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October 06, 2007

「ミャンマー(ビルマ)情勢緊急集会----これまで何がおきてきたのか」(JVJA主催)出席報告(2)

続いて上智大学の根本敬教授の報告。根本教授の専門は専門はビルマ近・現代史である。これまでのビルマの歴史を解説しつつ、民主化運動と僧たちのデモとの関係や、民衆の心理の機微に重点をおいて話をされた。最初は学者らしく、メモを見ながら冷静なトーンで始まったと思われた報告は、しかし次第に熱を帯び、後半は叫ぶような口調に変わり、圧倒されるものがあった。

経済制裁や、僧の運動については様々な異論があるであろうが、先入観を持たず、根本教授の熱のこもったプレゼンテーションを、ともあれ最後まで読んでいただきたい。

●ビルマ情勢の解説「僧侶たちはなぜ立ち上がったのか?逼迫した市民生活。今後の経済制裁の必要性。88年の民主化運動との比較など」

報告:根本敬氏

【根本敬氏のプロフィール】
1957年、米国ワシントンD.C.で生まれ。上智大学教授、専門はビルマ近・現代史。62年から64年まで、ビルマの首都ラングーンで生活を送る。85 -87年の2年間、かつての民族運動関係者や抗日農民ゲリラ参加者から精力的に聞き取り調査を行う。現在はビルマ近現代史におけるナショナリズムの形成と展開をテーマとし、ビルマという一国の枠を超えた地域的な比較研究や、幅広い角度からの歴史研究をおこなう。
 著書に『アウン・サン―封印された独立ビルマの夢 現代アジアの肖像』(岩波書店)、共著に『ビルマ軍事政権とアウンサンスーチー』(角川書店)、『ビルマ (暮らしがわかるアジア読本) 』(河出書房新社)などがある。

●なぜ僧侶だったか

私は今回の事件の背景説明をさせていただき、今回の事態にどのように対応したらいいのか私見を述べさせてもらいます。まず、今回の事件は突然起きたのではありません。
その源は1988年の民主化運動まで遡ることができます。前回の民主化運動のとき、立ち上がったのは現役の大学生、そして高校生達でした。彼らが、民主化運動で大きな犠牲者を出しながらも、最後が市民の合流を実現させ、5ケ月間で最後は100万200万という単位でビルマの国内の多くの人たちが、ビルマ社会主義、これも軍が指導する体制ですけれど、これを倒して立ち上がりました。

しかし、それを押しつぶし、現在の軍政権の体制ができたわけです。人々はその後も軍政下19年の間、我慢をしながら生活してきました。しかし経済状況も改善されず、またもちろん政治状況も改善されず、1990年5月の総選挙で圧勝した、アウンサンスーチーさんの率いる国民民主連盟に政権移譲もなされず、軍政が一方的に新しい憲法を作り、そしてそのままビルマの政治にに強い影響力を軍が残し続ける、そういったシナリオが、できたわけです。
経済的なこともあり国民は不満を残し続けてきました。何かきっかけがあれば爆発する、そういう状態が続いてきました。今回は、学生ではなく、僧侶が立ち上がったのです。

なぜ僧侶だったんでしょうか。

88年のときに中心的な役割を果たした学生は、残念ながら現在はそうした運動の中心に立つことはできません。現在の現役の学生達は、軍政下で育った世代です。その教育の影響を受けて、政治から距離を置く、政治よりも経済に関心を持つ、そういう習慣が身についています。一部の学生はそれでも政治への思いがあり、国をよい方向に変えたいと思ってますけれど、大学のキャンパスを都市から田舎に無理やり動かされ、運動を起こそうにも起こせません。学内でデモをしても市民と合流するきっかけが掴めません。
またかつては学生寮がありましたけれど、その学生寮に集まって相談事が出来ましたけれど、今は寮自体がありません。教員達も軍政によって強制され、学生が政治運動をしないように監視させられています。現役の学生は動けません。

そういう中にあって、動くのは誰か。アウンサンスーチーさんが動ければ一番いいわけです。そして彼女の率いる政党が動ければ一番いいわけです。ところが、アウンサンスーチーは軍政下19年のうち、14年間自宅軟禁の状態にあります。現在は3度目の自宅軟禁、既に4年以上たちました。NLDもアウンサンスーチー無しでは、大きな決定が出来ません。

