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December 14, 2006

「黄泉の犬」(藤原新也)を読んでいく(2)--腐臭の隣に多くの死があった

Hujiwara2


藤原新也が「東京漂流」を書き溜めていた80年代後半・バブルの時代。彼が、凄まじい勢いでバブル経済の狂乱状態へと生き急いでいく東京の裏側に、ぽっかりと口を開けた不気味を撮影して歩いている頃、僕は東京で広告プロダクションにあり、折からの博覧会ブームの中で、血走った生活を送っていた。

1985年の「つくば博覧会」はそうしたバブルの喧騒の序曲として幕を揚げたような博覧会だった。入場者数は大阪万国博の6422万人には及ばなかったものの、実に2205万人を記録した。

毎週、金曜の夜には、僕は深夜の常磐道を同僚と一緒に筑波へと走る車中にいた。会社が某企業のパビリオンの運営を丸ごと請け負い、会社は沸きに沸いていた。金曜夕方になると僕たちは経理から1人50万くらいの札束を適当な名目で受け取り、各々がポケットに詰め込んだ。20代の若造がポケットにねじ込んだ大金を、きれいに1週間もしないうちに使って帰ってくる。それでも何億という仕事を受けているのである。会社もうるさくは言わなかった。使いすぎたときは次の給与を全部差し出して清算し、その代わりに次の仮払をもらった。都内の移動は全てタクシー。仕事では何ヶ月も電車にすら乗らないことがあった。

では、僕たちは豊かであったのかと言えば、断じてそれは違ったと思う。残業代もろくに払われない安給料の職場。待遇は最悪だったし、精神はいつもぎりぎりの緊張に晒されていた。だが、金はあった。というか「出た」。もしも金に色が、そして匂いがあったとすれば、おそらくあの頃僕らが手にしていた金は腐臭を放っていたはずだ。常磐道を疾走する深夜の車の中では、耳をつんざくような音楽がいつも鳴っていた。あの狂乱の時代の記憶を思い起こすたびに、それは僕の耳に蘇り、その「匂い」を思い出すような気がする。

そして、人の死はそのすぐそばにあった。

とにかく、多くの人が死んでいった。僕たちが仕事をもらっていた、大手広告代理店のファッション関連のクライアントを持つ社員は、日曜日に出社した上で、会社の中庭に飛び降りて死んだ。月曜の朝、社長からそれを聞かされた僕たちは騒然となったが、仕事を止める事は誰もしなかった。というかできなかった。緘口令が敷かれ、おそらくだれも葬儀にも行かなかったと思う。止める事のできない圧倒的な量の仕事の前には、それが当たり前だった。彼はおそらく何かを伝えたかったのだろうが、それを考えることは皆が自ら封印した。

あるいは九州の巨大テーマパークの準備期に、2名が自殺で立て続けに死んだ。その知らせを聞いた時も、陽が落ちた頃、地平線まで延々と繋がる膨大な工事車両と人の列を見ていると、遠い昔、王墓を作る奴隷の群れが彼方まで繋がっている風景を見ているかのように思えた。人が自ら死を選んでも、その日の夕暮れの空は、変わらず美しかったのである。そんな感想しか持てなかった。

この頃の死は、経済的苦境によるものであることは少なかったように思う。では何が原因かといえば、疾走する経済の速度、そして地獄のように襲い掛かってくる激務の前に、力尽きて死んでいったという感の人が多かった。過労死であったり、ノイローゼであったり。自殺者の数は、今でも年間3万人以上と言われるが、この頃の死と、現在のそれとは、ずいぶんと位相が異なっていたのではないか。

そして、そうした死を僕たちはじっくりと見つめることはなかった。死に足を止め、死の匂いを嗅ごうとしても、その周りには無数の「黄金の腐臭」が立ち込めており、死の前に花を手向け、瞑想する僅かな時間さえも許されなかったように思う。

経済は確かに僕たちから死を隠蔽していたが、死だけではなく、おそらく多くのものを隠蔽したのだろう。もしも藤原新也が「東京漂流」で、80年代後半の東京で「何かを探そうとしていた」側であるとすれば、確実に僕は「何かを隠そうとする側」に立っていたのだろう、それに「加担した」と思う。だが、それがわかるまでには、さらに時間を必要とした。

やがて経済は、僕たちに確実な「終わり」を告げた。1989年12月29日大納会に38,915円の水準を記録した日経平均株価は90年10月1日に20,221円に暴落した。わずか9ヶ月の期間に48%の株価下落が生じたという、世界でも例を見ない大崩落が始まったことになる。仕事は瞬く間に消えうせた。僕の勤めていた会社もいつか潰れたと聞く。

そうやって僕は、いや日本人は、あの年・1995年へと向かっていったのだと思う。

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Comments

こんにちは。
すっかりご無沙汰しております。
完全に生活がグダグダになっているもので。

頭痛の方は大丈夫ですか?
お体には十分お気をつけ下さいね。

えっと、「黄泉の犬」は読んでいないのに
コメントしてしまってすいません。

「黄金の腐臭」の時代を駆け抜けたBigBangさんのお話が、
あまりに生々しい迫力を持っていたため、
思わず何か書き残したくなりました。

続きを楽しみにしています。

それでは。

お久しぶりです。ロースクールの方、頑張っていらっしゃるようで、時々覗かせていただいています。このエントリーは「黄泉の犬」を借りて、結局バブルとオウムの話を書こうと思って始めたんですが、先が見えていません。笑

どうなることか。

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