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June 30, 2007
朝鮮総連問題---緒方元長官逮捕への疑問
緒方元長官が、詐欺容疑で逮捕というのは実に意外である。てっきり朝鮮総連が結託して競売逃れのための偽装売買を行ったという方向に行くかと思っていたら、緒方元長官が「代金を払う気がないのに」ありもしない投資話をもちかけて、総連から建物を騙し取ろうとしたという。また緒方長官に投資話を持ちかけたという投資家も、投資を確約したわけではないという。
実に不可解である。そもそも緒方元長官のような法律の専門家が、支払いもできない不動産取引を行って、建物を搾取することができるなどと、本気で思うだろうか。また、緒方氏は取引直後に、代金決済ができない場合には登記を抹消するという誓約書を差し入れている。つまり、登記移転後に代金が決済できなければ、当然のごとく登記が現状復帰されることを熟知していたし、事実その手続を行っている。
また、逮捕も実に性急な印象がある。果たして当初緒方元長官に資金の提供を申し出たとされた投資家の男性の発言の裏を、どこまで検察はとっているのだろうか。資金提供を明言したとまでいかなくても、巧みにほのめかしたとすれば、むしろ詐欺を働いたのはこの男性で、緒方氏は被害者になるはずだが。
緒方元長官、詐欺容疑で逮捕…朝鮮総連建物売買で(中央日報)
検察はまた朝鮮総連の依頼で取引を仲介した不動産会社の元社長(73)ら2人に対しても同じ容疑で逮捕した。朝鮮総連中央本部会館売却件と関連して検察に逮捕されたのは今回が初めてだ。これによって取引を主導した朝鮮総連許宗萬(ホ・ジョンマン)副議長が検察の刃を避けることができるかどうかに関心が集まっている。
さらに言えば、検察が朝鮮総連から建物は奪い取るが、責任者・許宗萬氏の身柄を押さえることは見送ったという、総連を含めた出来レースの匂いを感じてしまうのは自然な流れではないだろうか。万一そういう謀略があるとすれば、緒方氏はスケープゴートにされたことになるのだが。
この件、注視していたい。
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June 29, 2007
更新
更新しました。
リアルとバーチャルの薄れゆく境界----やはり今、人生は複雑化しているのかもしれない(CNET Japan IT'sBig Bang!)
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June 25, 2007
水の呪縛-----渋谷シエスパの爆発事故
円山町の「ユーロスペース」のカフェに、映画上演前の時間、しばらく座っていたことがあった。カウンターに、パンフレットがいくつか置いてあって、その一つを手に取ると、「シエスパ」というスパのものだった。「渋谷にスパか。へー」と興味を持って見始めた。パンフレットの写真がそれなりに豪華であり、なかなか興味深いものだったからだ。が、女性専用だという。「なんだ。」それを知った途端に興味がなくなり、それっきりそのことは忘れていた。
今回の事件で、最初てっきりユーロスペースも爆風を受けたのではないかと思った。ユーロスペースとシエスパが至近距離なのを記憶していたからだ。実際、後で調べたところでは、シエスパの本館とユーロスペースとは100mくらいの距離だった。もっとも今回悲劇が起きたのは、従業員用の別館だったので、実際の距離はもう少し離れている。住所もシエスパは円山町ではなく、松濤だった。自分と微かにニアミスした事故現場・・ということだけだったら、それもよくある話だったのだろうが、私の心に引っかかるものがもう一つあった。
ここで話はいささか飛躍するが、1997年に起きた猟奇的と言ってもいいあの事件、「東電OL殺人事件」と呼ばれた殺人事件に飛ぶ。事件のルポであるノンフィクション、佐野眞一「東電OL殺人事件」には渋谷の円山町に関して次のような記述がある。いま手元に本がないので、ネットの情報参照と記憶に頼るが、それは次のような話である。
渋谷の花町、円山町を興したのは 岐阜県荘川村に昭和35年に完成した御母衣ダム工事に伴って水没した村の人たち、通称「岐阜グループ」とい呼ばれる人々であった。彼らは莫大な補償金を手に円山町にやってきて、経営が傾きかけていた料亭などからこの辺りの土地を買占め、連れ込み旅館やラブホテル次々と建設していった。岐阜グループは春秋会という組織を作って、年中集まりを持つなど、結束が固い。この辺りのホテルに「白川」など川の名前が多いのは水没した村のことを忘れないように、という彼らの気持ちの表れであるとか。 ここからは因縁話めくのだが、御母衣ダムの建設主体は東京電力。そしてその東電に勤めていたのが殺された女性であり、直接、御母衣ダムの建設にはタッチしなかったが、彼女の父親もまた、東電に勤めていた。
