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December 31, 2006

年末にあたって----また矮小な時を積み重ねて

End_year


(このエントリーは年末ということで異例ですが、「BigBang」「AnotherB」両ブログにアップします)

正真正銘の年末である。にも関わらず、何か総括的なエントリーを書く気分になれないでいた。あまりにもいろんなことを解決しないで、来年に持ち越してしまいそうな気がする。私的な面でも、仕事の面でも。
こういうときには、日々は淡々と粛々と、テンションを変えずに続いていって欲しい。年の終わりだとか始まりだとか「メリハリ」もつけず、「ハレ」も挟まず、ただ粛々と昨日と同じ日々が流れるだけでいい。その流れの中で解決していきたいこと、けりをつけていきたいことが多すぎる。などと述懐するといかにもワタシらしい暗い展開であるが。

そんな中にあって、フセイン大統領が電撃的に死刑執行されたというニュースが、大晦日の朝刊を大きく飾った。最後には死刑は免れないだろうと思って見ていたが、これほど早いとは思わなかった。まだ裁判に数年要するだろう、聞き出すべき情報もまだあるのだろうと漠然と思っていた。
数々の未決事項の中で、1982年にイラク中部ドジャイルでイスラム教シーア派住民を虐殺した人道に対する罪のみが問われ、死刑判決から4日間でのスピード執行である。
銃殺刑を主張した本人の意に反して実行された絞首刑の模様は、全世界に送られ、インターネットには彼の体が執行台の奈落に落ちていく瞬間の映像までが配信されている。

しかし「人道に対する罪」とはなんだろうか。国際法から、米国主導で都合のいい部分を切り貼りして維持された裁判であったと言われたが、一体どこからが「人道に対する行為」で、どこまでが「人道的」なのだろうか。何人以上殺したら人道に対する罪なのだろうか?それとも殺し方が残虐であるかどうかで区別するのだろうか?敗者に人道が問われるのに、なぜ勝者には人道が問われないのだろうか?
問いかけてもその答が今の世界にはないことを僕たちは知っている。いや本当は世界はその答を知っているのかもしれないが、あなたや私の前で口にすることはないと言ったほうがいいだろうか。

奈落に落ちていくサダム・フセインの最後の姿を見送り、ただ彼が、とてつもない極悪人であったのだ、これでよかったのだと思い込むことで、たった今目の前に届けられた残虐行為をスルーして、世界の大半は納得してそれでも新しい年へと向かおうとしている。


おそらく「普通の人生」をおくる私たちの大半には、彼のような絶頂と栄枯と転落、絶望を渾然としたような激しい運命は永久に訪れないのだろう。日々は鬱々と延々と続いていく。嫌というほどのエンドレスな繰り返し。

その中で生きる私たちは互いに、手を伸ばせば理解できるはずの、微妙な距離にありながらも、その微妙さに苛立ち、怒り、誤解し、攻撃してそれでも卑近な日常をまた生きていくのだろう。
しかし、それはきっとどこかで繋がっているのだと思う。無数の矮小な日常の中で起きるひとつひとつの些細な事象が、いつか互いに繋がって、互いにどこかで呼応しあって、とてつもない残虐ととてつもない慈愛の両方にいつか繋がっていくのだと。だから、ひとつひとつの日常のディテールを、しっかり大事にして行こうと。そこから生きていくしかない、それを自分のエネルギーにしていくしかないのではないか。

この小さく頼りない窓から見える風景を、見逃さないで目を逸らさずに、矮小に、また時を積み重ねて生きていくしかないのではないか、と。

#2007年には「グアンタナモ、僕たちが見た真実」という映画が公開される。ぜひ観に行きたいと思っている。

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最後に。

これで今年の「BigBang」「AnotherB」の両サイトの最終エントリーにしたいと思います。ブログを始めて2年半余。今年は「ブロガーとしての僕」(そういう言い方は好きではないが)にとっては、非常に大きな変化と、激震に遭遇した年でした。どこへ突き進んでいってしまうかわからない船のような、右へ左へ揺れ動く不安定な状態の中、読んでいる人を和ませることもおそらくほとんど出来なかったと思う。おそらく2つのブログの周りには、人を倦ませるような空気が満ちていたのではないかと思う。ネットの深さと恐ろしさも改めて知ることになった年でもあった。今年1年、こんなワタシに呆れながらも最後までつき合ってくれた皆様、どうもありがとう。来年は今年の厳しかった状況からのギフトを忘れないようにしながら、少しずつでも歩いていきたいと思います。

今年関わった全ての人たちが、幸福な年を迎えられることを。
そして今年通じ合えなかった人たちとは、通じ合える年になれることを。

来年もよろしくお願いします。

2006 12 31 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック

「黄泉の犬」(藤原新也)を読んでいく(4)--麻原・水俣病説への疑問

このエントリーに滝本太郎弁護士からコメントをいただいた。「黄泉の犬」に関する見解が氏のブログに書かれているというご案内だったので、行ってみた。
麻原は「水俣病」を患って目を悪くしていたのではないかという、この書の中でも愁眉の部分に関しての見解である。

●「備忘録-黄泉の犬」(同上)

●「再び「黄泉の犬」について。」 (同上)

●「「黄泉の犬について-3」」(『日常生活を愛する人は?』-某弁護士日記)

滝本氏は麻原の「在日朝鮮人説」「被差別部落出身説」と並べて、藤原新也の「水俣病説」に強い疑問を提示されている。その根拠としては、麻原の長兄の証言全般に関する疑念である。

●藤原は、麻原の「水俣病説」を、一番上の長兄への取材によってのみ書いている。他の兄弟に対して全く裏づけをとっていない。

●この兄は「教祖になってくれ」と麻原さんから言われた、などとも言っているが、他の麻原といつも行動していた旧い信者の誰もそういったことは言っておらず、カルトの特性からしてもあり得ない。

●麻原は生まれつき片目が見えない。もう一方の目は進行性で見えなくなってきていた。たとえ八千代でシャコを食べていたとしても、出産後に水俣病になった可能性はほとんどない。

●胎児性水俣病に関しても、麻原にはその他の水俣病に特徴的な症状は一切ない。シビレ云々なども、あったと言っているのは長兄だけ。そもそも麻原の目は、神経性の視覚障害ではなかった筈。

