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October 09, 2007

長井健司氏の葬儀にて----英雄ということ

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青山葬儀場で行われた、故長井健司さんの葬儀に出席してきた。折悪しく雨。会場に到着すると、少し遅れたこともあり、既に式は始まっていた。外には会場に入れなかった一般参列者が雨の中、黙って並んでいた。後から主催者が発表したところでは、1000人が訪れたという。会場入り口には、多くの遺影と花で祭壇が作られていた。

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○待機する一般参加者

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○在日ビルマ人の方が100人出席したという。オレンジ色の服を着ている人たちだ。他にも式場の各所に、民族服を着た姿が見られた。

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○祭壇に飾られた、取材中の写真


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○ビルマ語と思われるメッセージも多く寄せられていた。

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○多くの報道陣

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○出棺前

葬儀委員長はAPF通信の山路徹代表。弔辞は鳥越俊太郎氏、田丸美寿々氏、カメラマンの嘉納愛夏氏、(祭壇に飾られた写真は、03年3月にヨルダンのアン マンでカメラマン、嘉納愛夏さんが撮影した写真だそうだ)ニュースキャスターの村尾信尚氏、そして式次第にはなかったが、在日ビルマ人の方が2名、弔辞を 述べられた。(お名前をちょっと失念した)


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○会場にはよしだたくろうが流れていた。わかる。

そのビルマ人の方が、「軍政が倒れて新しいビルマが出来上がったときには、長井さんは永遠に国民の英雄としてビルマ人の記憶にとどまるでしょう」と語られたのが印象的だった。少しはっとした。

長井さんは「英雄」になったのだろうか。本人の意思によらず、おそらくそうなのだろう。長井さんの死がなければ、おそらく日本政府はミャンマー問題に対して重い腰をあげなかったろうが、それだけではない。

取材中のジャーナリストが、狙い撃ちで殺害されるショッキングな映像は、軍政の残酷さを印象付けるものとして、世界に配信された。撃たれる瞬間の映像、兵士が長井さんを引きずる映像のみならず、今夜はテレビ朝日で、兵士が長井さんのものと思われるビデオカメラとデジタルカメラを奪う映像までが見つかったと、放映されていた。

これほどまで、詳細な「瞬間の映像」が残っている「ジャーナリストの死」は過去に記憶にない。多くの人が携帯電話やデジタルカメラを携え、インターネットを駆使できる時代にあって、初めて可能になったことだ。報道カメラマンの宮嶋茂樹氏が最近、週刊文春に寄稿したところによれば、デジタルカメラ、パソコン、そしてインマルサットの携帯電話の3つが、現代の報道カメラマンの三点セットであるという。そしてインマルサットはともかく、他の2つは多くの一般の人が持っている。いまや世界中に眼があるのだ。

期せずして長井さんは、ミャンマーにおいては、自らが記録した映像で、ではなく、自らの死の映像によって、世界的にその名を知られることになった。そしてその撮影した映像は未だに見つかっていない。

こうして身を挺して、軍政の暴力による圧制行為を知らせることになった長井さんはしかし、キャリアのある報道カメラマンであり、その風貌に似合わず(本当に普通のオジサンだ)勇猛で知られていたという。中東をメインフィールドにしていた長井さんがミャンマーで倒れたことには驚いた同業者が多かったそうだ。

さて、一体英雄とはなんだろう。

あるいはその死が、利用されることがあっても、その志に沿った形で「利用」されるのであれば、おそらく長井さんは諾とするのかもしれない。しかし英雄という言葉と、彼との間に、何かもやもやしたものが僕の中にある。それはきっと、今後もずっと残るのだろうと思った。

長井さんが、英雄の名にふさわしくないというのではない。それどころか、僕は生前の長井さんに残念ながらお会いしたことはないが、彼を知る人によれば、勇猛さと穏やかさを兼ね備えていた方で、どんなときにも周りをリラックスさせる不思議な力があったそうだ。英雄とはそういうものなのかもしれない。

僕の言いたいことは、そういうことではなくて、時に権力すら「英雄」という言葉を利用することを、死神の腕を中東の戦場で何度も切り抜けてきた長井さんは、きっとよくご存知であったはずだからだ。

そんな長井さんの死を、英雄という名にふさわしい、本望の死であったと言っていいのだろうか。

一度もお会いしたことも、話したこともないにも関わらず、やはり長井さんの遺影に接し、そして遺族のご好意でお顔も直に見せていただき、車椅子のご尊父に接し、やはり胸は詰まるのだ。涙はこぼれる。だがその自分達の「涙」を利用する力はないか。

そもそも「英雄の死」と、そうではない「死」など、本当にあるのだろうか。

文春で、宮嶋氏が長井さんのことを淡々と書く中に、「正義ではなく金儲けのために俺達はやっているのだ、テレビや新聞が臆病なおかげで写真が買ってもらえるのだ、だから死んじゃ駄目だ、死んだら金がもらえない」と書いていた。「自分と長井さんはフセイン政権の崩壊に立ち会えたけれど、自分は政権が壊れるまで怖くてホテルで震えており、窓からそっと写真を撮っていたが、長井さんは歩き回っていた」 とも。

「金のため」というのは、長井さんという長年の「戦場の友人」を失った宮嶋さんの独特の、精一杯の「宮嶋節」であり、同時にその仕事へのプロ意識だったろうし、それを書いた宮嶋さんはおそらく泣いていたと思うので、その言葉に胸を衝かれるものがあった。

やはり人は、生き残らなければならないのだ。どんな手を使っても。たとえ勇気に欠けるといわれても。

「だって長井さん。死んだら金がもらえないよ。何も英雄になるためにやってるわけじゃないだろ。がははは」

宮嶋さんはきっとそんな風に言いたかったのだろう。

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○葬儀場の空

午後になると雨はあがり、美しい夕焼けに西の空が染まった。

心から長井健司さんの冥福をお祈りする。

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