佐野は、彼女が円山町に通ったのは、「彼女を吸引する強い磁力のようなもの」がこの街にあったとし、
「そして彼女は、湖に沈んだ奥飛騨の村のように、この街の底に水没していった。」
と結んでいる。
佐野の話は、「水」と「円山町」そして東京電力の因縁を軸にこの事件を総括していこうというところがあり、正直強引さにどうなんだろうという気もした。この事件のミステリアスな部分を、言うに言えない因縁の話としても処理しようとしているのではないか。だが確かに、そうでもしなければ理解のできない暗闇が被害者の女性の奇異な行動に感じられたのではあるが。
さらにここで渋谷という町の歴史と由来にも通じてくるものがある。
渋谷は元々入江であり、また渋谷川は今では渋谷駅付近で暗渠になっているが、以前は神宮内苑の池や新宿御苑の池、代々木上原や参宮橋など、いくつもの支流や泉の水を集めて流れていた。
渋谷という地名は、江戸時代に作成された文献により二説に分かれる。ひとつは、『新編武蔵風土記稿』によるもので、昔、この辺りを「塩谷の里」と呼称したことに由来するという説である。その根拠は、土中を掘ると青い砂や、貝が出土するなど、昔この辺りが海辺であったことである。そこから塩谷の名が生まれ、その後塩谷が渋谷に変わったとされている。
もうひとつは、『金王八満神社社記』にみえる河崎重家の改姓に由来する伝承である。桓武天皇の孫高望王の子孫で秩父党の一人である河崎冠者基家は、永承6 (1051)年、前九年の役に源頼義に従って功をたて武蔵国豊島郡谷盛庄を与えられた。基家の子重家が源義家に従って京都にいたときのある夜、宮中に盗賊が入り、これを生け捕りにした。賊の名を聞くと、渋谷権介盛国と答えたので、堀川天皇は重家の武勇をほめて、姓を渋谷と改めたため、重家の領地「谷盛庄」のなかに「渋谷」という村が出来たといわれる。
実際、佐野の本を読んでから、道玄坂を上りきったところに立って、109前のスクランブル交差点の方向を見下ろすたびに、交差点を行きかう若者の群れが僕には、イメージの谷底を泳ぎわたる小さな魚の群れに見えることがある。実際、あのスクランブル交差点のあたりは渋谷の谷の中でも低くなっているところ。宮増坂、道玄坂、そして桜ヶ丘のいずれの方向からも見下ろせる低い窪みにあたる。
話を戻す。
今回のシエスパ事件の原因は、関東ガス田と呼ばれる広大なメタンガス層からのガスの流出を、リスクとして配慮しなかった関連企業の人為的なミスであると、今のところ報じられている。「東電OL事件」で、渋谷という町と水との関わりを、過度に水を軸とした物語に昇華させて衝撃的な事件に重ねたのが佐野眞一であるとすれば、ここでもう一度シエスパの事件を引き出して因縁に重ねるに類した私の行為もまた、遙かにこじつけめいているかもしれないが、佐野の本に描かれた渋谷の伝奇的な描写がどうしても頭の中で重なってくるのである。それはあるイメージの連携のようなものであり、それ以上説明は難しい。
そもそも、1500mも掘ればいたるところで温泉と、それに伴うメタンガス層にぶちあたるのが、東京においても通常のことであるという。であれば、ここで何もことさら渋谷と水の因縁を持ち出すことも無理があるだろう。
だが、目に見えぬ地中の暗渠に広がる、メタンガスの巨大なリスクを見過ごした「ユニマットビューティーアンドスパ」の経営者は、そしてユニマットグループは、渋谷という街の地下に広がる暗のような水の空間と水にとりつかれた過去について、思いをしたことは、おそらくなかったのではないか。街の因縁を知ることが、そこで営む人の行動様式に影響を与えることは容易に想像しうる。渋谷の「水」について、そして「地下の水」にとりつくように、まとわりついている「メタンガス」を無視したことが惨事につながった、と考えていくことは、あながち意味のない行為にも思えないのである。
2007 06 25 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント(1) | トラックバック
June 17, 2007
年金不備データ5000万件はどうやって生まれたか。怪しい計算でこじつける。
一般的にデータベースで、そのレコードが同一人物のものであることをどこで峻別するか。最良なのは、もちろんkeyとしてのIDを全人物に振ることであるが、それが難しければ、生年月日や電話番号、姓名ふりがな、あるいは住所や電子メールアドレス等の複合だろうか。レコードの量が、数百、数千、あるいは数万程度であれば、keyとしての統一IDがなくても、ある程度はこれで管理することができる。ところが、年金の支払受給記録のような、全国民を対象にするような巨大なデータベースの場合、どういうことが起きるか。戯れにモデルとして単純化して試算してみよう。
