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April 27, 2007

邯鄲の夢(2)-- 蟻の棲むところ

あの時代の西武セゾングループには、独特の企画書の様式があった。それは、大きな1枚の紙に、まるで蟻が這っているかのような、細かな字をぎっしり書き込むというスタイルだ。通常企画書は、文字が多すぎてはいけない、なるべくビジュアルでわかるようなシンプルな言葉でまとめろと言われてきた僕には、初めて見たそれは異様だった。

通常のB4の紙ではとても足りないから、それを何枚か張り合わせる。数枚ほど貼り合わせれば、B2ーB1程度の大きさになる。その巨大な紙の隅から隅まで、まるで蟻が這いまわるような小さな文字で、テーマについてのあらゆる派生したイメージを書きなぐるのである。「企画書は1枚で見せる」これが、堤清二氏の指示であったから、そういうスタイルが出来たと誠しやかに言われていたが、本当のところはわからない。

その企画書を、商談の席では相手の前で威圧的に机一杯に広げる。グループの力と権勢を誇示するように、心理的効果もあったと思われる。

たとえば、その年のテーマを特定の国でまとめあげるというのは、よくやられていた。たとえば今年は英国でいくとなると、セゾングループ全体が「英国」というテーマのプランで染め上げられるのである。西武百貨店では英国展に、英国の物産フェア、セゾン美術館では大英博物館展を持ってくる、西武自動車ではジャガーをメインに・・等々。その年のテーマが決まると僕たちは、書店にいって、そのテーマに関わる書籍という書籍を買い占める。そしてそれを山のように積んで、あるいはバラバラにして写真を切り取り、巨大な企画書を作成するのである。(まだインターネットがなかった時代である)

この時代の電通や博報堂が、オーソドックスなスタイルのチャート中心の企画書を通常のスタイルにしていたことを思うと、西武のこのスタイルは実に異様だった。が、時の勢いがあったので、その異様なスタイルですら、それらしく迫力をもって受け止められたのである。そこには、情報の隅から隅までを根こそぎ持っていこうとする貪欲な蟻の集団が動いており、その一匹は自分であったのであろうが、虫眼鏡で見なければわからないほど細かな文字が書き込まれた独特の企画書も、またその醜悪なほど貪欲な蟻の群れを思い起こさせるものだった、と今は思っている。

この時代の西武セゾングループの中核は、池袋のサンシャインにあった。その中でも「営業企画」と呼ばれる部署が、堤清二氏の下でグループ全体を統括し、そのプロモーションの方向性を決めた。彼らはグループ内でのエリートであり、店舗関連の担当者の上に欲しいままに君臨する、いわば旗本であった。

この時代の西武セゾンでは、売りの現場にいる人々は軽視され、雲をつかむような大法螺を広げ、大きな企画書を広げてイメージ優先の絵空事を奏でる部隊が優遇されたのである。

バブル最盛期に文化の創造者の名前を欲しいままにし、「感性マーケティング」や、「文化戦略」なる言葉を生み出し、西武だけがその年のこの国のトレンドを決めるのだとまで奢りに奢った体質は、この「営業企画」のセクションの気風に、象徴的に表れていた。

さしづめ、この時代の池袋サンシャインビルは、巨大な西武の「蟻塚」だったと言ってもいいだろう。無数の蟻がその蟻塚にはうごめいていた。

 