さらに、麻原が実際には被差別部落の出身でもないのに、それを偽装して部落出身の信徒を出家させたことがあるなどを挙げ、あるいは水俣病も偽装してもおかしくないことを示唆している。他にも、藤原新也氏の取材がそこかしこで雑であることにより、本自体を信頼することができないと語っておられる。(後半のインド放浪に関する部分は評価しておられるが、メメント・モリなどはお読みになっておられないようだ。)

僕には、俄かにいずれとも判断しがたいが、昔からの藤原新也の読者の立場から言わせてもらえば、藤原新也という人は、取材した事実の積み重ねから演繹的に事実を追求していくというよりも、典型的に帰納法の取材方法をとる人であると言っていい。
つまり、強烈な精神的なインスピレーションをもとに、自らの感性が打ち立てた仮説を、結論とすべく、取材を重ねていくタイプであり、その結果、著作は非常にスピリチュアルな迫力には満ちているが、反面、客観的な合理性に欠ける部分がある。ということである。
その面では、確かに滝本さんの言われる諸点を見れば、取材が足りない、あるいは思い込みが先行して極端な結論を導き出している可能性もあるかもしれない。

麻原がもしも水俣病であったとすれば、そこに多くの人は何らかの「意味」を見出そうとするであろう。(もちろんこれは「被差別部落」でも「在日朝鮮人」でも同じである。)それがわかっていながら書かれた藤原の文章は、一種独特のスピリチュアルな雰囲気を醸し出す技術が高いだけに、本人からの再反論と合理的な追加取材がないと、俄かに内容を信じるのは危険であると今は考えている。

その見方をとる人は多いようで、いまひとつこの衝撃的な内容が込められた本が評価されていないように感じるが、藤原自身は、タブーを扱ったことにより、社会から忌避されているように感じているようである。


【参考リンク】


【書評】麻原彰晃の誕生 / 高山 文彦(London bridge)
によれば、田口ランディ氏や瀬戸内寂聴氏は、藤原新也の視点を絶賛しているそうであるが、このあたりにはまだ目を通していない。

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December 30, 2006

オーマイニュースを巡る匿名性の問題について---小倉弁護士に答える

私の記事「朝日に報じられたオーマイニュース苦戦の深刻----問題はアクセス数激減だけではない」に小倉秀夫弁護士からコメントをいただき、さらにエントリーも立てていただいたので、それについて触れようと思う。

 しかし、オーマイニュース日本版のオピニオン会員によるコメントには、内部告発や危険水域からの匿名での発言なんてものはなかったわけです。むしろ、匿名性の高いコメントを可能とすることによって、自分とは相容れない思想傾向の記事を掲載する市民記者に対して執拗にネガティブな言葉を投げつけることによってその種の市民記者がさらなる記事を投稿する意欲を奪おうという一種の言論封じのためにコメント欄が活用されたとすらいいうる(bigbanさんの言い回しを借用するならば「最初から匿名が許容されることによって封じられる記事がありますが、言論機関の長であるが故にその点を斟酌せざるを得なくなったということでしょう。)。さらにいえば、オピニオン会員は、少なくとも編集部との関係で「どこの誰であるのか」が明らかにされていなければ、コメントにより市民記者または第三者との間に訴訟問題が起きた場合のリスクを負わなくて済むわけです。 (コメント欄もwikipediaも内部告発の場ではない(la_causette))

問題はオピニオン会員のコメント権を実名化したことにあるのではない。オーマイニュースは、創刊当時から、「匿名投稿」を排除し、「実名投稿」を推奨する姿勢を持っていた。それが、鳥越氏の一連の2ちゃんねる批判に繋がったし、その延長に、コメント欄の炎上があり、オピニオン会員制度の見直しがある。汚いコメントが飛び交ったので、実名推奨したのではない。順序が違うと思う。このメディアはスタート当初から実名を重んじ匿名を嫌う立場のメディアなのである。理由は「信頼できないから」「無責任だから」「悪意の投稿があるから」としているが、その発想のベースには「2ちゃんねらー」への敵意がある。これは鳥越氏の経験的実感から形成されたものであり、創刊当時、あるいは創刊前にまで遡ると思う。
小倉弁護士は、「オーマイニュース日本版のオピニオン会員によるコメントには、内部告発や危険水域からの匿名での発言なんてものはなかったわけです。」と言われるが、これは「オピニオン会員」によるコメント欄の方向転換当時から限定して考えるべきものではなく、むしろ市民記者を募集した当時から、オーマイニュースが匿名投稿に対して極めてネガティブであったことまで遡らなければならない。

また、「内部告発や危険水域からの発言」が無かった理由は明快であり、オーマイニュースが表面的にはそうした「スクープ」を口では志向、推奨しつつも、これらの投稿が市民記者からされるための、あるいはコメンターに対しての環境を整えたり、彼らを防衛したりする意志が全くと言っていいほど、なかったからであることの当然の帰結ともいえる。そして今後も、そうした記事やコメントは、ほとんど望めないであろう。

問題は記事やコメントの質であり、実名・匿名の問題ではない。匿名で口汚い投稿が増えるリスクを唱えるなら、それに対峙して実名では思い切った発言や記事が寄せられにくくなるという、市民メディアの理念の根本に関わる問題、そして記者や投稿者の立場保全の問題が同時に語られなければバランスを欠くが、これまでのところ鳥越編集長にはその姿勢が感じられないと思う。

さらにいえば、全てのCGMが内部告発や危険水域からの匿名での発言を行う場である必要はないわけです。オーマイニュース日本版のコメント欄(正確にいえば「この記事にひと言」欄)についていえば、市民記者による個別具体的な「記事」に対する「感想や意見交換、質問など」を行うための場であって、内部告発や危険水域からの匿名での発言を行う場として用意されているものではそもそもありません。市民記者に対する「感想や意見交換、質問など」を正常に行うにあたって匿名である必要はないし、むしろ、市民記者に対する「感想や意見交換、質問など」は理性を保った状態でなされた方が建設的で有益であるといえます。

