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August 26, 2006

仔猫殺しに思う----自らの両手を血に染めて得られるものなどない

既にあらゆる場所で話題になっているところに、そう新たな視点は入れ難いが、この記事を読んで最初に思ったことは、「命に対する恣意」は、果たしてこの世に存在しうるのか、私たちはそれを「許されているのか」ということ。これは宗教でも何でもない。

問題の記事はこれ

こんなことを書いたら、どんなに糾弾されるかわかっている。
世の動物愛護家には、鬼畜のように罵倒されるだろう。
動物愛護管理法に反するといわれるかもしれない。
そんなこと承知で打ち明けるが、私は子猫を殺している。
家の隣の崖の下がちょうど空地になっているので、生れ落ちるや、
そこに放り投げるのである。
タヒチ島の私の住んでいるあたりは、人家はまばらだ。
草ぼうぼうの空地や山林が広がり、そこでは野良猫、野良犬、
野鼠などの死骸がころころしている。
子猫の死骸が増えたとて、人間の生活環境に被害は及ぼさない。
自然に還るだけだ。
子猫殺しを犯すに至ったのは、いろいろと考えた結果だ。

仔猫が可哀相だと言われればその通りだけれど、坂東眞砂子氏の論理はそれ以前に何箇所も論理破綻している。このあたりの破綻のほとんどはあちこちで指摘されているから触れないが、最大の論理破綻は、「命に対するコントロールは、一定基準の下では許容される」という彼女の思想にあるのではないだろうか。

平たく言うなら、ある一定の条件がそろえば、それが仔猫であれ、成犬であれ、人であれ、その命をコントロール=消滅させることが我らに許されるのかということ。で、僕はそれはできないと思っている。

では、なぜできないのか。

命を恣意的にコントロールすることが許されない理由を問うことは、だいぶ前に論じられた「なぜ人を殺してはいけないのか」に通じることだと思っている。で、この場合人と猫は、等しく「命」という次元に括られ、本質的な差はないと思う。

生き物が他の生をなぜ絶ってはいけないのか。その本当の理由は、おそらく生態系の必然にある。つまり、捕食を除いて、他の生き物の生をコントロールすることは、元来この世界は許されていない。この「許されていない行為」を強行すれば、かならずその反作用を引き受けなければならない。自分に帰ってくる。精神的、あるいは肉体的に、その本人を痛めつける。その痛みを選択するなら、それはマゾ的快感でしかない。

あるいは報復を受ける。その精神に対して内面的に。
あるいは権力によって暴力的に。

 

坂東眞砂子氏は、あたかも「あらゆる痛み」を引き受けるようなことを言っているが、そうしたことを口にすること自体が、氏の病を、氏自身の救いのために露悪していることであり、そうした追い詰められた心理(=公共のメディアで不要なことを敢えて発言し、その報いを引き受ける(ように振舞う)こと自体が既にある種の彼女の無残であり、破綻である。表現者としての奥のほうでの敗北でもあると思う。

こうした破綻=痛みを引き受けるなどと軽々しく言うが、元来彼女が猫を飼わなければ済む程度のことを、何かそこに人類にとって普遍の深い真実があるかのように思い込み、あるいは信じ込み、あるいは信じた風を装う。なぜこうしたことをご本人はしなければならないか。そもそも仔猫を殺す「くらい」のことを引き受けて一体この世の何が変わるのか、人心の何が変わるのか。自らが救われるか。

最初に戻れば、恣意的に、自分の勝手な判断で他の生命を絶つ自由は、その自らの生を、危うくするという意味において、あるいは簡潔に言えば、その生が幸福に生きるという至極自然な使命を全うする上で、障害以外の何者でもない。繰り返すが他の生命を絶つ理由は、この世のあらゆる生き物にとって(捕食以外)存在し得ないと思っている。

その猫を「飼うこと」が、=その命の生死与奪の全権を握ることではない。

にもかかわらず、その痛みを引き受けた、あるいは引き受けた(と称する)全ての試みは欺瞞であり、そもそもこの世に必要のないものである。不要なものの度合いとしては、かつてのオウム真理教の「ポア」と同じであるとも思う。

その大原則から出発するのが議論の筋であり、その大原則の前では、猫の避妊に関しても、無辜の仔猫の殺戮に何がしの正当性もない。

誰も自らの両手を血に染めて得られるものなどないのである。

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Comments

こんにちは。批判ではないのですが、殺すために入念に用意される実験用小動物についてはどう考えますか?

