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September 29, 2006
「民主主義」を巡る切れ切れの話---自由と平等と2.0
民主主義が、ある種の「大衆主義」「衆愚主義」として捉えられ、選民的なエリート思想と対比されることはしばしばなされてきた。歴史的には、「君主制」の圧制を打ち破るために蜂起した「人民」主導の「人民による政治制度」=民政を君主制に対抗する政治的システムとして位置づけたのであり、その延長として暴力的な「衆愚」に陥る道程の危険があることは、民主主義を批判する論者がしばしば唱えてきた視点であり、目新しい視点ではない。(ここでも選民思想2.0とくると、またかと思う。またかと何度も思っていることも何度も書いてきたが。)
Web2.0の背景にある考え方。(備忘録ことのはインフォーマル )
選民思想2.0または少衆主義(404 Blog Not Found)
おそらくあまり噛み合わないが、少し。
元来は、エリート=治める側としての支配階級が、蜂起する人民によって雪崩を打ったように進行した19-20世紀の「革命前夜」の不安の中で、その流れに抑制を唱えようとして衆愚の危険、人民革命の暴力性と反秩序的行為、衝動的破壊への警鐘を鳴らしたという流れの中で、当時の「保守主義者」と呼ばれた思想家が頻繁に戦略的に口にしてきたものであるし、そのギミックは形を変えて現代の社会にも残っている。
中国共産党が、西側の諸国により、人権を抑圧し、「非民主的な」体制であると批判されているのに反し、しばしば自らの体制を「民主」あるいは「民主主義」という言葉で語ることは米国からすれば奇異に極まるであろうが、その歴史的流れからすれば矛盾が無い。つまり支配階級=資本家に対抗する労働者=民衆の集団的権力統合である共産党を、「民主」の先鋭的な政治制度、政治的前衛としているのであり、彼らの中では驚くべきことに共産党と「民主主義」とがイデオロギーとして並立しているのである。
もちろん、文革のようなヒステリックな大衆の暴走(もちろん操られた上での)を見る向きもそうした「悪夢」を恐れ、衆愚を唾棄するであろうし、現代中国の社会にもそれに対する恐怖はあるだろうし、おそらく天安門事件などは、中国共産党に言わせれば「民主化」などではなく「衆愚」の暴力行為だったのだろう。
しかし中国の「歪んだ民主主義」はともかく、民主主義は、単なる政治制度ではなく歴史的に「思想」=イデオロギーとして機能してきたことを我らは忘れてはならないだろう。
つまり民主主義とは、
●フランス革命に端を発する民衆蜂起(革命)=権力の人民への移管(奪取)と、アンシャンレジュームの破壊=「平等」を推進する流れ(旧体制を引き摺り下ろすことにより実現される)
●職業を自由に選択し、自由な経済的競争を具現化し、自由な政治参加を可能にする自由の体制=「自由」を推進する流れ(政治的・経済的開放により実現される)
の2つのストリームが繰り返し、繰り返し「通じ合うことなく」語られてきた。それぞれが民主主義を撫でるとき、像の体を撫でるがごときであるという見方もここに起因する。
中国の言う「民主」とは言うまでもなく前者=平等(ともあれ)であり、「中東の民主化」のために、未曾有の軍事国家を東に差し向けている国の言う「民主主義」とは明らかに後者=自由の実現(それも経済的な)である。
私の師、関嘉彦氏は、近代~現代の左右両翼の思想が、そして諸国家が陥った悲劇として、この「自由」と「平等」という相反する価値を、終に「民主主義」が統合することが出来なかったことを、一つの思想的原因として言及しておられた。できなかったというよりも、それらは根源的に別の価値なのではないかとも。
今「自由で平等な社会」なるものが、「民主主義」の名の元に軽薄に語られるとすれば、それが政治的スローガンであっても、思想的プロパガンダであっても私はそれに違和感を覚えるし、歴史的にも統合の立場こそが実現されたことは一度としてないのみならず、今後もなされ得ないと考えるのが順当であるように思える。つまり自由と平等の両輪は同時には永遠に回りえないのではないか。
小泉政治の推進したものは、今更「民主主義」という言葉を纏わなかったが、「新自由主義」と呼ばれる米国ネオコンに起源を持つ、「より自由で」「より格差を広げる」社会の構築であることは言うまでもないが、これは上記の区分では明らかに「平等」よりも「経済的自由」の偏重にあるとして、また元来の民主主義を歪めるものであろう。
「戦い獲得する価値」としての民主主義がとうに終焉を迎えていることは、我らはおそらくみな体感しているはずであり、そうした奪い取る価値としての民主主義が崩壊した後で世界に残るものが「民主主義という名の平等的奴隷制」と「民主主義という名の過度の経済的マキャベリズム」のみにならないことを期すべきであり、現代版のアリストクラシーや表層的な選民主義を衆愚へのストッパーのように扱う前に、あるいはなんたら2.0などとぶち上げる前に、考えることはあるように思う。
実際多くの「なんとか2.0論」の最大の特徴は表層的であること、そして軽薄な経済的自由主義を称える別の言い方であるという風にも思う。IT的側面からの解釈に心酔している方もいるが。
そもそもこれはまたこの記事の本論とは別の話だし、待っていればどうせ消え失せる程度のものだから別にいいのだけれど。
2006 09 29 [経済・政治・国際] | 固定リンク | コメント(8) | トラックバック
September 26, 2006
花魁、そりゃァあんまり袖なかろうぜ---「籠釣瓶花街酔醒」
人に薦められて、歌舞伎座9月公演「籠釣瓶花街酔醒」(かごつるべさとのえいざめ)を観て来た。能はよく観るけれど、歌舞伎は本当に久しぶり。何年ぶりかの歌舞伎座(何十年?)