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April 23, 2007

邯鄲の夢(1)-- 闇に逃げた猫

中国の故事に「邯鄲の夢」と呼ばれる、よく知られた話がある。

「中国の青年廬生は、楚国の高僧に、人生の教えを乞いに行く途中、邯鄲の宿に泊まる。
 この宿の亭主は、不思議な枕を持っていた。この枕をして眠ると、瞬時に悟りが開けるという。亭主の薦めで、廬生も、その枕で、一眠りすることになった。
 枕に頭をつけると、たちまち勅使が現れ、楚国の帝が、廬生に位を譲ると言う。廬生は戸惑いながらも、輿に乗って宮殿に行き、王位に就く。やがて、五十年が経ち、廬生は、一千年の寿命を保つという仙家の酒を飲み、長寿を祝う酒宴を開いて舞を舞い、限りない栄耀栄華を尽くした日々を送るが、宿の亭主に、食事が出来たと起こされる。すると一瞬のうちに宮殿は、元の鄙びた旅宿に戻る。盧生があくびをして目を覚ますと、呂翁が相変わらず傍らにいる。宿の主人は、盧生が眠る前に 黍 ( きび ) を蒸していたが、それがまだ蒸しあがってもいない。
 廬生は、王位に就いての五十年の栄華も、人生そのものも、泡沫の夢だと悟り、枕に感謝し、故郷へと帰っていくのである。」

ざっとそんな話だ。

ちなみに、邯鄲は能楽の演目にも加えられており、そこで使われる男面は、「邯鄲男」と呼ばれる。「人生に迷った男、邯鄲。眉間に八の字皺が描かれ思索を廻らす哲学青年を表現。 また憂いがあるので若い神にも使用。」

とされているが、男、廬生は長い夢から目覚めた時、むしろ清々しい気持ちにさえなって、そこから去っていくのである。その清々しさも、能ではこの「邯鄲男」の面で、表現されるべきとされている。

邯鄲の物語を思い起こすたびに、あの時代がなぜか心の中で重なる。何かが心の奥で蠢くのを感じる。「邯鄲」で廬生が目覚めた時に、炊きあがってさえいなかった「黍」(きび)は、文献によっては「粟(あわ)の飯」と書かれてあり、あるいはそれが「泡」という言葉の音と結びついていたためかもしれない。儚さの象徴として、「粟」はあまりにも印象的な道具仕立てであった。それは「泡の時代」と呼ばれたあのころを戯画化するには、あまりにもふさわしい一致ではないか。

もっとも戯画化は、そのことだけではないのだ。自分の体の隅々にまで染みついている。


「今晩は・・」

扉を開けた途端に、足元を、小さな猫がすり抜けて夜の闇に飛び出していく。家の中から響く「追いかけろ!」という声に、あわてて追いかけようとするが、猫はすでに暗闇の中に消えている。声の主は、「ああ猫が!どうしよう!どうしよう!」と、ただただ狼狽している。何が何でもこの猫を探さなければならない。泣きたいのはこっちだ。

「すみません。すみません」

慌てて闇にはいつくばって目を凝らすが、そこに猫の姿はない。

時間はすでに夜半を回っている。夜明けまでは数時間しかない。何としても、この人物に、朝までにプレゼン用のパースを書き直してもらわなければならないのだ。それなのに、溺愛する飼い猫に遁走されたデザイナーは、絵を描くどころの騒ぎではない。明日の朝、パース図を見る人物は、他の人物ではない。

西武セゾングループの総帥である堤清二氏である。

何度もやり直しをさせられたパース図は三度目の書き直しに入っていた。ここでもう絶対に外すわけにはいかないのだ。明日は明日であって、それは絶対に伸ばすことはできない。あの人物に絶対と言われれば絶対なのだ。

「ああ、畜生」

と思いながら、暗がりを猫の名前を呼びながら捜し歩く。何時間皆で探しただろう。「畜生、畜生」と唱えながら。そのうち、東の空が薄らと明るくなってくる。絵描きは仕事どころではない。猫をそのままにして仕事を続けるなんて彼にはあり得ないのだ。もう駄目かと思い始めたころ、庭の暗がりでうずくまっている小さな生き物を見つける。

「よかった!」

と思い、猫のほうに手を伸ばすと目が覚める。気がつくとぐっしょりと全身が汗でぬれている。

あの夜のことを、僕は何度夢に見てうなされたことだろう。目が覚めるたびに同じ夢で毎回脂汗をかく自分を自嘲する。そして、猫が見つかったときの安堵感も幾度となく味わうのだが、またしばらくすると同じ夢を見て、また脂汗をかくのだ。あの時、あれほどまでして持って行った「パース画」は、確か有楽町マリオンのオープニングパーティのものだったはずだ。

