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December 31, 2006

年末にあたって----また矮小な時を積み重ねて

End_year


(このエントリーは年末ということで異例ですが、「BigBang」「AnotherB」両ブログにアップします)

正真正銘の年末である。にも関わらず、何か総括的なエントリーを書く気分になれないでいた。あまりにもいろんなことを解決しないで、来年に持ち越してしまいそうな気がする。私的な面でも、仕事の面でも。
こういうときには、日々は淡々と粛々と、テンションを変えずに続いていって欲しい。年の終わりだとか始まりだとか「メリハリ」もつけず、「ハレ」も挟まず、ただ粛々と昨日と同じ日々が流れるだけでいい。その流れの中で解決していきたいこと、けりをつけていきたいことが多すぎる。などと述懐するといかにもワタシらしい暗い展開であるが。

そんな中にあって、フセイン大統領が電撃的に死刑執行されたというニュースが、大晦日の朝刊を大きく飾った。最後には死刑は免れないだろうと思って見ていたが、これほど早いとは思わなかった。まだ裁判に数年要するだろう、聞き出すべき情報もまだあるのだろうと漠然と思っていた。
数々の未決事項の中で、1982年にイラク中部ドジャイルでイスラム教シーア派住民を虐殺した人道に対する罪のみが問われ、死刑判決から4日間でのスピード執行である。
銃殺刑を主張した本人の意に反して実行された絞首刑の模様は、全世界に送られ、インターネットには彼の体が執行台の奈落に落ちていく瞬間の映像までが配信されている。

しかし「人道に対する罪」とはなんだろうか。国際法から、米国主導で都合のいい部分を切り貼りして維持された裁判であったと言われたが、一体どこからが「人道に対する行為」で、どこまでが「人道的」なのだろうか。何人以上殺したら人道に対する罪なのだろうか?それとも殺し方が残虐であるかどうかで区別するのだろうか?敗者に人道が問われるのに、なぜ勝者には人道が問われないのだろうか?
問いかけてもその答が今の世界にはないことを僕たちは知っている。いや本当は世界はその答を知っているのかもしれないが、あなたや私の前で口にすることはないと言ったほうがいいだろうか。

奈落に落ちていくサダム・フセインの最後の姿を見送り、ただ彼が、とてつもない極悪人であったのだ、これでよかったのだと思い込むことで、たった今目の前に届けられた残虐行為をスルーして、世界の大半は納得してそれでも新しい年へと向かおうとしている。


おそらく「普通の人生」をおくる私たちの大半には、彼のような絶頂と栄枯と転落、絶望を渾然としたような激しい運命は永久に訪れないのだろう。日々は鬱々と延々と続いていく。嫌というほどのエンドレスな繰り返し。

その中で生きる私たちは互いに、手を伸ばせば理解できるはずの、微妙な距離にありながらも、その微妙さに苛立ち、怒り、誤解し、攻撃してそれでも卑近な日常をまた生きていくのだろう。
しかし、それはきっとどこかで繋がっているのだと思う。無数の矮小な日常の中で起きるひとつひとつの些細な事象が、いつか互いに繋がって、互いにどこかで呼応しあって、とてつもない残虐ととてつもない慈愛の両方にいつか繋がっていくのだと。だから、ひとつひとつの日常のディテールを、しっかり大事にして行こうと。そこから生きていくしかない、それを自分のエネルギーにしていくしかないのではないか。

この小さく頼りない窓から見える風景を、見逃さないで目を逸らさずに、矮小に、また時を積み重ねて生きていくしかないのではないか、と。

#2007年には「グアンタナモ、僕たちが見た真実」という映画が公開される。ぜひ観に行きたいと思っている。

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最後に。

これで今年の「BigBang」「AnotherB」の両サイトの最終エントリーにしたいと思います。ブログを始めて2年半余。今年は「ブロガーとしての僕」(そういう言い方は好きではないが)にとっては、非常に大きな変化と、激震に遭遇した年でした。どこへ突き進んでいってしまうかわからない船のような、右へ左へ揺れ動く不安定な状態の中、読んでいる人を和ませることもおそらくほとんど出来なかったと思う。おそらく2つのブログの周りには、人を倦ませるような空気が満ちていたのではないかと思う。ネットの深さと恐ろしさも改めて知ることになった年でもあった。今年1年、こんなワタシに呆れながらも最後までつき合ってくれた皆様、どうもありがとう。来年は今年の厳しかった状況からのギフトを忘れないようにしながら、少しずつでも歩いていきたいと思います。

今年関わった全ての人たちが、幸福な年を迎えられることを。
そして今年通じ合えなかった人たちとは、通じ合える年になれることを。

来年もよろしくお願いします。

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