一幕見席は1100円(安い)で、17:45から発売。予想していたことではあるのだけれど、着いたときには長蛇の列で、立ち見になってしまったが、2時間、苦にならず。
今更だけど、歌舞伎座には沢山の外国の人が観にくるんだねー。一幕見席という性格上、冷やかし(?)っぽい人も多数。で、最初は「Ohーーーーー」とか言っているけれど、挫折して去る人も多し。英語表示はもっと多いほうがいい。
一幕見席は4階なので、花道は見えず。悔しい。花道近くに座っている人が上級市民のように思えた。
「籠釣瓶花街酔醒」
佐野次郎左衛門 吉右衛門
八ツ橋 福助
立花屋女房おきつ 東蔵
下男治六 歌昇
七越 高麗蔵
釣鐘権八 芦燕
九重 芝雀
繁山栄之丞 梅玉
立花屋長兵衛 幸四郎
話題とみどころ
江戸のみやげ話にと、軽い気持ちで下男の治六(歌昇)と吉原を訪れた下野の絹商人、佐野次郎左衛門(吉右衛門)は、今をときめく傾城八ツ橋(福助)の花魁道中に行き会い、八ツ橋にひと目惚れしてしまいます。以後その座敷に通いつめ、身請け話もまとまろうとしていましたが、八ツ橋の情夫栄之丞(梅玉)の横やりが入り、突然八ツ橋から愛想づかしをされてしまいます。ショックを隠せぬ次郎左衛門は、いったんは故郷へ戻りますが、数ヶ月後に上京。水ももらさぬ名刀籠釣瓶で、八ツ橋を斬り殺します。謹厳実直な男が、美女の微笑みひとつで、人生を狂わせてゆく悲劇。胡弓の悲しげな響きにのせた次郎左衛門の「花魁、そりゃあんまり袖なかろうぜ」など、名せりふ名場面に事欠かない、初代吉右衛門の代表作。定評ある吉右衛門の次郎左衛門に、幸四郎が引手茶屋立花屋の主人長兵衛役で登場するのも楽しみです。
吉右衛門・佐野次郎左衛門と八ツ橋の出会いのシーンは、背筋がぞくっとした。止まる姿が言いようもなく美しい。ぴたり。
聞かされてはいたけれど、花魁・八ツ橋の愛想つかし「兵庫屋広間縁切りの場」。やっぱり泣けたなあ。自分がふられているみたいだった。(月並み)
一体八ツ橋の心はどこにあったのか。どこにもなかったのか。間夫(まぶ)だと言っても、栄之丞にそれほど愛情があるとも思えない。次郎左衛門にも、愛着はあれども、それも愛情ではないようにも思える。
そもそも、次郎左衛門は、リッチなんだから、栄之丞の差し出した証文なんて、どないでもできただろうに。満座の前で恥を欠かせなくても、次郎左衛門は、引っ込んだだろうに。
なぜなぜなぜ。若者にはわからないことだらけ(嘘)
そして次郎左衛門、未練の名台詞。
花魁、そりゃァあんまり袖なかろうぜ。夜毎に変わる枕の数、浮川竹の勤めの身では、昨日にまさる今日の花と、心変りがしたかは知らぬが、もう表向き今夜にも、身請けのことを取り決めようと、ゆうべも宿で寝もやらず、秋の夜長を待ちかねて、菊見がてらに廓《さと》の露、濡れてみたさに来てみれば、案に相違の愛想尽かし。そりゃもう田舎者のその上に、ふた目と見られぬわしゆえに、断られても仕方がないが、何故初手《しょて》から言っては下されぬ。江戸へ出るたび吉原で、佐野の誰とか噂をされ、二階へくれば朋輩の、花魁方や禿にまで、言われるようになってから、指をくわえて引っ込まりょうか。そこの道理を考えて、察してくれてもよいではないか。
そして最大の驚きは数ヶ月立ってから、八ツ橋に妖刀・籠釣瓶で復讐を遂げる、次郎左衛門の不思議な間(ま)。謎。故郷に帰ってから、少しずつ壊れていったんだろうか。善人の崩壊は徐々にやってくるのか。されば、どれほどに、ぐにゃりと壊れていったのだろうか。怖い。
どこまでかは、八ツ橋を許していたんだろうか。あるいは、どこから許せなくなったんだろうか。
なぜなぜなぜ。若者にはわからないことだらけ(嘘)
まるでカフカの不条理劇を見るような思いもあった。後、全く関係ないけれど、Enrico Carusoは、この舞台にも似合うように思いましたよ。どうだろう?
わあ、素人な感想だ。されど人生は不可解。舞台は深い。
明日まで。急げ。
2006 09 26 [文化・芸術] | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック
September 23, 2006
なぜ君が代を歌わないと処罰されるのか(3)----東京都教育委員会の10.23通達に地裁違憲判決
当ブログでは、国旗掲揚と国歌斉唱に関する事実上の教職員への強制を定めた、都教委の、いわゆる10.23通達について、「強制は違法、違憲」であるという見解をかねてより表明してきた。その流れにおいて、今回の東京地裁の判決は歓迎している。
但し、一部の言論では、この判決の位置づけをいささか誤解している向きもあるように思われるのでちょっと書いておこうと思う。
国旗国歌:都教委の「強制は違憲」東京地裁が判決
入学式や卒業式で日の丸に向かっての起立や君が代斉唱を強制するのは憲法で保障された思想・良心の自由を侵害するとして、東京都立高の教職員ら約400人が都教育委員会を相手取り、起立や斉唱の義務が存在しないことの確認を求めた訴訟の判決が21日、東京地裁であった。難波孝一裁判長は「強制は違法、違憲」と判断し、起立や斉唱の義務がないことを確認したうえ、一人当たり3万円の慰謝料の支払いを命じる判決を言い渡した。
都教委は03年10月23日、都立学校の各校長に「入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施について(通達)」という文書を通達。国旗に向かって起立 ▽国歌斉唱▽その際のピアノ伴奏▽こうした職務命令に従わない場合に服務上の責任を問われることを教職員に周知--との内容で、これに従わず懲戒処分を受けた教職員らが提訴していた。
判決では、「国旗掲揚、国歌斉唱に反対する者も少なからずおり、このような主義主張を持つ者の思想・良心の自由も、他者の権利を侵害するなど公共の福祉に反しない限り、憲法上保護に値する権利。起立や斉唱の義務を課すことは思想・良心の自由を侵害する」と判断。
さらに、「通達や都教委の一連の指導は、教職員に対し、一方的な一定の理論や観念を生徒に教え込むことを強制することに等しく、教育基本法10条1項で定めた『不当な支配』に該当し違法」と指摘した。(毎日新聞 2006年9月21日 16時21分)
特筆すべき点は2点であると思う。
(1)今回の判決は東京都教育委員会の10.23通達に基づく教職員への一連の指導を「違法」としたものである。
(2)「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。」とした憲法19条への違憲性を言及したのみならず、同通達が教育基本法10条1項に定められた「不当な支配」に該当するとした
ここであらためて東京都教育委員会の10.23通達について言及する。
東京都教育委員会の10.23通達(2003.10.23)
東京都教育委員会教育長横山洋吉名による「学校行事等における『国旗・国歌』の実施」通達(10.23通達)が都立高校、都立養護学校・盲ろう学校校長に対して出された。通達には、
・教職員の服装・座席の指定
