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October 20, 2006

ジェンダーを超えた孤独----中村中「友達の詩」

このところiPodで中村中(なかむらあたる)というシンガーの音楽をずっと聴き続けている。iPodがいいのは、同じ音楽を異なる風景やsituationの中で聴いて何かを「確認」できることであり、その音楽を聴いている自分の精神状態というか、気持ちというか、そういうものも何度も「確認」できることにあるように思う。

さて、中村中だけれど、ご存知の方も多いと思うが、「彼女」は性同一性障害というカテゴリーが当てはまる人である。戸籍上は男性として生を受けたが、心は女性である。その後、おそらく手術などをされたのだと思うが、現在は見かけ上も、声も本当に女性そのものであり、しかも美声である。

よく伸びる高音は言うに及ばず、元来「男性であった」ので女性にはなかなか出ない、低い声も持ち続けており、その両極が彼女の声と表現に深みと奥行きを与えていると思う。

声もさることながら、15歳の時に創ったという「友達の詩」などの楽曲で強く感じるのは、やはりその透明な「孤独感」のようなものだろうか。というよりはある種の奇跡を感じさせるとさえ思う。

僕らの音楽3 中村 中 × 岩崎宏美 「友達の詩」

本来、モテ非モテ論議にしろ、何にしろ、恋愛がもたらす孤独感は、言うまでもなく愛する相手とジェンダーが異なることで生じるという、我々にとっての「常識」がある。つまり相手と通じ合えない悲しみは、一人の人間と人間として通じ合えない悲しみでは、もちろんあるのであるが、前提として我々はある種のジェンダーの溝、男性と女性の物の感じ方、考え方、そして社会的な立場の違い(ジェンダーによって生じる区別)にもたらされることが多いと思う。

恋愛や愛情が行き詰っているときは、若いときには自分と相手のたった2人の「限界」のように思えることが多いと思うが、実はその背景はある。年を重ねるにつれて、その背景はジェンダーの差意が根源となって起きる、肉体的、社会的な差であるように思えてきた。しかしそれでも、その差異の源ははっきりしているのである。

ところが、おそらく中村中のような人にとっては、この厄介な差異ですら、超えてしまっていることの厄介さであり、孤独感があるだろう。精神的な性と肉体的な性が一致していない人の孤独を理解することは残念ながら僕には到底できないのであるが、おそらくその境界を漂うやるせなさは、確として虚空に引かれたジェンダーの壁にすら翻弄される我らに想像できない、苦悩に満ちているのだろうと思う。

それであるからこそ、彼女が「友達」という言葉に込めた思いは想像もできないほど深いし、重いと思う。揺らぐ心の危うさが見えている人だけに、なんとか長く歌い続けてほしいと願う。

【参考リンク】

中村中オフィシャルサイト

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