そこに描かれた絵には、夢の中で鮮やかな色がついているようでもあり、モノトーンでもあるようでもある。はっきりとしないところが、夢であるところの由縁であるのだろうが、色さえはっきりしないが、禍々しさはくっきりとしていて、僕の心象の中で、あの時代そのものを象徴している。


それでも夢の中で、何度も猫は現れ、何度も闇の中へと逃げ出していくのだった。馬鹿げたループがそこにある。馬鹿げたことだ。目が覚めても、体のどこかが不快な感触を覚えている。一瞬に皇帝の一生を夢見た「邯鄲男」の清々しさすら、そこにはないのだ。

2007 04 23 [邯鄲の夢] | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック

April 21, 2007

更新

更新しました。


楽天vsTBSバトルの再燃に思う---誰が退屈なのか、何が新しいということなのか(CNET Japan IT's Big Bang!)


2007 04 21 [パソコン・インターネット] | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック

April 18, 2007

「失われた町」が導いてくれた場所---与那覇大智さんの個展に行ってきた

Yona

以前ここで、三崎亜記さんの「失われた町」についての書評を書いたのだが、(「失われた町」(三崎亜記)---澄み切った不条理な悲しみ)それをきっかけに、この書を読んで下さったという、画家の与那覇大智さんから、創作上のインスピレーションを受けることができたというメールをいただいた。で、与那覇さんの個展が銀座で開かれているというご案内もいただいたので、風の気持ちのいい日、銀座の個展会場に行ってきた。

会場に与那覇さんらしき方をお見かけしたが、こそっと入って一通り見てからおもむろに(笑)ご挨拶でもと思っていたが、気がつくと資料を手に持って与那覇さんが目の前に立っておられた。
「BigBangです」と挨拶すると、「わかっていました。なぜでしょう。」と笑っておられる。どうも会場に入ってきた瞬間にばれていたようです。ほんとになぜでしょう。ぎゃふん。

それはともかく、ひとしきりお話をすることができた。

与那覇さんの作品は、「自分が暮らした事のある場所の地図や、航空写真に穴を開け、そこから絵具を押し出し転写された点々を、水や絵具で押し出す」という手法で創られていて、点描が、やがて町を上空から見たものだと気がついてくるまでは、夜空に散らばる星のようにも思える。「HOME」と名付けられた、一連の作品群は、フィラデルフィアにしばらく滞在しておられた時に、自分の生まれた沖縄の町と、フィラデルフィアのその町並みとの間の距離や齟齬、そして同一なところに刺激を受けて、こうした作品を生み出すことになったらしい。

ご本人の話では、それ以前に筆で書いていくことに対しての、息苦しさ、つらい状態があったという。

「これなんですよ」と指さしていただいた作品は、キャンバスのほとんどを黒が占め、そこにほのかな光と見える白い描画がなされていたものだった。「失われた町」のイメージはその作品でもっともあらわされているということらしい。滞在中の夏の夕暮れに見た、庭の芝生の蔭から光の粒のように立ち上る蛍が印象的だったという記憶も、重ねあわされている。

与那覇さんがその作品を見ながらこんなことを言った。

「残照・・でしたっけ?」

「そうだったかな?」

与那覇さんが語りかけてくれたのは、あの作品に描かれる「失われた町、月ヶ瀬」に蜃気楼のようにまとわりつき、夜になると輝き、それを残った人々が見つめるうちにやがて消えていく光のこと。(あとで小説で確認したら「残光」と表現されていた。)そういえば、あの作品にも町の記憶をひたすらキャンバスに繋ぎ止めていこうとする、絵を書く青年が登場する。

「書かれているものは儚いけれど、航空写真というのは実はすごい情報量ですよね?そこから何か(力のようなものを)受けてしまって疲れてしまいませんか?」

などと理屈っぽく聞くと、与那覇さんは、故郷である沖縄の町を上空から見つめている視線は、空爆をしようという米軍の視線である。そのこともどうしても意識してしまうんですよ、というような話をしてくれた。そういえば、暗いキャンバスに点描で描かれた町は、絵具で炎に包まれているようにも見える。僕はどうしてもそういう話になると東京大空襲とか思い出してしまうなあなどという話をした。