そうしますと、昔に指導的立場にあった学生達がいまは40歳前後になっていますが、その人たちがもう一度立ち上がるしかない。そこで8月15日の燃料費の大幅値上げに反対するデモを、そうしたOB達が開始しました。抗議行動もシュプレヒコールもしない。ただ黙々と歩く。6月から10月までのビルマ、特にヤンゴンは雨季ですから、毎日雨が降ります。雨が降ってもただ黙々と歩く。人々は、88年当時の学生達がただ歩いているのを見て、彼らが何をしようとしているのかすぐわかりました。したがって市民達も少しずつ静かなデモに合流を始めました。

しかし、この運動もすぐに軍政によって封じ込められ、ミンコーナインという元学生運動のカリスマ的リーダーも捉えられ、また参加者も指導者も拘束されてしまいました。

そうなると、もはや動ける人たちはいないのか。一般的市民は、私達もそうですが、失うものがあまりに大きくて決心がつきません。運動に参加しようと思っても家族のことを思います。仕事を失ったり、地位や名誉を傷つけられる、そうしたことをどうしても恐れます。従って一般市民は、なかなか運動の先頭に立つことが出来ません。そうした中、僧侶が立ち上がったんです。

ビルマの僧侶はお隣のタイ、そしてカンボジアと同じように「上座仏教」と言いまして、日本では小乗仏教という別称で知られていますけれど、その上座仏教のお坊さんは、まさに世捨て人です。出家者です。言葉本来の意味で家を捨て、この世と縁を切った人々です。すなわち財産は一切ありません。捨てるものは自分の命以外ないわけです。ですからそうした人たちが決心すれば、かなり力の入った本格的運動を起こすことができます。

イギリスの植民地時代に、僧侶が独立運動に参加したことがありました。イギリス当局が一番悩んだのが、僧侶の運動です。当時も学生達が、反英運動をしました。また市民も合流しました。今回、独立後もう60年以上たっていますけれど、このビルマで、もう独立しているのに僧侶が政治に対する不満を表明すべく、僧侶が立ち上がったわけです。
僧侶というのは、一般的市民と絶えず接触があります。出家者ですから、仕事はしませんし自分の食事も、それから身につけている袈裟も、修行の場であるお寺の建物も、すべて信徒に頼ります。信徒は出家者を支えることによって功徳を積み、よき来世をめざします。
ですから、出家者である僧侶とそれを支える信徒の間には深い深い関係があり、信徒達はお坊さんの住んでいる僧院に週に1回か2回は来て、お坊さんに悩み事を話します。それに対してお坊さんは宗教的アドバイスを与えます。

そういう関係ですから、僧侶は一般の人たちの生活状況は手に取るようにわかります。托鉢を毎朝行いますから、食事をもらいます。お坊さんは食事の質を通してですね、一般の人たちの生活レベルを、自分のお腹で感じ取ることができるわけです。当然生活が悪化してくれば、いくらお坊様とはいえ、お坊様にご馳走ばかり作るわけにはいきません。
そうやって僧侶は一般の人たちの生活状況を感じ取ることが出来ます。ましてや日常的に、交流しますので、一般の人たちの政治への不満、経済生活の悪化、そういったものを感じ取ることが出来る。そういう中、アウンサンスーチーは動けない、また学生は動かない、学生OBは捕まってしまった、そこで僧侶が自覚して立ち上がったといえます。

きっかけはパコックという街の僧侶の静かなデモを、地元の治安部隊が非常に乱暴に、取り締まったことでしたが、それに対する抗議が急速に広がり、ヤンゴン、マンダレイといった大きな街の僧侶が集団で立ち上がったわけです。ローマカトリックの教会と違い、釣鐘型の組織をビルマの仏教会は持っていませんので各僧院が自分で判断し、また各僧侶が自分で判断し、デモに参加します。ですから必然的に何万人という僧侶が立ち上がったということは驚くべきことではありますが、落ち着いて考えてみれば、彼らは一番民衆の苦しみを感じ取ることが出来、捨てるものが何もないからこそ立ち上がれたんだということが言えます。

