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July 09, 2007

赤城農相の問題に安倍首相の空を思う----真に「美しくない」者ほど、虚な「美しさ」を唱えるのか。

赤城農相の政治団体「赤城徳彦後援会」が事務所として届けていた、農相の両親が住む実家の実態について、赤城農相の両親が行ったコメントは迷走を重ね、実に苦しい、それでいて苦笑ばかりもできないものであった。誰もが思うように、メディアの取材を受けた時に母親が漏らした言葉が、おそらく実態にもっとも近いものであり、両親の実感に近いものであったろう。それがおそらく真実に近い形であり、安倍首相が言うような、「うちも祖父の代からの政治家であり、自宅を事務所として使うことは自然なことである」というようなことでもないのは一目瞭然である。

最初の両親の反応や、近隣の人々の証言通り、赤城農相の自宅は、昔はともかくここ何年も政治的活動の機能は持っていなかったのだろう。それでも、ことここに至っては親は息子を庇わざるを得ない。が、おそらく善人なのだろう。メディアの取材突っ込まれると絶句する母親の姿は時の大臣の親御さんにそぐわず、痛々しい。

それにしても、松岡元農相のあれほどの事件があったのに、「ナントカ還元水」のときとほとんど変わらない口先の擁護を繰り返す安倍首相の姿こそ、実に寒々しい。この人の頭の中には、反省であるとか、あるいは成長だとか、そういう言葉はないのだろうか。宰相に就いた時から感じていたのは、この人物の言葉の恐ろしいほどの寒々しさと不誠実な言語である。

「人生いろいろ会社もいろいろ」と言ってのけた小泉前首相も相当なものだったが、それでもやれやれと苦笑させる「人間的」要素も現れていたと思う。人々は敏感にそれを感じ、それでもこの人を支持した。安倍首相が、任命権者としてぎりぎりまで大臣を庇うのはいいとしても、ベタに同じ言葉を繰り返す表面的擁護ではなく、「批判的に庇う」政治戦略もこの世界にはあるはずである。

赤城農相の陥った蹉跌は、実は政治家だけのものではない。自宅に会社をおいて、諸経費を経費処理している経営者も沢山あるだろう。家族と食事してそれを原価に算入している社長も星の数ほどあるだろう。これらはもちろん望ましくない。だが、企業経営者は少なくとも領収書は公開しなければならないし、企業業績で株主の裁断を受けねばならない。
巨額の政党助成金をはじめ、国民の税金を基本的財源として政治活動を行わなければならない政治家には、中小企業経営者に遙かに優る公開責任があるはずである。ところが首相の態度は、それを報告することを推奨する、あるいは不適切な法規は改正することを志向する方向に行かず、政治活動の秘匿性のような、前時代の遺物がそれに先立って優先される政治家の体質を、ただ盲目的に庇うだけである。首相は最高権力を付託された一個の人間として、はっきりとこの問題と向き合う必要があるだろう。

ところが彼の言葉には、一昔前の役場の窓口にふんぞり返った小役人にも劣る、紋切の建前論しか感じられないのである。

大事な近しい者をできるだけ庇おうとする気持ちも、それだけならば、それはそれで「美しさ」だとは思う。
それを貶めてしまう「状況」を作り出した農相のなんと親不孝なことかとも思う。
安倍総理の「擁護」が「そのようなこと」をご両親に強いる結果になることを安倍総理自身はどう感じるのだろう。
今の日本で「美しさ」が失われつつある状況というのはあるのかもしれない。
しかし、それはまさに安倍首相自身が「当然」と思っていること、「しかたがない」と思っていることの中にある。(
美しい日本の難しさ(NairFessメモ帳)

FairNess氏の言うように、「美しい国」を唱えたのは安倍首相である。人が係累を庇う当たり前の人情を、正直にモノを言えない苦しい状況との板挟みに追い込んでいるこの国の政治の「醜さ」、そして実際にそれが幾多の政治家自身をも追い込み、滅ぼしてきたという非人間的な過酷と現実を、この人の眼は果たしてとらえているのだろうか。

「美しくない」者ほど、空虚な「美しさ」を中身のない言葉で過剰に言いたてるのかもしれない。この人物を見ているとつくづくそう思う。

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Comments

美しくない者ほど美しさを唱える。
なるほどね。

首相の名前は安部ではなく安倍です。
言及・批判対象の名前を誤記しているとせっかくのコラムも
説得力がちょっと落ちてしまいます。ということで老婆心ながら。
ありがちな誤記ですし、訂正されましたらこのコメントは削除してもらってかまいません。

>>Wiklhyさん

あらら、全くその通りです。ご無礼いたしました。ご指摘ありがとうござました。

安部→安倍

BigBangさん お久しぶりです。
最近は、安倍さんに偏って書きすぎているかもしれませんが、公示前に私の中にある「毒」を吐き出してしまいたくて・・・
「原爆発言」「年金問題」「政治と金の問題」等への対処を見ていると、安倍さんにとっては「当面しのがなければいけない問題」でしかないのではないかと思えてきます。
それはきっと安倍さんの思う「美しい国」に着手できるまでの捨象可能な「つなぎ」のようなものなのだろうと・・・
でも、日本で失われつつある(と安倍首相が思っている)美しさも、安倍首相が目的のために何かを切り捨てるのと同じように、抽象と抽象のハザマで捨象されていく「人間的なあいまいさ」そのものの中にしか存在しないんじゃないかと思うんですよね。

こんにちは。

現実に足を着けて、山積する問題に対峙しなければならない時に、「美しい国を造ろうよ!」というロマンティックな言葉を発したことが、新たな問題が次々に生まれた原因だと思います。

そして、美しさがほど遠いことが露わになると、夢が現実になった下村理論に基づいた高度経済成長期に比して、「経済成長すればなんでも解決だよ!」というロマンから現実に方向転換。でも、私は、これもロマンロマンに思えてしまいます。

美しさもロマンも好きですが、それは社会基盤が確固たるものになったとき、自然に生まれてくるものだと思います。政治世界が、現実逃避している気がして、カチンと来るこの頃です。

>NairFessさん(なんですねw)

>でも、日本で失われつつある(と安倍首相が思っている)美しさも、安倍首相が目的のために何かを切り捨てるのと同じように、抽象と抽象のハザマで捨象されていく「人間的なあいまいさ」そのものの中にしか存在しないんじゃないかと思うんですよね。


同意です。このあたりはやはり「お坊ちゃん」なんでしょうか。「人間的あいまいさ」の中にある美しさなどというものを感じる感性があるかどうか。何か全体的に検定教科書的な人だと思っています。

>けろやん

どうも

>美しさもロマンも好きですが、それは社会基盤が確固たるものになったとき、自然に生まれてくるものだと思います。政治世界が、現実逃避している気がして、カチンと来るこの頃です。


満ち足りた(と思われる)幼少時に原因を求めてしまう私は過剰でしょうかね。もちろん満ち足りた中でこそ身につけられるものもあるのですが、高度な政治哲学より、「美しい日本」が大衆受けすると思いましたかね。それもまた1つの国民なめたらあかんぜよ(古い)なんですが。


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