それはともかく、会場に訪れる、与那覇さんの知己と思われる方々は、彼の「作風の変化」に軽い驚きを感じておられるようであることが、聞こえてくる会話の中から察せられた。同時にみな、創作者としての与那覇さんのことを、案じながら暖かく、大切にしておられる様子が伝わってくるようであった。与那覇さんは、そうした一人一人に対して丹念に創作の意図や、こういう作品を創るに到った経緯を説明しておられたが、私と与那覇さんは同じ小説を読むという「共通体験」があったおかげで、門外の抽象的な作品を制作者と共に囲むという緊張に接しながら、どこか安らいでリラックスして通じあえたような気がする。少なくとも私と与那覇さんは「月ヶ瀬」を知っているからである。これは与那覇さんにも話したけれど、もしも三崎亜記さんがこれらの作品を見たら、どんな感想を示すだろうか。それほど、与那覇さんの作品は、三崎さんの物語世界に通じるイメージがあったのである。もちろん、離れた場所にある魂が想ったものの仔細は違うものなのかもしれないけれど、三崎亜記さんの小説にも、「戦い」の影は確かにあったのである。

与那覇さんはしばらく、この手法の創作を続けるという。いつかどこかの「町」で、また一面の光の粒と蛍、そして彼の描く「月ヶ瀬」に会うことができるだろう。

外に出ると、風が気持のいい午後だった。光も穏やか。

それにしても、ブログでの出会いというのは不思議なものである。



【関連リンク】

与那覇大智
(与那覇さんの経歴と今回の個展の会場が見られる)

2007 04 18 [文化・芸術] | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック

April 12, 2007

更新

更新しました。

ダルフール紛争をGoogle Earthで見る----Googleの苦いプレゼンテーションは有効だ。(CNET Japan IT's Big Bang!)

2007 04 12 [経済・政治・国際] | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック

April 09, 2007

スーダラ節の時代がようやくわかったように思った。---植木等の苦悩

車の中で、NHK教育の「植木等さんをしのんで スーダラ伝説~植木等・夢を食べつづけた男」を見ていた。あ、植木等の追悼番組だ、程度にしか思っていなかったのだが、内容に引き込まれてしまった。

植木等という人が、寺の息子で真面目一徹で、あの「スーダラ節」だの「無責任男」だのを苦痛を伴って演じ続けていたということは聞いていたけれど、実際ホンマかいなと思っていた。しかし番組では生前の植木のインタビューを3日間・6時間にわたって行い、そこに日本の戦後芸能史を重ねていくという作りだったのだけれど、驚きました。本当に悩んでいたんですねえ。あのイメージと自分の精神の乖離で。

ちょいと一杯のつもりで飲んで
いつの間にやら梯子酒
気がつきゃホームのベンチでごろり
これじゃ体にいいわけないよ。
わかっちゃいるけどやめられない。

という歌詞。そんなに悩むこたーないじゃないか、面白いじゃんと思うけれど、植木は本当に死ぬほど悩んで、こんなものを歌ったら、自分の人生は滅茶苦茶になってしまうと思ったそうだ。で、きっと反対されるだろうと思いながら、父親に相談に言ったら、この父親が言うことには

「それは親鸞聖人の生き方だ。素晴らしい仕事だ。ぜひやれ」

父親いわく、親鸞聖人も駅のベンチで寝てはいなかったけれど、「わかっちゃいるけどやめられない」と思いながらも罪に罪を重ねて生きていたのだそうな。確かに悪人正機説だもんね。「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」というのはスーダラ節ですか。そうですか。凄いなあ。