個人識別の手段としてもっとも使われやすい生年月日で考えてみる。対象は、この80年間に生まれたすべての国民とする。生年月日の組み合わせは幾通りあるか。(ここではうるう年はモデルから除く。また昨年生まれたばかりの乳幼児が自分で年金を支払うわけがないが、成人後にはその乳幼児のデータも問題になる可能性があるということで数値に含ませる。)1年間の生年月日は365通りであるから、80年間ではこれに年数をかければよいので、365X80=29200通りである。この80年間に生まれた国民が仮に1億人いるとすれば、1億人のすべてがこのどれかの誕生日に属していることになる。同一の誕生日に平均何人の国民が集中しているかというと1億÷29200≒3425人となる。
※以下怪しい計算が延々と続く。数字が超苦手な人と超得意な人はどちらも読まないように。。。
さて、この3425人の中に、同姓同名がどのくらいいるだろうか。簡単には試算できないけれども、敢えて強引に論を展開しよう。通常200名程度の1学年の生徒の中に同姓同名が1組いるかいないかだが、400名いれば1組はいるのではないかといういい加減な「生活実感」に基づくと、およそ同姓同名率は0.1%強。で、ここでも0.1%としてしまおう(笑)。3425名に対して3.4人。それを29200通りの誕生日に配分すると、29200X3.4=99280人。っていうか、これなら最初から1億人の0.1%で計算する10万人という結果とほぼ変わらないことになるか。まあ、そもそも「生活実感」から算出するための回り道だったということでご勘弁。
#あるべき場所にいけば、同姓同名率なんて簡単に導き出せるんだろうねっていうか、本当に導き出せるんだろうか。
面倒くさいが先を続けよう。この10万人に対しては、生年月日と姓名というフィルターでは、レコードの固有性が証明できないことになるので、次のフィルター、つまり電話番号や住所で同一性を見つけなければならないことになる。
#姓名というのも曲者で、特に女性の場合、旧姓と新姓のひもづけが正しくなされていないと、別人格として年金記録が照合される危険性があり、実際既に指摘されているわけであるが、これも話を単純化させるためにひとまずおく。
当然移転していたり、電話番号が複数あったり、という事情が出てくるので、この10万人に対して同一人物であるか、異なる人物であるかを判断する手間はここで急に煩雑になってくる。ともあれ、同一人物を他人と判断したり、その逆を行う危険性の最大値が、このモデルでは10万人あるということだ。これはこのままにしよう。
さらに、これは姓名の読みが正しくなされていて、入力の際のミスが皆無であるということを前提としている。先ごろ行われた社保庁のサンプリング調査では、3090件に対して入力ミスが5件、誤入力が20数件あったという。併せて25件がミスとして、出現率は約1%弱。先の10万人に重ならないように、この誤入力が、レコードの同一性の確認に何らかの影響を与えるとすれば、1億X1%=100万人。お、急に大きな数字が出てきた。しかし、誤入力が必ず年金の受給記録に影響を与えるとは言い難いので・・・・・。うーん。この100万人をそのまま危険数値とするのは違うだろうな・・・。だが面倒くさいので、そのままさっきの同姓同名リスクと単純に足してしまうと、110万人。
ここまで考えてきても、現在問題となっている5000万件といわれるデータ不備の現状に迫ることはなかなかできない。
そうか、この110万人からの「危険予備軍」を長年放置し続けたと考えるとどうだろうか。仮に30年間こうした現状が繰り返されてきたとする。1年間に生まれてくる子どもの数は1970年代前半には、およそ200万人だったのが、最近では110万人程度に減少しているということなので、間をとって(乱暴だ!)毎年150万人が生まれ、そのうちのえーと(疲れてきた)1%がミス入力の予備軍、0.1%が同姓同名の予備軍として1万6000人の「新危険データ」これが30年間続いて・・でも亡くなっていく方もいるなあ・・まいいや。ここでも乱暴に単純に足していく。(いいのか?いいことにしよう。)
それでも48万人。先の数字に足してしまっても158万人。
そうだ、考えてみれば5000万件のデータは5000万人のものではなく重複があるのだろう。転職を繰り返すたびに、1人につき新たな不備データが生まれる可能性もあったわけだから、そうだ、1人につき5件程度の不良データが「量産」されたことにしよう。すると158万人X5で790万件。うーん。だいぶ大きくすることができたけれど、これでも5000万件には程遠い。
引っ越しさせるか。そうだ。転職だけではなく、移転のたんびにわかんなくなっちゃったことにしよう。(いったい何をやっているんだか)これらの「危険予備軍」が平均6回引っ越して住所が変わり、それがすべて名寄せできない不備データになってしまえばいいんだ(いいんだって何よ)。これで大幅に稼げるぞ。790万件X6=4740万件!!
