に晒されてるし,より多くの批評(<批判>ではない.佐々木氏はこの二つの言葉を主体により使い分けて,意図的にか無意識にか誘導的になっているのではないでしょうか?)を受けます.社会的に注目されている話題を取り扱い,多数のアクセスを稼ぐblogの作者は,日々のおかずをblogに書き留め仲間内に公開する主婦に比べ,より大きな社会的影響を与えることができ,その代償として誤りに対しては大きな責任を負うことになるでしょう.
#さらに言うなら,量と質を考えるとき,1匿名ブロガーの責任の
#方が,ジャーナリストよりも重くなる逆転現象が起きても何ら
#不思議ではないでしょう.

BigBang氏もこの問題に関して言えば,事象の社会性と,その注目度合いから,望む望まないに関わらず相対的に大きな責任を負うことになってしまったし,そしてそれに対して必要最小限というだけでなく,十二分と言って良いほど応えているように見えます.

翻って,泉あい氏について言えば,一介のジャーナリスト(?)個人の話ではなく,完成の暁には会社組織の構成人員だけで数十名を抱え,それよりまだ多数の人を巻き込み,億単位のお金を動かし,そして何より大きな社会的影響力を持つ報道機関の立ち上げに向けて具体的に動いており,それと重なる時期に問題が発生しています.その上,報道機関の立ち上げに際し,過去に悲惨な人的被害を生じさせた宗教集団に所属し,その名も知られる人物が協力していたことは泉氏自身も事実として認めています.

それらを勘案すると泉氏は他の<有力?>ブロガー,あるいは一般のジャーナリスト以上に説明を行う責任があると<私は>思いますが,佐々木氏,あるいは他の方はこれに異を唱えられているのでしょうか?
#佐々木氏はなぜか責任論について言い切らず,疑問形で結ばれていますが.

なお,説明責任を負う,というのは,その事象に対する全ての責任を負う,ということと同義でないことは念のため述べておきます.説明で明かされた事実に従い,自身に問題があった部分については形ばかりではなく,きっちりとその責任を取るべきですが,逆に当人の責任でない部分,あるいは不可抗力であって,当人にその責を問えない部分について他人が責任をなすりつけるようなことはあってはならないし,それは周囲の人が協力して阻止しなければならないとも思います.

場所をお借りした上,告知までしてあつかましいのですが....

j_m_w_t氏により,私のコメントの説明不足を指摘されましたので,氏のblogにて補足説明を行いました.

自分の主張は自分のブログで行え
とゆわれましたので
立ち上げました。

http://blog.livedoor.jp/arendt1974/archives/50172100.html

なぜかTBが送れなかったので恐縮ですが
コメント欄をお借りします。

ただお忙しいようなので
特に返事はいりません。

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