戦後の進駐軍のクラブで、植木始めクレイジーキャッツのメンバーが育まれていくわけだが、クレイジーキャッツに来るまで一番稼いでいたのが桜井センリだったとか、植木が下手なギターでなぜ次々といい仕事に恵まれたかというと、生真面目な性格故、教則本でギターを学ぶという、およそ当時のミュージシャンにあるまじき「譜面が読める」という長所が評価されたからだとか、もう面白いエピソードが一杯。

進駐軍のクラブも戦後は最大で全国に500はあって、そのすべてがジャズをやっていたので、米国人のミュージシャンでは足りなくなって、下手でも何でもとにかく楽器をやる日本人がいたらジャズをやらせて舞台に上げたという当時の気風とか。すさまじい時代だったんだなあ。その中にあって、米軍将校と日本人の貧しいミュージシャン。どんな交流があったんだろう。勝者と敗者という型には納まらない関係があったんだろうな。

オヤジが生きていたら、話を向けてやれば得意になって長い話をしただろう。すでに鬼籍にあり残念。

で、「スーダラ節」だの「無責任男」だの、僕は今まで誤解していたんですね。あれは日本が高度経済成長に向かっていく時代の、BGMであり、「サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ」を素で受け止めていた。ほんとにどんどん給料が上がったんだろ。どんどんアッパーな暮らしが出来るようになったんだろ。うらやましーみたいな。

ところがこの番組を観て気がついたのだが、彼らは実は隙間もない急成長に圧倒され巻き込まれ、疲弊していたことをあらためて思い起こさせられた。で、疲れている。疲れているから休みたい。ところが律儀な日本人の習性で、ぎりぎりまで働いてしまう。そのぎりぎりの生き方を、肯定して生きていくしかなかった当時にあって、植木の「スーダラ節」だったんですね。

あの歌のタブー性のようなものは、おそらく僕には正しく伝わっていなかったんだなあと、悩みまくったという植木の話で理解した。今さらだけれどね。

あと、クレイジーキャッツの映画30本が終わってしまって燃えカスのようになっていた時代に、「王将」の舞台に恵まれ、俳優として50歳から再生した話。人ごとじゃないです。はい。とにかく男にも女にも僕はもてましたねえ。一生もてました。と語っている爺、植木等。これはうらやましい。

生きているうちにこの人の話をもっと聞いておけばよかったという悔いは、何度も何度も繰り返されるのだけれど、それはそういうものなんでしょうね。死者となって初めて人は雄弁に語り始める。

そんなもんですね。

2007 04 09 [映画・テレビ] | 固定リンク | コメント(7) | トラックバック

April 07, 2007

都知事選で選管が映像削除要求---ではYouTubeに公平に投稿したらどうなる

選挙になれば、YouTubeの存在が波紋となるであろうことは前から予想されていたわけであるが、東京都知事選で「ある候補者」の政見放送(ご存じの方はご存じの通り)が「爆発的ヒット」となり、ついに選管を動かす事態となっている。

東京都知事選に立候補したある候補者の政見放送が、3月末にYouTubeに投稿された。当選の可能性が薄い“泡沫候補”だったが、特徴的な外見や話し方、過激な内容がネット上で話題になり、再生回数は、削除されるまでの約1週間で50万回以上に上った。削除後も同じ動画がさまざまな動画投稿サイトにアップされ、それぞれ数万回~10万回ほど再生されている。

選管困惑…都知事選“泡沫候補”がYouTubeで浮上 Web2.0が選挙を変える?(iza)

で、ついに削除依頼がされた。

都選管は5日夜、AmebaVisionとYouTubeに投稿された政見放送動画計65件を削除するよう申し入れた。AmebaVisionを運営するサイバーエージェントは6日、「特定の候補者の政見放送だけが自由に閲覧できる状況は不公平」などとし、該当の動画を削除した。

 東京都選挙管理委員会(都選管)は4月5日夜、動画投稿サイト「YouTube」「AmebaVision」に対して、両サイトに投稿されている都知事選候補者の政見放送を削除するよう申し入れた。AmebaVisionを運営するサイバーエージェントは6日、「特定の候補者の政見放送だけが自由に閲覧できる状況は不公平」などとし、該当の動画を削除した。


