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December 12, 2006

「黄泉の犬」(藤原新也)を読んでいく(1)--心を屠られるということ

Yomid

午後、偏頭痛が酷くなって、たまらずオフィスを抜け出した。いろいろ書籍チェックもしなければという口実を自分に与えて、まず薬局で頭痛薬を買い、スターバックスが売り場の一隅にある新宿の本屋でしばらく気絶することにする。いろいろ頑張ったので、気絶するくらいはいいだろうと気絶を始めると、目に留まった本がある。

「黄泉の犬」

藤原新也が、「黄泉の犬」の読者からの手紙に対して、オウム真理教を擁護し、オウム真理教事件を「小市民が起こした犯罪」とまでの表現で日記に掲載したという話を耳にして以来、麻原の兄を取り上げたというこの本が、ずっと気になっていた。

いわゆる私たちが認識しているオウム真理教とその犯罪は麻原とその信者が起こした事件であるとともに、小市民が起こした事件でもあると私は認識しております。つまり小市民も迂遠して殺人を犯しているということ。ジム・ジョーンズ率いる人民寺院の信者たちが起こしたガイアナでの集団自殺もそうですが、世界の宗教集団がカルト化し、攻撃的に変容するか自傷化するかの過程には必ずこの小市民による根拠のない迫害がその芽を作っております。オウム真理教の場合もその例外ではありませんでした。(Shinya talk 新興宗教と市民

今の自分にとって、確実に読まなければならぬ本であるとは知りながらも、この気絶から覚めたか覚めないかわからぬ精神状態で読むのもきついとは思った。が結局思い切って読み始める。久しぶりの藤原新也の「世界」が、体調かんばしくない身には、冬の朝飲む熱いレモネードのような、しかし甘くはない液体のように注がれていく。いつしか頭痛は忘れるが、それとは違う想念が、記憶が蘇ってくる。

それは「黄泉の犬」を論じる前に、避けては通れない思念と言ってもよく、我々の世代にはある一時期カリスマであったと言っても過言ではない、この写真家の「死の概念」を知るための思念だ。その思念を辿らないことには、この本は読めないと思った。少々遠回りだとしても。

従って、「黄泉の犬」を評する前に、藤原新也に関する記憶をなぞってみることにする。それはおそらく自分の中のある時代の糸をほぐすことにもなるはずだ。

「黄泉の犬」のカバーに使われているのは、忘れようとしてもおそらく生涯忘れることのできないあの写真である。

写真週刊誌FOCUSが創刊された頃、サントリーとのタイアップ頁で掲載された、ガンジス川のほとりで人を食らう犬。そこには藤原の文があって「人喰えば鐘が鳴るなり法隆寺」と記載されていた。当然ながらサントリーが強烈なクレームを入れ新潮社は説得出来なかったのか始まったばかりの連載は終わった。あの時代のサントリーの勢いを思えば、確信犯としても、藤原にも、藤原を取り巻いていた広告・出版関係者にも、ある強烈なイディアがあったとしか思えない。それが商業主義社会にあっての仕組まれた「狂気」だったといえばその通りであろうが。

1990年に発行された彼の「メメント・モリ」に再びこの写真は掲載された。さらにその写真にはこう付された。

「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ」

 ある日の夕刻、彼はガンジス川の中州に立ち、遠くに犬の群がるのを見ていた。望遠レンズで覗くとそれは砂州の淵に流れ着いた水葬死体を犬の群が食べている光景だった。無人の砂州の中で彼は自分も襲われるのではないかと殺気を感じた。しかし写 真を撮ってのち近づき光景をじっと見つづける。しばらくして彼は自分の心の状態が変化しはじめるのに気づく。経験したことのないような安らかな気分が彼を包み込んだのだ。(藤原新也オフィシャルサイトより)

この写真を最初に見たとき、体の奥底から吐き気のするような衝動がこみ上げてきたが、その衝動を当時の自分は是とすることができなかった。是ともできず、非ともできず、その自分の身の置き所がないような、不愉快で捉えがたい気持ち、それを自覚している自分への嫌悪感。それは死者への冒涜だとか、タブーだとか、そういう言葉を思いつく自分の卑俗さへの、抗しがたい嫌悪感だった。つまり写真の映像ではなく。

生きていくこと、そして死んでいくこと。土にのたれていくこと、朽ちていくこと、その極彩色の鮮やかさとどぎつさ、そして胸が悪くなるような現実を盛り込んだこの写真集の中で、命と命の一瞬の交錯としてガンジス河畔の夕刻をに捉えたこの写真は、僕の胸の中で、言うならば硬質の結晶のように凝固した。そしてそれは、そのまま今でも溶けないで胸に留まっている。この「凝固したもの」を僕は何と呼べばいいのか、あるいはどのようにして溶かすべきなのか、溶かさぬべきなのか、その言葉がいつか自分に降りて来るのか来ないのかも何もわからなかった。はっきりとは見えない薄暗がりで、確実に人を屠る犬の写真は、そんな自分の根源的な不安をかき立てた。

あの夕暮れの、一瞬の生と死の邂逅の映像。

心を屠られるような不安はどこへ繋がっていくのか。

  • メメント・モリ(Memento mori)は、ラテン語で「自分が(いつか)必ず死ぬことを忘れるな」という意味の警句である。日本語では「死を想え」「死を忘れるな」などと訳される事が普通。芸術作品のモチーフとして広く使われ、「自分が死すべきものである」ということを人々に思い起こさせるために使われた。(Wikipediaより)

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Comments

まだ前半の80ページくらいまでしか読んでいないので、『黄泉の犬』全体については、まだ書けないけれど…

FOCUSの仕事で有名なのは、川俣軍司(深川通り魔殺人事件)の写真を撮ったときのエピソードとか、神奈川金属バット両親殺害事件の家の写真かな。

松本伊代に1週間密着取材した仕事が、一番印象に残っている。
今風にいえば「伊代ちゃんが食べたものを淡々と記録するよ」

「メメントモリ」「乳の海」あたりまでは好きだった。
モデルを使っての写真集あたりは、ひいたかも

>倫敦橋さん

ども。圧巻は前半ですかね。後半は・・うーん・・という感じです。藤原新也は僕も乳の海あたりまでですね。「アメリカ」あたりからは熱も冷めた。今回久しぶりに読み始めました。

松本伊代のは知りませんでした。「神奈川金属バット両親殺害事件の家の写真」は克明に覚えています。「淡々と記録するよ」の手法で撮っているんですが、彼は言葉が映像に宿っていますので、ある意味「雄弁」で異様な写真だったと思います。

「伊代ちゃんが食べたものを淡々と記録するよ」は金属バットの家と同時期の奴で、
FOCUSじゃなくてアサヒカメラ増刊だったかな? 
金属バットの家を「ケーキの家みたい」と評していたと思うけれど、それと同系統です。
食べ物がまるでビーズのアクセサリーとか、お菓子のように見えた。

『黄泉の犬』前半は、かなりがっかりした。
砂漠の民とか放浪という直感だけだし、役所で調査したといっても「行政の壁は厚い」ですませてるし…

>『黄泉の犬』前半は、かなりがっかりした。

おや。そうでしたか。倫敦橋さんは、ものすごく実証的だからなあ。藤原新也はそれに対してまさに「ほのめかしの巨匠」ですからねえ。w

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