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March 25, 2007

「猫の神様」----失われていく命と性と「美しい文章」

Nekono_1


彼が死んだのは、暖かい春の陽射しが差し込む、穏やかな朝だった。10年と8ケ月一緒に暮らしたというのに、それはとてもあっけないお別れだった。

という一節から始まる東良美季の「猫の神様」は、アダルトビデオのライターをしながら一人で暮らす著者が、雨の夜に道に捨てられていたのを連れ帰り、10数年を共に暮らした「ぎじゅ太」と「みャ太」の2匹の猫の命、そして彼らの命が失われていくのをどうすることもできずに、ただ見つめる日々を、美しい文章でしたためた1冊である。

2匹のうちの1匹、ぎじゅ太が失われたとき、悲しみの中で筆者はこう書く。

神様からの預かりもの----。
神戸からの帰り、新幹線の窓を眺めてその言葉を思い出していた。
僕は神も仏も信じないけれど、猫の神様ならこの空のどこかにいるかもしれない。何となくそう思った。ぎじゅ太は独り寂しく暮らす僕に、猫の神様が一時期だ け預けてくださったものだった。だからあの雨の日に、まるで山から転がり落ちてきた子熊のように公園のゴミ箱の下にいたのだ。
新幹線の窓から見える空に向かい、心の中でそう呟いてみると、僕の身体を包んでいた薄い膜が少しだけ破れたような気がした。この空の果てで、ぎじゅは猫の神様に優しく抱かれて「ウーン」と言い、喉をごろごろと気持ちよさそうに鳴らしている。そんな光景が眼に浮かんだ。

この本を猫好きの孤独な男による単なる述懐や感傷と読むのは、おそらく正しくない。ここに描かれているのは、失われていく命に対峙する私たちの普遍的な心のようなものであり、その喪失を人はどうすることもできないという、やりどころのない不可解な悲しみである。

物語の後半、残ったもう1匹の猫「みャ太」を10ヶ月以上に渡って1人看病する筆者の孤独と不安、そして苦しみながら死んでいく「みャ太」が、表現のしようのない波となって気持ちを揺さぶる。そして、そういう悲しみをシャワーのように浴びせられている、「あなた」の心が見ているものは、きっと単なる「猫」ではない。もっと、奥の深いところ。1人で生まれてきて、そして去っていく一瞬の邂逅。この世界で生きていくことの不条理と、そこにある「あなた」自身の孤独が浮かび上がってくるはずである。

猫の命が失われていく傍らで、筆者はアダルトビデオを幾本も見て、その評論を書く。失われていく猫の命を見つめながら、片方で男と女の営みを見ながら原稿を書く。その違和感について苦痛をともなって告白している。

「ごめんな。俺が悪かったな」と言い、みャ太をベッドに寝かせ、飼い主はアダルトビデオを観てそのレビュー原稿を書く。正直、こんな時に男と女が絡まりあう画面を見るのはしんどい。でも、それが僕の仕事なのだ。AVを観て原稿を書き、また原稿を書く。こんな時でもしっかりと腹は減る。俺は本当に、バカのように健康だ。この食欲の十分の一でもみャ太にわけてやりたい。

生きていくことと死んでいくこと。その間に挟まった軋みのようなものを感じる。
共通するのは、単に「命」というものであって、それが「誰のものであるか」ということは別の話であるのだろう。人であるとか。猫であるとか。

実際、筆者の部屋には、何人かの女友達が現れては去っていくが、この2匹の猫の生と死の圧倒的な存在感の前には、その映像はおぼろげである。しかし、この本が不思議なのは、そうしたおぼろげな「彼女達」の存在すら、短くはあるがどこか生き生きと描き出していることである。

おそらく2匹の猫の向こうに数え切れないほどの命がある。その命の気配を感じる時間を、この薄い本1冊は、「あなた」に確実に与えてくれるだろう

「美しい文章」

そんな言葉が頭に浮かんで去らなかったが、筆者の友人であり、最近僕が注目しているブロガー、藩金蓮さんの「アダルトビデオ調教日記」(凄いタイトル)にこんな一節があった。

・・・・・「猫の神様」改めて読んで、しみじみと美しい文章だなぁと思いましたの。

 「巧い文章」というヤツは、ある程度の経験や努力で何とかなると思うんだけど、その技術に溺れてしまうと「どうだ!巧いだろ!感動しろ!」と上から読者を見下してしまうと思うんです。そうやって、読み手を馬鹿にして(書き手が無自覚にしろ)傲慢になってしまうと、それが文章からどうしてもにじみ出ると思うのよ。それは文章だけの話じゃないか。だから「昔は面白かったけれども、段々面白くなくなる」書き手とか、作り手というのが数多く存在するということは、そういうことだと思う。技術が磨かれれば磨かれるほど「面白くなくなる」とという怖い現象が存在するということは。

 だから「巧い文章」には私はあんまり魅力を感じない。へー、ふーん、上手どすなぁーと、感心はするけど、それだけ。それ以上のものは無い。

 でも「美しい文章」というのは、感心じゃなくって感動するものだと思うんです。じゃあ「美しい文章」というのは、どういうものなのかと具体的に述べよと言われたら上手く言えませんが、、、結局「魂」の入れ方なのかなぁとも思います。だからAVでも本でもそうなんですが、私的な恋愛が描かれたものに人々感動させる「名作」が生まれるのは「魂」が籠めやすいからなんでしょうね。 (「私の好きなあの人は、いい男です。」(同ブログ))

「巧い」文章は経験や努力で何とかなるが、「美しい」文章はそういうことではないというのは、ほんとにそうだなあと思う。

藩金蓮さん自身もまた、すさまじい毒をもちながらも、この上なく「美しい」文章を書く方である。上記の一節に至るまでの毒の書き散らし方と言ったら!でもそういう人が、あるいは彼女特有のはにかみを交えながらも、東良さんの文章の稀代の美しさを愛でるように大切にしていることがじんわりと伝わってくる。

それにしても「性」に関わる仕事やテーマに携わっていく方に、「美しい」書き手が多いのは、何か理由があるのだろうか、などと以前からぼんやりと考えているのだけれど、「魂を籠める」ということが、端的にもっとも発揮されやすいのが「恋愛」や「性」なのだろうか、と、これもまたぼんやりと考えている。
そしておそらく「死」を語ることもそうなのだと思うけれど、「死」はそれらの裏側に語らずとも隠れていたりする。


桜が咲くにはまだ数日。 

今日の東京は、雨が冷たい。


【参考リンク】

●毎日jogjob日誌 by東良美季

●追想特急~lostbound express(東良美季)

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