・教職員は「国旗」に向かって正面に位置し「国歌」斉唱
・校長は文書で職務命令を出すこと
・職務命令に従わない教職員は処分などを含み、国旗の掲揚位置や「国歌斉唱は、ピアノ伴奏等により行う」などを事細かに指示する実施方針が記されている。
繰り返しになるがこの記事が問題としているのは、国旗や国歌の正当性ではないし、天皇制に関する思想の問題でもない。現行憲法に明らかに違反するとしか思えない、東京都教育委員会の一通達が、権威化され、あたかも確定法のように扱われて、実際に今日も現場の教職員や生徒に不利益と精神的苦痛を与えている実態を問題にしている。
今回の判決に際しては、国旗や国歌への忠誠心や国旗・国歌法の合憲性そのものが言及されているわけではない。「違憲」とされたのは、あくまでも、10.23通達に基づく「指導」「強制」とその延長にある「処分」であり、それ以上でも以下でもない。国旗・国歌法自体に正当性があったとしても、東京都教育委の10.23通達は、その「正当性」を大きく踏み出している不当な強制であると判決は判断している。
元より、憲法19条に定められた「思想及び良心の自由」の価値は極めて重いことは言うまでも無い。すべからく公務員であれば憲法遵守を義務として負うわけであるが、その歴史的・思想的重要性に比べて地方公共団体関連の委員会の出した、一職務通達にしか過ぎない10.23通達が比較考量の対象になり得るとは到底思えない。
憲法19条に抵触する可能性をも考慮して、「優先されるべき」緊急性が、この通達の趣旨に存在しているとは考えられないと言うべきであろう。
まして、同通達は教職員に対して強制力を持ち、同通達を根拠にして、罰則としての研修まで現場でなされているということを考えればまさに「一公共団体の暴走」とも断じられる事態だった。この流れでは通達を教育基本法10条に言う「不当な支配」と断じた地裁の判断は極めて妥当であると思う。
議論が国旗や国歌への忠誠、国家観や、国旗・国歌法の全体としての妥当性に中心を置くならそれは今回判決の趣旨からは逸脱するものであり、別途に論議されるべきであろう。
おそらく当事案は高裁に場を移して継続審議されるであろうが、この通達を後押しした石原都政のバランス感覚の欠如は猛省を要すると考える。
【参考:教育基本法10条】
(教育行政)
第10条 教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。
2 教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。
【参考記事】
●なぜ君が代を歌わないと処罰されるのか(1)----東京都教育委員会の違憲行動(BigBang)
●なぜ君が代を歌わないと処罰されるのか(2)----東京都教育委員会の違憲行動(BigBang)
2006 09 23 [経済・政治・国際] | 固定リンク | コメント(2) | トラックバック
September 18, 2006
葵上とブログ世界と闇を巡る断章
能を多く見てきたことは以前にも書いたが、能「葵上」の鑑賞は数え切れないほどの数に及ぶ。能でも屈指の人気曲であるため、それは各所で繰り返し繰り返し演じられるのだが、この演目は、一方での大衆的人気曲「羽衣」の清清しさに比べて、何とも陰湿な人の業の深さを表現している。
六条御息所は、教養豊かで理知的、かつては源氏と交わす和歌やもてなしにも典雅な気品が匂い立ち、源氏の心をとらえた女性である一方で、源氏より七歳年上であることなどから、いつかは源氏が自分のもとから去っていくだろうと不安を抱え、若く美しい正妻・葵上に対する嫉妬がつのる。それでも高貴な身の上、はしたない行動には出られず、じっと耐えている。そんな六条御息所を打ちのめしたのは、賀茂の斎院の御禊(ごけい)の折、都大路を行列する斎院と光源氏らの姿を一目見ようと出立した六条御息所の車が、後から来た葵上の車に押しやられ、打ち払われた事件。散々の恥ずかしめを受け、その上源氏の晴れ姿を見ることも出来なかった。この屈辱の経験が深い恨みとなって、生霊(前ジテ)となって葵上に取りつき苦しめることになる。その行為は自分では押しとどめることができないが、恥ずかしく悲しく感じている。
薬石効なく、ついに修験者が呼ばれ祈祷が始まると、生霊は怒り、鬼の姿(後ジテ)で現われるが、最後は般若の姿のまま、法力によって浄化される場面で終わる。
狂言「月見座頭」が、人の静かなる秘めたる邪悪を描いているとすれば、(参照:「月見座頭」-------青く冷たい空間と人の二面性)「葵上」に描かれているのは、人間が他の人間存在に対して持つ永遠の執着、押さえきれない呪詛を、陰的に描いたものであるだろう。人が人を恨むその心は、死して霊となってなって生者に執するならまだわかるが、生きていながら他者に恐ろしくも執着し、呪いの言葉を吐きかける、わが身の醜さがわかる故の醜さ、おぞましさは、幾度舞台を見ても、心の奥底を寒くさせる。
ある意味で美しくもおぞましいこの演目に、我等が時代を超えて惹かれ続けてきた理由はどこにあるのだろうか。その想像は、私やあなたの自我を超えて、自ずと到達するところに到する。つまり他者への執着と悪意であり、他者への止めようの無い嫉妬と呪詛であるが、もはやそれらを語るに聖域はなく、色恋の領域ではなくても、これに類した心根を生涯一度も抱いたことの無い者は、この世に皆無であろうと私は想像する。
時勢が移り今日、電磁的に打たれた「怨念」がブログ世界を縦横に飛び交う時代になっても、人の心の根本の性に変化は起こり得るべくもなく、また人間性の進歩は、ムーアの法則のように革新されるべくもなく、Web2.0とは何のことはない。無数の葵上や六条にその表現の場を広げさせたのみとも言えるのではないか。
それほどに時を重ねれば重ねるほど、我等のこのキーボードを打つ手は穢れに穢れていると言えるのではないか。
一体なぜ、我等はこれほどまでに他者の思念の宇宙に焦れ、苦しみ互いの欠損に不毛の呪詛を描き、それをしかもこのように醜く投げつけあうのであろうか。夜更けに考え巡らしてくれば、六条を終には追い払う法力を持つ修験者のスーパーパワーすらもまた我等の時代には与えられていないことの悲しみに気づき、これも彼も、生きてこその辛苦であるとはわかりながらも、空しく、馬鹿馬鹿しく、そしてあの苛烈な「葵上」の舞台の鬼気とした美しさが思われてならない。
おのが前にある漆黒の闇は、一瞬両手に触れると見えたところから、さらに一層深くなっていくのである。
2006 09 18 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント(2) | トラックバック
September 15, 2006
Wでは破廉恥も陰謀論として語られる
植草元W大教授が、また痴漢でつかまってしまったわけだけれど、以前にW大の教授であったころに起こした手鏡事件も、Wの内部では、大真面目に陰謀論として語られていた。大学当局に嵌められただとか、小泉政権・竹中平蔵の陰謀だとか、植草教授の人脈と結びつけて大真面目に語られた。