匿名が許されないのは、「コメント欄」に限定された問題だけではない。※1本編の市民記者の記事に関しても、実質上匿名でのエントリーは書けないのであり、それに加えてオピニオン会員への措置があるのである。つまり論者も評者も実名を晒す勇気がないとオーマイニュースには関わることができない。その問題も、上記の考察からはすっぽりと抜けているように思う。(加筆参照)

これは発言者の「勇気の問題」ではない。もとより、弁護士であるとか、あるいは大メディアの記者であるとかいう場合なら、組織や法的立場の強さ、あるいは成熟した対抗の精神やテクニックを持っているのであり、一般市民よりは遥かに悪意から保護されやすい環境にある。自営業者(私もそうであるが)も自分の責任である程度の発言をすることができる。
しかし、これが一般的な職場の勤め人であれば、どうか。実名で、自分の職場や関連する官公庁などの問題を扱うことができるか。それでなくても人の実名をネット晒して言論に圧力をかけることに異様なエネルギーを持つ人たちが横行している昨今である。それを押し切って実名で発言しろと主張すること自体が最初から無理がある。

やはりオーマイニュースにも、小倉弁護士にも、このあたりの水域から発言する人たちの微妙な立場への理解は少ないように思えてならない。現状、告発の発言が少ないことをもってそれらのウォンツが少ないと早々に諦めるなら、それこそ何のための市民ジャーナリズムなのかと思う。

記事にしろコメントにしろ、問題は「質」なのである。それを実名匿名の問題に一元的に落とし込んで、表面的な見え方を一時的に整えても、何の解決にもならないと思う。

自分とは相容れない思想傾向の記事を掲載する市民記者に対して執拗にネガティブな言葉を投げつけることによってその種の市民記者がさらなる記事を投稿する意欲を奪おうという一種の言論封じのためにコメント欄が活用されたとすらいいうる。

「コメント欄の罵倒によって投稿意欲がなくなった」という市民記者の「悲鳴」は私も何度か耳にしたが、それではこうした記者に伺いたいのは、一体何を期待してオーマイニュースに登録して記事を「目立つところで」書かれたのかということである。こうしたメディアで、見解の分かれる政治的な問題を論評したり、甘い論理の記事を投稿したりすれば、攻撃の言葉を浴びるのはあらかじめ覚悟を決めてかかるべきなのであり、それによって「やる気がなくなる」なら、その記者の発信のモチベーションが、元々その程度のものであった、それなら無理に発信するほどのものではあるまい。と言えば言い過ぎだろうか。

口汚く荒れるコメント欄への対応ということなら、オピニオン会員制度の改革などという、制度的かつ小手先の対応ではなく、これらに対応する技術や精神的面での向上、記事を書くということがどういうことなのかという、市民記者の意識向上、そしてネット上での議論スキル、適切なスルー力といった、これまでネットで語られてきた基本が、粛々と再確認されるべきであったのではないだろうか。

加えてWikipediaの問題。

「wikipedia」もまた、内部告発や危険水域からの匿名での発言などというものを掲載する場ではありません。むしろ「『内部告発された事実』という編集者等が容易に検証することが不可能な記述をwikipediaに持ち込まれてもそれは困りものだとすらいえます。そういう意味では、wikipediaにおいて匿名性を維持する必要はないし、むしろ、匿名性が保たれた環境ではその党派性を剥き出しにする人が少なくない我が国においては、wikipediaにおいて匿名性を維持する限り、イデオロギー闘争の場として編集合戦が行われるという悲劇が発生する虞が高度にさえあります。

これも少々論理がおかしいと思う。「編集者等が容易に検証することが不可能な記述」は匿名によってのみなされるわけではない。Wikipedia編集においても、歴史的な事象はともかく、現実的なテーマに関するディープな情報提供は、むしろ事象に関わる利益を持つ、あらかじめ推定可能な人物によってなされる場合が多いのであり、それらの利害対立から問題がゆがめられることはあるが、匿名だからといって提供される情報が「検証しづらい」わけではない。ここでも実名性と情報の質との相関関係はそれほど単純ではないのである。つまり情報の「検証しやすさ」と投稿者の「実名性」の関連を必然化するには考察が足りないと思う。

いずれのケースにおいても実名の人物は信頼できて匿名は信頼できないという先入観が先行し、「情報の質を検証する」という、より重要なプロセスへの考察が後回しにされているところが気になるのであり、「悪意の匿名の2ちゃんねらーたち」はその理論構築ためのツールに使われているように思えてならない。



【12/31加筆】

※1 この部分に関して、投稿に際しては「ペンネーム」は認めているので、「匿名でエントリーは全く書けない」というのは事実誤認であるというご指摘が市民記者に登録されている方からあった。確かに「場合によっては実名以外で投稿することもできます。」とは、既に早大のシンポジウムでオーマイ側から説明があったように記憶しているが、それが実際に運用されているかどうかについて認識が無かった。加筆訂正させていただきます。オーマイの編集部に実名を重んじ、匿名を排除しようとする姿勢があることは変わりがないので、全体的な記事のトーンは修正しない。

2006 12 30 [経済・政治・国際] | 固定リンク | コメント(5) | トラックバック

December 22, 2006

「黄泉の犬」(藤原新也)を読んでいく(3)--あの年の記憶

地下鉄サリン事件(ちかてつサリンじけん)は、1995年3月20日に東京都の地下鉄でカルト新興宗教のオウム真理教が起こした無差別テロ事件である。毒ガスのサリンが散布されて死者を含む多数の被害者を出し、日本の社会に大きな衝撃を与えた。(Wikipedia)

あの年の記憶ははっきりしない。その年までの狂乱のバブルの記憶が思いのほかはっきりしているのに、1995年の記憶は、元旦の読売新聞のスクープ、燃える神戸、そしてカナリア。それから・・・それから?それから?