おはよーさんです。化粧品や薬にも入ってるし、そもそも衣食住の「衣」「住」にも動物の犠牲なしでは事欠くという民族もいるわけで、つっこまれることを考えると、何を言うにしてもこの話題はしんどいですよね。

finalventさん
katshiさん

どうも。

ご指摘の件は、「産業用動物」というポジショニングで、かろうじてその合理性を保っているわけですが、どんな形であれ、他の命を奪う現場に継続的に立つことは、その業務にあたる人にとって厳しいと考えています。実験用小動物についても、阻止論がありますし、社会的な分業のという名の下であっても、見えないところでそうした現場に立っている人たちの気持ちは平穏ではないでしょう。それらも放置されていい問題ではないと思います。

我々は、見えないところでそうした処理がなされていることについて現状維持以外の方法の模索を探るべきでありましょう。

実際、個人的には社会的体裁を整えてもらっても、連日小動物を殺し続ける職場にいられるかといえば、自信はなく、代替手段の追求はとことんされるべきではないかと思います。

ですがこの猫の件はそうした問題とも異なり、そもそも最低限の「外形的な社会性」や「正当性」すらないと思いますが。


>どんな形であれ、他の命を奪う現場に継続的に立つことは、その業務にあたる人にとって厳しい
>現状維持以外の方法の模索を探るべきでありましょう
ん〜、ちょっと違うんですよね。元祖BBことバルドーじゃないですがw、BigBangさんは、革靴や革の鞄も用いませんか?
http://image.blog.livedoor.jp/dqnplus/imgs/6/3/63b13e28.jpg
原文が論理破綻してるのは間違いないんですけど、それに対して「捕食を除いて」という一般論で迫るのもどうなんだろうというのが、あえて癖玉を投げている所以なのです。

別の角度から言えば、イヨマンテについてどう思いますか?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%86%8A%E9%80%81%E3%82%8A
http://www31.ocn.ne.jp/~minneiken/library/lib/008.html
↑この映画、作品として良い悪い以前に生理的に駄目という人も多いんですが、僕は感謝を表すために「死んでいただく」というのはありだと思っているんですよ。

逆に、補食を全うするために生産されるブロイラーについてはどう思いますか?
http://www.bloodybusiness.com/game_farm/index.htm
↑グロいのが苦手な方は興味本位で見ないで下さい。

#論難するつもりは毛頭ないので、お手柔らかに

こんにちは。批判ではないのですが、「熊殺しウィリー・ウィリアムス」についてはどう考えますか?

>>katshiさん

まあ、どんどん本題からは逸れていく気もするんですが、皮革の件で言えば、ファーや象牙などは既に国際的に然るべき扱いがされていますね。皮革と言うと、と殺の問題を論じなければならないと思います。それと、と殺の歴史的な展開とか。差別問題にも関連しますね。

ブロイラーなどは産業用動物全般の問題の中で位置づけられるのだと思いますが、当たり前のようにそれを食べる生活の中にあって、日々その生き物を直接と殺する人たちがあるということを思えば、私はその社会的な業務のあり方に疑問を感じているのは確かです。

で、ファーと同じく、皮革などは人工皮革などに置き換えられればそれに越したことは無いと思いますね。このあたり、私の個人的な心情や考え方がかなり出てきていることは否みませんが、受け止め方にバリエーションがあるということは認めます。

で、繰り返しになりますが、そうした産業用動物の問題ですらありませんので、この件は。猫の件とは分けて論じるべきでしょうね。


それからイヨマンテですが、正直よくわかりません。民族的な慣習や祭祀として動物を殺す。つまり生贄の問題は、各民族の文化の中にあるものであり、それらを一律に殺生禁止の名の下に包含するのは無理があるとは思います。

が、長期的には伝統をある種の倫理が凌駕していくことはありうるかなとは思っていますが、今はその程度です。

>>鮫島さん

>「熊殺しウィリー・ウィリアムス」についてはどう考えますか?

すげーなと思いました。笑

この記事を読んだ時からなんか「いや~な感じ」がして、それ以来関連するスレも読んでいないんだけど、ここはよく読むからつい見てしまった。ま、元記事が釣りや煽りだと思いたいな。屁理屈をつけて、こういうのを肯定されるとやりきれない。身悶えて死ぬほどの決断とも思えないしぃ。

でも、「今の地球上の哺乳類の9割以上は食用、愛玩、研究用の飼育動物だ」とかのたまった野郎もいたが、そのときも同じように「いや~な感じ」を持ったな。どの道、人間の勝手なのだろうが、金魚を食うような奴とは同じ空気を吸いたくないです。