僕は当時、その陰謀論のあまりの「トンデモぶりぶり」に、唖然としていたが、語る側は大真面目であり、都の西北は一時植草教授を救えという悲憤に満ち満ちて、鳥泣き魚の目に涙であったのである。(局所的にね)
実際、大学では権力闘争とセクハラがなぜか結び付けられることが多い。つい先日も学生には人気が高いが、大学当局に面白く思われていなかった某教授が、院の女子学生にセクハラを働いたとして免職になったという話があった。
元々密室が多い大学構内では、そうしたトラブルや噂、そして時にはでっちあげが後を絶たないことから、植草氏の件でも、まず最初にそうした陰謀論を頭に描いた人たちが、相当数いたらしい。裁判も妙に白黒はっきりしない展開であったから、余計にその論は勢いづいた。
しかしながら今日入った植草氏の2度目の事件の知らせ。
陰謀論を唱えていた人たちは、どう考えるのだろうか。
2006 09 15 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント(3) | トラックバック
Wに棲まう革命的な人々のこととオーマイニュース
この間教授の研究室に行った時にPCを見て、これではあまりに無防備であるからウィルス対策ソフトのパターンファイルの更新位してやろうとあれこれやっていたら、ふと彼が変なことを言う。
「俺のパソコンは時々誰かが覗いてるんだよな」
は?何を言っているんだろうこの人はと思ったら
「夜中に時々誰かが研究室に入ってきてさ、物の場所が変わっていることがあるし、ちょっと前だけれど。で合鍵を作られちゃってるらしいんだよな」
先生、ぼそぼそと恐ろしいことを言う。オカルトのような話だが、これはWに棲まう、あの革命的な人たちの仕業だという。何年か前、教授はちょっとしたことで彼らとの交渉の窓口にならなければならない羽目になり、徹底的に目をつけられた。何人かのプロメンバーが卒業したくないとへばりついていたのを、無理やり卒業させてしまったこともあるらしい。これが10年も前の話ではない。つい1-2年前のことである。
オーマイニュースがWからシンポジウムの実況中継に失敗したと聞いて、まず僕はこの話を思い出したのだ。ここに棲まう「革命的な人たち」のことは、誰でも知っている。だがそれは遠い過去の話だと思っていないか。
・・・は、長年にわたり早稲田大学を中心的な拠点校としてきたが、大学側は同派の影響力を排除するため、1995年7月に商学部自治会の公認を取り消し、2005年3月には社会科学部自治会の公認を取り消した。また、・・・派が主導する早稲田祭実行委員会が、長年にわたって早稲田祭の収入を同派系の偽装サークルに横流しするなどの行為を行っていたことから、大学側は1997年から2001年まで早稲田祭の開催を中止し、同派系の偽装サークルの公認も取り消した。このため、・・・派が教職員の自宅を盗聴する事件を起こすなど、大学側と・・・派との対立が激しくなっている。(Wikipediaより。一部自粛で伏字)
Wikipediaにもこのように記載されている。教職員の自宅を盗聴するくらいだから、教授の研究室の合鍵を作り、夜中に侵入するくらいは朝飯前。それをこともなげに僕に語る教授も一時は精神的にぎりぎぎりのところまで追い詰められたという。
大学には無数の教室があり無数のLANの取り口がある。それらは学内ネットワークにつながり、さらにインターネットへと出て行くのだが、オーマイニュースのシンポジウム運営班は、牧歌的にもそれらの差込口にケーブルさえ挿せば、インターネットに動画中継が可能だと思ったらしい。おそらく事前にテストもしなかったのだろう。
それは甘い。ここはW。泣く子も黙る革命的な人々の棲まう場所である。もしもそんなことがアドリブで可能なら、学内にあらゆるところに、外への盗聴カメラが仕掛けられるだろうし、おそらく教授の研究室も外部にこっそり実況中継されることだろう。夜中にあちこちのPCにカメラを仕掛けて歩けば、巨大な盗聴ネットワークの出来上がりであり、当然ながらWはそんなに甘い場所ではないのである。誰しもそのことに思い当たらなかったのだろうか。
Wの正門が常に開放されているのは有名な話で、あの広末涼子すら入ることが出来た・・・いやそうじゃなくて、開放されているかのように見える巨大な門は24時間カメラで中継されていて、「不審者」が近づけばすぐに警備員が飛んでくるのだが、この中継カメラですら外部には実況されていないのである。で、その解像度は・・(以下自粛)
僕が学生であった頃、革命的な人たちは当時、各門の横に恐ろしげな闘争の武器を積み上げながら、大学祭の前の夜に大学中を封鎖した。で、当日は幼い子供や赤ん坊の分まで、高いパンフレットを入場料代わりに売りつけて、巨万の利益を得ていた。お前らは恥ずかしくないか、愚劣なことをやるな、親はきっと泣いているぞと匿名で(さすがに怖いので)ミニコミ誌に書いたら(いいねこの響き)、どこから聞きつけたか、僕を探り当て、語学の授業のたびに出口で怖いお兄さんが待っているようになった。
記事を書いた理由を説明しろと。(いやー昔から同じ様なことをやってるな僕も)
さすがにまいってしまい、しばらく語学の授業に行かなくなって、その勢いでほかの授業にも行くのが面倒になり・・・って別に革命的な人たちのせいにするわけでもないが、後半2年はほとんど授業に出席しなくなってしまったのだった。
つまり革命的な人たちは、将来有望だった、僕の勉学のチャンスを部分的にではあるが奪うという重大な犯罪行為を行ったのである。
(いやそういう問題ではないという声もある)
実況中継に失敗したオーマイニュース編集部は、この際、当時から今に至るWの流れをよーく調べて見ると、結構面白い記事になったのになあ。70年代後半に学生をやっていて今尚このあたりをうろうろとしている私は思うのであった。
ころんでもただで起きちゃだめだめ。
2006 09 15 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント(7) | トラックバック
September 11, 2006
オーマイニュースの広報感覚はどうだったのか---シンポジウムに関してもう少し
さて、先日のオーマイニュースのシンポジウムは、事前の告知を見る限り、
4.主催・協力 オーマイニュース、早稲田大学GITI・境研究室、Future Planning Network(フューチャープランニングネットワーク)、ブロガー有志ほか
となっている。
まず、一体主催はどこであったのかという問題があって、ここに羅列された全ての団体が主催なのか、それとも主催は当然オーマイニュースであって他の団体は協力と言うことであったのか、シンポジウムに出席した私にも、そのへん定かではないのだが、ともあれオーマイニュースを主体としながらも、多分にボランティアードな運営がなされていたようである。
とはいえ、だ。
本来、広報コンサルのプロフェッショナルであるはずの平野日出木編集次長を擁しながらの仕切りの悪さについては、下記のエントリーでも触れられている。