AmebaVisionで政見放送削除 都選管が依頼、YouTubeも(ITmedia)

「特定の候補者の政見放送」だけが自由に見られることが問題になるのであれば、全候補者の政見放送をアップしてしまえば、問題は消えるのだろうか。と考えたのは私だけではないはずであるが、そういう問題だけではないらしい。

法規的に問題となると考えられるのは、公職選挙法の2つの条文(146条、151条)。前者は、ネット選挙自由化の観点から、かねてから改正が唱えられているが、昨年の異様な盛り上がりが覚めたのか、参院選までの隠し玉なのか、結局実施されずに今日に至っているおなじみの条項。

(文書図画の頒布又は掲示につき禁止を免れる行為の制限)

第146条 何人も、選挙運動の期間中は、著述、演芸等の広告その他いかなる名義をもつてするを問わず、第142条(文書図画の頒布)又は第143条(文書図画の掲示)の禁止を免れる行為として、公職の候補者の氏名若しくはシンボル・マーク、政党その他の政治団体の名称又は公職の候補者を推薦し、支持し若しくは反対する者の名を表示する文書図画を頒布し又は掲示することができない。

都知事選に見られるように、選挙期間内にマニフェストはくるくる変えることができても、ホームページを更新することが実質上できないという馬鹿げた事態が続いているくらいだからね。しかしウェブサイトは「文書図画の配布」にあたるという解釈が苦しいながらも流通していたわけだが、YouTubeが「文書図画」であるという解釈は難しかろう。

そこで、むしろ151条が問題になろう。

(選挙運動放送の制限)

第151条の5 何人も、この法律に規定する場合を除く外、放送設備(広告放送設備、共同聴取用放送設備その他の有線電気通信設備を含む。)を使用して、選挙運動のために放送をし又は放送をさせることができない

しかしここでも問題がある。では、YouTubeのような動画サイトは放送設備なのか?投稿された動画を誰にでも閲覧できるような状態にはしているが、これは「放送設備を利用して放送する」という概念には馴染まないように思われる。そもそもYouTubeを「放送設備」を備えた放送局であると断じれば、放送法の兼ね合いが出てくるから、ややこしいことになってくる。公職選挙法以前に放送法に違反してるじゃんとね。

そこで選管が持ち出してきたのが

「特定の候補者の政見放送だけが自由に閲覧できる状況は不公平」

というクレーム。教育的指導みたいなもんか。まあ、やめておいてくださいよというような感じ。ただ、これも先に述べたように「公平性が実現」されてしまえば、突っ込みどころがなくなる。ニヤニヤして眺めてばかりいてもしょうがないのだが。


本日現在、YouTubeを見る限り、「問題の候補」の政見放送が84件も依然としてアップされている状況である。(AmebaVisionではすべて削除されているようである)

夏の参院選の前に、はっきりとした法的整備が求められていると思う。

【参考リンク】

●世耕vs鈴木vsひろゆきネット選挙座談会---茨の道でも進むしかないのだ(BigBang)

2007 04 07 [経済・政治・国際] | 固定リンク | コメント(6) | トラックバック

April 01, 2007

「2ちゃんねる」ついに閉鎖、「Second Life」へ移転が決定。

昨年来、閉鎖騒ぎが何度も噂されていた世界最大の掲示板、「2ちゃんねる」に関する大ニュースが飛び込んできて、ご存知の通りネットでは大騒ぎになっている。

4月1日、「ニコニコ動画」γ版のプロモーションのための会見場に現れた、西村ひろゆき氏が語ったところによれば、現在の2ちゃんねるは4月いっぱいで閉鎖さ れ、その後は、4月中にも日本語版がスタートされると言われ、ここのところ急速に注目が集まっている、あの「Second Life」に全面移転されることが決まったという。