なぜか記憶がすっぽりと抜けている。

ようやく意識に上がってくるのは、気がつけばテレビの映像の中に、見慣れた大学時代の同級生の女性がいつの間にか座っていたことである。彼女が卒業後、メディアの冷淡に、そして世間の冷淡にまみれていた頃、僕はやはり拭いようの無い冷淡の海の中でもがいていた。ようやく海面から頭を出した頃、目を疑う光景。通いなれた東銀座の駅の惨状。そして19歳の頃から大学で席を並べた女(ひと)の顔が、そこにあった。そしてその顔は、僕の知っているその人の表情ではなかった。別の心がそこに降りていた。

人はどうやって、欠損を埋めていくのだろう。人はどうやって、生まれながらに決められた運命のようなものを超えていくのだろう。あるいは超えていけないのだろう。そして神(のようなもの)はなぜ、ある人にある場所に立たせるのだろう。人の死は、死をもってまでして、その人を「その場所」に立たせる。それは、本当になぜなのだろうか。

次に気がついたときには、テレビの中の麻原は埃だらけの紫のクルタのまま、穴倉から引きずり出され、車に乗せられていた。報道は東銀座から程近い、喫茶店で馴染みの代理店の営業と一緒に見つめていた。

代理店の彼は間抜けのように「あ・・・」と言ったまま、テレビを見つめてそのまま長い間立とうともしなかった。彼のコップを持った手は微かに震えていた。僕はそのとき思い出した。サリンが撒かれたあの駅を、わずか2日前に僕は通ったこと。そしてそれは彼の会社に打ち合わせに出向くためであったことを。しかし僕たちはそのことを語り合うことはその後もなかった。ずっとだ。

東銀座の駅の前に大量に横たわっていた人々は?人々は?

あるとき。ある瞬間。人をその場所に立たせること。ある時間に特定の場所に立たせること。それは誰が何のために、どのような力でなし得るのだろうか。あなたはなぜその場所にいたのか。あなたはなぜその場所にいなかったか。答は出ない。永遠に。それはわかっているが尚、それを考え続けないではいられない。それがはたから見ればどんなに馬鹿げた所為だとしても、だ。

「率直に言わせてもらいます。よろしいでしょうか」
「なんや」
「弟の智津夫さんの目の疾病は水俣の水銀のせいじゃないのかって。そんな風に想像してしまったんです。実を申しますと僕が満弘さんのところをお訪ねしましたのは、その1点をお伺いしたかったからです」

満広はその言葉を聞くと止まったまま手に持つコップをちゃぶ台の上にそっと置く。閉じた瞼が震えるように微動している。

瞼の裏の闇の彼方の何かに思いを馳せるように。
沈黙が時を刻む。
不意に満弘は息子の名を呼ぶ。
息子が現れると「ちょっと1時間ばかり外に行っとれ」と威圧的な声で言う。
息子が出て行き、通りの木戸を閉める音が聞こえる。
それから少し間をおいて後、満弘は重い口を開く。

「・・・・・フジワラさん」
満弘の閉じた瞼の裏の視線が正面の私に向かっている。
「はい」
「よう、そこにお気づきになったなあ」
満弘は穏やかな小さな声で言う。

(黄泉の犬 静かな朝の証言)

水俣。

その「秘密」の暴露が一体何になるというのだろう。

いやそれ以前に我々は、我々の受けた衝撃を正しく受け止めているだろうか。我々が受けた衝撃は、直接空気中に散布された、あのサリンという名を冠された薬物の、その中にのみあったのだろうか。それともそれを浄化すると称して、同じ組織が道路1本隔てたところで作っていたというコスモクリーナーの、あの物々しき形状の中に、あるのだろうか。あるいはあの張子のシバ神の・・・。

否。否。

思うものは思い続け、迷うものは迷い続ける。そして藤原新也もまた、松本満弘の作り出した長い長い沈黙と、それに続く言葉、そして自らの印度放浪の記憶の中に、1995年を思っていたはずである。それはわかるが、一体その記憶が何を生むというのだろう。仮に松本智津夫、否麻原の眼が水俣の害毒に侵されていたとして、それによって何が変わるのだろうか。変わらないのだろうか。

藤原新也は、インドを放浪していたとき、その頃さまよっていた欧米の若者と明確に線を引いていたことがあるという。それは、インドにあってなお、インドに飲み込まれないことであり、道端の祭にすら「帰依」しないことである。頑なまでに。

これは今では笑い話として語ることができるのだが、この青年がいかに宗教的なものに1人で抵抗していたかを物語る他愛のない話がある。(黄泉の犬 そこから世界がはじまる)

藤原新也は、インドのここかしこで繰り広げられる「ホーリーの祭」(色のついた水や絵の具を誰彼と無くかけ合う)にすらひたすら頑なに背を向け、どんなことをしても絵の具を掛けられまいと「毎年警戒を怠らなかった」

他愛のない話である。
しかし、この出来事は青年がそういった種類の変わった情熱を持って旅をしていたことを理解するにはかっこうの出来事であるように思う。その情熱とは信じられるものしか信じないといういたってシンプルな情熱であり、そういった熱い気持ちが、世界に対する冷たく醒めたまなざしと妙なかたちで私の中に同居していた。(同上)

さらに藤原新也は、インドの山中で遭遇したフランス人青年の「空中浮遊」について筆を進めている。

2006 12 22 [書籍・雑誌] | 固定リンク | コメント(2) | トラックバック

December 17, 2006

朝日に報じられたオーマイニュース苦戦の深刻----問題はアクセス数激減だけではない

12月17日の朝日新聞に「オーマイニュース苦戦」という記事が掲載さされた。

詳細は、文中の引用を見てもらいたいが、鳥越編集長の「僕の挑発に・・」発言。この方は骨の髄から「匿名」が気に入らないのだろうなと思う。「匿名」からも様々なオピニオンが寄せられているという、正当な「峻別」がない。つまり「卑怯な発言」「低俗な発言」「誹謗中傷」は、実名でもなされる場合があり、「匿名」であっても、考慮に値する「批判」があるという、その場所まで降りてから、批判は緻密化されるべきであろう・・あるいは発言者の安全担保などということは今更言うまでもなく当然のことだと思われるのだが、気がつく限りその視点を包含した発言が何一つ見当たらない。このあたりは見事な程である。

---サイトへのアクセスが伸び悩んでます。

「広告収入にもつながらない。1年で結果を出さないといけない」
「匿名だったらもっと増えたが、責任ある実名文化を築くためにやっているのだから、それは選ばない。ただ、量的な拡大は必要だ。」