いずれ消えゆく人 3(黒崎夜話)
編集次長の平野氏は、広報コンサルが得意であると言われるが
(#黒崎夜話:コメント欄参照:http://kurosaki-yowa.seesaa.net/article/22825303.html#comment)、
意図的かどうか、今回の早稲田でのシンポにおいてそれは全く機能していなかった。
意図的でないとすればその腕も問われよう。
佐々木氏の発言を抑えることもできず、ボスである鳥越氏に対しても公の場で一枚岩でないことを繰り返し暗示している。
実質的に冷笑を浴びせるような誘導もある。
果たしてこれが広報の重要な目的のひとつでもある「ブランド戦略」に沿うものか、私ははなはだ疑問であった。
通常の組織、ある程度お堅い会社であるならば、その責は後に問われても不思議ではない。
全く同意である。
実際聴衆の前での鳥越氏、佐々木氏、そして平野氏の方向性があまりにもバラバラであるのみならず、互いの感情的な行き違いも、如実にネガティブプレゼンすることになってしまった、企業広報の観点ではお粗末極まりない。
オーマイニュースに対しては、非常に大きな注目が集まっている時期であり、創刊直後の非常に大事な時期である。(その意味では理由はどうあれ、鳥越氏の途中退席というのもいただけなかった)
企画に尽力されたというガ島氏と佐々木氏、そして運営を支える中心になったFPNの徳力氏の努力を軽んじるわけではないが、このシンポジウムの重要性が果たして、正しくオーマイニュース側で認識されていたかどうか。実際のところ鳥越氏にしても、それほどこのシンポジウムを重視していなかったのではないか。
このシンポジウムでのオーマイニュースの足元の乱れがこのように広くネットに発信されて認識されるに至る構造を果たして事前に意識していたかどうか。
広報という点では、オーマイ側の核は平野氏なのだと思われるが、鳥越氏もメディアリレーションの重要性は経験の中で十分に認識されているはずである。(あるいは鳥越氏のメディア観にはネットは入っていないかもしれないが、それもまた頓珍漢なことになる)
これほどまでに重要なポイントとなるシンポジウムを、なぜ明らかに事前の互いの刷り合わせを欠いた状態で、しかも運営の根本を「素人仕事」に委ねた形で強行してしまったか。
会場となった早稲田大学の教室は狭く、100人の来場者で身動きもできない状態であり、また個々のパネラーの顔も、フラットで立ち上げのないステージのためろくに見ることもできなかった。韓国に始まり世界を「驚嘆させた」メディアの日本上陸、そして「読者」たるブロガーやネットワーカーとの最初の対面であると言う、緊張感、高揚感はまるで感じられなかった。外見的には、それこそどこかの学生サークルか何かの小じんまりとした、そして「混乱した」集まりにしか感じられなかった。そして、オーマイ側のあの足並みの乱れである。
代表のオ・ヨンホ氏は会場の後方に窮屈気味に座り、横に座った通訳の逐次通訳の声は常に会場に響き、幾度か聴衆は怪訝な顔で後ろを振り返っていた。
佐々木氏は幾度か「編集部の論争をそのまま見せてしまうのがいいのではないか」という言葉を連発していた。ガ島氏にもそうした雰囲気が感じられた。おそらく事前の作為を嫌い、ことをありのままに見せることをむしろ重視したのであろう。それはわからぬでもないが、オーマイの企業広報と言う観点で考えた場合、相当まずい演出であったと言わざるを得ない。あるいはこれは広報ではなかったか。
一言で言えばこの規模の企業にしてみれば、貧弱な演出なのである。気を入れるなら然るべき会場、然るべき見せ方、然るべき運営があったのではないか。
再度、ここで誤解されないように願うが、ガ島氏や佐々木氏にケチをつけるものではない。彼らの発案があったからこそ実現した企画であろうし、その角度からは、明らかに「有益であった」。だが、企業としてのオーマイニュース側としては、これで良かったとはとても思えないということだ。7億からの資金がソフトバンクから注入された企業のプレゼンテーションとしては、極めてお粗末であったと言わざるを得ないといことなのである。これは、運営に尽力された方たちの問題ではなく、こういうスタイルを選択したオーマイ側の意識の問題であるように思う。
まあ、ガ島氏や佐々木氏は元々現状のオーマイに批判的な立場であるから、この人達に主導権を預けた時点で、ある意味予想された展開であったとも言える。
ついでに言ってしまえば、これがオーマイがネットを、そしてブロガーを、どれほど重視しているかの試金石だったように思う。つまり明らかにそれを軽く見ていたとしか思えない。
ここで見せ方を誤れば、決定的な悪評がまたたく間にネットに広がる。それは何としても防がなければならない。メディアのブランドイメージを著しく損なう危険がある。そのことの重要性に対して認識が無かったとすれば誠に残念なことである。
まあプロセスをそのまま見せてしまうことがブログ的ということであり、オーマイはここだけは非常に正しく2.0的だったという(苦笑)皮肉な見方もあろうが、結果的にオーマイのブランドイメージにいい効果をもたらしたとは思えない。
その中でも典型的な出来事が、当日のネット中継の突然の中止である。これについては早稲田の状況と合わせて、僕はちょっと別にいろいろ思うことがあるのであるが、その話は次のエントリーで書くことにする。
2006 09 11 [経済・政治・国際] | 固定リンク | コメント(3) | トラックバック
September 03, 2006
「ブロガーXオーマイニュース『市民メディアの可能性』」レポート(2)
鳥越氏退場後、10分ほど休憩。
この間に、佐々木さんに声をかけようと思ったが見つからず。ナーバスな私は会場をきょろきょろ見回すが、知った顔はいない。どうしようかな、徳力さんと話そうかな。しかし徳力さんは忙しそうだな。
ガ島さんに挨拶でもしようかな。・・・まいっか。
などとぐだぐだしておりました。
で、シンポジウム再開。
冒頭で
平野氏
「準備ブログと本番ブログでは運用の方針を変えておりまして・・・諸々説明」
「実名については、(鳥越さんはああ言っていましたが)我々はかなり柔軟に考えています」
佐々木氏
「はっきり言いましてねえ、ちょっと(鳥越さんとは)1億光年の隔たりがある感じで・・・」(場内爆笑)
「ネット世界では言論がフラットになる。それがどういうことなのかを理解していないのではないか。果たして世界観を理解できるのかどうか?」
「今の編集体制っていうのは、本当に物足りない」
「編集部と言うのは「場」である。スフィアとの出会いがどういう状況になるかと言う意識を大事にして欲しい」
「世界をどう見ているかと言うこと。鳥越さんは、なんていうんですかね、田舎の人たちに書いてもらいたいみたいなそういう感じ。僕はもっと、専門家の集団っていうのかな、専門家って言っても、いろんな仕事に従事している人たち、そういうのを念頭においている」
