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October 05, 2007

「ミャンマー(ビルマ)情勢緊急集会----これまで何がおきてきたのか」(JVJA主催)出席報告(1)

Burma2

http://www.jvja.net/Birma-Myammer.htm

10月3日。会場は明治大学のリバティタワー。定員が130名限定と聞いていたので、時間がぎりぎりになったことを気にしながら行く。11階の会場まで行くと、場所が変更になって地下になったという張り紙が。さては定員が予定に満たなかったかと勝手に想像しながら行くと、満員。予定を上回る参加者に急遽広い教室に変更になったそうだ。確かに朝日新聞にも事前に報道されていたし。どうも失礼しました。

来場者は若い。明治大学ということもあって8割は学生か。若い女の子も多く、始まるまで履修している授業の噂話などしている。賑やか。私のような世代の参加者は開始前から厳しい顔をしている人が多い。手元に資料がバラバラと配られる。報道と思われるカメラも多く来ている。参加費は1000円。収入はミャンマーで倒れた長井さんの遺族に届けられるという。

●長井健司さんの記録したイラク

主催者側の挨拶に続いて、ジャーナリスト長井さんの足跡を辿るとして、長井さんのイラクでの取材風景。ここで、APF通信のメンバーが抗議メッセージを読むはずであったが、会場に来れず、代読となった。僕は忘れていたが、長井さんはイラクで傷を負った少年のためにおむつを届けに行くということをしたことがあり、それがテレビでも報道されたことがあった。

携帯電話での撮影で画質が悪いが、アップしておく。(再生にはQuickTimeが必要です)

会場での映像1

会場での映像2

会場での映像3

会場での映像4

会場での映像5

「未公開の映像も多くあります」

と主催者があらかじめ言っていたが、オンエアするのは難しかっただろうという、悲惨な映像が続く。顔中血まみれの少年、足がぐしゃぐしゃになって潰れた子供の泣き声、目を覆うような光景の中を、カメラを持ち時折笑顔も交えながら歩いて行く長井さん。余りの映像に、静まり返った会場の各所から時折「わっ・・」という小さな悲鳴が聞こえる。電気がつくと、さっきまで授業の話で盛り上がった女の子たちが目を拭っている。
そう言えば、最新の週刊文春に寄稿している不肖・宮嶋記者によれば、長井さんの主たるフィールドは中東であり、ミャンマーで撃たれたと聞いて耳を疑ったそうだ。なぜそこにいたのか、宮嶋記者にも理解しがたいほど、東南アジアと長井さんは結びつきにくかったそうだ。

●「今、ビルマで起きている民主化要求デモと治安部隊による弾圧の現状」、「秘密警察による拷問の実態」

報告:アウンサンスーチン氏の元ボディガード、ポーンミントゥン氏

Burma1

続いて在日ビルマ人でかつてアウンサースーチン氏のボディガードを務め、秘密警察に逮捕されて投獄され、拷問を受けた経験のあるポーンミントゥン氏が壇上に。

【ポ-ンミントゥン氏の経歴】
1969年、ビルマの首都ヤンゴン生まれ。アウンサンスーチー氏のボディガードを務め、秘密警察に逮捕され91年から95年までインセイン刑務所に5年間投獄された。釈放後に来日し、在日ビルマ人の活動家として民主化運動を継続している。投獄中の拷問経験を元に、AAPP(ビルマ政治囚支援協会)日本支部代表として活動し、ABFSU(ビルマ学生連盟)日本支部代表を務める。

少々ユーモラスに「私は日本語がうまくないので、すみません」と前置きして始まった、少したどたどしいスピーチに、会場が笑いで反応できる余裕があったのは最初だけ。補いつつ主旨を。

「皆さんは今回のことで驚いているかもしれないが、お坊さんは(報道される前に)もっと殺されて亡くなっていると思う。あの場所にいるというのは、殺されても構わないということでいる。人が動物のようになっている。動物のような扱いを受けているから、市民もお坊さんも何人が亡くなっているか、はっきりとはわからないんです。数えられないんです。

そういう状態で、逮捕されて刑務所に入る前にも何人も亡くなっている。一昨日くらいに写真を見ました。お坊さんが拷問されて川の中に捨てられている写真です。頭や体には凄い傷がありました。こういうことはビルマでは、今回のデモが最初ではないんです。世の中の誰もがわかっていないところで、起きていたんです。今はITの時代ですから、すぐに伝わりますが、88年や96年にも沢山の人が殺されましたが、誰もわからなかったわけですね。

今、市民達はすごく不安になっています。事態がどこまでいくかわからないからです。日本で5人一緒に歩いていても捕まることはないでしょう。ビルマでは5人一緒に歩いていたら捕まるんです。ビラを受け取って友達にあげることもできません。そういうことがいっぱいあります。

こんな状況でビルマの市民たちがどうやって生きているのか、皆さん不思議に思うと思いますので、今回のデモの写真を少しお見せしようと思います。

(写真の上映)

これは88年の時の学生デモのメンバーですが、今回はこういう人たちがリーダーになっています。最初の頃、お坊さんが殺されたわけですが、(パコック市での虐殺)その写真がないですが絵があります。(僧侶が軍に虐殺されている場面の絵が上映される)。それでヤンゴンでお坊さんたちのデモが始まったわけです。

(僧たちの読経の写真、市民が僧たちを両手を繋いでガードしている場面、怪我した僧を市民が手当てしている場面)

ポ-ンミントゥン氏の日本語は確かにたどたどしかったが、最後にそのたどたどしい日本語で

「日本の皆さん、どうか、どうかビルマの人を助けて下さい。力を貸して下さい」

と、何度も頭を下げられたのが印象的だった。会場から少し弱い拍手があった。

(2)へ続く

【備考】
・このエントリーで紹介した「会場で流された映像」の著作権は全て長井健司さんにあります。このブログへのアップについては、JVJAさんに連絡をとりますが、問題あるという権利者が他にありましたら、申し出てください。
・ミャンマーの国名表記ですが、カテゴリーとしては以後「ビルマ」とします。また発言者が「ビルマ」という呼称を使った場合にはそのまま「ビルマ」としますが、他については当面「ミャンマー」のままにします。これは、タグとしての配慮であり、政治的な価値判断を含みません。

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Comments

すみません。携帯からなので肝腎の動画を見られていないのですが、今日はネット環境にいないので取り急ぎ。

この取り上げ方だとイラクの状況がどうしてもミャンマーの状況に投影されてしまうのでは。長井さんの仕事の紹介という趣旨はわかりますが、この場合厳密に取り扱ったほうがいいように思います。

どうも。このエントリーでは、まず当日の構成をできるだけ忠実に再現したいと思います。長井さんの映像はイラクのものであるのに、非常に残虐な映像と彼の姿勢がわかるものであるので、会場に衝撃を与えていたのがわかりましたので、敢えてここに掲載しました。当日の会場の雰囲気をまず知っていただき、それが先入観に繋がったかどうかも含めて判断できると思ったのです。
何らかの先入観を与えてしまうという危惧はおそらく当日の運営者にもあったと思いますし、一方で彼の死を「無駄にしない」という名目で戦略的に(言葉が悪いですが)使っていくという考え方もないではないと思います。(推測です)長井さんの意思として、おそらくそれは是としたでしょうし(これも推測です)

ただ、特に日本政府の対応等に良かれ悪かれ長井さんの死が影響を与えたのはご承知の通り。主催者はその点に関しても危惧をいだいており、そのあたりは後半をお読みいただきたいと思います。

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