---寄せられる記事の質はどう評価しますか。

「初めて取材するのだから、身の回りのことから書き始めるのは仕方がないが、少し『意見』が多すぎる。やはり事実を示すのがニュース」
「記者クラブにこもっている記者が書けない独自の記事が出てきている。後はスクープが必要」

---記事が偏っているなどの理由でコメント欄の「炎上」が続きました。

「韓国発祥のサイトということで反感もあるようだが、日本と韓国の間の問題について議論することは大事だと思う。ただ、あしざまな中傷は論外。記者は実名で書いているのにコメント欄は匿名で中傷を書く。後ろから切りつけるようなものだ」

---編集長が自ら匿名の掲示板を批判する発言も反感を買いました。

「あそこに書かれていることは本当にひどい。
彼らが反発してくるのは想定内で、僕の挑発に乗ったな、という感じだ」

(朝日新聞12月17日朝刊「オーマイニュース苦戦」鳥越編集長へのインタビューより)

彼は、ただひたすらに「匿名」からの「卑怯な発言」の巣窟としての「2ちゃんねる」を謗るばかりである。それどころか余計な挑発発言までしてしまっている。(やれやれ。こんなことを言って何の意味があるのか)

その発想の延長に、コメント欄を登録会員に限定するという最近の変更処置があったわけであるが、朝日の記事によると、その影響でコメントは激減し、アクセス数も減っているという。事実Alexaによれば当初は炎上も話題性の一助となり、相当のアクセス数を記録したものの、今ではアクセスは明らかに激減している。

それから2ヶ月。オーマイニュースがネット上で話題に上ることもすっかり少なくなった。この「話題の減少ぶり」は、オーマイニュースへのアクセス数の推移にも現れている。インターネット上のトラフィックを分析しているサイト「Alexa」で、アクセス状況をグラフ表示させてみると、8月末のオープン時が突出している。その後大きく落ちこみ、それからは微減か横ばい。グラフの現在の「山の高さ」は、オープン時に比べると8分の1から9分の1だ。オーマイニュース広報担当によると、現在は1日20万のページビューがあるという。
   韓国の「本家」でも、「Alexa」によると04年を境にアクセスは減少を続け、最近では日本版の2倍弱程度で推移しており、06年11月1日の米ビジネスウィーク誌は「06年は赤字転落か」と報じている。(「オーマイニュース」 日本も韓国も苦戦中 J-CASTニュース

【参考】
直近6ヶ月の「オーマイニュース」「newsing」「JanJan」のアクセス数をAlexaで表示して比較してみた。(図はクリックすると大きくなります)

Ohmy_access

こうなるとどんな話題性でもいいから欲しいところであり、「スクープ」でなくても、スキャンダラスな要素であっても欲しいところであろう。

しかし、ここで忘れられている重要な視点がある。これはオーマイに限ったことではないのだが「ネット広告の効果」についての話である。アクセス数の少ないサイトは、確かに広告効果がないことは言うまでもない。そのサイトを訪れる絶対母数が不足しているのだから、こういうサイトには広告は入らない。それは当然である。

では、アクセス数が多ければいいのか。否。アクセス数と広告効果は比例するとは言えない。それは広告には「好感度」という視点があるからである。

ユーザーは訪れたサイトに貼ってあるバナーを、どんなときにも一律にクリックし、均一に商品を購入するわけではなく、好感度の高いサイトに張ってある広告には反応し、好感度の低いサイトの広告には反応は鈍くなる。これは、実証的なデータを探すことは今ちょっとできないでいるが、ユーザーは自分のサーフィン行為を考えてみれば容易に想像できることである。日常的に利用するスタートページなどのポータルは、基本的にはある程度の親近感や好感度を持っているサイトであることが普通だし、そういうサイトであるからこそ、クリック→クライアントの広告提示→時には購入という流れが生まれる。

一方、頻繁に訪れるが、自分が批判的であるサイト、あるいは反感を持っているサイトについて想像してもらいたい。

(例えば、私のサイトに張ってある広告からさいこたんが、何らかのCDを購入するなどということがあるであろうか?あるいはその逆は?答は言うまでもなかろう。あるいは事件後のライブドアポータルを考えてもらえばいい)

つまり広告効果は、そのサイトへの好感度が重要な判断基準になるのであり、アクセス数に単純比例するわけではないということは、広告の基本を学んだものであれば、誰でも知っている。それを考えれば、スキャンダラスな要因で一時的にアクセス数が増えても、それよりも遥かに「好感度」をゲットしていると思われる他サイトに広告出稿したほうが、企業は多くの広告効果を期待できる。それは広報関係者には釈迦に説法である。

この観点から考えると、ここまで様々な批判が顕在化しているオーマイの直面している問題は深刻であることが、改めてわかってくる。鳥越編集長は、ネットジャーナリズムというもののビジョンを根本的に誤解しているように私は思っているが、コマーシャリズムの根本の原理にも気がついていないように思える。そうでも考えないと、数々の挑発的かつ軽率な発言は理解できない。

ここまでの「匿名」コメント者への一律的かつ無作為な批判は、そうとでも考えないと理解できないし、来年は相当の体制変革を行わない限り、オーマイニュースの将来は暗いように思える。

2006 12 17 [経済・政治・国際] | 固定リンク | コメント(14) | トラックバック

December 14, 2006

「黄泉の犬」(藤原新也)を読んでいく(2)--腐臭の隣に多くの死があった

Hujiwara2


藤原新也が「東京漂流」を書き溜めていた80年代後半・バブルの時代。彼が、凄まじい勢いでバブル経済の狂乱状態へと生き急いでいく東京の裏側に、ぽっかりと口を開けた不気味を撮影して歩いている頃、僕は東京で広告プロダクションにあり、折からの博覧会ブームの中で、血走った生活を送っていた。

1985年の「つくば博覧会」はそうしたバブルの喧騒の序曲として幕を揚げたような博覧会だった。入場者数は大阪万国博の6422万人には及ばなかったものの、実に2205万人を記録した。