「準備ブログの状況を見ていて、このままじゃまずいよね、変な方向に行ってしまうかもしれない。対立軸を作らなきゃとそういうことであの批判エントリーを書いたんだけれど、この掲載をめぐって、まあその(苦笑)一悶着ありまして。」
※横で平野氏が微妙な表情をしている。
「で、今回のイベントはガ島さんと一緒に企画して、まあブロガーとの接点と言うかオーマイとのスフィアの出会いみたいな・・」
山口氏
「韓国はみな実名だという背景があるんですね。匿名への懸念はわかるが・・。鳥越さんはコメントよりも記事書いてくれと。そういう立場ですね。」
「実名で徹底的討論する場と言うことなら、そういう場をつくってくもらいたい気もしますね。」
「もっと右の編集員も入れてね(笑)バトルとかもあるでしょう。」
ガ島氏
「現状分析としてですね、ライブドアニュースとJanJanとオーマイと、同じような人が参加しているような感じはありますよね」
磯野氏
「まず話題になることが必要。垂れ込みや内部告発とか」
「デスクチェックはどうなっているんでしょうか。大連の件であったんですが、自分のオヤジがどうとか、で、銀行には店長室じゃなくて支店長だとか、普通社長じゃなくて頭取だとか、表現一つ見ても事実とは違うんですよね。」
いちる氏
「鳥越さんは66歳ですね。戦争もぎりぎり経験している世代。知らなくても面白いという心は持っている。市民記者の開拓にとにかく熱心。。こういう66歳がいるということだけでも、オーマイニュースはすばらしいと思いますよ」
(会場拍手)
※このいちる氏の発言のニュアンスは微妙。皮肉じゃないですよね?私の再現も正確じゃないかも。もしもいちる氏読んでおられたらコメントいただければ幸い。
「まだ1週間ですよ。創刊して。こんなもんかなあという気もする」
ガ島氏
「みなさんは(パネラーに)市民記者登録しますか?」
磯野氏
「私は商売敵だと思ってるんで。笑 登録しません」
山口氏
「いや間に合ってます(笑)表現の場は別にあるので。生活の場に必要がない」
いちる氏
「ニックネームを許さないというのがね」
ガ島氏
「ちょっと会場に聞いてみましょう。この中で市民記者にこれから登録しようと言う人」
※1名が手をあげる
「あれ?あんなに鳥越さんが売り込んでいたのに。笑」
「ではニックネームが許されるなら登録するという方」
※10名ほどが手を上げる。場内にやっぱりねえ・・みたいな空気。
※ここで会場からの質問
質問者
「トラックバックはなぜないのか」
平野氏
「全記事検索機能はこれからつけますし、コメントへのフォローを見てもらえれば・・云々。」
「実装予定は・・何とも」
※回答ははっきりしないが要は予定はないようである。平野氏は気鋭のジャーナリストであることは明確で実質的にオーマイの中心人物であると思われるが、トラックバックの意義を理解している様子がない。RSSのことも聞きたかった・・
質問者
「タブーに挑戦というキャッチがいつのまにか消えたが」
中台氏
「あれはその何かキャッチが必要と言うことで、思い付きと言うか(会場笑)・・そうでしたっけ?消えていたことにも気がついていませんでした。ごめんなさい。」
ガ島氏
「ところでタブーって何ですか」
中台氏
「すくなくとも新聞が書けないことじゃないですかねえ」
「たとえば押紙のことですが、みんな知っているんですが、どこも書かない。私が調べた限りでは、20年くらい前に熊本日日新聞が、西日本新聞のことでそういうことを書いた。それくらい」
「後はマスコミと権力の距離感とか・・」
平野氏
「(タブーに挑戦とは)掲げてまで出すことかなーと個人的には思う。ジャーナリズム=反権力ではない。正義の概念は昔と変わってきているのではないか。マスコミの権力化がむしろ批判されている。若い記者の型どおりの正義感というかそういうのを見ると違うよと言いたい。だから安易にキャッチにいれるべきではないと思う」
「もっとも鳥越さんのような人も編集部にはいますが」(会場笑)
佐々木氏
「編集部内でも違うんですよ。いろんな対立がある。それを表に出したほうがいいと思う。そうでないとステレオタイプに・・・」
※横から平野氏が何事か佐々木氏に言う。制止している?佐々木氏、いいじゃないかという表情で続ける。
「実際編集部ではすごい議論があるんですよ」
「タブーの概念も違う。市民運動の人が劣化ウランを取材してくれと毎日新聞に言ってきて、地方版だったし、扱わなかったら毎日新聞は権力寄りだとか言われた。たとえば韓国の悪口をなぜ書かないかとか(このあたり少しBBの記録曖昧)」
ガ島氏
「タブーと言うのはまあ、部落開放とか基地とかそういうものなのかと、そういうことなんでしょうか。たとえば子供の事故とかで、親も不注意だとか社説に書くと抗議が凄いですよ。電話が鳴りっぱなし。書けないんです。そういうことはタブーですね。新聞の。で、そのへんどうなのかと」
いちる氏
「グーグルニュースとかアルゴリズムで、いいですよね。僕はノーイデオロギーでとにかく晒せばいいと思うんですが」
会場から質問(徳力氏)
「どういうターゲットを考えているんですか?書き手じゃなくて読み手として。話が書き手の側からばかりなので・・今発信したい人は増えてきているが」
平野氏
「まあその・・大企業を出て、ベンチャーで企業を起こして会社を大きくしていくとか・・そういう人たちの・・発信の場が・・そういう体験を伝えたい」
※平野氏の回答、よくわからなかった。ここわかる人いればフォローをお願いします。僕も集中力が落ちてきていたかも。
会場から(女子大学生)
「企業ジャーナリズムな感じが強いがそのへんどうか。普段ネットを見ない人のことは考えているか」
平野氏
「企業ジャーナリズムと言うのは・・よくわかりませんがニュースバリューの概念の問題ではないでしょうか。あれはニュースではないとかオーマイの記事も言われなすが、ニュースの概念が違うというか。」
「ネットを見ないというのは、まあこういうオフ会のようなものもその一貫ですし」
会場質問者
「私は市民記者ですがアクセス数は?」
平野氏
「例の田中さんの、釣られちゃった記事ね(会場から笑)あれは初日で60,000行きました。まああれは我々も楽しませてくれたというか(爆笑)そうか、左よりの甘い言葉を散りばめた記事は釣りかもしれないとか、そういう読み方をするようになっちゃって(笑)作られていないかと要チェックとか(会場笑) いいのがあっても釣りじゃないかとか。」「目標としては市民記者年内5000人、PVで月1500万ですね。月400万PVいかないと広告が入らない。今はなんとか(話題になったので)そのペースは越えている。」
その他にも記事のオピニオンに関する扱いとかいくつか質問あり。
※ここでようやく私の質問の順番が回ってきた。私がしたのは次の質問。
「訴訟リスクと言うのがある。釣り記事もそうだが、実名で書いて個人の周囲の人間が特定されるということがある。事実の確認も大切だが、そうしたリスク回避にどのような体制で臨んでいるのか。何人の人間が何時間かけているのか、分業なのか全体会議を毎日やっているのかとかそういう具体的なことを知りたい」
平野氏
