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December 22, 2006

「黄泉の犬」(藤原新也)を読んでいく(3)--あの年の記憶

地下鉄サリン事件(ちかてつサリンじけん)は、1995年3月20日に東京都の地下鉄でカルト新興宗教のオウム真理教が起こした無差別テロ事件である。毒ガスのサリンが散布されて死者を含む多数の被害者を出し、日本の社会に大きな衝撃を与えた。(Wikipedia)

あの年の記憶ははっきりしない。その年までの狂乱のバブルの記憶が思いのほかはっきりしているのに、1995年の記憶は、元旦の読売新聞のスクープ、燃える神戸、そしてカナリア。それから・・・それから?それから?

なぜか記憶がすっぽりと抜けている。

ようやく意識に上がってくるのは、気がつけばテレビの映像の中に、見慣れた大学時代の同級生の女性がいつの間にか座っていたことである。彼女が卒業後、メディアの冷淡に、そして世間の冷淡にまみれていた頃、僕はやはり拭いようの無い冷淡の海の中でもがいていた。ようやく海面から頭を出した頃、目を疑う光景。通いなれた東銀座の駅の惨状。そして19歳の頃から大学で席を並べた女(ひと)の顔が、そこにあった。そしてその顔は、僕の知っているその人の表情ではなかった。別の心がそこに降りていた。

人はどうやって、欠損を埋めていくのだろう。人はどうやって、生まれながらに決められた運命のようなものを超えていくのだろう。あるいは超えていけないのだろう。そして神(のようなもの)はなぜ、ある人にある場所に立たせるのだろう。人の死は、死をもってまでして、その人を「その場所」に立たせる。それは、本当になぜなのだろうか。

次に気がついたときには、テレビの中の麻原は埃だらけの紫のクルタのまま、穴倉から引きずり出され、車に乗せられていた。報道は東銀座から程近い、喫茶店で馴染みの代理店の営業と一緒に見つめていた。

代理店の彼は間抜けのように「あ・・・」と言ったまま、テレビを見つめてそのまま長い間立とうともしなかった。彼のコップを持った手は微かに震えていた。僕はそのとき思い出した。サリンが撒かれたあの駅を、わずか2日前に僕は通ったこと。そしてそれは彼の会社に打ち合わせに出向くためであったことを。しかし僕たちはそのことを語り合うことはその後もなかった。ずっとだ。

東銀座の駅の前に大量に横たわっていた人々は?人々は?

あるとき。ある瞬間。人をその場所に立たせること。ある時間に特定の場所に立たせること。それは誰が何のために、どのような力でなし得るのだろうか。あなたはなぜその場所にいたのか。あなたはなぜその場所にいなかったか。答は出ない。永遠に。それはわかっているが尚、それを考え続けないではいられない。それがはたから見ればどんなに馬鹿げた所為だとしても、だ。

「率直に言わせてもらいます。よろしいでしょうか」
「なんや」
「弟の智津夫さんの目の疾病は水俣の水銀のせいじゃないのかって。そんな風に想像してしまったんです。実を申しますと僕が満弘さんのところをお訪ねしましたのは、その1点をお伺いしたかったからです」

満広はその言葉を聞くと止まったまま手に持つコップをちゃぶ台の上にそっと置く。閉じた瞼が震えるように微動している。

瞼の裏の闇の彼方の何かに思いを馳せるように。
沈黙が時を刻む。
不意に満弘は息子の名を呼ぶ。
息子が現れると「ちょっと1時間ばかり外に行っとれ」と威圧的な声で言う。
息子が出て行き、通りの木戸を閉める音が聞こえる。
それから少し間をおいて後、満弘は重い口を開く。

「・・・・・フジワラさん」
満弘の閉じた瞼の裏の視線が正面の私に向かっている。
「はい」
「よう、そこにお気づきになったなあ」
満弘は穏やかな小さな声で言う。

(黄泉の犬 静かな朝の証言)

水俣。

その「秘密」の暴露が一体何になるというのだろう。

いやそれ以前に我々は、我々の受けた衝撃を正しく受け止めているだろうか。我々が受けた衝撃は、直接空気中に散布された、あのサリンという名を冠された薬物の、その中にのみあったのだろうか。それともそれを浄化すると称して、同じ組織が道路1本隔てたところで作っていたというコスモクリーナーの、あの物々しき形状の中に、あるのだろうか。あるいはあの張子のシバ神の・・・。

否。否。

思うものは思い続け、迷うものは迷い続ける。そして藤原新也もまた、松本満弘の作り出した長い長い沈黙と、それに続く言葉、そして自らの印度放浪の記憶の中に、1995年を思っていたはずである。それはわかるが、一体その記憶が何を生むというのだろう。仮に松本智津夫、否麻原の眼が水俣の害毒に侵されていたとして、それによって何が変わるのだろうか。変わらないのだろうか。

藤原新也は、インドを放浪していたとき、その頃さまよっていた欧米の若者と明確に線を引いていたことがあるという。それは、インドにあってなお、インドに飲み込まれないことであり、道端の祭にすら「帰依」しないことである。頑なまでに。

これは今では笑い話として語ることができるのだが、この青年がいかに宗教的なものに1人で抵抗していたかを物語る他愛のない話がある。(黄泉の犬 そこから世界がはじまる)

藤原新也は、インドのここかしこで繰り広げられる「ホーリーの祭」(色のついた水や絵の具を誰彼と無くかけ合う)にすらひたすら頑なに背を向け、どんなことをしても絵の具を掛けられまいと「毎年警戒を怠らなかった」

他愛のない話である。
しかし、この出来事は青年がそういった種類の変わった情熱を持って旅をしていたことを理解するにはかっこうの出来事であるように思う。その情熱とは信じられるものしか信じないといういたってシンプルな情熱であり、そういった熱い気持ちが、世界に対する冷たく醒めたまなざしと妙なかたちで私の中に同居していた。(同上)

さらに藤原新也は、インドの山中で遭遇したフランス人青年の「空中浮遊」について筆を進めている。

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Comments

http://sky.ap.teacup.com/applet/takitaro/20061129/archive

上記の私のこの本についての見解が出してあります。
ご参考までに。

先生、読んでいただいてどうも。サイトの記事も拝見しました。こちらも続編を書こうと思っていますが、参考になる記述が多くありました。取り急ぎ。

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