毎週、金曜の夜には、僕は深夜の常磐道を同僚と一緒に筑波へと走る車中にいた。会社が某企業のパビリオンの運営を丸ごと請け負い、会社は沸きに沸いていた。金曜夕方になると僕たちは経理から1人50万くらいの札束を適当な名目で受け取り、各々がポケットに詰め込んだ。20代の若造がポケットにねじ込んだ大金を、きれいに1週間もしないうちに使って帰ってくる。それでも何億という仕事を受けているのである。会社もうるさくは言わなかった。使いすぎたときは次の給与を全部差し出して清算し、その代わりに次の仮払をもらった。都内の移動は全てタクシー。仕事では何ヶ月も電車にすら乗らないことがあった。

では、僕たちは豊かであったのかと言えば、断じてそれは違ったと思う。残業代もろくに払われない安給料の職場。待遇は最悪だったし、精神はいつもぎりぎりの緊張に晒されていた。だが、金はあった。というか「出た」。もしも金に色が、そして匂いがあったとすれば、おそらくあの頃僕らが手にしていた金は腐臭を放っていたはずだ。常磐道を疾走する深夜の車の中では、耳をつんざくような音楽がいつも鳴っていた。あの狂乱の時代の記憶を思い起こすたびに、それは僕の耳に蘇り、その「匂い」を思い出すような気がする。

そして、人の死はそのすぐそばにあった。

とにかく、多くの人が死んでいった。僕たちが仕事をもらっていた、大手広告代理店のファッション関連のクライアントを持つ社員は、日曜日に出社した上で、会社の中庭に飛び降りて死んだ。月曜の朝、社長からそれを聞かされた僕たちは騒然となったが、仕事を止める事は誰もしなかった。というかできなかった。緘口令が敷かれ、おそらくだれも葬儀にも行かなかったと思う。止める事のできない圧倒的な量の仕事の前には、それが当たり前だった。彼はおそらく何かを伝えたかったのだろうが、それを考えることは皆が自ら封印した。

あるいは九州の巨大テーマパークの準備期に、2名が自殺で立て続けに死んだ。その知らせを聞いた時も、陽が落ちた頃、地平線まで延々と繋がる膨大な工事車両と人の列を見ていると、遠い昔、王墓を作る奴隷の群れが彼方まで繋がっている風景を見ているかのように思えた。人が自ら死を選んでも、その日の夕暮れの空は、変わらず美しかったのである。そんな感想しか持てなかった。

この頃の死は、経済的苦境によるものであることは少なかったように思う。では何が原因かといえば、疾走する経済の速度、そして地獄のように襲い掛かってくる激務の前に、力尽きて死んでいったという感の人が多かった。過労死であったり、ノイローゼであったり。自殺者の数は、今でも年間3万人以上と言われるが、この頃の死と、現在のそれとは、ずいぶんと位相が異なっていたのではないか。

そして、そうした死を僕たちはじっくりと見つめることはなかった。死に足を止め、死の匂いを嗅ごうとしても、その周りには無数の「黄金の腐臭」が立ち込めており、死の前に花を手向け、瞑想する僅かな時間さえも許されなかったように思う。

経済は確かに僕たちから死を隠蔽していたが、死だけではなく、おそらく多くのものを隠蔽したのだろう。もしも藤原新也が「東京漂流」で、80年代後半の東京で「何かを探そうとしていた」側であるとすれば、確実に僕は「何かを隠そうとする側」に立っていたのだろう、それに「加担した」と思う。だが、それがわかるまでには、さらに時間を必要とした。

やがて経済は、僕たちに確実な「終わり」を告げた。1989年12月29日大納会に38,915円の水準を記録した日経平均株価は90年10月1日に20,221円に暴落した。わずか9ヶ月の期間に48%の株価下落が生じたという、世界でも例を見ない大崩落が始まったことになる。仕事は瞬く間に消えうせた。僕の勤めていた会社もいつか潰れたと聞く。

そうやって僕は、いや日本人は、あの年・1995年へと向かっていったのだと思う。

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December 12, 2006

「黄泉の犬」(藤原新也)を読んでいく(1)--心を屠られるということ

Yomid

午後、偏頭痛が酷くなって、たまらずオフィスを抜け出した。いろいろ書籍チェックもしなければという口実を自分に与えて、まず薬局で頭痛薬を買い、スターバックスが売り場の一隅にある新宿の本屋でしばらく気絶することにする。いろいろ頑張ったので、気絶するくらいはいいだろうと気絶を始めると、目に留まった本がある。

「黄泉の犬」

藤原新也が、「黄泉の犬」の読者からの手紙に対して、オウム真理教を擁護し、オウム真理教事件を「小市民が起こした犯罪」とまでの表現で日記に掲載したという話を耳にして以来、麻原の兄を取り上げたというこの本が、ずっと気になっていた。

いわゆる私たちが認識しているオウム真理教とその犯罪は麻原とその信者が起こした事件であるとともに、小市民が起こした事件でもあると私は認識しております。つまり小市民も迂遠して殺人を犯しているということ。ジム・ジョーンズ率いる人民寺院の信者たちが起こしたガイアナでの集団自殺もそうですが、世界の宗教集団がカルト化し、攻撃的に変容するか自傷化するかの過程には必ずこの小市民による根拠のない迫害がその芽を作っております。オウム真理教の場合もその例外ではありませんでした。(Shinya talk 新興宗教と市民

今の自分にとって、確実に読まなければならぬ本であるとは知りながらも、この気絶から覚めたか覚めないかわからぬ精神状態で読むのもきついとは思った。が結局思い切って読み始める。久しぶりの藤原新也の「世界」が、体調かんばしくない身には、冬の朝飲む熱いレモネードのような、しかし甘くはない液体のように注がれていく。いつしか頭痛は忘れるが、それとは違う想念が、記憶が蘇ってくる。

それは「黄泉の犬」を論じる前に、避けては通れない思念と言ってもよく、我々の世代にはある一時期カリスマであったと言っても過言ではない、この写真家の「死の概念」を知るための思念だ。その思念を辿らないことには、この本は読めないと思った。少々遠回りだとしても。