「編集体制は、今9名。そのうち取材に2人くらい行く。で、3-4名が全ての記事に目を通し、まあじっくり考えるということになる。で、とりあえずは「ニュースのたね」に入れて夕方1時間くらい協議して、翌日朝出すものを検討する。で、次の日朝8時か8時半にアップする。」
「至急扱いのものは急遽別扱いするがその他は1-2日の検討リサイクル。ただ実際は記事が予想以上に多く集まっているのでこの体制は維持できないかもしれない。少し変えなければいけないと思っている」
私の記録はここまで。
●時間はすでに予定時間を大幅に回っていて5時近くになっていた。最後まで全ての質問にどうにか答えてくださったのはよかったと思う。
●聞けば私のすぐ後ろにkatshiさんが座っていたそうで、ご挨拶できずに残念。
●なにしろテープではなく筆記したものを起こしたので、漏らした部分や表記が不十分な部分がある。そのあたりはオーマイニュースの公式記事や、他の参加者の記録も見てフォローしていただきたい。冒頭に書いたように記述ミスがあれば確認され次第訂正する。
●徳力さん、ご挨拶もしないですみませんでした。またこんど。
ふー。感想などはまた別に書く。
2006 09 03 [経済・政治・国際] | 固定リンク | コメント(17) | トラックバック
「ブロガーXオーマイニュース『市民メディアの可能性』」レポート(1)
早稲田大学での開催と言うことで、これは行かなければと開始時間を3分ほど回って会場を訪れてみると、満員の盛況。TBSのカメラも来ていて、既にシンポジウムは始まっていた。
シンポジウムの主な流れを再現する。
●なお、当日予定されていた実況中継は早稲田大学の回線側との技術的な問題があり、実施できないとの発表があった。司会のガ島氏より、もしも外に発信できる人がいれば、その旨流してくださいとアナウンスがあったので、携帯から僕もブログにアップした。
ブロガー×オーマイのシンポジウム・中継について(ガ島通信)
●来場者のうちおよそ20人程度が「ブロガーである」ということである。また後にも書くが市民記者は2-3人。観客の年代は20-60代と幅広い。
●関係者の発言はできるだけそのまま再現しているが、ニュアンスや、発言内容など問題がありましたら、発言者の方、指摘して下さい。修正します。
壇上(といってもフラットな床なので見づらい)にはパネラーとして
・鳥越俊太郎(オーマイニュース編集長)
・平野日出木(オーマイニュース編集次長)
・中台達也(オーマイニュース記者兼編集者)
・佐々木敏尚(オーマイニュース編集委員)
ここまでが一応オーマイニュース側。他にブロガー側として
・山口浩(H-Yamaguchi.net)
・磯野彰彦(@竹橋発)
・いちる(@小鳥ピヨピヨ)
そして司会は我らが
・藤代浩之(ガ島通信・NTTレゾナント)
(敬称略)
会場には企画元のFPN徳力氏の姿も。
※生・ガ島氏を初めて拝見したが、写真で見るよりもカッコイイね。司会ぶりはなかなか堂にいったもので、大したものでした。書き言葉よりも、話し言葉のほうがガ島さんは切れるねえ。(また余計なことを)
鳥越氏は体調もあまりよくないのだろうか、顔色がさえない。相当お疲れのご様子とお見受けした。
※後部座席にオ ヨンホ氏が座り、全ての発言の逐次通訳を受けていた。通訳の声が始終響きうるさかったが全て聞き漏らさずに聴こうと言う姿勢は、さすが。
まずは全員で順番にオーマイニュースへの雑感。ブロガー陣は全般に温度が低い。
ガ島氏
「週刊金曜日だと思った」と指摘。現状も厳しい認識。
「ちゃねらの遊び場と化している」
「あれなら有名ブロガーのサイトを読んでいたほうがまし」
いちる氏
「編集はどうやっているのか知りたい」
山口氏
「市民ジャーナリズムという属性で見られない」
佐々木氏からは矢継ぎ早に厳しい言葉。
「(物議を醸した批判エントリーの件もあり)私は今日コウモリの立場」
「左に寄っている」
「編集は今の仕事を日々一生懸命にやっていて過ぎていっているだけという印象」
「編集部はネットリテラシーが低い。はてなもmixiもブログもやったことのない人が集まっている」
「鳥越氏の2ちゃんねらー批判もおかしい。ひとからげに2ちゃんねらー呼ばわりやゴミ溜め扱いはおかしい」
「左翼型編集メディアとブロゴスフィアの衝突が現在の混乱状況だと受け止めている」
※シンポジウム全般を通して佐々木氏は「対立軸をつくるためだった」としながらも、件のエントリーの公開を巡って編集部とかなり激しい議論があったことを告白。また、佐々木氏の激しい内部暴露に、平野編集部副次長が発言をやんわりと制止しようとする場面もあった。内部対立は相当根深い印象。
中台氏
「20代の若造として錚々たる方々の間で緊張している」
「2ちゃんねらーに荒らされているという意識はない」
「とにかく人的ソースが足りない、コメントを返しきれないで流れているのが現状」
※中台氏は例の押紙問題を取り上げた記者である。
平野氏
「ブロガーVSオーマイという捉え方は微妙であり不本意」
「もっとみな冷ややかかと思ったが、たくさんの人が書いてくれてうれしくは思っている。創刊時はそういう人はいないかと思った」
鳥越氏
「(佐々木氏に向かって)(リテラシーが)低い低いといわれるけどさ、本当に(俺は)低いよね」
「去年、ブログって何?と娘に聞いたくらい。ほとんどブログは見ていなかった」
「糸井さんのほぼ日で、原稿を4年間書いていたけれど、ネット関連ではそのくらいしかない」
※鳥越氏からは、ネットリテラシーが低いどころか皆無ではないかと思われる発言が、この後も連発され、会場が凍りつく場面もあった。途中退室しなければならないため、前半は鳥越氏関連で集中的に行われた。
「検索するくらいしかインターネットはやらない」
「ブロガーリテラシーはほとんどない。すみません」
「(そんな調子だから)始めるにあたっては引き受けるかどうか悩んだが、全く既存のものとは違うメディアをつくりたかった」
「今の日本の政治は劇場型であり、参加型メディアを作ることは意義があると考えた。参加するというプロセスが大事。責任ある参加と言う面では実名が大事」
※例の実名論であるが、こだわっているのは編集部内でも鳥越氏だけのような印象。平野氏は後に「こだわっていない」と表明しているし、中台氏くらいの世代になると全く気にしていないように思われた。実名論については後半盛り上がったのでそこでまた。
鳥越氏の発言抜粋を続ける。
「(2ちゃんなど)今のネットでは匿名で傷つけることが横行している。僕なんかもうあちこちで韓国人などと言われている。韓国人でもいいが、事実と違うことを平気で書くのが匿名文化」
「今日もこんなに多くの人が来てくれるとは思わなかった。この中で市民記者に登録した人はいますか?」
※会場で2-3人の手が挙がる
「ぜひ登録してたとえオーマイへの批判記事でもいいから書いて欲しい」
「まさか創刊で市民記者登録が1000人を超えるとは思わなかった。今日現在で1600人。せいぜい100人かと。」