>>玉虫さん

>この記事を読んだ時からなんか「いや~な感じ」がして、それ以来関連するスレも読んでいないんだけど、ここはよく読むからつい見てしまった。

いやな気持ちはわかります。その気持ちを再生産して申し訳ありません。動物の命、人の命、産業用動物の命などと問題を拡散していくと、どんどん複雑になっていきますが、件の元記事に関する評価はそう複雑ではないと私は思っているのですがね。


 現実を見てイヤ~な気持ちになるのが、宗教の第一歩なんでしょうな。ナムナム。

 それはそれとして。
 私の場合、犬猫鳥獣魚介類の類を飼うときは可能な限り極限まで繁殖を念頭に置きますなあ。飼う以上相手の自由を束縛するので、その代償として生命の基求であるところの「安全保障」「繁殖」を満たす。
 勿論そんなんで釣り合い取れるとは思いませんけど、路上で血達磨ミンチボールになってる小動物に比較すれば、まだマシなんじゃないかなということで勝手に納得。
 そういう「納得」を押し付ける行為。
 好意・厚意に基づこうとも人間相手にはやるべきじゃないと思ってるので、動物相手で代替。
 結局ね、生き物の命なんてのは、自分がどう思うかに依って、如何様にも価値変わるものですよ。やむなし。

 間引きの伝統がある国に生まれて殺しがイヤだってのも、ある意味傲慢。
 私も傲慢なんであんまり他のこと言えませんが。

 あと。知り合いに果物農家の方おられるんですけど。
 「間引き」ますよ。果物。
 全部均等に分け隔てなく育てようとすると個々の果実に十分な栄養が回らなくて(この場合の「栄養」は、人間が食べて美味しいと思うレベルの意)、全体的にダメになるんですな。食えたもんじゃない。
 なんで、適宜間引いて高品質を維持する。
 人間の学歴社会もある意味似たようなもんで、全員に均質な教育を施すとトップクラスに逝けるような方が、腐る。低品質の方はあんまし腐らないんですけど。
 渋くて苦いようなのに限って、生き残るんですなあ。

 一般動物にあるかどうか知らんけど、人間の場合、より高度より洗練を希望するでしょ。なんとなく。その必然というか帰結として「殺し」は付いて回るもんなんじゃないかと。
 なので、「自らの両手を血に染めて得られるものなどない」の逆。「自らの両手を血に染めなければ得られるものなどない」
 …も、ある意味成立しそうな悪寒。

 成立したから何なんだと言われても困るんですけど、まぁそんな感じ。

『「子猫殺し」のエッセイで描かれた行為は、「個人的な安楽死行為」にあたり、フランス刑法「art.R655-1」が適用され、「法律に触れる」』
だそうですよ。
法律を持ってくるとそっけなく終わっちゃうんですが。

同じ問題を扱っても、コメント欄の展開にブログ主の個性が反映されるもんだなあ……と、興味深いです。

>ハナ毛さん
私の場合、犬猫鳥獣魚介類の類を飼うときは、限られた個体の子孫よりは、順繰りに違う個体の寿命のまっとうを引き受けたいかなあ……。
自分についてさえ、そう思うんですよ。これ以上自分の子は要らないけどって。
浅はかな夢なんですけどね。ズレましたね。

↑いや、人間だったら(そう思うのであれば)それでいいんですけどね。犬猫鳥獣魚介類って交尾したがるでしょ。子孫を残したいって欲求はあるわけよ。だったら、それは座視できんかな、と。そんだけでしょ。無きゃいいんだ。別に。

>限られた個体の子孫よりは、順繰りに違う個体の寿命のまっとうを引き受けたいかなあ……。

 20数年で親子10数匹養育してる身からするとですね、最終的には美也子どんの言うように、なるんですな。
 続いて2,3代までなんですな。生き延びるの。絶えちゃうの。なんか知らんけど。
 んだから、親子で飼う→血統が続かない→どっかで拾う→また飼う、の繰り返し。基本的に野良マインドで育てているので繁殖期になったらよそのワンワンがお目見えするわけですよ。それでも、ダメなときはダメ。
 んだから、続けられるものなら続けるべしって感じなんよね。どうせ絶えるときは絶えるんです。そういうもんですから。

結論でないような案件ですね。
あまり関わらないほうがよろしいかと思いますよ。いずれの立場にしろ、傷つきかねない議論です。
鮫島さんの“ちゃかし”は、その友情的忠告と思われます。

個人的な意見を申せば、大半はヒステリックな反応とは言え、多くの人の注目を惹き、愛玩動物を飼うことの意味を再確認、または再認識させた坂東さんは、作家としての仕事をまっとうされていると思いますよ。仕事というか「業」ですかね。

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