従って、「黄泉の犬」を評する前に、藤原新也に関する記憶をなぞってみることにする。それはおそらく自分の中のある時代の糸をほぐすことにもなるはずだ。

「黄泉の犬」のカバーに使われているのは、忘れようとしてもおそらく生涯忘れることのできないあの写真である。

写真週刊誌FOCUSが創刊された頃、サントリーとのタイアップ頁で掲載された、ガンジス川のほとりで人を食らう犬。そこには藤原の文があって「人喰えば鐘が鳴るなり法隆寺」と記載されていた。当然ながらサントリーが強烈なクレームを入れ新潮社は説得出来なかったのか始まったばかりの連載は終わった。あの時代のサントリーの勢いを思えば、確信犯としても、藤原にも、藤原を取り巻いていた広告・出版関係者にも、ある強烈なイディアがあったとしか思えない。それが商業主義社会にあっての仕組まれた「狂気」だったといえばその通りであろうが。

1990年に発行された彼の「メメント・モリ」に再びこの写真は掲載された。さらにその写真にはこう付された。

「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ」

 ある日の夕刻、彼はガンジス川の中州に立ち、遠くに犬の群がるのを見ていた。望遠レンズで覗くとそれは砂州の淵に流れ着いた水葬死体を犬の群が食べている光景だった。無人の砂州の中で彼は自分も襲われるのではないかと殺気を感じた。しかし写 真を撮ってのち近づき光景をじっと見つづける。しばらくして彼は自分の心の状態が変化しはじめるのに気づく。経験したことのないような安らかな気分が彼を包み込んだのだ。(藤原新也オフィシャルサイトより)

この写真を最初に見たとき、体の奥底から吐き気のするような衝動がこみ上げてきたが、その衝動を当時の自分は是とすることができなかった。是ともできず、非ともできず、その自分の身の置き所がないような、不愉快で捉えがたい気持ち、それを自覚している自分への嫌悪感。それは死者への冒涜だとか、タブーだとか、そういう言葉を思いつく自分の卑俗さへの、抗しがたい嫌悪感だった。つまり写真の映像ではなく。

生きていくこと、そして死んでいくこと。土にのたれていくこと、朽ちていくこと、その極彩色の鮮やかさとどぎつさ、そして胸が悪くなるような現実を盛り込んだこの写真集の中で、命と命の一瞬の交錯としてガンジス河畔の夕刻をに捉えたこの写真は、僕の胸の中で、言うならば硬質の結晶のように凝固した。そしてそれは、そのまま今でも溶けないで胸に留まっている。この「凝固したもの」を僕は何と呼べばいいのか、あるいはどのようにして溶かすべきなのか、溶かさぬべきなのか、その言葉がいつか自分に降りて来るのか来ないのかも何もわからなかった。はっきりとは見えない薄暗がりで、確実に人を屠る犬の写真は、そんな自分の根源的な不安をかき立てた。

あの夕暮れの、一瞬の生と死の邂逅の映像。

心を屠られるような不安はどこへ繋がっていくのか。

  • メメント・モリ(Memento mori)は、ラテン語で「自分が(いつか)必ず死ぬことを忘れるな」という意味の警句である。日本語では「死を想え」「死を忘れるな」などと訳される事が普通。芸術作品のモチーフとして広く使われ、「自分が死すべきものである」ということを人々に思い起こさせるために使われた。(Wikipediaより)

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December 04, 2006

堀江貴文の「サンデープロジェクト」出演について

3日・日曜日の朝、テレビをつけたら「サンデープロジェクト」に堀江が映っている。あれ?事件前の録画かなと思ったら、生だった。この時期のテレビ出演はないと思っていたので驚いた。座りなおす。

発言の主要部分と思われる箇所を少し。

堀江:彼(宮内)は早く終わらせたいから。多分、否認できると思うんですよ。僕は強制捜査されたときから何でこんなんでやられてるのか分からなかったから、こんなの認めたらアホでしょみたいな話だったわけですよ。彼なんかはやられちゃったものはもう仕方ないからさっさと認めて早く終わらせて忘れられようと思ってるんだと思いますよ。頑張ろうと思えば頑張れたと思うんすけど、一番最初に落ちちゃったみたいですからね。

堀江:(投資事業組合の金の流れについて)いや、それはこんなのを粉飾だということ自体がまずおかしいよという話です。そもそも我々、投資事業組合、僕が知ってる知らないは別として、客観的事実を前提にしても、これはファンドにまず実態があってダミーなんていうものじゃないよと。(検察がダミーといっているのは)彼らの定義であって、我々は実態があると思っている。検察はライブドアのダミーだと言っているが、そうじゃなくて独立した存在であってライブドアが支配しているわけではない。まったく別個の存在であると。だから連結する必要ないでしょうと。連結をしてない会社からの分配金なんだからそれは売り上げに計上していいでしょうと。客観的事実についてもこれは粉飾ではないと言っているわけですよ。

田原:(宮内が)フェラーリに乗ってる事は知ってたの?

堀江:フェラーリに乗ってる事はライブドアの社員が「宮内さん最近フェラーリ買ったんすよ」みたいな話をしていて、あのフェラーリは宮内さんのなんだと。中村さんがフェラーリに乗っていた事は自慢していたから知ってたんですけどね。宮内さんは別の人から聞いて知って、後ろめたかったんでしょうね。

田原:これはプライバシーなので言いにくいけど、宮内さんって年収どのくらいだったのライブドアで。

堀江:事件の当時で2千万何百万ですよ。僕は3千万。僕より彼は扶養家族も多いしね、愛人も居るし。マンションもあるし、家も2つあるし。だから結構お金掛かってるんだろうなって思っていたわけですよ。僕より年収少ないのに何であんなに金回りいいんだろうとは思っていましたよ。だけどやっぱり税理士やってましたから、そのときのお客さんからの収入があるのかなと思っていたんです。不労所得みたいなのがあるのかなと。だからあんなリッチな生活してるんだろうなと。ベンツもいいのに乗ってるし、服もいい服着てるし、僕はスーパーで買ってきたみたいな服着てましたけど。そしたらこれだった納得ですよ。ビックリしました本当に。だってこれ以外にもあるんだもん。

田原:あえて聞きたい。仮に知らなかったとしても堀江さんは社長だったんだよね。社長っていうのはいろいろ知らないことはあってもやっぱり責任はあるんじゃないの?

