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August 24, 2006

岡本太郎「明日の神話」が汐留の俗世から語っていた1969年など

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岡本太郎の壁画「明日の神話」が汐留の日テレブラザに、今月一杯展示されるていると、人づてに聞いたので、見に行ってきた。この汐留のエリアは、最近とんと見に行っていなかったのだけれど、一言で言うと、まあ新日テレのお膝元ということもあり、相当に俗っぽいエリアであったわけだが、そうした環境に「原爆炸裂後の希望」を描いたというこの壁画が収まっている様は、ミスマッチの如くでもあり、いやそれがマッチだという考え方もあるであろうとも思え、不思議な経験をした。

1969年、岡本太郎は万博の太陽の塔の製作をする傍らで、メキシコオリンピックを当て込んで建築されていたホテル「オデル・デ・メヒコ」に掲げるためにこの壁画「明日の神話」を製作していた。
ところが、その後ホテルは経営上の問題に接し、完成を見ることなく放置され、壁画も行方不明になっていたものを、2003年になって岡本太郎のパートナー岡本敏子によって発見され、公開されることになったという。

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「明日の神話」は原爆の炸裂する瞬間を描いた、岡本太郎の最大・最高の傑作である。
猛烈な破壊力を持つ凶悪なきのこ雲はむくむくと増殖し、その下で骸骨が燃え上がっている。悲惨で残酷な瞬間。
逃げ惑う無辜の生きものたち、虫も魚も動物も、わらわらと画面の外に逃げ出そうと、健気に力をふりしぼっている。
第五福竜丸は何も知らずに、死の灰を浴びなが鮪を引っ張っている。
(中略)
タイトル「明日の神話」は象徴的だ。
その瞬間は、死と、破壊と、不毛だけをまきちらしたのではない。残酷な悲劇を内含しながら、その瞬間、誇らかに「明日の神話」が生まれるのだ。
岡本太郎はそう信じた。この絵は彼の痛切なメッセージだ。絵でなければ表現できない、伝えられない、純一・透明な叫びだ。
この純粋さ。リリカルと言いたいほど切々と激しい。
(後略) 

----パンフレットより「岡本敏子の序文」


1969年、大阪万博の開催を目前にしてこの国は騒然としていた。70年安保闘争のさ中。東大安田講堂陥落、アポロ11号の月面着陸、新宿フォークゲリラなどの騒然とした世相、そしてその当時の革命前夜のような異常な状態が小学校の授業にまで及んでいたということなど、この頃の時代の私的経験については、おぼろげな記憶を元に以前

アポロが月に行ったことを含め、確かなことは何一つない。(BigBang)

で書いたが、「革命勢力」からすれば、日本万国博は「唾棄すべき」権力の象徴であり、反万博闘争というのがあり、その象徴として岡本の太陽の塔は、1970年4月26~5月3日の7日間、赤軍を名乗る男によって「左目」が占拠されるという事件が起きている。

そんな時代にあって岡本太郎は、同時期にメキシコで、こうした創作活動をしていたわけであるが、件のホテルもやはりメキシコオリンピックと言う近代商業主義を象徴する(と反万博勢力からすればみなしたであろう)行事に乗ろうとして破れ、その後壁画も放置されることになったあたり、何やら複雑な因縁を感じる。
思えば岡本太郎と言う人物の創作の姿勢には、いつもこうした国家的規模の開発や行事が見えており、滑稽なまでにエキセントリックな個性の捉え方もあり、当時の一般的な日本人の感覚からすれば、すぐれた芸術家ではあるが、いささかトンデモな言動をする人であるという捉え方がされていたことも事実である。

「芸術は爆発だ」
「グラスの底に顔があっても良いじゃないか」

などと、彼が目を剥いて迫ってくるTVCMの映像は、岡本太郎のこうしたトンデモな個性を過度に強調した嫌いはあり、それらを目撃してきた僕などからすれば、岡本太郎が生きていた頃にこの人物がほとんど見えておらず、死してその偉大さを社会も「再評価」しているようにも感じ取れるのであるが、どうだろう。もちろん岡本の影に岡本敏子という最大の理解者があったことは重要であり、この壁画も彼女の「再発見」無しには、ここにはなかった。

冒頭に書いたような「俗な空間」の中で、壁画は当然ながら異彩の存在感を持っていたわけであるが、展示のあり方としては、周りにカフェなども配置され、というよりもカフェや大道芸も演じられる広場に佇立し、ステージの上にあがって、壁画を鼻先に見つめることもできる。

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ステージに上がって暫し作品を凝視するものがあれば、記念写真を撮るもの、黙って腕組みをして立ち尽くす若者など。
自分とこの壁画が、孤独に向かい合う夏の夕暮れ・・などというものが実現できればそれはそれであろうが、この俗な空間で人々が思い思いに壁画と向かい合っている様を見るのも、これはこれで興味深いものである。


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果たして究極の絶望の中から生まれてくる希望とはどんなものなのだろうか。核の破裂などと言う究極の絶望から立ち上がれるなど言う岡本の「妄想」を信じていいのだろうか、その「究極の絶望」と、我らの今直面している「卑小な現実の絶望」とは、何が異なるのだろうか。

そんなことを考えながら、壁画前面に左から激しく走る赤と、中央にたぎる太陽のような骸骨を、そして画面下におもちゃのように配された第五福竜丸を、かれこれ1時間ほども見ていただろうか。



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とは言っても、壁画と対峙する時間の半分ほどは、正面に向かい合うドーナツ屋の2Fの席に座っていた私なのであるから、ここで展示空間の俗を厭ういわれも資格もないのであるが。

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展示は8月31日まで。

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Comments

>彼が目を剥いて迫ってくるTVCMの映像は、
>岡本太郎のこうしたトンデモな個性を過度に
>強調した嫌いはあり、それらを目撃してきた
>僕などからすれば、岡本太郎が生きていた頃に
>この人物がほとんど見えておらず、

ただし岡本太郎自身は、そういう風に誤解されることを楽しんでいた(望んでいた)のではないかと思いますね。
著書でも「自分が、世間に誤解されればされるほど面白い」みたいなことを言ってますし、敏子さんも「岡本太郎は全力で岡本太郎になろうとしていた」といった意味の発言をしていました。

(くだらないコメントなので掲載いただかなくて結構です)

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