●市民生活の悪化

市民の生活はどの程度悪化しているのでしょうか。8月15日の燃料費の大幅な引き上げ。日本でも石油代はあがっています。しかしその比ではないんです。私たちは多少燃料代があがっても、食べることに困ることはありません。しかしヤンゴンのような大都会に住む人たちにとって、燃料費があがるということは、通勤費の値上がりに直結します。ヤンゴンのバスは、最近多くが天然ガスで動いています。天然ガスの燃料費が一時5倍になりました。ということはガソリン代も当然3倍、4倍になりました。ディーゼルガソリン代、これも、1.5倍くらいになりました。そして当然燃料費は流通全体に影響を与え、あっという間に物価をより一層悪化させることになります。ただでさえ、年間のインフレーション上昇率が40%の国にあって、こういう燃料費の値上げが起きますと、益々人々の生活が苦しくなります。これが19年間にわたる軍政に対する不満に火をつけたということは容易に想像できます。

本当に人々の生活苦、貧困観というものを僧侶が敏感に感じ取って立ち上がった。僧侶が立ち上がって一番驚いたのは、おそらく市民でしょう。市民は、まさかお坊様たちが自分たちのために立ち上がってくださるとは思っていなかった。したがって非常に感謝の気持ちを抱きます。デモの当初、お坊さんたちの両側を人々が手をつないで守る形でデモしました。これは、お坊さんたちに絶対に当局に被害を与えさせてたまるか、自分達のために立ち上がってくださったお坊様たちを絶対に守るぞという気持ちだったわけです。

それからアウンサンスーチーが戸をあけて出てきたのは、政治的なメッセージを送るために出てきたのでは、断じてなくて、お坊様が自分の家まで来てくださった、自分のことを心配して来てくださったことに対して、お礼を言わないのは大変に失礼なんですね。それで、自宅の庭の内側の警備を説得して、姿を見せた。ただ、結果的にそれが政治的に大きな意味を持ちました。その写真が、国内外に配信されて、お坊さんのデモと、アウンサンスーチーの民主化運動を結び付けて、民主化運動がお坊さんのデモに合流したという印象を与えることになりました。それが26、27日の大爆発になり、それがお坊さんと市民を巻き込んだ大規模なデモになっていったわけです。

しかし、大変に残虐な取り締まりがされ、1000人を超える僧侶が逮捕され、100人近い僧侶が命を失ったり大怪我を負ったりしています。市民も大変な犠牲を出しています。その中で、日本人のジャーナリストも命を失った。狙い撃ちで、撃ち殺されたわけです。

●経済制裁はなぜ必要か

こういう中で最後に一つだけ私が訴えたいのは、国際社会の対応についてです。制裁は効果がないという人がいます。制裁をしたからといって軍政が態度を変える可能性はゼロです。制裁をしなくても、外から説得をしても軍政は変わりません。どのようにしても軍政は変わりません。

そうしますと、じゃあ制裁はしないのか、そうじゃなくて、今回立ち上がって犠牲になった人への「モラルサポート」が必要だと思うんです。それから今回の出来事を遠巻きに見ていて、もう少し盛りあがったら出ようかなと思っている人が、何百万、いや何千万人といる。そういった人たちが、「ああ、また今回も失敗してしまった。もう駄目なのか」と絶望的な気持ちになる。インターネットを見ると、もうデモでは自分の国は変えられないのではないかという絶望的な書き込みをしている人がいます。絶望の背後には、国際社会に助けてほしいという悲鳴にも似た訴えがあるんですね。

そうした人々の絶望的な気持ちを、今私たちは実感することができるわけです。長井さんの死はその象徴です。そしてこの軍政の残虐なふるまいを、我々はリアルタイムで見てきたんです。そういう人たちに贈るメッセージとして経済制裁を、強い非難声明を各国が送るべきだろうと思います。おそらく国連はそうした行動に出ませんけれど、文言で強いメッセージを送るべきですし、政府はたとえ少額とはいえ、ODAを止め、大使を引き揚げる位のことはやって、軍政に強いメッセージを送るべきです。これは軍政をすぐには変えることにはなりません。しかし人々は、日本からの、そして外国からの制裁付のメッセージに勇気づけられる、プレゼントとして受け止めることができる。今回こそ、単なる言葉だけのメッセージではなく、制裁付の強いメッセージでないと意味があまりないだろうと思っています。

以上です。

(会場より大きな拍手。)

(3)へ続く

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