堀江:そこがまた微妙な話なんですけど、知る努力っていうのを最大限私はいろんなところで監査法人にもお願いしてるし、リーガルチェックも弁護士さんにもお願いしてるしもう最大限の努力を私はしているわけですね。で、してる上で見逃してしまっていることはあると思うんですけど、まあ、そういう状況にあるということですね。そもそもこっちの37億の方は違法かどうかもまだわかんないわけですよ。検察は違法だって言ってますけど、こっちは合法だって言ってますから。公認会計士

田原:で、公認会計士たちも違法じゃないって言ってるわけですね。

堀江:ものすごく難しい仕組みなんですから、本当は。要は難しくって会計士だってこれが100%正しいっていう風に言えないんですよ。検察の言い分が100%正しいって言う事が出来ないくらい会計的な専門的なことなのに、しかも会計士が大丈夫って言ってるのに我々会計の素人が違法だ合法だの判断が出来るわけないじゃないですか、そもそも。

保釈中とは言え、刑事被告人がこの時期にテレビに登場して、事件の根幹をあれこれしゃべること自体が、かなり異例のことだろう。掘江の主張は、間接的にメディアに流されているように、宮内首謀説であり、代表取締役(CEO)である自分は、投資組合の件にしろ、宮内らの「背任行為」にしろ全く知らなかったというものである。このあたりは、逮捕された当時の動揺はすっかり収まっており、相当説得力の面では練ってきている印象を持った。

もちろん、企業の代表が企業で行われていたことを知らなかったで済むかという考え方はあるが、これは社会的通念であり、倫理的責任の部類に属する。堀江の主張は、宮内らが、私腹を肥やすために、堀江に内緒で私的な投資事業組合で利益を上げていて、その構造を正確に堀江に報告していないというものであり、それが認められれば、無罪の可能性どころか、今度は堀江が宮内を相手に、損害賠償の訴訟を提起する可能性すら考えられると思う。

さらに、投資事業組合を通じての売却益を、ライブドアの営業利益に付け替えた点においては、会計士ですら違法性を認識していなかったという主張をなしており、「会計知識において」素人の自分に、違法性の認識があるわけがなかったとしている。このあたりのグレー領域を、はっきり違法性の認識が会計士にも堀江にもあったはずだという論を組み立てないと、元来違法性の微妙な領域であるだけに、論外の主張として堀江の有罪を追い込んでいけるかどうか、今後の裁判の維持に危惧を感じる。
ライブドアへの強制捜査そものが、国家による意図的な「仕組まれた事件」であるとして、無罪認定など万一出た場合の検察の受けるダメージは計り知れない。国家賠償の問題すら浮上してくると思う。
その固めの点において、マスコミに流されている堀江の敗北イメージと法的議論の乖離次元で、いささかの不安を覚える、堀江の姿勢である。

しかし一方で。

田原:だけどもっと言えばね、結局自社株売却して堀江さん儲かってるんでしょ。

堀江:堀江さんは儲かってないですよ。損してますよ。だってこれ株式交換って仕組みが使われてるんですけど、株式交換すると僕の持ち株のシェアどんどん下がって行くんですよ。僕、今、十数%しか持って無いでしょ、ライブドア株。元々60%持ってたんですよ、上場したときは。それからどんどん一部売った分ありますけど、売った分なんて数%ですから、2~30%シェアが下がっているわけですよ。だから今何の力も無いでしょ、ライブドアに対して。それは株式交換の仕組みを使っているからなんですよ。だから僕の持ち株のシェア、どんどん下がって、僕は損してるんですよ。

田原:一般的には堀江さんだけが儲けたと言われてる。

堀江:だって、上場したとき僕の持ち株の価値、いくらあったか分かってます?500億くらいあったんですよ。今は多く見積もっても200億とかそんなもんじゃないですか。そんだけ価値下がってるんですよ、上場してから。

堀江が損失を被ったのは、単に株式交換で持ち株比率が低下した(堀江の主張によれば60%から十数パーセントに)からだけではない。一連の「不正操作」により検察の強制操作を招いたことにより、ライブドアの株価が急落したことにより株の価値が暴落したためでもあるのであり、このところをスルーして、持株比率の低下をベースに「損している」と主張するのは、巧みとも言えない、彼の「印象操作」である。こういうところを見ると、堀江という人間の本質は変わっていないなあと思わされる。

そのあたりはテレビ朝日の寺崎アナも感じたようで、以下のやりとりがあった。

田原:ちょっと、寺崎さん。ごめん今聞いててね、どんな感じ?

寺崎:堀江さん、依然とまったく変わってないな、という感じで。

田原:どういうこと?

寺崎:つまり拘置所の中で本をいっぱい読んで、人生見つめなおしたみたいな報道がありましたが・・・。

田原:300冊読んだって。

寺崎:基本的に今のお話を伺ってると反省というのは無いし、反省する必要ももちろん無いと思っているということですよね。

堀江:まあ、そりゃそうでしょうね。

寺崎アナの憤りもわかるが、読書や人生の話とは別次元の話である。(笑)この後、田原は盛んに 赤江珠緒アナにも堀江を信じられるか?と話を振るが、挑発に乗らない赤江の冷静な対応が目立っていた。

田原:赤江さん、今の話聞いてどう?

赤江:私、寺崎さんと逆になるんですけど、堀江さんの以前と話し方が変わって穏やかに話されているように感じるんですけど。それは心境の変化なのかな、と。

田原:言ってる事はわかる?堀江さんの話していることは分かる?

赤江:粉飾かどうかというそれはちょっと置いといてですね。なんか変わられたのかなという気もするんですけどね。

田原:じゃ、割りにいい気持ち?いい感じを持ってる?

赤江:いい感じ?う~ん、ご自身を前にして答えにくいですけどね。そのあたりは堀江さん、どうですか変わられてないですかね?




【追記・参考リンク】
●ホリエモンTVで反撃(ライブドアニュース)
●YouTube-堀江貴文被告・サンプロ出演 ライブドア事件を語る(サンデープロジェクト)
●カテゴリー:ライブドア(BigBang)




2006 12 04 [ライブドア] | 固定リンク | コメント(5) | トラックバック