報道によれば、ひろゆき氏が敗訴決定した法廷訴訟の、賠償総額は既に3千万円以上とも言われており、一部ではドメインの差し押さえが試みられているという ことは何度も報道されてきた。これまでメディアに対して強気の姿勢を崩さなかったひろゆき氏であるが、その一方で相当追い詰められていたことも確かなよう だ。

一方で、未だにひろゆき氏の年収は1億円以上あるとも言われており、その豊富な資金を原資として、「Second Life」上に既に広大な土地の購入を 決めているという。2ちゃんねるの掲示板としての先行きに見切りをつけたという、彼の天才的な先見性として評価する声も出ているが、未だ将来の見えない 「Second Life」で2ちゃんねるが現在の勢いを保てるかどうかは、疑問視する声もある。

ひろゆき周辺によれば、「SecondLife」上に置かれる新2ちゃんねるは、通称「2nd ちゃんねる(セカンドちゃんねる)」。中央には巨大な 「壷」を型どった建物が建設され、その中に「板」ごとの部屋が設置されるという。この「新2ちゃんねる」に書き込むためには、当然 「SedondLife」のアカウントが必要になる。悪質な匿名の書き込みや誹謗中傷に悩まされた旧2ちゃんねるの教訓から、「セカンドちゃんねる」で は、入場の際にアバターに名刺代わりのIDカードの提示を義務づけるという。このIDカードには、個人情報が暗号化されて収納されており、緊急時にはID カードから本人を割り出すことが可能。
また、削除人は、骸骨状のアバターを使い、全身黒のユニフォームをまとって、常時100人が待機するので、その場で削除を求めることもできるなどスピーディな対応が可能になる。

「Second Life」を運営するリンデンラボの広報では

「2ちゃんねるは、日本発の世界に例を見ない強力なコンテンツ。彼らがSecond Lifeの住人になることは我々の日本語版Second Lifeを成功させるための、強力な力となるだろう。大歓迎したい。」

と述べている。

尚、懸念されるのは、旧2ちゃんねる時代の負の遺産とも言うべき、数々の訴訟や賠償金についてだが、ひろゆき氏への内容証明が到着しているのかどうかが はっきりしなかった前時代の教訓を踏まえ、「セカンドちゃんねる」内にひろゆき氏のアバターが居住し、内容証明などはIMで受け付ける。また、既に敗訴し ている賠償金の支払いについてだが、ひろゆき氏はこれに関して、

「全ての財産はリンデンドルに交換してしまったので、もう日本円では支払えない」

と述べている。このため、東京地裁ではリンデンドルの差し押さえ、もしくは「セカンドちゃんねる」のSIM全体を差し押さえの対象とすることができるかどうかについて法的な検討を始めたらしいが、果たしてリンデンドルやバーチャルな土地に、担保価値があるのか、ドメイン以上に厄介な法的解釈が必要になると思われ、難航しそうである。

もっとも、全国の裁判所に出頭するのは物理的に不可能と言っていたひろゆき氏の事情を考え、法務省では「セカンドちゃんねる」の建物の横に、地方裁判所のSecond Life支部を設置して、2ちゃんねる関連の全ての訴訟を扱う予定。ひろゆき氏のアバターの出廷があれば、審議を行うとしている。これで物理的な制約を理由に出廷を拒むことは難しくなりそう。裁判所のSecond Lifeへの設置は他に例が無く、これも注目を集めそうである。

ともあれ、ようやく見えてきた2ちゃんねるの未来。新2ちゃんねるは、想像を絶する新しいモデルとなって、我々の前に姿を見せることになったことだけは間違いない。

※なお、この記事の情報は全て、自称著名ブログジャーナリストであるBigBang氏の独自の取材に基づいて4月1日付で掲載されたものであり、ニュース ソースも、「セカンドちゃんねる」の場所も、Second Life上での混乱を防ぐためという理由で、一切明らかにされていない。

2007 04 01 [パソコン・インターネット] | 固定リンク | コメント(6) | トラックバック

更新

更新しました。

Yahooを巡るOracleとRed Hatの攻防に見る「競争の裏側」(CNET Japan  IT's Big bang!!)


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