「右とか左とかは関係ない。小林よしのりのインタビューも考えている。オーマイの登場でそれ以前とは日本の現状が変わったと思っている」
「ブログの女王の真鍋かおりさんとかにもインタビューしたい(会場から笑)。後は王監督の癌闘病記とか、ぼくも癌なので」
「寝る間もなく頑張ってやっている。自由な言論のプラットフォームを作りたい」
ここでガ島氏発言
「準備ブログの炎上は相当なことだったと思うが、あれは鳥越氏の2ちゃんゴミ溜め発言への反応だと思うがそのあたりはどうか」
鳥越氏
「あそこまでヒステリックな対応があるとは思っていなかった。ゴミ溜めというのは・・・ここにITmediaの人いる・・・?いない?・・・僕は確か全部じゃなくて一部のって言ったと思うんだけどなあ。」
「人間が本来持っているネガティブなパッションが、匿名になったとたんに出てしまう。2ちゃんの女子アナサイトを見たら(スレのことか)ひどかった。レイプ寸前のことが書いてある。で、これは人間のゴミで捨てなければならない場所になっていると。決して全体をそう言ったわけではない。」
「オーマイはまだよちよち歩きの子供。いろいろまだこれからである」
※発言に誤って報道された部分があるなら、なぜ早めに訂正しなかったのかと直接聞きたかったが、鳥越氏の退席までに発言する機会がなかった。
佐々木氏
「その他にも小泉批判などは非常にイデオロギッシュ」
「もっとやったほうがいいテーマはあったのに、編集会議で通らなかった。ワーキングプアとか格差社会とか」
鳥越氏
「小泉批判がなぜイデオロギッシュなのか。それはおかしいよ」
「格差社会とかやらなかったのは難しい部分があるんだよ。」
「それなら佐々木さん、言葉だけではなくやってよ(会場笑)」
※ここで佐々木氏と鳥越氏で少々言い合いのような感じになる。
ガ島氏
「実名ブログと言うのもあるんですよ。責任あるメディアはオーマイが最初とかいうことはない」
山口氏
「2ちゃんには良心的な人もいる。ひとかたまりにされたのは問題。「一部の」ならわかるが重要なことではないか」
鳥越氏
「いや、あやまります。ITmediaが・・・まあネットのチェックしなかった。ぱっと載っちゃうでしょう・」
山口氏
「そういう人たちを味方につけなければならないんですよ」
いちる氏
「一般的には実名で発言するのは怖い。ニックネームでいいのではないか。またコメント欄はなくてもいいくらいだと思う。YouTubeのレスポンス機能というのもいい。サイト内トラックバックがあればコメントは要らないように思うが、その日のベストコメントをピックアップする方法もある。」
「コラムが多い印象。ファクトの記事を期待する」
鳥越氏
「私は45年報道をやってきた。テレビは新聞の後追いだったのを、新聞にできないことをやりたかった。桶川の事件では自分のところでやったのを後から新聞が追いかけた。オーマイニュースでは加藤紘一にはしっかりインタビューした。僕なりにファクトの提示をするつもりはある。」
「佐々木さんがもう少しやってくれれば 笑(と佐々木氏を見る)。とにかく人が足りない」
佐々木氏
「韓国ではすごい数の記者が登録して、いいスパイラルでファクトも出てきた。日本ではたった1500。ここで負けている」
「論評ではブログがある。田舎のオジさんがいきなり市民記者になってブログに勝つ論評を出せるか。ここでもも負けている。難しい」
平野氏
「ブログの存在は2002年に知っていたが、4回くらい書いて続かなかった。普通の人にはまだブログもハードルが高い。本は輪転機で印刷するが輪転機さえあればだれにでも本ができるわけではない」
「ブログは基本的にエリートのもの。オーマイはもっと裾野を広げた人たちのもの」
山口氏
「読み手とすればいい記事が欲しいだけ。ちょっと書いてみましたなんてのでいいのか。ファクトではなく、市民には世論を書いてもらうべきでは。それが市民メディア」
鳥越氏
「しきいを下げるにはまず一定の量に達しなければならない。数万に達しないと質的変化は望めない。」
※ここで会場から質問。今日出席している人たちがブロガーの代表だとは思わない。なぜこういう構図にしたのか。ブロガーリテラシーを説いてオーマイを教育するつもりかという質問。壇上のブロガーからは、別に代表できているわけではないとの声。
佐々木氏
「アルファブロガーといったって偉いわけでもなんでもない。R30が凄いとかとか言うけど、オウム真理教の問題で炎上したりした。」
「今回の会は、ガ島と佐々木でこんなのやれば面白いねということで、オーマイに持ちかけて実現した企画」
「やりたい人は自分たちで持ちかければいいんじゃない?(と会場の質問者に)」
鳥越氏
「いや、今日は驚いた。ブロガーにもいろんな意見があるんだねえ(会場から笑)一言では言えないもんなんだねえ。」
※再び会場から質問。JanJanなどとの違いは何か。
平野氏
「オーマイの編集部は20-40代。比較的若い。JanJanなどは政治に特化している印象だがオーマイは違う。」
「ライブドアニュースは、ライブドアがマスコミを買いにいったりしてマスコミ志向があるのではないか」
再び質問。
(1)オーマイはネット感覚で作られていない。
(2)ネット新聞の前例を踏まえているのか。
(3)鳥越さんでは弱いのではないか。引退して若い人にやらせたほうがいい。
(会場笑 鳥越さん渋い顔)
鳥越氏
「僕はJanJanもライブドアニュースも見たことが無いのでわかりません。(会場凍る)」「引退しろと言うならいつでもします。僕は癌で、医者も家族もみんな反対した。でも新しいことには好奇心がうずくし、とりあえず鳥越の名前なら相手も会ってくれる。立ち上げの広告塔のようなつもりで引き受けた。しがみつく気はない」
会場の鈴木氏
「現状分析が必要。韓国はネットで学生の体制批判が盛り上がった。マスコミ不信がある。IMF以後新自由主義が台頭。その流れでオーマイニュースが生まれた。」
「日本でのプラットホームの妥当性を検討したのか?」
鳥越氏
「オヨンホ氏と4月7日と21日に会った。3回目でOKした。」
「既存メディアは一方通行。国民の声を反映させれば日本は変わるんじゃないか。市民と言うと色が付くので迷ったが、私は全ての納税者が記者になるイメージ。子供も消費税を払ってる。」
「とにかく勉強させてください。僕はブログには無知ですが。何を書いても結構ですからとにかく市民記者の登録をお願いします!!」
(会場拍手・笑)
ここで鳥越氏退席。(2)へ続く。
【参考リンク】
※あわせて読んでもらうといいと思います。
鳥越編集長、引退の危機!?ブロガー×オーマイニュース
2006 09 03 [経済・政治・国際] | 固定リンク | コメント(44) | トラックバック
September 02, 2006
オーマイニュースシンポジウム出席中

早稲田に来ています。生中継はできなくなりましたということです。早稲田との回線の問題だそうな。もう鳥越さんは退席されました。
詳細は今夜でもあげます。
終わったところで、初対面の佐々木さんに挨拶。
ごにょごにょと立話をしてきました。
ま、それができて良かったかも。