やった!これで5000万件の不備データ数にかなり近づけた!めでたい(か?)
で、何だっけ、これを1年間で再調査して解決するんだっけ?えーと1日に・・・
(疲れたので以下略)
※いやあ、これは「はてな」の方でやればよかったかな・・・
2007 06 17 [経済・政治・国際] | 固定リンク | コメント(9) | トラックバック
June 13, 2007
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日払派遣の労働力を利用する側について考える(CNET Japan IT'sBig Bang!)
2007 06 13 [パソコン・インターネット] | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック
June 02, 2007
邯鄲の夢(5)-----天上の人
有楽町西武がオープンしたのは、1984年の10月。この年の4月には、ダイエー系のプランタン銀座がオープンしている。この頃の西武とダイエーは、全国いたるところで商圏を奪い合って熾烈な戦いを繰り広げていた。今となっては想像しがたい時代である。
この頃、僕の勤務していた制作会社は、西武系の広告代理店I&Sから、有楽町西武のオープニングパーティ全体の運営を請け負っていた。会場は有楽町西武全店。館内全体を、中華をテーマにしたパーティ会場にしようという画期的な(当時としては)企画である。マスコミや関係者、そして得意先のみを対象にした盛大なパーティは、ダイエーに対する強烈な西武のライバル心も反映されていたと思う。
さて、当日。最大のメインイベントは、総帥、堤清二氏の内覧である。10名近くを従えて大名行列を行う堤清二氏の内覧はセゾンの中でも有名であり、関係者にとって最大の緊張を要する瞬間である。下っ端の制作会社の、そのまた下っ端でしかない僕にとっても、めったに経験できない場面だった。もちろん生の堤氏を見たことは、それまでに一度もない。
果たして、エスカレーターの持ち場で心臓を高鳴らせながら待っていた僕の前に、その人は現れた。初めて堤清二氏を目の当たりにした瞬間だった。
ところが予想もしない登場の仕方に、僕はあっけにとられた。僕のいるフロアに、当然上りのエスカレーターに乗って現れるとばかり思われた堤氏は、何と下りのエスカレーターに乗って現れたのだ。上りで来るとばかり思って配置についていた僕はパニックになった。
一体どういうわけなのだろう。
答は単純だった。堤氏は、有楽町西武の屋上にあるヘリポートに空からヘリで降り立ったのである。それだけの話ではあったが、事前にそれを知らされていなかった僕たちは右往左往する羽目になった。
有楽町西武に堤氏がどのくらい滞在したかは、もう覚えていない。しかし、天上の人は上から降り立ち、そしてまた風のように「上へ」と帰って行ったのである。その記憶は今でも鮮明に覚えている。
まさにこの頃=有楽町西武オープンの頃が、西武セゾングループの絶頂期だったと思う。銀座の、ど真中にヘリで降り立った堤氏は、その絶頂を全身で纏っていた。
2007 06 02 [邯鄲の夢] | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック
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「セカンドライフナイト in BarTube」で考えたRMTの現実(CNET Japan IT'sBig Bang!)
2007 06 02 [パソコン・インターネット] | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック
