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October 25, 2006

BigBangは、なぜBigBangなのか

予告しておく。誰が読んでも愉快な話ではない。

本来こういうネタははてなの方でやるんだが、このブログの話なのでここでやる。久しぶりの自分語りだから、そんな話は聞きたくねえって人は、すぐにほかへ行っておくんな。石松。

概ね書いたけれど、人と「多少異なった」幼少時代をおくった。で、それはもういい。失ったものも膨大にあるが、得たものもあるだろう。おそらく。一直線のコンプレックスや、馬鹿のような優越感に溺れる年でもない。はっきりしていることは、膨大に失ったものがあること。そして、その半面で得たものも膨大にある。それだけである。

はっきり言えば、後ろに誰もいなかった。いたのは、祖父母のみ。で、一定の年齢になれば、「あるべき家庭」に戻るはずだった。temporaryな環境で、いつかは終わるtemporaryな感覚を持ち続けた。結果的には、temporaryではなかったのだが、おそらくそれはハプニングだ。

小さな頭脳で欠損感を埋め合わせるために考えたのは、そうした背景の欠如を埋めるというよりも、それをメリットとして活用できないかということだ。つまり露骨に言うと、途中で倒れても、自分の周囲に被害が及ぶ割合が人よりも多少少ない。少ないというのは、もちろん楽しい話ではないのだが、これはメリットにもなるのではないか。人生の選択肢が、人より遥かに自由に選択できるのではないか。

そう思った。いや、思うしかなかった。

で、それから話は飛んで数十年。その思い込みは正しかったか。間違いだったか。この点は40代の男として思うところはいろいろあり、一言では言えない。言えないが、他の多くの問題と同じように、100%間違いでもなければ、100%正しくもなかった。そういう平凡な結論であり、後何年生きるかわからないが、それは今のところそういうことだ。謝謝。

話を先に進める。

ブログを始めるときに、タイトルをどうしよう。テーマをどうしようと考えて、その心情を形にしようと思った。つまり後ろを振り返ったときに何も無いこと。そして、「世間的な前提」を欠いていることを、何とかネガティブではなく、ポジティブなものにできないかということ。

元々天文少年だったということもあり、ブログのタイトルをBigBangとした。(最初BigBan ※脇の下だろとか言われて変えた。笑)書き起こしたような、おそらく他人にとってうっとおしい心理背景があったことは確かだが、それにかぶせて言えば、あらゆる前提とか、しがらみとか、そういうものから自由になろうと思った。いや、なるしかないと、そう思った。

もしも自分が「しがらみ」だとか、「世の付き合い」とか、そういうことに囚われたら、存在価値がない。ネガティブな部分だけが突出する。そうやって生きていく方法ももちろんあるけれど、それでは余りに情けない。自分にできることは、「持っている人間」にできないことを少しでもやること。そう思った。

例えばブロガーと一緒の席に居合わせる。ビールを飲む。語り合う。相手の顔を見る。喜怒哀楽に接する。何を考えているかわかる。時には、苦しい顔に接する。情がわく。思い切り情がわく。不幸なことに情がわく力は強い。

だが

だが、少なくともブログ上では、BigBangは過酷でスタンドアロンであろうと思った。それは確かにそうだ。もしも、持っている人間が、何かに囚われて、幸福や不幸を手に入れるなら、自分がそれを手に入れるためには、囚われては駄目だ。全てを敵に回しても、少なくとも、少なくともネット世界においてはそう振舞おうと思った。と思う。できたかできなかったか。それはわからないが、そうあろうと思ったときがあるということだ。

今になって思うのだけれど、このタイトルは、結果的に思わぬ「効果」を呼んだように思う。何をするかわからない破壊者、常識が通じない喧嘩野郎。そう思われても上等だとも思った。現実の自分が、細かな相手の感情の揺れにいちいち反応して、何か大切なというか、肝心な部分に甘く振舞いがちであるだけに、BigBangはそうではない。そういう風であってはいけない。そう思い続けてきた。

ところが最近になって思うのだけれど、ネット世界も必ずしも別天地ではなかった。当たり前のことだ。人間が人間として、ちょっと媒体を変えたからといって、どんな桃源郷もそこにはないし、どんな並外れた「地獄」もそこにはないのだ。そんなことがやっとわかってきた。(Web2.0への不信感はこういうところにもある)

僕は、このやり方を続けようとする限り、おそらく早晩、何かを考え直したり、反面何かに固執し続けなければならなくなるのだろう。その「無理」というか、不自然さというか、是非はともかくそういうあり方なのだろうと思う。過剰に内的な部分に何かを求めることは危ういのはわかるけれど、その危うさに対して、何か危ういのだということを言えるかどうかは、実は重要なことであるのではないかとも思っている。

ブログ上の死については、確か一度エントリーを書いた。

永遠はない。どんな人にとっても永遠に続くどんなこともないのだ。もちろん命ですら。

心からそう思う。

今更ながらそう思うが、それを常に自覚することは誰にとっても途方もなく難しく、きついことだ。

そうじゃないかい?

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Comments

ビックバンさんてすごい人だったんですね。

568 :朝まで名無しさん :2006/10/30(月) 18:25:52 ID:Z/tymlyv
マジレスだが、黒崎とBBはカルト撲滅グループ。
鮫島は黒崎に言われ、けろやんはBBに言われ行動している。
鮫島は警察、けろは公安の出先の民間。
エレニやfinalventはただの盛り上げ役。
そこからブロゴスフィアにことのはが広まったが、
警察、公安から情報を得ている佐々木は苦虫をかんでいるはず。
サイコはただのかまってちゃん。

そうらしいですね。笑

すごく心に響くエントリでしたが、一点だけ。

あなたがまだ永遠を知らないだけ。
でももしかしたら、知ることになるかも

marcoさんは永遠を知っているの?

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